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2013年6月

2013年6月29日 (土)

隠しきれない甲状腺の異常

 先日も紹介した以下の記事は、6月16日に開催された「市民と科学者の内部被曝問題研究会」の講演会での川根眞也さん(内部被ばくを考える市民研究会)の発表の文字起こしだ。

「乳頭がんが放射性物質誘発癌だ」ベラルーシと福島の甲状腺がん・小学校に降ったヨウ素の量6/16川根眞也氏(内容書き出し) (みんな楽しくHappyがいい)

 実は川根さんの講演の最後に驚くべき発言がある。その部分を以下に引用する。

ところがですね、昨日聞いた話。
福島生活クラブ生協の職員だったいま千葉に来ていらっしゃいますけれども、
その方が「いま福島で甲状腺の検査、第1ステージ、第2ステージ第3ステージというのがあって、
最終ステージで甲状腺の診断が完了するという、
第3ステージで止まっているそうです。
最終ステージの認定者を出していない。
だから甲状腺の専門家が増えていないという事を言っていました。

 第三ステージというのはおそらく細胞診のことだろう。ということは、細胞診が必要だとされた者の検査が進んでいないと理解できる。細胞診はすぐにできる検査のはずだが、それを止めている。細胞診を行ったら、「甲状腺がん」あるいは「甲状腺がんの疑い」の人数が増えてしまうから、意図的に止めているのではなかろうか? もし甲状腺がんの発症者を増やさないために細胞診を止めているのなら、驚くべきことだ。

 ところで、今年の3月10日に行われた福島共同診療所の報告会の内容がtogetterでまとめられている。甲状腺がんと確定した者が3人、疑いが7人の段階での話しだ。ちょっと長いのだが重要なことが書かれているので、是非読んでもらいたい。

福島共同診療所報告会 

 この中から、とくに重要と思われることについて、いくつか紹介しておきたい(引用ではなく、要約)。

・福島県立医大は放射能の影響はない、因果関係は認められない、甲状腺のエコー調査はもうしなくてもいいと言っている。

・子供が風邪をひきやすくなった、下痢しやすくなった、鼻血がでるようになったということに対して放射線の影響はない、心配しなくていいと繰り返される。これでは不安は解決しない。山下氏以外の医者は、あれだけ堂々と放射線障害はないと断定して言えない。

・診療所の検査は3カ月でトータル150人で、9割以上が県の検査を受けている。診療所の患者さんの半数は、県の検査のa2(5ミリ以下の結節または2センチ以下ののう胞)判定の人。

・a2判定の場合は次の検査は二年後なので、個人的に県内の医者に行くと、断られた。福島医大以外では検査しないでくれといった指示を、おそらく医師会を通じてやっている。

・福島医大の甲状腺検査は、検査時間が1、2分と非常に短く、写真を撮る時間もない。普通はどの臓器でも15分が基準。

・診療所にくる患者の30%くらいにのう胞があるが、さらにその半分はのう胞がぼこぼこと無数に散っていて、ハチの巣のようになっている。蓄積したヨウ素が甲状腺の構造を変えてしまっている可能性がある。

・今は甲状腺がメインになっているが、白血病や癌に関係ないものにも対応したい。

・高校生が心筋梗塞で亡くなったという話しを二回ほど聞いたが、高校生が心筋梗塞で死ぬようなことは普通は考えられない。

 甲状腺がハチの巣のようになっている子どもが一定程度いるのであれば、極めて深刻な事態ではなかろうか。それなのに福島県は検査をさせないようにしているそうだ。否、大変な状態だからこそ、検査をさせず甲状腺異常の多発を隠したいのだろう。

 もうひとつ、東海村が子どもを対象に行っている甲状腺検査の結果が出ている。2歳から6歳までの410人では、98人が経過観察で、2人が要精密検査。その後の578人の検査では132人が経過観察で、5人が要精密検査になっているそうだ。合計で988人のうち、経過観察が230人、要精密検査が7人ということになる。以下参照。

東海村の子ども甲状腺検査結果(安禅不必須山水)

 はたして東海村の検査時間はどの程度なのだろう? また、経過観察と要精密検査の区分はどうなっているのだろうか? いずれにしても、茨城県でも子どもの甲状腺に異常が出ているのは間違いないだろう。

 また、ツイッターでこんな情報もある。 https://twitter.com/Chooemon92/status/346937847846158337 

 東京在住の消化器系外科医の方とのことだが、学生さんにも甲状腺の腫れが多くでていて、触診でわかるそうだ。

 このような状態である以上、全国で甲状腺の検査をすべきだし、子どもだけではなく大人の検査もすべきだ。

 マスコミはこうしたことはほとんど報道しないが、いつまでも隠しきれるわけではない。隠して事態を悪化させるより、少しでも早く検査をして対策をとるのが賢明であることは言うまでもない。それにしても、おそらく被ばくの影響が顕著になるだろう2、3年後のことを考えると気が滅入ってくる。原発事故の被害ははかり知れない莫大なものになるだろう。

 つい先日、ヨウ素131の地上面沈着量が公表された。このような情報が今ごろになって出てくるとは唖然だ。なにもかもが後だしだ。甲状腺異常の多発を隠しきれなくなってきたから、今頃公表したのだろうか。もちろん、これだって過小評価している可能性もある。

【資料】<福島第一原子力発電所事故により放出されたヨウ素131の地上面沈着量を導出> (心の自由を探す旅の途上にて)

ヨウ素土壌汚染地図公開!浪江町など300万ベクレル超の汚染(子ども達を放射能から守るネットワーク@ちば)

2013年6月24日 (月)

冷房や自動販売機の見直しを

 北海道はようやく夏らしい気候になってきた。とは言っても、ほんとうに暑い期間は短いので、一般家庭などでは冷房は必要ない。これは冷房が苦手の私にはとても有難いことだ。

 知人の話しによると、関西では27、8度の暑さになるとすぐに冷房を入れるのだという。5月や6月といえばまだまだ猛暑の季節ではない。それでも暑くなるとすぐに冷房を入れるのが当たり前という感覚になっているらしい。原発事故が起きた後だというのに、まったく節電意識がないことに驚いてしまう。

 私は三十数年前まで東京に住んでいたが、子どもの頃はもちろん冷房などなく、家にクーラーを設置したのは私が北海道に移住してからだ。東京でいつ頃から冷房が普及したのかは記憶が定かではないが、大学までは冷房のある建物で過ごすことはほとんどなかった。電車なども昔は窓を開けて暑さをしのいだものだ。

 ビルや大型店、電車、公共施設などで冷房が次第に普及していったが、40年くらい前までは個人の住宅にはそれほど普及していなかったと思う。

 ところが今はどこの家庭にも冷房がある。暑くなればすぐにエアコンのスイッチを入れるという生活が当たり前になってしまったようだ。たしかに35度もの暑さになればじっとしていても汗が出てくるので冷房を入れるのは分かるが、しかし、あまりに冷房に頼った生活になっていないだろうか。

 私は本州の夏の暑さはとても苦手なのだが、それ以上に苦手なのが冷房空間と非冷房空間を交互に行き来しなければならないことだ。ビルの中や電車はしっかりと冷房が効いているが、外は猛暑。そこを行き来するだけで体調が狂ってしまう。ビルはどこも冷房が効いているので、夏はカーディガンが欠かせない。電車に乗っても寒くて仕方ないときが時々ある。原発事故が起きてからも、冷房の設定温度が高めになったとは感じられない。だから夏に本州に行くのは気が重い。

 ただし、私が学生の頃は、暑いといっても33度くらいが上限だったような気がする。近年の都市の気温上昇は、地球温暖化のほかにも冷房による外気温の上昇や道路の舗装、建物のコンクリート化といったヒートアイランド現象が大きく関わっているのだろう。もし、冷房を30度以上のときに限定し、設定温度を28度にしたら、都市部では気温上昇が多少は緩和されるのではなかろうか・・・。28度くらいなら「暑くて何もやる気がしない」というほどではないし、寒いほどの冷房よりよほど健康的だろう。

 現代人は冷房のある生活に慣れ過ぎてしまったと思えてならない。電力会社は原発をどんどん建てて湯水のように電気を使わせ、私たちはそれにすっかり乗せられてしまったのではなかろうか。

 もうひとつ気になるのが、清涼飲料水の自動販売機だ。あれも相当電気を使っているのではなかろうか。以前、北欧を旅行したが、清涼飲料水の自動販売機はほとんど見かけなかった。飲み物が欲しければお店で買うのだ。しかも清涼飲料水の種類はものすごく少なく、お店の冷蔵庫も小さい。バカでかい冷蔵庫にさまざまな清涼飲料水が並んでいる日本のお店はむしろ異常だ。

 今は携帯用のしゃれたポットも出回っている。自分で麦茶などを作って持ち歩けば経済的だしゴミも出ない。自動販売機などなくてもちっとも不便ではない。

 冷房温度を高めにし、自動販売機を減らすだけでかなりの節電になるはずだ。自動販売機は採算が取れなければ撤収するだろうから、消費者が利用しなければいい。コンビニの深夜営業も控えるべきだろう。原発再稼働などと馬鹿げたことを言う前に、私たちはもっと節電の努力をすべきだとつくづく思う。

2013年6月20日 (木)

隠された初期被ばく

 6月14日発行の週刊金曜日(947号)に、アレクセイ・ヤブロコフ氏へのインタビュー記事「チェルノブイリで起きたことは福島でも起きる」が掲載されていた。アレクセイ・ヤブロコフ氏は、先日日本語訳が出版された「調査報告 チェルノブイリ被害の全貌」の著者の一人だ。

 そのインタビューで、以下のやりとりがある。

―放射能で汚染された地域の子どもたちをすぐ別の場所に移すべきだ、という要求もありますが。

 理論的にはそうでしょう。また、長期の被曝をさけるのも賢明な選択です。しかし私たちの調査では、残念ですがいくら遠くの汚染されていない地域に避難しても、本人がもし事故当初に被曝していたらどうにもなりません。結果的に、その時間に最大限の被曝をしているのですから。避難した後で発病したというケースも、珍しくないのです。

 福一からは事故後2年以上経過した今も大量の放射性物質が放出されている。

今現在、福島第一原発各号機放出量と関東に降っている放射性降下物の量6/16川根眞也氏(内容書き出し) (みんな楽しくHappyがいい)

 場所によって汚染の程度は違うものの、東北南部から関東地方にかけては土壌も汚染されてしまった。食べ物に気をつけていても放射性物質を完全に排除することは困難だし、風によって放射性微粒子が舞い上がるたびに呼吸から取り込むことになる。だから、汚染地から移住できる人は移住するに越したことはない。しかし、初期被ばくだけはどうしようもない。

 そしてこの初期被ばくに深くかかわる福一からの放射性物質の大量放出の実態、すなわちいつどれだけの放射性物質が放出され、風でどのように運ばれたのかということこそ政府や東電が隠してきたことだ。福島第一原発の場合、4機もの原発が爆発して複数回にわたって大量の放射性物質を放出させたので、チェルノブイリのように単純ではない。そして、いつ、どのような核種がどれくらい放出され、それらがどの地域に拡散したのかはよく分からない。これらが誰にでも分かるような図などで発表されていたなら、各自がどれだけ初期被ばくをしたのかの目安にはなるだろう。

 ヨウ素131の大量放出について情報収集されている方がいるが、いったいどのくらい放出されたのかははっきりしない。

福島第一原発事故 マスコミが触れない話し その45 事故発生時のヨウ素131大気放出量(オオルリのブログ)

 いずれにしても大量のヨウ素131が放出されたことは間違いないだろうし、東電も政府もそれを隠蔽したのだ。だから、情報のない一般の住民は大量被ばくをしてしまった。ところが、福島医科大学では医師・看護師たちに安定ヨウ素剤を配っていた。

ヨウ素119万Bq/kgの汚染でヨウ素剤を飲んだ福島医科大学の医師・看護師(院長の独り言)

 この情報化時代、政府やマスコミが、あるいは情報を知り得た人がインターネットなどを通じて放射性物質の放出情報を伝えていれば、どれほどの人が初期被ばくを軽減できたかと思うと、ただただ愕然とする。政府は、はじめから住民の避難にSPEEDIを役立てようなどという気はなかったのだろう。複数回にわたる放射性物質の大量放出を、知る人は知っていた。にも関わらず情報を出さずに住民を被ばくさせ、言い訳として「パニック」を持ち出したのだ。このような国は原発などもつ資格はない。

 福島県の子どもたちの甲状腺検査では、事故後2年にして甲状腺がんの発症率が極めて深刻な事態になっていることは「極めて深刻な甲状腺がんの発症率」で書いた。この記事で触れているように、先の発表は174,376人のうちの二次検査を終了した383人の結果であり、二次検査が必要とされた者のうち検査を終えていない者が2/3ほども残っているのだ。しかも174,376人というのは、36万人いるという福島の子どもたちの半分に満たない。

 以下の記事によるとチェルノブイリ事故の6年後に日本でも子どもの甲状腺がんが増えていたそうだ。環境省の甲状腺調査では長崎や弘前からもB判定の子どもが見つかっており、東北や関東だけではなく全国で甲状腺がんが多発する可能性がある。また、福島で甲状腺がんを発症した12人はすべて乳頭がんとのこと。ベラルーシでも乳頭がんが多発しており「乳頭がんが放射性物質誘発がん」と考えられるそうだ。福島の子どもの甲状腺がんが被ばくに起因しているのは間違いないだろう。

「乳頭がんが放射性物質誘発癌だ」ベラルーシと福島の甲状腺がん・小学校に降ったヨウ素の量6/16川根眞也氏(内容書き出し) (みんな楽しくHappyがいい)

 甲状腺がんの発症率からだけでも、福島では相当量の初期被ばくをしたと推測される。はたして、福島の事故によって東北や関東の人たちはどれほどの初期被ばくをしてしまったのだろう。政府が放射性物質の放出量の過小評価をしたり隠蔽をすればするほど、信じたくないくらい大量の放射性物質が飛散したのではないかと疑ってしまう。

 福島ではチェルノブイリのような健康被害は生じないと豪語していた人たちがいる。しかし、政府は自己保身のために必ず嘘をつく。ヤブロコフ氏に週刊金曜日のインタビューで「放射能をめぐる状況で、政府が『安全だ』と言っても絶対に信じるなということです」と言っている。チェルノブイリの被害を知る人の発言こそ、信頼に値する。

 IAEAはチェルノブイリの事故でも甲状腺がんだけは被ばくとの因果関係を認めざるを得なかった。おそらく日本政府も同じで、甲状腺がんだけは医療費を無料にするなどして対処するだろう。しかし、それ以外の健康被害については被ばくとの因果関係を認めようとしないに違いない。ヤブロコフ氏も言っているが、個々人について発病の原因を特定するのは究極的に不可能だからだ。それをいいことに、政府は健康被害が顕著になっても知らんぷりを貫くのだろう。

 チェルノブイリの原発事故で被ばくした人たちは今でも健康被害が続いている。ヤブロコフ氏によると、福島の事故でも少なくともこれから七世代にわたって健康被害が続くだろうという。今後のことを考えると本当に気が滅入ってくる。

 政府がまずやらなければならないのは、汚染地に住む人たちの「移住の権利」を認めること、被ばくした人たちにできる限りの補償をすること、福一の収束作業を東電に任せないこと、日本にあるすべての原発の廃炉を決断することだろう。ところが、政府が福島で力を入れているのは、健康被害の不安を口に出すことがはばかられるような空気をつくることらしい。巧みなマインドコントロールだ。

福島で作られつつある異様な「空気」 (Life is beautiful)

 政府はそうやって福島に住民を戻し、除染で対処する方針のようだ。除染に巨額を投じるのは税金をドブに捨て、しかも住民を見捨てることに等しい。いい加減にしてほしい。

福島・除染は50年、総費用は25兆円?-でも手当できたのは44億円(めげ猫「タマ」の日記)

2013年6月16日 (日)

化粧品やトイレタリーの危険

 私は基本的に化粧はしないし、化粧水すらほとんど使わない。理由はいろいろある。そもそも化粧そのものにほとんど興味がなく、化粧で見栄えを良くしたいと思わない。また化粧品の匂いが苦手で、特に自動車の中など狭い空間では香料の匂いで気持ちが悪くなる。化粧品をつけたときのベタベタした感触も好きになれない。しかし、何と言っても嫌なのは、得体の知れない化学物質を肌につけるという行為だ。

 化粧品の成分にはさまざまな化学物質が含まれているが、そういうものを長時間肌につけるというのはどう考えても有害としか思えない。それに、化粧品を使わなくても肌にトラブルは生じない。だから、つける必要を感じないのだ。ごくたまに日差しの強い日に外出するとき日焼け止め入りのファンデーションをつけることがあるが、帰宅したらすぐに顔を洗う。気持ち悪くて仕方ないのだ。

 同様に毛染めもしない。最近はかなり白髪が目立つようになってきたが、白髪染めをしたいとは思わない。第一に、髪や頭皮に良いわけがないから。それに、見かけだけ若くしたいとも思わない。白髪でも生き生きとして若々しい人は沢山いるし、何も髪の毛を染めてまで歳を隠す必要もないと思う。顔はどう見てもかなりの高齢なのに髪の毛は真黒という人をたまに見かけるが、かえって不自然だ。

 女性が化粧をしたり白髪を染めるのは「マナー」「身だしなみ」などと言う人がいるが、いったい誰がそのようなことを決めたのだろう? 男性は化粧をしないのが当たり前なのに女性は化粧をするのが当然だという発想は、私にとっては性差別としか思えない。

 化粧や染髪をしたい人がするのは自由だし、それを批判するつもりはないが、化粧しないことも個人の自由でありとやかく言われる筋合いではない。しかし、化粧品を長時間つけている女性は、化学物質のことを考えないのだろうかとは思う。それに、さまざまな科学物質が入った化粧品を洗い流すのは、水質汚濁や環境汚染にもつながるだろう。

 オーストラリア発の話題とのことだが、以下のような指摘がある。

女性は化粧品・トイレタリーに含まれる化学物質を年間2キロ肌から吸収(世界の三面記事・オモロイド)

 女性は年間平均2キロ、一日当たりにすると約5.5グラムもの化学物質を肌から吸収しているという。この数字は本当だろうか?と首をひねってしまうが、考えたら肌につける化粧品のほかに、それを落とすための化粧品にも化学物質が入っている。シャンプーやリンスなども入れたら、かなりの化学物質を肌から体内に取り込んでいることは確かだと思う。

 私は髪の毛を洗うのも無添加石鹸を使っているから、シャンプーもリンスも使わない。石鹸での洗髪(リンスは酢を使用)に慣れてしまうと、市販のシャンプーはまったく使う気にならない。ボディーソープももちろん使わない。洗濯用洗剤も無添加の粉石鹸を使っている。無添加の固形石鹸と粉石鹸があれば何の不便もない。歯磨き剤も洗剤成分の入っていない「ノンフォーム」をたまに使うだけ。化粧品やトイレタリーから化学物質を吸収することはほとんどない生活をしている。

 現代人は農薬をはじめとして様々な化学物質に汚染された食べ物を食べている。大気にも化学物質が漂っている。生活自体が化学物質にまみれているのだから健康を害するのは当然だ。アレルギーが増えている背景には、こうした汚染も関係しているのだろう。せめて生活必需品ではないトイレタリーなどは、極力減らしたほうがいい。メーカーの宣伝に乗せられるのは危険だと思う。

2013年6月13日 (木)

御用学者、早野龍五氏の欺瞞と背景にある利権構造

 私は若い頃から自然保護活動に参加してきたが、それで痛感しているのが政官業の癒着による国民の騙しだ。それに加担しているのがマスコミと御用学者だ。自然破壊の多くは大型土木公共事業によるものなのだが、その大半は必要性が乏しく、むしろ弊害の方が大きい。たとえばダム。利水のためにある程度のダム建設はやむを得ないとしても、必要以上に造り続けてきた。その結果、ダムを造ったことで洪水被害が生じたり、魚の遡上を妨げたり、河川の生態系を破壊したり、海岸線の後退を招いたり・・・。その弊害を解消しようとしてさらに新たな公共事業を考え出すのだが、その場しのぎでしかなく悪循環に陥る。

 彼らは「必要ない」ものを「必要」としなければならないので、いろいろ理由を考えだす。水が足りない、洪水被害をなくす、などと理屈をつけるのだが、それを追及していくとほとんど根拠がないことが分かってくる。公共土木事業を推進したい人たちは、結局、利権にしがみついているだけなのだ。科学とか論理ではなく、お金しか頭にない。欺瞞を見抜き質すのはお金とは縁のない誠実な科学者や市民だ。こうした問題に関しては、前回の記事なども参照していただきたい。

 これとまったく同じ構図が、原発だ。経済成長のために電気が必要、地球温暖化防止、日本の原発は安全・・・などと理由をつけては原発を推進し、処理のできない核廃棄物を大量に生みだし、国民に電気の浪費をさせてきた。そしてひとたび大事故を起こしてしまったら、こんどは被ばくによる影響を隠そうと必死になっている。それに加担しているのがマスコミと御用学者。

 山下俊一氏や中川恵一氏は言うまでもない御用学者だが、気をつけねばならないのは早野龍五氏のような学者だ。早野氏は2013年4月11日にいわゆる「早野論文」を発表し、福島の原発事故ではチェルノブイリ原発事故により得られた知見から予測されたほどの内部被ばくが認められなかったと公表した。そして、マスコミがこれを大々的に報道した。

 「検査に基づいた論文だから信頼できる」「福島では被ばくはあまり心配ない」と思ってしまった人は多いだろう。しかし内部被ばくの研究者にとって、この早野論文ほど怪しいものはないそうだ。つまり、早野論文は国民に安心感を与えるのが目的で、被ばくの実態を巧妙に隠すものと言えるだろう。

 では、早野論文のどこが問題なのか。早野論文についてはいろいろな人が批判しているが、以下の木村知、田口茂、竹野内真理、松井英介、矢ケ崎克馬、肥田舜太郎各氏による公開質問状が分かりやすい。

“医療ガバナンス学会MRIC“に投稿するも、即刻不受理となった『「早野氏論文」への公開質問状』 (T&Jメディカル・ソリューションズ)

 この公開質問状の主な要点を以下に書き出してみた。

・使用したホールボディカウンター(WBC)の検出限界は300ベクレル/Bodyであり、年齢が低く体重が少ない子どもほど内部被ばく量は隠され不検出になる。しかし、子どもの方が被ばくの影響ははるかに大きく、内部被ばくの矮小化・隠蔽につながる。バンダジェフスキーの論文では10~20ベクレル/kgでも心臓への異変が生じるとされるが、この検査法では低線量被ばくは見逃される。

・WBCより尿検査の方がはるかに検出感度がよく、子どもの場合はおよそ100倍、大人の場合はおよそ50倍の感度になる。

・チェルノブイリの事故による被ばくでは、WBCで測定できないような低線量で白血病、死産、胎児死亡、ダウン症などの増加が報告されている。WBCで測定されなかったことは被ばくがないということではない。

・論文ではICRPのベクレルからシーベルトへの換算係数を使用しているが、根拠が不明。ECRRの換算係数はICRPの換算係数の数倍から数十倍。

・早野論文では着衣に汚染があったことが報告されており、着衣汚染による被ばくが懸念される。

・初期に高い被ばくをした住民がいるが、この検査方法では初期被ばくを見逃している。

・バンダジェフスキー論文ではセシウムも甲状腺にたまることが示されており、ヨウ素131のみで甲状腺がんの発生率を計算するのは早計。

・WBCで検出されるのは体内に取り込まれたセシウム137およびセシウム134から放射されるガンマ線量であり、ベータ線やアルファ線は計測されない。

・早野氏らの土壌測定はセシウム137の表面線量のみであるが、ウクライナやベラルーシでは土壌中のストロンチウム90やプルトニウム239をはじめとした核種の測定をしている。土壌および食品についても、各核種を調べる必要がある。

・検査対象者の居住地は汚染度の比較的低い地域から中程度の地域であり、高汚染地域の住民を対象としていない。

 どう考えても、早野論文は低線量被ばくを隠蔽して国民を安心させようとしているとしか思えない。学者による巧妙な隠蔽、騙しだ。ところが、これを見抜けない文化人や科学者がいる。

早野龍五「内部被曝はなかった」大報道について(安禅不必須山水)

 文化人の筆頭は池田香代子さんだろうか。池田さんは脱原発派だそうだが、彼女は残念ながら早野論文の問題点をまったく見抜けないようだ。そればかりではない。彼女はエートスを擁護する立場だとか。

エートス福島擁護の池田香代子氏、宇宙飛行士の被ばくと混同した上「ふつうに埋める」と妄言(男も女もすなる日記をいふものをオカマもしてみむとてするなり)

エートス福島擁護の池田香代子、白血病労災認定5.2mSvを福島住民に伝える気ない旨回答(男も女もすなる日記をいふものをオカマもしてみむとてするなり)

 どうも彼女は放射能安全派に傾き、真実を見抜く力を失ってしまったようだ。

 また科学者でありながら早野氏の欺瞞を見抜けないのが菊池誠氏。菊池誠氏といえば「ニセ科学批判」で知られるが、被ばくに関する彼の主張から菊池氏の主張がちっとも科学的ではないことが分かってしまった。菊池誠氏のニセ科学批判は、詐欺的商法に警鐘を鳴らすことにおいては評価していたが、結局、原発事故が起きて彼の発想が分かってしまった。

菊池誠氏の「被曝の影響は気にしなくて良い」発言は正しいですか? (とある原発の溶融貫通)

 つまり、菊池氏は「わかっていない」ことを「ない」ものとして片づけてしまう習性があるようだ。たとえば健康食品などについても「効果について科学的な証明がない=詐欺商法」という具合だ。しかし「科学的な証明がない=効果がない」とは言い切れない。被ばくに関しても同じ論調で、原発事故の後の鼻血や下痢の症状についても福島の原発事故の影響ではあり得ない、と言ってしまっている。科学的に照明されていなければ「あり得ない」にしてしまうのだ。

野呂美加さんと放射能対策(kikulog)

 さらに、「被ばくの危険」を「差別」の問題にして論点をすり替えてしまう。彼自身が「ニセ科学」を地で行っているとしか思えない。菊池氏について「菊池誠は『科学的に正しいこと』ではなく、人々が喜ぶこと(安心すること)を語ろうとしているんだよね。まあ、彼の正義感なのだろう。そもそも彼が疑似科学批判をするのも、疑似科学によって人々が不幸になるのを防ぎたいためだろう」と言っている人がいた。

菊池誠も放射線についてはトンデモ(疑似科学ニュース)

 菊池氏がたとえ善意から発言しているとしても、科学者としては失格だ。しかも被ばくに関して安心情報を流すのは重大な責任を負う。

 ニセ科学批判の人たちが市民を騙す悪徳商法に警鐘を鳴らすのなら、国民を騙そうとする原発推進勢力の嘘こそ暴いて警鐘を鳴らすべきだろう。ところが、自分自身がニセ科学にはまってしまっている。私は、早野龍五氏は間違いなく御用学者だと思っているが、菊池誠氏は誤用科学者だと思っている。

 ところで、早野論文に対する公開質問状は、専門家とより多くの一般市民が「公開のネット環境」という「場」において議論可能となることを目的として「医療ガバナンス学会MRIC」に投稿したものだが、即刻不受理になったそうだ。不受理にしたということは議論を否定したに等しいし、およそ科学的な態度ではない。しかし、医療ガバナンス学会が公開質問状を不受理にした理由は、以下の記事を読めば納得がいく。

『原発事故被害地における、医師らによる「被曝調査活動」の本質』 (T&Jメディカル・ソリューションズ)

 早野論文の共著者の一人である坪倉正治氏は、先輩である上昌広氏から南相馬行きを命じられたそうだ。この上昌広氏は、福島の汚染が酷いことを知っており健康被害が生じると予測していながら、住民を避難させようとしない。住民をモルモットにしようと考えているのだろう。しかも上氏は政治家と親交が深く、メディア関係者にも顔が広いそうだ。さらに上氏は医療ガバナンス学会の社員でありMRICマガジンの編集長をしている。つまり上昌広氏は御用学者の典型であり、坪倉氏は手先とも言うべき存在と言えそうだ。だから早野論文批判を無視するのは当然だろう。早野論文の背景には利権どっぷりの構図が垣間見える。

 原発推進派の騙しを見抜くためには、御用学者の欺瞞と利権構造を見抜かなければならない。早野氏や坪倉氏は公開質問状に対し誠実に回答する責任がある。

2013年6月10日 (月)

居辺川の現状(その2)

 前回の記事では居辺橋(下流の方の居辺橋)より下流側の河床低下を見たが、その上流では大きな浸食は見られない。砂礫川原が広がる河川がしばらく続いている。
P10408461


 下の写真は上流の方の居辺橋から上流側を見た光景だ。ここから上流が、今回帯広建設管理部が遊砂地(2カ所)と護岸工、床固工(12基)を計画している場所だ。このあたりは砂礫川原が広がりセグロセキレイやイカルチドリの良好な生息地になっているのだが、この写真の川原は遊砂地工の予定地だ。
P10408482


 帯広建設管理部によると、遊砂地工は「河川の広がりを利用して、洪水流を減勢して土砂を計画的に堆積させます」とのこと。計画図面を見ると、遊砂地工の上部と下部に堰を造り、その間にも6本ほどの河川を横断する構造物を入れるようだ。おそらく階段状態にするのだろう。つまり、洪水のときにここに砂礫を落とし、下流に土砂が移動しないようにするということだろう。

 遊砂地工については以下を参照していただきたい。おおよそのイメージがつかめると思う。

遊砂地の仕組みと役割(福島河川国道事務所)

 オカバルシ遊砂地(ikuzus-h雑記帳)

 もしここに遊砂地ができると、土砂が移動せずに安定するため、砂礫川原がなくなってしまうのではなかろうか。さらに下流へ砂礫が供給されなくなるので、下流の浸食が進むことになる。

 居辺橋は平成15年の大雨による洪水で橋のたもとの河岸がえぐられて道路が陥没し、自動車が川に転落するという事故が起きた場所だ。この災害によって橋が架けかえられた。

 この遊砂地工予定地のすぐ上流に廃校になった東居辺小学校がある。平成15年の大雨のときにはこの小学校のあたりの河岸が浸食されて河岸の建物が流されるという被害が生じた。もっともここは河川の氾濫原であり、洪水があれば浸食されるのは当たり前の場所だ。このようなところに小学校を建ててしまったのが間違いなのである。

 今回の砂防事業はこの時の洪水が契機になっているそうだ。しかし、すでに被災地の復旧工事は済んでいる。しかも小学校はすでに廃校になっているのだから、洪水による人的被害を考える必要はない。

 下の写真はさらに上流の東居辺橋から下流側を見た光景だ。正面に見える崖は河川への砂礫の供給源になっている。ところが、近年この崩壊地の浸食が深刻になってきており、北海道は植樹を行って斜面の安定化を図るという。非常に急な斜面なのだが、重機が入って治山工事をしていた。
P10408493


 帯広建設管理部の説明では、このあたりに堆積した土砂が洪水で一気に下流に流される恐れがあるという。それを抑制するために、ここの下流部にも遊砂地を予定している。  東居辺橋から上流が床固工の設置区間になる。下の写真の中央あたりが最下部の床固工予定地だ。つまり、ここから上流に向かって12基もの堰を造るという。
P10408514


 下は、東居辺橋の上流の柏葉橋から下流側を見た光景だ。このあたりもそれほど浸食はされておらず、砂礫川原がある。
P10408525


 さらに上流の東大橋までいくと、浸食が目立つようになる。
P10408546


 帯広建設管理部の説明では、ここの上流の清進橋下流の河岸・河床の浸食が著しいために床固工によって土砂の流出を食い止めたいとのことだった。たしかに清進橋の下流は河岸と河床が浸食されていた。この下部が最上部の床固工予定地になる。
P10408907


 しかし、ここのすぐ上流には落差工が設置されていたのだ。
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 ここはもともと河床勾配が急なところだが、この落差工によってさらに河床低下が生じたのだろう。しかし、帯広建設管理部はここに落差工があるという説明を私たちにはしていなかった。

 清進橋の上流の清進1号橋までくると、もはや川というより直線化した三面張りの水路となり、ところどころに落差工が設置されている。このような水路が上流へと続いている。
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 居辺橋から上流部を見て感じたのは、ここでは砂防工事が必要な場所はほとんどないということだ。

 清進橋の下流部はたしかに河岸・河床の浸食が見られる。しかし、地形図を見るとこのあたりの右岸は崖状になっている。段丘面を流れてきた川が谷に入るところだから勾配がきつく、もともと浸食が活発なところなのだ。浸食が加速したのは、農地の排水事業によって三面張りの水路としたため激しい流れが発生するようになったからだ。つまり、清進橋下流の浸食は農地の排水事業と落差工が原因だろう。

 しかし、浸食が著しいのは一部だけで、柏葉橋あたりまでくると浸食はそれほど生じていない。このままで特に問題があるとは思えない。12基もの床固工と2基の遊砂地工という大工事をする必要性が、私には皆目分からない。

 このような工事をしたら、下流への砂礫の流下が抑制され、新たに下流の河床低下が生じるだろう。さらに砂礫の移動が抑えられるために河川敷に植物が繁茂し、砂礫川原が消失する可能性が高い。砂礫川原特有の野鳥や昆虫類への影響は甚大になるだろう。居辺川の砂防事業は川を殺す事業と言わざるを得ない。

 札内川ではダムを造ったことで河畔林が繁茂してしまい砂礫川原の再生事業が計画されているが、砂礫川原再生も対処療法にすぎず、ダムを壊さない限り元の状態に戻すことは不可能だ。居辺川で砂防工事を行えば札内川の二の舞となって砂礫川原が消失し、下流部ではさらに河床低下が進むだろう。生態系を破壊する愚かな工事は止めるべきだ。

【関連記事】
砂防工事で居辺川を殺してはならない 
川を荒らす農地の排水事業

2013年6月 9日 (日)

居辺川の現状(その1)

 帯広建設管理部が居辺川で大規模な砂防事業をやるとのことなので、現場を見に行ってきた。居辺川は利別川を経て十勝川に注ぐ砂礫川原をもつ河川だ。帯広建設管理部の説明によると中流部の下居辺あたりで河床低下が生じているとのことだったので、下流から上流に向かって川の様子を見ることにした。

 下の写真は下流部の常盤旭橋からの光景だ。ここは部分的に護岸がなされてはいるが、それほど浸食されていない。

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 常盤旭橋の上流にある更正橋あたりに来ると河床が低下してきており、護岸ブロックの下部が崩壊している。

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 さらに上流の下居辺大橋では浸食が進んで左岸は護岸工事がなされている。

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 下居辺大橋の上流側は峡谷状になっている。

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 その上流の睦橋では浸食によって河岸のコンクリートの基部がえぐられている。河床は砂利が流され基盤が剥き出しになっている。

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 さらに上流の、道の駅「しほろ温泉」のあたりも浸食が進み、高さ5メートルほどの崖が出現していた。

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 河床低下により護岸ブロックが崩れ落ちてしまったらしく、川の中には壊れた護岸ブロックが無残に散乱し、支流は滝のようになって注いでいる。

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 この崖のすぐ上流には石を組んで造った帯工がある。左岸は石を積んで護岸している。河床低下を抑えるための対処療法のようだ。

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 その上の居辺橋(居辺川には「居辺橋」という名の橋が二つもあるのだが、下流の居辺橋)から川を覗いて、なるほどと思った。橋の下流側には落差工が設置されていたのだ。

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 居辺橋から下流の浸食の原因が浮かび上がってきた。ひとつは川の直線化だ。かつては居辺川はもっと蛇行をしていたのだが、蛇行部をショートカットして直線化してしまった。曲がりながら流れている川を直線化すると、河床勾配が急になって流速が早まり浸食が加速されるのだ。

 もうひとつは落差工だ。落差工の部分では流速が弱まるため、上流側に砂利が溜まる。そのために下流部に砂礫が供給されなくなり河床低下の要因となる。

 人間が川を改造したことが下流部の河床低下の最大の原因だ。

つづく

2013年6月 6日 (木)

極めて深刻な甲状腺がんの発症率

 6月5日に、福島県民健康管理調査の検討委員会が開かれ、甲状腺がんと確定した18歳以下の者が12人に、また甲状腺がんの疑いが15人になったとの報告があった。

甲状腺がん「確定」12人に 福島18歳以下、疑いは15人(47ニュース)

 原発事故の影響による健康被害に関して、マスコミが報じるのは甲状腺がんのみだ。チェルノブイリの原発事故でも甲状腺がんだけは原発事故による被ばくの影響と認めざるを得なかったからだろう。

 具体的な数値に関しては以下に示されている。

県民健康管理調査「甲状腺検査」の実施状況について 

 記者会見の様子は以下。

甲状腺がん12人・悪性疑い15人~福島県調査(Our Planet-TV)

 一次検査結果確定者は2011年が40,302人、2012年が134,074人で計174,376人。二次検査の対象者(B判定およびC判定)は2011年が205人、2012年が935人で計1,140人。このうち二次検査を終了した者は2011年が160人、2012年が223人で計383人。5月27日までに細胞診を実施した者が227人で、28人が悪性または悪性の疑いと診断され、13人が手術を終え、12人が甲状腺がんか確定したとのこと。

 注意しなければならないのは、二次検査対象者1,140人のうち二次検査が終了したのは383人だけということ。つまり33.6%しか検査が終了していない段階での発表だということ。すべての検査が終了して甲状腺がんが12人、悪性疑いが15人だったということではない。ということは、実際にはこの3倍くらいの数字になる可能性が高い。仮に3倍とすると、疑いも含め81人となる。一時検査の結果が確定した174,376人あたり81人としたら、1万人あたり4.6人というとんでもない数になる。

 2011年と2012年のデータを比べると、A2判定は35.8%から44.6%、B判定は1.5から0.7%、C判定は0.0%から0.001%へと増えていることから、今後も増えていくことが予測される。極めて深刻な事態というほかない。

 さらに呆れたのは、甲状腺検査を実施している福島県立医科大が「必ず誤診が起こる」として賠償責任保険に加入していたということだ。

「必ず誤診」~福島甲状腺検査・医療訴訟恐れ保険10億円(とある原発の溶融貫通)

 上記記事で紹介されている動画は15分ほどなのだが、是非見ていただきたい。

 福島の県民検査では異常が見つからなかったのに他の医療機関を受診したら異常が見つかったなどの事例が複数あり、福島の甲状腺検査そのものがかなり杜撰である可能性がある。しかも県民調査では誤診を恐れて保険に入っていたとなれば、杜撰検査は確信犯ではなかろうか。保険金支払い限度額は10億円もの高額であり、その保険料は税金なのだというから空いた口が塞がらない。

 これは大変な事態と言わざるを得ないのだが、北海道新聞では今日の夕刊で小さく報じただけだ。いったいこの国はどうなっているのだろう。

2013年6月 4日 (火)

原発輸出は無責任と倫理観欠如の極み

 安倍首相は原発を輸出したくて仕方ないらしい。福一からは今も放射性物質が放出され汚染水は溢れ、戦場と変わらない。収束の目途すらたっていない。こんな状態なのに平気で原発輸出などというのだからいったいどういう神経をしているのだろう。腹立たしいやら恥ずかしいやら。厚顔無恥とはこのことだろう。

 ところで大阪大学教授で「ニセ科学批判」の菊池誠氏は、福島の原発事故のあと、福島の事故では健康被害は生じないと言っていて呆れたのだが、今度はトルコへの原発輸出に賛成だというからたまげた。私は福島の原発事故以来、菊池氏の思考に疑問を抱くようになったのだが、ここに来て完全にこの人はアウトだと思った。

 菊池氏の原発輸出に関する発言が以下のサイトにまとめられている。

菊池誠教授のパブコメ、安倍首相の原発セールスについて(1) (安禅不必須山水)

菊池誠教授のパブコメ、安倍首相の原発セールスについて(2) (安禅不必須山水)

 上記のブログ主さんがまとめた菊池さんの主張を以下に引用させていただく。

○トルコ輸出に反対しても無意味だ
○日本が輸出しなければ中国から買うだけ
○トルコで事故が起きても日本に責任はない
○福島第一原発は老朽原発だったことが不幸
○新型の原発なら安全だった
○老朽炉を廃炉にして、残す炉をちゃんと選べば、安全性は高くなる
○僕は、核廃棄物の問題があるから日本はこれ以上原発をふやさないほうがいいと、これまでにも言ってきました

 福島の事故は「想定外の津波」で、福一は「老朽原発」だったから事故が起きたのであり、そうでなければ大丈夫だとでも言いたいのだろうか? 原発事故の原因は地震と津波だけではない。自然災害だけ取り上げても、火山噴火、竜巻、台風、洪水、落雷、隕石などが事故の原因となりうるし、航空機の墜落や人為的操作ミスだってあり得るだろう。

 また、福一の事故によって日本の原発は頻繁に事故を起こしながらその多くが隠蔽されてきたことも明らかになった。原発に絶対安全などあり得ない。福島の事故を目の当たりにしたら、原発が大事故を起こしたら国が滅びるほど大変だというのは普通の人なら理解できるだろう。にも関わらず、これほどまでリスクの大きい原発を他国に売りつけるなどというのは無責任も甚だしい。

 第一、原発は運転するだけでも放射性物質を排出し、労働者は被ばくし、海を温めて地球温暖化に寄与している。

 それに輸出国では使用済み核燃料の安全な処理はできるのか? 自分の国ですらお手上げ状態ではないか。日本では核廃棄物の問題があるから原発は増やさないほうがいいというなら、輸出国も核廃棄物の安全な処理ができることが前提でなければ原発など勧められないだろう。普通の感覚なら・・・。

 廃炉や使用済み核燃料の処理のことを考えたなら、原発はちっとも安くはないこともはっきりした。そんなコスト高のものを他国に売るというのはどういう神経なのだ。

 「トルコで事故が起きても日本は責任ない」??? なんと無責任な発言だろう。輸入した自動車や航空機に欠陥があればメーカーが責任を問われる。事故の原因に欠陥原発が関係していたなら、原子炉メーカーだって責任があると考えるのが当たり前ではないか。インドには、原発事故の際に原子炉メーカーにも責任を問える法律が存在するとのことだが、当然だろう。原子炉メーカーだって輸出を嫌がっているそうだ。

じつは原子炉メーカーが嫌がるインドへの原発輸出(グリーンピース)

 原発事故の恐ろしさ、事故処理の困難さ、影響の深刻さを目の当たりにしているのに、原発を海外に輸出するという発想がどこから出てくるのだろう。原発輸出に賛成だという人は責任感や倫理観のかけらもないと思う。

 世界最悪の事故を起こし世界に迷惑をかけている日本こそ、原発事故の恐ろしさやリスクを伝え世界の脱原発の先頭に立たねばならないだろう。

アベノミックスのためなら原発だって(そりゃおかしいゼ)

 上記の獣医さんも指摘しているように、原発技術の輸出は福島の事故の教訓より経済を優先したものだし、核不拡散の原則に反している。安倍首相はお金のために何でもやるということだ。菊池氏はそのことが理解できないのか・・・。

2013年6月 3日 (月)

「いのちを楽しむ-容子とがんの2年間」上映開始

 5月30日付の新婦人しんぶんの映画紹介コーナーに、2012年3月に亡くなった渡辺容子さんのドキュメンタリー映画が紹介されているのが目にとまった。さらに、5月30日の週刊金曜日にも「いのちを楽しむ-容子とがんの2年間」をテーマにした座談会が掲載されていた。

 彼女の最後の2年間が映画として劇場公開されることになったのだ。学童保育の指導員をしていた渡辺さんは40歳で乳がんを発症し、58歳で亡くなった。その最後の2年間を追ったのがこの映画(私は見ていないのだけれど・・・)。

映画『いのちを楽しむ』-容子とがんの2年間 

渡辺容子さんは私と同い年で、私が彼女にメールをしたのが知り合いになるきっかけだった。ときどきメールのやりとりをし、初めて会ったのは2010年の春。この時はほぼベッドで過ごす状態で移動には車椅子を使っていた。当時、彼女は主治医の近藤誠医師から余命一年と告げられ、なんと生前追悼集の発行を計画していた。さらに2010年の6月には車椅子で小笠原にも行った。驚いたことに、その後自転車にも乗れるほどになった。

 二度目にお会いしたのが、原発事故が起きた直後の2011年の4月。絵を書かれていたお父様の作品展を新築された家で開かれており、その際に友人たちが企画したコンサートに参加させていただいた。

 何と言っても、彼女のすごいところは正直な生き方と意志の強さ。若い頃からたくさんの文章を書き、自然や山が大好きだった。そして、お仲間たちと弁護士をつけずにいくつもの不正を追及する裁判を闘い、弁護士も顔負けの準備書面を書かれていた。乳がんを自分で見つけて主治医も自分で探し、がんやその治療について学び、抗がん剤に頼らない治療を貫いた。一時は深刻なうつ病にもなったが、それも自分で克服された。まさに、人生の分岐点で他者におもねることなく、自分の頭で考えて選択し行動してきた人だ。

 日本ではがんで亡くなる人が増えているが、大多数の人が医師から言われるままに抗がん剤治療を行いその副作用に苦しんで亡くなっていく。少なくとも私の知人などで抗がん剤治療を拒否した人は容子さんしか知らない。彼女が余命1年と告げられてからも旅行に行き、反原発運動にも参加し、ブログを書き続けることができたのも、抗がん剤治療を選択しなかったからに違いない。最期まで「自分らしく生きる」を貫かれた方だった。

 「いのちを楽しむ-容子とがんの2年間」は大きな反響を読んでいるそうだが、そんな彼女の生き方に魅かれる人が多いに違いない。

 以下は私が彼女の生前追悼集「容子語り」に寄稿したもので、お会いする前に書いたもの。

~~~~~~~~~~

生きることの意味を教えてくれた大切な人へ

 私が容子さんを知ったのはインターネット新聞JANJANの記事でした。彼女の記事に共感し、その記事から彼女のホームページやブログを知りました。そして、すぐにメールをして著書「負けるな子どもたち」を送っていただいたのです。直接お会いしたことはないのに、なぜか容子さんは旧知の親友のように感じられて仕方ありません。それは恐らく、容子さんの生き方や物事に対する考え方が私と大きく共通しているからでしょう。容子さんのJANJANの記事、ホームページ、ブログ、著書などを通じ、強い意志と他者に対する深い思いやりをもった同世代のひとりの女性に深く共鳴し、それ以来、会ったことはないのに、彼女は私にとってとても大きな存在になり、かけがえのない大切な人になりました。
 容子さんのブログやJANJANの記事を読めば読むほど、彼女の意見に共感すると同時に、私との共通性を感じずにはいられません。まず、社会のおかしなことに対して、声をあげて行動していく姿勢です。私自身も若い頃から自然保護運動などに参加し、今も北海道による違法伐採を問う「えりもの森裁判」に関わっているのですが、容子さんたちが杉並の不当な教科書採択問題で本人訴訟を起こして闘っていることを知り、平和を求めて困難なことにも毅然と立ち向かう姿勢や行動力に深く感銘を受けました。私利私欲のためではなく、平和な社会を守るために行動することは誰にでもできるものではありません。自分の良心に基づいて強い意志をもって行動を起こすことにおいては、私などとは比較になりません。人というのはいくらでも「あれはおかしい」「こうするべきだ」と思い、口にするものですが、社会の理不尽なことに対して実際に行動できる人はごく僅かです。がんという病になってもなお、常に前向きに闘い続ける彼女に、どれほど励まされたことでしょう。
 容子さんが、山や自然が大好きだということを知ったときも、「ああ、私と同じなんだ!」と、とても嬉しくなりました。容子さんが自然破壊を憂いている高尾山は、私が高校生のころから頻繁に通った山です。高尾山は私が野鳥の名前を覚えた山でした。沖縄の泡瀬干潟の埋め立て問題や辺野古の闘いに対する視線や願いも同じ。平和と自然というキーワードが、容子さんとの心の共通点にあるのです。
 私は高校時代から「アルプ」という山の文学雑誌を読んでいました。母が購読していたものを借りて読んでいたのです。実家を出てからは自分で購読していました。容子さんも若い頃から登山をし、「アルプ」を読んでいたことを知ったときには、とても驚いたものです。私の世代で「アルプ」を読んでいた人はそう多くはないでしょうし、同世代の購読者を知りませんでした。山や本が好きだという趣味までも一致していたことに、親しみを感じずにはいられません。
 自然を深く愛し、人間を愛する彼女の姿勢から、人が生きることの意味や大切さがひしひしと伝わってきます。人が生きていくためには、人との関わりを持たざるを得ません。人を信じることなしに社会生活を送ることはできないし、人を信じることなしに愛は生まれません。愛とは、いかに他者を信じて思いやれるかではないでしょうか。そして、そのような心の絆は直接会ったことがない人との間にも築くことができるのです。私と容子さんとの関係も、そんな信頼感で結ばれているように思います。住んでいるところは遠く離れていても、心はいつも通じ合っているし、感謝の気持ちでいっぱいです。ほんとうにありがとう。
 こんな素敵な女性だからこそ、ほんとうは追悼集の原稿など書きたくはありません。いつまでも友人として喜びや悲しみを語り、共に生き、歩み続けてほしいのです。そして、北海道の雄大な自然の中を、共に歩きたいのです。たとえそれが奇跡と言われようが、そんな奇跡が訪れることを願って止みません。
 最後に、私が容子さんのことについて自分のブログに書いた記事を転載させていただきます。

*   *   *

「人としての輝き」(2009年9月16日掲載)

 北海道新聞夕刊に「魚眼図」というコラムがあります。毎回読んでいるわけではありませんが、昨日の藤宮峯子さん(札幌医科大教授)の「生きる意味」という一文が目に留まりました。医師として末期がんの患者さんを受け持ち、以下のことに気づいたといいます。

 「運命を理不尽だとうらむところに救いはなく、運命を受け入れて初めて心が和らぐようだ。運命の流れを変えることは出来ないけれど、それに意味を持たせることが唯一人間に出来ることで、たとえ死が迫ろうとしても人としての輝きを保つことができる」

 これを読んですぐに頭に浮かんだのが渡辺容子さんです。私が渡辺さんを知ったのはJANJANの記事で、記者プロフィールから彼女のホームページとブログ(http://lumokurago.exblog.jp/)を知りました。お会いしたことはありませんが、JANJANの記事やブログを読ませていただき、その生き方や感性にとても共感を覚えたのです。はじめのうちは彼女ががん患者であることすら知りませんでした。杉並の教科書裁判を闘われ、JANJANに精力的に記事を書かれている姿からは、がん患者を想像することもできなかったのです。

 最近ではJANJANに「がんと闘わない生き方」とのタイトルで連載記事を書かれていましたが、ご自身の体験や知識をもとに書かれた一連の記事は、私にとって日本のがん検診やがん医療の実態を知ることができる有益なものでした。反論や、記事の趣旨を理解できない方などからの意見に丁寧に対応される姿勢にも共感しました。先日の「がん患者は医師言いなりでなく、知識を求め合理的選択を」という記事で連載は打ち切りとのことですが、この最後の記事で言っていることもよく理解できない方が多いことに、私は驚くばかりでした。

 がんを宣告され転移を告知されても自分自身の境遇に不平不満を言うのではなく、あくまでもそれを受け入れ、平和な社会を望みそのために努力を惜しまず、今を大切に生きる。そのような姿勢から、自然と「人としての輝き」が生まれてくるのでしょう。自分が同じ立場だったら渡辺さんのように振舞えるのだろうか、と考えてしまいました。

 不慮の事故に遭う人もいれば、不治の病を宣告される人もいます。経済的に豊かな家庭に生まれ育った人もいれば、食べていくことすら大変な家庭も少なくありません。不平等としか言いようのない社会で、輝きを失わない生き方ができるかどうかは、運命を受け入れてなお、他者のことを考えて生きられるかどうかということなのではないでしょうか。

 藤宮さんも指摘していますが、世の中には欲深いがために不平不満を言ったり仲たがいをし、今生きていることの幸せに気づかない人の何と多いことでしょう。小さなコラムが、大切なことを気付かせてくれました。

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