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2013年5月13日 (月)

放射能に対する感覚が麻痺してはいないか

 先日の「新婦人しんぶん」のトップページは、「わたしはふるさとできぼうのたねをまく」というタイトルで、福島第一原発から50キロほど離れた福島県二本松市東和地区で農業をしている若い女性のことが紹介されていた。東和地区は、空間線量だと毎時1マイクロシーベルトを超える地域が点在するという。

 そこで、この女性は田んぼにゼオライトを入れたり、深く掘り起こすなど放射線量を減らす努力をして米を生産しているという。その結果、米はすべて検出限界(11~12ベクレル)以下だったそうだ。福島県内の米は99.8%が基準値の4分の1(25ベクレル)以下で、2年目にしてこの数値は「福島の奇跡」とか。

 まるで、基準値よりはるかに低いから大丈夫、検出限界以下だから安心とでも言いたいような記事であり、私は正直いって愕然とした。

 この農家ではハウスの中の空間線量が0.3マイクロシーベルトで、外は0.4~0.5マイクロシーベルト、ハウス脇の窪みでは1マイクロシーベルトだという。こんな線量が高いところに人が生活すること自体が異常だと思うのだが、そこで農業をやって農産物を出荷するということ自体が私には信じがたい。

 以下の記事のQ.6をお読みいただきたい。

「私自身は放射線管理区域のような場所に人々が住んで欲しくありません」/小出裕章助教第2回インタビュー(小出裕章(京大助教)非公式まとめ)

 毎時0.6マイクロシーベルトを超えるような場所は、放射線の管理区域にしなければならない。この農家のある地域は、飲食も禁止されている放射線管理区域に近いような場所なのだが、厳重に管理された放射線管理区の中で作物をつくっている光景を想像してほしい。いったい誰がそのような作物を食べたいと思うだろうか。

 福島の米の全袋検査はまずスクリーニング検査を行い、これでスクリーニングレベル以下であれば出荷するが、スクリーニングレベルを超えるとゲルマニウム半導体検出器で再検査して100ベクレル以下かどうかを確認した上で、100ベクレル以下のものが出荷されることになっている。

 ところが簡易検査(スクリーニング検査)の精度が分からない。再検査も誤差がきわめて大きく、検出限界以下となった物でも基準値を超えている場合がないとは言い切れない。また、福島県産品の福島県と福島県以外の検査結果(平均値)を比べると、福島県外で計測されたものの方が福島県で計測されたものよりセシウム濃度が何倍も高いのである。以下を参照していただきたい。

食品中の放射性セシウム検査のまとめ(10月2週)-福島県産米全袋検査破綻?(めげ猫「タマ」の日記)

食品中の放射性セシウム検査のまとめ(12月)-デタラメな放射性セシウム検査は「福島産=汚物」にする。(めげ猫「タマ」の日記)

 福島県のセシウム検査自体が信頼できない。農家はこういうことを知っているのだろうか? 「知らない」で済まされることなのだろうか?

 簡易検査で検出限界値以下ということが、安全を意味するわけではない。自分の作っている農作物が安全だと言いたいのなら、「チダイズム~毎日セシウムを検査するブログ~」の検査のように、せめてゲルマニウム半導体検出器で時間をかけて検査し、検出限界以下だというデータを示してもらいたい。

 それにも関わらず、マスコミでは福島の作物はあたかも安全であるかのような記事が氾濫しており、新婦人しんぶんとて例外ではない。新婦人しんぶんを発行している新日本婦人の会の目的には「核戦争の危険から女性と子どもの生命をまもります」とある。原発事故による放射能汚染は核戦争による汚染と変わらないのに、何とも矛盾している。

 放射性物質はどんなに微量でも有害だし、長い年月をかけて健康を蝕んでいく毒物である。なぜ低線量被ばくの危険性を伝えず、汚染作物をつくっている農家をここまで持ちあげ安全をアピールするのだろう。福島県の読者への配慮なのかも知れないが、これでは御用新聞と変わらない。

 小出裕章さんによれば、福島の原発事故が起きる前は日本の米の放射能汚染は1キロあたり0.1ベクレル程度だったそうだ。仮に10ベクレルであっても以前から比べたら100倍もの汚染ということになる。

小出裕章が批判、文科省の給食食材「40ベクレル/kg以下」通知。「(事故前の)400倍許してしまう」12/1(2)(ざまあみやがれい)

 仮に農薬汚染や食品添加物にあてはめたらどうだろう? 今までの数百倍もの農薬や添加物を含む食品が売られたら消費者は大騒ぎし、不買運動が起きるに違いない。マスコミだって大々的に取り上げるだろう。ところが放射能汚染に関しては実際にはそれと同じようなことが起こっているのに、ゆるい基準値や御用学者の安心・安全説によって危険だという感覚がなくなっている。

 鉱山から排出されたカドミウムが含まれる水が飲料水や農業用水として利用された結果、イタイイタイ病が発症した。何度もの裁判を経てようやく因果関係が認められ公害病と認定されて補償の対象となったが、認定されない被害者もいる。水俣病も水銀汚染による公害病だが、これらの公害でどれほどの人々が苦しみ亡くなっていったことか。原発事故による放射能汚染はこれら公害病と本質的に変わらない。被ばくによる健康被害の補償を求め、おそらく将来は多くの裁判が起こされるだろう。汚染作物を流通させるということはそういう問題なのだ。

 私はこの記事を読んで、原発事故のあとに福島の農家の人たちを批判していた群馬大の早川由紀夫氏のことを思い出した。毒の入った米を作るなという主張だ。福島の農家の中には「汚染された作物は出荷できない」と判断して福島を去った人がいる。被ばくの加害者にはなれないという良心に従ったのだろう。その一方で農業を続けたいと残った人もいる。もちろん放射線管理区のような場所を避難区域にしないで農業をさせる国が悪いのだが、しかし農家の人たちは「汚染地で農業をするのは汚染された食品を他人に食べさせること」という加害意識を持たないのだろうか。

 ところがうしろめたさを感じるどころか、福島の農業に希望を持っているというのだから、私にはとても理解できない。「100ベクレル/kg」という汚染は、事故前には「低レベル放射性廃棄物」だったのだ。

放射性汚染物質対処特措法施行に当たっての会長声明(日本弁護士連合会)

 「基準値以下だから大丈夫」という認識は、放射能に関して感覚が麻痺しているとしか思えない。

 もちろん日本全国が放射能汚染されてしまったのなら、少しでも汚染を減らす工夫をしつつも国民が汚染された作物を食べざるを得ない。しかし、日本にはそれほど汚染されていない地域に耕作放棄地がたくさんある。そういうところに移住して農業をしてもらうという支援こそ必要ではなかろうか。

 福島では子どもたちが安全な環境で教育を受ける権利があるとして集団疎開裁判が起こされたが、農家の人たちだって「汚染作物をつくらない権利」を求めて行動してもよいのではないか。しかも汚染地での農業は放射性微粒子を含む土埃を吸い込んで農家の人自身が被ばくする。もちろん放射性微粒子はセシウムだけではないし、放射性ストロンチウムなどは体内に取り込まれたら排出はほぼ期待できず、一生被ばくを続けることになる。農家の人たちを被ばくさせ、今までの何百倍というような汚染作物を作らせ、全国に流通させる国は異常としかいいようがない。

 ところで、インターネット上では原発事故以来、健康だった若い人の突然死や被ばくに起因すると思われる健康被害の事例が報告されているが、マスコミはこのようなことに一切ふれない。

 福島の子どもたちの甲状腺検査では、「3人が甲状腺がんで7人が疑い濃厚」という報道があった。これは福島の子どもの一部の検査結果であり、残りの検査結果は報じられていない。今も検査が続けられているはずだが、なぜ公表されないのだろう。いよいよ健康被害隠しが本格化してきているのかもしれない。

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