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2013年2月 6日 (水)

異議申し立てや議論を嫌う人たち

 先日、ある集まりで、若い人たちが自然保護団体に入ってこないということが話題になった。これは私が関わっている自然保護団体だけの問題ではない。恐らく全国的な傾向だろう。

 私が学生の頃は、自然保護団体は若い人たちが多く活気があった。全国自然保護連合の大会なども若い人たちから年配の人たちまで集って熱い議論が展開された。ところが、今は多くの自然保護団体で高齢化が進んでいる。かつて自然保護団体で頑張っていた若い人たちが、今でもそのまま活動を担っているのだ。だから自然保護団体の中心メンバーは今では50代から70代になっていて、平均年齢が毎年1歳ずつ上がっているといっても過言ではない。若い人たちがほとんど育っていない。

 若い人たちは携帯電話やスマートフォンの普及で金銭的にも時間的にも余裕がなくなっているということもあるだろう。しかし、若者が自然保護運動に参加しなくなったのはかなり前からのことで、若者の貧困化とは直接関係がなさそうだ。

 では、若い人たちは物事に積極的に取り組むことをしなくなったのか? そんなことはない。たとえば札幌で毎年行われている「よさこいソーラン祭り」は若い人たちが始めたイベントで、参加者は圧倒的に若い人が多い。しかもすごいエネルギーだ。災害復興のボランティアに行く若者もそれなりにいる。ほかにもボランティア活動に参加する若者はある程度いると思う。若者からエネルギーがなくなったわけではないし、社会的活動に無関心というわけでもない。また自然に関心がある若者がいなくなったわけでもない。ところが自然保護団体は若者から敬遠される。なぜなのか?

 自然保護活動というのは開発行為の事業主体である行政機関や企業との交渉、話し合い、要請行動などが必須だ。つまり、理論でぶつかり合うことが避けられないし、それが運動の中心とならざるを得ない。仲良しクラブ的な感覚ではできない。しかし、今の若者はそのようなことに関わることを好まない。「よさこいソーラン祭り」もボランティア活動も、そこには「ぶつかり合い」「行政などとの対峙」がない。今の若者は「異議申し立て」することを敬遠しているとしか思えない。

 若者を見ていれば、それは自ずと納得がいく。つまり、若者たちは「周りの人の話しに合わせて浮かないようにする」「空気を読んで、その場を乱すようなことは言わない」「声の大きい人に合わせてふるまう」ということを徹底的に身につけているのだ。そうしなければいじめにあう。だから、たとえ心の中で「おかしい」と思うことがあっても、口には出さない。また自分が他者からどのように評価されるかをとても気にしている人が多い。だから意見を言うのが苦手だし、本音を隠すこともある。子どものころから、そうした感覚がしみついている。理不尽なことがあっても、なかなか「異議申し立てをする」という行動をとらず、ストレスを抱えて引きこもってしまうこともある。

 このような感覚の人たちは「異議申し立て」をすることがメインの自然保護活動は、とても馴染めないに違いない。もちろんこういった活動は楽しくもないし、理詰めの議論を要求される。

 ある教員退職者は、若者が異議申し立てをしなくなっているのは教育の影響だという。教育現場においても、異議申し立てをするような姿勢を避ける教育がなされてきたという。ここ数十年でその傾向が非常に強くなっているそうだ。

 もっとも、こうしたことを敬遠するのは、若い人に限ったことではない。異議申し立てをしない、議論を避けるという行動パターンは、私と同世代の人たちにも広く浸透してきている。波風を立てることを嫌うのだ。だからこそ、子どもたちにもそういう影響が色濃く出る。近年、それは一段と強まっているように思う。

 仲間内のメーリングなどでの議論を嫌う人も多い。たとえば自分たちのグループの運営問題ですら、議論による意思決定を敬遠する傾向がある。意見を求められても沈黙して意思表示を避けてしまう人も多い。運営について意見を述べたり議論することが「活動の足を引っ張る」「建設的ではない」と捉え、批判する人もいる。その結果、声の大きな人に従うようになってしまい対等な関係が損なわれる。議論を避けてしまえば、民主的な組織運営から遠ざかってしまう。どこかおかしくはないか。

 おそらく、ここ数十年のあいだに、教育現場も含め社会全体にそういう意識が蔓延してきているのではなかろうか。論理的に物事を考えることをやめ、体制に従ってしまうという空気が日本全体に漂っている。学校でも「考える力」を身につける教育はせず、テストの点数に重点が置かれた教育しかしない。これでは批判的な思考力が育つわけがない。国民を意のままに操りたい政府にとって「おとなしい国民」は思う壺に違いない。議論や異議申し立てをしない人たちは、権力者に支配されるしかない。

 原発事故で多くの人が安全神話に騙されていたことに目が覚めた。原子力ムラの嘘と隠蔽に大半の国民が怒り、全国で脱原発デモ、集会、電力会社への抗議行動などを繰り広げた。脱原発を求める人たちが代々木公園を埋め尽くした光景は、今までなら考えられないことだった。原発事故を契機に「異議申し立て」をする国民へと意識が変わりつつあるのだろうか?

 たしかに、あの事故で目覚めた人はそれなりにいるだろう。しかし、私には大半の人が根本的な意識変革には至っていないと思えてならない。もう原発事故のことなど忘れてしまったような人があまりに多いように見えて仕方ないからだ。

 アメリカ人にとって、はっきりと意思表示をしない日本人と話しても面白くない、という話しを聞いたことがある。日本人は逆で、協調性を重視し、議論をふっかけたり異議を唱える人を敬遠する。「議論」や「異議申し立て」をもっと前向きに捉えていく必要があるのではなかろうか。

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コメント

謹啓、「長い物には巻かれろ」という安易な道を選ぶ若い方が増えております。賦課方式の年金や後年度負担の推計1,150兆円にも達する国と地方と特殊法人の債務問題を無知なのか意図的に無視しているのか判りません。民主的投票にて政策が決定する以上、若人にも投票や自然保護運動、護憲運動に立ち上がって戴きたいと存じます。敬具

若い人が選挙に行かないのは本当に深刻です。「どうせ死票」とか「自分が投票しても変わらない」などと言っていたら、変わるものも変わりません。嘆いているだけでは変わるはずないのですから。

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