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2013年2月

2013年2月28日 (木)

福一の放射能放出の真相や被ばくの実態は解明されていない

 まもなく福島第一原発の事故が起きてから丸2年になるが、どうみても健康被害が顕在化してきている。マスコミはほとんど伝えないけれど、インターネットで情報収集している人の多くが感じていることだろう。以下のサイトでは、福島での健康被害についてまとめている。

福島で拡大している健康被害!高血圧症、中1年生で9倍 異常な数のお悔やみ記事 死亡率の上昇(正しい情報を探すブログ)

 福島県の2010年と2012年の死亡率を比べると死亡率が上昇しておりそれは交通事故死のリスクの16倍、心疾患による死因が14.6%増加、子どもの高血圧症の増加・・・。この記事ひとつ読んでみても、尋常ではない状況になっていることが分かるだろう。病気や死亡率の上昇はいくら隠そうと思っても隠しきれない。それが事故後2年経ってかなり明確になってきている。これらをすべて原発事故によるストレスで説明するのはあまりに無理がある。もちろん放射能の影響によるものだという証拠はないが、疑わないほうが不自然だ。

 いったい福島や関東地方ではどれほどの放射性物質が降りそそいだのだろう? 京都大学原子炉実験所の今中哲二氏は、大気中に放出された放射性物質の量を福島とチェルノブイリで比較し、キセノン133はチェルノブイリの2倍であるがセシウム137は20-40%程度、ストロンチウム90、プルトニウム239・240による汚染は小さい(飯館村の場合、ストロンチウム90はセシウム137の2000~3000分の1、プルトニウムは1000万~1億分の1)としている。

福島原発事故とチェルノブイリ原発事故による放射能放出と汚染に関する比較検討 

 この数値から見るなら、福島での被ばく量はチェルノブイリほど高くなく、チェルノブイリほどの健康被害は生じないということになりそうだし、実際、今中氏はそのようなスタンスのようだ。

 しかし本当だろうか? ガンダーセン氏によると、福島はチェルノブイリと違って、放射能雲(プルーム)が地表を縫うように流れたので、その分、地上にいた人々の被ばく量はチェルノブイリでみた以上に高いのではないかと指摘しているそうだ。

 http://onuma.cocolog-nifty.com/blog1/2013/02/post-282b.html 

 火山学者で群馬大教授の早川由紀夫さんは、事故後間もない頃から同様の指摘をしていた。考えてみれば、チェルノブイリと福島では放射性物質の放出の仕方がまるで違う。チェルノブイリでは大爆発を起こして放射能が空高く舞い上がり、北半球の広い地域を汚染した。その影響で日本も土壌が汚染された。しかし、福島は状況が異なる。目に見える爆発が起きたのは12日の1号機の建屋が吹っ飛んだときと14日の3号機の爆発。14日の3号機の爆発のときには確かにかなり上空まで黒い煙が立ち上った。しかし、これ以外に目にみえない放射性物質の放出が複数回ある。

 まず、1号機ではベント開始の5時間前から10キロ圏に放射性物質が拡散されていたことが最近になって分かった。ベント直前の3月12日10時には通常の720倍が記録され、避難前の住民が高線量にさらされていたそうだ。この事実は国会と政府の事故調査委も把握していなかったという。原子炉建屋が水素爆発で吹っ飛ぶかなり前から高濃度の放射性物質が漏れていたことになる。

 http://onuma.cocolog-nifty.com/blog1/2013/02/post-3059.html 

 15日の2号機のサプレッションチェンバーの爆発は1号機や3号機のような建屋が吹き飛ぶ大爆発にはならなかったが、確実に大量の放射性物質が漏れたはずだ。3月20日の3号機の爆発に関しては未だに東電は隠し続けている。このときもかなり放射性物質が放出されたはずだ。

2011年3月20日、隠蔽された3号機格納容器内爆発(Space of ishtarist)

 さらにガンダーセン氏は4号機の燃料プールでは水位低下によって燃料棒が大気に露出したという指摘までしている。これが事実ならかなりの放射性物質の放出があっただろう。

http://onuma.cocolog-nifty.com/blog1/2013/02/post-7817.html 

 これらの大爆発を伴わない放射性物質の放出は、空高く噴きあげられてはいない。地表近くを流れる風によって這うように放射能雲が移動していったのではなかろうか。事故後2年経たないうちに、福島では甲状腺がんの子どもが3人、疑いのある子供が7人確認され、健康被害は関東地方にまで及んでいると思われることからも、地表を這うように移動した放射性物質を呼吸によって吸い込んでしまった人が多いのではないかと思えてならない。

 しかし、今中さんはこのような放射能プルームの動態まで考慮していないように思える。しかも、保安院の放出量の数値は過小評価している可能性も高く、そもそも信用できない。また、今中さんについては以下のような批判意見もある。私も、今中さんは内部被ばくについて過小評価しているとしか思えないし、チェルノブイリの被害者数を2万人と見積もっているところなど明らかに過小評価だ。

京大の今中哲二助教の健康被害についての言葉に要注意! (被曝後の世界に生きる)

 チェルノブイリと福島では放射性物質の大量放出の回数も、放出量も、拡散の仕方も、また放出された核種の割合も異なる。だから、今の段階では公表された放出量の比較だけで福島の方が健康被害は小さいなどと言うことはできないのではなかろうか。また以下のような見解もあり、ホールボディカウンターによる数値だけで内部被ばくはたいしたことがない、と言ってしまうのも危険だと思う。

ホールボディカウンター検査は、受ける必要はない?? (もみの木医院)

福島県から栃木県北地方の内部被ばくについて (もみの木医院)

原発事故と放射線障害に対する考え方 (もみの木医院)

~脱原発のすすめ~ (もみの木医院)

 事故から2年経った今もいったいどれほどの放射性物質が福一から放出され、人々がどれくらい吸い込んでしまったのか明確にわかっていないと言ってもいいだろう。福島のようなタイプの事故は初めてのことだし、内部被ばくや低線量被曝についてはまだ分からないことも多い。

 だから、安易に「チェルノブイリのようにはならない」などと言うべきではない。もし、これから健康被害がどんどん増えていくのなら「福島では健康被害は起きない」「内部被ばくはたいしたことはない」と言っていた人の責任は限りなく大きいことになる。

2013年2月26日 (火)

原発のパブコメが面倒だと思っている人へ

 今日は、東京都の黒塗りだらけの情報開示の件で異議申立書をようやく発送した。気がつけばもう26日。原発の新安全基準のパブコメの締め切りが28日であったことを思い出して、意見を書こうと原子力規制委員会のホームページにアクセスした。

「発電小軽水型原子炉施設に係る新安全基準骨子案」に対するご意見募集について 

 今回意見募集している骨子案は「設計基準」「シビアアクシデント対策」「地震・津波」の3種あり、「設計基準」・「シビアアクシデント」に対する意見と、「地震・津波」に対する意見を別々に書くようになっている。それぞれの骨子案がPDFで見られるようになっているのだが、これを全部読んで理解するのは並大抵のことではない。原発というきわめて大事なことに関するパブコメなのに、なんでこんなに分かりにくいのだろう。

 概要もあるのでそちらを見たほうが分かりやすいかと思いきや、こちらは基本方針とか「こういう見直しをしました」「こんな風に対策を強化しました」ということが羅列されているだけだ。これを読んだだけでは問題点を指摘することはできない。

 仕方なく、またそれぞれの骨子案を開いてみたのだが、「設計基準」だけで56ページもあって頭が痛くなってくる。でも、ウンザリするのは内容が難解だからというだけではない。そもそも、これらの骨子案は再稼働させることを前提に作られている。だから、「人間が制御できない原発という恐ろしいものは止めるしかない」と思っている人にとっては、どこを読んでも拒否反応が出てしまうのだ。

 昨年夏のエネルギー政策に関するパブコメでは、多くの国民が原発ゼロを望んでいたし、即時ゼロという意見も多かった。選挙で政権交代したからといって、国民の「原発は止めてほしい」という意見まで変わったわけではない。今さら原発が危険ではないなどと思っている人は皆無だろう。ところが、そんな国民の意向とは裏腹に、再稼働を前提とした安全基準づくりが独り歩きしているのだ。とてもじゃないけど、そんな基準づくりにホイホイと乗るわけにはいかない。

 考えてもみて欲しい。大地震、大津波、火山の噴火、落雷、竜巻、隕石の落下、テロ、航空機の墜落などなど、原発がシビアアクシデントを起こす要因はいくつもある。人間はこれらの脅威に対して何もできないのだ。

 マグニチュード9クラスの地震が近い将来起きることも決して絵空事ではない。東北地方太平洋沖地震に伴うアウターライズ地震(海洋プレート内での地震)が正断層で起きた場合は、3.11よりもさらに巨大な津波が押し寄せると言われている。東北地方の原発が3.11よりはるかに大きな津波にのみ込まれたら、今度は福一だけの事故では済まなくなる。

 確率はきわめて低いかもしれないが、先日はマグニチュード10の地震も理論的にはありうるという見解も出された。

「最大地震はM10と推定」地震学者、予知連で報告(朝日新聞)

 マグニチュード10の地震とは、東北地方太平洋沖地震の32倍の規模で、揺れが20分から1時間も続くと考えられている。そんな地震が起きたなら、日本列島の原発が耐えられるはずもない。すべての原発が過酷事故を起こし手がつけられない状態になるのではなかろうか。地球は放射能汚染で壊滅的状況になるだろう。マグニチュード10とまではいかなくても、実際にチリでは9.5の地震が起きている。9.5でも日本の原発が耐えられるとは思えない。

 先日のロシアの隕石だって、原子力関連施設の近くに落ちた。確率が低いとはいっても、可能性はゼロではない。

 「原発は絶対に事故を起こすことはない」などとは決して言えない。ならば、原発を止めるしかない。こんな簡単で当たり前のことを置き去りにして「安全対策」を強化したところでナンセンスだ。なのに、骨子案を読んでそれに対応した具体的意見を書くとなると、ナンセンスなことに対して意見を書かねばならないことになる。だから、骨子案を見れば見るほど意見を書く気が失せてくる。

 でも、ここでめげて意見提出を放棄してしまえば推進派の思う壺だ。そうしないためには「どんなに対策をしてもシビアアクシデントは避けられないから、原発をやめるべきだ」という趣旨の意見を書けばいいのだ。具体的理由は、思っていることをそれぞれ自分の言葉で書けばいい。検討があまりに拙速だとか、パブコメが周知されていないという意見でもいい。

 こういう意見なら「設計基準」「シビアアクシデント」に対する意見と、「地震・津波」に対する意見、ともに同じ内容でいいのだ。それにこのような意見なら難解な骨子案を全部読まなくても誰にでも書ける。時間もそれほどかからない。提出期限まであと二日しかないが、短くてもいいので一人でも多くの人が意見を出すべきだと思う。

 なお、以下のサイトも参考になる。

みんなのパブコメ:新「安全基準」(2/28まで)・・・再稼働に直結する重要な基準(「避難の権利」ブログ)

新安全基準骨子案にノーの声をパブコメで(2月28日まで) (再稼働阻止全国ネットワーク)

【パブコメ例】原発新安全基準骨子案-概要-に赤ペン先生! (原子力規制を監視する市民の会)

これを見てパブリックコメントを出そう!「そもそも安全基準で原発は本当に安全になるの?」そもそも総研2/7(内容書き出し) (みんな楽しくHappyがいい)

2013年2月24日 (日)

「絶望しない」という絶望

 昨日届いた週刊金曜日の表紙の言葉を見て、ちょっとドッキリした。表紙には大きく「希望にすがるな 絶望せよ」と書かれている。しかし、すぐにこの言葉の意味が飲み込めた。

 この特集の前段にはこう書かれている。「絶望が欠けている、絶望が作りだされなければならない、絶望を眼前にして悶えなければならない、絶望にそうして強いられるときにこそ初めて我々は幾ばくかの可能性を見いだすだろう-本特集の主題はこれだ。」

 4基もの原発が爆発し未だに危機的状況を脱していないのに、この国では不思議なことに「希望」とか「復興」という掛け声ばかり聞こえてくる。こんな最悪な状況にありながら希望を追い求めるのは、まだ絶望感が足りないからだという主張だ。残念ながら、まさにその通りなのだろうと私も思う。

 考えてみたら、もう何年も前からこの国の政治には絶望していた。非正規雇用によるおびただしい貧困、うつ病、自殺者を生みだし、いじめが蔓延する学校や社会は絶望に満ちている。そのうえに3.11という大震災と世界最悪レベルの原発事故。福一の爆発を知ったとき、この国はどうなるのかと絶望のどん底に転がり落ちたような気がした。

 そして原発事故から2年目に入り、恐れていた甲状腺がんが顕在化してきた。すでに福島で3人の子どもが甲状腺がんと診断され、疑いのある子どもが7人もいる。これは検査をした内の一部にすぎない。潜在的にはまだまだいるだろう。もうすでに50人くらい出ている可能性がある、とも言われている。

「そうすると、もうすでに50人ぐらい甲状腺がんが出ている可能性がある」2/20井戸弁護士→環境省→山田医師(みんな楽しくHappyがいい)

 甲状腺に異常が見つかっているのは福島の子どもたちだけではない。関東地方でものう胞や結節が見つかっている子どもがいるし、そのような事例は子どもだけではない。

「自然状態では存在しない子供の甲状腺腫瘍」が続々!=原発汚染の最大の証明(瓢漫亭通信)

 甲状腺がんはこれからもっと増えていくだろうし、白血病なども増えていくだろう。被曝で免疫力が低下し、健康な人が減っていくだろう。チェルノブイリの悲劇が日本で再現されようとしている。ところが、政府は福島の人たちを避難させようとしない。子どもを見殺しにする政権に、決して期待などしてはならない。「復興」とか「希望」という言葉の裏にあるのは騙しと裏切りだ。なんと絶望的な国なのか。

 絶望感は安倍政権になってからさらに増大した。日本列島は大地震や火山噴火の危機に直面しているのに、自民党政権はのほほんと原発の再稼働や新設に向けて動いている。沖縄はまたも米国の犠牲にされようとしている。生活保護費は下げられ、大型公共事業に湯水のごとく税金が注がれる。また自然破壊の復活だ。地道に自然保護活動をしていても、絶望的気分になる。

 さらにTPP。安倍首相は「聖域なき関税撤廃が前提ではない」として、交渉参加に突き進もうとしている。一部の品目を関税撤廃の例外とするという条件での交渉を考えているのだろうが、TPPは「全物品が交渉対象となる」ことが原則だ。たとえ例外を設けたところで品目は限られるだろうし、いつまで保証されるか分かったものではない。日本の農業や国民皆保険の行く末を考えると絶望的だ。米国のポチとなり果てている安倍首相そのものも絶望的だ。

 しかし、自民党政権が絶望的なのはとっくに分かっていた。何よりも絶望的なのは、多くの国民がいまだに未練がましく自民党に期待しているということだ。「絶望的な自民党に絶望していない」、このことこそ絶望的なのだ。

 今年の初めに以下の記事を書いた。

すべての日本人に読んでほしい辺見庸氏の「明日なき今日」上 
すべての日本人に読んでほしい辺見庸氏の「明日なき今日」下 

 辺見氏は、「一回、完全に滅亡し崩壊しないと駄目だという思いがありますね」と言う。日本人は「日本が完全に滅亡し崩壊する」というところまで行きつかないと、絶望できないのかも知れない。

 行きつくところまでいって国民一人一人が「絶望」を徹底的に実感しない限り、社会を変える新しい動きは生まれてこないというのであれば限りなく虚しい。だって、その時には原発事故による健康被害で苦しみ命を落とす人たちが激増しているだろうから。あるいは、貧困がさらに広がり、福祉も切り捨てられて路頭に迷う人が激増しているかもしれない。もしかしたら、さらなる原発事故による放射能汚染で日本は壊滅的になっているかもしれないし、憲法が改定され徴兵制が復活しているかもしれない。それに抗議したくても、自由に物も言えないようになっているかもしれない。

 でも、そうなってみなければ心底絶望を感じられないというのがたぶん現実なのだろう。今の日本を見ていると、そうとしか思えない。希望なんてかけらもない。先の衆院選が終わったとき、ツイッターでは「闘いはこれからだ!」といった希望を語るツイートがずいぶん流れていたが、正直いって私はそんな気持ちにはとてもなれなかった。

 もちろん、絶望的だからといってなにもかも諦め、社会に目をつむって楽しいことだけやっていればいいという気はさらさらない。辺見氏は「身体をはった徹底的なパシフィズム(平和主義、反戦主義)が僕の理想です。九条死守・安保廃棄・基地撤廃というパシフィズムではいけないのか。丸腰ではダメなのか。国を守るためではなく、パシフィズムを守るためならわたしも命を賭ける価値があると思います。」と言う。

 大切なのは藁のような希望にしがみつかないこと。希望とは自ら動いて生みだすもの。どんなに絶望的であっても、やれることはやる。次の参院選で自民党政権にノーを突きつける。それしかない。

2013年2月22日 (金)

北電の誤りが指摘された北海道環境影響評価審議会

 新岩松発電所の新設工事に関する、北海道環境影響評価審議会小委員会の2回目の議事録が先日アップされた。これは昨年12月11日に開催されたものなのだが、なんと議事録の公開まで2カ月以上もかかっている。

 議事録を読むと、今回の審議会で早矢仕委員から北電の誤りについて指摘があったことが分かる。早矢仕さんはシマフクロウの研究者だ。彼女は、以下の指摘をしている。

 そうだとしますと、資料2の事業者回答では「対象事業実施区域内で生息(ねぐら、採餌等)が確認されておらず」となっておりますが、ねぐらと採餌が確認されていないからといって、ここに生息が確認されていないと言ってはいけないと思います。ここは紛れもなく生息地に含まれますので、生息が確認されていないという言い方は、明らかな間違いです。ですから、質問したいとか意見を言いたいというのではなく、これは訂正していただかないと困るところです。共有させていただきたいのは、事業対象区域も生息地に含まれます。その上で、ここは余り利用していない場所だという前提で、今回さまざまな議論が進んでいると理解しております。それをまず申し上げておきます。
 ですから、ねぐらと採餌が確認されていないという表現があって構いませんが、この文章の中の、生息が確認されていないとか、主要な生息地はよそだという表現はやめてもらわないと困るということです。このとおり評価書に載ってしまったら大変です。よろしくお願いします。

 「資料2の事業者回答」というのは以下である。これは審議会委員の質問に対する事業者の回答だ。

新岩松発電所新設工事環境影響評価準備書 1次質問及び回答 

 早矢仕さんの指摘している部分は以下だ。

質問
予測対象となった種について、種の生息に影響が及ばない範囲で示せる予測結果があれば教示願います。

回答
 重要な鳥類のうちシマフクロウの予測結果は以下のとおりです。
【予測対象時期】
 本種は通年生息するため、通年を対象に影響を検討しました。
【影響予測】
「地形改変及び施設の存在」
 対象事業実施区域内で生息(ねぐら、採餌等)は確認されておらず、主要な生息地は、対象事業実施区域から離れています。また、環境保全対策として、対象事業実施区域を設定する際には、既設岩松発電所周辺の現状や過去の土地利用状況を踏まえ、既存の道路や耕作跡地等、可能な限り既に改変されている区域を設定しました。
 よって、地形改変及び施設の存在による本種の生息環境に及ぼす影響は小さいものと予測されます。
「工事用資材等の運搬、建設機械の稼働、造成等の施工による一時的な影響」
 地形改変及び施設の存在と同様、対象事業実施区域内で生息(ねぐら、採餌等)は確認されておらず、主要な生息地は、対象事業実施区域から離れています。また、環境保全対策として、シマフウロウが採餌する夜間は原則として工事を行わないこと、工事中に使用する建設機械は可能な限り低騒音型・低振動型の機関を選定すること、工事用資材の運搬は原則として夜間は避けること等を行います。
 よって、工事の施工による一時的な影響は小さいと予測されます。

 北電は、自分たちの行った調査では事業実施区域でシマフクロウの生息(ねぐら、採餌等)が確認されず、主要な生息地は対象事業実施区域から離れているといっているのだが、これは事実に反する。早矢仕さんも指摘しているように、ここは紛れもなく生息地だ。

 ただし、早矢仕さんは「そこは余り利用していない場所だという前提で、今回さまざまな議論が進んでいると理解しております」と言っているのだが、本当に「余り利用していない場所」と言えるのだろうか。

 シマフクロウは事業実施区域に採餌に来ている。そのことは、十勝自然保護協会が11月8日に北電へ提出した意見書でも、はっきり述べている。シマフクロウが採餌に利用している場所というのは、工事の施工が行われる場所そのものだ。工事がシマフクロウの生息環境に及ぼす影響は小さいどころか、極めて大きいのである。だから、「余り利用していない場所」という認識のもとで審議会が進められることは重大な誤りがある。

 北電への意見書は送付先は北電なのだが、あて名は知事あてだから、北電は北海道にこの意見書を渡しているはずだ。北海道の担当職員はこのことを知っているだろうし、審議会ではこの事実を前提として審議がなされるべきだが、早矢仕委員は事業実施区域がシマフクロウの採餌場所になっていることを知らないようだ。

 道職員は意見書に書かれた事実を審議会委員に伝えていないのだろうか? だとしたら、重要な事実を隠蔽して審議会を進めていることになる。道職員は審議会に道民意見を伝える義務はないかもしれないが、信義に反するのではなかろうか。

 この審議会では、シマフクロウについての具体的審議は非公開になっているので、どんなことが話されているのか分からないのだが、もし専門家による検討機関に道民が指摘している事実がきちんと伝わっていないのなら大きな問題だ。

 私は「不都合な真実を暴露しているブログをチェックする役人」という記事で、たとえ希少種であっても保護のために必要であれば種名の公表もすると書いた。新岩松発電所のアセスにおいても、事業実施区域の中にシマフクロウの採餌場があることを指摘せざるを得なかったのは、北電が「採餌場はない」「主要な生息地は離れている」「影響は小さい」と事実と異なることを言い張るからだ。希少種であることを理由に何でも非公開にしてしまえば、こうした欺瞞を暴くことはできない。

 北電はシマフクロウの生息について事実を無視して、影響が小さいと主張している。ここに北電の体質がよく表れている。こんな杜撰な調査と報告を基に工事を進めることはあってはならない。

続・ダムで砂礫を止められた札内川で砂礫川原再生はできるのか?

 帯広開発建設部は2010年9月に「十勝川水系河川整備計画」を策定したのだが、今回、河川整備計画の一部変更を行うという。変更部分は、地震津波対策と、昨日の記事にも書いた札内川に関する取り組みだ。この変更案について意見募集をしていたので、意見を提出し、公聴会での公述も申し込んだ。公聴会は2月28日である。

 以下が、私が提出した意見書。

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 今回の変更案は地震津波対策と札内川の樹林化に対する取り組みが主な変更点ですが、ここでは札内川の樹林化への対策について意見を述べます。

 私は、2010年7月に川と河畔林を考える会、十勝自然保護協会、十勝の自然史研究会が共同で開催した「2010川の講座 in十勝」に参加して、平川一臣北海道大学大学院教授の講義を受けました。なお、平川教授は第四紀学、周氷河地形環境、第四紀地殻変動の専門家です。

 平川教授は、講義のなかで「河川は、自己制御することによって、可能な限り効率のよい形、すなわち横断形、縦断形を維持しようとする。つまり砂防ダムを始めとして人間の手が加わると、河川は川幅、水深、流送河床物質の粒径などの間で、内部調整、自己制御をやって確実に応答している。人の愚かさを試しているとも言える」といい、「河床の砂礫を上流のダムが止めてしまうと、それより下流の砂礫供給量・運搬量に見合った川になってしまう。戸蔦別川や札内川はダムの建設前後で別の川になってしまったことを意味する。現在は、その変化への適応・調整、すなわち河床低下の過程にあり、河畔林の繁茂はその一端である」とし、「札内川では、従来の堤防の位置などから推測すると、数メートルも河床が低下しており、今では堤防から水が溢れることはまずないだろう」「札内川は札内川ダムや戸蔦別川に造られた多数の砂防ダムによって著しい河床低下を生じ、高水敷はヤナギが繁茂してすっかり姿を変えてしまった」と述べていました。

 札内川から砂礫川原が激減したのはダムによって砂礫の流下が止められてしまったことが原因であり、また河川敷にヤナギなどが繁茂したのは札内川ダムの貯水機能によって流量が抑制され洪水が生じにくくなったことも関係しているのです。したがって、ダムを造ってしまった以上、砂礫川原が減少し河畔林が繁茂することは当然の結果と受け止めなければなりません。

 十勝川水系河川整備計画変更原案の「(6)札内川における取り組み」(89頁)を読むと、「近年、河道内の樹林化が著しい札内川では、かつての河道内に広く見られた礫河原が急速に減少しており、氷河期の遺存種であるケショウヤナギの更新地環境の衰退が懸念されている。そのため、ケショウヤナギ生育環境の保全に加え、札内川特有の河川環境・景観を保全するため、礫河原の再生に向けた取り組みを行う」と書いてあるだけで、札内川ダムや戸蔦別川の巨大砂防ダム群の影響に全くふれていません。

 「札内川の礫河原再生の取り組みについては、礫河原再生の目標や進め方等について記載した『札内川自然再生計画書』を踏まえ」るということですので、札内川自然再生計画書のほうに目を通しました。6頁に、「昭和47年より直轄砂防事業として札内川上流域において砂防えん堤や床固工群の整備を実施してきた。昭和60年には、治水安全度の向上、高まる水需要に対応した水資源の開発を図るため、洪水調節、流水の正常な機能の維持、かんがい用水、水道用水の供給、発電を目的とした札内川ダムの建設に着手し、平成10 年に供用を開始した」とあるのですが、これらのダムが札内川にどのように影響したかについては一言も書かれていませんでした。

 ダムなどの構造物が河川を大きく変えることは河川学では常識であり、河川技術者も十分知っていると平川教授は言っていました。それにもかかわらず、十勝川水系河川整備計画変更原案にも札内川自然再生計画書にもダムの影響について触れていないのはどうしたことでしょう。

 札内川ダムも戸蔦別川砂防ダムも帯広開発建設部が良かれと思い、多額の税金を投じて建設したものです。これらのダムのために札内川の自然再生が提案されたとしても、隠し立てすることではないでしょう。

 札内川自然再生計画書では、砂礫川原の再生のために河床撹乱が提案されていますが、ダムによって砂礫の流下が止められて砂礫川原が減少しているのですから、たとえばダムからの放流量を増やして意図的に洪水状態をつくりだし河床の撹乱を促しても砂礫川原は再生されないばかりか、さらに河床の低下が進み、場所によっては基盤が露出するものと思われます。平川教授は、礫がなくなって粘土層が露出している戸蔦別川の写真を提示していました。礫層がなくなり、粒径の小さなものが流されるようになるのは大問題とのことです。また、このような状態になると増水のたびに流路に面した高水敷の縁が浸食されて崩壊し、高水敷に堆積している砂礫はさらに流されてしまいます。もちろん、高水敷に生育しているヤナギも根元から浸食を受け、流木となります。

 河畔林を伐採し重機などで撹乱して砂礫川原をつくりだしても、上流から砂礫が供給されないのですから、増水のたびに砂礫が流されて減少していきますし、河床低下がさらに進むと考えられます。このような方法は一時的には砂礫川原を生じさせるかもしれませんが、永続的な砂礫川原の再生にはつながらないでしょう。砂礫を人為的にどこからか運んでこない限り砂礫川原は再現されませんし、運んできたとしても増水によって下流に流されてしまうので、砂礫川原を維持するには人によって継続的に砂礫を運んでくるしかありません。しかも、このような手法では、砂礫地を生息・生育地としている動植物に大きな影響を与えます。

 砂礫川原を維持するのであれば、ダムで川をせき止めてはいけない、という教訓を十勝川水系河川整備計画変更原案に盛り込まなければなりません。

 私は、納税者である国民の前にすべてを明らかにすべきと考えますので、札内川ダムと戸蔦別川の砂防ダムの建設の結果として砂礫川原が激減したこと、またこのような河川における砂礫川原再生の手法は確立されておらず永続的な砂礫川原の再生はきわめて困難であることを十勝川水系河川整備計画変更原案および札内川自然再生計画書に明記するよう求めます。

 なお、ダムによる砂礫の流下の抑制は海岸線の後退にもつながっています。海岸線の後退は全国で深刻な状況になっており、人為的に砂の運搬などの対応がなされているところもありますが、いくら運んでも沿岸流や波によって浸食されるので際限なく砂を運ばなくてはなりません。ダムによって自然のバランスを崩してしまうと、人間の力では元の状態に戻すことはできません。

 昨今は自然再生事業が行われるようになってきましたが、壊したなら再生すればいいというものではありません。人が構造物によって自然をコントロールしようとすれば、その弊害が必ずどこかに現れるのです。とりわけ河川では平川教授の言うように、人の技術ではどうにもならない取り返しのつかない状態にまでなってしまいます。そうなれば自然再生は不可能です。このことを河川管理者は肝に銘じなければなりません。

2013年2月21日 (木)

ダムで砂礫を止められた札内川で砂礫川原再生はできるのか?

 札内川は日高山脈に源を持ち、帯広市の東で十勝川に注いでいる河川だ。北海道には礫の多い川は多くないのだが、札内川は勾配が急で流れが速く、大量の礫を運ぶ川だ。ところが近年、河川敷にヤナギが茂るようになり、以前見られたような玉砂利が広がる砂礫川原が激減している。

 河川の砂礫地には特有の生物がいる。私の専門のクモの例では、カワラメキリグモ、ゴマダラヒメグモ、キシベコモリグモ、ハイタカグモなどがそれに当たる。植物では、カワラハハコ、カワラノギク、ケショウヤナギなどが知られている。鳥類ではセグロセキレイ、イカルチドリなどが礫川原に生息している。

 河畔林が繁茂すると、当然のことながら砂礫川原に生息・生育している動植物が減っていく。そこで、北海道開発局は、札内川の砂礫川原の再生事業を提案し、十勝川水系河川整備計画の変更案にそれを盛り込んだ。

 絶滅危惧種などを守るためのこうした取り組みを評価する人がいるかもしれない。しかし、ちょっと待ってほしい。まず、自然再生事業をする際には、どうして札内川は樹林化したのかという原因の解明がなされなければならない。原因の解明がなされなければ、その場しのぎの事業になりかねないし、同じことが繰り返される。

 実は2010年7月31日に、北海道大学大学院環境科学研究院教授の平川一臣さんによる「川とは何だろうか?」という講座が開かれた。この話しの舞台は札内川とその支流の戸蔦別川だった。この時の話しについては以下の記事にしているのだが、平川さんは戸蔦別川や札内川の姿が以前とはまったく変わってしまったことについて、写真をつかって説明された。

平川一臣さんによる講座「川とは何だろうか?」 

 川の姿をすっかり変えてしまった原因をつくったのは、ダムである。札内川では1998年に多目的ダムである札内川ダムの運用が開始された。また、戸蔦別川では1970年代から次々と砂防ダムを造ってきた。これらのダムによって上流から流れ下ってくる砂礫が止められてしまったのだ。

 ダムによって砂礫の供給がストップすると、ダムの下流では川底にあった礫がどんどん流されてしまう。このために川底(河床という)の位置が低くなっていく。こうした現象を河床低下と呼んでいる。ダムなどの構造物の下流では、まず河床低下が見られる。河床が低下すると、流路と高水敷の間に段差ができ崖状になる。融雪や大雨などで増水すると、崖の部分が水で削られていき礫も流されてしまう。ダムでせきとめられた札内川は、このような運命をたどっているのである。

河床低下と河岸崩壊 

 川底に堆積している砂礫層が流されてしまうと、やがて基盤が露出してしまう。戸蔦別川では、すでに基盤の粘土層が露出しているところがある。基盤は岩盤のこともあるし、粘土層や火山堆積物のこともあるのだが、軟らかい火山堆積物の場合はすごいスピードで川底が削られて峡谷のようになってしまう。十勝川水系、芽室川支流の渋山川がその事例。以下のサイトの写真を参照していただきたい。

第3日目:河床低下減少について② 

 このようになると、いくら護岸工事をしても崩れてしまい工作物で制御することはできなくなる。これが自然の摂理なのだ。

 札内川ダムがない頃は大雨が降って川が増水すると河川敷が洗われ、砂礫川原が出現するということを繰り返してきた。しかし、ダムは洪水調節の役目をするので大雨が降っても増水が抑えられてしまう。この結果、ダムから下では撹乱が生じにくくなり、河川敷にはヤナギなどが繁茂してしまう。河畔林は融雪期の増水程度では流木とはならないので、茂る一方となる。こうして、川原は樹林化してきたといえるだろう。つまり、砂礫川原が減少し河畔林が繁茂した背景には、ダムによる河床低下と洪水調整がある。

 こうして樹林化してしまった河川敷を、再びかつてあったような砂礫の川原に戻すことはできるのだろうか? 帯広開発建設部は砂礫川原再生のために、「札内川技術検討会」を立ちあげて検討してきた。そこで提案された方策が、以下だ。

礫河原再生の方策 

 ここでは、以下の再生方法が検討されている。
1.札内川ダムからの疑似融雪出水放流
2.砂州上部の掘削
3.水際掘削
4.砂州上の樹木の間引き
5.河原へのツルヨシの生育促進
6.ケショウヤナギの生育特性を踏まえた対策

 1は、融雪期にダムの水を放流することで川の水量を増やし、それによって生じた礫河原にケショウヤナギを定着させようという発想だ。しかし、これはケショウヤナギを増やすことにつながっても、川の樹林化そのものを防ぐことにはならない。

 2および3は、流路に沿って河畔林を帯状に伐採し、その部分を掘削するというもの。この方法では確かに一時的には砂礫川原が出現すると思われる。しかし、増水のたびに掘削部の砂礫が流されていくことになる。上流からの砂礫の供給がないのだから、やがては砂礫も尽きてしまうだろう。

 4の間引きも一時的な効果はあるかもしれないが、頻繁に間引きをしなければおそらくすぐに元の状態に戻ってしまうのではなかろうか。5のツルヨシの生育促進も、オノエヤナギの定着を抑制するだけで、以前の砂礫が広がっている河川の再生にはつながらない。

 結局、ダムで砂礫の流下を止めてしまった以上、下流では砂礫は減る一方なのだ。河川敷に堆積した砂礫はすぐにはなくならないだろうが、次第に減っていくだろう。つまり、どこかから砂礫を運んでこなければ、やがて砂礫川原は衰退していく運命にある。永続的に砂礫川原を維持するのなら、ダムに堆積した礫をダムの下流部に定期的に運ぶか、ダムを壊すしかない。永遠に続けなければならない事業になるだろう。

 河川管理者はもちろんこうした川のしくみやダムの弊害がよく分かっている。ところが、「札内川技術検討会」では、札内川ダムがあることを前提として話しを進めているので、ダムという原因について突き詰めて議論することはしない。樹林化した原因に目をつむって、小手先の対処療法を試みてみようということだ。なぜなら、原因を突き詰めてしまえば新たなダムづくりに矛盾が生じてしまう。だから大元の原因については極力触れないのだろう。

 人が川のバランスを崩してしまったのなら、川の生態系に留まらず海岸にまで影響が及ぶ。ダムによる弊害が深刻であることが分かってきたからこそ、欧米ではダムの撤去まで行われるようになったのだ。

 ところが日本の河川管理者はダムに起因する自然再生事業を提案する一方で、さらなるダム建設に突き進んでいる。北海道ではサンルダムや平取ダムだ。開発局は過去の教訓から何も学ぼうとしないのである。利権で固まったムラ社会だから、理屈だとか自然の摂理などは無視しなければならないのだろう。実に愚かなことである。

続く

2013年2月18日 (月)

不都合な真実を暴露しているブログをチェックする役人

 このブログでは、必要性のほとんどない公共事業の問題点などについてしばしば指摘している。私は、自然保護活動に関わっているために、このような事業の担当者(すなわちお役人)と話し合いをすることがしばしばある。そうした折に、「ブログ読みました」と言われることがよくある。

 森林管理署(林野庁)の職員、北海道の職員、開発建設部(国交省)の職員、帯広市役所の職員などから、「ブログを読みました」と言われたことがある。どうやらこのブログはお役人にかなり読まれているらしい。

 裏を返すなら、彼らはインターネット検索によって常に批判者をチェックしているということだ。もちろん、こうしたことはお役所だけではなく企業などでも当たり前のようにやっているのだろう。

 大型公共事業の「不都合な真実」は、自然保護活動をしている人たちはもちろん以前から分かっていた。利権にまみれたムラ社会の存在も。しかし、そうした情報は自然保護団体の会員の間では共有されるものの、それ以外の人たちにまではなかなか伝わらないのが現実だった。一部の雑誌などで紹介されることはあっても、そのような雑誌を読む人はそもそも限られている。

 しかし、インターネットの普及によって、誰もが世界に向けて発信できるようになった。今では多くのNGOやNPO、あるいは活動を行っている個人がホームページやブログを通じて、役人が隠しておきたい「不都合な真実」を暴露するようになった。原発問題もそうだが、このようなホームページやブログにこそマスコミがほとんど報道しないような「不都合な真実」が書かれている。

 税金で行っている公共事業を問題にしているのだから、誤りや違法性がない限り、記事の訂正や削除を求めることはできない。お役人がインターネットで発せられる情報をこまめにチェックするのは当然だろう。

 北海道開発局によって士幌町で行われている「富秋地区国営かんがい排水事業」についても、私の所属する十勝自然保護協会は帯広開発建設部の担当者と事業について話し合いを行ってきた。そして、私もこの事業の問題点についてこのブログで何回か発信している。帯広開発建設部の担当者は、当然すごく気にしているのだろう。

 昨年(2012年)3月のことになるのだが、帯広開発建設部の職員から十勝自然保護協会の事務局長に対して、メールで以下のような要請があった。

・・・また、士幌「富秋地区」国営かんがい排水事業調査結果報告に係わる質問書について(回答)を送付いたしました際、「希少な動物種の情報について記載していますので取扱には十分留意いただきますようお願いします。」とお願いをしていたところですが、松田様のブログ記事(鬼蜘蛛おばさんの疑問箱)で、当方からの説明に基づく希少な動物種の情報についての掲載がなされているところです。
 つきましては、松田様個人のブログ記事と承知しておりますが、貴協会において希少な動物種の情報の適切な取り扱いについてご理解とご協力をいただけますよう改めてお願い申し上げます。

 私はこのメールが届く1カ月ほど前の2月5日に以下の記事を書いている。

明確になった「富秋地区」国営かんがい排水事業の欺瞞 

 お読みいただければ分かる通り、事業者の嘘と事業の欺瞞性を暴いた記事で、開発建設部にとってはもっとも隠しておきたいことだったに違いない。だからこそ、希少な動物種の種名が書かれていることを持ち出してやんわりとクレームをつけてきたのだろう。

 このメールを発信した帯広開発建設部にはっきり言っておきたい。「あなたたちにそのようなことを言われる筋合いはない」と。

 開発局による無駄な公共事業、すなわちダムや道路建設などによって、これまでにいったいどれほどの希少動植物の生息地が破壊され、どれほどの希少動植物が消滅したり絶滅の危機に追い込まれたのか分かっているのだろうか。

 私とて、自分の知り得た希少動植物の情報を安易に公開するつもりはない。生息地を公開することで盗掘や採集などの危険にさらされることがあり得るのは十分承知している。しかし、大型公共事業による生息地破壊や生息地の改変は採集圧とは比べ物にならない大きな影響を与えるのだ。かつてはどこにでもいたような普通種が絶滅危惧種になってしまったような例はいくつもあるが、それらの原因の大半は採集ではなく開発行為だ。

 だからこそ、開発行為が希少種に大きな影響を与えると判断されるときには、種名も明らかにしたうえで保護を訴えるのである。希少種の存在を隠していては、事業の問題点や欺瞞性を突くことはできない。

 帯広開発建設部は、富秋地区で希少種の調査をしてきたが、結局、開建の考えている工法でニホンザリガニを保護できるという結論には至らなかった。ニホンザリガニが生息できなくなる可能性もあるのに、開建は事業を強行しようとしている。開建は保護をするために希少種調査をしたのではない。「希少種の保護策を検討した」というアリバイづくりのために調査をしたのである。もちろんその調査自体も税金で行っている。

 ところで、私はブログで批判的意見を発信する以上は発言内容に責任を持つべきだとの考えから、私宛にメールを送信できるよう設定している。記事に誤りがあれば訂正するし、説明を加筆することもある。私の記事に意見があるのなら、直接メールで言っていただきたい。

2013年2月15日 (金)

金坂滋行政書士の処分で公文書の重要部分を黒塗りにした東京都

 東京都行政書士会に所属の金坂滋行政書士が、職務上請求書を使用して私の戸籍を不正に取得していた件で、私は東京都知事に対して金坂滋行政書士の懲戒処分を求め、東京都は2012年11月9日付で処分した。

行政書士に対する行政処分について 

処分内容
1月間の業務の停止
(平成24年11月10日から同年12月9日まで)

処分理由
被処分者は、平成20年8月22日、職務上請求書を使用して戸籍謄本を請求したが、当該戸籍謄本請求に関して依頼人の本人確認をせず、依頼について記録することもしなかった。このことは、行政書士法第10条の規定に違反する。
 被処分者は、業務に関する帳簿を備えていなかった。このことは、行政書士法第9条第1項の規定に違反する。
 被処分者は、日本行政書士会連合会の定める領収証を使用していなかった。このことは、行政書士法第13条及び東京都行政書士会会則第28条の2の規定に違反する。

処分根拠
法第14条第2号

*上記の東京都のホームページ(報道発表資料)では行政書士の氏名や事務所所在地が削除されているが、掲載当時は氏名、事務所所在地、登録番号まで公表されていた。

 しかし、ここに書かれている処分理由だけでは金坂行政書士がどのような経緯で不正行為を行ったのかまったく分からない。何しろ、「行政書士は、その業務に関する帳簿を備え、これに事件の名称、年月日、受けた報酬の額、依頼者の住所氏名その他都道府県知事の定める次項を記載しなければならない」と行政書士法第9条で定められているのに、帳簿を備えていなかったというのである。しかも、日本行政書士会連合会の定める領収書も使用していない。これが事実なら、行政書士として「基本のキ」もできていないことになるし、不正の温床になる。きわめて重大な事実だ。

 金坂行政書士の不正の背景には何があったのだろう? 東京都行政書士会の調査や東京都の聴聞に対して、金坂行政書士は何と説明していたのだろうか? このことを知るには処分に係る公文書を入手するほかないし、被害者である私には知る権利がある。そこで、11月22日付で東京都に対して情報開示請求を行った。開示請求した公文書名は「平成24年11月9日に懲戒処分があった金坂滋行政書士の処分に関わる公文書の一切」、開示を必要とする理由は「懲戒請求を行った当事者として、行政処分の経緯を知るため」とした。

 東京都情報公開条例によれば、開示するか否かの決定を2週間以内に行うことになっている。ところが「開示請求に係る公文書に都以外のものに関する情報が記録されている」との理由で、開示決定の期間が1月25日まで延長された。なんと、2カ月以上も引き延ばされたのだ。結局、2つの公文書が非開示、8つが一部開示となった。複写の手数料などを支払って開示文書が届いたのが2月14日。

 結論を言えば、肝心なところはすべて黒塗りになっていた。開示された文書から分かったのは、単なる処分までの「流れ」である。具体的には、東京都行政書士会に事実確認と報告を求める → 東京都行政書士会から報告書の提出 → 日本行政書士会連合会に聴聞実施の通知 → 金坂行政書士への聴聞(2回) → 処分についての審査 → 処分の決定 → 処分の通知、という事実が分かっただけ。報告書や聴聞記録はすべて黒塗りだったし、「不利益処分の原因となる事実」まで黒塗り。

 結局、開示決定に2カ月もかかったのは、都が黒塗り部分を決めるのに時間がかかったということなのだろう。それにしても、ここまで黒塗りにするとは呆れて物も言えないし、開示請求者(被害者)をないがしろにしているとしか思えない。また、非開示にされた2つの文書は、私が送付した懲戒請求の収受文書だ。これが非公開とは理解不能だ。

 黒塗りの主な理由は以下。
・個人に関する情報であるため(東京都情報公開条例7条2号)
・公にすることにより、個人(被聴聞者)の権利利益を害するおそれがあるため(同)
・公にすることにより、行政書士の懲戒処分に係る事務の適正な遂行に支障を及ぼすおそれがあるため(第7条6号)
・都の機関内部における審議、検討又は協議に関する情報であって、公にすることにより、率直な意見の交換若しくは意思決定の中立性が不当に損なわれるおそれ、不当に都民の間に混乱を生じさせるおそれがあるため(7条5号)

 報告書や聴聞記録の黒塗りの理由は、行政書士の権利利益を害するおそれがあるためだという。しかし、他人の戸籍を入手するという不法行為について明らかにするのは公共の利益に資することである。違法行為がニュースとして報道されるのも公益性があるからだ。ところが、東京都は公共の利益より違法行為を行った行政書士の権利利益を優先するという信じがたい判断をした。そもそも、行政書士法第14条の3第5項で「聴聞の期日における審理は公開により行わなければならない」とされている。公開で行われた聴聞の記録をなぜ黒塗りにするのだろう。

 都の機関内部による審議に関する情報も黒塗り。昨今は、行政が主宰する審議会や検討会なども多くが公開であり、議事録もホームページで公開されるのが普通だ。公開にすることで公平性が保たれ市民の信頼が得られるのに、公開することが「率直な意見の交換若しくは意思決定の中立性が不当に損なわれるおそれ、不当に都民の間に混乱を生じさせるおそれがある」とは恐れ入る。

 「行政書士の懲戒処分に係る事務の適正な遂行に支障を及ぼすおそれがある」というのも理解不能だ。私は、金坂行政書士の処分が決定されてから開示請求したのだから、金坂行政書士の処分に係る事務の適正な遂行に支障を及ぼす訳がない。また、行政書士の処分の種類や程度は「行政書士及び行政書士法人に対する懲戒処分事務処理要領」に基づき、過去の事例とも対比させて行われるのだから、金坂行政書士の調査報告書や聴聞記録を公開したところで、他の行政書士の処分に係る事務の適正な遂行に支障を及ぼすことにはならない。むしろ、公開されることで「事務の適正な遂行」が保たれるはずだ。

 それにしても、「行政書士の懲戒処分に係る事務の適正な遂行に支障を及ぼすおそれがある」という理由はなんと便利なことか。もし恣意的に開示したくないものがあれば、この理由を持ち出すことによって何でも非開示にできる。

 裁判においても、当事者は裁判記録の閲覧や複写ができる。それなのに、東京都は被害者に対してなぜここまで隠そうとするのだろう。情報公開条例があっても、これではほとんど意味をなさない。

 開示決定に不服がある場合は、知事に対して異議申し立てをすることができる。こんな黒塗りだらけの開示決定に黙っていることにはならない。もちろん、異議申し立てをするつもりだ。

2013年2月12日 (火)

原発のパブコメは公正に行われているのか?

 「原子力災害対策指針(改定原案)に対する意見募集(パブコメ)の締め切りが今日までだったので、インターネットの意見提出フォームから意見を提出した。

 ところで、「御意見提出上の注意」には、以下のように書いてある。

(1)御提出いただく御意見等につきましては、日本語に限ります。 また、個人の場合は住所、氏名、職業及び連絡先を、法人の場合は法人名、所在地、担当者氏名、所属及び連絡先をそれぞれ記載してください。

 ところが、インターネットの意見提出フォームを見て驚いた。何と、提出者の住所や氏名、電話やメールアドレスなどの記入は「任意」になっているのだ。しかし、「郵送・FAXの様式」を見たら、住所、氏名、連絡先(tel、fax、e-mail)を書くようになっている。なぜインターネットと郵送・FAXで記入項目が違うのだろう? どう考えても不公正だ。

 私はこれまでにもパブコメを何回か提出しているが、提出者の名前や住所の記入が任意のパブコメはなかった。意見を提出する以上、個人を特定できる情報を書くのは当たり前ではないか。

 こうした情報の記入を任意にするか必須にするかはパブコメによって違うようなのだが、なぜ任意にしたり必須にしたりするのだろう。不可解としか言いようがない。

 たしかに無記名なら批判的意見が書きやすいという人もいるかも知れない。自分の個人情報は知らせたくないという人も多いだろう。しかし、個人を特定できる情報を書かなくても良いのであれば、同じ人物が何度も投稿することも容易にできる。つまり「ヤラセ」が簡単にできるのではないか。

 今回のパブコメは原発に関わる重要なものだから、なおさら懐疑的になってしまう。パブコメの集計というのは公正かつ厳正に行われているのだろうか? 不正はないのだろうか? というのも、私には以下の記事に書いたような経験があるからだ。

意見募集をめぐるお粗末 

 また、以下のような事例もある。

国交省が握り潰した地質学者のパブコメより(代替案のための弁証法的空間)

 パブコメで寄せられた意見がどのようにして集計されているのか、不正が入り込む余地がないのか、ご存知の方がいたら教えていただきたいと思う。

 環境アセスメントが開発行為を前提としたものとなり形骸化しているように、パブリックコメントもほとんど「聞き置くだけ」「わずかな修正をするだけ」になっていることは承知している。しかし、こういう状況だからといってパブコメなど意味がない、出してもしょうがないということにはならない。意見提出の権利は行使すべきだし、もしおかしいことがあるなら正さなくてはならない。

 もうひとつ気になるのは、パブコメの募集期間の短さと、周知徹底に関することだ。パブコメは原則として30日の意見募集期間を設けなければならないのだが、今回のパブコメは意見募集期間がたった2週間しかない。その理由は以下のように説明されている。

原子力規制委員会設置法(平成24年法律第47号)及び原子力規制委員会設置法の一部の施行期日を定める政令(平成24年政令第277号)により、平成25年3月18日から、各地方公共団体の作成する地域防災計画は原子力災害対策指針等に基づくものとなります。
 これに伴い、原子力災害対策指針に基づき地域防災計画を作成するための検討期間を、各地方公共団体において十分に設けるためには、原子力災害対策指針を早急に改定する必要があります。
 従いまして、本意見の提出に係っては、行政手続法(平成5年法律第88号)第40条第1項に規定されている「三十日以上の意見提出期間を定めることができないやむを得ない理由があるとき」に該当するため、30日より短い期間を設定して、意見の募集を行うこととします。

 「原子力災害対策指針に基づき地域防災計画を作成するための検討期間を、各地方公共団体において十分に設けるため」というが、そのために国民の意見を聞いて検討する期間を短くしてしまうのは本末転倒だ。

 それに、今回のパブコメが多くの国民に周知されたとはとても思えない。とりわけインターネット環境にない人は知らない人が大半ではなかろうか。知ったとしても、2週間で資料に目を通して意見を書かねばならないというのはあまりにも時間不足だ。なんだか、なるべく反対意見が出されないようにしているとしか思えない。

2013年2月10日 (日)

沖縄県は「食べて応援」だった

 昨日の木下黄太さんのブログを読んで驚いた。

ふくしまの米、大キャンペーンがおこなわれる沖縄の苦渋。2006年、ウクライナで麻疹大流行の背景。 

 木下さんの記事には「沖縄の農作物は、生産に限りがあり、賄えないものも多いです。その中でも、米は自給自足は不可能です。そうした中で、福島の米のうち、年間およそ6,000tが沖縄で消費されています。沖縄生産米のおよそ倍量の福島米が、沖縄で消費されています。福島の米をこれだけ遠隔地で、これだけ消費する県はほかにはありません。」と書かれている。

 福島の原発事故によって東北から関東の広い地域が放射能汚染されてしまったが、北海道や西日本は酷い汚染を免れた。中でも沖縄は今回の事故による汚染が最も少なかったところではなかろうか。しかも沖縄には原発はない。だからこそ沖縄に避難した人たちも多いと思うし、沖縄県も被災者の受け入れをしている。ところが、沖縄県は支援の名のもとに被災者を受け入れていただけではなく、「食べて応援」もしていたのだ。

 私は福島の事故が起きたとき、日本はこれから今までのように食品が何でも手に入る国ではなくなるだろうと思った。汚染されたところでは農作物の生産はできなくなるだろうし、魚なども当然出荷規制されるだろうと。チェルノブイリ事故の教訓から考えれば、それは当然のことだ。

 ところが、そんなことはまったくなかった。スーパーマーケットに行けば、3.11以前と変りなく何でも売っている。私にとって、その光景は異様でとても恐ろしい。たしかに食品の放射能基準値は設定されたし、耕作が禁止されている水田もある。しかし、それはごく一部であって、基準値以下ならどんどん出荷されている(消費者にはどれほどきちんと測定しているのかも分からないし、測定器の検出限界も分からない)。しかし、基準値以下であれば安全などという保障はまったくない。

 以前にも紹介したが、以下の「膵臓がんサバイバーへの挑戦」というブログでそれを検証している。体重60キロの大人が毎日10ベクレルのセシウム137を取り込み続ければ、心血管系の異常が起きうる危険な蓄積量になる。妊婦や子どもでは、NDもしくは未検出の食品を食べるべきだと提唱している。1日10ベクレルというのはNaシンチレーターによる食品の放射能測定器の限界程度である。また、初期に多くのセシウムを取り込んだ人ほど、1日の摂取量を少なくする必要がある。

セシウム137の体内放射能(1) 
セシウム137の体内放射能(2) 
セシウム137の体内放射能(3) 
セシウム137の体内放射能(4) 

 上記連載記事の(4)に掲載されているまとめを以下に引用しておきたい。

・内部被曝をシーベルトで表して「100Bq/kg以下だから安心です」との報道、政府の発表を鵜呑みにしてはならない。ICRPは「がん死」のリスクしか考えていない。
・新基準値 100Bq/kgは突然死を招きかねない汚染度である。(原子炉等規制法では、この物質はドラム缶に入れて厳重管理する汚染度である)
・流通している食品には検査をすり抜けたものがあると覚悟すべきである。
・食品は、10Bq/kg以下の物を選ぶようにする。
・特に妊婦と18歳以下の子供にはND若しくは未検出の物を食べさせるべきである。
・NDと表示されているときでも、検出限界値を確認する。
・福島を応援するために福島産を食べる行為は、命がけだと覚悟のうえで行え。

 米というのは日本人なら毎日食べる主食だし、3食すべて米を食べている人もいるだろう。それだけに、福島米を食べ続けることはリスクが大きい。それを汚染されていない沖縄に持ち込むなどということは言語道断である。沖縄の方たちは是非とも気をつけていただきたいのだが、特に外食は要注意のようだ。

 この国では政府が国民の健康を守るなどということは決してしてくれない。自分で信頼できる情報を収集し、自分の健康は自分で守るしかないのだ。

2013年2月 9日 (土)

東電が田中三彦氏に嘘をついて現場調査を拒んだ理由

 国会事故調査委の元委員である田中三彦さんが、福島第一原発の1号機の調査を申し入れた際、東電が嘘の説明をしたために調査をあきらめたという事実を明らかにした。概要は以下。

国会事故調“重大な調査妨害” (NHK)

 国会の事故調査委は1号機の原子炉建屋4階にある冷却装置の現場調査を申し出た。ところが東電は、田中さんに対し「1号機を覆うカバーを設置する前に撮影した」として建屋内部の映像を見せ、「今はカバーに覆われて真っ暗で、非常に危険性が高く、作業員の余分な被ばくを避けるため調査にも同行もできない」と説明し、田中さんは転落などの危険性を考慮して調査を断念したとのこと。

 ところが、事故調査委が調べようとしていた冷却装置がある場所は実際には真っ暗ではなく、照明もあった。東電は田中さんの指摘に対し、意図的ではないと釈明したそうだ。

 田中三彦さんといえば、かつて原子炉圧力容器の設計をしていた技術者だ。事故当初から東電のデータを分析し、1号機は地震で壊れた可能性が高いと主張されていた。私は田中さんの説明を原子力資料情報室の動画で見ていたが、彼の主張は論理的で、まず間違いないと思う。1号機は地震そのものによって配管などの破断があったとしか考えられない。田中さんの主張は以下が分かりやすい。

福島第1原発事故報告書のシナリオの矛盾-田中三彦さんに聞く(王様の耳そうじ)

 田中さんによると、非常用復水器に繋がる配管の付近で水漏れを目撃したと証言する作業員の方がいたそうだ。しかし、東電は非常用復水器からの水漏れはないと断言している。だからこそ、非常用復水器の状態を確認するために国会事故調は被ばく覚悟で現場調査を求めたのだ。詳しくは、以下の田中さんによる記者会見をご覧いただきたい。

20120207「東京電力の虚偽説明による事故調査妨害」に関する記者会見
 

 東電が虚偽説明をして事故調査委の調査を妨害した目的は明らかだ。東電の主張するように地震で配管が壊れていないのなら、そこまでして調査妨害する必要性はない。東電は、原発の内部構造に詳しい田中さんが現地調査をしたら、地震で配管が破断したことを見破られてしまうと警戒したのだろう。

 原子力規制委員会は、つい先日、発電用軽水型原子炉施設に関わる新安全基準骨子案を了承した。この新安全基準骨子案は様々な問題があるのだが、シビアアクシデントに関しては対処療法的な対策しか提示していない。つまり、原発そのものの設計については変更せず、追加的対策で済ませようとしているのだ。以下参照。

【記者会見報告】原子力規制を監視する市民の会・新安全基準プロジェクトによる記者会見(福島老朽原発を考える会)

 福島第一原発が地震で壊れていたということが明らかになれば、原発の設計から見直さなければならないことは言うまでもない。すべての原発で設計から見直しを行い改善するとなったら再稼働の見通しは立たなくなるだろう。だからこそ、原子力ムラの息のかかった新安全基準検討チーム(ほぼ全員が原子力関係者と利益相反が問題となる専門家で占めている)は、福一が地震では壊れていないという前提で、設計の見直しを盛り込まずに再稼働しやすい安全基準をつくったのだ。

 「福一が地震で壊れた」ということが明らかになれば、新安全基準の妥当性が根本から問われることになる。新安全基準に関しては現在パブリックコメントを募集しているが、私はこのことこそ多くの国民が指摘すべきだと思う。このパブコメの意見募集期間は2月7日から2月28日までの3週間しかないのだが、周知が足りないとしか思えない。どれだけの人が知っているのだろう? そして、どれだけの人が問題点を認識できているのだろう。

「発電用軽水炉原子炉施設に関わる新安全基準骨子案」に対するご意見募集について 

 それにしても、国会事故調査委員会の調査を妨害して事実確認をさせなかった嘘つき東電に、福一の事故処理を任せるべきではないとつくづく思う。

2013年2月 6日 (水)

異議申し立てや議論を嫌う人たち

 先日、ある集まりで、若い人たちが自然保護団体に入ってこないということが話題になった。これは私が関わっている自然保護団体だけの問題ではない。恐らく全国的な傾向だろう。

 私が学生の頃は、自然保護団体は若い人たちが多く活気があった。全国自然保護連合の大会なども若い人たちから年配の人たちまで集って熱い議論が展開された。ところが、今は多くの自然保護団体で高齢化が進んでいる。かつて自然保護団体で頑張っていた若い人たちが、今でもそのまま活動を担っているのだ。だから自然保護団体の中心メンバーは今では50代から70代になっていて、平均年齢が毎年1歳ずつ上がっているといっても過言ではない。若い人たちがほとんど育っていない。

 若い人たちは携帯電話やスマートフォンの普及で金銭的にも時間的にも余裕がなくなっているということもあるだろう。しかし、若者が自然保護運動に参加しなくなったのはかなり前からのことで、若者の貧困化とは直接関係がなさそうだ。

 では、若い人たちは物事に積極的に取り組むことをしなくなったのか? そんなことはない。たとえば札幌で毎年行われている「よさこいソーラン祭り」は若い人たちが始めたイベントで、参加者は圧倒的に若い人が多い。しかもすごいエネルギーだ。災害復興のボランティアに行く若者もそれなりにいる。ほかにもボランティア活動に参加する若者はある程度いると思う。若者からエネルギーがなくなったわけではないし、社会的活動に無関心というわけでもない。また自然に関心がある若者がいなくなったわけでもない。ところが自然保護団体は若者から敬遠される。なぜなのか?

 自然保護活動というのは開発行為の事業主体である行政機関や企業との交渉、話し合い、要請行動などが必須だ。つまり、理論でぶつかり合うことが避けられないし、それが運動の中心とならざるを得ない。仲良しクラブ的な感覚ではできない。しかし、今の若者はそのようなことに関わることを好まない。「よさこいソーラン祭り」もボランティア活動も、そこには「ぶつかり合い」「行政などとの対峙」がない。今の若者は「異議申し立て」することを敬遠しているとしか思えない。

 若者を見ていれば、それは自ずと納得がいく。つまり、若者たちは「周りの人の話しに合わせて浮かないようにする」「空気を読んで、その場を乱すようなことは言わない」「声の大きい人に合わせてふるまう」ということを徹底的に身につけているのだ。そうしなければいじめにあう。だから、たとえ心の中で「おかしい」と思うことがあっても、口には出さない。また自分が他者からどのように評価されるかをとても気にしている人が多い。だから意見を言うのが苦手だし、本音を隠すこともある。子どものころから、そうした感覚がしみついている。理不尽なことがあっても、なかなか「異議申し立てをする」という行動をとらず、ストレスを抱えて引きこもってしまうこともある。

 このような感覚の人たちは「異議申し立て」をすることがメインの自然保護活動は、とても馴染めないに違いない。もちろんこういった活動は楽しくもないし、理詰めの議論を要求される。

 ある教員退職者は、若者が異議申し立てをしなくなっているのは教育の影響だという。教育現場においても、異議申し立てをするような姿勢を避ける教育がなされてきたという。ここ数十年でその傾向が非常に強くなっているそうだ。

 もっとも、こうしたことを敬遠するのは、若い人に限ったことではない。異議申し立てをしない、議論を避けるという行動パターンは、私と同世代の人たちにも広く浸透してきている。波風を立てることを嫌うのだ。だからこそ、子どもたちにもそういう影響が色濃く出る。近年、それは一段と強まっているように思う。

 仲間内のメーリングなどでの議論を嫌う人も多い。たとえば自分たちのグループの運営問題ですら、議論による意思決定を敬遠する傾向がある。意見を求められても沈黙して意思表示を避けてしまう人も多い。運営について意見を述べたり議論することが「活動の足を引っ張る」「建設的ではない」と捉え、批判する人もいる。その結果、声の大きな人に従うようになってしまい対等な関係が損なわれる。議論を避けてしまえば、民主的な組織運営から遠ざかってしまう。どこかおかしくはないか。

 おそらく、ここ数十年のあいだに、教育現場も含め社会全体にそういう意識が蔓延してきているのではなかろうか。論理的に物事を考えることをやめ、体制に従ってしまうという空気が日本全体に漂っている。学校でも「考える力」を身につける教育はせず、テストの点数に重点が置かれた教育しかしない。これでは批判的な思考力が育つわけがない。国民を意のままに操りたい政府にとって「おとなしい国民」は思う壺に違いない。議論や異議申し立てをしない人たちは、権力者に支配されるしかない。

 原発事故で多くの人が安全神話に騙されていたことに目が覚めた。原子力ムラの嘘と隠蔽に大半の国民が怒り、全国で脱原発デモ、集会、電力会社への抗議行動などを繰り広げた。脱原発を求める人たちが代々木公園を埋め尽くした光景は、今までなら考えられないことだった。原発事故を契機に「異議申し立て」をする国民へと意識が変わりつつあるのだろうか?

 たしかに、あの事故で目覚めた人はそれなりにいるだろう。しかし、私には大半の人が根本的な意識変革には至っていないと思えてならない。もう原発事故のことなど忘れてしまったような人があまりに多いように見えて仕方ないからだ。

 アメリカ人にとって、はっきりと意思表示をしない日本人と話しても面白くない、という話しを聞いたことがある。日本人は逆で、協調性を重視し、議論をふっかけたり異議を唱える人を敬遠する。「議論」や「異議申し立て」をもっと前向きに捉えていく必要があるのではなかろうか。

2013年2月 1日 (金)

川原茂雄教諭の原発本出版の許可願を道教委が不許可にしていた

 1月31日の北海道新聞朝刊社会面に驚くべき記事が掲載されていた。道教委が高校教諭の原発本の出版の許可願に対して不許可の決定をしたという記事だ。

 記事のタイトルは「『政治的争点 出版報酬ふさわしくない』教師の原発本 不許可 専門家『表現の自由抑圧』」というものだ。記事の概要は以下。

 市民向けの「原発出前授業」を続けている道立札幌琴似工業高校の川原茂雄教諭が、出前授業の内容をまとめた本が昨年12月に出版された。地方公務員が営利活動をするためには任命権者の許可が必要なため、川原さんは昨年10月に道教委に許可願を提出したが、道教委は12月6日に不許可の通知をした。川原さんは全ての印税を福島県の子どもたちを支援する市民団体へ寄付する予定であることを事前に伝えていたが、不許可になったため出版社から印税を直接団体に送る手続きをとって出版した。
 道教委の不許可の理由は「原発関連の本を出版し報酬を得ることは、営利活動について定めた道人事委員会規則で禁じる『職員の身分上ふさわしくない性質』に当たると判断した」、「原発問題は政治的争点で、出版は衆院選にも重なるデリケートな時期だったため」とのこと。

 川原さんはご自身のブログで出版した本を紹介している。

私の「本」が出来上がりました! (脱原発先生かわはらしげおのブログ)

 この問題は朝日新聞にも掲載されたようで、川原さんご自身が朝日新聞と北海道新聞の記事をブログに掲載して意見を述べている。

原発の本だからダメなのですか? 

原発の本だからダメなのですか?(2) 

 川原さんはブログで「この三年間、教員から本の出版等で出された申請は私の本以外は、すべて許可されているのです。やはり問題は印税収入ではなく、原発の本だからということなのでしょう。」と書いているように、不許可の理由は「原発に関する本」ということしか考えられない。

 道教委は「原発問題は政治的争点で、出版は衆院選にも重なるデリケートな時期だったため」と説明しているが、原発に限らず、農業(TPP)や改憲、地球温暖化問題だって政治的争点になっている。ならば、公立学校の教員は農業に関する本も、憲法に関する本も、地球温暖化に関する本も書けないということになる。「政治的争点になっているか否か」などということが許可の判断基準になるなどというのはあまりに暴論だし、社会的に通用しないだろう。

 結局、川原さんが脱原発の立場で「出前授業」を行っていることに目を付け、恣意的に不許可にしたということではなかろうか。半ば嫌がらせだ。教育委員会が検閲とも言えるような判断を行うとは、この国の表現の自由もかなり危ういと言わねばならない。

 福島の原発事故が起こって以来、各地で行われている脱原発のデモや集会、抗議行動で不当な逮捕が相次いでいる。原発に反対する人々を力で封じ込めようというのがこの国の実態なのだが、そうした行為が教育委員会まで及んでいるということだ。体制側の人物が、あの手この手で思想・良心の自由、表現の自由を規制しようとしている。

 教育機関こそ、世界最悪の原発事故を起こしたことの反省に立ち、原発の危険性について、放射能の影響について、使用済み核燃料の問題について子どもたちに事実に基づいた情報や知識を与えるべきだが、逆に封殺するようなことをやっている。今回の不許可はきわめて由々しきことだ。原子力ムラの影響力がじわじわと広がっているようだ。

 おそらく、これからさまざまな形で脱原発に関わる言論の自由、表現の自由がますます規制され拘束されていくことになるだろう。だからこそ、このような問題について一人ひとりがはっきりと抗議の意思表示をしていかねばならないと思う。

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