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2013年1月14日 (月)

被害者が原発事故や被ばくを語るということ

 福島では汚染や被ばくのことについて話しをしたがらない人が多いと聞く。そして被ばくを恐れて避難した人たちを非難する人さえいるという。これは恐らく福島ばかりではない。関東地方の汚染された地域に住む人たちもそういう傾向にあるようだ。

 私は正常性バイアスが働いて「避難するほどの汚染ではない」「被ばくのことを言うひとは不安を煽るだけ」と思い込んでいる人が多いのではないかと思っていたのだが、それだけではないようだ。昨日、「ふくしま集団疎開裁判」のサイトの記事を読んで、「ああ、そうなのか・・・」と思った。

それでも、伝えたい福島の親の声:まえがき 

 悲惨な原爆体験を描いた「はだしのゲン」の作者である中沢啓治さんですら、青春時代に「原爆」という言葉や文字を嫌い、逃げ回っていたのだという。また、沖縄戦を体験し「命こそ宝」を書かれた阿波根昌鴻(あわごんしょうこう)さんも、沖縄の人々が戦争のことを語りたがらないと述べている。福島の人たちも同じように、思い出すだけでも気が狂うほどの苦しみを受けた原発事故のことについて、語りたがらないのだという。

 これを読んで原爆体験、戦争体験、原発事故体験がトラウマ(心的外傷)になっているのだと直感した。福島では、震災や原発事故のストレスによってPTSD(心的外傷ストレス障害)に陥ってしまった人も大勢いるのだろう。

 だからこそ辛い体験は思い出したくもないし、言葉を聞いただけで拒否反応が出てしまう、という気持ちは分かる。多くの人たちがそのような心境に陥ってしまっているのも頷ける。広大な土地が汚染されて住民が被ばくをしてしまったのは事実だし、その事実を消し去ることはできない。さらにさまざまな理由で避難できない人たちは、汚染された土地で生活し生きていかねばならないのだ。汚染された地域に住まざるを得ない人たちは原発事故が大きなトラウマとなっているだけではなく、健康被害の不安の中で大変な葛藤にさいなまれているに違いない。

 少しでもストレスを減らそうとする結果、「考えたくない」、「語らない」という思考が働くのだろう。そのような人たちにとって原発事故や被ばくのことを語るのは、心の傷を広げるようなことなのかもしれない。

 しかし、その一方で、南相馬市にお住まいの「ぬまゆ」さんのように、原発事故について、被ばくについて、ご自身の体調について、事故の責任について果敢に語っている人もいる。おそらく、汚染された地域にお住まいの方でも、ご自身の被ばくについてある程度達観できる方は、被ばくの危険性をきちんと認識できるし、自分の意見を発信することもできるのだろう。その「ぬまゆ」さんは理不尽な誹謗中傷にさらされ、何度もブログを閉鎖したり新たに立ちあげたりしている。

 「ぬまゆ」さんを批判し攻撃する人たちは、「辛いことは思い出したくない」という人たちなのだろうか。それとも不安を払しょくするために安心情報にすがりつきたい人たちなのか。あるいは単なるやっかみや嫌がらせなのか、はたまた事実を隠蔽したい原子力ムラの住民なのか・・・。

 おそらく、世の中には「ぬまゆ」さんのように事実に向き合い凛としてご自身の体験を語れる方と、そうではない方がいるのだろう。辛い体験がトラウマとなり、思い出したくない、語りたくないという気持ちの人が多いとしても、だからといって事実を語ろうという人たちを非難するのは筋違いだ。同じ被害者である福島の人たちがそんな風にいがみあってしまうことが、なんとも悲しい。

 トラウマを抱えている人たちの気持ちをないがしろにしてはならないとは思う。しかし、人はいつしか自分の体験した苦痛に嫌でも向き合い、それを踏み台にして立ち上がっていかなければならないのではなかろうか。

 とりわけ人災に対しては、事実に向き合って被害者意識をしっかりと持つことが、その人がトラウマやPTSDを克服して健全な精神を取り戻すための土台になるような気がしてならない。戦争も原発事故も人災である以上、防ぐことができたものなのだし、加害者がいるのだ。中沢さんも阿波根さんもそのことを認識できるようになってはじめて、辛さを乗り越えて事実に向き合い、語ることの意味の大きさを悟ったのだと思う。

 被害を受けた人たちが、自分たちの辛い体験を吐露することで責任のありかを明らかにして世に問わねば、同じ悲劇をまた繰り返すことになるだろう。中沢さんのように、あるいは阿波根さんのように、体験された方が語らない限り、その辛さ、理不尽さ、悲惨さは伝わらない。事故の責任も反省も曖昧になってしまう。だからこそ、語らねばならないと思う。

 身勝手と言われるかもしれないが、福島の方たちには可能な範囲で原発事故や被ばくの問題を、心の葛藤を、加害者の責任を語ってほしいと私は思う。それが今できなくても、せめて原発事故について、被ばくについて語っている人を批判するようなことだけは慎んでほしい。

 思い出したくない、語りたくない、という心理に陥ることで怖いのは、安心を求めるがために「エートス」のような精神論に誘導されてしまうことだ。チェルノブイリの事故でエートスが健康被害を拡大させたこと、エートスには原発推進派が絡んでいることを忘れてはならない。

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