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2012年11月14日 (水)

内藤朝雄著「いじめ加害者を厳罰にせよ」の主張と問題(4)

修復的司法による解決

 私は社会学者でもなければ犯罪学者でもないから、専門的な見地から意見を述べることはできない。しかし、犯罪問題を考える際にはノルウェーの犯罪学者であるニルス・クリスティの論理こそ大きな示唆を与えてくれると思うし、彼の主張は誰もが知ってほしいと思っている。そこで、ニルス・クリスティの著書「人が人を裁くとき」(有信堂、平松毅・寺澤比奈子訳)から、彼の考え方を紹介したい。

 クリスティは、本書の前半で市場原理主義と犯罪の因果関係について具体例を交えながら解説する。端的に言うならば、福祉が充実して格差の少ない国家では犯罪が少なく、逆にアメリカのように市場原理主義により格差が拡大した社会で犯罪が増えていると指摘する。アメリカなどでは、増え続ける犯罪への対処として刑事罰を強化し、それによって刑務所に囚人があふれる状況になっている。市場原理主義によってもたらされた犯罪者を刑務所という壁の中に閉じこめて市民に安心感を与えているのであれば、罰を与えることは問題の根本的解決にはならないだろう。犯罪者を社会から追放することはその場しのぎの対策でしかない。格差のない福祉国家の樹立と、刑務所に頼らない紛争解決が求められるのだ。

 ナチスによるユダヤ人の大量虐殺は誰もが認める残虐な行為だ。では、加害者にはどのような対処がなされたのか。ニュールンベルグで司令官とナチスの首謀者たちを絞首刑にし、復讐は成し遂げられた。「しかし、それと同時に、ナチス時代の背後にあった思想や利害やそれに関連する問題に関する議論は、事実上切り捨てられてしまったのである」とクリスティは言う。和解はなされなかった。そのためにどうなったのか。クリスティは以下のように述べている。

 ドイツ軍による占領が終わったとき、協力者と戦争犯罪人は全員厳しい処罰を受けた。しかし、大規模な処罰も国民の中の憎しみを消すことはできなかった。協力者は今でもノルウェーでは軽蔑され、その子どもたちの世代にも追放者のように扱われ、孫も家族の過去については沈黙している。人口のかなりの部分が今でもまともな社会的地位から遠ざかっている。また、ほとんどのノルウェー人が、強制収容所における殺戮は、ドイツ人だからできた行為であると今でも考えているのである。(135ページ)

 彼は、刑罰によって復讐を成し遂げても、なぜあのような惨事が起きたかの議論はなされないまま終わり、人々から憎しみは消えていないという。処罰という復讐でも憎しみを消すことはできず、真相の解明にもつながらない。刑事罰とは、犯罪に対し与えるべき苦痛(刑)を決めるだけなのである。

 また、クリスティは「怪物」に出合ったことはないという。彼は以下のように書いている。

 上述したように、私は人生の大半を犯罪と刑罰に関わって過ごしてきたが、1人の怪物にも出会ったことはない。強制収容所の殺人者の中にもいなかったし、それ以降も怪物には出会ったことはない。嫌いな人間はいるが、全く理解できない人間はいない。私の基本的な仮定は、我々は人間として共通の体験を有してきたということである。我々は皆人生の最初の時期を誰かに保護され、育てられたという共通の体験を有している。その後の人生においても、良い経験であれ、悪い経験であれ、ほとんどの人間は共通の体験をしている。そこに、最小限の共通の基盤が生まれるのである。(140ページ)

 ホロコーストの残虐な殺戮をした人でさえ決して怪物ではない。どこにでもいる普通の市民によって殺人がなされたということだ。また、以下のようにも述べている。

 私がいおうとしていることは、残虐行為は人類の歴史では一般的にみられるものであり、人間の宿命の一つだということだ。多くの国家が、被害者としてまたは加害者として、あるいはその両方の立場で残虐行為に関わってきた。ゆえに、残虐行為を異常な行為ではあるがありふれているとみなすことが重要になる。残虐行為を防ぎかつそれに対処する方法を、社会紛争の解決策に関する我々の共通の知識を動員して、見いださねばならないのである。(142ページ)

 交渉を始めるように常に努めなければならない。暴力の前に、できれば暴力の代わりに、また暴力の後でも、対話のための場を設定する試みがなされるべきである。言語道断なことだと考える者に会うべきである。そして、なぜ彼らがそれをしたのか理解しようとし、その行為を別の観点からみる努力をし、共通の基盤を探す試みをすべきである。そうしなければ、どうやって暴力を止めることができるだろうか。敵対する両者がお互いの状況を全く別々の解釈に基づいて突き進んでいけばどうなるだろうか。(143ページ)

 クリスティは、真実を解明すること、そして和解の努力の必要性を説く。被害者と加害者による話し合い、調停、和解である。このような手法を修復的司法という。

 「人が人を裁くとき」ではクリスティによる本論の前に、平松毅氏による「クリスティの人と業績」という解説がある。修復的司法についてはこの中の平松氏の説明が分かりやすいので以下に引用したい。

 修復的司法とは、概括的には「犯罪の加害者に被害者に対する説明責任を負わせ、両者の合意に基づいて、両者間の意思疎通を図り、犯罪により被害者に引き起こされた害悪を可能な限り修復することによって、犯罪に対応するための手続き」と定義される。(18ページ)

 さらに、刑事司法の独占によって失われるものに、被害者の不安と誤解がある。被害者は、事件全体を理解するためには、探偵小説に描かれている犯罪者の古典的なステレオタイプを思い描くしかない。被害者は、犯罪者と接触する機会がないままに、犯罪者を非人間として説明してもらうことを望むだろう。こうしてステレオタイプの犯罪者像ができあがる。
 加害者は、より複雑な状況におかれる。被害者との直接的な接触を経験することは苦痛であるから、しりごみするであろう。それが最初の反応である。しかし、次の段階では若干肯定的になる。人間が行動するときには、それなりの理由がある。その理由は、法律家が選択した理由ではなく、当事者が理由と考えるものである。弁護士は、刑罰を決めるために量刑に関連性のあるものは何かを判断する能力を訓練されている。このことは、逆にいうと、何が関連性があるかを当事者に決定させないように訓練させているということだ。こうして許しを得るという最も重要な機会を失ってきた。そこで、被害者はステレオタイプの犯罪者像を想像し、加害者に対して極刑を主張することにより、鬱憤を晴らしてきた。そこで、被害者に加害者が自己自身を説明する機会を与えること、これがまさに被害者を再度事件に引き込むことによってなされなければならないことなのである。
 そうすれば、被害者が受けた被害や苦痛にも注意が向けられるであろう。損害賠償が議論されるであろう。加害者は、現在刑事裁判においておかれている立場、すなわち、いかなる苦痛を与えられるべきかという法廷の傍聴者から、いかにして彼が更生するかという議論の参加者へと変化するであろう。(20ページ)

 学校でのいじめに対しても、刑事罰の前にこうした修復的司法による和解努力がなされるべきではなかろうか。日本でも、そのような実践例が報告されている。

生徒指導と修復的司法(大阪教育法研究会)

 この事例は、まさにクリスティの主張する修復的司法の効果を裏付けている。いじめを行った生徒は決して怪物ではない。お互いに向き合って話しをすることで相手を理解できれば、加害者は自分の過ちに気づいて謝ることができるし、被害者から許しを得る可能性も高まる。補償の責任感も生じるだろう。また加害者には必要に応じて謹慎処分や停学処分も適用される。和解や調停は決して不可能ではない。

 さらに、こうした取り組みが「学校モード」からの脱却にもプラスに働くのではないかと思う。もちろん、これは単なる一例であり、すべての事例がこのように解決するとは思えない。しかし、例え解決できなくてもこのような機会をつくることは決してマイナスにはならないだろう。

 上記の事例では教師が仲裁役を務めている。しかし、いじめを見て見ぬふりをして何の対処もしない教師もいる。そうした背景には教師自身が修復的司法という手法を知らず、生徒間のいじめにどう対処していいのか分からないという現実もあるのではなかろうか。また、学校があくまでもいじめを隠蔽しようとし、教師が修復的司法の仲裁人の役割を果たせないのであれば、学校関係者以外の第三者を仲裁人(調停員)にするという方法もあるだろう。この場合は教師も修復的司法の当事者に加えるべきかもしれない。

 もちろん内藤氏の主張するように、凄惨な暴力をすぐに停止させるために警察に通報するという方法も全面的に否定するわけではない。しかし警察権力の力を借りるのは修復的司法が実現できない、あるいは実現しても解決せず暴力を停止する方法が他に見つからないような場合に限るべきではなかろうか。その際にも警察を過信すべきではないし、リスクやデメリットも知っておく必要がある。

 ニルス・クリスティについては、以前にも記事にしているので参照していただきたい。

ニルス・クリスティの言葉 

 上記の記事で紹介したNHKの番組制作に関わった森達也さんの記事は以下。

殺人事件は年1件だけ!?ノルウェー紀行(DIAMOND online)

内藤朝雄著「いじめ加害者を厳罰にせよ」の主張と問題(1) 
内藤朝雄著「いじめ加害者を厳罰にせよ」の主張と問題(2) 
内藤朝雄著「いじめ加害者を厳罰にせよ」の主張と問題(3) 
内藤朝雄著「いじめ加害者を厳罰にせよ」の主張と問題(5)

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