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2012年9月 3日 (月)

事実を報じず訂正しないマスコミの怖さ

 「福田孝行君の死刑に思う」という記事に野島秀一さんから以下のコメントが寄せられた。

私は、死刑制度は無くしてはならないと考える立場の者です。
あなたは、福田孝行の死刑はあまりに重すぎると言っておりますが、福田孝行に殺され犯された本村弥生さんと、その娘の命の重さを考えれば、私は死刑でも軽いくらいだと考えております。
福田孝行を生かしておいて、死よりも恐ろしい罰を与える事も可能ですが、そのような事は日本の憲法が認めていないし、それを望む人も少ないでしょうから、福田孝行本人の為にも死刑が妥当だと考えます。
更生の可能性についてですが、私は福田孝行に更生の可能性は無いと考えます。
日本では年間千数百件の殺人事件が発生しており、検挙率は90%を越えているにも関わらず、死刑確定者は年間で0~20名程度です。
殆どの殺人犯に更生の可能性があるが、更生の可能性が全く無い一部の者に死刑判決が出ているという事です。

 このコメントを読んで、思い出したことがある。先日、いじめ問題の第一人者である内藤朝雄氏の「いじめと現代社会」(双風舎)という本を読み返していたのだが、光市母子殺害事件の加害者である福田孝行君について言及している部分を読んで愕然とした。一部を以下に引用しよう。

 加害者が不幸な生い立ちであろうと、教育によって変わる可能性があろうと、そんなことが人殺しの罪を軽くする理由になってはなりません。人間の尊厳は、教育や心理(たかが、こころの事情!)ごときとはくらべものにならないぐらい尊いものでなければならないからです。
 他人をなぶり殺したり、強姦目的で進入して女性と乳児を殺したりした者が、軽い刑罰しか受けなかった場合、どうなるか。「ほんとうは」人間は虫けらと変わらないのかもしれないという地面の上に、人間の尊厳という最高価値を理念的に実在化し続け、そのことによって第二の自然を人間の世界として「でっちあげ続ける」ヒューマニズム化の作用が壊れてしまいます。私たちが死守すべきは、普遍的なヒューマニズムが、第二の自然となった人権の社会です。(71ページ)

 内藤氏は福田君が「他人をなぶり殺した」「強姦目的で侵入した」と断定しているのだが、これは事実ではない可能性が高い。本村弥生さんの殺害に関しては、弁護団の主張するように大声を出さないよう口を塞ごうとしたが、手がずれて首を絞めてしまったという可能性は否定できないし、夕夏ちゃんの遺体には床にたたきつけられた痕跡は認められていない。少なくとも「なぶり殺した」「強姦目的」と断定できるような証拠はない。

 また、内藤氏は福田君が友人の少年に送った手紙のことも取り上げている。

 「知ある者、表に出すぎる者は嫌われる。本村さんは出すぎてしまった。私よりかしこい。だが、もう勝った。終始笑うのは悪なのが今の世だ。ヤクザはツラで逃げ、馬鹿(ジャンキー)は精神病で逃げ、私は環境のせいにして逃げるのだよ、アケチ君」
 この手紙がマスコミにすっぱ抜かれたあとですら、少年は裁判の二審で「勝ち」ました。(67ページ)

 少年への手紙については、捜査機関が関与した「やらせ」と言えるものだったことが増田美智子さんの取材によって明らかになっている。つまり、何としても死刑にしたい検察が、福田君の友人に手紙を書かせ、他人に同調しやすい福田君の性格を利用して挑発したのだ。マスコミはその手紙の一部のみをセンセーショナルに取り上げ、「全く反省していない」「モンスター」という人物像を作り上げた。内藤氏もこうしたマスコミの報道を真に受けたのだろう。

 そしてさらにまずいのは、こうした背景が明らかにされているのに、マスコミは自分たちの過去の報道に対し何ら訂正あるいは追加報道しようとしないことだ。だから、誤った認識が人々の頭の中にインプットされたまま、いつまでも正されないのである。酒鬼薔薇聖斗の事件も同じで、冤罪としか考えられないにも関わらず、多くの人が今でも少年が犯人であると信じている。

 福田君のことについては是非、増田さんの著書「福田君を殺して何になる」(インシデンツ刊)をお読みいただきたい。以下は私がこの本を読んだ感想である。

「福田君を殺して何になる」を読んで 

 福田君は決してモンスターなどではない。もちろん内藤氏は前述したような事実を知り得なかったのであろうから、マスコミ報道によって慎重さを欠く判断をしてしまったのはやむを得ない。そういう意味では、内藤氏がこのような判断をしたのはマスコミ報道の無責任さの結果ともいえるだろう。

 なお、内藤氏は死刑については以下のように書いている。

 私は理念的には死刑に賛成ですが、警察の捜査能力を考えて、技術論的には死刑は不可能だから廃止すべしという立場です。

 彼は、凶悪な犯罪に対しては厳罰化し、死刑扱いの終身刑をつくるべきだとの立場だ。

 ところで、「内藤朝雄氏の指摘するいじめの論理と解決への提言」にも書いたが、いじめが「集団の心理」に起因するものであり、生徒をクラスに閉じこめベタベタすることを強制する学校がいじめを蔓延させているという内藤氏の指摘には賛同する。

 また、内藤氏は英米系のいじめ対策であるピア・カウンセリングを否定している。ピア・カウンセリングとは生徒にいじめのカウンセリングをさせるというものだ。内藤氏は、ピア・カウンセリングは「やくざに十手を持たせるようなものだ」として、以下のように論じている。

 「みんな」が「みんなの嫌われ者」をいじめる場合、当然、「みんな」が行う人民裁判は「いじめられる側に原因がある」とするであろう。日本の教員がいじめをやめさせようとして開いた学級会は、おうおうにして、被害者の欠点をあげつらう吊るしあげの祭りになる。英米系のいじめ対策をありがたがる一部文化人や教育学者たちは、こういった「学校の常識」を知らないはずがないのに、自治を無条件で輝かしいものと考える習慣の方を優先させてしまう。(「いじめの社会理論」33ページ)

 内藤氏は暴力系のいじめに関しては学校内で対処するのではなく、法システムに委ねることを提唱している。

 確かに、日本の学校で子どもたちにピア・カウンセリングをさせていじめ問題が解決するとは思えない。常にまわりの空気を読んで皆と同調することを求められ、異質であれば排除される日本社会で、欧米の手法をそのまま導入してもうまくいかないだろう。内藤氏が指摘するように、場合によってはさらに被害者を追い詰める状況にもなりかねない。かといって、暴力的ないじめを法システムで対処するという提案には賛同できない。日本の刑事裁判は捜査機関の恣意性と「ヒラメ裁判官」によって、とても公正とは言えない状態に置かれているからだ。また、日本は少年犯罪の厳罰化を推し進めているが、厳罰化は決して犯罪を減らす根本的な解決にはならない。

 話しを元に戻そう。冒頭に紹介した野島さんは、なぜ「更生の可能性がない」と判断したのだろう。私はこのような意見を耳にするたびに、モンスターでもない少年の更生可能性を否定する理由は何なのだろうかと不思議で仕方ないのである。

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