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2012年8月23日 (木)

人類の生活は環境破壊のうえに成り立っている

 8月7日に「えりもの森裁判」のために札幌に行ったのだが、裁判所も大型店も冷房の温度設定を上げていて適度な室温だった。北海道もようやく節電モードに入ったようだ。本来ならもっと早くからこういう取り組みすべきだったのであり、あまりに遅いと言わざるをえない。こうした取り組みが速やかに実施されなかったのは、原発の再稼働を目論んでのことだろう。

 私は真夏に本州に行くことがしばしばあるのだが、いつも憂鬱なのが冷房の効きすぎだ。電車にのってもビルや店に入っても寒いほど冷房が効いていて、カーディガンが欠かせない。長袖で仕事をしている女性もよく見かける。

 30度を超す屋外と冷房の効きすぎた電車や室内を行ったり来たりしているだけで、体調を崩してしまう。古い建物では冷房の微調整が難しいということはあるかも知れないが、それにしても真夏に長袖を着なければならない室温設定は明らかに過剰だし、これほど無駄なこともない。だから、昨今の節電でようやくまともな室温設定になったことでほっとした思いだ。

 私が小学生のときのことだ。友だちの家で遊んでいると、夕方になって室内がかなり薄暗くなってきた。そこで勝手に照明をつけてしまった。ほどなくして友だちの母親が部屋に入ってきたのだが「まだ明るいのに電気なんかつけて、もったいない!」と怒って、電気を消してしまった。私がつけただけに、なんとも決まりが悪い思いをした。

 こんなふうに夕方になってもぎりぎりまで照明をつけないというようなことは、ひと世代前の人たちの当たり前の感覚だった。何につけても「もったいない」という感覚が染みついていたのだ。少なくとも4、50年前は。ところが今はどうだろう。

 知人の家に行ったときのことだ。夕食のとき、台所の電気がつけっぱなしになっていたので消しに行ったところ、家主に「暗くてあずましくない(北海道語で落ち着かない、不快という意味)からつけておいてちょうだい」と言われて驚いた。夜でも昼間のように明るくしていないと嫌だというわけだ。「もったいない」などという意識はかけらもない。ペーパータオルやラップなども使い放題だ。ほんの数十年のあいだに日本人の感覚はここまで変わってしまい、電気を湯水のごとく使うことが当たり前になってしまった。

 原発の賛否の意見の中に、「原発がなくても電気は十分足りているから、どんどん使おう」というものがあったが、「供給余力があるからどんどん使おう」という思考はおおよそ節約ということを考えていない。電力会社は原発を次々と建設し、オール電化住宅などを推進することで意図的に需要をつくりだし、必要以上に電気を使わせようとしてきたのである。人はいちど浪費癖がつくとなかなか止められない。ほんの数十年のあいだに、私たちはとんでもない浪費家になってしまったのである。

 ところで、自然エネルギーであっても発電をするには必ずリスクがある。水力発電であればダムによる自然破壊、下流での河床低下や河川生態系の破壊があるし、海岸の浸食にもつながっている。ダムが洪水を助長することすらある。万一ダムが決壊するようなことがあればもちろん甚大な被害がでる。

 風力発電は建設場所の自然破壊、低周波音による健康被害、鳥類の衝突事故などの問題がある。地熱発電は有毒物質が含まれる熱水を利用するので、地下水や土壌などの汚染の問題がつきまとう。自然破壊、景観破壊の問題もある。また太陽光発電についても以下のような指摘がある。

太陽光発電による環境破壊(がん治療と免疫)

太陽光発電は環境破壊の元凶? (PJ news)

 原発から脱却し自然エネルギーに転換すれば万事オーケーというわけでは決してない。私たちの日々の生活は限りある資源を食いつぶし、環境破壊のうえに成り立っていることを忘れてはならない。こうしたことを考えるなら、少しでも無駄づかいをなくし、できる限りの倹約をすべきなのだ。もちろん電気に限らず、すべての物についてである。

 ケニアのワンガリ・マータイさんが「もったいない」という日本語に感銘を受け世界に発信したのは2005年。

MOTTAINAIとは 

 日本人はあの時、マータイさんの言葉をどのように受け止めたのだろう。他人事のように頭の中を通り過ぎていってしまった人も多かったのではなかろうか。

 自然エネルギーによる発電のための環境破壊などたいしたことはない、と思っている人もいるかもしれない。しかし、人類はこれまでにどれほど自然破壊をしてきたことか。そしてどれほどの生物を絶滅させてきたことか。「たいしたことない」を積み重ねていくうちに自然破壊は広大な面積となり、やがて取り返しがつかないことになる。環境を破壊しつづけるというのは自分たちの生活基盤を劣化させていることに他ならない。そのツケは必ず自分たちに返ってくるのである。

 大量生産・大量消費を改め、節約・倹約を徹底することなしにエネルギー問題、環境問題は語れないし、人類に未来はないと思う。

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