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2012年7月

2012年7月30日 (月)

活断層が知られていないところでも大地震は起きる

 「『何が何でも原発推進』の狂気」という記事で、志賀原発や大飯原発、浜岡原発の直下に活断層があると指摘されていることを取り上げ、しばしば大地震に襲われる日本では断層があろうとなかろうと原子力発電をするべきではないという意見を書いた。

 これを裏付けるような記事を「さつき」さんが書いている。

2000年鳥取県西部地震が原子力産業界に与えたショック 

 これまで地震に関してはとんと疎かったので、2000年の鳥取県西部地震は記憶になかった。しかし、さつきさんが指摘しているようにマグニチュード7.3、最大震度6強という兵庫県南部地震に匹敵する大地震が、活断層の知られていないところで起きていたのだ。この事実を突きつけられれば、原子力業界は確かに青ざめるだろう。

 山陰地方には大きな活断層はあまり知られていない。しかし、過去には大きな地震がいくつも起きている。(以下の348-349ページ参照)。2000年の鳥取県西部地震もその一つだ。ということは、活断層が知られていない島根原発も大地震に襲われないなどとは決して断言できないだろう。

中国・四国地方の地震活動の特徴(日本の地震活動:地震調査研究推進本部)

 もちろん、このようなことは山陰地方に限らず日本中どこにでもあてはまることだ。たとえ直下や近くに活断層があると指摘されていない原発でも、いつ大きな地震に襲われるか分からない。4つものプレートの境界がある日本列島では、いつプレート型の巨大地震がきてもおかしくはないし、内陸の直下型地震もありうる。

 原発が事故を起こすような大地震が、日本のどの地域でどの程度の確率で起きるかなどということはたぶん誰にも分からないだろう。しかし日本でこのまま原発を稼働させつづけたなら、いつかは原発の近くで大きな地震が起きるだろうし、再び大事故を起こすことは間違いないと思う。それがいつになるのか分からないが、再度過酷事故が起きれば日本は破滅の道を歩むに違いない。地震大国で原発を稼働させるということは、いつかは事故が起きるということを意味している。もちろん、稼働していなくても燃料プールの核燃料だけでも危険である。

 ならば、「再稼働も数年くらいならやむを得ない」などと言っていられるだろうか? 大地震は明日くるかもしれないし、数十年先かもしれない。しかし、いつかは必ずくるし、日本は地震の活動期に入っていると言われている。そして、日本には大地震に襲われないなどと言える場所はないのだ。大地震による苛酷事故の可能性が否定できない以上、予防原則に則って再稼働をやめ、燃料プールの燃料はできる限り速やかに取り出してドライキャスクに保管する、というのが日本のとるべき道だと思う。

 「電力の供給不足で停電になれば経済への影響が計り知れないので再稼働は必要」などという人もいるようだが、原発の過酷事故による影響は国を滅ぼすほど大きいのであり、目先の経済と比べること自体が馬鹿げている。それ以前に、原発事故が取り返しのつかないものであり、どれほどの苦しみを人々に与えるのか、チェルノブイリの事実からよく考えてほしい。

わたしたちの涙で雪だるまが溶けた

2012年7月29日 (日)

退職者はボランティアを!若者に職場を!

 私はまだかろうじて50代だが、周りには定年退職をする人がどんどん増えている。そういう年代になってしまった。

 ところが、定年になっても同じ職場に再雇用で留まったり、退職して再就職をする人が実に多い。家にいてもやることがないのか、はたまた連れ合いから邪魔者扱いされるからなのか定かではないが、定年で仕事を辞め第二の人生を謳歌しようという人の方が少ないように思う。

 蓄えが少なく、年金だけでは生活が困難という人は働くのもやむを得ない。しかし、貯蓄と年金で老後も困らないだろうと思える人でも、かなりの人が再就職をする。確かに雇う側としては、再雇用者はベテランのうえに安い賃金で働いてもらえるのだから有難い存在だろう。しかし、こういう人たちは若者の職場を奪っていることに気づいてほしい。

 私立大学などでは定年が70歳というところすらある。なぜそんな年齢まで働かせるのか、その神経が理解できない。博士課程を出ても就職先のない人はたくさんいるのだから、なぜそういう人たちを雇用しないのだろう。

 私の親の世代は55歳が定年だった。あれから平均寿命も延び、60代、70代位でもすこぶる元気な人が多いのは分かる。しかし若者がなかなか正職員として採用されず、非正規雇用で大変な生活を強いられている人が多い今の状況を考えるなら、金銭的な心配をしなくてもいい人は、退職の道を選んで若者に職場を譲るべきだ。

 仕事人間だった男性の中には、退職したら暇を持て余して仕方ない人もいるらしい。家事もせず家でごろごろしているだけなら、連れ合いから嫌な顔をされるのは当たり前だ。読書もいいし、家庭菜園などもいい。あるいは料理など家事をやってみるのもいいだろう。男性とて家事が苦にならないようでなければ自立した人間とはいえないと私は思う。一人の生活を楽しんでいる男性は、まず家事を苦にしていない。

 妻に先立たれると途端に元気がなくなってしまう男性が多いと聞くが、それは身の回りのことを妻に頼り切っていたからだろう。逆に、夫に先立たれても趣味を楽しんで生き生きとしている女性は多い。毎日家事をやっている女性にとって家事などほとんど苦にならないし、何よりも夫による拘束や夫の世話から解かれてストレスが解消されるからだろう。日本ではまだまだ男女が対等ではないことの証だ。

 これといった趣味がないのなら、ボランティアをしてみるのもいい。ボランティアといえば福祉関係を思い浮かべる人も多いが、対価によらない労働や活動と考えればいろいろある。いわゆる市民活動だって立派なボランティアだ。

 たとえば自然保護団体などの大半は、メンバーが高齢化してきている上に人手不足状態だ。一人でも活動に参加してくれる人が増えることはありがたい。脱原発運動なども同様だろう。今はインターネットで簡単にそうした情報を調べることができるのだから、自分に向いたボランティアは探せば見つかると思う。

 お金をかけなくてもできることはいろいろある。小さなことでも集まれば社会を変える力になりうる。暇を持て余すなど、何ともったいないことかと思う。

2012年7月26日 (木)

政府に原発ゼロを突き付けよう!

 昨日、関西電力が次の原発再稼働について言及し「高浜3、4号機が最有力」と言ったそうだ。

 関電社長、次の原発再稼働に言及「国は早く審査を」 

  大飯原発を動かした関電は、火力発電所を停止させ、節電目標も下方修正した。「原発がないと電気が足りない」なんて嘘でしかなかったことを自ら証明したようなものだ。その挙句、嘘の言い訳は「電力需給ではなく、我が国のエネルギーセキュリティーを考え、安全性を確認できたプラントはできるだけ早く動かしていきたい」とのこと。

  一度過酷事故を起こしたら国をも滅ぼしかねない原発を動かして「エネルギーセキュリティー」とは恐れ入る。どんな神経をしているのだろう。といっても、これは関電に限ったことではない。北電だってもちろん泊原発を再稼働させる方針だ。電気は足りているのに、日本中の電力会社が原発をなんとか稼働させようと狙っている。

 本州では猛暑が続いている。それなのに、電力が逼迫して停電寸前だという話しは聞かない。昨年も東電は電気予報を出して節電を呼び掛けていたが、大変なことは何も起こらなかった。本州にも送電している北海道電力の電気予報も毎日「安定」状態だ。

  泊原発3号機が停止したとき初めて知ったのだが、北電の電気予報は発電所が故障や事故などで一時的に停止したときの余裕を見ているのだ。だから発電量の多い原発が稼働しているときの方が、稼働していないときより大きな予備電力を見こまなければならない。このために原発稼働時の方が数字の上では「逼迫」状態になりやすい。泊原発がすべて停止したときの方が稼働しているときより「逼迫」状態になりやすくなると思ったら大間違いだ。まるでトリックではないか。

  だいたい、そんなふうに予備電力をとっておいても、雷や台風、事故などで停電することがある。「停電はあってはならない」などと考えること自体が傲慢であり、停電することがあるという前提で対策を考えておくべきだ。

  そして呆れかえるのが、政府が国民に提示した2030年までの原発依存度の3案だ。この案には「今すぐ原発ゼロ」という選択肢がない。意見聴取会での「やらせ」を見ても、原子力ムラが15%案に持ち込ませようとしているのは明らかだ。15%というのは浜岡原発、柏崎苅羽原発、志賀原発など、活断層の上にあって再稼働できる可能性がないものまで稼働させるという想定で計算されている。つまり、原発の新設が必要になるというとんでもない案なのだ。

  そのことは先日、市民と政府の意見交換会で福島瑞穂氏が追及し、福島氏は資料の書き直しを求めた。ところが政府(清水康弘審議官)は「検討するが、書き換えの確約はできない」と回答し、「増設することはありません」とは言わなかった。ということは、新設が必要であることを認めたに等しい。つまり、15%という案は、現在建設中の大間原発と島根原発3号機を完成させて稼働する必要がある。以下のグリーンピースのサイトの「会場から」を参照いただきたい。

7/19未来のエネルギーはどれ?「選択肢」に関する政府との意見交換会報告 

 以下の秋場龍一氏もこのことを指摘している。

「15%案」のワナ。再稼働とは原発を「爆発待機状態」にすることである。 

 民主党は将来的には脱原発だと言っていたのではないか。それなのに、なぜ原発を増設しなければならない「15%案」とか「20-25%案」なんていうのが出てくるのか。まるで詐欺師集団だ。

 電力会社と政府のやっていることは、あれもこれも国民を騙すためのトリックだ。こんな連中に騙されないためにも、政府のパブリックコメントに「今すぐ原発をゼロにすべき」という主旨の意見をハッキリと書き込むしかない。何しろ、意見聴取会陳述人の公募でも「ゼロ案」について意見を述べたいと言う人が圧倒的に多かった。これこそ国民の意見だ。今でも電力は足りているし、ちょっと前には原発ゼロのときがあったのに、18年後に原発ゼロにできない方がおかしい。

 パブコメを出したことがないという方は、以下のページを参考にしてほしい。別に長ったらしく書く必要はない。

8月に原発温存方針発表?!ここが変だよ、政府案 

再稼働反対な貴方へ 国が意見を募集していますので送りましょう・・・

 

2012年7月24日 (火)

今年の家庭菜園

 わが家の庭は今までは花が中心だったのだが、昨年から家庭菜園中心になった。というのも、原発事故以来少しでも安心して食べられるものを自分でつくろうと思ったからだ。

 下の写真はサラダ菜。5種を混合した種を蒔いたところ、どんどん大きくなってしまった。毎日葉を摘みとってはサラダにして食べているのだが、食べる量より生長量の方が大きくてあっという間に茂ってしまう。来年は種を蒔く時期をずらして数回に分けてみよう。サラダ菜の後ろはヤグルマギク。こちらは観賞用だがハーブとして利用もできる。

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 今年はハーブを中心にということで、カモミールと金盞花(カレンデュラ)の種を蒔いた。7月に入ってから花が咲き始めた。両方ともハーブとして花を利用するために開花したものから摘んでしまうので、あまり観賞用にはならない。

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 下の写真の手前はペパーミント。種を蒔くのが遅くなってしまったので、まだちょっと小さい。秋までに収穫できるくらいに大きくなるといいのだが。

 ペパーミントの奥は大豆。枝豆用と黒豆茶用を蒔いた。日本のお茶はかなり汚染されてしまったので、自分で黒豆茶をつくってみるつもりだ。今年はウリハムシモドキが例年より多く発生しており葉っぱが穴だらけになっているが、収穫するのは豆なので気にならない。

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 こちらはルッコラ(ロケット)。直播したのだがあっという間に大きくなって、花が咲いてしまった。

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 ルッコラはアブラナ科のために、ナガメというカメムシがつく。菜っ葉につくカメムシだからナガメというらしい。害虫として嫌われ者だが、赤と黒のきれいなカメムシだ。カメムシの被害がほとんどない葉を選んで収穫しているので、多少の被害は問題ない。ちょっと蒔いただけなのに、こちらも食べきれないほど茂ってしまった。  

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 ほかにも馬鈴薯、大根、タイム、レモンバーム、パセリを植えた。収穫が楽しみだが、大根はオオモンシロチョウの幼虫がつくとあっという間に葉がなくなるので注意していなければならない。家庭菜園といってもまじめに管理しようと思ったら、毎日のように雑草取りをしなければならない。夏は雑草との闘いだ。なんだか忙しい。

2012年7月22日 (日)

夢のようなアカシジミの乱舞

 38年前(1974年)の今ごろ、私は一人で北海道をほっつき歩いていた。大学2年の夏休みがはじまると、のこのこと北海道に探鳥旅行に出かけたのだ。北海道には本州では見ることのできない野鳥がたくさんいる。草原でのびやかに囀るノゴマやシマアオジ、シマセンニュウやマキノセンニュウ・・・。岩礁海岸にはウミガラスやケイマフリ、エトピリカ・・・。そんな野鳥の姿を求めて北海道の旅を計画した。

 北に位置する北海道はさぞかし涼しいのではないかと長袖しか持っていかなかったのだが、予想とは裏腹に空は毎日のように晴れわたり、直射日光がじりじりと照りつける炎天下はまさに灼熱だった。ただし、木陰に入ると乾いた風があっという間に汗を吹き飛ばした。じとじととした本州の暑さとは雲泥の差だ。そんな中を、野鳥を求めて歩き回ったのが懐かしい。

 あれは、豊富温泉に泊まった7月19日のことだ。ユースホステルに着いて宿泊の手続きをしたあと、夕食まで間があったので双眼鏡を持って散歩に出た。いかにもひなびた温泉街で、歩くところはさほどない。

 すぐにゆったりと流れる川にぶつかった。なにげなく川を覗くと、オシドリの夫婦がひっそりと泳いでいる。今は夏なので、雄はあの派手な衣装はまとっていない。雌と同じような黒っぽい羽毛で目の周りだけが白くなっていて、まるでケイマフリのようだ。オシドリといえば樹洞で営巣をする。この近くで繁殖したのだろうか。人の生活圏の近くでオシドリが繁殖しているとは、なんとのどかなところなのだろう。

 川のほとりに佇んで北辺の地のしずかな夕暮れの景色をぼんやり眺めていると、対岸に茂る木々のあたりに何かがチラチラしているのに気がついた。双眼鏡の視野に入ったそれは、橙色をした小さなチョウだった。アカシジミの乱舞ではないか! アカシジミは見たことがなかったが、そのチョウがアカシジミの仲間(アカシジミまたはキタアカシジミ)であることはすぐに分かった。

 だいぶ傾いた日差しの中で、濃い緑の葉(たぶんミズナラだったのだろう)をバックに無数のアカシジミが舞っている。翅の表のオレンジと裏の白っぽい色が交差して、チラチラと輝いている。なんと幻想的な光景なのだろう。まるで夢の中にいるかのようだ。そして、こんな光景が展開されているのに、それを見ているのは私しかいない。私は狐につままれた心地でしばし見とれていた。

 アカシジミの乱舞を見たのは、後にも先にもこの時だけだ。今でもあんな光景は見られるのだろうか。

 ちょうど同じような光景がYouTubeにアップされている。

アカシジミ夕方活動~津軽での大発生

2012年7月21日 (土)

日本文学館がコンテスト入賞者の捏造を認めた!

 1か月前の「日本文学館がコンテスト商法で入賞者を捏造か?」という記事の中で、ハンドルネーム「西瓜谷南瓜」氏が日本文学館の賞罰委員会に審議を申し立てていることを書いた。

 その後、7月9日になって西瓜谷南瓜氏は出版企画部長と管理部長に会議室に呼び出され、その話しの中でコンテスト入賞者捏造をあっさりと認めたそうだ。こんな不正をしておきながら、日本文学館はいまだに臆面もなく大々的にコンテストの作品を募集している。まともな会社なら、このような不祥事を受けてコンテスト自体を自粛するというのが普通だろう。

 ところで日本文学館側が西瓜谷氏を個室に呼び出した意図は、どうやら入社時に提出した履歴書の「卒業年度の誤り」を理由に、彼をなんとか会社から追い出すことにあったらしい。会社側の二人のほかユニオン系の社会保険労務士、ユニオン対策が得意だ、とネットで盛んに宣伝している厚顔無恥の社労士まで同席させていたそうだ。気に入らない人物への対策といえば、興信所などをつかって不祥事などの情報をつかみ、それをネタに追い込むというのが後ろ暗いところのある方たちの常套手段。それにしても、卒業年度の間違いを突いてくるとは、なんとも稚拙なやり方だ。

 ということで、詳細はクンちゃんのブログ記事をお読みいただきたい。あんまり稚拙な対応ばかりしていると、そういう恥ずかしい対応自体が全部公表されてしまうのではないかと思いますが。

日本文学館、“嘘っぱちコンテスト商法”を自ら認める! 

日本文学館=文芸社・西瓜谷南瓜“吊るしあげられ”の記 その① 

日本文学館=文芸社・西瓜谷南瓜“吊るしあげられ”の記 その② 

日本文学館=文芸社・西瓜谷南瓜“吊るしあげられ”の記 おまけ篇

【7月22日追記】
西瓜谷南瓜さんのコメントに従い、「ユニオン系の社会保険労務士」という記述を「ユニオン対策が得意だ、とネットで盛んに宣伝している厚顔無恥の社労士」に修正しました。

2012年7月18日 (水)

「何が何でも原発推進」の狂気

 今日の北海道新聞の一面トップは、「大飯・志賀 断層再調査を」という記事だった。

 石川県の志賀原発(北陸電力)の場合、「S-1断層」という断層が原子炉建屋の直下を走っている。活断層の専門家である東北大教授の今泉俊文氏が「典型的な活断層だ。あきれてものが言えない」と言っているのだ。国の原発耐震指針では、13~12万年前以降に動いた活断層の真上に原子炉などの重要施設を建てることはできない。明らかに指針に反している。

 先日再稼働してしまった福井県の大飯原発(関西電力)も、2号機と3号機の間に「F-6断層(破砕帯)」が走っている。大飯原発は「FO-B断層」および「FOA-断層」と熊川断層に挟まれており、これらの断層が動いた場合、連動して「F-6断層」が動く可能性があるという。

 浜岡原発も活断層の上にある。この国では活断層の直上にいくつもの原発を建て、これまで何食わぬ顔をして運転してきたのだ! 結局、活断層があるらしいと知っていながら、知らんふりをして原発を建てたのだ。もちろん審査を通してしまった原子力安全・保安院もグルになっていたということだ。

 専門家によって断層の危険性が指摘されているさ中に、平然と大飯4号機を再稼働させる。あの原発大国のアメリカでさえ、断層があることが分かって原発の建設を中止したのに・・・。17万人の市民が一堂に集って抗議の声をあげても、野田首相は耳を傾けようとすらしない。これを狂気と言わずに何というのか。

 そもそも日本は世界有数の地震大国であり、いつどこで大地震が起きるか分からないし、大津波に襲われるかもわからない。3.11のような巨大地震がきたなら、断層があるかないかなど関係なく広範囲に激震が襲う。こんな国で原発を稼働させるのは破滅への道を歩むことを意味する。

 また、「原発の安全性が確認されるまでは再稼働させるべきではない」という声が聞かれるが、「どんなに大きな地震がきても絶対に安全」などということはあり得ない。ストレステストなど、再稼働させるための免罪符でしかない。ストレステストをする以前に、これほど揺れまくっている国で原発を稼働させることの是非を議論すべきではないか。

 昨日は、エネルギー・環境政策に関する意見聴取会で電力会社の社員が堂々と原発推進の発言したことが明らかになった。昨年、九電で「やらせメール」が発覚してあれだけ批判されたし、北電でも「やらせ」が発覚した。それなのに、原子力ムラの村民がよく恥ずかしげもなく意見聴取会に出て推進意見を述べられるものだ。意見を述べる者が、主催者の言うように無作為抽出で選ばれたのなら、よほど大勢の電力会社社員が応募したということだろう。これを「やらせ」と言わずして何というのだろう。

 原発推進者の厚顔無恥には言葉もない。こんな国の国民であることが恥ずかしくなる。

2012年7月16日 (月)

内藤朝雄氏の指摘するいじめの論理と解決への提言

 大津市の中学校のいじめ事件のことについて、マスコミが毎日のように報道している。焦点となっているのは学校や教育委員会の真相隠し。そして、このようないじめ事件に対し決まり文句のように「原因の究明」「再発の防止」「命を大切にする教育」という言葉が繰り返される。

 学校での凄惨ないじめは今にはじまったことではない。いじめが社会問題として深刻化するようになってからいったい何年が経ったのだろう。事件が明るみになる度に「原因の究明」「再発の防止」が叫ばれているが、一向に改善の兆しは見られない。言葉ばかりが空回りしているようで虚しい。悲惨な事件が報道されるたびに、多くの人が加害者や教育関係者に怒りをあらわにしているのだが、そこにも解決の糸口を見つけることはできない。

 いじめのメカニズムを解き明かし、いじめ解決への提言を行っているのが社会学者の内藤朝雄氏だ。内藤氏は「いじめの社会理論」(柏書房)という本のまえがきで以下のように述べている。

 大人たちは「子ども」のいじめを懸命に語ることで、実は自分たちのみじめさを語っているのかもしれない。私たちの社会では(国家権力ではなく)中間集団が非常にきつい。そこでは「人間関係をしくじると運命がどうころぶかわからない」のである。この社会の少なくとも半面は、不偏的なルールが通用しない有力者の「縁」や「みんなのムード」を頼らなければ生活の基盤が成り立たないようにできている。会社や学校では、精神的な売春とでもいうべき「なかよしごっこ」が身分関係と織り合わされて強いられる。そしてこの生きていくための日々の「屈従業務」が、人々の市民的自由と人格権を奪っている。
 大人たちは、このような「世間」で卑屈にならざるを得ない屈辱を、圧倒的な集団力にさらされている「子ども」に投影し、安全な距離から「不当な仕打ち」に怒っている。

 内藤氏は本書でいじめが生じる仕組みを非常に明確に解き明かしている。いじめがおきる原因は、加害者や被害者、教育関係者といった個々の人たちの問題ではない。集団の心理に起因するのであり、学校だけではなくどこでも起こりうるという指摘は非常に納得のいくものだ。学校や社会で強いられる「なかよしごっこ」、「屈従関係」が人々の自由と人格権を奪っているというのは、まさにその通りだろう。

 内藤氏は、学校という共同体では以下のような状況が生じるという。

①自分の好みの生のスタイルを共通善の玉座にすえるための陰惨な殲滅戦。
②主流派になれなかった場合には、自分の目からは醜悪としか思えない共通善への屈従(へつらいの人生)を生きなければならない苦しみ。さらには、
③「われわれの特定の善なる共同世界を共に生きる」ために自分を嫌いになってまで、その共通善に「自発的」に悦服している「かのように」ようにおのれの人格を加工しなければならない(いわば魂の深いところからの精神的売春を強要される)屈辱と絶望。

 これらのことはどこの集団にも存在しており誰もが経験しているだろう。こうした共同体による強制がいじめを生むのである。内藤氏は、いじめのない社会の構築のために、一人ひとりがそれぞれにとっての望ましい生のスタイルときずなを生きることができる「自由な社会」を提言する。このような社会では「なじめない者の存在を許す我慢(寛容)」が要求されるものの、「なかよしごっこ」をしない権利が保障されるのだ。

 ただし、このような社会は放っておけばできるというものではない。社会的な基盤が必要だ。こうした社会の実現のために以下の要件をあげている。

①人々を狭い閉鎖空間に囲い込むマクロ条件を変えて、生活圏の規模と流動性を拡大すること。
②公私を峻別し、こころや態度を問題にしない、客観的で不偏的なルールによる支配。

 そして、現行の強制的に集団生活を課す義務教育を廃止し、あらたな学習体系による教育制度を提言する。いじめ大国、自殺大国になってしまった日本において、熟考されるべき提言だろう。

 思い返せば、私も学校は大嫌いだった。学校には主流派による無言の強制があり、そこから外れてしまえば非難の視線があった。でも私はたいてい主流派の中にはいなかった。だから本当の気持ちを心の奥底にしまい、いつも不満を抱えていた。自分を殺して協調性を重んじるなんてまっぴらだったし、人の顔色ばかりうかがっている人が嘘っぽく見えた。何よりも集団に拘束されず自由な自分でいられる休日が楽しみで、解放感にひたれる夏休みを待ち焦がれていた。

 内藤さんの本を読むと、学校が大嫌いだった理由がストンと胸に落ちるのだ。私が学校に通っていた頃は今ほどの凄惨ないじめはなかったが、しかし明らかに類似した状況は存在していた。今の時代に生まれていたなら、間違いなく不登校になっていただろう。  

大津市のいじめ事件で怒っている人たちには、いちど内藤さんの指摘に耳を傾けてほしい。学校でいじめが起こる仕組みはすでに解明されている。事件の細部にこだわり、馬鹿の一つ覚えのように「原因の究明」「再発の防止」「命を大事にする教育」といっているだけではいじめをなくすことはできない。人は誰でも攻撃性を秘めている。それを肯定したうえで、いじめが起きるメカニズムをみんなが理解しなければいじめの解決にはつながらない。

 いじめを受けている子どもたちには「いじめられるような学校なんか行くな!」と言いたい。学校の外の世界で、自分らしさを取り戻してほしいと思う。今の学校制度では、教師までもが平然と加害者になり、被害者は身も心もボロボロにされる。集団から出るしかいじめから逃れる道はないのではないか。

 以下は内藤朝雄さんのブログ記事だ。なぜいじめが起きるのか、簡潔に指摘されている。ここで語られている「監禁部屋」の些末な工夫は、今の学校でのいじめ対策そのものではないか。

いじめの直し方 

 世の中には様々な考えの人がいて、みんな違う。「みんななかよし」なんてあり得ないのだ。個性や価値観の尊重ができる社会の構築を私たちは目指すべきだろう。

 そしてつくづく思うのは、学校でのいじめと原発事故は同根であり「ムラ社会」に起因するということ。内藤さんもそのことを指摘している。この国ではどこに行っても「ムラ」があり、人の命よりムラの仲間うちの都合が優先されるのだ。根本的なところでの変革が必要だろう。

「原子力ムラ」と仲間内の論理

2012年7月13日 (金)

アラスカの核実験場化計画を阻止した生物学者と先住民

 金曜日の夜の首相官邸のデモ、新宿のデモ、大飯原発の前での再稼働への抗議・・・。日本中の人たちが原発の廃止、再稼働反対の声をあげている。週刊金曜日の7月6日号では、官邸前の金曜デモが大きく取り上げられていた。首相官邸をとりまいて路上にあふれる人、人、人。みんな自分の意思で足を運び、脱原発、再稼働反対を訴えている。わが目を疑うかのような凄い光景だ。

 そのデモの人波を見て、私はアラスカの核実験場化計画を阻止した生物学者と先住民らの運動のことを思い出した。星野道夫氏の遺作となった「ノーザンライツ」という本に、そのことが綴られている。その本の「幻のアラスカ核実験化計画 一~五」に、かつてアラスカに計画された核実験場化計画をめぐる先住民や科学者の闘いのことが、あたかも自分の目で見てきたかのように描かれている。

 この計画は「プロジェクト・チェリオット(チャリオット)」と言い、1957年にもちあがったという(星野道夫は「チェリオット」としているが、一般的には「チャリオット」と呼ばれているようだ)。「水爆の父」と呼ばれるエドワード・テラーが中心となりアメリカ原子力委員会が進めたプロジェクトで、水爆を用いて港湾を造るという計画である。その実験の場に選ばれたのがアラスカのポイントホープ村の南東約50キロに位置する、ケープトンプソンというイヌイット(エスキモー)の村だった。

 プロジェクト・チェリオットの推進のために、アメリカ原子力委員会は計画による経済効果を説いて回った。1960年にはアメリカ原子力委員会のメンバーがポイントホープ村で説明会を開いた。村人から投げかけられた「死の灰」への質問も、害を与えないという嘘の説明をした。しかし、その説明は村人によって当時普及しはじめたレープレコーダーにすべて録音されていた。

 一方、アラスカ大学はこの計画の推進に関わり、プロジェクト・チェリオットの環境アセスメント調査を請け負った。アラスカで野生動物の研究をするためにアラスカ大学に就職したビル・ブルーイットは、このアセスメントのためにアラスカでカリブーの調査を引き受けた。そして彼は、カリブーが主食とする地衣類と放射能の関係に気づくのである。

 1950年代後半から60年代初めにかけての核実験による放射能の大半は北半球の温帯域に落ち、その量は北極圏の10倍に達していた。ところがカリブーの体内の放射能は温帯域の家畜と比べて何倍も多いのである。地衣類が放射能を吸着し、それを主食としたカリブーが汚染されたのだ。医療チームの調査によると、カリブーを主食とする先住民族の人々が被曝していることが分かった。ビル・ブルーイットは、プロジェクト・チェリオット計画がアラスカの生態系や先住民に与える影響を、知ってしまったのである。

 そして、彼がアメリカ原子力委員会に提出したレポートは、地衣類とカリブーの食物連鎖を通して放射能が蓄積されることを指摘した部分など、計画推進にあたって都合が悪い部分が削除され、爆発による放射能の影響はほとんどない、と変えられていたのだ。

 真実を知ったビル・ブルーイットは、プロジェクト・チェリオットの危険性を仲間に知らせた。この仲間には、アラスカの自然を愛する二人の女性パイロットのほか、アセス調査に参加していた二名のアラスカ大学の研究者も加わった。環境調査に加わった三人の研究者は、アメリカ原子力委員会の計画をつぶす側にまわり、大学を追われることになる。

 さらに、アラスカの先住民らがこのプロジェクトの反対運動を始め、それがおおきなうねりとなって広がった。1961年11月15日、ポイントホープよりさらに北のバローの村の集会場に何と200人を超える先住民族が、この計画を阻止するために集まったのだ。

 こうした反対運動はアメリカ内務省を動かし、内務省は環境調査を見直して、プロジェクト・チェリオットの是非に介入していくことを決めた。そして、1962年8月に、アメリカ原子力委員会はプロジェクト・チェリオットの断念を表明したのである。

 その後、カナダ科学アカデミーがビル・ブルーイットにその年の最高賞を授与し、アラスカ大学も彼を卒業式に招待して名誉博士号を授与した。かつてビルを追い出したアラスカ大学は、自分たちの過ちを認めたのだ。

 詳しくは、星野道夫著「ノーザンライツ」(新潮文庫)をお読みいただきたい。

 今のように情報を得るのも困難な50年前のアラスカで、先住民らは放射能の恐ろしさを察知した。そして、自らの信念を貫いた生物学者とともに一致団結し、アメリカ原子力委員会という巨大組織を相手に闘って勝利を収めたのだ。こうしてアラスカの生態系は放射能汚染から守られたのである。もし、このとんでもない実験が行われていたなら、今頃、北極圏は凄まじい放射能汚染に見舞われていたに違いない。

 この計画には後日談がある。計画が中止されたあとも、実験で使われた核廃棄物が密かにアラスカの大地に埋められていたのだ。そのことを知った住民は汚染された土壌の除去を求め、米政府はそのために多額の費用を投じたという。

チャリオット作戦(Wikipedia)

 今、日本の各地で繰り広げられている反原発のデモとアラスカのイヌイットの姿が重なり、原発の恐ろしさを訴え続けてきた高木仁三郎氏や小出裕章氏などの反骨の科学者とビル・ブルーイットの姿が重なる。インターネットも何もない50年前に住民の力によって実現できたことが、今の時代になぜできないのだろう。そう思うのは私だけだろうか。

 原子力の安全神話という嘘は50年も前から連綿と続いている。原子力を推進するための騙しの手法も何も変わっていない。どれほど科学が進歩しても詐欺師はしぶとく生き続け、弱者を騙すことに余念がない。しかし、決して諦めてはいけないと思う。

 来る16日には代々木公園で「さようなら原発10万人集会」とデモが行われる。

7・16は「さようなら原発10万人集会」へ!

2012年7月10日 (火)

国会事故調査委の黒川清委員長の発言をめぐって思うこと

 英フィナンシャル・タイムズ社は、国会の東京電力福島原子力発電所事故調査委員会の黒川委員長が、「事故は『日本文化に根差した慣習』によって生じた『日本製(メード・イン・ジャパン)』の危機だったと断じた」と報じた。黒川委員長は最終報告書の英語版要約の中で、原発事故の原因は「我々の反射的な従順さ、権力者を疑問視したがらない態度、『計画を守り通す』ことへの情熱、集団主義、島国根性」にあったと述べたそうだ。以下参照。

原発事故は日本の文化が招いた危機(日本経済新聞)

 この意見を批判する声も聞かれる。たとえば以下。

文化のせいにしては将来の原発危機を防げない「メード・イン・ジャパン」のラベルに潜むリスク(JB PRESS)

 黒川委員長の指摘は世界中でごくふつうにみられるものであり、あまり文化に注目すると、原子力ムラの連中の責任回避につながるという意見だ。

 しかし、報告書はあくまでも「危機は東電と規制当局、政府による『多数の過失および故意の怠慢』の結果だった」と述べており、東電や政治家、官僚を厳しく批判している。黒川委員長は、国民を騙した原子力ムラに最大の責任があることを前提にしたうえで、国民の文化のことに言及しているのである。なにも原子力ムラの責任を曖昧にするためにこのような発言をしたわけではなかろう。私には、黒川氏の指摘はとても重要なものだと思える。

 もう時効になっているのでここに書いてもいいだろう。私の体験したある出来事を例にとって考えてみたい。

 私の子どもが通っていた小学校では、夏になると学校とPTAの共催による海辺でのキャンプがあった。まわりの母親たちはその行事をとても楽しみにしており、キャンプが近づくと浮足立っていた。何も知らない私は、子どもが小学校に入学した年に、そのキャンプに参加した。

 目的地であるオホーツク海のとある汽水湖に着くと、父母や子どもたちはバスの中で水着に着替えてさっそうと湖に入っていく。私はてっきり海水浴を楽しむのが目的のキャンプと思っていたのだが、実はそうではなかった。貝を採るのが目的なのだ。ところが、そこには「禁漁」という看板が立っているのである。なんとキャンプの最大の目的は貝の密猟だったのだ。湖で遊ぶふりをして足で砂の中の貝を探って採取し、レジ袋にいれてバスに持ち帰る。クーラーバックまで用意していた。

 私ははじめから海水浴をするつもりはなかったので水着ももっていかなかったが、それは正解だった。皆が密猟をしている間、私は自分の子どもと散歩をしたりバスでのんびりしていたが、内心呆れかえっていた。教師も若い教員一人を除いてバスの中で昼寝をしている。違法行為であることがわかっているから湖に入らないのだろう。しかし、親や子どもの密猟を黙認しているのである。

 私はこうした行事を学校ぐるみで何年も続けていることに心底驚いた。子どもによると、教師はどうやったら見つからずに貝を採ることができるか、などといった話しまでしていたらしい。教育現場であるまじきことだ。

 夏休みが終わってから、私はPTAの集まりでこのようなキャンプは止めるべきだと発言した。この発言によって密猟が見直されることになったのだが、この行事を楽しみにしていた父母から反発があったのは言うまでもない。キャンプのことが議題になっているPTAの会合に普段は出席しない母親が突如複数顔をだし、海でのキャンプの必要性を語るのだ。キャンプを何としても実施するための多数派工作としか思えなかった。

 皆が楽しみにしている行事を見直そうという意見を言おうものなら、疎外され陰口がささやかれる。教師も違法行為と知っていても、波風を立てたくないがために黙っている。私だけが陰口を言われ批判されるだけなら別に構わない。しかし、親の発言の影響が子どもにまで及んでいじめの対象にもなりかねない。

 学校やPTAの行事で違法行為が行われていても、見つからず、自分たちが楽しければ構わないという神経は私には信じがたい。なんという倫理観、社会規範のなさだろう。ところが、この集団においては慣習に従うのが「当り前」であり、違法行為を問題視することなどタブーなのだ。私が見直しを求めなければ、この密猟キャンプはその後も続いていただろう。もし違法行為が見つかって事件にでもなっていたら、教師は「親が勝手に採った」と言い逃れでもするつもりだったのだろうか。

 もちろん、これは私の住む地域だけの問題ではない。村八分を恐れ、周りの人の顔色を伺い、言うべきことも言わないことが多くの日本人の慣習となってしまっている。

 私には、この構図が原子力ムラの縮図のように見えてならない。私たちの日常生活の中に「ミニ原子力ムラ」があり、心の中に黒川氏の指摘する「我々の反射的な従順さ、権力者を疑問視したがらない態度、『計画を守り通す』ことへの情熱、集団主義、島国根性」が潜んでいる。もちろんこういうことは日本以外の国にもあるだろう。しかし、先進国においてこれほどモラルのない国も少ないのではないか。

 福島の原発事故を引き起こした原因と責任は東電や規制当局、官僚などにあることは言うまでもない。そして、彼らは福島の事故の反省など何もしていないばかりか、相変わらず嘘を言って国民を騙すことと責任逃れとさらなる原発利権のことしか頭にない。

 これほどまでに腐った連中を変えさせるのは国民の力でしかないだろう。しかし私たちが原子力ムラの縮図のようなムラ社会に留まっていたなら、どうしてこの状況を変えることができるのだろう。日常に潜む「村八分」の壁を壊し、不正をなくす努力をしていかない限り、原発はなくせないだろうし、日本に未来はないと思えて仕方ない。

 原子力ムラの責任を追及するとともに、こうした慣習を変えていくことこそ、世界最悪の原発事故を起こして世界中を放射能汚染させた日本人の責任だと思う。

2012年7月 9日 (月)

私が文芸社の組合結成を支持する理由

 先日「文芸社にとうとう東京管理職ユニオンの支部が結成」という記事を書いたところ、被害者を騙る人物から嘘や誹謗中傷、脅迫を含むコメントが複数寄せられたので、嫌がらせと判断した。

 このような方を相手にするつもりは毛頭ないが、この方は、文芸社の社員の肩を持つことは被害者感情を逆なでするものだ、金を返せ、という主張をしていた。この点については同じ感想を持つ被害者の方もいるかもしれないので、私の考えを明らかにしておきたい。

 私は文芸社(日本文学館を含む)の社員が著者を悪質な商法に勧誘することを容認するつもりは全くない。西瓜谷南瓜氏は契約をとる仕事をしているとのことだが、その仕事自体を容認するつもりは全くなく、むしろ被害者を生みだす仕事であると認識している。

 しかし、文芸社の社員はそのような仕事をやりたくてやっているわけではない。会社がやらせているのだ。社員の行っている勧誘に問題はあっても、つきつめれば会社の倫理に係る問題なのである。そもそも著者が契約をした相手は社員ではなく、代表取締役だ。もし裁判を起こす場合は代表取締役を相手にすることになるだろうし、「金を返せ」という主張も代表取締役にすべきことだ。

 社員が悪質商法への勧誘をしたくないという理由で会社を辞めたとしても、別の社員が同じことをやるだけで、悪質な商法を辞めさせることには繋がらない。また、会社を潰すことでも解決にはならない。現に、同様の商法を行ってきた碧天舎や新風舎は倒産したが、他社によって同じ商法が続けられている。そして、会社が倒産したなら下請けの企業や著者、社員などに多大な被害をもたらすのだ。

 被害者が被害回復を求める相手はあくまでも会社の最高責任者である。そして、不当な扱いを受けている労働者が対峙するのも会社の経営陣である。被害者も、労働者である社員も、問題解決を求めて対応すべき相手は会社の経営陣なのだ。

 そしてもう一つ忘れてはならないのは、労組というのは何も労働条件だけを問題にして闘っているわけではないということだ。

 西瓜谷南瓜氏のホームページをご覧いただきたい。以下のように書かれている。

東京管理職ユニオン・池袋 文芸社支部 

既に退職したんだけれど、未払い残業代があるはず・・・過去の休日出勤、手当てはどうなってるんだろう・・・あれ?就業規程と違うのでは・・・退職金制度をつくろうよ・・・不正行為を正したい・・・派遣なんだけど正社員になりたい・・・告げ口、陰口、嫌がらせ・・・会社にモラルと常識を・・・

 「会社の不正行為を正したい」「会社にモラルと常識を」とあるが、これは被害者の方たちが会社に求めることと同じだ。そして西瓜谷南瓜氏は、日本文学館のコンテストの受賞者捏造疑惑問題で不正を正そうとしている。会社の不正行為をなくしたいという思いがあることが理解できる。

 もう一度言っておこう。社員だって、やりたくて悪質商法に手を貸しているわけではない。自分が働いている会社のことを悪質企業などとは言われたくないだろうし、まっとうな会社であってほしいと願っているはずだ。しかし、そんな願いは社員個人の力だけでは叶えられない。労組の力を借りることで、その願いが実現できる可能性もある。

 労組は、会社内部から悪質商法を改善していこうという動きの原動力になり得るのではなかろうか。だからこそ、私には文芸社の労組を歓迎したい。ただし、西瓜谷氏が単に労働条件の改善だけを求める組合活動しかしないということであれば、とりたてて支持するつもりはない。

 また、このような行動は非常にエネルギーを要することであり、嫌がらせとの闘いでもあると予測される。組合結成の記事を書いただけで、私にさえ嫌がらせがくるのだ。実際に矢面にたっている西瓜谷南瓜氏への圧力は大変なものに違いない。だからこそ西瓜谷氏には頑張ってもらいたいと思う。

 幸いにも、東京管理職ユニオンでは会社側に名前を伏せたまま加盟ができるそうだ。こうしたシステムは社員にとって強い味方になるだろう。

2012年7月 8日 (日)

開発局とべったりの辻井達一氏

 昨日、北海道環境財団理事長の辻井達一氏がラムサール賞を受賞したという報道があった。釧路湿原の自然再生などに貢献したというのが受賞理由らしい。

 辻井氏といえば、北海道各地の自然関係の検討会、審議会、委員会などに選任され、座長や委員長を務めている。インターネットの検索サイトで「辻井達一 委員」などと検索してみれば、どれほど多くの行政主催の委員会に出ているかが分かる。この人はひっきりなしに、あちこちの会議に出て「先生」「先生」と持ちあげられているのだろう。

 辻井達一氏は環境財団の理事長であり、北海道新聞野生生物基金にも評議員として関わっている。さも環境保全に貢献しているかのように見えるが、一方で開発局などの委員も頻繁にやっており、自然保護団体が反対している無駄な自然破壊公共事業のゴーサインに加担している。

 はっきり言っておこう。北海道で自然保護に関わっている人なら誰もが知る典型的な御用学者だ。環境省から開発局に至るまで、これだけ多数の委員会に引っ張り出されるというのは、行政にとってよほど有難い存在なのだろう。新聞記事では年齢が81歳になっていたが、いつまでこんなことを続けるつもりなのか。

 以下は参議院での紙智子さんの質問だが、ここで辻井氏について具体例をあげて厳しく追及している。辻井氏がどれほど多くの委員を歴任し、多方面で「専門家」として重用されているのかがよく分かる。いったい辻井氏の専門は何なのだろう。

サンルダム建設に係る各種専門家に関する第三回質問主意書(参議院)

 この質問の中から、辻井氏について指摘している部分を以下に引用しておこう。

(一) 辻井達一座長は開発局の流域委員会関連では、石狩川、沙流川、釧路川(副委員長)、後志利別川流域懇談会及び整備計画検討委員会を歴任・兼任している。開発局の委員選定理由は、石狩川については「生物、環境について学識経験」、沙流川については「動植物全般の専門家」、後志利別川については「河川に関し学識経験」、釧路川については「植物生態学の専門知識」と幅広い。
 河川関係では他に、「石狩川下流河岸の自然環境の多様性回復について植物の専門家」であるとの理由から石狩川下流河岸検討会委員を、「湿地に関する専門知識」を理由として釧路湿原の河川環境保全に関する検討委員会委員長も務めた。
 分野は河川にとどまらず、道路関係で「各分野の専門知識」を理由に委員長を務めたのは、豊富バイパス道路環境計画第二次検討委員会、高規格道路旭川・紋別自動車道(遠軽町丸瀬布~遠軽町豊里間)事業に係る環境技術検討委員会、高規格道路旭川・紋別自動車道(丸瀬布~遠軽間)環境影響評価技術検討委員会、一般国道三九号北見バイパス(北見市~端野町)事業に係る環境影響評価技術検討委員会、地域高規格道路旭川十勝道路(中富良野~富良野市間)事業に係る環境影響評価技術検討委員会、高規格幹線道路(共和~余市間)環境影響評価技術検討委員会がある。
 他に、北見道路整備における環境保全対策を考える懇談会、高規格幹線道路日高自動車道(厚賀~静内間)道路事業に係る環境影響評価技術検討委員会に選任されている。
 開発局本局の環境に係る情報協議会では「環境に関する有識者」として選任されている。
(1) 一人の人物がこれほど多岐にわたるテーマの委員を務めているのは右記閣議決定の趣旨に反するのではないか。反しないという場合はその根拠を示されたい。
(2) 一人の人物がこれほど多岐にわたるテーマの委員を兼任して、適切な高水準の専門的知見を得られると考えているのか。
(3) 辻井座長の専門領域は何なのか。また開発局がそれぞれ選任理由にあげた各分野についての辻井座長の顕著な業績を論文・著作名で具体的に示されたい。
(4) 多数の審議会等委員を兼任し、国土交通省と縁深い人物が開発局が主催する委員会等の委員として適切な判断ができるとする根拠を示されたい。
(5) 開発局は、各分野の第一人者ではなく事業推進に理解があることを理由として委員を多くの審議会等で兼務させているのではないか。

 ラムサール賞に辻井氏を推薦したのは彼を持ちあげたい立場の者に違いない。彼は環境省ラムサール条約湿地候補地検討会の座長だ。このことからも誰が辻井氏を推薦したのか推測がつくというものだ。こういう人物がこのような形で持ちあげられ、マスコミが手放しで賞賛することも嘆かわしい。

【関連記事】
国民を騙す「毒まんじゅう作戦」

国民を騙す「毒まんじゅう作戦」

 「行政に物言えぬ人々」という記事に「毒まんじゅう作戦」という記事からトラックバックがあった。とても興味深い記事なので、是非お読みいただけたらと思う。

毒まんじゅう作戦(へなちょこ自然保護)

 まず、この記事の冒頭で科学者が嘘をつく背景に国立大学の法人化があるということを指摘し、以下の記事をリンクしている。

大学の法人化(高知に自然史博物館を)

 「行政に物言えぬ人々」の中で私は「現在では大学の教員は自分の研究費を自分でとってこなければならない状況に置かれている」と書いたが、こうした背景にはまさしく大学の法人化がある。法人化によって国からの補助金が大幅に減らされてしまい、教員は研究費を自分でなんとかしなければならない状況に追い込まれているのだ。

 そのために、たとえば動植物関係の研究者であれば行政からの調査委託を受けることもあるし、場合によっては開発がらみの調査に関わることもあるだろう。原子力関係などでは企業からお金を出してもらうということにもなってくる。こうしてうまく研究費をとってきて論文を増やせば、業績として認められる。一石二鳥なのだ。しかし、どうしてもお金を出してくれるところの意に沿うような論文を書くことになる。それを嫌ってこのような関係を避けていたら、研究もままならない状況に置かれている。こうして研究者と行政・企業の癒着ができあがっていくのだ。

 また、このような状況になると応用分野での研究ばかりがもてはやされ、分類学などの基礎的学問が非常におろそかになってしまう。経済発展に直接役立たない生物の分類などにお金を出す企業や行政はないからだ。よって、基礎的研究がなかなか進まない。まったく嘆かわしい限りだ。

 真理を探究すべき科学や研究が、今や経済発展と利潤追求ばかりを目指す政府や業界に操られ、ねじ曲げられてしまっている。本当に真理を探究しようとする研究者は、金の亡者によって社会から排除されるのだ。

 「毒まんじゅう作戦」という記事に引用されている植草一秀氏の「日本破壊のTPPと国民生活破壊のTPRという記事は、扱っている内容こそ違うが、御用学者をつくりだす日本社会の恐るべきシステムが赤裸々に描かれており、一読の価値がある。

 この構造はもちろんあらゆる分野に及んでいる。こうやって研究者が嘘をつくようになり、マスコミがその嘘を広め、国民が騙されるのである。そのことは福島の原発事故で誰もが知ることになった。

 このようなシステムになっているが故に、残念ながら研究者の良心だけに期待していて何とかなる問題ではなさそうだ。

2012年7月 6日 (金)

文芸社にとうとう東京管理職ユニオンの支部が結成

 昨日、日本文学館(=文芸社)社員の西瓜谷南瓜(すいかやかぼちゃ)さんから「さぽろぐ」のコメント欄に以下のコメントがあった。

**********

お世話になっております。

本日、19時過ぎ(株)文芸社に対しまして
「東京管理職ユニオン文芸社支部」
結成通知を行いました。

http://www015.upp.so-net.ne.jp/office-o/index.html 

今後とも宜しくお願い申し上げます。

**********

 出版社に一方的に有利な高額自費出版商法を行っている文芸社に、なんと労働組合の支部ができたらしい。これまでは西瓜谷南瓜さんのみが東京管理職ユニオンに入って闘っていたのだが、支部ができたということは複数の社員が組合に入ったのだろう。

 そもそも悪質な商法を行っているような会社には組合などないのが普通だ。悪質商法をやっている会社は経営方針自体がガチガチの利潤追求であり、社員のことなど考えていない。経営陣に楯突いたら嫌がらせをされ、退職に追い込まれるのが常だ。会社のやり方が気に入らない社員はさっさと辞めてしまう。

 そんな中で、退職勧奨を迫られながらも抗議をして頑張っているのが西瓜谷南瓜さん。そしてとうとう文芸社支部までできてしまった。これは凄いことだし画期的なことだ。正直いって、文芸社の社員にこれほど骨のある人がいるとは思わなかった。

 内心では会社のやり方に不満をもっている社員はおそらく大勢いるだろう。内部から声を上げ改革を求めるのは本当に大変なことだと思うが、是非、組合員を増やして頑張ってもらいたい。

2012年7月 5日 (木)

電磁波地獄

 6月下旬から7月上旬にかけて東京に出かけた。北海道の僻地から大都会に出てくると、驚ろくことがいろいろある。

 今回はスマホの普及率に驚いた。たしか昨年の今頃に行ったときは、電車の中の人たちを観察していても携帯電話の人がそれなりにいたと思うのだが、今やたいていの人がスマホを手にしている。すごいスピードで携帯電話からスマホへと変わっている。

 若者にとっては携帯電話では物足りない時代になってきたのだろうし、スマホを使い慣れてしまうと止められないのだろう。しかし、年中ネットにつないでいる必要がどれほどあるのだろう? なぜ、そんなに簡単に買い替えてしまうのか・・・。携帯電話にしても使えなくなるまで使う主義の私には理解しがたい。

 それにしても気になるのが電磁波だ。スマホの場合は携帯電話よりさらに電磁波が強い。こういうものを年中持ち歩いているなら、私などは何よりも健康被害が気になるのだが、どれほどの人が電磁波の害のことを考えているのだろう。

 何年か前に北欧に行ったのだが、北欧では携帯電話を使用するときにイヤホンマイクを使っている人が多かった。電磁波の危険性に対してかなり意識が高いのだ。ところが日本ではイヤホンマイクを使っている人はほとんど見かけない。電磁波の害のことを知らないのだろうか。マスコミなどは電磁波の健康被害をほとんど伝えないが、健康のことより企業の利益のほうが優先される国なのだ。

 福島の事故で、日本という国が国民の健康など重視していないことがよく分かったはずだ。だから、個人個人が情報収集してできる自分の身を守る努力をしなければならないというのに、そんな様子は見られない。

 電車に乗っただけでスマホの電磁波地獄だ。これでは電磁波過敏症の人は公共交通機関も安心して利用できないだろう。もはや携帯電話の電波を浴びないでいられるような場所を探すのは困難だ。大変な国になったものだ。

 そして実家に行ってまたまた驚いてしまった。というのは、実家の庭のすぐ横に忽然と携帯電話のアンテナが建っていたからだ。実家のある場所は谷地形のために電波状況があまりよくないらしい。実家の近くにはすでにアンテナが一本建っていたのだが、さらに別会社のアンテナが建ったのだ。

 生活している場所の目と鼻の先に2本もの携帯電話のアンテナがあるのだ。これでは自宅にいても電磁波地獄だ。電子レンジや電磁調理器などは使わなければ電磁波を避けられるが、勝手に飛んでくる携帯電話の電磁波は避けることができない。いやはや大変な時代になってしまった。

 電磁波の被害は恐らくこれからどんどん顕在化してくるだろう。そして電磁波を出す機器をつくっているメーカーも、大企業を擁護する政府も、電磁波による健康被害を過小評価したり隠そうとするのだろう。原発事故の放射能汚染や放射能による健康被害を隠そうとするように。嘘と隠蔽で国民の健康をないがしろにするところが、ヨーロッパの国々などとは決定的に異なる。日本人はそのことを決して忘れてはならない。

2012年7月 3日 (火)

加森観光のサホロ岳北斜面スキー場予定地にはナキウサギが生息!

 東京に行っていたために報告が遅くなってしまったが、自然保護団体が6月24日にスキー場開発が予定されているサホロ岳の北斜面でナキウサギの調査を行った。

 この日、サホロ岳は朝から霧に包まれていた。私たちは登山ガイドブックに出ているスキー場側の登山コースから現場に向かうべくサホロスキー場の駐車場に集まっていたのだが、そこに加森観光の職員が通りかかり「登山届」を出して欲しいと言う。登山届を書きに行くと、自然保護団体であることを察知した職員が上司に電話をかけ、「天気が悪いので入山の許可を出せない。狩勝峠の登山道から登って欲しい」と訳のわからないことを言いはじめた。どう考えても嫌がらせだ。

 そんなわけで狩勝峠の登山コースから現場に向かった。目的地の北斜面の岩塊地はサホロ岳の山頂を越えて少し下ったところだ。私は北斜面の岩塊地に行ったのは初めてだったが、ゴンドラの山頂駅のすぐ近くである。岩塊地はチシマザサに覆われているのでスキーコースから直接見えないのだが、ササを踏みわけるとすぐのところに岩塊斜面が現れる。一目見ただけで、ナキウサギが生息していそうな雰囲気が漂っている。

 この岩塊地を手分けしてナキウサギの痕跡がないかを探したのだが、すぐにあちこちで痕跡が見つかった。噛み切った植物が岩穴に運ばれていたり、まとまって地面に置かれていたり。明らかに動物が噛みきったものだし、こんなことをする動物はナキウサギしかいない。

 下の写真は噛み切って穴に運ばれた植物。

P10308561


P10308612


 大きな岩の下には古い貯食があった。

P10308673


 下は噛み切られたナナカマド。

P10308714


 この岩塊地は、複数のつがいが生息できる規模だ。サホロ岳周辺の岩塊地では過去に市民グループの調査によってナキウサギの貯食やフンが確認されていたのだが、今回生息痕跡が確認された北斜面の岩塊地はこの地域のナキウサギのコア的生息地と言えそうだ。

 かつてサホロ岳一帯のリゾート開発が行われた際、北斜面の開発は中止されたのだが、当時の事業者(西洋環境開発)はおそらくナキウサギの生息地の破壊を懸念したのだろう。このために、1992年の北海道環境影響評価条例に基づく狩勝高原サホロリゾート開発事業の環境影響評価について、知事は事業者に「エゾナキウサギについては、事業予定地域周辺にその供給源となる生息地のある可能性があるため、今後も調査を実施するとともに、その生息地に影響を与えることのないよう努力すること。」という付帯意見をつけた。

 この知事の付帯意見の通り、北斜面のスキーコース予定地に「ナキウサギの供給源となる生息地」が存在していたのである。

 ところが事業者である加森観光は、この「北斜面ガレ場」の調査を2009年7月2日に、また「北斜面コース沿いガレ場」の調査を2009年11月5、6日に行っただけで、生息の痕跡がなかったと結論づけた。

 自然保護団体が数時間の調査で多数の痕跡を確認した場所で、調査会社(森林環境リアライズ)が何ら痕跡を確認できなかったというのは信じがたい。調査者の目がよほどの節穴だったのか。しかも、たった3回ほどの調査で生息を否定してしまうのもあまりにも杜撰だ。私には、事業者はナキウサギが生息していることを知りながら隠蔽したとしか思えないのである。なぜなら、加森観光の調査報告書では、文献に記載されているサホロ岳北斜面のナキウサギの生息事実を隠蔽していたからだ。この隠蔽については新聞記事にも書かれたので、北海道も知っていただろう。

 ところが、北海道環境推進課は加森観光の報告書をそのまま認めて開発許可を出してしまった。北海道の特定開発行為の許可手続きは、事業者が嘘の報告書を出しても何ら見抜けない「ザル手続き」なのである。

 また、サホロ岳の開発に関しては「北海道自然環境等保全条例」に基づいて北海道特定開発行為審査会が2011年に3回開催されているのだが、この審査会では知事の付帯意見もナキウサギ生息地のことも委員に知らされていなかった。

 つまり、知事による特定開発行為の許可は手続きに重大な瑕疵がある。このために自然保護団体は北海道知事に対し6月29日付けで特定肺発行為の許可を取り消し、開発中止を求める要望書を送付した。

 自然破壊を招く大きな開発行為に際し、こんな杜撰なことが行われているのが現実なのだ。知事の付帯意見を無視し、ナキウサギの生息事実を隠蔽した報告書に基づいて出された許可は、取り消されて然るべきだ。

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