« 2012年5月 | トップページ | 2012年7月 »

2012年6月

2012年6月26日 (火)

行政に物言えぬ人々

 今に始まったことではないのだが、行政のおかしなやり方に対して何も言わない研究者が多い。というか、行政に対して抗議をする研究者は極めて限られているというのが現実だろう。内心は「おかしい」と思っても「忙しいのだからそんなことに関わりたくない」という人もいるだろう。でも、それだけではなく行政と対立したくないがために沈黙している人も多いのではなかろうか。

 たとえば生物多様性保全。これは国の方針であるし、北海道も当然のことながら生物多様性保全を謳っている。国も道も生物多様性保全のために、希少種の調査や保護活動をしている。例えばシマフクロウの保護増殖活動は環境省が主体になり、専門家などの意見を聞きながら餌場の確保や巣箱の設置などを進めている。セイヨウオオマルハナバチやウチダザリガニなどの外来種についても、環境省が駆除などの活動を行っている。

 エゾシカによる希少植物の食害問題では、北海道が調査や対策を行っている。このように行政は専門家に協力を仰いで希少動植物の保全対策を行っている。

 ところが、生物多様性保全のための調査や対策を行っている行政が、しばしばこれと矛盾することを平気でやる。たとえば生物多様性を破壊するような事業の許認可である。このブログでも取り上げている、加森観光によるサホロスキー場拡張計画などもその典型だ。ナキウサギの生息地があるので許可しないよう自然保護団体が働きかけていたのにも関わらず、北海道環境推進課は開発許可を出してしまった。

 そして生物多様性を破壊する事業に対し、環境保全を担っている行政がストップをかけようとしないというのがこの国の実態だ。大規模な自然破壊である士幌高原道路も日高横断道路も大規模林道も、自然保護団体の粘り強い反対運動があったからこそ中止に持ち込まれたのであり、環境保全を謳っている行政が頑張って止めたわけではない。

 こんな状況であるがゆえ、保護の重要性を認識している研究者こそ声を大にして異を唱えるべきだ。生物多様性保全を謳っている行政にとって、研究者の指摘は簡単に無視できないからだ。ところが、行政と何らかの協力関係を持ってしまった研究者は、このような局面で行政にはっきりと物申すことが非常に少ない。少なくとも私はそのように感じている。

 現在では大学の教員は自分の研究費を自分でとってこなければならない状況に置かれている。研究費を獲得するためには、行政の意向を汲んだ研究をする方が都合がいい。また、行政からの調査委託なども正直って有難いに違いない。こうして行政と研究者が金銭を伴う協力関係を持ってしまうと、研究者は行政に対してあまり批判や抗議をしたくないという心情になるだろう。

 たとえ研究者にそういう意識がなくても、行政は研究者との関係を利用しようとする。研究者に調査を委託したり、検討会や審議会等の委員になってもらい自分たちの側に取り込むことで、批判されることを回避しようとするのだ。自然保護団体で活躍している者なども気をつけていないと「有識者」「アドバイザー」などという名目で委員として取り込まれかねない。行政との関係はとても難しい。

 行政との関係が深くなり、自分の利益のために行政の意向を汲んだ言動をとるようになると、完全な御用学者だ。御用学者とまではいかなくても、「批判をしない研究者」は行政にとっては有難い存在だろう。こうやって行政批判をしない「物言わぬ研究者」が増えていく。

 ところで、自然保護を謳っている団体の中には企業から寄付を受けているところもある。たとえば日本野鳥の会では、企業と地方公共団体向けに一口10万円の法人特別会員を設けている。要するに寄付を目的とした会員だ。ここには建設会社や電力会社も名前を連ねている。自然破壊に加担しているような企業や原発を推進してきた企業も、こんな形で自然保護団体に寄付をしているのだ。

 自然保護団体に寄付をする行為は企業のイメージアップに貢献する。しかし、企業はそのような目的だけで法人特別会員になっているのだろうか? 企業側にとっては「特別会員の批判は控えるだろう」という思惑が働いているのではなかろうか。あるいは、批判をされたら退会するということもあるだろう。

 このような大口寄付は野鳥の会の収入源として重要な役割を担っているだろう。「お金は出すが口は出さない」ということが徹底されており、法人特別会員が自然破壊に加担した場合は批判も正々堂々とできるならいいのだが、そのあたりはどうなのだろう?

 自然保護団体が企業から寄付をもらうという行為も、場合によっては前述した研究者と行政のようになりかねない。寄付をもらうのであれば、「会員企業の環境破壊行為に対しても手加減しない」、「退会されても構わない」といった毅然とした姿勢を貫いてもらいたい。

 お金というのは本当に人をコロリと変えさせる力がある。かつては果敢に自然保護運動に関わっていたのに、今ではコンサルタント会社の職員となり自然破壊に手を貸しているような人もいる。かつての理念はどこに行ってしまったのかと思うと嘆かわしい。こういう人たちを見ていると、つくづく人はお金に弱いと思う。

2012年6月22日 (金)

逞しく生きるイソコモリグモ

 17日から19日にかけて、道北にイソコモリグモの調査に出かけた。道北は一通り見ているのだが、気にかかっていた場所があり補足調査をしたのだ。

 その結果、前回は見つけられなかった場所で確認できたところが何カ所かあった。その中のひとつは稚内市の「こうほね沼」。

 「こうほね沼」のあるあたりは浸食によって海岸線が後退して沼に迫ってきており、沼への海水流入が懸念されている。このために沼の周辺は護岸されており、前回ここに来たときには一目見て生息不可と判断した。ところが、今回また護岸部分を歩いてみると、何とこの護岸の脇のわずかな砂地にイソコモリグモの巣穴があったのだ。これには驚いた。

 下の写真の中央の棒を立てたところに巣穴がある。右側が護岸で、沼は左側。

P10307821


 穴からはイソちゃんの顔が見えた。

P10307812


 上の写真からも分かるように、護岸を超えて流木が流れついている。波の高いときはここまで海水がくるのだ。

 下の写真も護岸の脇だ。中央に横たわる物体は遠くから見ると流木のようにしか見えないのだが、実は流木ではない。

P10307783


 実は、これはクジラの骨なのである。沼の南の砂浜でも、同じ個体と思われるクジラの骨があった。でも、多くの人はこれが何なのか気づかないのかもしれない。

P10307844


P10307865


 もう一カ所、驚くべきところに巣穴を見つけたのが、遠別川河口の「みなくるビーチ」という海水浴場だ。

 このあたりは海流の関係なのか、海岸にものすごい量の流木とゴミが流れ着くらしい。流木とゴミの山ではとても海水浴場にならない。このために重機でゴミ処理をし、砂浜をならしているのだが、なんとそこにもイソコモリの穴があった。棒が立っているところに巣穴がある。

P10308156


 こんな風に、イソちゃんはけっこう逞しい。この逞しさゆえに氷河期も、縄文海進のときも生き延びてきたのだろう。しかし、昨今の人間による開発と護岸工事には勝てず、生息地の分断化と縮小が続いている。

2012年6月21日 (木)

日本文学館がコンテスト商法で入賞者を捏造か?

 このところ文芸社の元社員「クンちゃん」のブログで、日本文学館のコンテスト商法にまつわる疑惑が取り沙汰されており、半信半疑で経過をウオッチしていた。

 この問題、簡潔に説明すると、文芸社の関連会社である日本文学館が行っているコンテストで架空の入賞者を公表し、賞金の支払いを免れていた、という疑惑である。詳細はクンちゃんブログのカテゴリー「日本文学館のコンテスト商法」をお読みいただきたい。

 真偽がはっきりするまで静観しようと思っていたが、日本文学館の社員であるハンドルネーム西瓜谷南瓜(すいかやかぼちゃ)氏が、日本文学館の賞罰委員会に審議を申し立てていることからも、ガセ情報ではなさそうだ。以下、参照。

日本文学館の嘘っぱちコンテスト、社内の賞罰委員会に審議申し立て! (クンちゃんのエディタールーム)

 これが事実であれば、とんでもない不正だ。日本文学館はあちこちでコンテストの作品を募集する広告を出している。インターネットでいろいろなサイトを見ていると、日本文学館の広告がしょっちゅう目に入ってくる。その広告に誘われてコンテストに応募する人もそれなりにいるだろう。

 で、日本文学館のホームページを見ると実にさまざまなコンテストが行われており、かつての新風舎のコンテスト商法を彷彿とさせる。こうした商法は「賞ビジネス」とも呼ばれて批判されていた。

 日本文学館の場合、「大賞」に選ばれると単行本として出版されるものもあるので、こういう賞の入賞者はさすがに架空ではないだろう。しかし、賞金だけの賞もあり、どうやらこれらの入賞者が捏造らしいのだ。

 新風舎は、応募者に「第○次審査に合格」などと知らせて応募者を舞い上がらせ、最終審査で「残念ながら選ばれなかった」と通知して共同出版(実質自費出版)に誘い込む手法をとっていたが、日本文学館は架空入賞者を並べることで応募者を惹きつける手法らしい。どちらも応募者に嘘をついていることに違いないが、架空の入賞者を公表する行為の方がより悪質ではなかろうか。

 架空入賞者と聞いて、警察の裏金づくりに用いられた架空の捜査協力者を思い出してしまった。警察の場合は裏金の捻出のために領収書を偽造していたのだが、日本文学館は応募者を騙すためだ。

 ところが、信じがたいことにこんな不正をしてもどうやら違法行為には当たらないらしい。日本文学館は、恐らくそれを分かってやっているのだろう。

 かつて尾崎浩一という自称ジャーナリストが、しきりに新風舎を批判していた。尾崎氏は「危ない!共同出版」という本で、賞ビジネスのことも取り上げて批判している。あれほど新風舎批判にご熱心だった尾崎氏だが、日本文学館のこの悪質な不正を追及する様子はない。それどころか尾崎氏の関わるリタイアメント情報センターの自費出版部会では、文芸社も日本文学館も「消費者保護のための自費出版営業・契約ガイドライン」の賛同事業者に入れているのだ。

 私は、あたかも新風舎を潰すことが目的であるかのように動いていた尾崎氏をかつてから批判していたが、この期に及んでも文芸社や日本文学館を批判しないのだから彼の化けの皮は完全に剥がれたといっても過言ではないだろう。

 それにしても自費出版社の賞に入選して無料での出版を果たした本で、ヒットしたものはどれ位あるのだろう? ほとんどないのではなかろうか。商業出版社なら「新人の書き手の発掘」を目的にコンテストを行うのは分からなくもないが、自費出版社の場合はお金をかけて新人発掘する必要性などないわけで、コンテストなど所詮「客寄せパンダ」でしかない。

 違法行為に当たらなければ嘘も平気でつくという会社には、倫理観のかけらも見いだせない。こういう会社の広告を平気で出しているメディアはどう思っているのだろうか? 本来ならマスコミこそがこういう不正を糾弾し広告掲載を断るべきだが、「違法行為でなければ問題にできない」と開き直るのだろうか。

2012年6月20日 (水)

無駄な道路の典型、道道688号名寄遠別線

 3日ほど道北に調査旅行に行っていたのだが、税金の無駄遣いとしか言いようのない道路工事が行われているのを発見してしまった。

 場所は、日本海側に面する遠別町。遠別川に沿ってつけられている道を奥へと進んでいくと、ゲートにぶつかって通行止めになっている。

P10308071


P10308082


 この道路はもともとは遠別川流域に住む人たちの生活道路なのだが、それを延長し、山地を突っ切って幌加内町の朱鞠内湖からの道につなげる工事をしているのだ。未開通となっている遠別町と幌加内町の両側から工事が行われていて、あとわずかで開通しそうなところまできている。Google Earthで見ると未開通部分は直線距離にして2kmほどのようだ。

 この道路、開通したところで交通量など知れていることは火を見るより明らかだ。もちろん開通しても冬は通行止めになるのだろう。ただでさえ交通量が少ない上に、一年の半分は使えない道だ。

 北海道には同じような道路があちこちにある。山の中を立派な舗装道路が走っているのだが、すれ違う車がほとんどなく閑散としているのだ。本州の人が見たら、山の中に使われない立派な道路があることに驚くに違いない。こういう道は、「必要だから」という理由ではなく「造ることが目的」で造られてきたに違いない。地元の人も、自分のお金で造るわけではないので、賛成はしても反対をすることはない。しかし、完成しても自分では滅多に使わないのだ。

 北海道は財政難だといいながら、こうした道路建設に多額の税金を投じてきた。一度走り出したら止まらない公共事業の典型だろう。ろくに使われない道でも、開通したら維持管理費がかかる。たとえ建設途中であってもきっぱりと止めることで、どれほど税金の無駄遣いと自然破壊を防げることか。

 士幌高原道路も日高横断道路も、大規模林道も建設途中で止まったではないか。高橋はるみ知事はなぜ「時のアセス」で無駄な道道工事の見直しを図らないのだろう。

2012年6月16日 (土)

サホロスキー場開発問題で言い訳に終始した北海道環境推進課

 北海道が、サホロスキー場の開発許可を6月5日に出したことは、「ナキウサギ生息地をスキー場にする加森観光の暴挙」に書いた。この許可を受け、14日に北海道自然保護連合、十勝自然保護協会、ナキウサギふぁんくらぶのメンバー5人が北海道庁に出向き、特定開発行為の許可を出した環境推進課の担当者(環境計画担当課長、環境推進課主幹、アセス担当主査、特定開発担当主査)と話し合いを行った。

 今回の面談での自然保護団体の主張は以下の二つ。

1.5月に自然保護団体の行った調査で、スキーコースを計画している北斜面に、このあたりのナキウサギの中核となる生息地があることが明らかになった。サホロ岳の生息地は大雪山系と日高山系のナキウサギ生息地を結ぶ重要な位置にあり、スキー場開発によって重大な影響が懸念される。このことを環境計画担当課長から上層部の責任者および知事に伝えてほしい。それができないのであれば直接合って話をしたいので手配をしてもらいたい。

2.知事がナキウサギの生息地を保全するよう付帯意見を出している。そこで「知事の付帯意見の扱いについて検証したい」としていくつか質問をした。

 今回、米安環境計画課長の話しから明らかになったのは以下の3点。

(1)我々が、情報開示によって入手した資料を検討したところ、環境推進課は平成22年1月から2月にかけ加森観光と何度か面談をしていたことが判明した。その面談において、環境推進課は加森観光に対し「平成4年の知事意見に対応した事業者の考え方及び既に講じた措置を報告書に記載し提出すること」と指導し、加森観光から報告書を受け取っていた。しかし米安課長は前回の我々との話し合いにおいて、「平成4年に事業者(西洋環境開発)に審査意見書(知事の意見)を発出し、手続きは終了している」と繰り返し、「平成22年に知事意見について事業者を指導した」という重要な事実を説明していなかった。これは隠蔽と言われても仕方ないだろう。

(2)平成22年に加森観光は地元住民に説明会を開いた際、十勝自然保護協会のメンバーが加森観光の報告書はナキウサギの生息地に関して虚偽があると指摘した。環境推進課はこの事実を知る機会がありながら、この虚偽記載について加森観光に何ら説明を求めなかった。

(3)「エゾナキウサギについては、事業予定地域周辺にその供給源となる生息地のある可能性があるため、今後も調査を実施するとともに、その生息地に影響を与えることのないよう努めること」という知事意見を満たしているかどうかについて、専門家に相談するなどして検討することなく、加森観光が提出した報告書をそのまま容認して特定開発行為の手続きを進めた。加森への指導は報告書の「文言の整理」であった。

 これらのことから、北海道は、加森観光の報告書に偽りがあったことを知っていながら、あるいは知る機会がありながら、それについて検証せず、加森観光の報告内容を吟味もせずに容認して特定開発行為の許可を出したのだ。事業者の報告に問題がないかどうかチェックするのが仕事なのに、チェック機能を果たしていないということが明らかになった。

 担当部署は違うが、加森観光のベア・マウンテンの許認可も信じがたいほど杜撰だった。周囲に張り巡らせた柵に、クマが容易に通りぬけできる大きな空隙があったのに、北海道は許可を出してしまったのだ。道職員がまともに審査していたら、これほどの大穴を見逃すはずがない。こうしたことからも、北海道の許認可がいかに杜撰であるかが分かる。  以下に今回の話し合いについて感想を述べておきたい。

 米安課長はこちらの質問に的確に答えようとせず、前回も説明したことを繰り返して独演会のごとくしゃべり続けた。長々としゃべることで貴重な面談時間を一人で食い潰したに等しい。しかも、約束面談時間の40分になった途端、ドアが開いて部屋を開ける時間だと催促された。時間ぴったりに通告に来るよう指示していたらしい。我々との話し合い時間をきっちりと決め、直後に同じ会議室を意図的に予約したとしか思えない。会議室を出てから入口で見ていたのだが、たかだか4人ほどが中に入っていったに過ぎない。会議の時間などいくらでも融通できるだろうに、まるで猿芝居だ。

 「今のアセスでは事業者による環境配慮が重視されている」「決められた規則通りにやっているだけ」「罰則規定はない」という言い訳は典型的な責任回避のお役人答弁で、希少な生物の生息地を守ろうという姿勢など微塵も感じられなかった。論点をずらして壊れたテープレコーダーのように延々としゃべり続ける課長を相手に、ようやく確認できたのが上記の3点。最後にはこちらの指摘に対して激昂する始末。

 私たちはさまざまな役所と話し合いを持っているが、こんな無礼な対応をされたことは初めてだ。まるで、自然保護団体にできるだけ話をさせず「時間切れ」に追い込む作戦であるかのようだった。本当のことを追及されるのが、よほど都合が悪いらしい。

【6月23日追記】
 この話し合いについては、以下の十勝自然保護協会のサイトも参照いただきたい。

知事意見を棚上げしサホロ岳スキー場の開発許可を出した北海道

2012年6月15日 (金)

高裁の橋本昌純裁判長の追及にたじたじの北海道側弁護士

 「えりもの森裁判」は昨年10月14日の不当判決を受けて控訴し、現在は高裁で審理が行われているのだが、これが意外な展開になってきている。

 高等裁判所の橋本昌純裁判長は、この裁判の主張の中でもっとも分かりやすい過剰伐採(「地ごしらえ」による伐採)における損害に焦点を当て、北海道に対して「損害がない」ことを立証せよと求めているのだ。

 北海道は受光伐(稚樹等の生育に必要な空間や光環境を確保するための上層木の伐採)として376本の立木を特定して販売した。また、それ以外に56本が伐採の際の支障木として販売された。ところが、これらの販売木以外に403本もの立木が伐採され、現場は「ほぼ皆伐状態」になってしまったのである。403本のうち材として価値が認められている直径6センチ以上の立木は327本あった。

 北海道はこの403本の伐採は植林をするための「地ごしらえ」により伐採したのであり、その結果として皆伐状態になったという不自然な主張をしている。

 伐採跡地は誰がどう見ても受光伐ではなくて皆伐だし、販売対象とはなっていなかった多数の木が「地ごしらえ」名目で伐られてしまったのは一目瞭然だろう。ところが、一審では不思議なことに、この過剰伐採による損害すら認められなかったのだ。いったいどういう思考をしたらそんな結論になるのか、頭を抱えてしまう判決だ。

 高裁の裁判長に「1本でも地ごしらえによる損害はなかったのか」と質された北海道は、破綻した釈明を始めた。財産的価値のある立木は受光伐と支障木処理の際に伐採され、その跡には財産的価値のない枯損木や著しく腐朽した木、かん木しか残っていなかった。これらを「地ごしらえ」によって伐採したので、財産的損害はない、というのだ。つまり327本はすべてが「枯損木、著しく腐朽した木、かん木」だったというあり得ない主張を始めたのだ。一審では一切主張していなかったことだ。

 そこで、控訴人らは、327本は北海道の主張するような「枯損木、著しい腐朽木、かん木」ではなく、財産的価値のある立木であることを現場で撮った写真で示したのだ。

 昨日14日の第三回の口頭弁論では、裁判長から「財産的価値ではなく後継樹としての価値がある木はゼロだったのか」、「植林した苗木は価値がないのか」と質され、道側の藤田美津夫弁護士が「植林した苗木は価値がある」と認めざるを得ない一幕もあった。また控訴人らが示した証拠写真については「場所が特定できない」など、たじたじとなっていた。

 北海道は「損害がなかった」とするために、矛盾した主張をせねばならなくなっている。控訴人らの主張をよく理解した橋本裁判長の鋭い指摘によって、化けの皮がどんどん剥がれてきたようだ。

 高裁の裁判長は、北海道が「損害がない」ことを立証できなければ、一審の判決を維持できないと考えているようだ。まっとうな判断を期待したい。

 次回期日は8月7日(火)13:10 札幌高等裁判所

2012年6月12日 (火)

被ばくについて信用できる情報を見分けるために

 インターネット上では福島の原発事故による被ばくについて「健康被害の心配はない」という人がいる一方で、「突然死などすでに様々な被害が出ている」という人までいる。天と地ほどの違いがある見解が飛び交っている。

 「健康被害の心配はない」という例は以下の毎日新聞の記事などがある。

記者の目:内部被ばく量のデータ=斗ケ沢秀俊 

 この記事で紹介している郡山の佐藤順一氏について調べてみると、どうやら毎時0.8マイクロシーベルトもある郡山も全然危険ではないなどと言っている。

放射能について学ぼう(福島の放射能問題と除染)

 上記サイトに書かれている佐藤氏の説明は、いわゆる安心情報を振りまいている御用学者となんら変わらない。しかもこの方は被ばくの専門家ではない。こんな無責任なことをよく断定的に言えるものだ。こういう話をする人は原発を推進してきた人にもてはやされるわけで、何らかのメリットのためにやっているとしか思えない。それを垂れ流しにする毎日新聞はいったいどういうつもりなのか。

 また、毎日新聞の記事では「コープふくしま」による食事検査のことを取り上げ「福島県民の平均被ばく量は子ども時代の私よりも少ないのだ。このレベルの被ばくで健康影響があるとしたら、日本ではがん死が増えているはずだが、年齢調整死亡率は増えていない。」としている。しかしこれを鵜呑みにしていいのだろうか? 以下の記事と読み比べるとそのおかしさがよく分かる。

事故前の190倍!~福島の食事1人1日4ベクレル(原発危機を考える)

 ここでは朝日新聞の記事をもとにその欺瞞性を検証しているのだが、朝日新聞も毎日新聞も基本的には同じ論調のようだ。大気圏内核実験のピーク時の食事に含まれていたセシウム量の中央値は2ベクレルであり(新聞記事の4ベクレルは最高値)、福島の原発事故後は中央値が過去の最高値と同程度というのが実態だ。事故前と比べたら191倍にもなるという。これまで日本人が経験したことのない被ばくをしているのに、健康被害がないなどと言うほうがおかしい。新聞記事は御用学者のまやかしの主張をそのまま取り入れているのである。科学リテラシーのある人なら、二つの記事を読み比べてどちらの主張がまっとうかの区別はつくだろう。

 南相馬在住の「ぬまゆ」さんのように、原発事故のあとで原因不明の深刻な体調不良を訴えている人もいる。ジャーナリストの岩上安身さんも体調不良を訴えていた。また、仙台在住で原発情報を発信しつづけている大沼安史さんも酷い鼻血が続いていたそうだ。これらの不調が被ばくに起因するものではないというのなら何だというのだろう? 被ばくの可能性があるという現実を受け止める必要がある。

〔仙台 花爺log〕「血祭り」継続(机の上の空 大沼安史の個人新聞)

 このような実態から考えたなら、まともな人であれば健康被害は生じないなどということを軽はずみに言うことなどとてもできないだろう。

 誰の意見が信用できるかの判断は、まず原子力ムラと関わりのない専門家であるかどうか、そして専門家であっても低線量被曝の実態を自分の目で見てきた人かどうかがポイントになると思う。専門家という肩書だけでは信用できない。そして佐藤順一氏のように御用学者と同じ主張をしている人も当然のことながら信用すべきではない。

 また、「健康被害の心配はない」などと断言している人も信用できない。危険性を警告している人はそう安易に断定的な発言はしない。チェルノブイリの原発事故では突然死もあったし、何年も経ってから次々と健康被害が出たのである。事故後一年ほどしか経っていない今の時点で、なぜ健康被害が出ないと言い切ることができるのか。これほど無責任な発言もない。わからないことを断言する人は信じてはいけない。

 そもそも日本人は被ばくについての危機感がなさすぎる。これは日本の検査漬けの医療の問題でもあるのだが、医療機関はとにかく検査漬けにすることでお金を儲けようとするのだ。検査でこれほど患者を平気で被ばくさせる国は日本くらいではなかろうか。以下の記事をぜひお読みいただきたい。幼児期のCTスキャンによる検査でも発がんのリスクが有意に増加するというのだから、被ばくはできる限り避けなければならない。

英医学誌『ランセット』論文;50ミリシーベルト程度の被ばくで小児の脳腫瘍や白血病が有意に増える(松崎道幸医師コメント) (Peace Philosophy Centre)

 以下の山田真医師の講演でも、日本人が放射能に無警戒であることを指摘している。

第8回定期総会講演「福島を切り捨ててはならない」山田真(小児科医) (救援連絡センター)

 山田医師は「今、低線量被曝について語ることができるのは、肥田舜太郎さん、矢ヶ崎克馬さんといったお医者さんたちだが、この人たちは被曝者の訴訟に関わってきた人。そういう人たちしか低線量被曝した人たちに寄り添ってこなかった。ほかの人たちは、多くの専門家たちは低線量被曝、内部被曝はない、ということにしてきた」と語っている。

 低線量被ばくの被害者を実際に見てきた肥田舜太郎さん、矢ヶ崎克馬さん、あるいはベラルーシでセシウムによる人体への影響について研究したバンダジェフスキー氏の見解こそ耳を傾けるべきだろう。

 矢ヶ崎克馬さんの話しにしても、山田医師の講演にしても、バンダジェフスキー氏の研究にしても、実際に被害者に接している人の説明は具体的で説得力があり重みがある。それに比べ、御用学者や御用学者の受け売りをしている人の説明は薄っぺらで欺瞞に満ちており、実体験から会得したものではないことは明瞭だ。

 原発には反対だといいながら、被ばくに関してはICRPや御用学者の主張を支持し安心情報をばら撒いている人がいる。こういう人たちに騙されてはいけない。

【関連記事】
基準値以下の食品なら安全なのか?

2012年6月 9日 (土)

ナキウサギ生息地をスキー場にする加森観光の暴挙

 7日の十勝毎日新聞に「道『北斜面』を許可 加森観光サホロスキー場の増設 13年冬開業へ」という記事が掲載された。加森観光がサホロスキー場の北斜面にスキーコースを増設する計画をめぐり、自然保護団体が中止を求めていたことはこのブログでも何回か書いてきた。

 スキー場開発に関しては土地所有者である林野庁の使用許可と、北海道自然環境等保全条例に基づく特定開発行為の許可が必要なのだが、自然保護団体の反対によりこれらの許可が下りていなかった。ところが、林野庁が5月30日付けで許可を出し、それを受けて北海道も6月5日で開発許可を出したのである。このために加森観光は7月にも伐採を開始する予定だという。

 このサホロスキー場開発で最も問題にされているのは、ナキウサギ生息地の保全だ。この5月には十勝自然保護協会やナキウサギふぁんくらぶ、サホロリゾート開発問題協議会のメンバーらが現地調査を行ったのだが、開発予定地にはナキウサギの生息できる立派な岩塊地が存在する。サホロ岳一帯には数カ所の岩塊地があり、過去にはナキウサギのフンも発見されている。このスキー場予定地の立派な岩塊地は、サホロ岳一帯のナキウサギ生息地のコア的存在であり、極めて重要な場所と考えられる。

 ところが、加森観光から自然環境の調査の委託を受けた森林環境リアライズは、この岩塊地でのナキウサギ調査をわずか1回(1日)しか行わず、報告書では「生息していない」と結論づけてしまった。

 私は「えりも」の大規模林道予定地や、新得町のラリーコースでのナキウサギ調査に何度も参加しているが、ナキウサギが生息しているか否かは1回の調査で結論づけられるものではない。何度も現地に足を運び、貯食や食痕、フンなどを根気よく探さねばならない。食痕は見つかっても一度も鳴き声を聞いたことのない生息地はたくさんあるし、わずかな食痕しか見つけられなかったが何度か通ってようやく鳴き声を聞いた場所もある。

 調査を請け負ったコンサルタント会社が、受注者の意向を汲んだ結論を出すというのはこの業界の常識だ。ここのナキウサギ調査も、「生息していないことにしよう」という結論が先にあったとしか思えない。そうでなければ1回の調査だけで「生息していない」と結論づけることなどとてもできない。

 ここから見えてくるのは、加森観光という企業の自然保護に対する姿勢だ。加森観光がサホロスキー場の経営を手掛ける前にも北斜面のスキー場開発の構想があったのだが、それは中止に追い込まれたという経緯がある。その頃より生物多様性保全の意識はずっと高まっている今、加森観光は希少動物の生息地の開発を平然と行おうとしている。

 さらに情けないのは北海道だ。北海道も生物多様性保全を謳い、希少な動植物の保全に取り組む立場にある。

北海道生物多様性保全計画 

 サホロ岳のナキウサギの問題に関しては、自然保護団体が北海道に許可をしないように要請していたのだが、自然保護団体の指摘など無視同然だ。いくら立派なことを謳っていても、希少動物の生息地を破壊する開発行為を規制できないのなら、生物多様性保全計画など絵に描いた餅にすぎない。こうしたことは環境省もまったく変わらない。

 もう一つ、指摘しておかねばならないことがある。冒頭で7日の十勝毎日新聞がこのニュースを報じたと書いたが、北海道新聞は8日および9日の「帯広・とかち版」で報じた。十勝毎日新聞より1日遅いのである。

 さらに十勝毎日新聞の記事では、自然保護団体について以下のように書いている。

開発をめぐってはこれまでに、町民は自然保護団体などを交えて説明会を開催。一部に国有林の伐採に慎重な意見もあった。

 これに対し、北海道新聞(9日の記事)では、以下のようになっている。

一方、開発計画をめぐっては、道内の自然保護団体が計画区域内にあるナキウサギ生息地に適した岩塊堆積地や天然林の重要性を指摘し、開発中止を求めてきた。

 十勝毎日新聞は、自然保護団体が明確に反対していた事実を曖昧にし、許可を歓迎するかのような論調だ。士幌高原道路の反対運動の際も同じ傾向があったのだが、十勝毎日新聞は私に言わせれば「御用新聞」だ。

 その御用新聞の方が北海道新聞より1日早く記事を書いたということは、御用新聞だけにリークし、北海道新聞が十勝毎日新聞の記事を見て後追い記事を書いたということだ。

2012年6月 6日 (水)

基準値以下の食品なら安全なのか?

 昨年の食品の暫定基準値は恐るべきものだったが、今年の4月から導入された新たな基準値はどうなのだろうか? 一般食品が500Bq/kgから100Bq/kgとなり、かなり厳しくなったように感じられるものの「基準値以下だから安全」などということはないのではないかと思っていたら、この問題について詳細な検討をしている方がいた。染された食品を食べ続けることの危険性について考えるために参考になる。

セシウム137の体内放射能(1) (膵臓がんサバイバーへの挑戦)

セシウム137の体内放射能(2) (膵臓がんサバイバーへの挑戦)

 ここでの仮定がほぼ正しいとしたなら、1日あたり10Bq/kgのセシウム(食品の汚染度にすると6.25Bq/kg)を摂り続けることはかなり危険だということになる。また、一日の食事に含まれていた放射性セシウムについて朝日新聞と京都大学が共同で調査した結果によると、関東と福島の42家族中3家族(7%)が10Bq/kgを超えたという。調査している家族数が少ないので、この7%という値がどれほど実態を反映しているかは分からないが、決して楽観視できる状況ではないと思う。

 とりわけ初期に多くのセシウムを取り込んでしまった人は、できる限り食品からのセシウムの摂取を減らす努力をしたほうがよさそうだ。

 この記事で危険としている10Bq/kgという1日のセシウム摂取量が妥当な数値なのか過大なのか、私には明確な判断がつかない。しかし、たとえ過大であったとしても、現在の日本の基準値が安全だということにはならないだろう。

 食品からの内部被ばくのリスクを減らすためには、できる限り汚染が低い地域で栽培された農作物を選ぶしかない。

 私は、原発事故から約1カ月後の2011年4月15日に「耕作放棄地の活用を」という記事を書き、あまり放射能汚染されていない地域の耕作放棄地の復活を急ぐべきだと主張してきた。矢ヶ崎克馬さんも同様の主張をされている。ところが、1年経ったいまでも耕作放棄地を農地に戻すという取り組みは進んでいるように思えない。

 昨年は福島をはじめとした汚染地域で農作物が作られ、全国に流通されてしまった。暫定基準値を超えた一部の農作物は出荷が停止になったとはいえ、検査をすり抜けて出荷された汚染作物もそれなりにあったのではなかろうか。

 ツイッターなどでは産地偽装の話もかなり飛び交っていた。政府が、汚染がひどい地域での農業を禁止し農家を補償するという政策をとらない以上、汚染作物が出回るのは当然だし、産地偽装もなくならないだろう。汚染農地での農業は今年も続いている。小出裕章さんは、原発を認めてきた私たち国民は年齢に応じて汚染された作物を食べるべきだと主張しているが、それ以前に耕作放棄地の活用を図り危険性の少ない食べ物を確保するべきだ。

 農家の人たちが故郷で農業を続けたいという気持ちは分かるが、その気持ちにつけこんでだらだらと汚染地で農作物を作らせるべきではないだろう。汚染作物で日本人すべてを被ばくさせ、高汚染地域の健康被害を目立たなくさせるつもりなのだろうか?

【6月10日追記】

 この記事を書いたあと、以下の記事が掲載された。被ばくによる健康被害を癌に限っている人がいるが、バンダジェフスキーの研究からそれは明らかに間違いだろう。セシウムが心筋などに蓄積することの危険性を考えなければならない。

セシウム137の体内放射能(3) 

セシウム137の体内放射能(4) 

 (4)の記事にまとめが掲載されている。重要なことなので、この部分を以下に引用しておきたい。

・内部被曝をシーベルトで表して「100Bq/kg以下だから安心です」との報道、政府の発表を鵜呑みにしてはならない。ICRPは「がん死」のリスクしか考えていない。
・新基準値 100Bq/kgは突然死を招きかねない汚染度である。(原子炉等規制法では、この物質はドラム缶に入れて厳重管理する汚染度である)
・流通している食品には検査をすり抜けたものがあると覚悟すべきである。
・食品は、10Bq/kg以下の物を選ぶようにする。
・特に妊婦と18歳以下の子供にはND若しくは未検出の物を食べさせるべきである。
・NDと表示されているときでも、検出限界値を確認する。
・福島を応援するために福島産を食べる行為は、命がけだと覚悟のうえで行え。

2012年6月 4日 (月)

生物多様性に富む農高カシワ林の自然

 2日は帯広農業高等学校の東側にあるカシワ林で観察会があった。講師はここを研究のフィールドとしている帯広畜産大学の紺野教授。

 ちょうど木々の葉が芽吹いて間もない新緑のきれいな季節で、林床にはスズランが咲いている。もう少し葉が茂ったらもっと暗い森になるのだろうが、今はほどよく明るく気持ちがいい。私はこのカシワ林の中に入ったのは初めてなのだが、大径木のカシワが多い。面積は12haほどでさほど大きな森林ではないが、中に入ると人里離れた自然の中にすっぽりと入りこんでしまった感じで、とても帯広の市街地の近くとは思えない。

P10306551

 カシワ林といってもカシワしかないわけではない。ミズナラ、ヤチダモ、ハリギリ、イタヤカエデ、エゾヤマザクラ、アズキナシ等々、さまざまな樹が混じっており樹種はかなり多いようだ。

 帯広近郊のカシワ林の調査をしている紺野教授によると、①胸高直径40~50センチほどの大きなカシワが多い、②あまり人手が加わっていない、③カシワ林と湿生林がセットになっている、ことがここのカシワ林の特徴だという。

 十勝にはカシワ林が何カ所か残されているが、太い木が多いところは珍しいという。若齢のカシワ林の場合は大きな木に若木が負けてしまうため若木が枯れるが、ここのような老齢林の場合は老齢木から枯れていく。たしかに見事なカシワが多く、枯死したり、風で折れた大径木も見受けられる。

 「親木の下に子どもは育たない」とよく言われるように、ここのカシワ林でも若い木は非常に少ない。芽生えて間もない稚樹はそれなりにあるが、大きくなる前にそのほとんどが枯れてしまう。親木の陰になり光環境が悪いことと、親木につく害虫や病原菌に幼木は負けてしまうことがその理由だという。大量のドングリを実らせても、後継木として生き残れるものはごく限られる。

 東の端は段丘になっており、段丘から水が湧き出して湿地となっている。この段丘下はヤチダモなどを主体とした湿生林だ。水辺にはエンコウソウが群落をつくっている。カシワ林と湿生林の組み合わせによって、生物多様性に富む環境となっている。

P10306562

P10306583

 この湿生林の中には小さな流れがあり、ここでナミハガケジグモを見つけた。このクモは北海道と東北の北部に生息するのだが、小さな川などの水辺に生息しているクモで、市街化の進んだ帯広市では生息している場所は限られているのではかろうか。

P10306674

 「カシワ林保護のために価値観の転換を」にも書いたが、カシワ林の北にある学園通りの拡幅のため、カシワ林の一部を伐る計画がある。しかし、紺野教授は希少なカシワ林を伐るのは反対であるとの意見だ。やはり僅かに残された希少な自然には手をつけるべきではないだろう。ここは北海道の「環境緑地保護地区」に指定されているのだが、保護区を保護できないのなら何のために保護区に指定するのか分からない。

 伐ってしまえば、決して元には戻せない。安易に「伐る」という選択をするのではなく「守る」ことに知恵を絞るべきだろう。

【6月23日追記】
 この問題で、十勝自然保護協会と地球環境を守る十勝連絡会が帯広市に対して3車線化の提案をした。この案ではカシワ林を伐らず、道路も曲げずに渋滞を緩和することができる。以下を参照いただきたい。

学園通りの拡幅問題で帯広市に3車線化を提案

2012年6月 1日 (金)

騙した者の責任こそ明確にすべき

 以前にも何度か書いたが、私は自分の利益のために人を騙す人が何よりも嫌いだ。さまざまな悪質商法然り、原子力ムラをはじめとした利権構造然り。

 今回の福島第一原発の事故は、まさにそうした「自分の利益のために人を騙す」ことが幾重にも重なった結果だ。原子力発電を進めてきた人たちは地震大国日本における原発稼働がいかに危険なものなのかを知っていた。しかし、国民にはタレントや文化人などを利用して「日本の原発は安全」という安全神話を振りまいた。さらに「クリーンエネルギー」だ、「温暖化対策」だと言っては原発をどんどん増やしていった。

 一方で、過酷事故を意図的に想定しようとせず、安全対策を怠った。実際に苛酷事故が起きればSPEEDIの情報を隠蔽し、何も分からない住民を被ばくさせた。事故に関する国民への説明も嘘と隠蔽ばかり。原子力ムラの人々が自分たちの利益のためにこうした騙しや欺きを続けてきたのだ。今さらながらこの無責任体質に怒りがおさまらない。

 お金に目がくらんだ人たちの無責任極まりない「嘘」や「隠蔽」が取り返しのつかない大事故を起こし、深刻な放射能汚染を引き起こし、多くの人を被ばくさせ、世界中を汚染させた。福島第一原発は今も収束のめどすら立たず、危険な状態が続いている。騙したものの責任は限りなく重い。

 それは以下の烏賀陽さんの記事を読めば歴然だ。

福島第一原発事故を予見していた電力会社技術者 無視され、死蔵された「原子力防災」の知見(JBPRESS)

 この記事に登場する松野元さんは、かつて四国電力に勤務しており、全国の原発事故の対策システムを設計運用する責任者だったそうだ。その松野さんは、原子力発電所の防災についての教科書ともいえる本を書いていた。つまり、日本でも原発事故の対処の教科書が存在していたのだ。

 松野さんは「率直に言って、たとえSPEEDIが作動していなくても、私なら事故の規模を5秒で予測して、避難の警告を出せると思います。『過酷事故』の定義には『全電源喪失事故』が含まれているのですから、プラントが停電になって情報が途絶する事態は当然想定されています」という。日本の原発でも過酷事故を想定していたし、もし事故が起こったならそのときの対応は明確に分かっていたという。福島の事故ではそれが全く活かせなかったのである。

 全電源喪失という事態が分かった時点で、即座に安定ヨウ素剤を飲ませ、速やかに住民を避難させなければならなかったのに、それができなかったのはなぜなのか? 松野さんは「何とか廃炉を避けたいと思ったのでしょう。原子炉を助けようとして、住民のことを忘れていた。太平洋戦争末期に軍部が『戦果を挙げてから幸福しよう』とずるずる戦争を長引かせて国民を犠牲にしたのと似ています」という。過酷事故を目の当たりにしながら、廃炉を避けたいという思考になってしまうのだから、お金のことで頭がいっぱいだったに違いない。

 今回の事故ではっきりしたのは、格納容器が壊れるような事故はもちろん想定できたのに、実際には想定することを避けてきたという腰を抜かすほどの無責任さだ。すべてが「はじめに原発ありき」で進められてきたということだ。原子力ムラの連中は、さまざまな手段をつかって「日本の原発は安全」だと言って国民を騙し、欺き、見下し、反対運動を潰し、嘘と詭弁を繰り返してきたのだ。

 小出裕章さんが「騙されたあなたにも責任がある 脱原発の真実」という本を書かれている。私にはこのタイトルがどうしてもしっくりこない。騙された国民にまったく責任がないとは思わないし、今こそ騙された者たちが原発の真実を知って原発を止めなければならないと思う。が、こんなタイトルにしてしまうとなんだか騙したものの責任がとても軽く感じられてしまうのだ。

 「真実を知らされず、騙されて被ばくを余儀なくされた者の責任」と「自分の利益のために嘘をつき続けて国民を被ばくさせた者の責任」ではその重みが全く違う。たとえ「騙された者」に「原発の真実を知ろうと努力しなかった」という怠惰な側面があったとしても、自分の利益に目がくらんで騙されたわけではない。それに、情報が溢れ、生活に追われている中で、何から何まで自分で真実を探求し、おかしいと思うことに異議を唱え続けることは並大抵のことではない。

 マスコミも原発の危険性などほとんど報じてこなかった。マスコミに所属していないフリーのジャーナリストですら原発問題に取り組んできた人はわずかであり、原発に大きな疑問を抱いていなかった人も少なくないだろう。まして一般の市民に対し「真実を知ろうとしなかった」とどれほど責めることができるだろうか?

 それに対し、騙していた者たちは自分たちの嘘や隠蔽によってとんでもない大惨事が起きることが分かりきっていた。それでも嘘を言って、あるいは真実を隠して原発を推進してきた。大勢の人々の命より、自分の利益の方が大事なのだ。この人たちとて被ばくで苦しむ人たちの姿を想像することくらいできるだろうに、自分の利益のためには他人の命を平気で切り捨てられるのだ。その感覚が私には理解しがたい。そう思うと、騙された者の責任とはどれほどのものか、と考えこんでしまう。

 「騙された者にも責任がある」という主張は、時として詐欺師の責任を曖昧にしてしまう。泥棒をしてはならないことは子どもでもわかる。人を騙してはならないことも同じだ。ところが、この国の政治を牛耳っている人たちは「人を騙してはいけない」「欺いてはいけない」という当たり前のことが全くできない。彼らにとっては国民を騙すことが当たり前であり、騙すことに慣れ切っているのだ。騙しが隠しバレてしまうと、こんどは嘘と隠蔽で誤魔化そうとする。この倫理観のなさには辟易としてくる。先進国の中で、これほど倫理観のない国もないのではなかろうか。

 いまもっとも明確にしなければならないのは、原発を推進してきた人たち、そして今でも嘘と隠蔽を続けている人たちの責任だ。しかし、政治を牛耳っている人たちが原子力ムラの詐欺師なのだからやっかいなことこの上ない。彼らはどこまでも国民を騙し、責任逃れをしようとするだろう。騙された者たちは、それに立ち向かっていかねばならないのだ。「騙された者も悪い」などと言っていたら、さらに詐欺師に騙され利用されかねない。

 そして、この国はなぜこれほどまでの詐欺大国になってしまったかを考えることで、騙されていた国民の責任と今後とるべき道も見えてくるのだろうと思う。

« 2012年5月 | トップページ | 2012年7月 »

フォト

twitter

2017年9月
          1 2
3 4 5 6 7 8 9
10 11 12 13 14 15 16
17 18 19 20 21 22 23
24 25 26 27 28 29 30

最近のトラックバック

無料ブログはココログ