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2012年5月16日 (水)

変わりゆく石狩川河口の海岸線

 石狩川の河口部は左岸に砂嘴が伸びており、川が北東に大きく蛇行して石狩湾へと注いでいる。そして左岸の砂嘴の先端から1.5キロメートルほどのところに石狩燈台がある。はじめて石狩燈台を見たとき「なんでこんな中途半端なところに燈台をつくったのだろう?」という思いが頭をよぎったのだが、先日その理由が分かった。

 石狩燈台は明治25年に建てられたのだが、その時は燈台のすぐ先が石狩川の河口だったのだ。燈台が建てられてから砂嘴がどんどん延び、河口は燈台からどんどん遠ざかってしまったのである。昭和40年代になって砂嘴の伸長が止まったという。

 燈台ができてから僅か70年ほどの間に砂嘴が1.5キロメートルも延びたことになる。そこが今は海浜植物の生育地として知られる「はまなすの丘公園」になっているのである。この砂嘴にはイソスミレなどの希少な植物が生育しているほか、イソコモリグモも生息している。今はちょうどイソスミレの開花期だ。

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 河口の左岸には聚富(しっぷ)地区と呼ばれるところがある。明治時代には聚富地区は海岸線のすぐ近くにあった。明治29年発行の国土地理院の地形図と昭和22年発行の地形図を比べると、昭和22年には海岸善が100メートルほど前進している。そして、昭和40年代にはさらに400メートル海岸線が前進したという。

 明治時代の半ばから大量の砂が河口に運搬され、左岸に長さ1.5キロメートル、幅数百メートルもの砂嘴をつくるとともに、右岸にも大量の土砂を堆積させたのだ。広大な砂嘴と、広々とした聚富海岸の砂浜を目の当たりにすると、堆積した土砂の量と速度に目を見張る。

 下の写真は聚富地区の番屋だ。手前が内陸側で、海に向かって撮影したものだ。以前はこの番屋のすぐ前が海だったそうだが、今はご覧の通り海岸線ははるか彼方になっている。

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 聚富地区の海岸には広大な砂浜が広がり、ハマニンニクやハマヒルガオがまばらに生える砂地はイソコモリグモの好適な生息地となっている。イソコモリグモの生息地は明治時代に比べたらはるかに広くなったのだろう。

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 もっともかつては石狩浜の全域にイソコモリグモの生息地が広がっていたと推測されるのだが、今は石狩湾新港の南西では確認されていない。開発行為と海岸浸食により生息地の半分以上が消失してしまった。

 海岸線は砂の堆積と浸食のバランスによって変動するのだが、石狩川河口の場合、河川によって大量の土砂が運ばれてきたために砂嘴が延び、聚富地区では海岸線が前進したのだろう。その大量の土砂は森林伐採による土砂の流出の増大と河道の直線化が関係していると思われる。明治時代には石狩川流域で大量の伐採が行われ、木材は筏を組んで流送していた。乱伐によって山から大量の土砂が流出しただろうことは想像に難くない。山に鬱蒼と茂る元手がタダの森林は「お金の山」に見えたに違いない。自然破壊がもたらす弊害など何も考えなかったのだろう。石狩川河口の砂嘴は金の亡者の欲の結果と言えるかもしれない。

 現在は砂嘴の先端部は浸食が進んでいるそうだ。ダムにより土砂の供給が減ったことが関係しているのだろう。人間の営みが海岸の形状すら大きく変えてしまうことを物語っている。それと同時に、海浜を生息地とする動植物も影響を受けることになる。

 石狩海岸には風力発電の計画があるが、残された砂丘の生態系をこれ以上壊すようなことはすべきではない。

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