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2012年4月 3日 (火)

ぜひ読んで欲しい福島大学の被ばくに関する副読本

 「さつき」さんのブログで、福島大学が「放射線と被ばくの問題を考えるための副読本」を作ったことを知った。以下である。

https://www.ad.ipc.fukushima-u.ac.jp/~a067/FGF/FukushimaUniv_RadiationText_PDF.pdf 

 監修をしている福島大学放射線副読本研究会は教員有志の組織とのことだが、福島大学の副読本は福島県立医科副学長の山下俊一氏とまっこうから対峙する内容だ。

 「さつき」さんも取り上げているのだが、この副読本の解説は的を射ており、御用学者らの安全・安心発言の危うさを的確に指摘している。

 とりわけ、「放射線は正しく怖がることが大切です」という主張に対する説明は非常に納得がいくものだ。以下に引用するが、結論は「正しい怖がり方」というものは論理的に成立しないというものだ。

■放射線は、正しく怖がることが大切です  
→このような表現には、多くの場合、「怖がりすぎるのは間違っている。心配するな」という見解が含意されています。
 ここでは、放射線の怖がり方に「正しい」ものがあるかどうかを考えましょう。7~8ページで見たように、高線量被ばくによる確定的な健康被害はとても恐ろしいものです。高線量被ばくのように危険性が分かっているものを「怖い」と思うのは「正しい」として差し支えないでしょう。
 一方、低線量被ばくについては、その影響は解明されていません。専門家でも、安全と考える立場から、小さくてもリスクはあるとする立場まで捉え方に幅があり、「正解」は出ていません。解明されていない以上、「正しい」怖がり方というのは論理的に成立しません。例えば、穴の深さが分かっていない「落とし穴」がある場合、10cmと考え安心する人や、10mと考えて心配する人など、誰の怖がり方が正しいかは判定できないのと同様です。つまり、「怖がりすぎ」を「間違い」と断定できる根拠はありません。

 非常にわかりやすい説明だ。もう一言付け加えるならば、チェルノブイリの事故によって低線量被ばくが深刻な健康被害を生じさせたとしているバンダジェフスキーの研究なども紹介してほしかった。

 もう一つ、放射能を気にするストレスのほうが問題だという意見だ。これは御用学者がよく主張していることだ。この副読本では以下のように解説している。

■放射能のことを心配し過ぎる方が、健康によくない
→文部科学省が2011年に公表した「放射能を正しく理解するために~教育現場の皆様へ~」などで、同様のことが述べられています。確かに、人間の精神的な状態は身体的な健康状態とも関連しますが、ここでは、「このような見解が、原発事故の加害者と被害者、どちら側に建つことになるか」という点について考えましょう。被害者のことを慮っての発言のように見えますが、本当にそうでしょうか。
 このような見解は、放射線の被ばくによる健康影響の原因を、被ばくした人の心の不安、つまり「被害者側」に帰着させます。そこには、「加害者の責任を見えにくくし、被害者へ転嫁する」という、倫理的な問題があります。例えば、次のような状況を考えてみましょう。あなたが傷害事件の被害者になってしまったとします。障害の程度は軽微で、「直ちに健康に影響が出るレベルではない」ものでしたが、再び同じような事件に遭うかもしれないことを不安に思っています。そのとき、友人が、「傷害事件を心配し過ぎる方が健康によくない。日本では、がんなどで死亡する人の方が多いんだから、自分の健康管理の方をしっかりすべきだ」とアドバイスしたとします。あなたはその友人のことをどのように思うでしょうか。
 誰が不安の原因を作りだしたのか、誰が責任を負うべきなのか、その最も重要なことを忘れて発言することがあれば、その言葉は被害者をさらに傷つけ、逆に加害者を助けることになりかねません。本当に被害者のことを想うのであれば、行うべき言動は、「あなたが被害者として不安を抱くのは当然のことです。加害者の行為を防ぎ、責任をとらせる対策を出来るだけやろう」と声をかけることではないでしょうか。

 これに付け加えるなら、心配をせず内部被ばくを避ける注意を怠ることで被害がより深刻化することを忘れてはならないだろう。

 がんによる死亡率についても、たいしたことはないという意見をよく聞くが、これについては以下。

■年間100mSvの放射線被ばくによるがん死亡者の増加割合は0.5%だから、たいしたことない
→0.5%は確率でいうと1000分の5です。福島第一原発の事故後に引き上げられた年間20mSvの被ばくの場合は、8ページで述べた閾値なし線形モデルで考えると1000分の1程度です。この確率の意味を考えましょう。
 福島県の人口約200万人で単純に考えれば、1000分の1は2000人に相当します。このような千人規模の命を奪うかもしれない確率を「たいしたことない」と言えるでしょうか。また、今回の大地震と津波は1000年に一度の規模とされています。その1000分の1の確率を想定の外において対策を行わずに事故を招いた人々に、1000分の1を軽視するようにアドバイスされるいわれはないでしょう。
 そもそも、確率が高かろうが低かろうが、実際に被ばくしている人に対して「許容せよ」と強要できるような倫理は成立するか、正義に敵っているか、そこから議論する必要があります。

 低線量被ばくでは発がん率のことがよく取り上げられるが、バンダジェフスキー博士が指摘しているように、放射性セシウムは心臓血管系の病気や免疫力の低下をもたらすという点も指摘してほしかった。がんが発症する前に、他の病気で亡くなる人も多いのだから、がんの確率だけを取り上げるのは不適切だ。

 リスク論もよく聞かれるが、これは以下のように説明している。

■放射線よりもタバコや自動車の交通事故の方が危険だ
→新副読本の教師用資料には、放射線の被ばくによるリスクと、他の日常的なリスク要因(喫煙、飲酒、肥満など)について、比較した表が掲載されています。これによると、例えば年間100~200mSvの放射線被ばくによってがんになるリスクは1.08倍で、それよりも喫煙や肥満などの方が高うなっています。がんになるリスクで見た場合は、日常低なリスク要因の方が高いと言えます。
 しかし、ここで考えるべきは、放射線被ばくと日常的なリスク要因を同列に扱うことが、果たして妥当かどうかです。ここでは少なくとも3つの論点が考えられます。1点目は、そのリスクを個人で管理できるかどうか、2点目は、そのリスクに伴う便益(ベネフィット)があるかどうか、3点目は、リスクの代替が妥当かどうかです。
 1点目について、喫煙や飲食、交通事故による死を避けるには、禁煙することや食生活に気をつけること、自動車に乗らないとことといった、個人での対応が可能です。しかし、放射線に汚染された地域では、その被ばくを完全に避けることは極めて困難です。つまり、リスクの制御可能性に大きな違いがあります。
 2点目について、喫煙や飲食、自動車の利用、あるいはレントゲンやCTスキャンの利用でも、目的をもってそれを行う人にとって、何らかの便益を得ることが可能です。このことは新副読本(高校生用)や教師用資料にも書かれています。しかし、放射能の汚染による被ばくは、何ら便益をもたらしません。リスクを比較するのであれば、その便益や負担の公平性についても、同時に考慮されなければなりません。
 3点目については、次のような例を考えましょう。あなたが病院で医者から「今日は無用な放射線を少し浴びてもらいましょう。なぁに、喫煙や肥満の方がリスクが高いですから、そちらを気をつけて下さい」と言われたとします。あなたは納得できるでしょうか。
 性質の異なるリスクの比較は、危険性の目安にはなっても、それを許容させる根拠にはなり得ません。
 ちなみに、ドイツの環境省が作成した原子力に関する副読本は、公平性にとても配慮した構成となっており、リスクを扱ったページでも、原子力に関するリスクが他の日常的なリスクに比べて相対的に低いと見せるような内容にはなっていません(Box5参照)

 若干不十分なところがあるとは思うが、全体的には大変分かりやすく公平な視点で書かれていると思う。

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