« 震災、原発事故一年に思う | トップページ | チェルノブイリの真実を語るジャネット・シェルマン博士 »

2012年3月13日 (火)

性善説と性悪説

 ある方から死刑に関することについて問われ、2回ほどメールでやりとりをした。私とは結局意見が食い違ったままなのだが、その方は、性善説と性悪説のどちらを支持するかの違いだと捉えられたようだ。つまり、人が極悪非道な犯罪を起こす背景には何らかの外的要因があると考える私は、性善説を支持していると解釈されたようだ。

 しかし、私は性善説を支持してはいない。性懲りもなく戦争を繰り返し、お金や権力、名誉といったものばかりに固執する人たちは常に存在している。お金儲けのために人を騙して平然としている人も沢山いる。こういった人たちもほとんど犯罪者といえるだろう。ただ、こういう人たちは法的な制裁を免れる狡猾さがあり、あるいは巧みに責任転嫁したりするので、簡単には犯罪者にならないだけだ。しかもこの国では警察や検察も、そして裁判所ですら市民の味方ではなく国家の味方だ。弁護士にもお金のために悪に加担する悪徳弁護士がいる。

 こんな欲深い人間が社会を牛耳っていると思うと、やはり性悪説を支持するほかない。人間とは何と罪深い存在なのだろうと思う。

 ただ、死刑制度の賛否と性善説・性悪説のどちらを支持するかは同じ視点で語れないと思う。死刑に関しては何よりも「人は人を殺すべきではない」という生物としてのタブー、あるいは「自分は人を殺せないし殺したくない」という自分自身の感覚から私は賛同できない。また死刑を課すことで人の抱えている性悪なものが排除できるとも思わないし、報復がよりよい社会に貢献するとは到底思えない。

 私は、いわゆる「悪人」と言われる人たちは大きくわけて二通りあると思う。ひとつは、外敵要因によって精神に異常をきたしたり強いストレスにさらされた挙句に犯罪を起こす人。マインドコントロールされて犯罪に手を染めるような人も前者に入るだろう。

 もうひとつは、いわゆる欲(お金への欲、権力欲、名誉欲など)に目がくらんだ「金の亡者」「欲の亡者」だ。危険だと知りながらお金のために原発を推進してきた人たち、自分の利益のためなら弱者を平気で切り捨てられる人たち、悪質商法で人を騙し堂々とお金儲けをしている人たちもこれに分類される。事件のストーリーをでっちあげ冤罪をつくりだす警察や検察もそうだ。

 では戦争による殺人はどうだろう。私は「欲の亡者」によるマインドコントロールのなせる非道ではないかと思う。つまり、戦争とは前者と後者が合わさってなされる犯罪ではないかと思うのだ。そういう国家の企みに多くの人が気づくことができないのが人間の愚かさであり、国家の暴力に頑として抗えないのが人間の弱さだとも思う。そこにも人間の欲が横たわっている。

 人がお金というものを持たず狩猟採集を中心とした原始的な生活をしていた頃は、争いごとはあったにせよ人々はもっと平和的だったのではなかろうか。アイヌ民族なども平和的な民族だといわれているし、争いごとは知恵によってある程度抑制されていたのだろうと思う。

 人間がお金や財産を持つようになってから、「お金さえあれば幸せになれる」という価値観が人の心に住みついてしまった。お金が人の心を邪悪にして「金の亡者」「欲の亡者」をつくりだしてきたように思う。もちろん人が生きていくためにお金は必要だ。しかし、問題は強力な支配関係をつくり、富を平等に配分せず一部の強欲な人間が独占しようとするシステムにある。

 一部の人が富を独占できる社会構造においては、搾取によって富の不平等が生じ、差別が生じる。「金の亡者」は際限なく欲を肥大させる。搾取も差別も貧困も人の心を蝕み、犯罪の温床になる。富の独占を抑制しない限り、アメリカや日本のような資本主義は破綻するしかないだろう。人間社会が「欲」に支配されている以上、社会システムの変換をしない限り、破綻か戦争が待ち受けているように思えてならない。

 そして問題なのは、人が「金の亡者」「欲の亡者」になるかならないかは紙一重でしかないということだ。人生における選択の際、良心に目をつむりお金や権力、名誉などを選ぶことを重ねていくうちに、人は知らず知らずに謙虚さを失い「欲の亡者」になっていくのではなかろうか。警察や検察などといった組織の腐敗はまさにそこにあると思う。また、決して悪人とは思えないのに御用学者の道を歩んでしまった人を何人も知っている。日本人の多くが「原子力ムラ」などの利益共同体の住人になり得るのだ。

 小出裕章さんのように、一生を良心に誠実に、欲に振り回されることなく生きられる人はむしろ稀有なのかもしれない。誰もが「欲の亡者」になり得るし、「欲の亡者」が跋扈する現実を見る限り、やはり性悪説を支持するしかない。

 しかし、だからといって人間はどうしようもない生物だと言って開き直るつもりもない。人間は誰しも直感的に善悪の判断ができる生物だし、誰にでも良心というものがあり、他者の痛みを感じたり他者を思いやる気持ちを持っているとも思う。また、人には理性が備わっている。しかし、強いストレスや不安、あるいはマインドコントロールによって良心や理性は簡単に歪められるのではないか。また、限りない欲望によっても歪められてしまうのではないか。だから、いつの世にも悪がはびこるのだ。人間社会から犯罪をなくすことはできないだろう。けれど、人の尊厳を認め、本来もっている良心や理性を呼び覚ますことができれば犯罪を減らすことはできるはずだ。

 私は性善説を支持しないが、人が本来もっている良心は信じたい。良心に誠実になることで、人は「欲深さ」という愚かさにも気づくことができるはずだ。福島の原発事故で原発の恐ろしさに目覚め、これまで原発に無関心だったことを反省し、反原発の活動を始めた人はたくさんいる。良心に誠実になり過去に学ぶことで、より平和的な社会を構築することも決して不可能ではないと信じたい。

 北欧の国々やドイツなどは、しっかりと過去に学んでいるし、環境問題に対する取り組みも真剣だ。北欧などは今後の日本社会のあり方を考える上でよい手本になるだろう。北欧が地震大国であれば、彼らは決して原発には手を出さなかったと思う。

 良心や理性によって、欲という性悪なものと闘いつづけなければならないのが人類であると思う。だからこそ欲に向きあい、幸せとは何か、豊かさとは何かを問い、欲深さを反省できるような社会の仕組みをつくったり維持する努力をすることこそ大事なのではなかろうか。反省や更生を否定し犯罪者を排除するだけの死刑制度は、そのような社会の構築のためにマイナスになることはあっても決してプラスにはならないと思う。

« 震災、原発事故一年に思う | トップページ | チェルノブイリの真実を語るジャネット・シェルマン博士 »

政治・社会」カテゴリの記事

コメント

コメントを書く

コメントは記事投稿者が公開するまで表示されません。

(ウェブ上には掲載しません)

トラックバック

この記事のトラックバックURL:
http://app.f.cocolog-nifty.com/t/trackback/1185959/44474913

この記事へのトラックバック一覧です: 性善説と性悪説:

« 震災、原発事故一年に思う | トップページ | チェルノブイリの真実を語るジャネット・シェルマン博士 »

フォト

twitter

2017年3月
      1 2 3 4
5 6 7 8 9 10 11
12 13 14 15 16 17 18
19 20 21 22 23 24 25
26 27 28 29 30 31  

最近のトラックバック

無料ブログはココログ