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2012年3月

2012年3月31日 (土)

協力出版は詐欺商法か? 文芸社刑事告発回想記 その2

難癖をつけて受理を拒む東京地検
 結局、警察署への告発は不受理に終わった。そうこうしているうちに、渡邊さんの裁判が終わり、その判決文を入手することができた。そこで、次に、この裁判で得られた情報も加えて天下の東京地検特捜部に告発することにしたのだ。

 ところが東京地検への告発もすんなりとはいかなかった。2004年1月15日に詐欺容疑で告発状を東京地検に送ったのだが、2月20日付で以下の内容の書面が送られてきた。

 貴殿から「告発状」と題する書面(平成16年1月15日付け)等が送付されましたので検討しました。
 告発事実の特定が不十分と思われますが、申立の趣旨は、告発人が被告発人との間で出版契約書を締結した際、出版契約書第5条に基づいて協力負担金(制作費)を支払ったものの、この金額は実費金額であるべきところ、被告発人会社の利益分を上乗せした金額が算出されていたので詐欺罪が成立すると主張しているものと解しました。
 ところで詐欺罪は、人を欺罔して錯誤に陥らせ、その錯誤に基づいて財物を交付するなどの財産的処分行為をさせることが成立要件になっており、要件の一つが欠けても詐欺罪は成立しないところ、本件事実経過から、被告発人らに告発人を欺罔する意思及び欺罔行為があったと解し得るかについては難しい問題もあるものと思料されますが、もし欺罔行為等があった旨の主張であれば欺罔行為の具体的内容を告発事実の中に織り込んでいただきたく、また、仮に不作為による欺罔行為があった旨の主張をするのであれば、欺罔者に法律上等に基づく真実を告知すべき義務がなければなりませんのでその根拠等を明示願いたいと思います。
 さらに書面によりますと、本件については既に契約を解除して、告発人において、被告発人に支払った協力負担金の全額について返還を受け、被害回復済みのようです。
 以上の問題等を検討願いたく、今回は告発状をお返しいたします。
 なお、疑問等がありましたら法律の専門家である弁護士等に相談されることもご一考下さい。

 どうやら告発の趣旨は理解したが、「騙した」という行為が明確ではないからもっと具体的に書けということのようだ。被害回復済みの件については、もちろん承知のうえであり不受理の理由にはならない。被害が回復したから告発するなとでも言いたいのだろうか。「『告発状』と題する書面」という書き方とか、弁護士に相談しろという一言も上から目線で腹立たしい。告訴や告発なんて、親告罪でなければ本来だれにでもできるものだ。

 とりあえず注文に従って説明を付け加え、3月26日付で再度告発状を送付した。

 すると、4月28日付で以下のような書面が送られてきた。

 貴殿から再送付された告訴状(平成16年3月26日付け)及び資料等を検討いたしましたが、いまだ以下のような問題があると思われます。
 まず、詐欺罪が成立するには、被告発人が嘘を言って貴殿を騙したことが要件となりますので、誰がいつどのような嘘を言ったのか(あるいは、隠して騙したのか)という事実関係を明確にしていただく必要がありあす。特に、本件では貴殿が負担した「制作費」の内容が問題のようですので、それに関する被告発人瓜谷綱延ないし株式会社文芸社側からの説明がどのようなものであったのかを明らかにする必要があると思います。株式会社文芸社側からの単なる説明不足であったとか、「制作費」に関する同社と貴殿との間での理解のくい違いということになりますと、詐欺罪にいうところの欺く行為には該当しないことになってしまいます。
 また、詐欺罪が成立するには、損害額がいくらになるかを特定する必要があります。実費をはるかに上回る(株式会社文芸社の利益分を上乗せした)請求をされた旨主張され、告発状には詐取金額の推測金額も明記されていはいますが、それでは十分とはいえず、実費ではない金額(詐取金額)を特定していただく必要があります。高額ではあっても実際にかかった実費の金額であるとなりますと、騙したことにはなりませんので、貴殿がお持ちの情報や資料には限りがあるとも存じますが、可能な限り、詐取金額を特定されるようお願いいたします。
 なお、警報の詐欺罪で処罰されるのは個人だけですので、法人である株式会社文芸社を詐欺罪で告発することはできません。
 以上の点につきまして、再度ご検討願いたく、お送りいただいた告発状および添付資料は、いったんお返しいたします。
 ところで、一般の刑事事件の捜査処理におきましては、まず第一次的に警察が捜査を行い、その後事件を検察官に送致し、検察官が更に必要な捜査を遂げて、最終的な処理をするというのが通常の手続となっておりますので、貴殿におかれましては、四谷警察署又は警視庁本部などにご相談されることも、併せてご検討ください。
 加えて、法律の専門家である弁護士などにご相談されて検討されるのも一方法かと思われますので、ご一考ください。

 今度は前回指摘していない詐取金額の特定、警察への相談、被疑者の適格性について書かれている。なんで前回これらのことを指摘しなかったのだろう! それに著者に詐取金額の特定などできるわけがないことくらい、検察官だってわかるはずだ。特定できないからこそ私は捜査してほしいと求めているのである。詐取金額の特定は受理の必要条件とは思えない。四谷警察署は検察に直接出せと言っていたが、検察は警察に相談しろという。冗談じゃない! こうなると「受理したくない」がために理由をこねまわしているのではないかと思えてくる。ならば、なおさらここで引くわけにはいかない。今度は弁護士の意見も聞いたうえで、7月26日付けで告発状を送付した。

 さて、こんどこそ東京地検は何も言ってこなかった。それどころか半年たっても、告発人に対して電話の一本もない。それはそれでいい加減ではないか? そこで、2005年1月21日付けで書面による問い合わせをしてみた。すると28日に事務官より電話があり、告発状は9月に受理されたと言い担当検事の名前(浦田啓一)も教えてくれた。何のことはない、詐取金額の特定など受理の必要条件ではなかったのだ。

 あとは結果を待つだけだ。それにしても、東京地検からはなんの音沙汰もない。本当に捜査をしているのかという疑問が消えることはなかった。

 ところで、捜査機関が告発状をすんなりと受け取らないというのは普通のことらしい。この記事を書いていて、ジャーナリストの山岡俊介さんが武富士の武井保雄氏らを盗聴で告訴したときにも警察に呼び出されて書面の書きなおしを求められたと「銀バエ 実録武富士盗聴事件」(創出版刊)に書いていたことを思い出した。その本を引っ張りだしてみると、山岡さんは以下のように書いている。

  私が誰かを刑事告訴するのは、この時が初めての経験だった。法的には、警察は告訴はすべて受理しなければならないことになっている。私たちは、もちろん告訴状を持参したが、別に口頭だって構わない。しかし、現実にはそれは建前にすぎない。
「全部、告訴を受けていたらきりがない。だから、実際は告訴状に不備があるとか、いろいろイチャモンをつけて帰らせる。それを何度も続けているうち、告訴人の方が嫌気がさして来なくなる。また、とりあえず告訴状コピーを預かっておくとして、そのまま放置してうやむやにするんだよ」
 ある警視庁OBは、こう本音を漏らす。

 山岡さんは告訴状も用意し、弁護士のほかに警察問題に取り組んでいるジャーナリストの寺澤有氏と元公安調査庁キャリアのフリーライター野田敬生氏も伴って警察署に告訴に赴いている。それでもいちゃもんをつけて書き直しをさせられたのだ。ただの市民である私が書いた告発をすんなりと受け取ってもらえないのは当然といえば当然なのだろう。それにしても、警察や検察というのはいい加減なものだ。

【刑事告発の教訓】
・告訴、告発は誰でもでき、不備がない限り捜査機関は受理しなければならない。難癖をつけられても諦めないで出し続けるべし。

(つづく)

【関連記事】
協力出版は詐欺商法か? 文芸社刑事告発回想記 その1
協力出版は詐欺商法か? 文芸社刑事告発回想記 その3
協力出版は詐欺商法か? 文芸社刑事告発回想記 その4

 

2012年3月30日 (金)

協力出版は詐欺商法か? 文芸社刑事告発回想記 その1

刑事告発の発端
 このブログではほとんど触れていなかったのだが、私はかつて文芸社を詐欺容疑で刑事告発したことがある。告発からもうだいぶ経ち忘れかけていたのだが、元文芸社社員の「
クンちゃん」によると、どうやら私の告発によって地検から呼び出しをくらったクンちゃんは東京地検にかなり絞られたらしい。そんなわけで、忘れかけていた告発のことについて書きとめておこうと思うようになった。

 私が文芸社と契約し、トラブルとなって解約したのは2001年のことだ。文芸社とのトラブルのことは北海道新聞の取材を受けて記事にもなったし(ただし記事には文芸社という社名は出ていない)、契約から解約までの経緯は月刊誌「創」2002年11月号にも手記を投稿したので、当時はそれ以上この問題を追及するつもりはなかった。

 ところが、「文芸社商法の研究」という冊子を30部程度作成して仲間内に配布した自費出版業者の渡邊勝利氏に対し、文芸社は名誉毀損で1億円の賠償を求める訴訟を起こしたのだ。訴状の日付は2002年7月30日だ。渡邊氏は、以前から文芸社や新風舎などが行っている協力出版、共同出版といった出版形態について果敢に問題点を指摘し警鐘を鳴らしていた。年間1000点以上もの本を出版して自社ビルももつ文芸社が、小さな出版社社長を相手どって1億円もの損害賠償をふっかけたのだ。私には批判を封じるためのスラップ(恫喝)訴訟としか思えず、治まりつつあった私の怒りに火を付けることになった。

 渡邊さんの裁判によって、文芸社が著者に請求している制作費は実費ではなく文芸社の利益が含まれているということが明らかになりつつあった。このことこそ、私が文芸社とトラブルになった要因だった。渡邊さん監修の「自費出版Q&A」(東京経済刊)などを読み、文芸社の商法の実態を知るにつけ憤りを肥大させていた私は、文芸社が渡邊さんを提訴したことをきっかけに詐欺による刑事告発を決意したのだ。

警察署への告発
 とはいえ、私は法律のことはよく分からないし相手は東京にある会社だ。そこで地元の帯広警察署に電話をして相談をしてみた。2003年(平成15年)6月頃のことだ。担当の警察官は私の話を聞き「文芸社って新聞なんかに広告を出している有名な会社でしょ。そういう会社が詐欺なんてするわけがない。詐欺商法というのは、幽霊会社みたいなのがやるんだ」とのたまう。文芸社の巧みな商法についてまったく分かっていない。私が食い下がると、資料を持って警察署に来るようにと言ってきた。一度は帯広警察署に出向くことも考えたが、帯広警察署に告発したところで捜査は東京の警察署になるはずだ。大量の資料をかかえて帯広警察署に行っても無駄になるだけだろうと考え直し、警察に行くのを取りやめた。

 次に相談したのは新宿警察署だ。対応した警察官はまじめで親切に対応してくれ、文芸社の管轄は四谷警察署になるといって連絡先を教えてくれた。そこで、6月19日付で四谷警察署に資料を添えて告発状を送付したのだ。とはいえ、告発状などというものは書いたことがない。弁護士に書き方について尋ねてみると、形式は決まっていないので誰が、いつ、どこで、何をしたのか、ということをきちんと書けばいいという。とりあえず、錯誤して契約したこと、費用の分担をするとしながら実際には何ら費用負担しておらず不当な請求をしているという主旨の書面を書いた。23日に刑事課のS氏から留守電があり、検討中だから後日連絡するとのことだった。

 ところがS氏からは待てど暮らせど電話がこない。そうこうしていると、8月7日に「hensyu55」という差出人名でウイルス添付の電子メールが送られてきた。「hensyu55」という名称は、私とやりとりしていた文芸社の編集者の差出人名と同じだ。不可解に思った私は、そのメールの発信者情報を調べてみたのだ。どうやって調べたのかもここに書いておこう。

 その時、実はパソコンにはウイルス対策ソフトを入れていなかった。だから、添付ファイルを開けていたら感染したはずだ。普通だったら怪しいと思ったメールはすぐに削除してしまうだろう。しかし、これほど不可解なメールもない。とりあえず削除せずにそのメールをフロッピーディスクにコピーし、別のウイルス対策ソフトを入れているパソコンで開いてみた。そうすると、発信者情報などが出てくる。それを見る限り発信者は文芸社と特定できるものだった。添付ファイルはPE BUGBEAR Bというウイルスであることが分かった。プリントすると、メール本体の情報のあとにアルファベットや数字の羅列が何ページもあり、それがウイルスの部分だ。このウイルスについて調べてみると、いわゆる「トロイの木馬」というタイプで、感染するとパソコン内部の情報を盗み見ることができる。また、感染するとアドレス帳などに登録されているアドレスに勝手にウイルスを送信してしまうというタイプだ。

 もちろんこのウイルスは意図的に送られたのか、あるいは文芸社のパソコンが誤ってウイルスに感染したことにより自動的に送信されたのか分からない。前者なら犯罪行為に等しい。後者なら会社のセキュリティ対策を問われるし、解約した人のメールアドレスも削除しておらず個人情報の管理も杜撰ということになる。それに誤って自動的に送られたなら、お詫びと対処法のメールを送るのがマナーだが、それもない。とにかくこのタイミングでのウイルスはなんとも不可解で不気味だ。このあとでウイルス対策ソフトをインストールしたのは言うまでもない。

 こんなこともあったので、こちらから刑事課のS氏に電話をしたり質問書を送付したのだのが、S氏はうだうだと受理できないという態度をとり続けた。

 さらに驚き呆れたことがある。四谷警察署は費用に関して新風舎、碧天舎、近代文藝社に事情を聞いた上で「不作為の欺罔」であると判断したという。普通の自費出版社ではなく同じような共同出版商法をやっている会社に聞いたというのだから、開いた口が塞がらない。こちらも堪忍袋の緒が切れて「検察に直接出したい」というと、S氏もこれで厄介払いができると思ったのか、検察に出してくれと言って資料などを送り返してきたのである。

(つづく)

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2012年3月28日 (水)

金星・月・木星の天体ショー

 26日は金星と月と木星が一直線に並ぶとのことで楽しみにしていた。日中は出かけていたのだが、家に帰り着いた頃に西の空に月と金星が見えはじめ、間もなく木星もはっきりとしてきた。これはなかなか見られない天体ショーだ。

 私のコンパクトカメラではうまく写らないのではと思いつつ、シャッターを押してみたら、ちゃんと写っていた。

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 私はとくに天体ファンではないが、小学生のとき、夏休みに故郷の上諏訪に家族で出かけたときに見たすばらしい星空が忘れられない。満天の星空にくっきりと浮かぶ天の川・・・。空にこれほどまで多くの星があるとはその時はじめて知ったように思う。その頃は東京に住んでいたため、あれほどくっきりとした天の川も見られなかったのだ。

 中学生の頃、ボール紙の筒とレンズがセットになった天体望遠鏡の手作りキットを買い、自宅にあった古い木製の三脚に取りつけて星を眺めていたことがあった。夜空の星のまたたきを見ていると、不思議なことに人間社会のもめごとや悩み事がなんともちっぽけなことに思えたものだ。

 最近ではすっかり星空を眺めることもなくなったが、何年か前のしし座流星群のときは、寝ぼけ眼をこすりながら夜中に寝床から這い出した。そして窓から外を見やった途端、放射状に流れ落ちるおびただしい流星群の神秘的な光景に一瞬で目が覚め、しばし見入ってしまった。あんなすばらしい流星群を見ることも恐らくもうないのだろう。

 それにしても、最近はどこもかしこも街灯が明るくて星を見る気になかなかなれない。私の住む北海道の僻地ですら、山の中にでも移動しない限り真っ暗闇にはならない。人間はどれほど電気をふんだんに(というか無駄に)使っているのかと思う。防犯の観点から街灯が必要だという声もわかるが、夜が明るすぎるというのも感心しない。せめて星空を楽しめる暗闇の時間帯があっても良いのではないか。

2012年3月27日 (火)

匿名批判の無責任さを問う

 先日、ある方からメールで質問があった。その方はご自分のブログを知らせ、名前を名乗って自己紹介をされていたこともあったので、質問に対して返事のメールを差し上げた。

 しかし、今日、その方のブログを見てたまげてしまった。名前は書いていないが、私とのメールのやりとりを基にした私の批判が書かれていた。第三者には誰の批判なのか分からないだろうが、当事者の私には一目瞭然だ。

 その批判記事とは以下だ。

「自分の頭で考えない」ということ。 (「言い散らかし日録」)

 私は名前や所属を明らかにした上で私の意見を書いている。もちろんそれに賛同できない人は大勢いるだろうし、異論や反論があるのは当たり前だ。だから、自分のサイトで異論・反論を書いたり批判するのは自由だ(もちろん違法行為をしない範疇でだが)。

 しかし、上記の批判記事には正直いって呆れかえった。

 まず、ブログの著者であるahooさんは私が最後のメールに返信しなかったことを取り上げて「答えてくれなかった」と書いている。しかし、ahooさんは質問に対し返事を求めていないとメールで何度か書いていた。またahooさんの最後の質問メールには以下のように書いてあったから、私はあえて返信をする必要がないと判断した。

「『尊厳があるから死刑はダメ』『「改心する余地があるから死刑はダメ」と考える根拠を知りたかっただけです。これはいちばん初めの疑問に戻ってしまいます。しつこくてすみません。こちらの気持ちが正しく伝わればもうそれで構いません。」

 私は、「人間に尊厳があるから死刑に反対」という意味合いのことは主張していない。だから的外れなahooさんの質問に答えなかったにすぎない。私が死刑に反対する理由は以下の記事に書いてある通りであり、ahooさんには最初のメールでそれを伝えていた。

死刑について考える(その1) 

 上記の記事より、私が死刑を支持しない理由をもう一度以下に転載しておく。これは私自身の考えである。私は「人間に尊厳があるから死刑に反対」などとは一言も書いていない。

 はじめに申し上げておきますが、私は死刑には反対です。一刻も早く、死刑制度を廃止すべきだと考えています。なぜなら、たとえどんなに残虐な殺人を犯した人であっても、その人は私と同じ血の通った人間であり、悪魔でもなければ鬼畜でもないからです。私自身、絶対に人を殺したくはないからです。おそらくその感覚は私の良心からくるもの、というより人間の生物としての本能のようなもの、人という生物に備わったタブーではないかと思うのです。「殺人はしてはいけない」と教えこまれなくても、人というのは、本来は殺人など安易にしない動物ではないでしょうか。

 「死刑では償いにならない」「冤罪であれば取り返しのつかないことになる」といった論理もその通りだとは思うのですが、それ以前に、人は同種である人を殺すようにできてはいない(犬や猫であればいいというわけではありませんが)と思えてなりません。もちろん、実際には人を殺してしまう人がいるのが現実なのですが、それには何らかの事情があり、どこかで道を間違えたり、あるいは迷ったり、追い込まれたということではないのでしょうか。生まれもっての殺人者などいるとは思えません。誤ったり迷ったり、追い込まれた人たちに与えるべきは、命を絶つことではないはずです。

 ところが最後のメールに返事をしないことをもって批判の対象とし、私のことを「このおばさまは霞(かすみ)を食べて生きているのか、または何かによって悠々自適の生活をしている苦労知らずのお嬢様だと思っている。現実感が希薄なのだ。こういったPTAの襷(たすき)をかけた公序良俗おばさんというのは実はいちばん始末に負えないのだ」と誹謗中傷しているのだ。

 また「自分が楽しいと思うことにしか興味を示さない」と書き、「このおばさまこそ『自分の頭で考えているのだろうか』と不審に思ってしまう」と批判している。

 私のプライベートなことなど何も知らず、想像だけでよくこれほどの誹謗中傷が書けるものだ。また、私が「自分が楽しいと思うことにしか興味を示さない」のであれば、共同出版(実質自費出版)の告発記事など書かないし、自然保護活動などしていない。告発をしているがために、どれほど嫌がらせをされたのか分かっているのだろうか。こうした活動は決して「好き」で、あるいは「楽しい」からやっているわけではない。

 ところがahooさんはコメント欄を開いていないので記事に対してコメントすらできない。いったい何を目的に私に質問メールをしたのだろうか。わざわざ時間を割いてメールに返信をしたのが馬鹿馬鹿しくなった。

 記事の中で私の名前やブログ名を出していないからこのような書き方をしても問題ないと思っているのかも知れないが、自分のブログのURLを私に教えておきながらこれほど失礼なこともないだろう。回答の義務もない質問に丁寧に返信している者に対し、こういう対応をするというのはあまりに礼節に欠ける。こんな失礼で無責任な対応ができるのも、匿名という隠れ蓑があるからだろう。そうでなければ堂々と名前を明かし、私のブログ名や名前も書いて批判していただきたい。

 私はahooさんの記事を読んで内田樹氏の以下の記事を思い出した。内田氏は主として現代の若者のことを書いているし(ahooさんは私より年上である)、ahooさんの批判は呪いという訳ではないが、共通するものが感じられる。

 内田樹「呪いの時代に」ネットで他人を誹謗中傷する人、憎悪と嫉妬をまき散らす人・・・・・・異常なまでに攻撃的な人が増えていませんか(現代ビジネス)

 ブログでご自分の主張をされるのも他者の批判をされるのも大いに結構だが、批判には責任が伴う。批判をするのであれば根拠に基づいて論理的にすべきだ。推測で物を言ったり感情論になってしまえば批判ではなく誹謗中傷だ。また、自分と異なる意見も尊重するという姿勢を身につけてもらいたい。

2012年3月26日 (月)

砂防工事で居辺川を殺してはならない

 十勝総合振興局帯広建設管理部(旧帯広土木現業所)から十勝水系の居辺川(おりべがわ)で砂防事業を行うという話があり、先日、事務所に赴いて説明を聞いてきた。

 砂防事業の予定地は上士幌町内の全長約6キロメートルの区間。河床に堆積している土砂が浸食によって移動するのを防ぐというのがこの砂防工事の目的だという。上流より床固工(とこがためこう)12基、護岸工600メートル、遊砂地工1カ所を造る計画だ。以下のサイトの6番の事業計画だ。

平成22年度事業計画(案)策定段階事業一覧表

 「床固工12基」と聞いて、これは川が死ぬのではないかと強い危惧を抱いた。床固工というのは、小規模の砂防ダムのようなもので、堰で段差をつけ、川床の一部を凹凸のあるブロックなどで固める工法だ。段差をつけることによって河川勾配を緩やかにし、川底の浸食を防止するというものだ。説明によると一つの堰堤の落差は1.5メートルから2.5メートルとのこと。このような構造物を連続して12基つくるというのだ。イメージとしては以下を参照していただきたい。

http://www.ktr.mlit.go.jp/nikko/nikko00006.html 

 また遊砂地というのは、河川を掘削してポケット状にすることで土砂をそこに堆積される施設だという。説明から、やはりかなりの自然破壊になるものと推測される。自然の河原が広がっている居辺川にこのようなコンクリートの構造物ができると想像しただけで、ぞっとする。

 居辺川では、周囲の農地開発により大雨での増水が顕著だという。たしかにそれは事実だろう。大雨のたびに河川敷が洗われ、蛇行も変化して景色が一変することも珍しくない。平成15年の大雨では浸食によって被害が生じているし、道路の崩落による死亡事故も起きている。

 この時はもちろん災害復旧工事をしたので、それ以上手をつけるとは思っていなかったのだが、河川管理者はとにかく川をいじりたいらしい。

 私は居辺川には何度も行っているのだが、居辺川上流は礫の豊富な小河川で、十勝平野でもすぐれた自然が残されているところだ。河川敷、河畔林、農耕地、河岸段丘の森林などが一体となって、多様な生態系を保っており、野鳥が豊富でワシタカ類もよく見られる。

 河川敷には礫河原特有のクモが生息している。たとえば、ゴマダラヒメグモ、カワラメキリグモ、ハイタカグモ、ハモンエビグモ(本種は礫河原特有といえるかどうか分からないが、少なくとも私は礫河原でしか見たことがない)など。いずれもレッドリストなどに掲載されているような種ではないが、北海道ではどこにでも生息しているというクモではない。

 また、ここは十勝地方でも有数のセグロセキレイの生息地だ。セグロセキレイも礫河原に特有な鳥で、北海道では生息できる河川が限られているのだが、居辺川周辺では越冬もしており重要な生息地となっている。

 ここに床固工群をつくって砂礫の動きをとめてしまったなら、これらの動物の好適な生息地がはたして保たれるのだろうか?

 十勝には然別川という小河川があるのだが、ここでも床固工群をつくって河川生態系を滅茶苦茶にしたという経緯がある。この川を見るにつけ、あまりの河川生態系破壊に唖然とする。

 そもそも砂礫の移動を防ぐのが目的だというが、川が砂礫を運ぶのは自然の摂理だ。それを砂防工事で止めてしまうと礫が下流に運ばれなくなって下流域が浸食される。このためにさらに砂防工事を行うという悪循環を生みだしかねない。札内川支流の戸蔦別川がいい事例だ。戸蔦別川では、上流にいくつもの砂防ダムをつくったため下流部が浸食され15基もの床固工群を造った。それでも川床低下は止まらず橋脚の下部がえぐられるなど深刻な状況になっている。

 また、砂防工事で土砂を止めてしまうと海への砂の流出が減り、海岸浸食が加速される。海岸線がどんどん後退し、護岸工事で固められることになる。砂防工事に起因する浸食は取り返しのつかないことになるのだ。このような例はいくつもある。

 河川の周辺に人家や道路などがある以上、ある程度の護岸工事などはやむを得ないが、砂防ダムや床固工などによる河川生態系への悪影響は計り知れない。居辺川の床固工と遊砂地は取りやめるべきだろう。

2012年3月24日 (土)

疑うべきは「ふくしま宣言」より佐藤知事の矛盾する言動

 「反戦な家づくり」に以下のような記事があった。

あえて「福島宣言」を疑う 

 この記事は以下のAVAAZが呼び掛けている署名に異を唱えたものだ。

http://www.avaaz.org/jp/fukushima_declaration_pledge_mf/?tta 

 実は私もAVAAZの署名呼び掛けをはじめて見たときに、同じような感覚を持った。福島の佐藤雄平知事は原発を推進してきた原子力ムラの住民であり、今回の事故でも住民に速やかな避難を呼びかけなかったという大きな責任を背負っている人物だ。このような人物による宣言はなんだか胡散臭いのではないか、と。また、復興を強調する姿勢にも素直に賛同はできない。福島の場合、ひどく汚染されて閉鎖しなければならない地域もあるはずだし、避難をさせるべき地域にいまだに人が住んでいる。復興より先にやらねばならないことは沢山ある。

 しかし、その一方で知事が廃炉を宣言するということの意味は大きい。北海道の高橋はるみ知事など、福島であれほどの事故が起きたというのに原発が必要だという姿勢はまったく変わらないし、廃炉など決して口にしそうにない。東京都の石原慎太郎知事なども同じだろう。

 私は汚染されたところに住民を戻そうとする佐藤知事の姿勢はまったく支持しない。しかし、原子力ムラの住民である首長が脱原発・廃炉を唱えることは大いに意味があると思うのだ。なぜなら、原発を受け入れてきた地方自治体の首長はみな原子力ムラの住民であり、これらの知事が佐藤知事を見習って脱原発の宣言をしたなら、原発の再稼働など決してできなくなるからだ。

 福島の脱原発宣言を支持し、他の知事にそれを求めるということは実は非常に重要なことではないのだろうか。

 脱原発宣言というのは原発事故の怖さや取り返しのつかない放射能汚染の恐ろしさを知ってこそのものだ。しかし、恐らく佐藤知事はこれから除染を進めて住民を呼び戻そうとするのだろう。すると自分の宣言と言動に矛盾が生じる。汚染されたところに住民を戻す行為は「脱原発に反する行為」になってしまう。だからそれに関しては徹底的に抗議していく必要がある。私はそう考えるべきだと思い至った。

 話は変わるが、日本は「生物の多様性に関する条約」に署名し、それによって「生物多様性国家戦略」を策定し生物多様性基本法も施行された。国をあげて生物多様性保全を推進していくことを表明し、法律まで変えたのだ。当然のことながら都道府県もこれにならっている。

 しかし、現実はどうかというと、相変わらず無駄な公共事業などによって自然破壊が続いており、生物多様性は損なわれる一方だ。国や地方自治体が生物多様性保全を掲げている以上、それが守られていなければ徹底低に守らせるようにしなければならない。市民は国が決めたことを守らせるように監視し、声をあげていくことが大事なのだ(もちろん不適切な法律などは変えていかなければならないが)。

 同じように、知事が原発を否定し脱原発を明言したならば、それに反することはさせてはならない。だから、今回の「ふくしま宣言」と佐藤知事の今後の言動は分けて考えるべきなのではないかと思う。「ふくしま宣言」はあくまでも「宣言」として支持し、それと矛盾するような言動に関しては「宣言」を持ち出して阻止していくのが筋ではないか。

 あれだけの大事故を起こした福島が、脱原発を唱えるのはむしろ当たり前のことだ。つまり「ふくしま宣言」を疑ってかかるというより、佐藤知事の「ふくしま宣言」と合致しない言動を疑ってかかるべきだと私は思う。

思いつきのような河畔林伐採は中止すべき

 「十勝川の河畔林伐採は意味があるのか?」で、河川管理者である帯広開発建設部が、市民から希望者を募って河畔林を伐採する問題について書いたが、22日に帯広に出かけた際、現場に寄ってみた。

 まだ雪があるせいか、伐採をした区画はほんの数カ所しかないようだった。伐採したところはこんな感じだ。

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 伐採現場には薪に使えそうもない枝の部分が放置されている。これは帯広開建に後始末してもらうつもりなのか?

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 下の写真の区画では、根際よりかなり高いところで伐っているのだが、近づいて見てみると鋸ではなく鉈で伐ったようでちょっとびっくり。伐採した方は恐らく薪ストーブの燃料にでもするのだろうが、ヤナギの薪は火持ちが悪くすぐに燃え尽きてしまうだろう。いくらタダとはいえ効率のよい燃料とは思えない。来年も同じような公募があったら、また応募するのだろうか・・・。

 伐根を放置したらすぐに萌芽(ひこばえが伸びること)してまたヤナギ林に戻ってしまうため、帯広開建が抜根をするという。伐根を引き抜くのはけっこう大変な作業だ。その後には帰化植物などが入ってくるだろう。

 この現場を見て感じたのは、抜根などせずにこのまま放置して元のヤナギ林に戻したほうがよいだろうということだ。

 まるで思いつきのような公募伐採であり、これが洪水時の水位低下に効果があるとはとても思えない。

 ここの堤防のすぐ脇は住宅地だ。こんな堤防の脇に住宅を建てる人の気が知れないのだが、こういう場所を宅地として許可してしまうのも問題だ。川が溢れたら浸水するようなところ(氾濫原)を宅地造成し、洪水被害があってはならないとばかりに土木工事を重ねるのが現在の河川管理だが、本末転倒ではなかろうか。できる限り川の近くに住むべきではないし、どうしても住むのなら洪水を覚悟すべきなのだ。

2012年3月23日 (金)

広島地裁が受益者賦課金の市による肩代わりを違法と認定

 緑資源幹線林道(大規模林道)の建設では、民有林所有者などが受益に応じて事業主体の緑資源機構(すでに廃止され、独立行政法人森林総合研究所が引き継いだ)に賦課金(受益者負担)を支払ってきた。受益者が支払う賦課金は事業費の5%と金利だ。

 受益者賦課金である以上、受益者が支払うというのが当たり前だ。ところが、広島の細見谷渓畔林を通る林道では、受益者である地元の森林組合が払うべき賦課金を、市が肩代わりして全額を支払っていた。これが違法であるとして、地元住民らが賦課金の返還を求める住民訴訟を広島地裁に起こしていたのだが、その判決が21日にあった。

 裁判長は、林道事業に公益性があっても、営利団体の組合に補助金を交付する必要性はないと指摘し、市による肩代わりを違法と認定した。ただし、返還については、市長らが違法性を認識するのは困難だったとして認めなかった。

 違法性が認められたのは実質勝訴だし、非常に大きな意味がある。原告らが賠償を求めたのは2008年と2009年の支出合計約426万円なのだが、それ以前の支出も含めると、市は林新組合に2840万円も支払っていたのだ。もちろん税金だ。

 本来、受益者が支払うべき受益者負担を自治体が支払っている事例は全国にある。それらを合わせたらすごい金額になるだろう。このブログでも指摘している「国営かんがい排水事業」も同じで、受益者負担は事業費の5%とされている。ところが、実際には受益農家は負担せずに地元の市町村がそれを支払っているのが実態なのだ。

 受益者に負担をさせたなら、「うちは事業に同意しません」という農家がまず間違いなく出てくる。実は、農家はそれほど事業を望んでいないことが多いのだ。しかし、農家が同意しなければ事業は進められない。そのために受益者負担を市町村が肩代わりするということが慣例になっている。

 たとえば十勝地方の美生地区の国営かんがい排水事業では、立派なダムをつくったのにかんがい用水としてほとんど利用されていない。農家は農薬の希釈や農機具の洗浄、家畜の飲み水など、かんがい以外のことに使っているという。目的外使用であり、本来は認められないことだ。要するに、必要もないかんがい事業だったのだ。

 「美蔓地区国営かんがい排水事業」では、「かんがい事業」の受益地のおよそ半分は牧草地だ。牧草といえば乾燥地帯の植物であり、灌水など必要ない。もし農家が受益者負担を支払わなければならないという条件であれば、まず事業に同意しないだろう。タダだから同意している人が大勢いるはずだ。この事業によって、ナキウサギやシマフクロウの生息地への悪影響が懸念されている。

 「富秋地区国営かんがい排水事業」では、排水事業によって国民のための食料の増産をするのが目的だと事業者は説明をした。事業の効果によって利益を得るのは農家なのだから農家が受益者負担を支払うのが当然なのだが、これも市町村が肩代わりする。こんなおかしなことはない。農家が負担するのであれば、事業に同意しないのではないかと疑わざるを得ない。

 地元自治体による賦課金の肩代わりは、不必要な公共事業を推進するために行われているといっても過言ではない。私は「美蔓地区国営かんがい排水事業」の事業者に対しても、「富秋地区国営かんがい排水事業」の事業者に対しても(ともに帯広開発建設部)、受益者負担の自治体肩代わりは違法ではないかと指摘してきたが、彼らは知らん顔をしてきた。

 このような受益者負担の肩代わりを行っている市町村の住民は、どんどん監査請求をすべきだ。違法判決が出された以上、市町村も今後の支出に関しては見直しをしなければならないはずだ。

2012年3月22日 (木)

福島で起きている異変

 昨年、NHKの「ネットワークで作る放射能汚染地図」という番組の中で、赤宇木(あこうぎ)の集会所に10人ほどの人たちが避難している様子が映し出されていた。私もこの場面はよく覚えている。木村真三さんらが車で井戸しながら放射能の調査をされている際にこの集会所に立ち寄り、放射線量が高いので避難するよう呼びかけていた。

 その集会所にいた方のうち、すでに3人が亡くなり、お1人もかなり危険な状態になっているという情報がインターネットで流れている。この方たちは浪江町からの避難者で、赤宇木が非常に線量の高いホットスポットであることを全く知らずに留まっていたのだ。詳しくは以下のサイトをご覧いただきたい。

(動画)ネットワークで作る放射能汚染地図で撮影、津島の赤宇木の集会所10人位のうち、既に3人が死亡 

 比較的高齢の方が多かったとはいえ、3人もが亡くなっていると聞いてぞっとした。ストレスや持病、疲労だけで3人もの方が亡くなるとは思えない。死因が被ばくと関係ないなどとは決して言えないだろう。

 この情報を知り、チェルノブイリのことが頭をよぎった。チェルノブイリでは高線量の地域の住民はバスに乗せられ強制的に避難させられたのだが、福島では何も知らずにホットスポットに避難していた人がいたのだ。SPEEDIがありながら情報を隠蔽し、速やかに避難をさせなかった国の責任は限りなく重い。

 また、伊達市長が3月14日に急性心筋梗塞で救急搬送されたという。以下の大沼安史さんのブログ記事を参照いただきたい。

http://onuma.cocolog-nifty.com/blog1/2012/03/fukushima-di-33.html 

 バンダジェフスキー氏によると、ベラルーシの死亡率で最も高いのは癌ではなく心臓血管系の病気だという。癌の発症は被ばくしてから数年かかるが、心臓血管系の病気は癌の発症以前に発症するのだ。関東でも、今まで元気だった方の突然死が目立っているようだし、健康被害がかなり目に見えてきたのではなかろうか。

 ガンダーセン氏は、福島の事故によって30年で100万人が癌を発症すると警告している。しかし、癌が発症する以前に他の病気で亡くなる方が大勢出るだろう。本当に深刻な事態だ。国は高汚染地の人たちを移住させ、被ばくした人たちの健康管理を徹底し、予防と治療に全力を注がねばならない。

http://youtu.be/njaiygmYzXY

 

【3月23日追記】

 以下の情報もある。

東日本大震災後に心不全が有意に増加、ACS、脳卒中も(日経メディカルオンライン)

「ふくしま宣言」への支持を表明する署名のお知らせ

 Avaazから以下のメールがきた。署名はだれもが簡単にできる行動の一つだ。原発をなくすために多くの方に伝えてほしい。

**********

 親愛なる日本の友人たちへ  福島県知事は原子力に頼らず再生可能エネルギーを推進することを誓う、歴史的な「ふくしま宣言」を発信しました。私たちは迅速に行動を起こし、その他すべての都道府県もこのすばらしい先例に倣うよう働きかけることができます。

 史上最悪の災害に打ちひしがれた日本を、原子力に頼らず再生可能なエネルギーで発電するクリーンエネルギー社会へと導き、他国の模範とするチャンスがあります。各都道府県の脱原発社会を支持する声がどれだけ強いものか示すことにより、それぞれの知事に「ふくしま宣言」と同じ公約を誓い、原子力に脅かされることのない国にしていくよう働きかけていくことができます。

 力を合わせれば、世論は聞き届けられます。「ふくしま宣言」への支持を表明する個人的な誓いにご署名お願いします。さらに同じ都道府県に住むお知り合いの方々にも転送してください!私たちの地図をご覧いただければ、各都道府県から何名の方が署名したかわかります。多くの方からのご署名を頂きましたら私たちはメディアにも大々的に取り上げるよう働きかけ、残る46都道府県の知事にも未来の社会にとって極めて重要な福島県知事の立場を公言するよう訴えてまいります:

http://www.avaaz.org/jp/fukushima_declaration_pledge_mf/?tta 

 世論によると、日本人の大多数が脱原発社会を支持しています。しかしこれまでのところ、断固たる行動で世論にこたえ公約を宣言したのは佐藤知事だけです。この危機的状況の中、日本は新の指導力を発揮できるリーダーを必要としていますが、それを実現できるのは世論の圧力のみです。個人的な誓いに署名し、佐藤知事のような勇気ある知事への支持を表明し、未だに判断をしぶる他の知事に圧力をかけましょう。

 どれだけ多くの人々が原発再稼働を中止するよう野田首相に訴えたでしょう。しかし首相は聞く耳を持たず、強力な原子力ロビー側についたのです。私たちが始めたこの取り組みを終わらせましょう。すべての都道府県において、どれだけ多くの人々が脱原発社会を支持しているのかはっきりと示すことができれば、各知事たちに「ふくしま宣言」に続くよう働きかけることができます。そしてついには野田首相が原子力の大害から私たちを解き放ち、再生可能なエネルギー革命に弾みをつけることができるのです。

 今すぐ個人的な誓いにご署名をお願いします。そして日本全国で私たちの訴えが耳をつんざかんばかりになるまで、メールやツイッター、その他ソーシャルネットワークも利用し広めてください:

http://www.avaaz.org/jp/fukushima_declaration_pledge_mf/?tta 

 日本における市民の力は日に日に強さを増しています。私たちの訴えに応じるすべての知事やリーダーたちと共に、この国の新たな道を切り開いていくのです。希望を捨てず断固たる態度で、私たちと子孫のため、安全なエネルギー社会への転換、そして新たな民主主義の推進に臨みましょう。

 希望と決意を胸に

ジェイミ、キア、アレックス、モーガン、ダリア、Avaazチーム一同

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詳細情報:

中國新聞「ふくしま宣言、全世界へ 知事「再生エネ推進」」:
http://www.chugoku-np.co.jp/News/Sp201203120062.html
 

信濃毎日新聞 「ふくしま宣言 誓いを全力で支えよう」:
http://www.shinmai.co.jp/news/20120313/KT120312ETI090004000.html
 

ウォールストリートジャーナル日本版「震災から1年:経産省を占拠せよ」:
http://jp.wsj.com/Japan/node_406615
 

朝日新聞 「将来的に「脱原発」賛成74% 朝日新聞世論調査」: http://www.asahi.com/national/update/0613/TKY201106130401.html 

AVAAZについて

 Avaaz.orgは世界の人々の声や価値観が政策決定に反映されるよう世界規模でキャンペーンを行う非営利団体です(Avaazは様々な言語で「声」を意味します)。Avaazは政府や企業から一切資金援助を受けず、ロンドン、リオデジャネイロ、ニューヨーク、パリ、ワシントンDC、そしてジュネーブを拠点とするスタッフにより運営されています。 +1 888 922 8229

2012年3月21日 (水)

東電と日本政府の犯罪

 ツイッターで以下のドイツの番組を知った。告発を中心としたドキュメンタリーだ。


ドイツZDF フクシマのうそ 投稿者 sievert311

 30分程だが、内容だけ知りたいという方は以下で書き起こしが見られる。

ドイツZDFテレビ「フクシマのうそ」書き起こし(放射能メモ)

 あの原発事故から一年も経ち、未だに事故が収束しない状態のなかで暮らさざるを得ない私たち日本人の多くは危機感が薄れてきているのではないかと思うのだが、このドイツが制作した映像を見ると、嘘と隠蔽で固められた東電と、それを支えてきた日本政府に改めて怒りがこみ上げてくる。

 重大な事故や欠陥をひたすら隠し、告発者を潰してきた東電と原子力ムラはまさに犯罪者集団そのものだ。欠陥の隠蔽、文書の改ざん、告発のもみ消し、告発者つぶし・・・。なんだか推理小説のようだが、これはフィクションではない。ドイツのテレビだからこそ放映できる内容であり、日本のテレビ局ならまず流すことができないだろう。日本人こそ知らなければならないことなのに。

 福島第一原発の事故は、地震と津波が引き金になったとはいえ、起こるべくして起きた事故にほかならない。原発で大事故が起きればどんなことになるのか原子力ムラの連中はもちろん分かっていたはずだ。これほど無責任で傲慢な人たちが、危険きわまりない原発を動かしてきたのだ。そして放射能汚染の責任まで逃れようと必死になっている。ただただ見苦しい。彼らこそ、この大事故の責任をとるべく現地で作業をするべきだろう。

 ここに出てくるナカさんは4号機の危機的状況を懸念し、とても危険な状態だと明言している。地震学者の島村英紀氏は地震が活発化していると指摘し、日本の原発は大地震に耐えられないと言っている。一年前の緊迫感を忘れている人も多いと思うが、これが日本に突き付けられた現実だ。

 この番組の中で福島第一原発からの職員の撤退について、東電が菅直人前首相に打診したことが語られているが、これについては以下の記事が詳しい。

「撤退するか残るか」。東電と菅首相が直面した究極の選択。 (WEBRONZA)

 撤退を認めていたなら、日本は終わっていただろう。また、4号機の奇跡のような出来事(「震災、原発事故一年に思う」参照)があったから、大惨事を免れたのだ。しかし、危機はまだ続いている。

 とても再稼働などと言っている場合ではない。原子力ムラの連中は「懲りる」ということを知らないのだろうか。

2012年3月20日 (火)

バンダジェフスキー博士が語るセシウムの危険性

 バンダジェフスキー博士が来日して各地で講演会を行っているが、講演会の報告をされている方が何人かいる。以下にいくつかを紹介したい。

仙台バンダジェフスキー氏講演会まとめ 

ポンド円今週のシナリオ&「食の問題から考える放射能被害について〜北海道の在り方と今後〜」 

18日の医療関係者向け講演会のまとめ 20120319バンダジェフスキー博士院内講演会まとめ 

 以下は紀藤正樹弁護士による19日の院内講演会の報告。

2012/03/19「衆議院議員会館内 元ベラルーシ・ゴメリ医科大学学長・現ウクライナ在住のバンダジェフスキー博士来日講演」報告 

 これらのまとめから、とりわけ重要だと思われることを指摘しておきたい。

 ベラルーシの死亡率で最も高い(50%以上)のは、癌ではなく心臓血管系の病気。とりわけ子供の場合はセシウムの量がわずか(0~30ベクレル)であっても心臓のリズムを壊し、30ベクレル以上になると心筋に影響を及ぼし代謝機能を破壊、50ベクレルでは突然死の危険性がある。45ベクレル検出された事例では心臓のミトコンドリアが破壊されていた。子供の臓器は大人の3~4倍のセシウムが蓄積する。

 ベラルーシ、ベトカ地区での調査では子どもたちに白内障が増加。体内汚染が50ベクレル/キログラムの子供の30%が白内障になり、この子供たちで現在生きている子はほとんどいない。白内障が発症する要因は、被ばくによって栄養の摂取が阻害され老化が進むため。

 セシウムは心臓だけでなくすべての臓器に影響を与え、免疫系も破壊し、脳にも悪影響を与える。長期間セシウムを取り込むと必ず腎臓に障害がでる。つまり、生命維持に支障が生じる。また、セシウムとヨウ素の両方が取り込まれることで甲状腺癌となる。ベラルーシではチェルノブイリ原発事故以前からセシウム汚染があり、それに事故によるヨウ素が加わったために甲状腺癌が生じた。

 もうひとつの大きな影響は、遺伝子の突然変異が生じ、世代を通じて受け継がれていくということ。先天的に遺伝子に異常がある場合、放射性セシウムはそれを発症させる誘引物質となる。

 放射性セシウムを取り込むと1カ月半で排出されるが、一部は体内で崩壊して蓄積し臓器を破壊していく。それが有害な安定バリウムで、いちど蓄積してしまうと排出されない。また一部は筋肉にも蓄積される。

 尿検査による体重1キロあたりの汚染値は、尿検査の値×150÷体重でおおよそ分かる。岩手で尿検査6~7ベクレル出た子供がいるが、チェルノブイリの研究では健康被害が目に見えて出てくる程度の汚染。

 リンゴペクチンはセシウムを排出する効果があるが、ペクチンは体内の必須栄養素も排出する作用があるので長期間使用できない。つまり、基本的には放射性物質を体内に取り込まないようにするしかない。

 放射能で汚染されたがれきの移動や焼却は汚染を拡散させることになり非常に危険である。一カ所に集めて閉じこめるべき。

 東北地方南部や関東に住み続けるには、神経質なほどの対策をとって生活していく覚悟が必要だということになる。

 これらのことから、高濃度の汚染地域の居住者はまず避難させるべきだろう。そして、どうしても汚染地域から避難できない人は、内部被曝を防ぐために汚染された食品を食べないことが大切だ。

 もうひとつは、汚染地域に住む人の被ばく量を定期的に検査し、適切な健康管理をするということだ。  

そして瓦礫の拡散を中止すべきだ。

 今の日本はバンダジェフスキー氏の指摘をないがしろにしているとしか思えない。またマスコミもほとんどバンダジェフスキー氏の講演内容について報じていないのではなかろうか。この国はかなり末期的というしかない。

 なお、以下はバンダジェフスキー博士の発言を裏付ける記事だ。

原発事故 健康影響に長期間注意を(NHK)

小児がん科医として、フクシマの子どもたちの命を思いやる(swissinfo.ch)

原発事故「最も憂慮すべきは遺伝子異変」(swissinfo.ch)

2012年3月19日 (月)

巨大地震に警戒を!

 3月14日に三陸沖(北海道南東沖)でマグニチュード6.8の地震があった。震源地は日本海溝の外側で、ちょうど海溝がくの字型にカーブしているあたりだ。アウターライズ地震ということだろう。私の居住地でも震度は小さいながらもゆらゆらとした揺れがあり、3.11を思い起こさせるような揺れだった。それに続いて千葉の東方沖でマグニチュード6.1の地震があった。

 これらの地震については、以下の「フレッシュビーンズ」のホームページで分かりやすく説明している。

2012年3月14日発生東北アウターライズ地震について 

 アウターライズ地震、つまり3.11の東北地方太平洋沖地震の震源域の海溝の外側で起きる地震については、NPO法人国際地震予知研究所が昨年から警告を発しており、マグニチュード9クラスになると予測している。3.11より震源地が遠いので地震による揺れはそれほど大きくないが、正断層の地震になるため大きな津波が押し寄せる可能性が高いという。

 3月14日の三陸沖の地震は、国際地震予知研究所が予測しているアウターライズ地震の震源域の北端にあたる。そして、千葉や茨城沖は南端にあたるのだ。3北海道の南部から関東にかけてかなりの歪がたまっていると考えられ、どこが大きく動いてもおかしくない状態なのだと思う。

 3月14日の地震を契機に、巨大地震への警告が発せられている。以下は国際地震予知研究所のメンバーである麒麟地震研究所の今日のツイッターだ。緊迫感が伝わってくる。

http://twitter.com/#!/kirinjisinken/status/181528774989451265
観測機1レンジ999 8時40分のデータです。今、余震域の強い反応が出ています。数日間は要注意です。アウターライズ地震は当観測機だけでは無く他の観測データから見ても数週間は要警戒です。 #jishin#地震
http://pic.twitter.com/WfKoFOMG 

http://twitter.com/#!/kirinjisinken/status/181574139943993344
観測機1フルレンジのデータです。72000の非常に大きな強い反応が出現しています。しかも観測機2と同期しています。昨年の3月9日は58000でした。確定ではありませんが要警戒以上です。 #jishin#地震#津波
http://pic.twitter.com/D324iUfX 

http://twitter.com/#!/kirinjisinken/status/181578264479928320
観測機2のフルレンジ11時43分のデータです。観測機2はまだ検証中ですが観測機1と同期しています。こちらは感度良いので130000のデータが出ています大きさより同期していること重要です。 #地震#jishin津波
http://pic.twitter.com/Z4qLm09L 

 もちろん予測であり確実にもうじき巨大地震が起こるとは言えないが、いよいよ巨大地震のスタンバイに入った可能性がある。

2012年3月18日 (日)

「ぬまゆのブログ」再開とコメントに思う

 3月10日頃から数日間見られなくなっていた「ぬまゆのブログ」が、3月15日から「ぬまゆのブログ その2」として再開された。

ぬまゆのブログ その2 

 南相馬市にお住まいで、原発事故のあと体調の不調を訴えられていたぬまゆさんのブログには、多くの読者が訪問しコメント欄もにぎわっていた。彼女はコメントを承認制にしていたのだが、どうやらかなり攻撃的なコメントが多数書き込まれていたらしい。そのたびに、ぬまゆさんは警告を発していたが、それでも批判コメントが絶えなかったらしい。

 そこでブログの仕切り直しをしたということのようだ。今日の記事を読んだところ、今後はぬまゆさんの個人日記とし、コメントは受け付けない設定にしたようだ。それが正解だと思う。

これからのブログは、わたくし個人の「日記」にしようと思いました。 

 私のブログでも、ときどき不可解な反論コメントや批判コメントが入れられる。私は反論や批判だからという理由で削除するつもりはないが、反論や批判コメントはモラルのかけらもないものが多い。まず、大半が匿名で自分のサイトをリンクさせていない。ときには非常にふざけたハンドルネームのものもある。そして、自分の意見を丁寧に説明するわけでもなく感情的な言葉を投げつけたり、傲慢な書き方をする。

 こういう反論・批判コメントを見ると、この人は何のためにコメントをするのだろうかと思わずにいられない。ブログ主を精神的に疲弊させるために書き込んでいるのではないかとしか思えない時もある。まさに嫌がらせだ。もし他意がなければ、心を病んだ人がストレス発散の場にしているのだろうか。ブログの管理者としては毅然とした対応をするしかない。

 たとえコメントを承認制にしていたところで、ブログ主は嫌がらせコメントを読まされることになる。嫌がらせコメントは一つでも不快なものだが、大勢が意図的に嫌がらせコメントを書き込めばブログ主を疲弊させるのに十分だ。以下の「ぬまゆのブログ」のミラーサイトの記事によると、ぬまゆさんはどうやら執拗な攻撃にあっていたらしい。反ぬまゆ勢力の社交場のブログが立ちあげられ、ぬまゆさんだけではなく、ぬまゆさんを支援する方まで攻撃してぬまゆさんを孤立させていたようだ。

残念ですが、ぬまゆのブログは削除されました。 

 こうなるとストーカー行為であり、コメントはブログ主を精神的に追い詰める凶器にもなり得る。反ぬまゆ勢力がどのような方なのか分からないが、おおよその察しがつくというものだ。

 私も他者のブログにコメントをすることがあるが、その記事に賛同しての感想コメントが多い。時には異なる意見や補足情報、助言などを書くこともあるが、押しつけをするつもりはさらさらない。もちろんハンドルネームは使わない。自分とは根本的に異なる意見の記事にわざわざ反論コメントや批判コメントををしたいとは思わない。誰がどのような意見を書こうと、基本的には自由だからだ。

 ある記事に対してどうしても反対意見や批判的意見を書きたい場合は、自分のブログで記事として意見を書くのが筋だろう。インターネットが発達していなかった頃から、ジャーナリストなどが雑誌などで意見を闘わせるようなことはよくあった。言論に対しては言論で対応するのが基本だ。それに対し、コメントはあくまでもブログ主の土俵であり記事のコメント欄は対等な言論の場ではない。しかもコメントをする者は匿名という隠れ蓑で守られている。雑誌などでの対等な発言・議論とは条件が全く異なるのだ。

 かつては私もコメントで議論をしたことがあるが、コメントを議論の場にすべきではないとつくづく思った。意見が平行線になっても自分の意見を押し付けようとする者もいるし、どんどん話をずらしていく者もいる。無責任な者が言いがかりをつける行為に等しい。相手が嫌がらせ目的であれば、まともに対応するのは相手に乗せられるだけだし時間の無駄でしかない。

 そもそもコメント欄というのは、感想を書き込んだり意見交換をする場だと思う。当然のことながら、それはブログ主の家に訪問するような行為であり、守るべきモラルというものがある。違う意見があるのであれば根拠をわかりやすく説明すべきだし、意見が平行線になった場合はそこで撤退すべきだ。頭ごなしに批判したり感情論に終始したり、罵詈雑言を書く行為は土足で他人の家に上がりこむのと同じであり、削除されても当然だ。

 ところが、無視したり議論を打ち切ると「議論もできない」と批判する者もいる。ブログ主は、コメントに対して回答しなければならない義務も責任もない。いったい何様なのかと思う。私は返事をする必要がないと判断したコメントはそのままにしているし、マナー違反のコメントは削除することにしている。

 ブログ主を差し置いてコメントした者同士が勝手に議論をしていることもあるが、あれもどうかと思う。そんなに自分の主張を展開したいのならなぜ自分のブログで書かないのだろう。付き合いきれない。

 ところで「ぬまゆのブログ」を集団で攻撃する人たちがいるということは、ぬまゆさんの発信していることが本当のことだと証明しているようなものだろう。本当のことを発信されたら都合が悪いからこそ、あるいは我慢がならないからこそ攻撃して疲弊させるのだ。

 ぬまゆさんの今日の記事にこんなことが書かれている。

福島県民は、、
口にこそしませんが、
「 奇妙な症状が出ている方々が たくさんいる 」 と、
実際に、何十人にも取材をしてこられた 岩上さん( ジャーナリスト) は、言いました。
「 わたくしだけじゃ、ないんだ ・・・ 」 と、
その時、しみじみと思いました。
わたくしが 親しくしている 「 こどもたち 」 にも、
セシウムが 検出された 子 や、
甲状腺にしこりがある 子 が 後を絶ちません。
事実、
相談に来た子たちが、
「 こんなに ・・・ いるの ? 」 と、
思ったくらいです。

 マスコミからは伝わってこないが、ぬまゆさんの言葉から厳しい福島の現実が伺い知れる。福島の事故による被害を小さく見せたい人、原子力ムラの人たちにとっては公にされたくないことに違いない。

2012年3月15日 (木)

チェルノブイリの真実を語るジャネット・シェルマン博士

 以下の「チェルノブイリの被害者は100万人」という動画は、2011年3月5日に録画されたもので、「チェルノブイリ~大惨事の環境と人々へのその後の影響」という本の寄稿者であるジャネット・シェルマン博士にインタビューしたものだ。この本については、日本でも翻訳が進められている。

チェルノブイリ被害実態レポート翻訳プロジェクト

 ジャネット・シェルマン博士はこの録画の最後で、「米国でなくても世界のどこかで再び原発事故が起こるのは時間の問題だと信じています」と語っているのだが、その6日後の11日に福島第一原子力発電所で大事故が起きた。インタビューに応じている数日後にそれが現実のものとなってしまった。

 30程度の動画なのでぜひ見ていただきたいのだが、まとめると以下のような内容だ。

・IAEAはチェルノブイリ原発事故による死者を約4千人と発表しているが、この本では98万5千人と結論づけている。IAEAの発表した調査書は350の英文論文に基づいているが、本の執筆者であるヤブロコフ博士とネステレンコ博士たちは5千以上の論文を基にしているほか、現場にいた医師、科学者、獣医師、保健師など人々の病状を見ていた人たちの声も基にしている。4千人というのは史上最大の嘘のひとつ。ただし、このデータは1986年から2004年までのものであり、チェルノブイリの犠牲者は100万人くらいになるだろう。

・WHOとIAEAは、一方がもう一方の承諾を得ることなしに調査書を発表することを禁じるという協定を結んでおり、WHOはIAEAの許可なしに調査書を発表できない。

・死因は癌、心臓病、脳障害、甲状腺がんなどさまざま。また体内死亡、生後の先天性障害もある。体中のすべての臓器が害されて、免疫機能、肺、眼内レンズや皮膚などすべての器官が放射能の悪影響を受けた。人間だけでなく調査した全ての生きもの、生態系のすべてが例外なく変わってしまった。人とその他の動植物への影響は、DNAの損傷をもたらし遺伝メカニズムがダメージを受けるという点で同じ。細胞を破壊するのであれば癌にはならないが、細胞にダメージが与えられると癌になる、もしくは先天性障害の原因となる。

・病理学者のバンダジェフスキーは、まず動物実験を行ってから子供への影響を調べた。その結果、亡くなった子供たちの心臓に蓄積されたセシウムの量は、動物の場合と同様だった。これを発表した彼は、逮捕され刑務所に収監された。

・放射能がもっとも集中したのはベラルーシ、ウクライナ、ロシアの三国だが、50%以上は北半球全体に行きわたった。チェルノブイリでの死者は近隣の国に限らず世界中にいる。最近の研究によるとチェルノブイリ事故当時に生まれたスカンジナビアの子供は高校を卒業する割合が低く、知的能力に影響が出てきたと思われる。

・私が知る限りのチェルノブイリの最悪な影響は、健康といえるベラルーシの子供はわずか2割だということ。医学的に健康でないだけでなく、知的にも標準以下となっている。

・チェルノブイリの件で、ヤコブロフ博士はゴルバチョフとエリツィンの補佐を務めていた。事故直後の3年間、ソ連政府は情報の隠蔽を続け、一般に真実を知らせまいとデータ収集もしなかった。ヤコブロフ博士はそれを知り情報収集を始めた。出版された論文の数は15万以上だがこの本の執筆には5千点以上が使われた。これらの資料はほとんどがウクライナ語、ロシア語、ベラルーシ語の論文だった。こうした情報が西側世界の目に触れるのは初めて。

・妊娠中に放射性同位体が体内に入ると母体を通じて胎児に届き心臓、肺、甲状腺、脳とすべての細胞、免疫系等にもダメージを与える。こうした子供たちは未熟児で生まれつき健康状態が悪く、死産の率も非常に高い。

・原子炉から放出された放射性物質の量は、本が記す数値と公式発表された数値に大幅な違いがある。もし放出されたレベルが少量だったならば低いレベルの放射性物質は極めて危険ということだし、大量に放出されたのならその甚大な被害の規模をみなければならない。しかし私たちは現地で確かめることができないので、いまだに真相を知らない。

・チェルノブイリ事故の最大の教訓は汚染されたすべての生物に影響を与えたこと。放射性物質はチェルノブイリ周辺のすべての種を絶滅させるかもしれない可能性がある。一度遺伝子が損傷を受けると何世代も引き継がれる。

・技術だけに頼るのは間違い。それを設計・操作する人間にも頼るべきではない。最終的にチェルノブイリ事件のようなミスを起こすのは人間。

・健康への影響は大規模で、北半球全域にわたる。放射性物質の降下地点で人々は死んでいく。死ななければ、子供たちは知的・医学的障害をもって生まれてくる。これがいまだに続いておりまだ終わりではない。チェルノブイリ事故で何が起きたのか人々が真実を知ることがとても重要。

・私は、1952年から原子力規制委員会の前身であった原子力委員会で働いていた。当時の私の限られた教育と経験でも放射能は危険とわかっていた。放射能のもたらす害については米国民に対しても何十年間にわたり秘密と嘘が貫かれ、多少の放射能なんか大丈夫と吹聴された。米国でなくても世界のどこかで再び原発事故が起こるのは時間の問題だと信じている。

 これがチェルノブイリの真実ということだろう。そして、ここにも登場するバンダジェフスキー博士は来日して日本の各地で講演をしているのだが、「福島第一原発事故は、チェルノブイリを上回る危機になることを日本の皆さんは覚悟して欲しい」と語ったという。

 ジャネット・シェルマン博士は、「事故直後の3年間、ソ連政府は情報の隠蔽を続け、一般に真実を知らせまいとデータ収集もしなかった」「放射能のもたらす害については米国民に対しても何十年間にわたり秘密と嘘が貫かれ、多少の放射能なんか大丈夫と吹聴された」と語っているが、日本でも全く同じことが起こっている。東電も政府も情報の隠蔽に躍起になっているし、甲状腺の検査も形だけでしかない。汚染されたところに人々を戻すなどという発想は、事故の被害を少しでも小さく見せるためだろう。さらに「復興」「絆」との名目で放射性物質を全国に拡散させようとしている。政府の方針など信じていたなら、殺されかねない。

 ジャネット・シェルマン博士は50年も原子力産業に関わってきた方だ。こういう方が公の場でこのような発言をされる意味を私たちはよく考えねばならない。

 考えたくもない恐ろしいことなのだが、日本がどれほど大変な事故を起こしてしまったのか、私たちはどうすべきか今こそ真剣に向き合わねばならない。

2012年3月13日 (火)

性善説と性悪説

 ある方から死刑に関することについて問われ、2回ほどメールでやりとりをした。私とは結局意見が食い違ったままなのだが、その方は、性善説と性悪説のどちらを支持するかの違いだと捉えられたようだ。つまり、人が極悪非道な犯罪を起こす背景には何らかの外的要因があると考える私は、性善説を支持していると解釈されたようだ。

 しかし、私は性善説を支持してはいない。性懲りもなく戦争を繰り返し、お金や権力、名誉といったものばかりに固執する人たちは常に存在している。お金儲けのために人を騙して平然としている人も沢山いる。こういった人たちもほとんど犯罪者といえるだろう。ただ、こういう人たちは法的な制裁を免れる狡猾さがあり、あるいは巧みに責任転嫁したりするので、簡単には犯罪者にならないだけだ。しかもこの国では警察や検察も、そして裁判所ですら市民の味方ではなく国家の味方だ。弁護士にもお金のために悪に加担する悪徳弁護士がいる。

 こんな欲深い人間が社会を牛耳っていると思うと、やはり性悪説を支持するほかない。人間とは何と罪深い存在なのだろうと思う。

 ただ、死刑制度の賛否と性善説・性悪説のどちらを支持するかは同じ視点で語れないと思う。死刑に関しては何よりも「人は人を殺すべきではない」という生物としてのタブー、あるいは「自分は人を殺せないし殺したくない」という自分自身の感覚から私は賛同できない。また死刑を課すことで人の抱えている性悪なものが排除できるとも思わないし、報復がよりよい社会に貢献するとは到底思えない。

 私は、いわゆる「悪人」と言われる人たちは大きくわけて二通りあると思う。ひとつは、外敵要因によって精神に異常をきたしたり強いストレスにさらされた挙句に犯罪を起こす人。マインドコントロールされて犯罪に手を染めるような人も前者に入るだろう。

 もうひとつは、いわゆる欲(お金への欲、権力欲、名誉欲など)に目がくらんだ「金の亡者」「欲の亡者」だ。危険だと知りながらお金のために原発を推進してきた人たち、自分の利益のためなら弱者を平気で切り捨てられる人たち、悪質商法で人を騙し堂々とお金儲けをしている人たちもこれに分類される。事件のストーリーをでっちあげ冤罪をつくりだす警察や検察もそうだ。

 では戦争による殺人はどうだろう。私は「欲の亡者」によるマインドコントロールのなせる非道ではないかと思う。つまり、戦争とは前者と後者が合わさってなされる犯罪ではないかと思うのだ。そういう国家の企みに多くの人が気づくことができないのが人間の愚かさであり、国家の暴力に頑として抗えないのが人間の弱さだとも思う。そこにも人間の欲が横たわっている。

 人がお金というものを持たず狩猟採集を中心とした原始的な生活をしていた頃は、争いごとはあったにせよ人々はもっと平和的だったのではなかろうか。アイヌ民族なども平和的な民族だといわれているし、争いごとは知恵によってある程度抑制されていたのだろうと思う。

 人間がお金や財産を持つようになってから、「お金さえあれば幸せになれる」という価値観が人の心に住みついてしまった。お金が人の心を邪悪にして「金の亡者」「欲の亡者」をつくりだしてきたように思う。もちろん人が生きていくためにお金は必要だ。しかし、問題は強力な支配関係をつくり、富を平等に配分せず一部の強欲な人間が独占しようとするシステムにある。

 一部の人が富を独占できる社会構造においては、搾取によって富の不平等が生じ、差別が生じる。「金の亡者」は際限なく欲を肥大させる。搾取も差別も貧困も人の心を蝕み、犯罪の温床になる。富の独占を抑制しない限り、アメリカや日本のような資本主義は破綻するしかないだろう。人間社会が「欲」に支配されている以上、社会システムの変換をしない限り、破綻か戦争が待ち受けているように思えてならない。

 そして問題なのは、人が「金の亡者」「欲の亡者」になるかならないかは紙一重でしかないということだ。人生における選択の際、良心に目をつむりお金や権力、名誉などを選ぶことを重ねていくうちに、人は知らず知らずに謙虚さを失い「欲の亡者」になっていくのではなかろうか。警察や検察などといった組織の腐敗はまさにそこにあると思う。また、決して悪人とは思えないのに御用学者の道を歩んでしまった人を何人も知っている。日本人の多くが「原子力ムラ」などの利益共同体の住人になり得るのだ。

 小出裕章さんのように、一生を良心に誠実に、欲に振り回されることなく生きられる人はむしろ稀有なのかもしれない。誰もが「欲の亡者」になり得るし、「欲の亡者」が跋扈する現実を見る限り、やはり性悪説を支持するしかない。

 しかし、だからといって人間はどうしようもない生物だと言って開き直るつもりもない。人間は誰しも直感的に善悪の判断ができる生物だし、誰にでも良心というものがあり、他者の痛みを感じたり他者を思いやる気持ちを持っているとも思う。また、人には理性が備わっている。しかし、強いストレスや不安、あるいはマインドコントロールによって良心や理性は簡単に歪められるのではないか。また、限りない欲望によっても歪められてしまうのではないか。だから、いつの世にも悪がはびこるのだ。人間社会から犯罪をなくすことはできないだろう。けれど、人の尊厳を認め、本来もっている良心や理性を呼び覚ますことができれば犯罪を減らすことはできるはずだ。

 私は性善説を支持しないが、人が本来もっている良心は信じたい。良心に誠実になることで、人は「欲深さ」という愚かさにも気づくことができるはずだ。福島の原発事故で原発の恐ろしさに目覚め、これまで原発に無関心だったことを反省し、反原発の活動を始めた人はたくさんいる。良心に誠実になり過去に学ぶことで、より平和的な社会を構築することも決して不可能ではないと信じたい。

 北欧の国々やドイツなどは、しっかりと過去に学んでいるし、環境問題に対する取り組みも真剣だ。北欧などは今後の日本社会のあり方を考える上でよい手本になるだろう。北欧が地震大国であれば、彼らは決して原発には手を出さなかったと思う。

 良心や理性によって、欲という性悪なものと闘いつづけなければならないのが人類であると思う。だからこそ欲に向きあい、幸せとは何か、豊かさとは何かを問い、欲深さを反省できるような社会の仕組みをつくったり維持する努力をすることこそ大事なのではなかろうか。反省や更生を否定し犯罪者を排除するだけの死刑制度は、そのような社会の構築のためにマイナスになることはあっても決してプラスにはならないと思う。

2012年3月11日 (日)

震災、原発事故一年に思う

 今日はあの悪夢のような大地震、大津波から1年を迎えた。まずは犠牲者の方たちのご冥福を祈るとともに、今も避難生活を余儀なくされている方たちに一日も早く平穏な日常が戻ることを願いたい。

 昨年3月11日、決して大きくはないもののいつまでも続く長い揺れに嫌な予感がした。東北地方はしばしば大地震に襲われていたので、まさか私の生きている時代にこれほどまで大きな地震が襲ってくるとは思ってもいなかった。大津波警報が出された頃にはテレビに見入っていたが、あれほどの大津波が押し寄せるとも思っていなかった。

 そして、テレビ画面に映し出されたあの大津波の映像に震撼とし、流されていく家や車に人がいないことを願った。釜石の巨大な防波堤すらあっけなく壊れ、自然の力の前に人の力などどれほど小さいものかと思い知った。自然の力とはいえ、やはりこの悲劇の半分は人災といっても過言ではないだろう。地震大国である以上、地震や津波に備えた防災は欠かせないし、それが活かされたとは思えない。そう思うと身震いがする。

 しかし、最大の人災はなんといってもその地震によって起きた原発事故だ。あの一号機の爆発の映像を見たときには、体中から力が抜け「とうとうやってしまった!」という痛恨の思いと、これからこの国はどうなるのかという不安がよぎった。あれから私のブログは原発ブログのようになり、原発事故のことが頭に浮かばない日はない。ライフワークとしているクモの調査研究にも力が入らない。

 あの事故から一年たって分かったことは何だったのか。「安全神話」の崩壊。福島第一原発の事故は起こるべくして起こったということ。過酷事故に対して何の備えもなかった事実。東電と政府の情報隠蔽や虚偽説明。国民の命より自分たちの利益を優先させる恐るべき原子力ムラの実態。大半の原発が止まっているにも関わらず深刻な電力不足は起きていないという事実。

 福島第一原発の事故は大変な放射能汚染を引き起こしたが、4号機は偶然によってさらなる惨事から免れたことも分かってきた。つまり、冷却機能を失った燃料プールの水が蒸発して燃料がむき出しになる寸前に、たまたま原子炉ウェルに貯めてあった水が地震でプールに流れこんだためにその悲劇を免れたのだ。危機一髪だった。そして福島第一原発の危機的状態は今も続いている。

4号機のヒビを前に、ぼくたちの運命は「風前のともしび」状態にある(秋場龍一のねごと)

 わたしたち日本人、というより人類は、今も綱渡りをしているに等しい。4号機が倒壊したり、プールにヒビが入って水漏れが生じたなら人類が経験したことのない猛烈な放射能汚染が始まる。日本は人が住めるようなところではなくなり、北半球にとんでもない汚染を拡散させると言われている。原発事故はまさに核戦争に等しいのだ。そして、その危険は今も去ってはいない。

 政府は最悪の事態になった場合、首都圏3000万人の避難も想定したという。そうならずに済んだのは、ひとえに偶然でしかない。しかし、これほど恐ろしい事態を目前にしても、未だに原発を続けたがっている人がいる。再稼働を認めるという人もいる。私には狂気としか思えない。

 昨日届いた「週刊金曜日」にストレステストのことが書かれていた。それを見て、ただただ愕然とした。何と、原発が耐えられる地震動(ガル)は、机上の計算だけでどんどん大きくなっているのだという。阪神・淡路大震災の後の計算で跳ね上がり、さらに東日本大震災の後のストレステストでは、それまでの1.29~2倍の揺れにも余裕があるとしているという。

 たとえば四国の伊方原発では、3号炉の当初の設計地震動はS1(起こりそうな最も影響の大きい地震による地震動)が330ガルで、S2(起こりそうにないが万一を考えて想定する地震による地震動)が450ガルだったのだが、東日本大震災を受けてのストレステストでは1060ガルまで余裕があるとしているのだ。こんな数字を信じられる人はまずいないだろう。ここまで国民を馬鹿にしてでも原発を稼働させたい人がいるという現実に、この国の利権病の深刻さが現れている。そしてこうしたことを大きく報じないマスコミの病も重い。

 原発事故一年目にして、この国の病の重さに気持ちが沈む。明るい未来が描けない。しかし、絶望してしまったらそれこそ終わりだとも思う。日本は世界に対して放射能汚染の責任を負っているのであり、諦めてはならない。身を削って事故処理にあたっている作業員の方たちに感謝せねばならないし、彼らの努力を無駄にしてはならない。

 私の住む十勝地方は、今日も何ごともなかったかのように穏やかで、雪景色の中にヒガラの囀りが響いている。しかし、いつ地球に「沈黙の春」が訪れてもおかしくないというのが現実だ。あの震災、原発事故から一年目の今日、私たちが肝に銘じなければならないのは核戦争と同じ結果をもたらす原発との決別でしかないと思う。

 チェルノブイリの事故でセシウムによる人体への影響を調べて投獄されたバンダジェフスキー博士は、日本に来て「福島第一原発時オは、チェルノブイリを上回る危機になることを日本の皆さんは覚悟して欲しい」と語ったという。

http://twitter.com/#!/KinositaKouta/status/178190816559374336 

 また、震災がれきの広域処理についても懸念を示した。

チェルノブイリの事故研究者が初来日 きょう那覇で講演会(琉球新報)

 それにしても、当事国である日本では危機感のない人が多すぎるのではなかろうか。「絆」を持ち出したがれき拡散の動きは、さらなる国民の騙し行為だ。危機を感じていない人に、いったいどうやって伝えていったらいいのだろう。あるいは「心配したってしょうがない」「なるようにしかならない」と諦めている人も多いのかもしれないが、それでいいのだろうか?

2012年3月 8日 (木)

がれき拡散の根底にあるもの

 昨日の北海道新聞朝刊一面に、北海道新聞社による原発関連の全道世論調査の結果が報じられていた。結果だけを取り上げると以下。

泊原発の停止と電気料金値上げについて
・値上げを受け入れてでも、原発は不安なので止めておく 64%
・経済の冷え込みにつながるので、値上げをせず再稼働させる 30%
・分からない・無回答 6%

被災地のがれき受け入れについて
・放射性物質のレベルが国の基準以下なら受け入れても良い 84%
・放射性物質のレベルが国の基準以下でも受け入れるべきではない 14%
・分からない・無回答 1%

 世論調査というのは設問の仕方によって答えをある程度誘導することも可能だから、これが正確に道民の意見を反映しているかどうかは分からない。しかし、この結果を見ると、やはり国民への情報が不足しているとしか思えない。

 はじめの泊原発の停止に関して言うならば、過半数の道民が原発に危険性を感じているということだ。福島の事故を踏まえたなら当然の結果だろう。というより、30%もの人がいいまだに再稼働を容認していることに驚きすら感じる。

 3.11以降、日本で地震が活発化していることは明らかだし、泊原発の近くにも断層があることがわかっている。廃炉裁判も起こされている。泊原発で苛酷事故が起こらないなどとは決して言えない。北海道では目立った節電の実施もない。今のところ、福島の事故による土壌汚染もそれほど深刻ではない。世界規模で深刻な汚染を引き起こす原発事故への危惧より、経済を優先させたい人がこれほどいるとは溜め息が出てくる。

 がれきの受け入れについてはさらに驚いた。放射性物質という毒物を拡散させることに無頓着な人があまりに多い。既存のゴミ焼却施設では放射性物質を含んだゴミを燃やすような仕様になっていないことを理解していないのだろうか? あるいは、放射性物質が濃縮された焼却灰を埋め立てたなら、土壌や地下水などの汚染につながる可能性があることを分かっているのだろうか? がれきの広域処理にがれき利権があることを知っているのだろうか?

 テレビや新聞でしか情報を得ていない人たちは、「復興のさまたげになっている」というがれき処理の大義名分に騙されてはいまいか。(これについては「震災瓦礫は復興を妨げているのか?」)を参照していただきたい)

 今日の北海道新聞朝刊一面では、札幌市長の上田文雄氏が「(放射性物質が)国の基準を下回っていても受け入れるつもりはない」と表明したことが取り上げられていた。上田市長は「放射性物質の恐ろしさを十分理解した上での判断なのか」「放射性物質は微量でも有害で極めて長寿命。十分な知識を持ち、風評被害のことも考えた上で判断してほしい」と話したそうだ。

 上田市長の言うように、放射性物質の恐ろしさを多くの道民が理解していないと思うのだが、それは道新も含むマスコミの報道にも大きな責任がある。新聞などでは、がれきの危険性についての指摘があまりに少ないのだ。だいたい、毒物を拡散させていいわけがない。どうしてそのような単純なことを理解できない道民が多いのだろう。やはり「復興」という言葉に半ば騙されているのではなかろうか。

 以下の記事ではがれき拡散について「また瓦礫を全国にばら撒く理由は、住民の帰還を強行するためでもあり、さらに踏み絵のように実施することで、翼賛的な絆をつくることに貢献するからである。」と書いているが、見方によってはそうかもしれない。がれき拡散の根底にあるものを見極めなければならない。

(78)脱原発を求めて。(8)想定外などないお上の掟(ドイツから学ぼう)

2012年3月 7日 (水)

手作りという豊かさ

 先日、娘にブラウスを縫って欲しいと頼まれ、久々に洋裁をした。若い頃はブラウスやスカートなど時々縫ったものだが、最近はさっぱりやらなくなった。ミシンを出したついでに、ポケットティッシュ―のケースも縫ってみた。ハンカチなども入れられるポケットが付いているもので、簡単にできる。

 そんなわけで、生地などを入れてある箱を物色していたら、作りかけのバテンレースが出てきた。バテンレースというのは、図案を書いた台紙にリボン状のテープを糸で留めて固定させ、テープの間の空間を糸でかがる手芸だ。私のおぼろげな記憶では、中学生の頃にクラブ活動でつくりかけたものの、何らかの理由で中断したままになっていたものだ。

 とすると、40年以上も前のものということになる。さて、どうしようかと迷った。私はバテンレースを仕上げたことがない。しかもテープは古びて黄ばんでいるし、たいていの人は捨ててしまうと思える代物だ。でも、今までとっておいたものを捨ててしまうのも忍びない。そこで、頭を悩ませながら何とか完成させたのが以下の作品。漂白して黄ばみをとってから糊づけしてアイロンをかけた。

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 服を縫ったり手芸をしたりなど、何年ぶりだろうか。そういえば以前はセーターやベスト、靴下などの編み物もときどきしたものだ。考えてみれば、洋裁や手芸に限らず、生活の中から「手作り」がめっきり減った。

 その理由のひとつは、なんでも買える時代になったということだろう。たとえば子供が保育園や幼稚園、あるいは小学校などで使うような袋物、座布団など、かつては母親が手作りしたようなものまでお店で売っている。

 洋服だって、既製品を買ったほうが材料代より安いことも少なくない。もっとも、衣類などの大量生産は国外での低賃金の労働によって支えられていることを肝に銘じなければならない。

 それと同時に、買えるものを手作りするための時間がもったいない、というような気持ちが心のどこかにあったのだとも思う。たとえば読書はお金で買うことができない。調査・研究も、また社会活動などもそうだ。そういうものの方が、買えるものより価値があるのではないかという思いに捉われて優先させるうちに、手作りから遠のいてしまったように思う。

 しかし、久しぶりに洋裁や手芸をやってみて、手作りの時間が持てるというのは豊かさではないかという気がしてきた。そして思いだしたのが、ミヒャエル・エンデの「モモ」という少女の物語だ。円形劇場あとに住みついたずぼらしい身なりのモモは、人の話を聞くことのできる素質をもち、人々から慕われていた。ところがモモの住む街に灰色の男たちが現れ、人々から時間を盗んでいく。灰色の男たちの言葉巧みな誘いによって、人々の生活から余裕が消えていく。灰色の男たちが時間泥棒であることを知ったモモは、灰色の男たちと立ち向かって時間を取り返すという物語だ。

 灰色の男たちに時間を盗まれて余裕のなくなった人々は、「時間がない」「時間がもったいない」といってせかせかとし、何でもお金で手に入れようとする現代人に重なってくる。私たちは、知らず知らずのうちに「時間泥棒」に時間を盗まれているのではないかと思えてくる。

 もちろん、時間を無駄にしまいと何かに一生懸命取り組むことを否定するつもりはない。仕事に追われて手作りなどとてもやっている暇がないという人も多いだろう。でも、時間に追われ、手作りも楽しめない今の社会はあまりに歪んではいないか。手作りする生活は、無駄なことなのだろうか? 手作りして出来上がった物も、それをつくる過程もお金で買えるものではないし、自分で作ったものは愛着があって粗末にできない。

 ウィキペディアでは「モモ」について以下のように説明している。

このモモという物語の中では灰色の男たちによって時間が奪われたという設定のため、多くの人々はこの物語は余裕を忘れた現代人に注意を促すことが目的であるとされている。しかし、エンデ本人が世の中に訴えたかったことは、この「時間」を「お金」に変換し、利子が利子を生む現代の経済システムに疑問を抱かせることが目的だったという事が、のちに発行された『エンデの遺言』という書籍に記載されている。

 私の子供の頃は、家庭でいろいろな物を手作りするのは当たり前だった。男性も日曜大工などをする人が多かったのではなかろうか。売っている物は少なかったし人々の生活は今よりずっと貧しかったが、時間は今よりゆっくりと流れていたと思う。ひたすら経済成長を目指す資本主義という経済システムは溢れるほど物を生みだしたが、それと同時に時間泥棒を生みだし生活から余裕を奪っていったのではないか。

 だからといって、昔のように女性が専業主婦でいるべきとはもちろん思わない。男性であれ女性であれ、今一度立ち止まって真の豊かさ、時間やお金のこと、大量生産や大量消費のこと、資本主義の未来について考えてみるべきではないかと思う。手作りはそんなことを問いなおすきっかけになるだろう。

 資本主義社会は搾取、差別、格差を生みだし、私たちの生活から手作りというゆとりも奪ってしまった。今のような資本主義社会からは真の豊かさは決して生まれないだろう。

 いつまでも経済成長の幻想に捉われ、際限なくお金や物を欲しがる人間は、この先どこに行くのだろうか。私には殺伐とした未来しか想像できない。

2012年3月 5日 (月)

南相馬の黒い物質についての続報

 「南相馬の恐るべき汚染」で、大山弘一市議のブログを紹介して南相馬のあちこちに高線量を発する黒い物質があることを報じたが、ツイッターなどでは「プルトニウムではないのか」「核燃料ではないか」などとの呟きも見受けられた。さすがに、プルトニウムとか核燃料とまで言えるのかについては疑問だったので拡散はしなかったが、「さつき」さんがこの黒い物質のことについて取り上げている。

南相馬の放射能で汚染された「黒い物質」のことなど(メモ:追記あり) (さつきのブログ「科学と認識」

 テレビをほとんど見ないので知らなかったのだが、「さつき」さんの記事で、この物質のことが「報道ステーション」で取り上げられ、その報道に対してNHKのディレクターが「不安を煽る『報道ステーション』」という批判記事を書いていることを知った。

 私はその後大山さんのブログを見ていなかったのだが、「さつき」さんによるとどうやら大山さんはベクレル/kgからベクレル/平米の換算に関して間違いをしていたようだ。情報の発信者であり、ネットで拡散を呼び掛けている方がこのような誤りをしているのであれば由々しきことだ。発言は慎重にしなければ揚げ足取りをされるし、誤った情報発信をすれば原発推進者に潰されかねない。

 ところで、NHKのディレクター氏が書いている以下のことは本当なのだろうか?

神戸大学で108万ベクレル/kgが検出されたのは、実は「黒い物質」ではない。番組で紹介されたのとは全く別の場所、市内の駐車場の排水溝近くにあった土壌である。この事実は20日、共同通信によって配信された記事によって確認される。分析に当たった神戸大学の山内友也教授の「土壌に含まれていた枯れた植物が集まったことによって、濃縮が進んだ可能性」というコメントからも、「黒い物質」=藻ではないことは明らかだ。ところが、「報道ステーション」では、108万ベクレルの放射性物質は、「黒い物質」から検出されたとしか見えない。そのように編集されているからだ。

 ディレクター氏の「20日、共同通信によって配信された記事」を探してみたのだが、見つけることができなかった。すでに削除されているのかも知れない。

 大山氏はディレクター氏の記事を引用して反論を書いており、また黒い物質はあくまでも「藍藻」と主張していて意見が食い違っている。しかしこれだけでは、山内友也教授が計測した108万ベクレルの物質が「黒い物質」なのか、「落ち葉」なのか、あるいは両方なのか分からない。

 なお、この黒い物質のガンマ線の核種分析結果については以下の情報がある。

http://twitpic.com/8kot71 

 NHKのディレクター氏と大山氏は基本的な認識や考え方に大きな違いがありそうだ。ディレクター氏は木村真三氏や今中哲二氏、児玉龍彦氏の意見を持ち出して大山氏のことを「誤った情報によって不安を煽る」と批判している。しかし木村氏、今中氏、児玉氏の意見が正しいと言えるとも限らない。一方、大山氏は御用学者らを批判して避難を主張する。それぞれ基本的な認識が違うから支持する人も違うし、お互いに感情的になっているようだ。

 ところで、福島県の汚染が安心できるものではないことは、ディレクター氏も認識しているのではなかろうか。問題は、健康被害を懸念して避難を主張している人たちが果たしてわざと「デマを言った」のか、あるいは「意図的に不安を煽っているのか」ということではなかろうか。先の大山氏の不適切な計算も、意図的とは思えない。また、ディレクター氏は、108万ベクレルの物質について記者会見した「フクシマの命と未来を守る会」と市議(大山氏のこと)について以下のように批判しているが、勘繰りすぎではなかろうか。

「守る会」とこの市議は、南相馬市から子供たちを全員避難させるべきだと主張し、27日から除染を終えた市内の学校で授業が再開されるのに反対を唱えていることで知られる。去年採取した土壌の汚染を20日になって発表したのは、学校再開のタイミングを狙ったものと勘ぐることも可能だ。「全員避難させるべき」と考えるのは自由だが、プルトニウムなどを持ち出して、「子供を避難させない親」を脅かすのは全くの倒錯であり、はっきり言ってしまえば、悪質なデマだ。

 チェルノブイリの事故のときも、「線量がそれほど高くないから住んでも大丈夫」と言われて住み続けたら後に病気が多発し、避難を余儀なくされたところがある。結局、数年住み続けないとリスク判断ができないというのが放射能汚染だと思う。健康被害が分かったときには取り返しがつかないということだ。だからこそ避難を主張する人たちがいるのだし、そのことが不適切だとは思わない。

 予防原則の立場から言うなら、やはり汚染の酷い地域に住む人は避難するのがベストだと思う。福島はチェルノブイリとまったく同じではないのだから、今後、どんな健康被害が生じるのか、あるいは生じないのかは誰にも分からないのに、避難を主張する人に対して「過剰反応だ」とか「不安を煽る」と批判するのはおかしなことだ。ただし、汚染について公言する以上、誤りや錯誤がないよう十分気をつけなければならないのは言うまでもない。

2012年3月 2日 (金)

水漏れ東郷ダム改修で農家は受益者負担を払うのか?

 昨日の北海道新聞に「東郷ダム縮小 農家同意 改修費負担焦点に」という記事が掲載された。

 東郷ダムはかんがい用のダムなのだが、着手してから40年にもなるのに漏水で使えないという欠陥ダムだ。以下の記事によると、漏水のために当初の事業費63億円が379億円に膨れ上がったが、今なお使えない。このために、2011年9月に会計検査院が事業評価を行うように求めていた。

検査院を検査せよ 東郷ダムの内情(BLOGS)

 そこで北海道開発局が出してきたのが、貯水量を当初計画の427万トンから18万トンへと、何と96%も減らすという代替案だ。不足分は河川からの取水でまかなうという。96%も減らすのに、そのための改修費に46億円が必要だという。

 当初計画の4%しか貯水できないダムなど、どれだけ意味があるのだろう。河川からの取水に頼るのなら、水たまり程度のダムが必要なのだろうか? 本当にかんがい用水が足りないのなら、そもそも農家はとっくの昔に離農しているのではなかろうか?

 ところで、北海道新聞の記事は、縮小案に受益農家が同意したという趣旨だ。記事によると、「受益者農家の負担する維持管理費は、ダムの規模が縮小されたにもかかわらず年間950万円のまま変わらない」とある。この記事からは農家が実際に受益者負担(維持管理費としているが・・・)を支払うと読みとれるのだが、本当だろうか。

 国営の土地改良事業の場合、国が事業費の80%、都道府県が15%、受益者が5%負担することになっている。北海道新聞によると、「東郷ダムの改修費用についてはこれまで国85%、道15%の負担割合だった。今後の改修費46億円をどうするかについては未定で、両者が今後協議するが、道は新たな負担に慎重な姿勢を示している」と書かれている。漏水で利用できない東郷ダムは、現時点では受益者負担が発生していない。このために国の負担を85%としているのだろう。利用が開始されれば5%の受益者負担を国に支払わねばならないのだ。

 ところで、十勝地方の「美蔓地区国営かんがい排水事業」にしても「富秋地区国営かんがい排水事業」にしても、受益者負担は農家が負担せずに地元自治体が肩代わりする。農家が負担するのは自分の敷地内の配管やスプリンクラーなどの施設のみ。水が不要な農家は配管しなければお金はかからない。

 東郷ダムの場合も、同じように受益者負担は農家が支払うのではなく地元の自治体が肩代わりするのだろう。北海道ですら負担金の支払いに躊躇しているのだ。40年も事業が滞り事業費がどんどん膨らんでいるのに、300戸もの農家が費用負担にすんなり同意するとはとても思えない。逆に言うと、農家の同意を取り付けるためには受益者負担を市町村が肩代わりするしかない。すべてが税金による事業だということだ。

 いったい農家はほんとうにダムが必要だと思っているのだろうか? ダムができたら本当に水を使うのだろうか? 多くの農家が世代交代しているだろうし、「もう水は必要ない」という農家だってあるだろう。受益者負担を市町村が肩代わりすることで、そこがあやふやにされてしまうのだ。

 それにしても貯水量を96%も減らし、さらに46億円かけるというのには呆れ果てる。ただただ「中止したくない」「負の遺産を残したくない」という執念でしかないように思う。

 そもそもダムを造る以上、地質調査をしっかりと行い水漏れが起きないような場所かどうか見極めなければならないのだが、そういう基本的なところから杜撰だったとしか思えない。欠陥ダムは事業者の責任なのだ。こういうことに湯水のように税金が使われることに対し、国民はもっと怒るべきだろう。

2012年3月 1日 (木)

十勝川の河畔林伐採は意味があるのか?

 1月26日の北海道新聞帯広十勝版に「樹木の伐採希望者募集」という記事が掲載されていて驚いた。帯広開発建設部が、十勝川の河畔林の伐採希望者を募集しているという。記事では公募伐採について以下のように書いている。

国管理の河川内の樹木は、各開建が行うが、予算縮減のため「開建だけで対処するのは難しい」と実施を決めた。河道の樹木は、環境・景観上の財産である一方、増水時の障害となるため、同開建は「計画的管理が必要」だとしている。

 帯広開建に問い合わせると、この河畔林伐採については昨年の秋にワークショップで議論し承認されているという。そこでそのワークショップの議論を見てみると、たしかに音更川合流点上流の左岸の樹木伐採が提案、了承されている。

十勝川中流部川づくりワークショップ 

 開建が伐採を予定している地域というのは、十勝川水系河川整備計画の中で「河道掘削」を予定していたところだ。それをワークショップの中で樹木伐採に切り替えたのだ。パブリックコメントを行い公聴会を開いたうえで確定させた整備計画を、ワークショップで簡単に変更してしまうなら、何のための公聴会だったのだろう。

 そこで十勝自然保護協会は帯広開発建設部に河畔林伐採について現地での説明を求めていたのだが、昨日ようやく実現した。以下が現場の写真。胸高直径が10センチ程度のヤナギ林で、ケショウヤナギもある。

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 開建の説明で確認できたことは以下。

・伐採の目的は流下断面を確保して洪水を防止するため。樹木が密に生えている部分は水の流れを100%阻害、疎に生えている部分は30%程度水が流れるとして計算した。

・伐採箇所は十勝大橋から左岸上流730メートルまでくらいの間で、4.75ヘクタール。応募者が少なかったので、対象地(上流堤防側)の2割ほどで実施する。

・伐根をそのままにすると萌芽するため、帯広開建で抜根し、在来種の種子が多いと思われる土壌を入れて草原となるようにする。

 河畔林のある部分は川の流れを阻害することは確かだ。しかし、密に生えているといっても水は木の幹や枝の間を通って流れるのであり、100%阻害することにはなりえない。100%阻害するとして計算するのはどう考えてもおかしい。

 伐採する木の体積(材積)はどのくらいか、伐採によってどの程度水位が低下すると計算しているのか質問したのだが、開建は答えることができなかった。洪水防止が目的としながら、その効果がどのくらいであるのかも計算していないのだ。

 抜根は大変な作業である。重機を入れて抜根したならオオアワダチソウなどの外来種がはびこる可能性が高いし、裸地にして客土したなら土砂の流出にも繋がるだろう。ヤナギの種子も飛んできて数年したらまたヤナギ林になりかねない。草原が維持されるような環境にはない河川敷を草原化することに無理がある。

 また、十勝川水系河川整備計画では「樹木の大きさ、密度、成長速度等を踏まえた効果的な樹木管理方法、流木対策について、関係機関と連携しつつ、引き続き調査・検討を進める。」としているのだが、伐採予定地の樹木については調査をしていないという。調査もせずにどうやって河畔林の管理をするのだろう。

 はっきり言って、期待するような治水効果があるとは思えず、単なる自然破壊としか思えない。

 昨日の説明で私が一番カチンときたのは、「洪水を起こしてはならない」という言葉だった。十勝川では150年に一度の洪水に対応した河川整備を行うことになっている。そして、1981年には300年に一度とも言われるような大雨が降っているのだが、その時も帯広付近では堤防から水は溢れていない。しかもその後十勝ダムができているので上流部の大雨はダムに貯められるのだ。つまり、現状の堤防で150年に一度の洪水はクリアされていると言えるだろう。ところが河川管理者は、算出根拠不明で過大としか思えない計画高水流量や目標流量などを設定しまだまだ治水対策が必要だという。

 もちろん将来的には1981年を上回る大雨が降ることだってあるだろう。しかし、そのような設計を超える洪水が生じたときには、堤防から水を溢れさせるしかない。越流しても破堤しない堤防を造ってできる限り農耕地など安全なところで溢れるようにし、住民の避難対策を万全にするなど、越流した際に被害をできる限り小さくさせるのが防災だ。どんな大雨でも堤防の間に水を閉じこめようという発想が誤りなのだ。

 3.11の大津波と同じで、いくら巨大な防波堤を造ったところで、それを超える大津波がきたら安全なところに逃げるしかないのだ。人工構造物で自然の力を封じ込めようとする発想は人間の傲慢でしかない。

 洪水被害が生じやすい堤防の近くや河川の合流部を宅地として許可してきた行政にも問題がある。川の合流点などはもともと水につかりやすいところなのだが、そういうところに家を建てるから大雨で浸水被害が生じ「洪水対策をしっかりしてほしい」という声になるのだ。本来なら河川沿いや川の合流点付近は林地や農地などにして居住を制限すべきだろう。どうしてもそのようなところに住まねばならないのなら、高床式の住宅を義務化するなどの対策をとるべきだ。

 このように根本的なところで発想を変えない限り、永遠に治水のための土木工事を続け、河畔林伐採などの自然破壊をすることになるのだ。

 もう一つ言っておかねばならないのは、ワークショップというシステムだ。これまで事業者によって○○検討会、○○審議会、○○委員会といった御用学者を引きずり込んだ会議が開催され、無駄な公共事業が承認されてきたことを、私たち自然保護団体は嫌というほど知っている。はじめから事業を行うことを前提とした会議だから、決して中止という決定はなされない。住民参加を謳ったワークショップも、詰まるところはこれと大差ない。

 「十勝川中流部川づくりワークショップ」は、河川管理や治水、自然のことなどほとんど分からない一般住民を集めて、開建の提案を了承させる場だ。住民参加の名の元に事業者の提案を通すためのシステムに過ぎない。

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