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2011年12月22日 (木)

瓦礫と廃炉問題に関する杉山弘一氏への反論

 群馬県の杉山弘一氏が、私の書いた「瓦礫の受け入れ拒否はエゴで、被ばくを恐れるのは愚かか?」という記事への反論をしている。以下の記事だ。それについて私の意見を述べておきたい。

廃炉もいばらの道である(市民の目!沼田)

 杉山氏は、瓦礫の受け入れに反対している私が泊原発の廃炉訴訟の原告になっているのは矛盾しているという。

 杉山氏の論理は以下のように理解できる。廃炉の実現には使用済み燃料の管理の問題があり、それをクリアしなければならない。その使用済み燃料を保管できる施設は瓦礫と比較にならないリスクがある。また、廃炉にすれば放射性廃棄物が大量に発生するので、その受け入れも考えなければならない。そういうリスクを受け入れなければ廃炉はできないから、廃炉訴訟の原告が瓦礫を受け入れないというのは矛盾している。

 廃炉の実現にあたっては、使用済み核燃料や汚染廃棄物が生じるなどということは百も承知だし、この問題を解決しなければ廃炉が実現しないというのは分かる。泊原発を廃炉にして欲しいと思っている原告の方たちもそのことは理解しているだろう。しかし、私は廃炉訴訟というのは基本的に「廃炉の決定」の判断を求めているものと理解している。

 原発には耐用年数があり、耐用年数に達したなら廃炉しなければならない。裁判を起こして廃炉を求めるということは、耐用年数に達する前に原発の運転を停止し廃炉の決断をしろということだ。廃炉によって汚染廃棄物が生じることは原発をつくる時点で分かっていたことなのであり、本来であれば原発をつくった時点でその処理のことまで考えておかなければならなかったのである。使用済み燃料にしてもそうだ。これは訴訟を起こしても起こさなくても生じる問題なのである。

 そして、その使用済み核燃料や廃炉による汚染廃棄物の受け入れ先は、たった612人の原告の意向で決められる問題ではない。これは原告の意思がどうこうという問題ではない。そもそも廃炉訴訟というのは、どのような手順で廃炉にし、そこから生じる核廃棄物をどうするかまで争点としている裁判ではないと私は考えている。

 使用済み燃料の保管に関していうならば、それらの保管場所の確保もしないで安全神話を振りまき、国策として進めてきた国や電力会社に最も責任がある。もちろん、だからといって廃炉によって生じる核廃棄物は自分とは関係がないというつもりはない。日本人が原発を受け入れてきた以上、どこかで責任はとらなければならないことだ。しかし、それは前述したように原告の意思だけで決められる問題ではない。そして、原告の方たちが生きている間に解決できる可能性も高くないだろう。未来の何世代にもわたって大きな負の遺産を受け継がせてしまうことになったのであり、痛恨の極みだ。

 裁判によって運転停止、廃炉の決定がなされたとしても、すぐに廃炉にできるわけではない。燃料の保管場所が決まらない限り、とりあえず使用済み燃料は泊原発の建屋内にあるプールに保管しておくしかないだろう。だから原発を停止したからといって、危険が去るわけでは全くない。また、北海道内に保管施設をつくったとしても、危険がなくなるわけではない。そのことも承知の上で、まずは運転停止と廃炉の決断を求めているのである。少なくとも私はそのように理解している。

 瓦礫の受け入れ問題に関しては廃炉訴訟とは別の問題だ。福島原発の事故によって、チェルノブイリでは廃村になったところと同等の汚染地帯が生じてしまった。この事故によって生じた汚染瓦礫は、このような地域に集めるしかないと私は思っている。そのために東電や政府は汚染地域の土地を買い上げて住民の生活を保障しなければならないだろう。汚染瓦礫を全国に拡散して汚染の低い地域まで汚染させることは反対だ。このような地域は安全な食料の生産地、被災者の避難や保養の場所として確保しておく必要がある。そもそもこの事故による汚染物質の処理問題と、廃炉による核廃棄物の処理を同列に扱う杉山氏の思考は理解しがたい。

 なお、「泊原発の廃炉をめざす会」の設立趣意書をお読みいただきたい。

泊原発の廃炉をめざす会 設立趣意書 

 この趣意書の「6全道民に呼びかけます」には「私たちは、幌延をはじめ、北海道のどこにも核廃棄物を一切持ち込ませない運動を行ないます。」と書かれている。原告の方たちはこの趣意書に賛同して原告になっているのだ。汚染瓦礫という核廃棄物を北海道に持ち込ませないというのは会の方針としても合致しているのである。杉山氏は大きな誤解をしている。

 もうひとつ指摘しておかなければならないことがある。杉山氏は「毒蜘蛛おばさんが信奉するアー二ー・ガンダーセン」と表現している。しかし、私は人を信奉するなどということはしない。私は「福田君の尋問で見えてくる出版差し止め裁判の本質 」という記事の最後にこう書いている。「私は信頼している人、尊敬している人、世話になっている人だからという理由で、その人の意見に同調することはしない。誰の意見であろうと、支持するか否かは自分で決める。たとえ自分と同じ意見の人が誰もいなくても、他人に同調しようとは思わない」

 つまり、たとえ信頼している人や尊敬している人であっても、その人の言うことをすべて鵜呑みにして信奉するようなことはしない、という意味だ。アー二ー・ガンダーセン氏については、原子力の専門家であり、福島の事故に関しては日本政府から情報が伝わっている人物として、その発言は傾聴に値するという立場だ。だが、彼の見解がすべて正しいとは考えてはいないし、信奉しているわけではない。これはもちろんガンダーセン氏に限ったことではない。

 なお、ガンダーセン氏は3号機の爆発について3号機の燃料プールの即発臨界爆発説を唱えている、また藤原節男氏も同様の説を唱えている。

福島原発3号機“核爆発”を起こした!専門家が断言(Yahoo!ニュース)

 しかし、これについてはアメリカのIan Goddard氏が水蒸気爆発説を提唱しており、この説も説得力がある。以下を参照していただきたい。専門家によっても意見が異なるということだ。

Ian Goddard氏の“福島第一原発 3号機:水蒸気爆発理論”を翻訳してみた(farpostingのブログ)

 以下はおまけ。関東地方でも被曝が疑われる事例が出ていて深刻な状況であることが医師によって語られている。

2011/12/21 ガレキは受け入れない!会見
http://www.ustream.tv/recorded/19293496

 

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