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2011年12月

2011年12月31日 (土)

大切なものを見据え希望を持ちたい

 今年は言葉を失うほど悲しく辛いことばかりの一年だった。3.11の大津波は、何の罪もない人々を飲み込んだ。その後の未曾有の原発事故は日本中、否、世界中に放射能をばら撒いて取り返しのつかない環境汚染を招き、多くの人々を被ばくさせ、チェルノブイリの悪夢が現実となりつつある。私の人生の中で、これほど恐ろしく、これほど心が痛んだ年もない。

 美しい山河は目に見えない放射能に汚染され、人々は被ばくと健康被害に怯えながら暮らさねばならなくなった。もう3.11の前には決して戻れないと思うと、日本の犯した過ちの大きさに打ちのめされる。しかし、それでも私たちは生ある限り、生きてゆかねばならないのだ。あまりにも気が重い。

 しかし、日頃おとなしく楯突くことのあまりない日本人が、脱原発を叫んで何万人ものデモを繰り広げた。経産省や東電に人々が抗議に押し掛けた。原発の廃炉を求めて全国で裁判が起こされつつある。脱原発国民投票の動きもある。そう、いくら心が重くても、一人ひとりができることをやるしかない。

 3月に原発が爆発してからしばらくの間、私は原子力資料情報室のインターネット中継に耳を傾けた。そこでは後藤政志さん、田中三彦さん、小倉志郎さんなど、原発プラント設計に携わった方たちが連日のように事故の解説をしてくださっていた。また、小出裕章さんのラジオによる解説も参考になった。彼らの説明によって、東電や政府の説明とは裏腹に、福島の原発事故がどれほど深刻なものであるかを実感した。

 原子力ムラを敵に回し、良心と信念に基づいて動いてくださった方々、そして原子力資料情報室の皆さんには感謝の気持ちでいっぱいだ。このような方たちがいて下さるから、この困難な状況を乗り切らなければという気持ちも湧いてくる。

 かつては原発推進の立場にいた方たちが考え方を180度転換して実名で告発を行うことは、おそらく想像を絶するような苦悩と決意が必要なのだろう。私は、以下に紹介する田中三彦さんのお話にとても心を打たれた。田中さんの人柄がしみじみと伝わってくる対談だ。

田中光彦×小林武史 震災被害から何を学ぶのか 

 とりわけ、「社会人」ならぬ「会社人」の話には、はっとさせられるものがある。田中さんは「会社人」について以下のように説明している。

 僕も大きくはその流れで、原発や火力発電の設計をやることになったんです。9年ほど。だけどね、その9年間の間、僕は社会人ではなかったんです。それは会社の外に出てから気づいたことだけど、"社会人"ではなく、"会社人"だった。社会人と会社人の違いというのは大きい。 例えば会社人は、会社という塀の中に入ってタイムカードを押したら、そこからもう10何時間と、他の社会の人たちから隔絶された世界に入ってしまう。特に工場なんていうのは企業秘密が多いから、外部の人をいれない。逆に、僕の妻はいわゆる専業主婦だったのですが、1日、家で何をしているかというと、買い物に行って、少しでも安くていい野菜を選ぶために八百屋のおじさんと折衝したり、押し売りがきたら追い払ったり、子供の学校に先生の話を聞きにいったり、子供の喧嘩の仲裁に入ったりと、いろいろなことをしているわけです。
 だから、世の中の仕組みをよほどよく知っている。銀行にも行っているから、金利がどうの、景気がどうの、なんてことについてもね。彼女たちは社会人なんですよ。

 また、次のようにも言う。

 原発を作っている技術者達は、原発反対と推進の運動をしている人たちの利害関係や本音を知らない。知ろうとしていないという方が正しいかな。もちろん反対派の人たちが大勢いることは分かっている。だけど当時僕は、「技術的に分からない人が反対するのだ」と思っていた。何を根拠にそう思うかというと、たぶんふたつあって。ひとつは、先ほどの"会社人"です。社会を広く見ていないんですね。そしてもうひとつはね、我々は非常に一生懸命働いていた。それこそ1カ月に100時間を越える残業をしながら、寝食を忘れて仕事に没頭していた。その、自分たちが一生懸命にやっていることを否定されるのは非常に辛いわけですよ。

 私たちの多くは、田中さんのおっしゃる「会社人」ないしは「会社人的」な思考をしているのではなかろうか。つまり、思いあがった井の中の蛙になっているのだ。そして次第に責任感や罪悪感が喪失し、そんな状態に慣れてしまう。しかし、何らかのきっかけでそこからの転換ができたとき、目からうろこが落ちるように、今まで見えていなかったものが見えてくるのだろう。

 その転換ができる人はやはり誠実であり良心を大切にできる人ではなかろうか。多くの人はそれができず、組織に埋もれて会社人間になってしまうのだ。この構図はまさに原子力ムラに通じるものがある。

 田中さんは、今回の事故原因、とりわけ1号機の事故原因の解析に尽力され、津波ではなく地震によって壊れたことをかなり前から指摘されていた。ここに技術者としての彼の責任感が現れている。

 最後に質問をされていた小林さんの言葉をここに引用しておこう。

 そうですね。少なくともまずエネルギーのことに関して、「新しい産業が生まれるから」という発想などはもう捨てて、ということですよね。新しい経済活動にスイッチしていくんだよということよりも、我々は何を大切にして、その想いのもとに世界に先駆けて僕らとしての生き方というものを求めていくと決めたか、ということだと思うんですよね。

 その通りだ。限りない経済成長など幻想でしかない。私たちは何を大切にしなければならないのか・・・今年ほどこのことを考えされられた年もなかったのではなかろうか。

 日本はあまりにも困難な状況を抱えてしまった。しかし、それでも「何を大切にすべきか」をじっくりと考え、希望だけは持って生きたいと思う。

2011年12月28日 (水)

北海道東方沖と茨城沖の二つの大地震が予測されている

 茨城・房総沖での巨大地震の予測に関しては、「巨大地震を警戒せねばならない時代になった」と「地震学者らが警告する茨城沖・房総沖の大地震」という記事に書いた。ところで、その後、東北から北海道沖にかけてもそう遠くない時期に大地震が予測されていることが分かった。

 以下は北大の森谷武男さんの大地震予測に関する記事だ。

「近づくM9クラス巨大地震」北大 森谷武男博士の最新研究(フレッシュビーンズ コーヒー日記)

 ここに掲載された図からも分かるように、3.11の東北地方太平洋沖地震で動いた地域の北側と南側に大きな圧力がかかっており、近いうちに大きく動いて大地震になる可能性があるのだ。

 北側である青森沖から北海道東方沖での地震に関しては、地震や火山の研究者である塩井宏幸さんも12月に入ってツイッターで予測している。

http://twitter.com/#!/maguro_kumazo/status/146636698871283712
GPS基準点データ2011年11月26日時点の最新データで釧路市・根室2・斜里・北見の4点の東西・南北・標高変動をチェックしたところ、釧路市の垂直成分に11月6日急激な隆起傾向の変動がとらえられていることが判りました。
http://homepage2.nifty.com/h-shioi/Earthquake/EastHokkaidoGPS_VerticalMovement111126.png 

http://twitter.com/#!/maguro_kumazo/status/146636732438298626
また、釧路市及び根室2の2011年 東北地方太平洋沖地震以降の標高変動が2003年9月26日の十勝沖M8.0から2004年11月29日の釧路沖M7.1までに見られた釧路市の隆起傾向、根室2の沈降傾向と同様の傾向を示していることが判りました。

http://twitter.com/#!/maguro_kumazo/status/146636772833628160
これらの状況を総合するとやはり2012年1月~5月に釧路沖周辺でM7以上の地震が発生する可能性は極めて高いです。なお、東西及び南北変動には目立った変化はとらえられておらず、M9クラスの超巨大地震になる可能性は低いと考えられます。

 以下の日本経済新聞の記事でも北海道東方沖の海底でひずみの蓄積が進んでおり、近い将来大きな地震が発生する可能性を示唆している。

巨大地震、北海道東方沖が要注意 

 以下は国際地震予知研究会が公表した森谷さんの最新のVHF電磁波・地震エコーのグラフだ。

http://www.npo-iaep.org/data/upDATA/newP.pdf 

 このグラフからわかるように、今観測されている地震エコーは、東北地方太平洋沖地震前の地震エコーより長期に渡って観測されており、少しずつ低下しているように見える(11月14日のあたりでゼロになっているのは欠測のため)。この地震エコーは単一の震源域からのものではなく、北海道東部沖と茨城沖の二つの震源域からのものが重なっている可能性が高くなってきた。

 とすると、どちらの地震が先にくるのかわからないが、両方の地域で大地震の警戒が必要になる。あくまでも予測だが、大津波が再び押し寄せる可能性があり、とりわけ沿岸地域に住んでいる方は防災対策をしっかりしていただきたいと思う。

 地震の規模が大きくならず、3.11のような被害が起きないことを願うばかりだ。

2011年12月27日 (火)

チェルノブイリの事実と日本のとるべき対応

 内科医の「りさ先生」が以下の記事を書かれている。

仏から日本の内部被曝への提言(内科医が教える医者いらずな健康法)

 転載歓迎とのことなので転載させていただくが、要点は以下。

・IAEA(国際原子力機関)は原子力産業を推進し、その商業プロジェクトを支援するための機関であり、被ばくによると思われる健康被害を過小評価したり否定したりする。

・WHO(世界保健機構)は、IAEA(国際原子力機関)との間で交わされた合意により、原子力分野での独立性を失っている。

・原発事故の影響はまず細胞分裂の早い子どもたちに現れる。胎児にも影響を与え早期流産のリスクが高まる。チェルノブイリでは死産、周産期死亡、先天性異常の増加がみられ、体内で被ばくした胎児は白血病や脳腫瘍のリスクが高い。

・チェルノブイリでは子どもたちにⅠ型糖尿病が増加した。被ばくが免疫機能に影響を与えることも明らかになっている。免疫の定価によって感染症にかかる確率が高くなる。

・被ばくによって引き起こされるゲノム不安定性は遺伝的に受け継がれる。

・甲状腺ガンが増加したほか、一般的なガンの発生率が統計的に顕著に上昇した。若い人ほど発癌率が高く、総被ばく量より被ばくした時間の長さがよりリスクを高める。

・チェルノブイリでは最初の死因はガンではなく、心臓血管病と高血圧だった。

・ペクチン、ビタミン剤、カロチンなどが放射性物質の排出に効果的であり、汚染地以外で保養させることも効果がある。

 *****以下転載*****

皆さんにご熟読頂き、とりわけ、医師、医療関係者で福島事故の放射能被曝犠牲者たちの支援を行なっている方々に,できるだけ,広めて頂けるなら,ありがたいです。よろしくお願い致します。

会長 : イヴ・ルノワール

2011年12月16日パリ

主題 : ミッシェル・フェルネックス教授の論文のプレゼンテーション

拝啓

私はイヴ・ルノワールと申しまして、フランスのNPO<チェルノブイリ/ベラルーシーのこどもたち>の会長をしております。当会は2001年4月27日にベルラド放射線防護研究所(政府とは独立した機関)所長をしていましたヴァッシーリ・ネステレンコ教授からの要請に基づいて設立されたものです。

私たちの会は、ベルラド研究所の科学的、人道的な活動に財政支援し、ミンスクのベラルーシー科学アカデミーの遺伝子保全研究所に近代的な機材投資を行ない、それによって、体内に取り込まれたセシウム137の遺伝上の影響を調べるためです。ベラルーシー政府は、これらの課題に財政投資することを拒んでいます。

ここに添付しております書類に署名しているミッシェル・フェルネックス教授は世界保健機関(熱帯病治療)の専門家でした。20年以上、彼は、卓越した医者、学者などと連携しながら、体内に取り込まれた放射性物質による影響の問題〔内部被曝問題〕を非常に身近に追求してきました。

この資料は、放射線による危機の初期の保健衛生上の影響について皆さんの注意を喚起するだろうと思います。特に卵割から八週以内の胎児、それ以後の胎児に対するヨウ素131の重大な衝撃を彼は強調しています。汚染から免れた地域で収集されたデータと比較して、彼が記述する偏差を明らかにすることは、福島の惨事が開始された後、放射線汚染による環境の公共衛生上の問題の重要性に関して、明白な証拠をもたらすでしょう。

私たちは、彼の発表に、性差と比率の問題と放射性物質による内部被曝の他の影響に関する二枚の論考を添えておきます。

これらの資料を皆さんに知って頂けたことに感謝致します。

敬具

Yves Lenoir

=====ミッシェル・フェルネックス教授の論文=====

ミッシェル・フェルネックス 2011年11月30日 

フランス、オー=ラン県 ビーダータル

AP通信社は11月21日、「福島第一原発の事故による健康被害の実態は、明らかにならない可能性がある」という記事を配信した。これを読むと、次のような疑問が浮かぶ。「人々をできるだけ被ばくから守り、犠牲を最低限に食い止めるための最適な方策を、いったいどの機関が日本政府に進言できるだろうか」。福島原発の管理者は、原発の計画をたて、建設を実行した最初の誤ちから、津波到来の1時間も前、すでに地震によって原発が壊れていたことを隠蔽した過ちまで、一貫して責任を負っている。これは明らかな人災で、結果として、環境中への放射能漏れの対応に遅れが生じた。

●● IAEAに従属するWHO 1946年の世界保険機構(WHO)憲章で、WHOは、医療部門において適正な技術を提供する義務がある、と定められている。緊急時には、政府が要請するか、あるいはWHOの介入に合意が得られたあとで、その役割を実行することになっている。WHOは健康に関する全ての情報、アドバイスおよび援助を与え、健康に関する世論をしっかり記録に残す義務がある。ところが、これらの義務はまったく遂行されていない。

WHOはもともとこうだったわけではない。1957年に設立された国際原子力機関(IAEA)との間で交わされた合意(1959年、WHA12.40)によって、原子力分野での独立性を失ったのである。より最近では、放射線関連分野におけるWHOの活動は縮小しており、福島に介入したのもIAEAであった。

あまり問題とされてはいないが、IAEAは、福島やチェルノブイリのような原発大惨事が起こるたびに、大きな決定権を発揮できる、という国際原子力機関憲章をもつ。IAEAは自らの憲章に忠実で、1996年4月8日~12日にウィーンで開催されたチェルノブイリに関する国際会議会報のように、IAEA出版物には度々、憲章の第二条が引用されている。IAEAの主要目的は「全世界の平和、健康、繁栄に対して原子力産業が果たす役割を推進し拡大すること」なのである。

言い換えれば、国連組織であるIAEAは、原子力産業を推進し、その商業プロジェクトを支援するための機関である。WHO、FAO(国連食糧機構)、ユニセフなどの国連諸機関のなかで、IAEAはその最上部に位置している。さらに、法的に見ると、WHOは、健康および放射線分野での独立性をもたない、あるいは存在すらしていない。原子力産業を代弁するIAEAは、深刻な病気の数々と放射能の関係を認めない。彼らの意図は原子力産業を保護することであり、放射能汚染から人々を保護したり被災者を支援することではない、とIAEAの指針にはっきり示されている。

従って、国の保健当局は、原発事故の際にIAEAに忠告を求めてはならない。IAEAは経済的配慮を優先するため、被ばくによると思われる健康被害を過小評価したり否定したりする。その結果、強度の汚染地域からの住民の避難が遅れる可能性もある。

●● まず性差に表れる放射線の影響

行政が福島の住民、特に放射能の影響を受けやすい子供たちにヨード剤を配布しなかったのは理解に苦しむ。ヨード剤は高価なものではない。ポーランドの例を見るように、たとえ百万単位の子供たちに配布しなければならないとしても、効果があったことだろう。原発から放出されたヨウ素131が到来する前に一錠飲むだけで予防になった。

AP通信社の記事は、原発事故の影響がまず子供たちに現れることを伝えていない。細胞分裂の早い成長期の子供は、成人に比べて千倍も放射能の影響を受けやすい。妊娠八週以内の胎芽が死亡するリスクもある。すなわち早期流産である。86年のチェルノブイリ事故前の統計と比較すると、事故後、女児新生児の5%が死亡している。最も汚染されたベラルーシとロシアでは、このために新生児の男女比が最大となっている。分娩時の女児死亡はチェルノブイリ後の東欧およびバルカン諸国でも見られ、ドイツでも同様に急増した。しかし汚染が局地的あるいはほとんどなかったフランスやスペインでは性差にあまり差異は見られなかった。このデータは性比が放射能汚染の度合いに比例して変化することを示している。

通常の性比は男1045に対して女1000前後で、地域別に見ても大差はない。放射能の影響で性比が変化した例は他にもある。例えば高濃度のトリウムを含むモナザイト岩地域、インドのケララ谷は、自然放射線レベルが通常の6倍も高く、ここの住民にはダウン症などの先天性異常が多い。また、自然放射線レベルが通常の周辺地域には見られない性比が認められている。(Padmanabham)

チェルノブイリでは死産、周産期死亡および先天性異常の増加が見られた。もっと後になってからだが、心臓の先天異常も見られた。50年代に行われたアリス・スチュワート医師の研究では、胎内で被ばくした胎児は後に白血病や癌(脳腫瘍)を発病するリスクが高いことが分かっている。

●● 放射線と免疫機能低下

チェルノブイリでは子供たち、特に小さい子供や幼児の1型糖尿病が増加し、昏睡の症状が確認された。通常は、遺伝的要因からくる自己免疫異常や新たな突然変異によるものだが、チェルノブイリでI型糖尿病を発病した小さい子供や幼児たちは糖尿病家系ではないことが特徴的だった。

事故後、被ばくが免疫機能に影響を与えることがベラルーシで明らかとなっている。そのため、福島周辺住民の白血球および抗体グロブリンの長期的調査が必要である(チトフ教授の研究を参考)。調査結果は、福島から離れた九州などの汚染されていない地域の対象群と比較しなければならない。

汚染地域の子供たちの免疫調査では、膵臓ランゲルハンス島のベータ細胞および甲状腺細胞に対する自己抗体に注意を払う必要がある。橋本甲状腺炎の原因にはI型糖尿病と同じように遺伝子が関連すると考えられている。性ホルモンなどその他の内分泌腺は、特に思春期に機能不全を引き起こすリスクがある。たとえば、生理の遅れやウクライナで急増した男性不妊症だ。アレルギー性疾病も汚染地域の子供たちの間で増加すると思われるが、これらの調査はいずれも、非汚染地域の対象群と比較すべきである。チェルノブイリでペレヴィナ教授が子供にレントゲンを短時間照射し細胞の過敏性(リンパ球培養)を調査したが、同じ調査を福島でも行う必要がある。

食品による内部被ばくにより免疫が低下したチェルノブイリの子供や幼児は、事故から何年も経ってからも頻繁に感染症にかかっている。汚染されていない地域に比べて合併症や慢性化によって悪化する率が高い。

被ばくによって引き起こされるゲノム不安定性は遺伝的に受け継がれる。調査は、子どもの祖父母から始まって、これから何世代にも渡って続ける必要がある。

●●

被ばくとガン 甲状腺ガンは五歳児では百万人に一人という、子どもには稀な病気だが、今後は五歳未満の子供たちの間でも増大するだろう。被ばくした胎児・新生児の場合、甲状腺ガンの潜伏期間は非常に短く、浸潤性の甲状腺乳頭ガンが極めて速く進行する可能性がある。チェルノブイリ後、甲状腺腫、甲状腺炎および甲状腺機能不全などの甲状腺の病気が増加した。その他のガンは潜伏期間が長く、最大で35年である。スウェーデンのクロンベルクとベラルーシのオケアノフは、チェルノブイリ事故から十年後に様々なガンが増加する、という明白な傾向をつかみ、二十年後には一般的なガンの発生率が統計的に顕著に上昇することを確認した。

放射線を受けた若い人々は、若くしてガンを発病するなど、若年性老化のリスクがある。被ばく量の等しいリクビダートル(原発事故処理作業員)たちと比較すると、若いリクビダートルの発ガン率は年配のリクビダートルより著しく高かった。オケアノフはまた、被ばく総量より被ばくした時間の長さがよりリスクを高める要因であることを示した(1996年4月8日~12日のウィーン国際会議のIAEA会報279ページ参照)。ガンの調査においては、年々減少するであろう死亡率をパラメータにするのではなく、特に被ばくした人々の発ガン率、また従来より20年早まるであろう発ガン年齢に注目する必要がある。発ガン率と発ガン年齢は10~20年後、統計的に顕著な変化が見られると思われる。

若いリクビダートルの失明も、年配者より頻繁に発生した。これは微小循環障害を伴う網膜の変性疾患で、数年後に黄斑に現れる。

チェルノブイリ事故後、最初の死因はガンではなく、脳と心臓の合併症を伴う心臓血管病と高血圧だった。医師にはこうした合併症の予防に力を尽くして欲しい。

被ばくした幼児は、通常より若い年齢で橋本甲状腺炎および1型糖尿病を示す危険がある。性ホルモンの異常による症状などその他の内分泌腺の病気は性機能を不調にし、特に思春期の女性には生理の遅れ、男性には男性不妊症という症状が現れる。

●● 内部被ばくを避けるには

放射能から子供を守るために最も重要なのは、食べ物による内部被ばくを避けることだ。危険なのは外部被ばくよりもむしろ内部被ばくである。体内に取り込まれた放射性物質は、胸腺、内分泌腺、脾臓、骨の表面および心臓といった特定の内臓に蓄積する。チェルノブイリの事故後にバンダジェフスキーが行った研究によると、大人の内臓に蓄積された濃度の二倍近いセシウム137が同地域の子供の内臓から検出された。最も濃度の高かったのは、新生児、乳幼児の膵臓および胸腺だった。

チェルノブイリ後にセシウム137が体内に蓄積された子供たちの八割は病気で、心臓疾患も多い。事故前のベラルーシでは健康に問題のある子供は2割程度で、ベラルーシの汚染されていない地域では事故後でも変化が見られなかった。

子供たちは放射線測量計を身につけるより、ホールボディカウンターを定期的に学校に搬送し、子供たちのセシウム137体内蓄積量を調査する必要がある。体重1キロ当たり20ベクレルの値を超えている場合にはペクチンを与え、汚染された食品の摂取を避ける必要がある。また子供を汚染地域外でしばしば保養させるのも効果的だ。

ペクチンはストロンチウム90、セシウム137、ウラン誘導体の体内摂取を減らすとともに、体外への排出を促進する。イタリア、イスプラの欧州委員会研究所の専門家たちは、ペクチンが安全で放射能の排出に効果的なサプリメントであるとみなしている。(Nesterenko V.I.他「アップルペクチンによるチェルノブイリの子どもの体内のセシウム137の除去効果」SMW 134: 24-27. 2004)

汚染された子供たちには、抗酸化物質として作用するビタミンE、ビタミンA、カロチンも有効であり、ニンジン、赤かぶ、赤い果物などを与えるのが効果的だ。

以上はAP配信記事に対する意見である。記事によると、放射能事故を原因とする成人の死亡例はまだ出ていないようだ。汚染地域で小児科医、遺伝学者、免疫学者たちによる出生時から思春期までの継続した疫学調査・医学調査を行うことを強く要請したい。この調査には、汚染されていない地域で、年齢・性別の分布、職業、生活水準、居住地域の人口密度など環境的に類似した対象群を選ぶことが重要である。

(翻訳:小川万里子  編集:藤原かすみ)

●ミッシェル・フェルネックス Michel Fernex 略歴

1929年ジュネーヴ生まれのスイス人。医学博士。ジュネーヴ、パリ、ダカール、バーゼルで医学を学ぶ。後、セネガル、マリ、ザイール、タンザニアなどアフリカ諸国に勤務、またフランス、スエーデンでも勤務し、寄生体学、マラリア、フィラリア症の問題で、世界保健機関と15年間,共同作業を行う。スイス・バーゼル大学医学部教授に任命。臨床医学,及び熱帯医学専門医。66歳で退職。以後、IPPNWの会員、またNPO「チェルノブイリ/ベラルーシーのこどもたち」(ETB)を仏緑の党創立メンバーで反核の闘士であった夫人のソランジュ・フェルネックスと2001年に創設。また2007年から、ETB、IPPNW, CRIIRAD、仏脱原発ネットワークなどとWHO独立のためのキャンペーン(Independent WHO)を組織。キャンペーン会員はジュネーヴのWHO本部前で毎日8時から18時までピケを張っている。(過去に、ジャン・ジーグレール、ダニエル・ミッテラン、クリス・バスビー、チェルトコフ、ヴァシーリ・ネステレンコがヴィジーに参加)

2011年12月26日 (月)

これだけでも読んでほしい「わたしたちの涙で雪だるまが溶けた」

 チェルノブイリで被災した子どもたちの作文集、「わたしたちの涙で雪だるまが溶けた」については「『私たちの涙で雪だるまが溶けた』を読んでほしい」で紹介した。ブログ開設者が10月から作文をアップしていたが、私もお手伝いをして50編すべての作文の掲載が完了した。

わたしたちの涙で雪だるまが溶けた 子どもたちのチェルノブイリ

 ここに掲載されている50編をすべて読むのは大変だと思う方は、最後に掲載されている本と同じタイトルの作文「私たちの涙で雪だるまが溶けた」だけでも読んでほしい。

 故郷を追われた方たちの悲痛な思い、そして病気との戦いという壮絶な日々は、体験した人でなければわからないし、本人だから伝えられるものがある。だからこそ、亡くなった少女の生の声を聞いてほしい。

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わたしたちの涙で雪だるまが溶けた
 イーゴリ・マローズ(男) 第四中等学校11年生 シュクロフ町

 祖母の住むマリノフカが汚染のひどいところだということを、当時はまだ誰も知らなかった。そこにはずっと昔から、野生のナシの木があった。いつごろからあったのか誰も知らなかったが、それは祖母の庭に生えていた。

 その夏、マリノフカには、すでに放射能が舞い降りていた。しかし人々は、これから恐ろしい不幸が起こるなどと、思ってもみなかった。

 その木は、庭のほとんど三分の一を日陰にするので、村の人たちは何度もこの木を切り倒すように祖母に助言した。しかしその都度、祖母は断り、こう言った。「そんなことしちゃだめなんだよ。この昔、この木の下に、罪のない女の子の血が流されたんだから」と。

 遠い昔の農奴の悲しい死の伝説を知っている人はたくさんいたけれど、みんなそれを本当のことだと信じていたわけではない。だけど、私の祖母は信じていた。この驚くべき古木は、祖母にとっては聖なるものなのである。

 僕のいとこのナジェージュダは、このナシの木が好きだった。その年の夏休みにも彼女は祖母のところにやってきた。その夏は、蒸し暑く、沈んだ雰囲気だった。でもおばあちゃんのいるマリノフカは、とても美しかったし、広々としていた。ナジェージュダは夏中、祖母の菜園に滞在し、種蒔きなどの手伝いをした。また彼女は森へ行って、イチゴやキノコを集めたり、近くの川で日光浴や水遊びもしたりもした。

 ある日、地区のなんだかえらい人が来て、「村の土や水や空気はとてもきれいであります。ここは安心して住んでいただきたい」と言って帰って行った。だから村人たちは安心して住み続けた。

 大きく枝を張り、葉を茂らせたナシの木の下で、ナジェージュダは水彩画を描いた。彼女は画家になることを夢見て、美術研究所で勉強していた。彼女はその夏、とても美しくなった。15歳だった。少女からレディーになった。彼女は日記を書きはじめ、そこに秘密の想いや印象を書き残した。しかし、この日記には、その後腫瘍専門病院での苦しみが書かれることになる。彼女の日記に書かれたことは全て、言葉で言い表せないほど、僕を揺り動かした。とりわけ、最後の10日間分の内容はそうだった。何という希望、生への渇望、人間的な尊厳だろうか。何という悲劇、取り返しのつかないわざわいを感じていたのだろうか。今、この日記は僕の手元にある。僕はこの勇気と真の崇高さが記されたナジェージュダの日記の、最後の数日分をここに紹介したい。

3月1日
 第12号室の男の子たちが、春のお祝いを言いにやってきた。病室には、もうすぐ春が来るというのに、不幸な私や男の子たちがいた。通りにはまだ雪が残っていて、彼らは雪だるまをつくり、病院の大きなお盆にのせて私たちの病棟に持ってきてくれた。雪だるまはすばらしかった。それをつくったのは、トーリャに違いない。彼は彫刻家を夢見ていて、いつも粘土で何かをつくっているから。彼は化学治療のあと、ベッドから起きることを今日許されたばかりだ。トーリャは、みんなの気分を盛り上げようとしたのだ。「だって、春が始まったんだから!」その雪だるまのそばにはメッセージがあった。「女の子たちへ。みなさんにとって最後の雪です!」と。「なぜ最後なの? 本当に最後なの?」私たちは、ひとりまたひとりと泣きながらたずねた。

 雪だるまは少しずつ溶けた。それは私たちの涙で溶けてしまったように思えた。

3月2日
 今日、おばあちゃんが来てくれた。大好きな、大切なおばあちゃんだ。彼女は私の病気の原因は自分にあると思っている。おばあちゃんに大きなナシの木の伝説を話してとお願いした。その大木の木の下で空想するのが好きだった。だけど、そこはチェルノブイリの事故のあとは大きな原子炉になったみたいだった。

 絵に描くためにおばあちゃんの話を細かいところまで漏らさないように聞いた。おばあちゃんは静かにおだやかに話しはじめた。

 「昔々、農奴制があったころのことでした。金持ちの領主が、貧しいけれど美しい娘を好きになりました。そして力づくで娘を城に連れて来たのです。マリイカは ― この娘の名前ですが ― ずーっと、城の中で泣き悲しんでいました。ある日、この悲しい娘は、鍵番の青年の手助けで、彼と一緒に領主のもとから逃げることができました。しかし、領主の使用人たちは、隠れるところのない草原に彼らを追い詰めました。無慈悲な領主は激怒して叫びました。『お前が俺のものにならないというのなら、誰のものでもなくしてやる』と。領主はサーベルで娘に切りつけると、その不幸な逃亡者は大地に崩れるようにして倒れました。その罪のないマリイカの血が流れたところに、美しい野生のナシの木が生えたと言われています。……これが私がずっとナシの木を守ってきた理由なのよ。でも今はね、ナジェージュダちゃん、もうこのナシの木はなくなってしまったの。どこからかクレーン車が来て、このナシの木を根っこから引き抜いてしまったの。ナシの木のあったところには、セメントが流し込まれ、何かのマークがつけられたの。
 もうみんな村から出ていってしまったわ。私たちのマリノフカは、空っぽになってしまったの。死んでしまったのよ」

 おばあちゃんが帰る時、私には頼みたかったことがあった。私が死んだら、墓地に埋めないで欲しい。それが心配だ。美しい草原か白樺林がいい。お墓のそばにはリンゴかナシの木を植えて欲しい。でもそんなことを考えるのはいやだ! 草にはなりたくない。生きなければならない! 生き続ける! 病気に打ち克つ力が充分にある。そう感じる!

3月3日
 できるかぎり痛みをこらえている。おばあちゃんの肖像画が完成した。おかあさんが、この絵を見て感動し、「ナジェージュダ、お前にはすばらしい才能があるんだね!」と言った。主治医のタチアナ先生は、私に勇気があったから治療も成功したと言ってくれた。元気づけられた。神様お願いします。持ちこたえ、生き続ける力をお与えください。お願いします。

3月4日
 医者はよくなっているというのに、どうして体力が落ちているのだろう。どうして急に病棟がさわがしくなったのだろう。点滴のあと、この日記をつけている。どうしてほとんど良くなっていないのだろう。同じ病室の友だち、ガーリャ、ビーカ、ジーマが私を見るとき、何か悲しそうな目をする。今まで以上にひどく同情してくれているのがわかる。彼女たちも同じような境遇なのに。わかった、誰も人間の苦悩を見たくないからだ。だがどうしようもない。ここの病棟は満員になっている。タチアナ先生の話では3年前には、入院患者はほとんどいなかったそうだ。これらのことは全て、チェルノブイリ事故によるものなのだ。この不幸をもたらした犯人をここに連れて来て、この病棟にしばらくいさせたいものだ。自分のやったことの結果を見せつけたい。

 アンナ・アフマートバを読み始めた。「私は最後のときを生きている」というテーマで絵を描きたくなった。

3月5日
 10号室のワーニャちゃんが死んだ。大きな青い目をした金髪の男の子で、病棟のみんなから愛されていた。まだ7歳だった。彼はここに来る前に、ドイツに治療に行ったこともある。昨日、ワーニャちゃんは自分の誕生日のお祝いだからと、全員にキャラメルを配ってくれた。私たちもお祝いに病室に行ったら、とても喜んでくれたのに。神様、あなたはなぜ、みんなに平等に親切ではないのですか。どうしてワーニャちゃんが……。何の罪もないのに。

3月6日
 どんな痛みでも我慢できるようになった。おかあさんがその方法を教えてくれた。私の胸に、病院の入口に立ちつくす母親たちの姿を焼きつけることを考えついた。母親たちは、私たちより苦しんでいる。彼女たちを見ていると、我慢しなければならないと思い、希望を持たなければと思う。

 不幸をともにする仲間が、どんなに痛みと闘っているかを見たことがある。それは15歳のボーバのことだ。母親は医者のところに走り、医者は彼に痛み止めの注射をする。薬の効く間だけ苦しみのうめきは止まり、泣き声はやむ。今後この少年はどうなるのだろう。私たちはどうなるのだろう。

 私が思うには、チェルノブイリの惨事は、人間の理解をこえたもののひとつである。これは人間存在の合理性をおびやかし、その信頼を無理矢理奪い去るものにほかならない。

3月7日
 今日、デンマークの人道的支援組織の人が来た。この病室にも、ふわっとした金髪の女性が入ってきた。とても美しく、魅力的な人だった。私のそばに座り頭をなでると、彼女の目に涙があふれてきた。通訳の人の話では、数年前、彼女のひとり娘が交通事故で突然亡くなったそうである。この外国のお客さんは、身につけていた十字架のネックレスをはずし、私の首にかけてくれた。子どもに対する純粋な愛は世界中の母親、みな同じであることを感じた。

3月8日
 今日は祝日。机には、オレンジ、バナナ、ミモザ、アカシアの花束が置いてある。それには、詩が書いてある美しい絵はがきが添えてあった。

  望みは何かというと
  あなたがよくなりますように
  あなたに太陽が輝きますように
  あなたの心が愛されますように
  あなたのすべての災難と不幸が
  勝利にかわりますように

 私たちはいつも健康と幸福を望んでいる。ただ勝利だけを。恐ろしい病気に打ち克とう。幸福はあなたのものだ。

 病院の講堂で国際婦人デーの集会が開かれた。トーリャと一緒に踊った。でもそれは少しだけ。すぐ目がまわりはじめるからだ。友だちが私たちは美しいペアだと言ってくれた。

3月9日
 おとぎ話は終わった。再び悪くなった。こんなにひどくなったことは今までなかった。朝から虚脱感がひどく、けいれんが止まらないが、薬はもう効かなくなった。最も恐ろしいことは、髪だ。髪が束で抜ける。私の頭からなくなっていく。

 回診のときにタチアナ先生は、治療はもう完了したので、あとは自宅で体力を回復させなさいと言った。私は先生の目をのぞき込んだ。そして理解した。全てのことを!

3月10日
 おかあさんは私の好きなコートを持ってきてくれた。それを着れば私だってまだこんなにかわいいのに! 私はやっと歩いて、病棟のみんなにわかれを告げてまわった。さようなら、みんな、私を忘れないでね! 私もみんなのことを忘れないから!

 ナジェージュダは3月の終わりに死んだ。日記の最後はラテン語の「Vixi(生きた)」で結んであった。彼女は自分の人生で何ができたのだろうか。彼女は何を残したのだろうか。何枚かの風景画とスケッチと肖像画。それと大地に残る輝かしい足跡だ。

 みなさん、子どもたちの無言の叫びを聞いてください。援助に来てください。神も、悪魔もいらない。ただ人間の理性とやさしい心だけが、痛み、苦しみ抜いている大地を救うことができるのです。みんなで一緒になって初めて、チェルノブイリの恐ろしい被害を克服することができるのです。

2011年12月25日 (日)

瓦礫と廃炉訴訟に関する杉山弘一氏への反論(その2)

 前回、「瓦礫と廃炉訴訟に関する杉山弘一氏への反論」という記事を書いた。これで杉山氏との論争は終わりにするつもりでいた。しかし、今朝、杉山氏の「廃炉もいばらの道である」という記事のコメントを読んで気が変わった。もう一度だけ(のつもりだが断言はしない)杉山氏のコメントについてここで意見を述べておきたい。

 私は杉山氏の「廃炉もいばらの道である」という記事に以下のコメントをし、論点のすり替えについて指摘した。

コメントで議論をする主義ではありませので、指摘されたことに関してのみ参考サイトを紹介していましたが、一言感想だけ書かせていただきこの場から去りたいと思います。時間の無駄だとつくづく感じたからです。その理由は以下です。

まず、岩上欣也さんの14:48のコメントにしても、杉山さんの15:23のコメントにしても、私が紹介した記事と同じ著者の別記事から批判できる部分を探し、「だからこの人の言うことは信用できない」といって視点をずらしてしまうことです。岩手県や宮城県の土壌が汚染されているのは以下の実測値からわかるように事実です。当然、瓦礫も汚染されています。汚染されているからこそ、問題になっているのです。
http://blog.goo.ne.jp/nagaikenji20070927/e/af0194da58fd9e4a9c38bd3851e3d3ce 
http://blog.goo.ne.jp/nagaikenji20070927/e/0d48eedb3ef04edbbfa019411a968627 

杉山さんは環境省のHPを紹介してフィルターをつけているから大丈夫だとおっしゃりたかったようですが、岩上さんのコメントによってバクフィルターが放射性物質をキャッチできるかどうかの話はどっかに行ってしまいましたよね。キャッチできないことを否定できないから、青木さんを批判することですり替えているとしか思えません。

院長さんの記事に誤りがあるならば、直接指摘して差し上げたらいかがですか? 誰でも間違ったり勘違いをすることはあるでしょう。しかし不適切な部分があったからといってその方の言っていることがすべて否定されるというものではないはずです。それとも、あなたは絶対に間違いや勘違いを犯さないのですか?

また、院長さんの無断転載を批判されるのであれば、岩上欣也さんが引用した週刊金曜日も無断転載ではないでしょうか。そちらの事例は批判しないのですか? 新聞や雑誌記事の転載は厳密に言うなら著作権法に抵触するかも知れません。しかし実際にはこのような転載はいくらでもあり、ほとんどが黙認されているのが現状です。院長さんだけをことさらに取り上げて批判されるのは意図的としか思えません。

岩上さんにしろ杉山さんにしろ、まるで、私の示した事例を否定したいがために重箱の隅をつつくようにあら探しをし、「批判のための批判」を展開しているかのようです。私と杉山さんの意見が平行線ならそれでいいではありませんか。人によって意見が違うのは当たり前です。なぜ論点をずらしてまで批判するのでしょう。

私が杉山さんを「教祖さま」と表現したのも、こういうことなのです。菊池誠さんの信者の方が菊池さんのブログのコメントで菊池さん擁護を展開し、ときに論点をずらして反論者を徹底的に攻撃するのとまるで同じです。

投稿: 松田まゆみ | 2011年12月24日 (土) 17:14

 このあと、「ひねもす」さんという方から私の意見に賛同するコメントがあり、杉山さんが「ひねもす」さんに以下の返信をしているのだが、それは私への返事も兼ねている。そこで、この返信について私の意見を指摘しておきたい。なお、杉山さんのコメントをそのまま転載するのは著作権法上問題があるかもしれないが、杉さんも私のコメントを無断転載しているので文句はないだろう。

私が重要な論点だと思っているのは、瓦礫を野積みにしておくしかない現状のリスクをどう評価するかという点です。

 なお、ある証言を否定したいときに、その証人の別証言からウソや記憶違いを探し、だからこの証人の言うことは信用できないといって、証言の信憑性を落とすことは、裁判では良くやる方法です。

 廃炉訴訟に勝つためにはそのくらいのテクニックは覚えておいた方が良いと思います。

 また、裁判に勝つためには、頭の固い裁判官に理解してもらう必要があります。なんでこんなことも解らないのかと頭に来ることもあります。それでもじっと我慢して、丁寧に説明を続ける必要があります。この程度の議論で、投げ出すようでは、とても勝ち目はありません。

 また、低線量被曝の健康被害についていろんな説がありますが、裁判所がICRP以外を採用するはずありません。仮にどんなに正しいことを説明しても、バズビー説など絶対に採用されません。そんな極端な説を持ち出せば、心証を悪くして逆効果になるだけです。

 ところで、行政を批判して何度か住民訴訟を起こしたことがありますが、原告は私一人、被告が県知事以下幹部職員と県議合計30人以上ということもありました。それはもう、集団で徹底的に攻撃されましたが異様とは思いませんでした。これは、1審勝訴。2審3審引き分け。実質勝訴でした。

投稿: 杉山弘一 | 2011年12月24日 (土) 22:40

 杉山氏は本当に論理のすり替えが上手い。このコメントもまさにそうだ。私は青木さんや院長さんの別記事からあら探しのように間違いや不備を探し出し、それを根拠に「この人の言っていることは信用できない」と主張するのは論点のすり替えだと主張した。しかし、この返答はそれに対する答えになっていない。裁判のテクニック論にすり替えて誤魔化しているだけだ。

 杉山氏の論理でいくなら、「間違いをした人は信用できない」ということになる。人は誰でも間違いや勘違いをするから、世の中の人は誰も信用できないということになってしまう。こんな論法は社会では通用しない。青木さんの記事に誤りがあるなら、岩上さんは週刊金曜日の編集部に指摘するべきだし、院長さんの記事に誤りがあるなら杉山さんは院長さんに教えてあげればいい。それだけの話だ。院長さんは、本当に間違いなら記事を修正されるだろう。お二人とも指摘したのだろうか?

 ICRPについての記述も同じだ。裁判所はICRP以外を採用しないからICRP説を主張すべきだというテクニック論を展開する。杉山氏がICRPを支持して自説を展開されるのは自由だ。しかし杉山氏のこの主張は、私がICRPを支持しないことの反論になっていない。

 裁判では事実をもとに主張を行うのが原則だ。私たちはチェルノブイリの事故や福島の事故で起こった事実を客観的に見て、ICRPを支持するかしないかを判断すべきだ。裁判での戦術は必ずしも否定はしないが、戦術以前に事実で闘うべきではなかろうか。なお、裁判での主張は基本的には弁護団に委ねることになるので、ここではこれ以上は言及しない。

 また、コメント欄での論点のすり替えによる攻撃について、ご自身の裁判経験を持ち出して言い訳しているが、ブログのコメントと裁判では目的や性質が全く違うことを理解していない。ことごとく言い訳をしないと気が済まない方のようだ。

 最後に杉山氏の「瓦礫を野積みにしておくしかない現状のリスクについて言及して欲しかったですが、もうかなわないようです。まあ、そんなことはまったく考慮していなかったのでしょうから、どうしても触れたくないでしょうが」という嫌味たっぷりのコメントに答えておきたい。

 私は瓦礫が野積みされて復興の妨げになっていることを、どうでもいいとはもちろん思っていない。これは誰でもそうだろう。しかし、だからといって、住民の反対を押し切り汚染された瓦礫を安易に処分していいとは決して思わない。ここにも、行き詰ると突っ込みどころを変えるという杉山氏の得意な論点のすり替えがなされている。

 瓦礫処理には放射能汚染をはじめとして様々な問題があり、国民の理解が得られていない。たとえば「週刊金曜日」2011年12月16日号で樫田秀樹氏が「震災瓦礫に運ばれて全国に広がるアスベスト」という記事を書き、アスベストの危険性に警鐘を鳴らしている。他にもヒ素をはじめ様々な有毒物質が含まれているという情報がある。

震災影響で海岸から“ヒ素”を検出…津波で海底の沈殿物が巻き上がる(atmic-Tokyo)

東北沿岸の科学汚染~カドミウム・ヒ素・シアン化合物・六価クロム・ダイオキシン~(語られる言葉の川へ)

 国はそのような指摘を無視し、「復興」の名の元に強引に全国での瓦礫処理を進めている。これはどう見ても民主的なやり方ではない。

 杉山氏は「焼却のリスクは小さいから復興を優先すべきだ」という考えなのだろうが、私は「復興は大事だが、全国での焼却や埋め立てによるリスクは大きく慎重に対応すべきだ」ということだ。あくまでも意見の相違だから、これ以上お互いに意見を言い合っても平行線でしかないだろう。それなのに、なぜ意見の相違だということを理解せず、いつまでも執拗に突っ込んでくるのだろう。

 瓦礫処理の問題については、私は11月27日にツイッターで青山貞一氏と池田こみち氏の提案を紹介している。

 http://twitter.com/#!/onigumoobasan/status/140794178878709760 

 青山氏・池田氏の提案をお読みいただきたい。具体的な瓦礫の処理方法にも言及している。

原理的に間違っている国の汚染瓦礫処理と私たちの提案

【12月29日追記】
杉山氏のコメントでの反論に関して以下の点を追加しておきたい。

①12月22日(木)21:28のコメントで、大熊町の遺体について触れているが、院長さんは遺体のあった場所の土壌汚染から、その場所が事故後3日ほどで致死量の7Sv-10Svに達していた可能性があると言っているのであり、遺体の10万cpmを問題にしているのではない。
http://onodekita.sblo.jp/article/47795460.html 

②カリウムについて以下に参考サイトを挙げておく。放射性カリウムと他の核種をベクレル数で比較するのは意味がない。
http://rokushin.blog.so-net.ne.jp/2011-05-13 

③杉山氏は「鬼蜘蛛おばさんは詐欺の片棒担いでます」と書いているが、私の紹介した記事が間違っていなければ名誉毀損だ。また、トラックバックを張らないのがマナー違反などという話は聞いたことがない。

2011年12月22日 (木)

瓦礫と廃炉問題に関する杉山弘一氏への反論

 群馬県の杉山弘一氏が、私の書いた「瓦礫の受け入れ拒否はエゴで、被ばくを恐れるのは愚かか?」という記事への反論をしている。以下の記事だ。それについて私の意見を述べておきたい。

廃炉もいばらの道である(市民の目!沼田)

 杉山氏は、瓦礫の受け入れに反対している私が泊原発の廃炉訴訟の原告になっているのは矛盾しているという。

 杉山氏の論理は以下のように理解できる。廃炉の実現には使用済み燃料の管理の問題があり、それをクリアしなければならない。その使用済み燃料を保管できる施設は瓦礫と比較にならないリスクがある。また、廃炉にすれば放射性廃棄物が大量に発生するので、その受け入れも考えなければならない。そういうリスクを受け入れなければ廃炉はできないから、廃炉訴訟の原告が瓦礫を受け入れないというのは矛盾している。

 廃炉の実現にあたっては、使用済み核燃料や汚染廃棄物が生じるなどということは百も承知だし、この問題を解決しなければ廃炉が実現しないというのは分かる。泊原発を廃炉にして欲しいと思っている原告の方たちもそのことは理解しているだろう。しかし、私は廃炉訴訟というのは基本的に「廃炉の決定」の判断を求めているものと理解している。

 原発には耐用年数があり、耐用年数に達したなら廃炉しなければならない。裁判を起こして廃炉を求めるということは、耐用年数に達する前に原発の運転を停止し廃炉の決断をしろということだ。廃炉によって汚染廃棄物が生じることは原発をつくる時点で分かっていたことなのであり、本来であれば原発をつくった時点でその処理のことまで考えておかなければならなかったのである。使用済み燃料にしてもそうだ。これは訴訟を起こしても起こさなくても生じる問題なのである。

 そして、その使用済み核燃料や廃炉による汚染廃棄物の受け入れ先は、たった612人の原告の意向で決められる問題ではない。これは原告の意思がどうこうという問題ではない。そもそも廃炉訴訟というのは、どのような手順で廃炉にし、そこから生じる核廃棄物をどうするかまで争点としている裁判ではないと私は考えている。

 使用済み燃料の保管に関していうならば、それらの保管場所の確保もしないで安全神話を振りまき、国策として進めてきた国や電力会社に最も責任がある。もちろん、だからといって廃炉によって生じる核廃棄物は自分とは関係がないというつもりはない。日本人が原発を受け入れてきた以上、どこかで責任はとらなければならないことだ。しかし、それは前述したように原告の意思だけで決められる問題ではない。そして、原告の方たちが生きている間に解決できる可能性も高くないだろう。未来の何世代にもわたって大きな負の遺産を受け継がせてしまうことになったのであり、痛恨の極みだ。

 裁判によって運転停止、廃炉の決定がなされたとしても、すぐに廃炉にできるわけではない。燃料の保管場所が決まらない限り、とりあえず使用済み燃料は泊原発の建屋内にあるプールに保管しておくしかないだろう。だから原発を停止したからといって、危険が去るわけでは全くない。また、北海道内に保管施設をつくったとしても、危険がなくなるわけではない。そのことも承知の上で、まずは運転停止と廃炉の決断を求めているのである。少なくとも私はそのように理解している。

 瓦礫の受け入れ問題に関しては廃炉訴訟とは別の問題だ。福島原発の事故によって、チェルノブイリでは廃村になったところと同等の汚染地帯が生じてしまった。この事故によって生じた汚染瓦礫は、このような地域に集めるしかないと私は思っている。そのために東電や政府は汚染地域の土地を買い上げて住民の生活を保障しなければならないだろう。汚染瓦礫を全国に拡散して汚染の低い地域まで汚染させることは反対だ。このような地域は安全な食料の生産地、被災者の避難や保養の場所として確保しておく必要がある。そもそもこの事故による汚染物質の処理問題と、廃炉による核廃棄物の処理を同列に扱う杉山氏の思考は理解しがたい。

 なお、「泊原発の廃炉をめざす会」の設立趣意書をお読みいただきたい。

泊原発の廃炉をめざす会 設立趣意書 

 この趣意書の「6全道民に呼びかけます」には「私たちは、幌延をはじめ、北海道のどこにも核廃棄物を一切持ち込ませない運動を行ないます。」と書かれている。原告の方たちはこの趣意書に賛同して原告になっているのだ。汚染瓦礫という核廃棄物を北海道に持ち込ませないというのは会の方針としても合致しているのである。杉山氏は大きな誤解をしている。

 もうひとつ指摘しておかなければならないことがある。杉山氏は「毒蜘蛛おばさんが信奉するアー二ー・ガンダーセン」と表現している。しかし、私は人を信奉するなどということはしない。私は「福田君の尋問で見えてくる出版差し止め裁判の本質 」という記事の最後にこう書いている。「私は信頼している人、尊敬している人、世話になっている人だからという理由で、その人の意見に同調することはしない。誰の意見であろうと、支持するか否かは自分で決める。たとえ自分と同じ意見の人が誰もいなくても、他人に同調しようとは思わない」

 つまり、たとえ信頼している人や尊敬している人であっても、その人の言うことをすべて鵜呑みにして信奉するようなことはしない、という意味だ。アー二ー・ガンダーセン氏については、原子力の専門家であり、福島の事故に関しては日本政府から情報が伝わっている人物として、その発言は傾聴に値するという立場だ。だが、彼の見解がすべて正しいとは考えてはいないし、信奉しているわけではない。これはもちろんガンダーセン氏に限ったことではない。

 なお、ガンダーセン氏は3号機の爆発について3号機の燃料プールの即発臨界爆発説を唱えている、また藤原節男氏も同様の説を唱えている。

福島原発3号機“核爆発”を起こした!専門家が断言(Yahoo!ニュース)

 しかし、これについてはアメリカのIan Goddard氏が水蒸気爆発説を提唱しており、この説も説得力がある。以下を参照していただきたい。専門家によっても意見が異なるということだ。

Ian Goddard氏の“福島第一原発 3号機:水蒸気爆発理論”を翻訳してみた(farpostingのブログ)

 以下はおまけ。関東地方でも被曝が疑われる事例が出ていて深刻な状況であることが医師によって語られている。

2011/12/21 ガレキは受け入れない!会見
http://www.ustream.tv/recorded/19293496

 

2011年12月20日 (火)

匿名による虚偽コメントに思う

 北海道新聞朝刊に弁護士のエッセイを掲載する「閑話余話」というコラムがある。20日付のコラムは、匿名掲示板に虚偽の悪評を書き込まれた病院院長からの相談についての話題だった。その掲示板の書き込みにより、問い合わせの電話が殺到して受け付けの事務員が精神的に参ったり、患者が通院を敬遠するなどの被害が出たという。

 典型的なネットによる業務妨害だ。このような場合の対処として、書き込みをした人物を特定するために、プロバイダ責任制限法の発信者情報開示請求の制度を利用して、プロバイダ業者に情報開示を求めるか、刑事告訴をして捜査してもらう方法があると書かれている。

 私は刑事告訴しか手がないと思っていたのだが、プロバイダ責任制限法も利用できるようだ。こうして書き込みをした人を割り出したところ、院長から自転車の二人乗りを注意をされた少年の逆恨みによる書き込みだったという。軽い気持ちでの書き込みでも犯罪になってしまうのだから、ネット上の発言にはくれぐれも注意が必要だ。

 ところで、昨日、ココログの方の「危機感の薄い日本人」という記事に、「オレンジ」さんというハンドルネームの方からコメントがあったのだが、そこには憶測に基づいた虚偽が書かれていた。以下がそのコメント。

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松田まゆみ様

今更ながら過去のエントリー、大変興味深く読ませていただききました。いやはや何とも。ある意味圧倒されました、読んでいたら最初から書き込みなどしませんでした、スミマセン。

ところで、菊地誠氏のところのコメント欄には、時々とんでもないトンデモさんが現れては論破されて、最後には捨て台詞と共に去ってゆくのですが、あの中の一人があなただったとは・・・。まあHNまでは伺いますまい。

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 前半の部分は感想だから問題はない。虚偽というのは後半の部分だ。私が菊池誠さんのブログにハンドルネームでコメントしたと決めつけているのだ。呆れてしまった。

 私は自分が特定できるように名前や所属を明らかにしているし、ブログのコメントにおいてもハンドルネームは使わない主義だ。また、連絡を取りたい人のためにブログからメールを送信できるように設定している。オレンジさんは軽い気持ちでこういうことを書いたのだろうが、非常に失礼なことだ。匿名で根拠もないことを平気で書くとは何と責任感がないのだろう。この程度の虚偽はことさらに騒ぐようなことではないが、内容によっては犯罪にもなりかねないし、それがツイッターなどで拡散されたなら被害は深刻になる。

 日本ではブログでもツイッターでも匿名発言が主流だ。匿名そのものを否定するつもりはないが、本来、匿名というのは企業や権力者などの不正や悪質商法などの告発の際、嫌がらせや弾圧を避けるために使われてきたという側面がある。そのような事情で匿名を使うのは当然のことだろう。しかし、告発的な発言をする目的でもないのに日本のインターネットの世界では匿名が当たり前になっている。

 個人情報を隠すことによって身の安全を守りたいとのことかもしれないが、これも程度問題ではなかろうか。プライバシーに関わることを書かなければそれほど気にすることではないように私は思う。

 私のブログでの経験では、多くの人は匿名コメントでもまじめなやり取りをしている。しかし批判的なコメントをする人は必ずしもそうではない。結局、匿名であるがゆえに無責任な発言が多くなると思えてならない。安易に根拠のない発言をしたり、暴言を吐く人はまず匿名だ。それがエスカレートするとストーカーのようになる。こうなるとハラスメントでしかない。たとえブログのコメントでも、内容によっては犯罪にもなり得ることを十分認識してほしいと思う。

 私は、ブログのコメントにさまざまな意見が入るのは当然だと思っている。賛成の意見だけではなく反論も入るだろう。実名で反論コメントをされる方の大半は、まず暴言的なことは書かないし、自分の発言に対して責任を心得ていると思う。それが本来のやりとりだろう。

 ただ、ブログのコメント欄というのは議論をする場には向かないと思う。賛成・反対を含め自分の意見を述べるのもよし、誤りや不適切な部分を指摘するのもいい。しかし、認識の違いはともかく、意見の違いというのはたいていの場合、コメントで指摘したところでそう簡単に変わるものではない。だから、異なる意見の人とやりとりしてもたいてい平行線に終わる。時間の無駄だ。自分の意見や批判を広めたいのであれば、自分のブログでやるのが筋だろう。誰の意見を支持するかは読み手が決めればいいことだ。

 いずれにしても、匿名で無責任なコメントをいれることは止めていただきたい。  

2011年12月19日 (月)

青山貞一氏が語る、八ッ場ダムが止まらない理由

 民主党政権に代わったときに、自然保護運動をしていた人たちが何よりも期待したのは大形公共事業の縮小だった。そして、八ッ場ダムをはじめとしたダムの中止。しかし、そんな期待はあっさりと裏切られ、国交省は工事を再開しようとしている。あの前原氏の意気込みはいったい何だったのか? なぜいつまでも目的を失った無駄な事業が止められないのか? そのことを東京都市大学教授の青山貞一氏がYouTubeで解説している。

八ッ場ダム工事再開問題①
http://www.youtube.com/watch?v=9F2nD_0U6Yg 

八ッ場ダム工事再開問題②
http://www.youtube.com/watch?v=cRTjqvyYFXk 

 全部聞くと1時間以上になるので、要旨を以下に紹介しておきたい。

**********

 現在、河川改修、砂防ダム事業、道路の付け替え、吾妻線の橋梁など、ダム本体以外はほとんど工事が終わっており、住民移転も進んでいる。川原湯温泉の移転が遅れている程度。

 当初予算は2300億円だったが、6600億円に倍増。さらに道路特別会計、水資源特別会計などをつくってお金を使っており、4600億をはるかに超えている。これ以外にも5、6千億円を使っていると思う。民主党は建設中止宣言したが、工事は止まっていなかった。政治主導といいながら、官僚主導だった。

 前原氏は中止宣言した。しかし、国交省はダムの必要性について関係自治体や下流域の建設費を負担している都県の知事にも意見を聞き、有識者にも検討させた。今まで推進してきた知事に検討させて不要だということになるわけがない。国交省の有識者会議は一部慎重派が数名いるが、過半数は推進派など御用学者。このような国交省の仕掛けが動き出した時点で、今の状況はわかっていた。同じような例として長野県の浅川ダムがある。田中康夫さんが脱ダム宣言したのに行政手続きはまったく止まっておらず、政治主導にならなかった。こうしたことの背景には、政治家が行政手続きや計画確定手続きを理解しておらず、行政の思うままになっていることがある。

 日本の住民裁判はほとんど勝てないが、和解に持ち込めたものも含めると勝訴は6%程度。八ッ場ダムは国の直轄事業なので、国を相手に裁判ができない。そこで、応分の負担をしている地方自治体に対して差し止め請求裁判を起こした。その後損害賠償も複数起こした。裁判を起こした側の弁護士は、オンブズマンをやっているような名うての弁護士だったが、奇妙なことに自治体相手に起こした裁判であるのに関わらず、事業者側つまり国なり県の側にいる弁護士は同じだった。同じような理由でみんな負けてきた。大手メディアは裁判で何が主張されていたか、何で負けたのか、一切報道しなかった。

 行政訴訟の本質的問題がある。日本の行政訴訟では原告適格でほとんど却下。実質審議に入っても勝つことはきわめて稀。情報公開裁判はけっこう勝つが、時間がかかる。勝ったときはダムができてしまっている。行政訴訟は機能不全になっている。

 八ッ場ダムの場合、長野原町の住民が原告にほとんどいない。地域住民はお金をもらって移転するなどしてしまった。環境問題に関わっている人や税金の無駄遣いを問題にしている弁護士たちが起こした裁判になった。裁判を起こした側が計画高水というダムの根拠に深入りし過ぎ、何年も費やしてしまったという方もいる。そこにも敗因があったのではないか。

 八ッ場ダムの計画はカスリン台風の洪水被害が大きなきっかけになっている。しかし、ダムを造ろうとしたときに、吾妻水系の酸性水によって鉄やコンクリートがとけてボロボロになる、という問題が起こった。そのことは国交省も認めている。そこで品木ダムをつくり、石灰で酸性水を中和した。これで酸性水は改善されたが、品木ダムに大量のヘドロが溜まり、浚渫しなければならなくなった。そのヘドロにヒ素が高濃度に入っていた。この問題については高杉晋吾さんが指摘している。

 カスリン台風は大昔の洪水で、そのあと利根川水系に多くのダムが造られ、最後に残ったのが八ッ場ダムだった。洪水が防げることはほとんどないというのが専門家の意見。地質がもろく、土砂が堆積する。利水では、東京、埼玉、群馬などの水利用量は減っている。農業用水の需要もそれほどない。工業用水も同じ。発電も、中小水力がたくさんある。目的が失われている。国交省は、ダムをつくれば観光地となり地域の活性化になるといっているが、そんなことはまずあり得ない。国はデータを出さず、ほとんど水かけ論。いつまでたっても埒があかず、時間がたってしまった。

 八ッ場ダムはアセス法ができるはるか前の古い事業で、アセスも役割を果たしていない。日本のアセスでは、経済性は除外され公害と自然破壊のみ。吾妻渓谷はすばらしい景勝地であったが、すでにそれは破壊されてしまった。アセス法ができたときに、本格的アセスをするべきだったが、アセスの実質適用除外になってしまった。

 パブコメも聞き置かれるだけ。ダムがいいのか、河川改修がいいのか、いろいろな代替案があっていいが、日本のアセスは代替案をもとにやっていない。アメリカの環境アセスは、代替案の検討を義務付けている。日本ではアセスが行われる時期が非常に遅く、工事が進んでしまう。しかしアメリカはそういうことがクリアされている。米国では、スネールダーターという絶滅危惧種の小さな魚が見つかったあと、ほとんど出来ていたダムをやめて魚を守ることを選んだ。日本は、どこまで利権的な世の中なのか。

 日本は異常に公共事業費が多い。1996年時点で、日本の公共事業費はアメリカの3、4倍。その後も日本はずっとダントツで公共事業費の割合が大きい。道路、空港、ダムをつくってきたため。バブルのころは5、60万社の土建業者があった。それがバブル崩壊後もほとんど減らなかった。政治家と官僚が事業をつくりつづけた。

 政、官、業、のほか学、報(マスコミ)が強固なペンタゴン(五角形)をつくっている。原発問題も同じ。学者はとりわけ罪深い。東大が道路系、京大が水系を牛耳ってきた。学者は第三者的に研究するべきだが、日本は原発もダム問題も多くの学者が行政に取り込まれている。研究費をもらい、便宜をはかられ、検討会審議会の委員になる。良心的な人はせいぜい口をつぐむ。

 古くて新しい事業としては諫早干拓事業。あれも造るまえから大きな問題となりアセスもやったが、造られた。堤防の外側では魚介類が激減し、内側では水質がものすごく悪化した。反対してきた人たちが裁判して勝ったにも関わらず、国は今でも水門を開けない。日本という国は、どんなに問題があろうとお金を使おうと、ひとたび行政がやったことは立法も司法も追認してしまう。日本を象徴するような事業ではないか。

 民主党になっても法律改正をせず利権を引き継いでいる。だからといって自民党に戻ればいいというわけではないというところに最大の不幸がある。

**********

 世界の中でも日本の公共事業費がダントツに多いということを、国民は知っておくべきだろう。根っこは原発問題と何も変わらない。ごく一部の人の金儲けのために必要もない事業が造られ、国民がどれだけ反対しても無視されるシステムができあがっている。その部分が変わらない限り、いくら正論を主張しても簡単に止まらないのが日本の公共事業なのだ。利権構造の根は深い。

2011年12月16日 (金)

素人が意見を述べたら営業妨害か?

 私は「チャンネル北国tv」と「ココログ」の二つのブログを持ちそれぞれに同じ記事を掲載しているのだが、チャンネル北国tvの「幻冬舎ルネッサンスのコメントを掲載した朝日新聞の自費出版記事」という記事のコメントに柴田晴廣氏から以下の書き込みがあった。

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松田まゆみ様

藤四郎はおだまり願いませんか。

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 「藤四郎」すなわち「シロウト」は意見を言うなと言いたいらしい。さらに、その翌日、「文芸社に騙された!」という記事にも柴田氏が以下のコメントを入れた。

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松田まゆみ様

藤四郎はおだまり願えませんか、と言っているのに聞く耳もたず、無視ですか。ろくに知りもしないで勝手なことを言ってると営業妨害とみなしますよ。

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 まったく不可解なコメントだ。これらの発言について検証してみたい。

 まず、「藤四郎(=シロウト)はおだまり願えませんか」という発言。「専門家が意見を表明するのはいいが、専門外のものは黙っていなさい」という主張だと理解できる。今、日本中が原発問題で揺れている。そして原子力発電や放射能に関して素人の人たちがネット上で一斉に声をあげている。一方で、山下俊一氏のように専門家を名乗って放射能の安心・安全をアピールしているとんでもない人物もいるのだ。専門家と名乗る人が正しいことを言うとは限らないし、素人の意見が間違っているというわけでもない。もちろん専門家であっても素人であっても、意見を言うのは自由だ。素人は口を出すなという柴田氏の発言は、明らかに言論の自由の侵害だ。

 だいたい専門家とはどのような人のことを指しているのだろうか? 出版業界の人なのか、著作権法などに精通している人なのか? 私は著作権法の解釈に関する話をしているわけではないし、出版業界の専門的な話をしているわけでもない。シロウトでも指摘できることを言っているにすぎない。

 もうひとつは「ろくに知りもしないで勝手なことを言っていると営業妨害とみなしますよ」という発言だ。

 「営業妨害とみなす」のことだが、営業妨害という法的な概念はない。いわゆる名誉毀損とか信用毀損、業務妨害を指していると思われる。柴田氏は、素人である私の発言が出版社の名誉や信用を毀損するので営業妨害になると言いたいようだ。

 名誉毀損については、以下のクンちゃんのエディタールームに分かりやすい解説がある。

どこが名誉毀損?だいたい名誉毀損ってどういうこと? 

 ここで説明されているように、「公共の利害に関する事実で、その内容が真実であり、公益目的で表現した場合は、名誉毀損の格好に見えても、罰せられない」のである。私の書いていることは、もちろん公共の利害に関する事実やそれに基づいた意見であり、公益目的だ。また、信用毀損だとか業務妨害は刑法で定められている犯罪だが、「虚偽の風説を流布し、又は偽計を用い」て信用を毀損したり、業務を妨害することだ。

 私は事実、あるいは事実に基づいた自分の意見を書いているのであり、虚偽の風説を流布してはいない。もし間違いがあるのなら具体的にその箇所を指摘いただければ訂正する。名誉毀損だとか、信用毀損、業務妨害などというのならば、具体的にその部分を指摘するのが筋だろう。そういう指摘を一切せずに「素人は黙ってほしい」と発言することは、言論の自由の侵害にほかならない。

 また、柴田氏は過去に自分は文芸社とはまったく関係ないと主張している。ならばなぜ「営業妨害とみなしますよ」などと、あたかも当事者であるかのような書き方をするのだろうか。第三者であるなら、「○○の部分が事実と異なります。出版社から信用毀損や営業妨害とみなされる可能性がありますから注意したほうがいいですよ」などと書くべきだろう。

 なお、文芸社も幻冬舎ルネッサンスも、私に対して「あなたの見解は間違っています」と指摘してきたことはない。文芸社はかつてJANJANに対し、私が書いた記事の一部の記述が「根拠がなく真実に反することが明らか」であり名誉毀損にあたると通知したことがある。しかし、文芸社が指摘した記述はいずれも根拠に基づいて書いたものであり虚偽ではない。文芸社の通知の方が虚偽なのである。

 同書面では「また、著者が負担する費用に関する松田記者独自の見解が繰り返し掲載されているのも容認しがたいところです」としている。決して私の意見が間違っているとは書いていない。個人の見解が容認しがたいから記事を削除しろなどというのは、言論侵害も甚だしい。私の見解が容認しがたいというのなら、文芸社の見解を公表すればいい話だ。言論に対しては言論で対抗していただきたい。

 また、同書面には「通知人は貴社に対し、名誉権を違法に侵害されたことを理由に、名誉権に基づく妨害排除・妨害予防請求権の行使として、別紙記事目録記載の各記事を削除して頂くよう請求いたします」と書かれている。JANJANは私の記事は事実に基づいて書かれていることを確認し削除には応じなかったが、文芸社は名誉毀損、業務妨害で訴えることはしなかった。できなかったのだろう。

 なお、柴田晴廣氏については以下のページをお読みいただきたい。

http://onigumo.cocolog-nifty.com/blog/2009/03/post-91f5.html 

 私は柴田氏を相手にする気はなく、柴田氏のコメントは削除しようかと思っていたのだが、「クンちゃん」がコメントをしたので今回は削除しないことにした。ただし、今後も不適切なコメントをするようであれば削除したい。

2011年12月14日 (水)

薬事法違反に問われた現代書林の不可解な出版

 「創」2012年1月号をパラパラとめくっていたら「薬事法違反容疑で『現代書林』逮捕事件の行方」という篠田博之編集長の記事が目にとまった。2002年4月に現代書林から出版された「医師・研究者が認めた! 私がすすめる『水溶性キトサン』」という本が、薬事法違反に当たるとして本の著者であるライターと元社員、元社長と現役編集者の4人が逮捕され、このうち元社長と現役編集者が起訴されたという事件について書かれた記事だ。

 この事件については朝日新聞も報じているのだが、警察はこの本が特定の健康食品の効能を謳っていることが薬事法違反にあたるとしているようだ。

【神奈川】効能本、今も転倒に 流通の規制難しく

 私が気になったのは、この事件そのものよりこの出版のいきさつだった。上記の朝日新聞の記事では、5千部の扱いについて以下のように書かれている。

このうち5千部は、出版社「現代書林」の当時の社長武谷紘之容疑者(72)=薬事法違反容疑で逮捕=らが引き取って全国の書店で販売。残りは健康食品販売会社「キトサンコーワ」社長の国安春子容疑者(65)=同=が商品に同封して販売先に発送していた。

 しかし、「創」によると、以下のように書かれている。括弧内の注意書きは私によるもの。

同書は1万部発行されたのだが、同社(注:健康食品メーカー「キトサンコーワ」のこと)がそのうち5000部を買い取っていた。現代書林では、その3年前にも『「水溶性キトサン」衝撃の治癒力』という本を出版。同じように買い取りがなされていた。同社では自費出版の一種と考えているようだが、事前に企画部という部署が交渉をして制作費などを負担してもらうというビジネスのやり方が多かったらしい。

 朝日新聞の書き方では、キトサンコーワが1万部の本をつくり、そのうちの5千部を現代書林が引き取って販売したと理解できる。出版の主体が「創」の記事とは正反対なのがおかしい。しかし、出版社が企業から本を引き取って販売するなどということは考えにくいので、やはりキトサンコーワが買い取る、あるいは制作費などを出資するという条件での出版と考えるのが妥当だろう。

 1万部の発行のうち、その半分にあたる5千部が買い取りなのである。この本の定価をインターネットで調べたところ1,260円だった。キトサンコーワがいくらで買い取ったのかは分からないが、仮に定価で買い取っていたなら1,260円×5000部=6300,000円だ。1,000円で買い取ったとしても5000,000円になる。これだけ払ってもらっていたなら出版社は持ち出しすることなく1万部の出版費用が賄えるのではないだろうか。現代書林が「自費出版の一種」と考えているのも頷ける。

 もし現代書林が実質的に出版費用を負担していないとしたなら、碧天舎、新風舎、文芸社、幻冬舎ルネッサンスなどでやってきた共同出版ビジネスと実質的にはあまり変わらない。

 そこで現代書林では自費出版を募集しているのかと思ってホームページを見たのだが、自費出版を行っているとは書いていない。ただし、「会社情報」から「出版企画募集」というページがリンクされていて、そこに「あなたの企画・原稿をお待ちしております!」と書かれている。つまり、自費出版とは謳っていないが、持ち込み原稿を募集しているのだ。建前は商業出版社だが、実際には「買い取り条件」「制作費負担条件」などをつけていることも多いのだろう。

 現代書林に限らず、表向きは商業出版社であっても、著者などに「買い取り条件」や「制作費負担条件」をつけるようなことは、おそらく多くの出版社でやっていると思われる。

 私は以前から言っているが、「買い取り条件」や「一部費用の負担条件」をつける商業出版自体が悪いとは思わない。しかし、そういう条件をつける場合でも、出版社が何ら費用負担しないというのなら悪質な共同出版(自費出版)商法と何ら変わらないだろう。こういうことがまかり通っている業界というのもかなり末期的な気がする。いずれにしても、ずっと前から大変な不況に陥っている日本の出版業界においては、純粋な商業出版だけで生きていくのはもはや至難の業なのかもしれない。

 なお、この現代書林の薬事法違反に関しての私の感想を一言述べておきたい。本を読んでいるわけではないが、「創」の説明によると、この本は中木原和博・中井駅前クリニック院長が監修、医療ジャーナリスト石田義隆氏が執筆し、健康食品「水溶性キトサン」について医師や専門家の話しをまとめたもので、体験談も収録されているという。また、発売当初は巻末に取扱店のリストも掲載されていたそうだ。(2004年に厚労省が、書籍も一定の基準を満たした場合は広告物とみなすとの見解を示したため、現代書林はリスト部分を切り取っていたとのこと)。

 であれば、すでに絶版になり取扱店リストも切り取られた本が「広告物」に該当するとは思えない。薬事法違反というのは不可解だ。

 ただし、キトサンコーワはこの本と商品をセット販売していたとされており、キトサンコーワが商品の販売に使う目的で高額な費用を投じて本を買い取ったことは確かだろう。現代書林が発売当初に巻末に取扱店のリストを入れたのも、もちろんキトサンコーワから出資してもらったことと関係していると考えられる。キトサンコーワのセット販売については現代書林は関係ないだろうが、キトサンコーワの好条件の買い取りに乗っかって儲けようとしたことが、このような疑惑を呼んだのではなかろうか。どのような経緯で本書が企画され著者・監修者が決められたのか、またキトサンコーワがどの段階から関わっていたのかなど知りたいところだ。

2011年12月12日 (月)

危機感の薄い日本人

 夕方のラジオで今年の漢字が「絆」に決まったというニュースが流れていた。これを聞いて溜め息が出た。

 福島の原発事故はおそらくチェルノブイリを超える大惨事だ。福島の原発事故は、私のいままでの人生でもっともショッキングなできごとだった。将来がまるで黒い雲に覆われたかのように感じたし、今でもそうだ。こんな年に「絆」とは・・・。

 地震と津波の災害だけだったら「絆」という感じが選ばれるのも分からなくはない。震災の復興や生活の立て直しには人と人との絆が欠かせない。しかし、先が見えない大事故を起こし、いつまた大地震に襲われるかもわからない国で「絆」などというのは何と悠長なことだろう。危機感を持たねばならないときなのに、まるで危機感がない。危機感を持ちたくないからこそ、こういう無難な漢字を持ち出して逃避しているかのようにすら感じてしまう。

 原発事故は「絆」では処理できない。大勢の命がかかったきわめてシビアな問題であり、事故処理をする方たちも、被曝した国民も危機感を持って対処するしかないのだ。こんな危機的な年に「絆」という感じを選ぶというのは、私には「平和ボケ」の感覚としか思えない。

 福島第一原発では、なんと今月16日に原子炉の冷温停止状態の宣言をするという。とうの昔にメルトダウンし、圧力容器の底には穴があいていると推測される状態で、何が「冷温停止」なのか。東電の言うことにはほとほと呆れる。結局、工程表をこなしているというフリをしたいのだろう。国民を馬鹿にするのもいい加減にしてほしい。

 ところで、チェルノブイリとフクシマを比較した早川由紀夫さんのマップが改定されて見やすくなった。

フクシマとチェルノブイリの比較(改訂版) (早川由紀夫の火山ブログ)

 今回の地図では縮尺を揃えている。この地図を改めて眺めてみて、フクシマの事故による汚染の深刻さを実感した。一見すれば汚染地域の面積はフクシマのほうがチェルノブイリよりだいぶ狭い。しかし、フクシマでは海の部分の汚染が地図上に表示できないのだ。フクシマでは、風が太平洋側に流れていることが多い。もし福島第一原発の東側が海ではなく陸地だったと仮定したなら、恐らく東側に汚染地域が大きく広がっている地図になっただろう。そう考えると、チェルノブイリと規模が違うなどということは決していえない。

 しかも、これ以外に大量の汚染水が海に流れてしまった。放出された放射性物質の量は莫大だ。そして、放射能の放出は今も続いている。史上最悪の事故としか思えない。

 チェルノブイリでは数年たってから子どものガンが増加した。被ばくによる影響は何年も経たないと明確にはならない。今でも影響が続いている。日本でこれからどのような健康被害が生じるのか、だれにも分からない。チェルノブイリと日本では確かに同じではないだろう。チェルノブイリより健康被害が小さいかもしないが、大きいことだってありえる。誰にもわからないからこそ、一人ひとりが最悪の事態を想定して防衛するしかないのだ。

 かねてから原発事故の恐ろしさを説いてきた広瀬隆さんは、しばしば「大げさ」「煽る」といって批判されるようだ。しかし、「煽る」というのとはちょっと違うと思う。広瀬さんの場合は、たぶんいつも最悪の状態を想定した話しをしているのだろう。だから、大げさに聞こえてしまうのだ。

 しかし、災害に対しては常に最悪を想定して防災を考えるべきだろう。今回の原発事故でも東電は「想定外の津波」だったと言い訳をしたが、想定外で済まされる問題ではない。つねに最悪のことを想定し、最悪の地震や津波に耐えられないのなら原発などつくってはいけなかったのだ。

 原発事故のあと、全国の原発が定期点検で次々と運転が停止になっており、12月8日には美浜原発2号機がトラブルで停止した。これで現在稼働しているのは8基だけだ。約85%の原発が停止しているが、電力は足りている。原発でお金儲けをしたかった人たちが、電気が必要だといってこれほどまで原発を増やしてしまったのだ。

 原発は止まってきている。このまま全部が止まってほしい。しかし止まったからといって安全になってきているわけでは決してない。処理もできない使用済み燃料を大量に貯め込んでしまったのだ。たとえ原子炉が冷温停止になったとしても、燃料を保管しているプールが壊れたなら、またもや原発災害がふりかかる。私たちは大変な負の遺産を抱え込んでしまったとつくづく思う。地震活動が活発化している中で、とても気が休まるような状態ではない。

2011年12月10日 (土)

群馬大早川由紀夫教授の訓告問題を考える(2)

(前回の記事は以下)
群馬大早川由紀夫教授の訓告問題を考える(1) 

言論の自由と訓告の正当性

 早川氏が深刻な汚染について意見を言うことの真意が、真摯な警告であり、「配慮を欠いた不適切な発言」という群馬大の指摘が当たっていないことについては、前回の記事で書いた。また「不安を煽る」というのが配慮を欠く理由であるというのなら、それは単なる意見の相違であり、訓告の理由にするのはおかしな話だ。だから、「配慮を欠いた不適切な発言」と考えられるのは、過激な表現だけだろう。

 たしかに、早川氏のツイートは過激だ。「死ぬぞ」などという言葉は何度も見かけた。でも、それは大げさではなく事実だ。あれだけの汚染があったのだから、被ばくによって亡くなる人は必ず出る。こんなことを言うと不謹慎だと言われそうだが、因果関係が特定できない人もいれたら恐らくきっとすごい数になるだろう。

 また、早川氏のツイートを日頃から読んでいる人なら、表現の仕方の評価は別として、彼がどういう理由であのような過激な表現をつかうのか理解できると思う。それくらいはっきり言わないと、伝わらないという強い思いがあるのだ。私だったらあのような書き方はしないが、「殺す」という言葉ひとつとっても、被ばくで人が死ぬのは事実だし、それは放射能によって殺されるということだから間違っているわけではない。また、相手を特定しているわけでもなければ脅迫というわけでもない。強い口調で可能性を指摘しただけだ。これはほとんど個性の問題ではなかろうか。言論の自由の範疇であり、大騒ぎするようなことではないと私は思う。

 どうしてもあのような過激な発言が嫌なら彼のツイートを見なければいいわけだし、批判したいのならブログなりツイッターで批判すればいいのだ。ただし、いつも思うのだが、実名で発言している人に対して、匿名で批判攻撃をするべきではない。言論に対して言論で対抗するのはもっともだが、匿名はあまりに無責任で卑劣だ。

 私が呆れたのは、自治体が大学にクレームをつけてきたということだ。早川氏の言論に問題があるというのなら、自治体は早川氏の言論に対し具体的に理由を述べて意見表明をすればよいだろう。大学に対してクレームをつけるなど、まるで子どもの告げ口ではないか。

 早川氏によると、一関と岩手県は酷いクレーマーだという。この背景には、早川マップが一関の汚染を指摘しているからだろう。ならば、事実を認めたくない自治体による嫌がらせだと受け取られても仕方ない。そして、その子どもの告げ口のようなクレームをまともに受け止めて処分をする大学もどうかと思う。その背景には以下のようなことも関係しているのかもしれない。

国立大学法人群馬大学と独立行政法人日本原子力研究開発機構との連携協力に関する協定」の締結について

 群馬大自身が日本原子力研究開発機構と密接な関係があったわけだ。大学にクレームがくるというのも納得がいく。

 やはり、この問題はどう考えても、言論の自由に関わる問題だ。群馬大が一教員の言論の自由を封殺したいという意図があると思えてならない。由々しき問題だ。

 また、早川氏は7日に大学で記者会見を行うことをツイッターで公表し、その時間帯に休暇をとった。しかし、記者会見を行った早川氏の研究室に学部長が入ってきて記者らに建物の使用を禁止すると言い渡したのだ。そして最終的には電気を使用しないという条件で会見が始まった。規則を盾にして突っ張る学部長の態度は異常としか思えない。これについては以下のブログに東京新聞の記事が掲載されているのでご覧いただきたい。

http://heiheihei.cocolog-nifty.com/blog/2011/12/1210-3f7e.html 

 なお、以下のYouTubeに記者会見が始まる前に学部長が研究室の使用に対してクレームをつけている映像が公開されている。

http://www.youtube.com/watch?v=55inv-XuPXQ 

http://www.youtube.com/watch?v=lYbKBmKSY3M 

 小出裕章さんは、京大のご自分の部屋で取材を受け、それがネット上で公開されていたが、国立大学でも大学によってこれほど対応が違うというのはどういうことだろう。はやり、権力によって言論を封殺したいということではなかろうか。記者会見の妨害は言論の封殺だ。

 早川氏が懲戒処分になれば闘うといっているのはもっともだと思う。

2011年12月 9日 (金)

群馬大早川由紀夫教授の訓告問題を考える(1)

危険性を訴えることは不適切か

 群馬大の早川由紀夫教授が、ツイッターで福島の農家などに対し配慮を欠く不適切な発言をしたとして大学より訓告処分を受けた。早川氏は以前から口頭による注意を受けていたというが、今回あらためて訓告として書面で通知された。そこで早川氏は訓告処分の事実についてツイッターで公表し、さらに8日に記者会見を行った。この記者会見については岩上安身氏のインタビューが途中から実況中継され(岩上氏は記者会見に遅刻)、私も視聴した。

 その時の発言のまとめは以下で読むことができる。

早川先生の群馬大学での記者会見の聞き起こし 

 私がこの会見を聞いていて、最も印象に残ったのはリスクコミュニケーションの話だった。早川氏には、雲仙普賢岳の火砕流の危険を現場にいた人たちに知らせることができず、43人もが亡くなったという痛恨の思いがあった。火山学者である早川氏は、あの場所にいたら火砕流で死ぬことがわかっていたのだが、それを伝えることがでなかったのだ。現場にいる人たちに知らせることができたら防げた災害だった。それが今回ツイッターでの過激な発言に繋がっているのだ。

 今回の原発事故のあと、早川氏はチェルノブイリのことを必死に勉強し、福島は危険だという結論に達したという。雲仙普賢岳の惨事を防げなかった思いがあったからこそ、「早川マップ」をつくり、ツイッターで警告し続けている。

 この気持ちは私も変わらない。私もチェルノブイリの事故による健康被害については、たぶん一般の人より少しだけ知識があった。というのは、「チェルノブイリのかけはし」による子どもたちの保養活動をお手伝いしたことがあるからだ。その活動を通じて、チェルノブイリの事故では汚染がどのように広がったとか、大変な健康被害が生じて多くの人たちが病気になったり亡くなったことを知っていた。

 だから、早川氏が作成したチェルノブイリ事故による汚染と福島原発事故による汚染を比較した地図を見て、これは大変なことになると直感した。日本の場合はチェルノブイリより汚染面積は狭いが、人口ははるかに多い。しかも汚染は人口密集地帯である首都圏にまで及んでいる。日本でチェルノブイリと同じ健康被害が繰り返されることは想像に難くない。そして、政府はこの事実を何としてでも隠し続けるだろうということも確信した。

 だからこそ、一人でも多くの人に現実を見つめて判断の材料にしてほしいと思い、インターネットで情報を収集してブログで紹介してきた。案の定、政府は事実を隠ぺいしようとやっきになっているが、日本の危機的状況は日増しに明確になってきている。先日の木下黄太氏のブログ記事は、とりわけその深刻さをよく物語っている。

「私の言うことをどうか怒らないで聞いてください」ベラルーシのコメリ州、スモルニコワ医師の発言 

 早川氏もチェルノブイリのことを知って危険性をすぐさま感じ、ツイッターでそれを発信し続けたのだ。「訓告」問題を語るとき、早川氏の発言の根底にあるものをきちんと読みとることが重要だと思う。

 汚染の深刻さや危機感をツイッターやブログで指摘する人は大勢いる。おそらく皆同じような気持ちで発言しているのだろう。早川氏も言うように、生死を分けるような危機的状況になれば、誰しも自分や家族の命を一番に考える。そういう意識が働かなければ生物は絶滅してしまうだろう。だから外敵から狙われる野生動物は常に警戒を怠らない。生物である以上それは自然のことであり当然だ。

 それをエゴだという人もいるが、そうだろうか? 私は個人個人が生きるために危機意識を持ち必死になること自体はエゴだとは思わない。しかし、自分が助かるために他人を欺いたり蹴落とすならエゴだろう。危険性を知っていてそれを知らせる手段を持っているのに黙っているのは怠惰だと思う。

 また、人間はエゴだけで生きているわけではない。他者への思いやりも持っている。高濃度に汚染された土地で作物を作り流通させたり、瓦礫を燃やして放射能を拡散させる行為は自分や家族だけではなく誰もが被害を受けるのだ。だから多くの人が抗議の声をあげている。もちろん農地を汚染された農家こそ甚大な被害者だ。農家の批判の矛先は、危険性を警告する人ではなく放射能を拡散させた東電に向けられるべきだろう。

 リスクコミュニケーションという点では、地震予測も同じではなかろうか。北海道大学の森谷武男さんが地震エコーの研究から巨大地震の予測を公表したが、残念ながらそのページは閉鎖されてしまった。森谷さんは巨大地震の危険性を知らせることで、少しでも被害者を減らしたいという思いから、あえて公開したのだろう。地震予測の研究をしている者としての責任感からだ。その気持ちは、深刻な放射能汚染をインターネットを使って多くの人に知らせようとしている人と変わらないと思う。

 ところで、深刻な汚染のことや被ばくによる健康被害についてブログやツイッターで発信すると、「不安を煽る」といって批判する人がいる。いわゆる御用学者ではない人の中にもそのような人たちがいる。不安が健康を害すると言いたいらしい。

 以前はガンという病気は本人に告知しないのが普通だった。本人がショックを受けることを考慮したからだろう。しかし、今は本人に告知するのが当たり前になった。本人に告知しなければ本人が治療について選択できない。ガンの治療には副作用がつきまとうのであり、無治療という選択肢もある。手術をするかどうかも他人が決めることではないだろう。命に関わる病気の治療方針を家族と医者だけで決めてしまうことにはならない。本人の意思を尊重するためにも、ショックを受けることを承知のうえで告知するというのが現在の考え方だ。

 放射能の危険性だって同じだろう。深刻な放射能汚染の事実を知って住民がショックを受けたり不安になるのは当たり前だ。しかし、最終的に後悔しない判断をするためには、深刻な状態であることをきちんと受け止めることが何よりも大事なことだ。チェルノブイリの事故では事実を知らされないがために被ばくして病気になったり亡くなった方が沢山いる。このような方たちは悔やんでも悔やみきれないだろう。

 むしろ、東電や政府が汚染や被ばくの影響を過小評価したり、嘘をつくことのほうが被災者を混乱させ不安に陥れる。

 危険性を指摘する人を「不安を煽る」といって批判することは、危険にさらされている人たちを安堵させ、避難したり被ばくを避けるといった判断を避けることになりかねない。見解の相違とはいえ、あまりにも無責任な発言だ。

 政府が危険性を知らせない以上、分かっている人が知らせるほかないのだ。だから、早川氏が危険性を訴えることが配慮を欠いたり不適切だということにはならない。

2011年12月 8日 (木)

幻冬舎ルネッサンスのコメントを掲載した朝日新聞の自費出版記事

 11月21日、「共同出版・自費出版の被害をなくす会」に朝日新聞の記者から自費出版に関する連載記事を書きたいのでアドバイスをしてほしいとメールがあった。私的メールではないので、その依頼メールの主要部分を以下に転載する。

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 このたび、弊紙の生活欄でシニア向けの自費出版案内を連載することになりました。トラブル事例なども多く報告されているようですので、過去記事をあさっていたら、貴会のことを知りました。今回の連載でも、読者に出版社の選び方や注意点をぜひ紹介したいと考えています。そこで貴会にぜひ、アドバイスを頂きたくメールいたしました。

斎藤 健一郎 SAITO Ken-ichiro
朝日新聞文化くらし報道部

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 この依頼を受けて、私は以下のメールを送信し、電話で説明する旨を伝えた。

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斎藤健一郎様

メール拝受いたしました。
自費出版に関する連載を掲載されるとのこと。問題点を的確に捉えた記事を掲載されることを望みます。

出版社の選び方や注意点については「被害をなくす会」のサイトに掲載している通りです。
http://nakusukai.exblog.jp/7873601/ 

ちょっと分かりにくいかもしれませんが、ひとつの注意点は契約書が「本の制作・販売サービス(役務の提供)」の契約なのか、それとも出版社の出版事業に著者が出資する契約なのかということです。後者は問題が多く、トラブルも多発しています。どちらかを知るためには、契約書で本の所有権が出版社にあるのか著者にあるのか、著者には印税を支払うのか、売上金を支払うのかをきちんと確認しなければなりません。

もうひとつは、「販売に期待するな」ということです。アマチュアの本はほとんど売れませんので、販売に期待するのは禁物です。例外はありますが、基本的に「ほとんど売れない」と考え、販売しない私家本として必要な数だけつくるほうが無難です。悪質な出版社は作品をほめておだて、販売を期待させて勧誘します。1000部ほどつくっても大半を断裁することになりかねません。

また、会社の規模や知名度で選ぶことも慎重にすべきです。幻冬舎の系列会社(経営陣は幻冬舎とほとんど同じ)である幻冬舎ルネッサンスなどもトラブルとなっています。私家版であれば地方の小規模の自費出版社や印刷会社で十分です。

著者は目的意識をしっかりもち、情報収集をすることが肝要です。

ほかにも細かいことではいくつかの注意点があります。

電話はできれば以下の携帯にお願いします。
○○○-○○○○-○○○○

松田まゆみ

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 私は実際に掲載された記事は見ていなかったのだが、その連載記事に幻冬舎ルネッサンスのコメントが掲載されているという情報が寄せられて仰天した。

 上記のメールや「共同出版・自費出版の被害をなくす会」のサイトに書いているように、私が出版社を選ぶ際にもっとも注意喚起することの一つは契約形態であり、もう一つは自費出版本は大多数がほとんど売れないということだ。トラブルに関しては「被害をなくす会」のサイトでも文芸社や幻冬舎ルネッサンスの事例を取り上げている。

 また、電話取材の中で、私は新風舎(倒産)や文芸社、碧天舎(倒産)などが共同・協力出版商法を派手に宣伝し、トラブルが多発するようになった経緯も説明している。幻冬舎ルネッサンスが同様の商法を行っていることも。

 だから、この記事を書いた記者は幻冬舎ルネッサンスの契約形態の問題点やトラブルの事実も知っていたのである。それにも関わらず(書いた記者が違うとはいえ)、同じ連載記事の中で、幻冬舎ルネッサンスに取材してコメントをとっているのだ。

 普通、記事を読んだ人は、コメントをとった会社が悪質商法を行っているなどとは思いもしないだろう。同じ連載で、出版社の選び方や注意点を扱っているのだから、記事に出てくる出版社は問題がないと思うのが普通の感覚だ。

 NHKなども体質はまったく変わらない。自費出版に関する番組制作で取材があり、何回かメールや電話でアドバイスしたことがある。私はいつも同じように問題点を指摘しているのだが、肝心なポイントはまず報じない。そして、社名こそ出さないが悪質商法を行っている出版社を取材して流すのだ。許しがたいのは、それらの出版社が悪質商法を行っていることを知っているのに、その商法の問題点を具体的に指摘しないことだ。

 その背景には、同業者の批判はしないという暗黙の了解があるからだろう。出版社もメディアの一員だし、新聞社の多くは出版部門をもち自費出版も手掛けている。しかも、新聞社は出版社の広告を出している。出版社批判はタブーということなのだろう。裁判やら刑事事件にでもならない限り、マスコミは自費出版社の批判記事を書かない。

 私のコメントが掲載されたのは連載の3回目だ。そのコメントは「良心的な出版社ほどリスクも説明する。大きい出版社だから安心というわけではない。納得いくまでいくつもの出版社にあたってみることが大事です」というものだ。上記のメールに書いたような、私がもっとも問題としている点には一切触れていない。意図的に排除したとしか思えない。

 最後に、2回目の記事に掲載された幻冬舎ルネッサンス小玉圭太社長のコメントの矛盾点を指摘しておこう。小玉さんは「何かを表現することは、自分の欠落を見つめ直し、自己救済すること。書かざるを得ない何かを持っているからこそ本を出す意味がある。印税でもうけようと思わないこと」と言ったそうだ。

 幻冬舎ルネッサンスの出版契約は商業出版で一般的に用いられている「出版権設定契約」のひな型をベースにしたものだ。つまり、本を売って利益を得ることを前提とした契約なのだ。流通を前提とした契約を提案しておきながら「印税でもうけようと思わないこと」というのは矛盾する。印税収入を当てにするなというのは、それほど売れないことが分かっているからだ。わざわざこんなことを言うのは、あとで著者から「高額な費用を払ったのに思ったほど印税が入らない」と文句を言われたくないからだろう。それならはじめから売れないことをしっかりと説明して私家版を勧めるべきだが、新聞記事によると9割を書店流通させているらしい。なぜ9割もの人に販売前提の契約を勧め、大量の本をつくらせるのか? 新聞記者は取材でこういう矛盾を見抜かなければならない。

 こういう会社のコメントを採用したからこそ、契約形態の問題点や自費出版本が売れないという私の指摘を取り上げられないのだろう。これでは何のために取材に答えたのか分からない。新聞社の都合のいいように利用されたといっても過言ではない。朝日新聞のしたたかさに、久しぶりに血圧が上がったようだ。

 朝日新聞の記事などよりずっと参考になるのは、ご自身で情報収集し後悔のない自費出版をされた「フクちゃん」の「自費出版顚末記」だ。自費出版を考えている方は、こちらを読まれることを推奨したい。

自費出版顛末記

2011年12月 7日 (水)

人口の減少を見据えた社会の構築が必要

 少し前に世界の人口が70億人になったというニュースがあった。すごい数だ。大型生物の中でこれほどまで急激に個体数を増やしてきた種は他にいるのだろうか? ちなみに今後の人口がどう推移していくのかという予測が、以下のサイトにグラフで示されている。

世界と主要国の将来人口推計(社会実情データ図録)

 今でさえ世界中に飢えで苦しんでいる人たちがいるのに、世界的にみればまだまだ人口が増えていくという。食糧問題はますます喫緊の課題になるだろう。もちろんそれだけではない。地球温暖化をはじめとした環境問題やエネルギー問題がある。こういうことを考えていくなら、早急に人口を抑制する対策を取らねばならないだろう。

 このまま突っ走っていたなら、人類に未来はなさそうだ。そのことは先の福島の原発事故でもはっきり分かったのではなかろうか。経済成長ばかりを目指して危険なエネルギー政策を受け入れていたなら、いつかは破綻する。すでに経済成長はあちこちで綻びが生じている。その綻びはいつ大きくなって人類を破滅に向かわせるかわからない状態だろう。

 原発事故、地球温暖化、自然破壊、環境汚染・・・と人類は自分たちの生活の基盤となる環境を蝕んできた。このままいけば取り返しのつかないところまで行ってしまうとしか思えない。

 日本の人口の変化については以下にグラフが出ている。

人口の超長期推移(社会実情データ図録)

 江戸時代は循環型社会だったと言われる。この時代までは資源が無駄なく使われていたといえるだろう。人間の生活は少し前までは自然の生態系の中にうまくおさまっていて、自然に大きな悪影響を与えることはなかった。人口も食糧の生産量と密接な関係があった。

 しかし、明治維新以降の人口増加率は目を見張るものがある。ほんの数十年の間に、日本人の生活は驚くべき速さで豊かになり便利になった。しかしそれと同時に自然を破壊し、資源を大量に消費し、大量のゴミを出し、化学物質をばら撒いてしまった。環境に大きな負荷を与えるようになったのだ。このまま突っ走れば取り返しのつかないことになるのは目に見えている。何としてでもセーブしてかねばならない。

 ところで日本の人口はこれからは減る一方だ。働き手の数も減っていく。さらに残念ならが原発事故の影響で日本人の寿命は短くなっていくと推測される。日本では人口の抑制策をとる必要はない。働き手の減少とともに経済は縮小せざるを得なくなるだろう。としたなら、経済成長だとかエネルギーが必要だと言った議論はどれほどの意味を持つのだろうか? 原発の廃止はもちろんのこと、近い将来の火力発電の削減もそれほど難しいことではないように思う。

 人間も生物の一員でしかない。地球の環境に生かされている以上、地球環境にこれ以上負荷をかけることは自分で自分の首を絞めることに等しい。自国の国土で食糧もエネルギーも賄うためには、今の人口は多すぎる。逆に言えば、人口がもっと少なければ食糧も十分自給できるし、エネルギーも自然エネルギーで賄えるだろう。

 急激な人口の減少は、若者が多数の高齢者を養わなければならないので大変なことではあるのだが、今となってはこれは避けることができない。しかし、人口が減っていくこと自体は必ずしも憂うることではないと思う(もちろん戦争や人災で減るなどということはあってはならないのだが)。

 逆ピラミッドの社会が立ちはだかっている以上、今の格差社会を解消することがもっとも大事なことではなかろうか。経済成長などという幻想は捨てて循環型社会の構築を目指し、無駄をなくして仕事もお金も分かち合うシステムを構築しなければ、この逆ピラミッドの社会を乗り切ることはできないように思う。

 未だに「原発が必要」「エネルギーが必要」と言っている人は、やはりお金と目先のことに捉われている人なのだろう。

2011年12月 5日 (月)

福田君の尋問で見えてくる出版差し止め裁判の本質

 光市母子殺害事件のことは、すっかり忘れ去られてしまった感がある。しかし、「福田君を殺して何になる」(増田美智子著、インシデンツ刊)の出版をめぐり、福田君の弁護士らが出版差し止め裁判を起こしたことを記憶している人は多いだろう。

 マスコミではほとんど取り上げられていないようだが、訴えられた寺澤さんらは弁護士による嫌がらせ裁判だとして、福田君の弁護団に損害賠償を求めて反訴した。このために広島地裁で二つの裁判が合併審理されている。そして、この10月には福田君の尋問が行われた。

 この尋問に関しては以下のtogetterのまとめをお読みいただければ流れが分かると思う。

人権派弁護士として評価の高い?光市母子殺害事件の安田好弘氏は、無能で嘘つきなのか?【インシデンツ出版差し止め裁判】

 この裁判に関しては私もブログで何回も取り上げてきたが、早い話し、福田君の意思は蚊帳の外に置かれ、弁護団の意思で起こされたとしか考えられないものだ。寺澤さんが主張しているように、弁護団による嫌がらせ裁判といっても過言ではないだろう。

 予想されたことだが、やはり弁護団は福田君の尋問にあたって答弁を覚えさせられたらしい。福田君は弁護士らの言うことを聞くしかない弱い立場だから、弁護団の言いなりになるしかない。弁護士の人質になっているに等しい状態だ。弁護団はそれを利用して弁護団のストーリーに沿った答弁を覚えさせたのだろう。そして覚えさせた答えを引き出すように誘導尋問したものと推測される。

 だから、福田君は弁護士から答えを用意されていなかった質問をされると、答えに窮してしまうのだ。弁護団の都合で裁判に引っ張り出され、こんなお芝居のような尋問を受ける福田君は本当に気の毒だ。弁護団も提訴した以上は引き返せないのでこういう手法を取るしかないのだろうが、後ろめたくないのだろうか。

 さらに呆れたことに、安田好弘弁護士は寺澤さんが起こした裁判の当事者なのに、尋問に応じないと逃げ回っているとのこと。

 http://twitter.com/#!/Yu_TERASAWA/status/143545240970739712 

 こういう姿勢を知ると、本当に幻滅だ。福田君を尋問しておきながら、自分が尋問されるのを避けるとは恥ずかしくないのだろうか。出版差し止めの裁判は、まさに弁護団の保身が目的だったとしか思えない。

 以下は先日、私がこのことに関してつぶやいた連続ツイートだ。

 http://twitter.com/#!/onigumoobasan/status/142133115228389376
「福田君を殺して何になる」の出版を巡り、光市母子殺害事件の弁護団と版元の寺澤有さん@Yu_TERASAWAと増田美智子さんが裁判で争っているが、この裁判については光市母子殺害事件の弁護団が嘘をついているという寺澤さんの主張を全面的に支持する。出版差し止めの経緯を見れば明らかだ。

http://twitter.com/#!/onigumoobasan/status/142133180714061825
(続き)私はかつては安田好弘弁護士らの活動を支持してきたが、今回の出版差し止めはとても賛同できない。たとえ被告人の利益になるとしても嘘をついてジャーナリストを提訴するなどということは人としてやってはならないことだと思う。ジャーナリストの人権も尊重してこそ人権派弁護士だ。

http://twitter.com/#!/onigumoobasan/status/142133258317086721
(続き)福田君の証人尋問では弁護団が福田君に回答を教え込んだと推測されるが、そんなことこそ福田君を精神的に追い詰めることになるのではなかろうか。福田君が気の毒だ。あの裁判はとても被告人の利益になるとは思えないし、弁護団の印象も悪くしてしまった。

http://twitter.com/#!/onigumoobasan/status/142133328974327809
(続き)安田弁護士らを支持している人たちは、事実を見ようとせずに安田弁護士を盲信していまいか? 過去の安田弁護士らの活動を全面否定はしないが、しかし、ジャーナリストを嘘つき呼ばわりして提訴した弁護団の方たちは、やましさは感じていないのだろうか? 真意を知りたい。

http://twitter.com/#!/onigumoobasan/status/142133398020952064
私は信頼している人、尊敬している人、世話になっている人だからという理由で、その人の意見に同調することはしない。誰の意見であろうと、支持するか否かは自分で決める。たとえ自分と同じ意見の人が誰もいなくても、他人に同調しようとは思わない

2011年12月 4日 (日)

アナログ人間の私がツイッターまで始めた理由

 私はどちらかというとアナログ人間だ。パソコンもインターネットも始めたのはそれほど早くはない。基本的にITは苦手だが、必要性に迫られて始めたといったほうが正確だろう。

 はじめのうちは一人でいるときにパソコンをいじるのも避けていたくらいだ。ホームページの閲覧も恐る恐る・・・。使っていて操作が分からなくなったり、突然画面に意味の分からないダイアログがでてくるのが恐怖だった。

 何しろ、私たちの世代は若い時にはパソコンやインターネットと無縁の生活をしていた。大学の卒論発表や学会での発表もスライドをつくっていた時代だ。ワープロなんていうものもなかった。学校の授業でもパソコンを使うような今の若い世代の人たちには、インターネットなど何も恐れることはないのだろうが、我々から上の世代はそうはいかない。やはりとっつきにくいのだ。中高年はパソコンやネットを恐れずに活用する人と、ほとんど活用しない人の二つに分かれるように思う。

 本来なら私は後者の方に入るのかもしれない。しかし、今や原稿ひとつ書くのもパソコンがなければ仕事にならない。メールを使っていなければ、仲間たちとの情報交換にも参加できない。写真もデジカメになった。講演会や学会での発表もパワーポイントが必須だ。そして、数年前からは私の住む僻地でもブロードバンドが使えるようになった。こうなると、嫌いだとか苦手などと言っていられない。

 本来アナログ人間の私も、2007年にはひょんなことからブログを始めた。でも、今年の春まではツイッターやフェイスブックにはまったく関心がなかった。ツイッターは流行りみたいなもんだろうと思っていたし、SNSは非公開で交流したい人たちの集いなのだろうから私とは関係のない世界だと思っていた。

 そんな私がツイッターやフェイスブックを始めたのは、もちろん原発事故がきっかけだ。私は福島の原発事故のあと、数日は呆然として過ごした。それほどあの爆発は衝撃的だったし、これから日本はどうなるのかと本当に暗澹たる気持ちになった(今でもそうだが・・・)。というのも、チェルノブイリの事故についてたぶん一般の人より知っていたからだろう。

 これから東電や政府による情報隠蔽が始まるに違いないと思った。福一が爆発したあとも、テレビでは「格納容器は健全です」と壊れたレコードのように繰り返していた。それを信じてマスクもせずに過ごしていた人が大半ではなかろうか。しかし、実態は福島を中心にチェルノブイリ同様の高濃度汚染地帯が広がり、首都圏も相当汚染されていたのだ。

 そして最近になって、ストロンチウムなどの危険な核種が首都圏にも飛んできていることを南相馬市の大山こういちさんが指摘している。ガンダーセン氏もホットパーティクルの危険性を指摘していたから当然といえば当然なのだが、日本政府はずっと隠して国民を欺いてきたということだ。

日本政府が公表していない、驚愕な事実が見つかりました 
米国データ「空間ストロンチウム 上位ランキング」
米国データ・アルファー線検出場所

 私は3月下旬、7月中旬、11月初旬と3回東京に行ったが、外国人の姿が本当に少なかった。彼らは事実を知る自国政府から、避難するよう言われたのだろう。知らないで普通に過ごしていたのは日本人だけだったのだ。怒りがこみ上げてくる。

 今さらながら、あまりにも酷い情報統制だ。私は爆発直後に原子力資料情報室による解説をよく見ていたが、やはり原発情報は絶対にインターネットで集めなければ分からないと実感した。そして、恐る恐るツイッターやらフェイスブックのアカウントを作成したのだ。だから、これも必要に迫られたということなのだろう。ツイッターによって情報量はだいぶ増えたが、自分が情報を得るためだけに使うのではあまり意味がないものなのだということも知った。

 ツイッターというのはやってみないとその仕組みがよく分からない世界なのだが、使っているうちにどうやって情報が広まっていくのかということがだいぶ分かってきた。インターネットの世界でもとりわけ「情報伝達」を速やかに行い拡散させることができるのがツイッターという仕組みだろう。政府が嘘をつき、国民を騙そうとしているときこそ、国民は正確な情報を共有し、行動を起こさなければならない。ツイッターに参加する意味はそこにある。だから、原発事故が起こらなければたぶん私はツイッターにはずっと無関心だったと思う。

 ところで、私の友人知人にはツイッターをやっている人はごくわずかだ。同世代あるいは年上の人でツイッターを使っている友人知人は誰も知らない。ツイッターどころか、ブログを書いている人もほとんどいない。それどころか、原発問題に関してインターネットで情報収集している人も非常に少ないのだ。自然保護や環境問題に関心が高くても、中高年ではインターネットを活用して情報集めをしている人が少ないことに驚いてしまう。関心はあるのに有用な情報から取り残されているのだ。

 つまり、インターネットを活用している人とそうでない人の間に大変な情報格差ができてまっている。だから、テレビでくだらないバラエティ番組ばかり見ている人は、ほんとうに深刻な事態を理解していないのだろう。国は嘘情報をばらまいて国民を簡単にマインドコントロールできるのだ。

 国が放置できないのは本当のことを流し拡散させるインターネットの世界だ。だからこそ政府はツイッターなどの監視を始めたのだ。反対派の情報を否定したりデマだとするツイートを流して妨害したり錯乱させる。まるで情報戦争の様相を呈してきている。

 テレビや新聞の情報に頼る時代は終わった。自分たちの身を守っていくためにはインターネットを活用をしなければならない時代だろう。インターネットが苦手だなどと言っていたら、本当に騙されてしまう。しかし、インターネットにも情報操作をしようとする人たちがうごめいている。匿名が当たり前のネット世界では、デマや情報操作を見抜く目がなければならないと痛感する。

2011年12月 2日 (金)

吉田昌郎所長の功罪と東電の責任

 28日、東京電力は福一の吉田昌郎所長が入院したことを明らかにした。病名はプライバシーを理由に公表しないという。ただし、細野豪志原発担当相は放射線の影響ではないと記者会見で発言している。もっとも作業員が亡くなった際にもいつも同じことを言ってきたし、これを真に受ける人はいないだろう。

 このニュースを聞いて、私はとうとう来るものが来たと思った。免震棟であってもかなりの線量のはずだ。そこに毎日のように詰めていたなら、トータルの線量は相当になるだろう。どんな健康被害が出てもおかしくはない。だから、先が見えない状況のなかで長期間現場に張りついていたなら、いつかはこういうことになるのではないかとずっと気になっていた。大爆発して放射能飛散が短期間で終わったチェルノブイリの事故とはこの点で根本的に異なる。東電だって、このまま所長に任務を続けさせたなら倒れることは予測できただろう。メルトスルーした福一で長期間働くことは命がけを意味するのだ。

 ところで、このニュースが流れた直後に流れてきたのが、事故後の海水注入の際、吉田所長が東電本店からの注水停止命令を「形だけの注水停止命令」にして、実際には注水を継続していたというニュースだ。

http://mainichi.jp/select/wadai/news/20111130k0000e040016000c.html 

 しかし、思い出してほしい。このことは以前も吉田所長が認めていたはずだ。そのときはこんなに大々的に報じられなかった。なぜ、今頃このタイミングで改めてセンセーショナルに報じたのだろうか。おそらく吉田所長の英断を称えるためだろう。東電にとって、所長が病気で倒れた今となっては、英雄にしておくことこそ大事なのだ。一般社員の入院なら隠せても、所長の入院はいつまでも隠しているわけにはいかないから、どう幕引きをはかるかが大事なのだ。

 私がこのニュースを読んで思ったのは、現場では本部の命令より彼の独断が通るということだ。吉田所長は独断で注水を続けた。注水を続けなければ危険だという認識があったからこそ、本部の命令を無視してでも独断を貫いたし、職員や作業員が自分の命令を尊重することを分かっていたのだ。その吉田所長こそ、福一が地震によって放射能漏れを起こし、爆発によって致死レベルの放射能が放出されたことを誰よりもしっかりと認識していたはずだ。

 所長はもとより、現場にいた社員や関連会社の人たちは、福一がどれほど危機的な状態であるかを知っていた。だからこそ、彼らはいち早く家族を避難させたのだ。それは以下の池田香代子さんの記事からも分かる。

「原発てんでんこ」? 

 吉田所長はプラントの状況を逐一本部に報告し、大量のファックスを送信していたという。所長としての任務は誠実にこなしていた。しかし、所長が周辺の自治体や住民に避難を呼びかけたとの情報はない。危機的状況を国民に知らせ避難を呼びかけることの最終的な責任は、東電本部や政府にあるのかもしれない。しかし、政府は現場の危機的状況を知りながら、パニックを理由に国民に知らせず、速やかに避難させることもしなかった。ならば所長の独断で何らかの周知ができなかったのだろうか?

 私は、吉田所長が独断で注水を続けさせたように、独断で地元自治体や周辺住民に危険を知らせて欲しかったと思わずにいられない。それが所長の職務ではなかったとしても、良心に基づいて個人の裁量でやってほしかったと思う。せめて福一の東電社員らに「住民みんなに避難を呼び掛けてほしい」と言えなかたのだろうか。何らかの発信ができなかったのだろうか? 現場の責任者として職務に全力を尽くしたのは事実だとしても、私にはやはりすっきりしないものが残る。

 これについては守田敏也さんが以下の記事を書いている。ほぼ同感だ。

吉田所長英雄化戦略による東電の事故隠しと責任隠し

 もちろん、吉田所長は自分自身が相当の被ばくをしていると自覚しながらも所長という責任のもとに陣頭指揮をとってきた。大変な緊張を強いられる中で、肉体的にも精神的にも本当に大変だったと思う。しかし、それによって吉田所長の過去の過ち(守田さんの記事にあるように、かつて津波対策の進言を握りつぶしていた)が消えるわけではない。また、ご自身が大量の被ばくをしているからといって、作業員に大量の被ばくをさせていいということにもならない。

 忘れてはならないのは、東電の隠蔽体質と吉田所長の英雄化の裏に隠されているものだ。吉田所長は事故前に津波対策について誤った判断をしていた。また事故後には作業員に被ばくをさせ、複数の怪我人や死者を出しているという負い目があった。だから彼は自分の被ばく線量や疲労も口にできない立場にあったのだろう。東電は吉田所長の責任や立場を利用し、彼が大量被ばくすることを承知で長期間にわたって陣頭指揮をとらせ、いよいよダメとなったときに英雄に仕立て上げたのだ。

 現場のいい加減な被ばく管理に目をつむっていた責任は、所長だけにあるわけではないだろう。所長の被ばく管理・健康管理を含め、東電には大きな責任がある。危機的状況を一番よく知りながら、住民に速やかに危険を知らせて避難させなかった責任もある。所長に責任と過酷な任務を押し付け、挙句の果て英雄化するのは、すべて東電の自己保身のためだ。

 東電がプライバシーを理由に吉田所長の病名を非公開にするのは疑惑と不信感を深めるだけだ。今さら東電の説明を全面的に信用する人などいないだろう。本当に被ばくと関係がないのなら、それこそきちんと公開すべきではないか。

 東電の発表とマスコミ報道こそ、そのまま信じてはいけない。

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