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2011年9月 4日 (日)

市民科学者への期待

 週刊金曜日の9月2日号では、原子力問題、公害問題、労働問題など権力者と対峙して果敢に闘った市民科学者の特集が掲載されている。武谷三男氏、高木仁三郎氏、小出裕章氏、今中哲二氏、宇井純氏、星野芳郎氏・・・。

 とりわけ山口幸夫氏による「“市民科学者”という生き方」という記事の、武谷三男さんと高木仁三郎さんの「時計とかな槌論争」という逸話が目を引いた。その部分を以下に引用したい。

 原子力資料情報室が創設されて(一九七五年)間もなくのころ、資料室というのはどういうものかについて意見がかわされた。大勢は、専門家が資料を持ちより共通に閲覧し意見交換をする場、いわばサロン的な場として、それ以上は頑張りすぎない、というものだった。しかし高木さんは、政府・電力会社の計画や安全性を独立の立場から解析・批判していくべきであり、研究者自身が自分たちの運動として資料室を運営してゆくべきではないか、と主張した。創設時の資料室の代表だった武谷さんは、これをたしなめる。「科学者には科学者の役割があり、住民運動には運動の果たすべき役割がある。君、時計をかな槌代わりにしたら壊れるだけで、時計にもかな槌にもなりはしないよ」というものだった。
 高木さんは、「資料室はともかく、私個人はそういう役割人間であることを拒否したいと思います。少なくともかな槌の心を併せもった時計を目指したいのです。時計はダメでもせめて、釘の役割でもよいのです。と応える。ずいぶんと威勢の言いもの言いだが、高木さんとしては、一生をかける覚悟はすでにできていたことであり、真っ正直にそれを口にしたわけである。武谷さんはこれを了として、その後の高木さんを見守り高く評価したのであった。八六年から九八年まで資料室の代表をつとめた高木さんは、精密な時計であると同時にかな槌であろうとして精魂を傾けた。稀有な人である。

 この高木さんの言葉に、私は深く共鳴するのだ。

 私は学生時代(正確には高校生のころ)から自然保護運動に関わるようになった。というのも昆虫や野鳥が好きだったということが基本にある。野鳥観察をしたりバードウオッチング(あの当時はこんな言葉もなかった)の趣味を持つ人の多くは、身の回りにあった雑木林などが宅地開発などでどんどんなくなっていったり、水鳥の楽園である干潟が端から埋めたれられていくことに対して深く悲しみ、ときに怒りを抱き、なんとかその破壊を食い止めたいと思うものだ。そうした人たちの中に、自然保護団体のメンバーとして何らかの反対運動に関わる人がいるのも当然のことだった。

 自然保護運動を進めていくにあたり、やはりどうしても主張しなければならないのが破壊予定地に生息・生育している動植物のことだ。今でいう「生物多様性の保護」だが、当時はそんな言葉はなかった。動植物の保護の必要性を科学的に主張するために、反対運動に研究者が加わってもらうほど心強いことはない。しかし、そういったことに首を突っ込んでくる研究者はごく一部の人しかいない。研究者とて、自然が破壊され、自分たちの研究対象がことを歓迎しているわけがない。むしろ、彼らだって保護を望んでいる。しかし、多くの研究者は市民運動に対して腰が重い。

 「自分の研究に集中したい」、「余計なことに時間を使いたくない」、「圧力がかかる」・・・さしずめそんな理由なのだろう。その気持ちは分からないではない。しかし自分の研究対象を守ろうとしないで、なにが研究者なのだろうか?それでも科学者といえるのか?と、少々生意気ではあるが、私は少なからずそのような姿勢を取り続ける研究者には失望していた。自然保護に全力を傾けて欲しいなどとは言わない。しかし科学者だというのならせめて、もっと自然を守る活動に協力的であっていいのではないか。真理の探究だけしていれば満足なのか、それで科学者としての誇りたりうるのか・・・。

 武谷三男さんと高木仁三郎さんの「時計とかな槌論争」を読んで、あの頃の思いが蘇ってきた。

 私が学生の頃は、動植物の研究に身をおく人はそれほど多くはなかったと思うが、今は相当な数がいるだろう。しかし、科学者の現状はそれほど変わったとは思えない。今も昔も、市民運動に積極的に関わっていくような市民科学者は多くはない。私利私欲があれば、たぶん市民科学者にはなれない。

 ところで、近年はいわゆる学術学会においても「自然保護委員会」が設置されているところが多く、以前にくらべたら研究者の間でも自然保護に関心が高まっているのも事実だろう。レッドリストの選定などのために「自然保護委員会」が設置された場合も少なくないと思うが、学会として声を挙げざるを得ないほど、自然破壊が深刻になってしまったことも事実だろう。学会として、あるいは自然保護委員会として意見書や要望書を出している学会も少なくない。それは歓迎すべきことだ。しかし、また一方でいわゆる御用学者といわれる人たちがこうした動きをけん制することもあると聞く。なんとも情けないことだ。

 研究者の中には積極的に市民運動に関わる者がいる一方で、逆に権力者に媚びる者もいる。まるで研究者同士の対決である。その典型が原子力関係の研究者なのかもしれない。お金と引き換えに権力者に協力する研究者と、私利私欲などを持たずに圧力も覚悟で真理に基づいて発言する市民科学者。どちらが尊敬に値するかは言うまでもない。

 原発事故で市民科学者の対極にある御用学者のみっともない姿がさらされた。科学者としてこれほど恥ずかしいことはないだろう。高木仁三郎さんの言葉を胸に刻み、市民科学者の道を歩む研究者が増えてほしいと願わずにはいられない。

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