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2011年8月16日 (火)

「村八分」社会から脱却しなければ原発はなくせない

 昨日は敗戦の日。今年は福島第一原発の大事故が重なり、いつもよりやりきれない思いでこの日を迎えた。戦争はあまりにも残忍で悲惨だが、原発事故も放射能汚染で多くの人に死をもたらし苦しめるという点で悲惨さに変わりはない。むしろ、目に見えないからこそ恐怖から逃避しようとする、考えることを避けて安心情報にすがりついてしまうという恐ろしさがあるのではないだろうか。それに、戦争と原発事故は根っこで共通するものがあると思えてならない・・・。

 「創」9・10月号に宮台真司さん、飯田哲也さん、神保哲生さんによる対談「原発ムラという怪物をなぜ我々は作ってしまったのか」が掲載されている。これはロフトプラスワンで行われ、ビデオニュース・ドットコムで配信された議論を収録したものだ。

 ここで語られているのは、原子力ムラという怪物をつくり存続させてきた日本人、日本社会の問題だ。宮台さんの発言をいくつか紹介しよう。前後の話しを飛ばしているのでやや分かりにくいかと思うが、重要な指摘だ。

 つまり問題は「不合理な原発をどうするか」より「不合理が自明な原発をどうにもできない社会をどうするか」なのです。その意味で、かつての敗戦をもたらした問題が「拙劣な戦略をどうするか」より「拙劣さが自明な戦略をどうにもできない社会をどうするか」という形で現れざるを得ないのと、同じです。

 日本は先進国で唯一、共同体自治の概念が存在せず、何ごとにつけ依存する社会です。国家に依存し、市場に依存し、地域独占的電力会社に依存し、マスコミに依存する。総じて巨大なシステムに依存し、自明性に依存します。近代社会に必要な〈引き受けて考える作法〉ではなく〈任せて文句垂れる作法〉です。

 日本では、リアルとアンリアルの境界線の維持、つまり「空気を維持」が、第一原則になります。だから、リアルとアンリアルの境界線を変える可能性がある「最終目標は何だったか」を問う者は、KY(空気読めない)の烙印を押され、パージされる。原子力ムラだけでなく、学会にも会社にも蔓延するクセです。

 〈悪い共同体〉かどうかは、空気に支配されずに科学を含めた知識を尊重できるか否かで判断できます。さっき、日本は〈引き受けて考える作法〉ならぬ〈任せて文句垂れる作法〉だと言いましたが、任せた先が〈知識を尊重するコミュニケーション〉ならぬ〈空気に支配されるコミュニケーション〉に淫します。

 また、飯田哲也さんは以下のような意見を述べている。

 僕はヨーロッパに言って、向こうの事情の全体像を自分なりに理解しようとしました。おぼろげに見えてきたのは、非常に乱暴に言ってしまうと、レイチェル・カーソンから始まる環境思想を原則・原理レベルに消化して積み重ねながら具体的な社会への適用に落としていくこと、つまり知識と政策と実践を繰り返しながら、ともかく丁寧に積み重なったものはよほどのことがない限り覆されないので、どんどん分厚く、体系的になっていくわけです。

 「空気を読む」というのは、私の大嫌いな言葉だ。しかし、現実の日本社会は子どもからいい年をした大人に至るまで、この「空気を読む」に支配されている。他の人と違う意見を言っただけで「出る杭は打て」とばかりに叩かれる。本人と意見を戦わせるのではなく、無視やいじめといった手段によって仲間はずれにするのだ。いわゆる「村八分」だ。

 よく考えればまっとうなことであっても、それがその場の空気になじまなければ、あるいは強い者の意見と異なっていたら、それだけで攻撃されてしまう。皆とうまくやっていきたいと思ったら、言いたいことも言わずに貝になるしかない。多くの人はひたすら「空気を読む」ことに神経質になり、心にもないことを言って周りに合わせるという窮屈な集団の中に生きている。そういう集団においては、科学的にどうか、論理的にどうか、という議論は置き去りにされる。つまり、思考停止状態で力の強い者に従うことが日常化している。

 日本はいつまでたっても「村八分」社会から脱却できない。というよりどんどんそれがエスカレートしているのではないだろうか。近年の学校でのいじめや不登校、自殺の増加などを見ていると、こうした傾向は強まっているとしか思えない。もちろん、子どもたちがそんな状態に陥っていくのは、大人社会の反映だろう。科学的、論理的思考を許さない社会が、まっとうな社会になるはずがない。

 原発事故が起こって以来、インターネットの世界では原発事故の真実を伝えよう、あるいは放射能汚染の実態や被曝の恐ろしさを伝えようと必死になっている人たちがいる。真実を隠蔽する東電や政府の言うことを鵜呑みにして取り返しのつかないことにならないよう、個人個人で判断をしてもらうためだ。ところが、そういう人にまで噛みつく人がいる。避難など無理なのに、無責任な発言をするなと・・・。

 汚染された地域に住む人々の悲痛な気持ちや不安はもちろん分かるが、文句を言う矛先を完全に間違えている。まさに宮台さんの言っている〈引き受けて考える作法〉ではなく〈任せて文句垂れる作法〉の典型であり、思考停止状態だ。

 福島第一原発の事故で、これまで表に出てこなかった原子力ムラの存在が浮き彫りにされた。この原子力ムラという利権構造も、日本人の心に巣食う「空気を読む」という悪しき習性によって生き続けてきたのだ。ここがヨーロッパとは決定的に違う。

 原子力ムラは日本に数々あるムラの一部でしかない。治水を掲げて巨大ダムを推し進める「ダム・治水ムラ」、必要もない道路をつくる「道路ムラ」、違法伐採で自然破壊する「林業ムラ」・・・。数々のムラが日本を支配し、犠牲になっているのはいつも国民だ。しかし、その国民の大半は、「空気を読む」ことに腐心して日々を送っている。ごく一部の「空気を読まない」で権力と立ち向かう人々を除いて。

 もちろんヨーロッパにも「原子力ムラ」は存在する。しかし、ヨーロッパの人たちのほうが日本人より科学的・論理的思考を大切にするし、「空気を読む」という習慣もない(と思う)。だから、政治に民意が反映されやすいのだろう。彼らはきちんと歴史に学び、軌道修正することができるのだ。

 原子力から手をきるには、そして怪しげなムラを抱えてしまった日本社会を変えるには、一人ひとりが「空気を読む」という悪しき習慣から脱却しなければならない。今、日本人は原発事故を前にしてその選択を迫られているのだと思う。

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