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2011年3月 1日 (火)

断捨離のあとはシンプルライフを

 昨年は実家の、そして今年は自宅の大々的な片づけをした。自宅の片づけといっても、大半は娘たちの所有物だ。いずれしなければならないとは思いつつ、ずっと先延ばしにしてきたのだが、もう限界である。部屋の隅に山のようになって何年もそのままになっている物をなんとかしなければならない。机の引き出し、押し入れ、カラーボックス、衣装箱などから中身を引き出した。

 雑誌や漫画本、知人などからもらった雑多な物の数々、教材や文房具、着なくなった衣類、ゲームにビデオ等々、驚くほどの物が出てきた。それを可燃ゴミ、不燃ゴミ、資源ゴミ、リサイクル品に分けた。

 もったいないとか、思い出の品だという理由で処分せずにいたものが何と多いことか。雑誌類を除き、多くは自分で買ったというよりもらったものだ。文房具、ぬいぐるみ、バック類など、どうしてこんなにあるのかと思うほど出てきた。

 考えてみれば、私の子どもの頃は物が少なく、鉛筆一本、消しゴム一個でも大事に使った。自分の所有物など、ごくわずかしかなかった。だから、もらいものの鉛筆やボールペン、シャープペンシルがジャラジャラ出てきたのには驚いた。数十年の間に、こんなにも安易に物をもらう生活になったのだ。これだけ物があふれていたなら、物を大事に使うという習慣がなくなってくるのも頷ける。とりあえず使える文房具類は残したが、一生かけても使いきれないだろう。

 衣類も大半はもらいものだ。親からのプレゼント、親戚や知人からのお下がりが多いが、大半が衣装箱の肥やしになっていた。これも思いきってリサイクル品と処分品に分けた。

 昨今は、不要なものをきれいさっぱりと片づけることを断捨離というらしい。要らないものを処分して、使うものだけにするというのは確かに合理的だ。実際、生活必需品などはそれほど多くはない。使わないものが何と多いことか。シンプルな生活は物を管理するのも掃除をするのも楽だし、生活空間が広がる。しかし、物が少ない時代に育った私は、やはり何でも捨ててしまうことに大いなる抵抗感がある。心を鬼にしなければできない。

 ある知人が、衣類を「一枚買ったら、一枚捨てる」と言っていた。そうしないと収納する場所がないという。しかし、ちょっと違うのではないか? この方法は、欲しい衣類があれば買い、それを収納するためにまだ着られるものを処分するということだ。着られなくなったものを処分し、新しい物を買うというのがかつての生活だった。できる限り「一枚捨てたら、一枚買う」ように心がけるべきだ。

 私は衣類もそれほど買わないが、買う場合はなるべく流行とは関係のないデザインにする。流行に振り回されるというのは、まさに無駄な消費をしているということだ。日本人はもう少し、流行に捉われずに自分の好みの服を何年も大切に着るという習慣を身に付けたほうがいいと思う。

 物をつくるための資源は有限だ。それなのに我々の生活にはゴミになるような物がどれほど溢れていることか。マータイさんの「もったいない」という言葉が頭をよぎる。断捨離をしたなら、そのあとは必要最小限の物しか買わないシンプルライフを実践すべきだ。大量生産、大量消費の時代を終わりにしないと、地球はもたない。

 これからはゴミを減らすだけではなく、「買わない」「もらわない」を心がけたいと思う。とはいっても、本は断捨離の対象外だ。

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