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2011年2月

2011年2月27日 (日)

銭函海岸の風力発電計画を考える(その11)

 以下の案内があったのでお知らせします。

**********

シンポジウム「風力開発が貴重な自然環境に与える影響」緊急開催のご案内
-石狩・銭函海岸の風力発電計画を考える-

 いま、小樽市銭函の浜辺に巨大な風力発電施設の建設が計画されております。建設予定地は石狩海岸として海水浴場や自然観察に札幌市民も多く利用しているところです。
 石狩海岸は、「北海道自然環境保全指針」によって「すぐれた自然地域」に選定されている日本でも残り少ない自然の砂浜海岸です。砂浜海岸はとても脆弱な地形です。建設予定地には、砂丘群に海岸植物が生育し、国内でも大変珍しいエゾアカヤマアリのスーパーコロニーが発達し、砂丘後背湿地にはキタホウネンエビの生息地もあります。
 風力開発が自然に与える影響について、野鳥調査を通して、長年記録されている武田氏に講演をいただき、あわせて風力開発がやみくもに進められる補助金の仕組みについてもお話していただきます。
 石狩海岸を多く利用する札幌市民はもとより広く道民にこの問題に関心を持っていただきたく、下記のとおり緊急にシンポジウムを開催いたします。
 多くの方のご参加を期待いたします。

日時:2011年3月21日(月・祝)13:00~17:00
場所:北大学術交流会館小講堂 (札幌市北区北8条西5丁目北大正門を入り左側2棟目)
主催:(社)北海道自然保護協会
共催:NACS-J(財)日本自然保護協会・北海道自然保護連合
なお各団体に協力の要請をしております。

内容:
① 基調講演
「風力発電の理想と現実」 武田恵世(たけだけいせ)氏 三重県伊賀市「青山高原の自然を守る会」代表

講師プロフィール
1957年生まれ。三重県伊賀市で開業の歯科医師。環境省の希少動植物種保存推進員、伊賀市環境保全市民会議レッドデータブック作成委員会委員長などを務める。風力発電による国定公園青山高原のこれ以上の破壊を防ぐために青山高原の自然を守る会を結成し、代表を務めている。日本生態学会、日本鳥学会に所属。
著書:「三重県レッドデータブック」、「伊賀のRDB」、「風力発電の不都合な真実」アットワーク社発行・3月発売予定。
論文:日本列島におけるタカの渡り、越冬期のカモ科鳥類の越冬する池の環境条件など多数。

② 小講演講師と武田氏によるパネルディスカッション
・「“荒地”と呼ばれたフィールドは全国的にも貴重な自然だった-オタネ浜を守る運動から-」 後藤言行氏(銭函風力発電問題連絡協議会代表)
・「銭函海岸にみる風力発電の問題~植生から景観まで」 松島肇氏(北大大学院農学研究院助教)
・「銭函海岸に生息する希少鳥類の保全」 梅木賢俊氏 (日本野鳥の会・小樽支部長)
・「自然環境保全の基本を忘れた北海道の迷走」 佐藤謙氏(北海道自然保護協会会長)
・「自然海岸における風力発電計画の問題とアセス法改正(案)による対象化について」 大野正人氏(日本自然保護協会 保護プロジェクト部部長)

*問合せ・参加申し込みなど:
北海道自然保護協会
℡011-251-5465 fax011-211-8465
eメール 
nchokkai@polka.ocn.ne.jp 

2011年2月26日 (土)

国交省のパブリックコメントの潰し方・国民の騙し方

 関良基さんが、「国交省が握り潰した地質学者のパブコメより」という記事を書いている。以下の記事に寄せられたコメントについて書いた記事だ。

ウソの上にウソを積み重ねる国交省官僚たち

 ある地質学者(拓大の地形・地質屋さん)が、パブリックコメントで八ッ場ダム周辺の地質のもろさを指摘したところ、そんなものは届いていないと言われた。抗議して追求したところ、締め切り後に届いたので取り扱わない保存箱から見つかったと言い訳をされたそうだ。

 私が十勝川の河川整備計画へのパブコメを送ったときにも、似たような不可解な体験をしている。

意見募集をめぐるお粗末

 今から考えると、このブログタイトルは不適切だ。帯広開発建設部の対応は「お粗末」というより「不可解」であり、不都合な意見の排除をしたかったのではと疑われても仕方ない。

 関さんも書いているが、国交省は事業を推進するためには嘘も、捏造も、隠蔽も、住民のかく乱も何でもやるのだ。自然保護団体の人たちは、今までの闘いの中で、そういう国の騙し行為を嫌と言うほど知っている。そういう機関であることを、国民は身を持って知っておくべきだ。

 地質学者の指摘する、ダムの湛水による地すべりの可能性の問題は、以下の記事にも書いている。地質の専門家の間では広く知られたことだろう。地質学者さんが意見書の冒頭に書いている「河川の流量問題中心だけの議論では、真の治水・利水対策にはなりえません」という指摘は重要だ。

八ッ場ダムの地すべり問題

 地すべりだけではない。火山地帯の日本では、いつ大規模な噴火が起きて火砕流や泥流がダム湖を襲ってもおかしくない。地震を引き起こす断層だってあちこちにある。ところが、そんな危険性は地域住民には知らされていない。

 上高地には何回か行っているが、梓川の峡谷に次々と現れるダム湖には、正直いってぞっとさせられる。この上流には活火山がある。もし大規模な噴火が起き泥流が発生したなら、梓川のダムはどうなるのだろう? ダムだらけの日本には、おそらく危険なダム湖がたくさんあるのだろう。

 八ッ場ダムは二重、三重に危険だ。大惨事が起こってからでは遅いという当たり前すぎることが、この国の責任者は分からないらしい。というより、国民の命より、自分の利権のほうが大事らしい。

2011年2月24日 (木)

上関原発の反対運動とスラップ訴訟

 祝島島民の会blogによると、中国電力による強行な埋め立て工事で、反対運動をしている人たちにけが人が出てしまったという。以下の記事を参照。

【緊急報告】中国電力の強引な工事でけが人がでました【抗議のお願い】

 上関原発の反対運動では、住民らがもう28年も反対運動を続けている。祝島の漁協は、保証金を提示されても拒否し、島民の大部分が反対をしているのだ。その反対運動も並大抵のものではない。海の上で体を張って阻止している。

 辺野古でも多くの人たちが海岸で座り込み、カヌーや漁船で抗議し、海上のやぐらにしがみついて体を張って工事をさせまいと闘っていたが、祝島の島民も同じだ。自分たちの生活の糧である豊かな漁場を破壊させ、危険きわまりない原発に反対するのは住民として当然のことだ。暴力をふるっているわけではなく、不当なやり方に対する意思表示であり抗議行動だ。

 ところが、こうした体を張っての抗議行動に対して、2009年に中国電力は訴訟という手段に出たのだ。祝島の漁民2人と町外の支援者2人に対し、作業を妨害して工事が遅れ損害が発生したといって、4792万円の損害賠償を求める裁判を起こしたのだ。さらに、中国電力は反対派の人たちの海への立ち入りを禁じる仮処分請求も起こした。

 粘り強い反対運動に対する、中国電力による嫌がらせ訴訟(スラップ)だ。反対運動のリーダー的な人たちを狙い撃ちにし、疲弊させるのが目的だろう。地域の人たちの意見も聞こうとせずに無理やり工事に取り掛かり、現場で抗議行動をする住民らを裁判に訴える。なんと卑劣なやり方だろう。

 上関原発ではいくつもの裁判が起こされているのだが、2008年には「自然の権利訴訟」が提起されている。この裁判については以下のサイトをご覧いただきたい。

上関原発自然の権利訴訟

 なお、以下に2月20日の祝島島民の会Blog記事を転載する。ここには、なぜ彼らが反対運動をしているのかが説明されている。推進派の漁業者を電力会社が大量に雇い、反対派の漁業者と海上で争わせようとしているのだ。地元の人たちを分断、対立させて翻弄させるというお決まりのパターンだが、こんな露骨なやり方には怒りがこみ上げてくる。多くの人に広めてほしい。

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【緊急】中国電力、週明けにも数百人規模の動員で埋め立て工事を強行か

島民の会より緊急の状況報告です。
中国電力が週明けの2月21日(月)から数百人規模の動員をかけ、埋立て工事を強行しようとしているそうです。

海では祝島を除く近辺の推進派漁業者の船数十隻を自主警戒船として雇って漁業者同士を争わせ、その混乱の中で作業台船を工事海域まで入れようとしているようです。また陸上では、中国電力の社員や警備員、作業員など数百名が建設予定地海岸(上関町田ノ浦)を封鎖し、浜への立ち入りをさせないようにして作業を進めようとしているとみられています。

真偽のほどは不明ですが、社員、警備員、作業員、警戒船の漁業者など、中国電力の今回の動員数の合計は、祝島の人口(500人弱)を超えるのではないか、という話もあります。

これまで中国電力は、祝島をはじめとした上関原発計画に反対する上関町の住民に対し、理解を求める努力も満足にすることなく、裁判、あるいは直接的な力でもって原発建設をむりやり推し進めようとしてきました。そしてそれは今回も同様のようです。

島民の会としては、中国電力がどのような形で作業を強行しようとしてきたとしても、これまでと同様に決して暴力などを使うことなく、そのうえで原発建設に反対し、自分たちの生活を守り、豊かな海や自然をつぎの世代に残す意思を示していきます。

中国電力が2月21日に実際に作業を強行しようとしてきた場合には、このblogをはじめとしてさまざまな人がさまざまな形でその状況を発信することになるかと思います。その際には、各メディアやblog等でその情報を広め、中国電力の暴挙を多くの方々に知っていただけるようご強力をお願いしたいと思います。

また上関原発問題については、ざっと挙げただけでも下記のような現状・問題点があります。
中国電力や山口県、経産省にぜひ抗議、また疑問の声を届けてください。(経験者の方によるとメールよりもFAXの方が相手方にきちんと読んでいただけるとのことです。ただ相手方の業務に支障がでないよう十分ご留意ください)

・地域住民、とりわけ予定地対岸に住む祝島島民の同意や理解もない中での工事の強行
・中国電力は約30年もの間、祝島島民など上関原発建設に反対する人たちへの理解を求める活動を満足にしてこなかったこと、また現状でもできていないこと
・中国電力が地元住民を裁判で訴えて反対運動を止めさせようとしていて、SLAPP訴訟(嫌がらせ訴訟)だと指摘されていること
・祝島の漁業者が約10億8000万円もの漁業補償金の受け取りを拒否して原発建設に反対していること
・推進派の漁業者を電力会社が大量に雇って、地元の漁業者同士を海上で争わせようとしていること
・カンムリウミスズメなど希少な動植物の調査が不十分であることを学会等に指摘されていること
・予定地の陸・海域はCOP10(生物多様性国際会議)でも注目されたほどの「奇跡の海」で、なおかつ日本は2012年までCOP10の議長国であること
・原子炉設置の許可も出されていないうちに埋め立て工事をしようとしていること
・埋め立て許可免許の期限の3年間のうちすでに1年4か月が過ぎ、期限内の埋め立て工事の竣工が事実上不可能な状況であること、しかしそういった状況にもかかわらず工事を強行しようとすること
・上関原子力立地プロジェクトが山下中国電力社長の直轄になったとたんに、上記のような状況を無視して工事を強行しようしてきたこと

中国電力本社
TEL 082- 241-0211
FAX 082-504-7006(←訂正しました2011/2/11)
メール 
https://cc-www.energia.co.jp/faq/1024/app/servlet/ext_inquiry_a?linkid=904&linkstr=%8C%B4%8E%71%97%CD%8F%EE%95%F1
中国電力 上関原発準備事務所
TEL 0820- 62-1111

山口県知事への提言
TEL 083- 933-2570
FAX 083- 933-2599
メール 
https://cgi01.pref.yamaguchi.lg.jp/gyosei/koho/chiji-teigen/3teigen.htm

経産省
経済産業省大臣 海江田万里
TEL.03-3508-7316
FAX.03-3508-3316
e-mail:
office@kaiedabanri.jp

原子力発電立地対策・広報室
03-3501-1873

上関原発計画を止め、次の世代にこの豊かな瀬戸内の海を残すため、多くの皆様のご協力をどうかお願いいたします。
また長文ではありますが、この呼びかけをblogやML等に転送、転載して広げていただけると助かります。

祝島島民の会
iwaishima@gmail.com 

2011年2月22日 (火)

上関原発予定地で中国電力が埋め立て工事を強行

 山口県の上関町に計画されている原子力発電所計画では、地元の住民などが粘り強く反対運動を繰り広げている。予定地は瀬戸内海国立公園の中の生物多様性に富む海だ。そこを埋め立てて原発を建設するという計画だ。豊かな漁場の破壊、危険な事故の懸念などから反対運動が広がっているのだが、とりわけ原発予定地の対岸にある祝島では島民の大半が原発に反対している。

 その反対運動は壮絶だ。中国電力は、なんとしてでも埋め立て工事にとりかかろうとしているのだが、祝島の漁師らが作業をさせまいと漁船で海に抗議に出る。反対運動をしているのは地元の住民だけではない。「虹のカヤック隊」と呼ばれる若者によるカヤック部隊も応戦している。こうした海での体を張っての抗議は、辺野古の基地反対運動と同じだ。

 その中国電力が、2月21日に埋め立て工事を強行してきた。深夜の闇討ちだ。

 この緊迫感あふれる様子は以下の「祝島島民の会blog」で報告されている。

【緊急】中国電力、週明けにも数百人規模の動員で埋め立て工事を強行か

2月21日中国電力が工事を強行してきました

中国電力が大動員をかけ、埋め立て工事を強行してきました(1月21日の状況報告)

 以下の「虹のカヤック隊」のブログでは、現場の実況中継もしている。

田の浦が危ない!緊急です!

今日も緊迫した現地の状態をライブ中継しています

 この問題を多くの人に広めてもらいたい。

 原発反対の署名も集めている。署名用紙は以下から。

http://shimabito.net/syomeipdf2009.pdf

 以下は署名の趣意書だ。

上関町の「原発建設計画中止!」を求める署名(趣意書)

 山口県上関町に中国電力による「原発建設計画」が持ち上がって以降、28年が経過します。この長きに渡って地元上関町民は、いわゆる推進派と反対派に二分され、町内の人間関係はズタズタとなって現在を迎えています。

 上関原発建設計画は、2001年に国の電源開発基本計画に組み入れがされ、昨年には建設予定地の「埋め立て許可」が出されるなど、一見して建設に向けて着実に進んでいるかのように見えます。しかしそうではありません。地元住民の安心や暮らしへの補償は全く理解を得ていないばかりか数々の問題点を残したまま、国や中国電力によって強行されようとしています。

 柏崎苅羽原発事故で証明された耐震性に関する疑念や石川志賀原発での臨界事故や事故隠しの事業者の体質などから原発に対する安全や信頼が大きく揺らいでいます。ひとたび事故を起こせば想定外の大参事を引き起こす可能性を持つ原発は、例え、CO2対策や電力供給上有効だとしてもその選択肢から除くべきものであり、上関原発計画は中止すべきです。

 また、埋め立て予定地は瀬戸内海国立公園に含まれており、貴重かつ希少な生物が多く生息している生態系豊かな「生き物の宝庫」と評価されている海域です。埋め立てが行われればこのかけたえのない生態系が失われるのは確実です。貴重かつ希少な生物の生息環境を維持することを求めます。

 何より海を隔てて4Kmの対岸にある祝島は、周辺海域を重要な漁場としており、埋め立てが行われれば今でも厳しい営漁生活に更に大打撃をこうむり、生活をすることができなくなります。だからこそ、原発計画浮上以来おおかたの島民が28年間もの長きにわたり、命と生活を守るため一切の妥協なく計画に体を張って反対し続けています。原発は祝島島民の生きる権利を奪うものです。

 まだ間に合います。上関原発計画は止めることができます。今回実施するこの署名を大きな力に変えていきます。多くの皆さんの署名を得て、その願いを国や事業者にしっかりと伝え、「上関原発建設計画中止」に結び付けます。

基本高水の検討を依頼された日本学術会議の正体

 先日の「基本高水とは何か?ダム反対とはどういうことか?」という記事で、国交省が日本学術会議に利根川の基本高水流量の学術的評価を依頼していることを書いた。

 で、昨日のことだ。藤原信氏の著書「緑のダムの保続-日本の森林を憂う」(緑風出版)のことを思い出した。「緑のダム」に関わって利根川の治水のことが書かれていたと記憶していたからだ。

 「第2部“緑のダム”の保続」の頭から、日本学術会議の批判だった。日本学術会議は設立当初は科学者の自主的組織として独立性が尊重され、会員の選出が公選制であった。そして、かつては政府に対しても原子力政策批判、ベトナム戦争反対、天然林の保護を求めるなどといった活動をしていた。ところが、1984年に日本学術会議法の一部改正が行われ、会員の選出は推薦制となり、政府の監督権限が強まったという。かくして、昨今では政府の御用機関の傾向が強くなっているというのだ。

 そして、森林の水源涵養機能に関して、日本学術会議は2001年に政府、農林水産省、国土交通省の意に添う「答申」を出しているのだ。藤原氏によると、この答申を書いたメンバーは、政府、国土交通省、農林水産省、林野庁等の各種委員会の常連とのこと。つまり御用学者だ。この答申では森林の水源涵養機能について以下のように書かれているそうだ。

 洪水緩和機能は、森林が洪水流出ハイドログラフ(「時間」とともに変化する川の流量値と波形をグラフで表したもの)のピーク流量を減少させ、ピーク流量発生までの時間を遅らせ、さらには減水部を緩やかにする機能であり、おもに雨水(洪水波形)が森林土壌中に浸透し、地中流となって流出することによって発現する。すなわち、森林がない場合に比べ、山地斜面に降った雨が河川に流出するまでの時間を遅らせる作用である。しかしながら、大規模な洪水では、洪水がピークに達する前に流域が流出に関して飽和に近い状態になるので、このような場合、ピーク流量の低減効果は大きくは期待できない。

 なんとダム推進派におもねった答申だろうか。ダム推進派はこれを根拠に、大規模な洪水には緑のダムは役に立たないと主張したそうだ。

 これを読んで、国交省が日本学術会議に基本高水の再検討を依頼したことの意味がはっきりした。御用組織に「緑のダムは大洪水の緩和には役立ちませんよ」という結論を求めているのだ。

 しかし、藤原氏は「大洪水においては顕著な効果は期待できない」という答申には、何ら科学的根拠はないという。長野県林務部が2001年に取りまとめた「森林と水プロジェクト(第一次報告)」では、森林の保水力調査を行って流域の有効貯留量を推定している。そのモデルによって算出した河川の最大流量は、県土木部のモデルによる計算値の半分程度になったという。このことからも従来のモデルが森林の保水力を考慮していないことがわかるし、森林の保水力の大きさがわかる。ダムを推進する国や県が、森林の保水力を考慮していないモデルを使っていることはこの時点で分かっていたのだ。

 結局、森林の保水力をどのように評価するか、どのようなモデルを使うかで、高水流量はいくらでも変わるのだ。雨の降り方のパターンを変えることでも高水流量は変わる。「安全」を盾に流出量が大きくなるモデルを使いたいというのが国交省の本音だろう。そうすればおいしいダム工事ができるし、ダムができたあとはまた河川改修工事ができるのだ。

 高水流量の値は、考え方によって(使うモデルによって)違ってくる。基本高水の根拠を追求し嘘を暴くのは大事だが、根拠も示さず御用学者を利用する国と高水議論ばかりしていても前に進まない。多方面からの問題提起が必要だ。

 国は洪水にたいする「安全」を強調し、基本高水を持ち出してダムを推進するが、ならばダムの危険性だって問題にしなければならないはずだ。万一ダムが決壊したなら、堤防から水が溢れる場合とは比べものにならない大規模な被害が生じるのは間違いない。いずれ耐用年数に達したときの撤去のコストも、堆砂の問題も、造る前に考えておかねばならない。しかし、国は国民がそういったことに目を向けないようにしているのだ。

 最後に、藤原氏の以下の文章を紹介しておこう。この本の最後に書かれている言葉だ。

 森林の公益性の評価(第2部第1章)にあたり、国土交通省や建設業界の意向に添って、“緑のダム”の機能を低く評価した「答申」を出した日本学術会議には、“恥を知れ”といいたい。これは明らかに、国民の信頼を裏切る行為である。
 科学者の公選制による学術会議の復活を望みたい。

2011年2月21日 (月)

沖縄米軍基地問題で緊急院内集会

 以下のお知らせがありました。転載大歓迎です。

沖縄米軍基地問題 緊急院内集会のお知らせ

生物多様性を破壊し、住民の暮らしを脅かす沖縄県東村高江の米軍ヘリパッド建設を中止させよう!

 政府・防衛省は、沖縄島北部の生物多様性豊かな「やんばるの森」の一部であり160人の住民がすんでいる高江の集落を取り囲むように、6か所の在沖米国海兵隊のヘリパッドを建設しようとしています。現在、沖縄防衛局により、地域住民の反対を押し切って、力ずくで工事が進められています。

 世界自然遺産の登録基準を満たす生物多様性の宝庫を破壊し、米軍演習によって今も被害を受けている地域住民の生活を、さらに爆音と墜落の危険にさらす米軍ヘリパッドの建設強行は、決して許されるものではありません。

 政府に、工事の強行を速やかに中止し、ヘリパッド建設計画の撤回を求める緊急集会、記者会見を開催します。

 ぜひ、多くの皆様のご参加をお願いいたします。

●日時  2011年2月23日(水)12:00~13:00

●場所  参議院議員会館 B-104会議室  (100-8962 東京都 千代田区 永田町2-1-1)  アクセス:http://bit.ly/4K4qJY

●主催:JUCON(JAPAN - US Citizens for OKINAWA Network)、 WWF-Japan

内容

1、高江の現状報告
2、環境団体からの声明と発言
  WWFジャパン、グリーンピース・ジャパン、日本自然保護協会、
  日本野鳥の会、日本環境法律家連盟(JELF)
3、平和団体からの声明と発言
  JUCON (Japan - US Citizens for Okinawa Network )、US for Okinawa、
  「沖縄に基地はいらない!」全国同時アクション、WORLD PEACE NOW、
  ゆんたく高江、他4、米国市民団体からの声明について
  Network for Okinawa(NO)
5、国会議員からの発言
6、質疑応答 なお、同日午後に、防衛省への申し入れ行動も予定しています。

*JUCON (JAPAN - US Citizens for OKINAWA Network)とは・・・
 米軍基地問題に取り組む日米の市民・NGOのネットワーク。普天間基地の閉鎖・撤去と、沖縄県内に新しい代替基地を作らせないこと、む美しい沖縄の海や自然を守ることを目的に日米の市民が結集。米国側パートナーはNetwork for Okinawa(NO) http://closethebase.org/

2011年2月20日 (日)

基本高水とは何か?ダム反対とはどういうことか?

 ダム問題を追及しているジャーナリストのまさのあつこさんの以下のブログ記事をご一読いただきたい。

中身以前 

 利根川の基本高水が過大であったという指摘を受けて、国交省は日本学術会議に利根川の基本高水流量の学術的評価を依頼している。どうやら基本高水流量なるものについて研究者のお墨付きを得ようという策略らしい。誰も知らないところで議論されていて、二回目からは発言者も非公開だという。もしお墨付きが得られなくても、結論を託しているわけではないので、「意見は聞いた」ということですり替えができる。パブリックコメントをして「皆さんの意見を聞きました」といって、事業を推進するやり方とたいして変わらない。

 しかも、河川局は自分たちがはじき出した基本高水流量について「資料が確認できないのでお答えできない」といい、さらに「資料はあるが、プロセスが説明できない」と言っているそうだ。

 これは何を意味するのだろうか。「都合が悪いから出せない」ということに他ならないだろう。私は、まさのさんのこの記事を読んで大規模林道(緑資源幹線林道)の費用対効果のことを思い出した。林野庁の出した費用対効果の数値は、巨額の工事費をかけてもそれ以上の効果がある、つまり費用対効果の数値が1.0以上になるように辻褄合わせをしたとしか考えられないものだった。そして林野庁は、その数値をはじき出したプロセスに関わる資料は「廃棄した」といって逃げたのである。

 河川局が、基本高水をはじき出すための資料もプロセスも開示できないということは、「都合が悪いから出せない」ということに違いない。つまり、利権にまみれ、ダム建設や河川改修という大型土木工事をしたい人たちが、意図的に数字操作をしてつくり出したものだという証だ。

 絶対的に正しい基本高水流量などというのは存在しない。流域の森林もずっと一定の状態ではないし、保水量も降雨量も時代とともに変化する。雨の降り方のパターンを意図的に操作することで、高水流量の数値はいくらでも変えられるのだ。ダムが造りたければ、基本高水流量の数値を操作すればいいのだ。そうやってひねり出された数値だから「プロセスが説明できない」のだ。そんな高水流量を、日本学術会議のメンバーの方たちはどうやって検証するのだろう? どうやって「正しい高水流量」なるものを出すのだろう? そもそも基本高水流量の正しさの検証をすることに、どれほどの意味があるのだろうか。日本学術会議の人たちも、高水流量の罠に巻き込まれてしまった感がある。

 さて、「厚幌ダムで見えた治水方針の誤り」 にも書いたように、北海道の厚幌ダムは地域代表者会議なるもので推進の方向が打ち出された。ここでは、この根拠不明な高水流量によって「ダムによる治水」と「ダム以外の治水(代替案)」が検討されている。以下が、検討資料だ。

治水対策案の評価

 ここで検討されている代替案なるものも、根拠不明で過大としか考えられない高水流量をもとにひねり出されたものだ。代替案にした場合、ダムと比較して工事費は高く、工期も長くなるというのだが、代替案それ自体も大げさなものであり正当性を欠く。道民はどちらの案も根拠不明の過大な高水流量に基づいていることに気付かなければならない。

 もしダムを建設したなら、それで治水対策は終わるのだろうか? そんなことはないだろう。ダムの上流ではある程度の治水効果があるとしても、下流の治水には役立たない。十勝川の事例でも明らかなように、結局はまた根拠不明の計画高水を持ち出し「治水」を謳って河川改修という名の自然破壊を続けることになるだろう。

 高水流量の嘘はすでに暴かれている。ならば、ダムに反対する人たちは、ダム問題の本質に立ち返る必要があるのではなかろうか。

 ダムは河川を分断させ、河川の生態系を著しく破壊する。魚類の往来を妨げ、流量を変化させて河川特有の生物を危機に追いやっている。土砂の流下を妨げて堆砂問題を引き起こし、堆砂を流した黒部川では漁業被害を招いた。ダムは下流の河床低下や河岸崩壊を引き起こす。海岸線の侵食にも加担して海浜の生態系も破壊する。河川改修の名のもとに行われる河道掘削は魚類の産卵床を破壊するし、河道の直線化や河畔林の伐採は下流部の内水氾濫と流木被害を増大させる。堤防で川を取り囲んでしまうと、氾濫したときに水を引きにくくさせる(この点において霞堤は優れている)。欧米ではこうした治水の誤りをとっくに認めて方向転換している。

 そればかりではない。たとえば八ッ場ダムの上流にある品木ダムの湖畔では猛毒のヒ素を含む中和生成物が山となって不法投棄されているし、品木ダムにも沈殿している。上流の火山が噴火して大規模な火砕流や泥流が発生したなら、あるいは大地震が起こったなら、品木ダムや八ッ場ダムなどひとたまりもなく決壊するだろう。下流域への洪水被害のみならず、ヒ素が東京湾にまで流れ下って取り返しのつかない大災害を発生さえる可能性もあるのだ。そうでなくても、東電の送水管から酸性水がダムに放水されたなら(この酸性水を入れなければ八ッ場ダムには水が溜まらない)、ダムのコンクリートは劣化して崩壊の危機にさらされる。これについては高杉晋吾氏の著書「谷間の虚構」について紹介した以下の記事を読んでいただきたい。

八ッ場ダムの真相に迫る「谷間の虚構」(その1) 

八ッ場ダムの真相に迫る「谷間の虚構」(その2)

八ッ場ダムの真相に迫る「谷間の虚構」(その3)

 自然破壊と災害を生じさせるダムはもういらない。活火山があちこちにあり、地震の多い日本はダム災害の危険性が高いのだ。

 高水流量の嘘を暴かれた国交省は、日本学術会議まで使い「高水流量」の正当化に必死になっている。だからこそ、「正しい高水流量」なる罠に巻き込まれてはならない。国の示す代替案も安易に認めたり評価すべきではない。

【追記】この記事を書いたあと、日本学術会議について以下の記事を書いたので参照していただきたい。
基本高水の検討を依頼された日本学術会議の正体

2011年2月18日 (金)

調査捕鯨打ち切りの本当の理由は何か?

 マスコミは、調査捕鯨船がシー・シェパードの妨害によって捕鯨を打ち切ったとのニュースを大々的に流した。この報道を見たら、誰もがシー・シェパードの行為が捕鯨中止の理由だとしか思わないだろう。

 ところが、グリーンピース・ジャパンのホームページにはまったく違うことが書かれている。内部告発者が本当の理由を語っていたというのだ。それによると、どうやら鯨肉の在庫がだぶついていて、これ以上鯨を捕っても困るだけらしい。以下のグリーンピースの記事を読んでいただきたい。マスコミがまったく伝えていない事情が書かれている。過激な妨害行動を行っているシー・シェパードを利用して、不都合な真実を隠したいようだ。

調査捕鯨船団、早期寄港の本当の理由

 シー・シェパードを擁護するつもりはまったくないが、今回の報道はちょっと酷いのではなかろうか。この手のマスコミ報道は、まず疑ってみたほうがよさそうだ。真実を伝える報道機関というより、国民を騙すための情報操作機関になりはてているのかが良く分かる。

2011年2月17日 (木)

核廃棄物の地下処理で原子力発電の問題は解決できるのか

 昨日のBS世界のドキュメンタリーは、「地下深く 永遠(とわ)に ~核廃棄物 10万年の危険~」という核廃棄物問題についての内容だった。番組のタイトルから、原子力発電の問題点を浮き彫りにさせるのかと思っていたのだが、ちょっと違った。というか、見方によっては原発推進を容認する内容だ。

 フィンランドでは、原子力発電所から出る核廃棄物の最終処理場を建設している。その核廃棄物の放射能が生物にとって安全なレベルになるには、少なくとも10万年はかかるという。現在、フィンランドでは水中で核廃棄物を保存している。しかし、いつ何が起こるかわからない地上でこの危険きわまりない核廃棄物をずっと保存しておくことはできない。そのための最終処分場として選んだのが、地下の古い時代の岩盤である。

 岩盤を500メートル掘り下げてそこにフィンランド国内の原発から出た核廃棄物を入れた容器を埋設していく計画だ。これを「オンカロ」と呼んでいる。そして、この処分場がいっぱいになる100年後にコンクリートで封入するという。

 番組では、将来、人類あるいは知的生物が処分場に侵入して放射線物質を掘り起こしてしまった場合の危険性について語られていた。何らかの警告を表示するとか、あるいは何もせず忘れ去られるほうがいい、といった意見がある。

 この番組を見ていちばん疑問に思ったのは、この廃棄物処理場は掘り返さないかぎり安全なものであるとの考えを基盤にしていることだ。しかし、絶対に安心といえるのだろうか。岩盤それ自体は古く安定したものであっても、そこに穴を穿ってしまえば元の岩盤ではなくなる。コンクリートの耐用年数は100年といわれている。コンクリートそのものがやがて変質したり、岩盤とコンクリートの隙間から水が浸透するようなことはないのだろうか? 果たして10万年ものあいだ安全に閉じ込めておけるのだろうか。地下の岩盤への核廃棄物処理については、もちろん専門家の人たちが十分検討しているのだと思うが、それにしても私はこれらのことを素朴に疑問に思う。

 原子力発電所によって何とかしなければならない核廃棄物を抱えてしまったから、やむを得ず地下処分場を建設しているだけではないのか。ならば、原発推進とは別のことだ。

 スウェーデンも地下の廃棄物処理場の建設を決めている。環境先進国といわれる北欧では地球温暖化対策として原子力発電を容認する動きがあるが、その陰にはこうした地下の核廃棄物処分場建設があるのだ。しかし、百歩譲って地下の処理場が安全だとしても、原子力発電所自体の安全性の問題がある。あのチェルノブイリのような事故が再び起こらないとは限らない。今も原発は危険な事故と隣り合わせだ。しかも、地下の処理場を造っている国は自国の廃棄物の処理しか対応していない。世界には行き場のない放射性廃棄物が山となっている。

 それにウランだって有限だし、ウラン鉱山の問題もある。

ウラン鉱山跡の廃棄物問題

 日本の場合は使用済み燃料の再処理をしており、さらに問題が大きい。しかも日本には安全といえる地層すらあると思えない。どう考えても原子力発電を推進することには賛同できない。温暖化問題もきわめて危機的な状況になりつつあるが、だからといって原発を進めるべきだとは到底思えない。これ以上、核廃棄物を増やさないことを真剣に考えなければならないと思う。

 以下は岩波の「科学」に掲載されている論文だ。

高レベル放射性廃棄物の地層処分はできるか

2011年2月16日 (水)

根拠のない集団検診をやめた網野皓之医師の取り組み

 先日、網野皓之医師の著書「なぜ、村は集団検診をやめたか」(自費出版)を読んだ。集団検診は疾病死亡の減少を目的として行われるのだが、死亡率の優位な低下が証明されなければ有効とはいえない。実は疾病による死亡率を下げているという根拠がないにも関わらず、日本では早期発見・早期治療を目的に集団検診が行われている。そのことを網野医師ご自身が具体的に説明したのがこの本だ。ところが、日本人の多くはこの事実を知らされず、早期発見・早期治療が有効だと信じ込まされている。

 この本の内容については、渡辺容子さんの以下の記事を参照してほしい。

『なぜ、村は集団検診をやめたか』

 日本ではとても集団検診が盛んだ。自治体で集団検診を勧めたり、職場で実施しているところも少なくない。だから、集団検診には科学的根拠がなく、長寿願望という人間の感情によって施行されていると聞かされたなら驚く人も多いだろう。私も何の知識もなくいきなりこの本を読んだなら、かなり驚いたと思う。しかし、渡辺容子さんのブログ「暗川」によって検診には意味がないことを知っていたので、とても納得できる内容だった。そして、今でも集団検診に熱心なこの国の自治体や医療関係者の姿勢こそ大いに疑問に思った。

 私の住んでいる町でも、集団検診が盛んだ。以前は結核検診のお知らせが毎年きて、受けないと催促まできた。はじめのうちこそそれほど疑問に思わず受けていたが、途中からやめた。結核などすっかり影をひそめたし、検査による放射線被ばくの害のほうが大きいのではないかと疑いをもつようになったからだ。

 また、中高年といわれる年齢になってからはいわゆる成人病検診のお誘いが執拗にくるようになった。しかし、私は検診には一度も行ったことがない。私の父もそうだったが、そもそも不調でもないのに検診によってわざわざ病気を発見しようということに、素直に納得できないからだ。不治の病にかかったならあきらめるしかない、という考えが根底にある。

 ただし、子宮がん検診を2回、大腸がん検診を1回受けたことがある。地域の健康増進員の人が執拗に勧誘したのがきっかけだった。でもなんとなく有効性に疑問をもち、それもやめた。

 しかし、自治体は何としてでも検診を受けさせたいらしい。最近は、乳がん・子宮がん検診の無料クーポン券なるものが送られてくる。私は、渡辺さんの「乳がん、後悔しない治療」(径書房)という本を読んでがん検診は意味がないことを知っているので、もちろんそれも無視している。

 集団検診を受けることが良いことであるかのように宣伝されている日本では、検診を受けないと、健康に無関心だと非難されがちだ。しかし、非難すべきは有効であるという根拠もないのに、早期発見・早期治療がさも重要なことであるかのように謳って集団検診を押し付ける側だ。網野医師がこの本を書いたのは1992年だ。もう20年も前に集検の有効性に疑問をもち、集検を廃止して方向転換をした自治体があったのに、その指摘を受け入れずに集団検診を住民に勧めている自治体はいったい何を学んでいるのだろうか。

 網野医師は「医学によって解決できたことは、一部の感染症だけであり、他は自然の経過だったのです。私たちの保険医療行為が疾病を減少させたかに見える場合でも、自然経過に重なった偶然にすぎなかったのです」と書いている。自分自身の体験を振り返っても、たしかにそうだと思わざるをえない。

 私も体調が悪くなって医者に行ったことが何回かあるが、医者の処方した薬で治ったといえるのは膀胱炎くらいだ。腰痛や微熱などで医者にかかったときは自律神経失調症だといわれ自然に治癒。めまいがひどくて医者に行ったときも、悪性の病気ではないと言われ自然に治った。下痢が続いたときも内視鏡検査をして異常なし。尿管結石のときは、石が自然に出て治った。治療を受けて治ったというより、自然に治癒したと感じることのほうが多いのだ。

 最後に網野医師の以下の文章を紹介しておきたい。何事においても自然に逆らうことに疑問を持つ私には、とても納得のいく指摘だ。

 「検診で健康を保持できるというような幻想とは絶縁し、人間と疾病の関係について考え直す時がやってきたと思います。人間は疾病と共生の関係にあるのです。また、人間は老い、疾病に罹患し死ななければならない存在です。その過程は人それぞれであり、なかには若くして一生を終える方々もいるでしょう。しかし、これが病気という側面から見た人間の多様性であり、私たちはこれを認めるべきであると思います。なぜなら、現代医学はこれを乗り越える力量を持っておらず、今後もその見込みがないからです。人間は医学とは無関係に寿命限界に近付いているのです」

2011年2月14日 (月)

家事労働も立派な仕事

 先日の北海道新聞「生活欄」に、「強まる専業主夫志向」という記事が掲載されていた。若い男性に専業主夫志向が強まっており、妻が働いて家計を支え、夫が家事や子育てに専念する事例が増加しているという。

 記事で紹介されているある男性は、主夫の仕事を「楽な仕事と見下していたところがあったが、半端な気持ちではできないと痛感しています」と言っている。掃除、洗濯、炊事、育児といった人間の基本的生活を支える家事というのは、きちんとこなしたらなかなか大変な仕事だ。しかも炊事や育児は基本的に休みがない。こういうことは経験のない男性にはわからない人も多いだろう。

 もちろん社会で働いて家族の生活のために収入を得ることも大変なことだ。責任も大きいし、嫌だからといって簡単に休むわけにもいかない。要は、どちらも生きていくためには必要で大変な仕事だということだ。だから夫婦のどちらかが家事・育児に専念するという家庭内分担はまったくおかしなことではない。

 私の子どもの頃は、既婚女性の大半は専業主婦だった。男は外で働き、女は家事・育児という分担が当たり前のこととして大きな疑問も持たれなかったし、それで世の中は回っていた。家事が嫌いでも、我慢してこなしていた女性もいただろう。

 しかし、そういうスタイルは収入のない妻が夫に従わねばならない状況をつくりだしやすい。「誰に食わせてもらっているのか」と威張る男性も多いのだ。女性は就職しても「結婚を機会に辞める」のが当たり前になるし、職場では男性と同じように扱われない。いわゆる「腰かけ」としか見てくれない。かくして大黒柱が男で家事は女というスタイルが男尊女卑の構図をつくりだしてきたともいえるのではないか。

 女性だって社会の一員として働きたい、自分の特技や知識を生かしたいと思うのは当然だ。男性と同じように収入を得て、経済的に自立したいと思うのも当然だし、男尊女卑の世界を変え、男女平等を叫ぶのも当然だろう。

 かくして女性の社会進出が進み、共働きの家庭が増えた。職種によっては男性と同じ待遇・給料という職場もあり女性が経済的に自立できるようにはなった。しかし、まだまだ女性の賃金は低いし、結婚や出産を機に退職せざるを得ない場合も多い。職場ではセクハラやパワハラもあるだろう。どうみても男女平等にはなっていない。

 共働き世帯が増えて、家事はどうなっただろう。昔に比べて便利な家電製品が増えたから楽になってきたことはたしかだが、家事や育児の負担は圧倒的に女性にかかっている。しかし、仕事も家事も完璧にこなすなど不可能に近い。結局、家事にかける時間は少なくなる。食事も自分で作るより外食や出来た食品を買うことが増え、子どもと過ごす時間も減る。金銭的には不自由がなくても、時間的にゆとりのある生活はできない。それは決して豊かな暮らしではない。

 家事は人が精神的にゆとりを持って豊かに生きるためには、欠くことのできない大切な仕事なのだ。家事や育児を家政婦や保育士に依頼したら、高額な賃金を支払わねばならない。ところが、主婦・主夫は賃金がない。労働に対する対価がないことが専業主婦を見下してしまうことにもつながるのだ。だから、男性が専業主夫として家事や育児を担当してみるというのは、とても意味のあることだと思う。そのことで、家事の大切さや大変さを身を持って知ることができるのだから。

 地球は大変な数の人間を抱えてしまった。しかし人間の使えるエネルギーは有限だし、環境問題や温暖化を考えるなら、今後は経済成長路線をとることにはならない。物をどんどん作って消費する時代ではないから、ワーキングシェアをしてつつましく暮らすしかないだろう。創意工夫で経済的な生活を送ることが求められる。食べるものだって、経済的にも健康にも手作りが一番だ。人間が生きていくうえで欠かせない衣食住にかかわる家事こそ見直されるようになるのではなかろうか。家事を楽しめるということは、実は豊かな生活なのだと思う。

 私は女性が社会に出て働き経済的に自立することを否定するつもりは毛頭ないが、かといって経済的に自立していない専業主婦・専業主夫を見下すこともおかしいと思う。問題なのは、共働きをしてもなお、生活に困窮する貧困層が増えてしまったという現実だ。賃金格差、富の偏りをなくし、家事・育児を楽しめるような社会が理想的だと思う。

2011年2月13日 (日)

人情相撲では済まされない大相撲の八百長

 大相撲の八百長問題で共同通信社による世論調査があった。それによると、「八百長はあると思っていた」が76.1%。多くの人が八百長はあると思っていたということだ。

 そして、八百長が「絶対にいけないこと」という回答が58.7%。「大相撲の性格上やむを得ない面がある」という回答は27.8%だったという。

 大相撲は興行の色彩が強く、真剣勝負で闘うスポーツとは違うという意見もある。だから、ガチンコ勝負を期待するほうがおかしいという意見だ。たしかに7勝7敗の力士に対し、相手が気を使って負けるというようなことはあるのだろう。それは人情とか思いやりといった相撲界の習慣のようなものであろうし、そこまでとやかく言うつもりはない。しかし、相手を立てて意図的に負けるといったことも、口に出さないところが美徳なのではなかろうか。反対に、対戦相手に口に出してお願いすることでもないと思う。

 ところが、実態は「お願い」の挨拶に行ったり、昨今では携帯メールでのなまなましい依頼があったということだ。しかも、「お願い」を断ると嫌がらせまでされた力士がいるという。それだけではなく、金銭のやりとりも指摘されている。

 こうなってしまったら、れっきとした不正だ。「人情相撲」とか「興行だから仕方ない」などといって黙認するのが良いことだとは思わない。こういうあからさまな不正の依頼に対して、はっきりと断る力士は勇気があると思う。それは人情相撲を否定し真剣勝負だけを良しとすることとは違う。人情から不正へと一線を踏み越えてしまい、それが常態化し悪質化してしまったこと、また嘘をついて不正を隠そうとするところに今回の八百長問題の根の深さあるのだと思う。

 多くの市民が「八百長はある」と思っていたということは、マスコミも当然それを把握していたはずだ。ところが、メールという証拠を突きつけられるまでマスコミはダンマリを決め込んでいた。報道した一部の週刊誌は、名誉毀損で訴えられ敗訴してしまった。口を封じることを目的に、嘘をついて事実を報じた週刊誌を提訴したというのが真相ではなかろうか。ところが、週刊誌の敗訴でさらにマスコミはダンマリを決め込んだ。マスコミの姿勢がずるいと思うのは私だけだろうか。

 NHKだって八百長を知っていたに違いないが、既得権益を守るために知らんふりをして相撲協会に年間30億円もの資金を投入しつづけてきたのだろう。

 全くのスポーツ音痴である私が大相撲のことを書くのもおかしいが、やはりどんな世界であっても嘘をついたり不正をすることは支持されないだろう。日本相撲協会が今回のことで襟を正したいというのなら、認めるところはきちんと認めて改革していくしかないと思う。

2011年2月12日 (土)

厚幌ダムで見えた治水方針の誤り

 昨日、民主党政権が見直し対象としていた厚幌ダム(建設主体は北海道で、国の補助事業)について、建設事業地域代表者会議が10日に二回目の会合を開き、コストや事業期間などからダム建設が最善との結論を出したとの報道があった。

 この地域代表者会議というのは、学識経験者と地元の関係者17人で構成されているのだが、はじめからダム反対あるいは疑問視をしている人たちを除外している。ダム建設を求める結果になるのは目に見えていた。しかもたった二回の会議で結論を出したのだ。ダム建設を推進することが目的のための会議といっていいだろう。このあと住民説明会やパブリックコメントなどを実施するようだが、パブコメなるものはいつも「聞きおく」だけだ。

 民主政権は、本体工事に着工していない全国84のダムを見直しの対象とし、ダムによる治水かダム以外による治水かの検討をするとした。しかし、この時点で問題がある。なぜなら、根拠不明の基本高水流量にもとづき「治水対策が必要」であることを前提とした検討だからだ。

 高水流量などといった数値は、ダム建設の利権にまみれた連中が、工事をすることを目的にひねり出したものだ。十勝川の整備計画においても、河川管理者は高水流量の根拠をまったく説明できない。十勝川の上流部では1981年に300年に一度の降雨確率とも言われる集中豪雨に見舞われた。それでも、人口密集地である帯広市に水が溢れることはなかった。十勝川水系では150年に一度の確率の降雨に対応する整備をするとされている。つまり、すでに現在の堤防で十分なのだ。

 もしそれを超える降雨があった場合は、堤防から水を溢れさせるしかない。そうでなければ「150年に一度の降雨確率」などというものを定める意味がない。それにも関わらず、根拠不明で過大としか思えない高水流量を持ち出してきて、延々と堤防の強化やら河道の掘削などの工事を続けている。こうしたことからも、高水流量というのは、ダムやら堤防の改修などといった土木工事を延々と続けることを目的に、意図的に過大に設定した数値であることは間違いないだろう。

 そもそも大雨のとき、どの地域でどのくらいの量の雨がどのようなパターンで降るのか、などというのは簡単に予測できるものではない。想定外の集中豪雨によって合流点などで部分的に浸水することだって当然あるだろう。ところが浸水のたびに「被害が生じた」といって騒ぐ。その結果として、川は自然の摂理を無視した構造物にがんじがらめにされる。

 一回目の代表者会議で配布した資料はインターネットで公開されている。

第1回厚幌ダム建設事業地域代表者会議資料

 この資料からもわかるのだが、問題は人間の利用空間が水に浸かることを絶対に許さず、なにがなんでも洪水をダムに貯めたり、堤防の間に閉じ込めようとする治水方針にある。しかも、高水流量の科学的根拠には何もふれられていない。根拠不明の高水流量を受け入れ、「ダムによる治水」か「ダム以外による治水」かの選択をするという前提が間違っている。まずは、高水流量の虚構を暴き、治水の方針を変えることが先決だろう。「工事を目的とした数字操作」の罠にはまってはならない。もちろん、工事のコストだけで治水方法を選択することも誤りだ。

 この資料には河川生態系の破壊をはじめとしたダムによる弊害がなに一つ示されていない。ダムという構造物がこれまでどれほどの自然を破壊してきたことか。それは魚類の往来などといった直接的な被害に留まらない。土石の流下を妨げ、河床低下を引き起こし、海岸線を後退させる。自然破壊と海岸の護岸工事という悪循環を生みだしている。自然破壊は取り返しがつかないし、護岸工事には巨額の費用がかかる。ダムには大量の土砂が溜まり、治水効果も減少する。その堆砂処理にも莫大な費用がかかる。こういう弊害を検討しているのだろうか。

 これからの治水で必要なのは、かつての日本人の知恵を生かして、洪水を許容し洪水と共存する生活を取り戻すことだろう。河川の周辺はなるべく農耕地にするとか、建物は高床式にするなどだ。堤防から水を溢れさせないことに固執する治水は自然の摂理を無視した発想だ。たとえ堤防から水が溢れても、大きな被害を生じさせないように工夫していくという発想の転換が必要だ。

 資料では、農耕地への冠水も否定されている。しかし、洪水は昔から氾濫原に養分をもたらしてきたのだ。現状の堤防で対応できないような大雨が降ったなら、農地などを遊水地として利用し、農作物への被害は国が保障するしかないだろう。

 ダム推進派は、ことあるごとに「洪水被害」を強調する。ダムを推進するために洪水被害を受けた人たちの声を利用する。しかし、河川は氾濫するのが当たり前であり、ときには氾濫を受け入れなければならない。その氾濫を「被害」としないようにすることこそ、人間の知恵だ。大雨は自然現象だ。それを人間の力で押さえ込もうということ自体が人間の驕りであり傲慢さだ。

 欧米では反省に基づいて方針の転換がはかられている。いまだにダムに固執する日本はなんと遅れた恥ずかしい国だろう。

2011年2月11日 (金)

冤罪を救うアメリカの無実プロジェクトの活動

 昨日はNHKの「BS世界のドキュメンタリー」で、アメリカの「無実プロジェクト」の活動を取り上げていた。アメリカではなんと過去38年で二百数十人が冤罪だと分かり、そのうちの130人もが死刑囚だったという。こうした冤罪の被害者を救い出すために活動しているのが、ロースクールの教授や学生などでつくっている「無実プロジェクト」だ。

 ウィスコンシン大学の無実プロジェクトに送られてきた冤罪を訴える手紙は、なんと6000通もあるという。そのすべてが本当に冤罪であるかどうかは分からないにしても、驚くべき数字であり、問題の深さがわかる。ところが、こうした冤罪を訴える人たちのうち、殺人と強姦事件で遺伝子鑑定が可能なものしか冤罪を勝ち取れないという。一度、裁判で有罪とされてしまったら、冤罪を勝ち取るのはきわめて狭き門なのだ。

 番組では、強盗と殺人未遂で懲役80年の判決を受けたバンデンバーグさんが無実を訴え続け、無実プロジェクトの活動によって14年目に釈放されたという事例が紹介されていた。懲役80年だから、終身刑と同じだ。このような判決を受けた当初、バンデンバーグさんは心身に異常をきたしていたという。当然だろう。

 この事件の場合、被害者の証言をもとに描かれた似顔絵が、バンデンバーグさんの写真に似ていると被害者が証言したことが犯人とする決め手になった。しかし、被害者は事件当時泥酔しており、実際には犯人の顔をよく覚えていなかったことが無実プロジェクトの調査によって明らかにされた。

 その後、バンデンバーグさんはアリバイがあることも分かった。また、判決を下した陪審員の一人がインタビューに応じていたのだが、犯人とバンデンバーグさんは身長が異なっていて疑問に思ったが、被害者の証言を信じてしまったと語っていた。あいまいな記憶のままバンデンバーグさんを犯人だと証言した被害者は、インタビューを求めても「ノーコメント」といって応じなかった。検察の強引な取り調べと、陪審員という市民が冤罪を作り出しているのだ。

 紹介されていたもう一つの事例は、無実プロジェクトで最初に冤罪が証明されたオチョアさんだ。彼は取り調べで「自白すれば死刑にはならない」と脅され、嘘の自白をしてしまったのだ。服役中に無実プロジェクトに無実を訴え、DNA鑑定によって犯人とは別人であることが証明された。その後、オチョアさんは弁護士になり、冤罪をつくりだす捜査の問題点を訴えている。

 番組で紹介された冤罪被害者はごくわずかだが、今も無実の罪をきせられた冤罪被害者が多数服役しているのだ。それどころか、無実でありながら死刑が執行されてしまった人すらいる。こうした事実には背筋が凍りつくが、日本でも同じことが行われている。

 不十分な捜査や自白強要で冤罪が生み出される構図は、日本とて何も変わらない。袴田事件など、多くの人が冤罪を主張しているのに、いまだに無実が晴れていない。何十年も拘束され身も心もボロボロにされる。これほど凄まじい人権侵害もないだろう。今も多くの冤罪被害者が、外界と遮断された塀の中で拘束されているのが現実であり、私たちはそのことを忘れてはならない。

 NHKが海外の事例を取り上げるのはいいのだが、自国の同じ問題についてはどう考えているのだろうか。公共放送というのであれば、自国の問題も積極的に取り上げるべきだろう。そして、いつも思うのだが、このようなドキュメンタリーはたいてい夜の遅い時間だ。わざと遅い時間にして視聴率を下げているようにすら感じられる。

2011年2月 9日 (水)

うつ病に効果的な認知行動療法

 7日のNHKクローズアップ現代は、うつ病の精神療法として期待される認知行動療法と日本における現状を紹介する内容だった。

 日本では「うつ病」というと、精神科や心療内科で薬物療法というパターンがまだ一般的だ。当然のことながら薬物療法は副作用があるし、抗うつ薬が効かない場合もある。そのような薬物療法を延々と続けることが健康に良いとはとても思えない。何年も薬物療法を続けているのになかなか改善しない人の話を聞くと、暗澹たる気持ちになる。そんな方はいちど認知行動療法を試されるといいと思う。

 イギリスでは、うつ病の治療は薬物療法から認知行動療法へと変わってきているそうだが、当然のことだろう。もちろん認知行動療法がすべてのうつ病患者によく効くということではないと思うが、薬物療法だけでは限界がある。また、認知行動療法の場合、薬物療法より再発率が下がるという。日本でもこのような精神療法を積極的に取り入れていくべきだろう。

 ただ、日本では認知行動療法はまだ広く知られていないし、だいいち受けられる機関が限られていて費用もかなり高額だ。これでは誰もが簡単に受けるというわけにはいかない。この番組ではそうした現状について触れられていた。

 日本では認知行動療法ができる人が非常に少なく、その大半は臨床心理士なのだ。臨床心理士というのは国家資格を持った医者ではない。だから、臨床心理士による認知行動療法は医療行為にはならず保険が適用されない。番組では今年度から認知行動療法も健康保険の対象になったと言っていたが、実際には認知行動療法をやっている医療機関は非常に少ない。しかも、認知行動療法を行うにはそれなりの時間が必要だ。1回30分から1時間くらいは要する。認知行動療法にも診療報酬が出るようになったとはいえ、時間をかける割には診療報酬が少ないため、医者はどうしても人数を稼げる一般的な薬物療法に走るという。

 認知行動療法を行える医療機関はほとんどないから、希望する人の多くは認知行動療法ができる臨床心理士がいる民間の心理機関などに行くことにならざるを得ない。では、そのような民間の機関があちこちにあるかといえば、そうではない。北海道の場合、札幌ではこの療法を受けられるところが何カ所かあるが、地方に住んでいる人はまず受けられない。臨床心理士が行う場合は健康保険が使えないので、高額の費用がかかることになる。

 こんな状況だから、健康保険が適用されるようになったといってもほとんど意味がない。  つまり、現状では高額な費用がかかるし、狭き門なのだ。日本の場合、臨床心理士の養成に力を入れたり、国家資格にしたり、診療報酬を増やすといったところからやっていかなければ、普及できないだろう。

 認知行動療法は、カウンセリングによって偏った考え方を適正な方向へと導いていく療法だ。たとえば、物事を白か黒かのどちらかに決め付けてしまったり、物事を悪い方にばかり考えてしまったり、うまくいかないのはすべて自分のせいだと思ってしまう、といった決めつけや思い込みなどの偏った思考パターンを前向きの思考パターンに変えることで不安を取り除き、精神の安定を取り戻そうという方法だ。だから、うつ病に限らず、いじめなどが原因で不登校になったり、就職に失敗して自信をなくし、ひきこもるようになってしまったような人にも有効だ。

 今の日本の社会では、不登校やひきこもりといった社会不安を抱える人やうつ病の人が急増したが、それだけ日本が深刻なストレス社会になってしまったということだろう。今の日本は、このような療法を必要としている人が溢れている。

 以下のサイトは、クローズアップ現代でゲストとして話をしていた大野裕氏のサイトだ。認知行動療法について解説されているので、興味のある方は見ていただけたらと思う。「うつ度」のチェックもできる。

うつ・不安ネット

 ほんとうなら、一刻も早くこんなストレス社会をなんとかしなければならないのだが、それはそれで容易なことではないし、今の民主政権を見ていればとても期待できない。とりあえずは、つらい症状に悩んでいる人が少しでも多くこうした方法で症状を改善してほしいと思うし、国も認知行動療法の普及に力を入れてほしい。  

2011年2月 8日 (火)

大相撲の八百長疑惑とNHK

 これまで日本相撲協会が頑なに否定しつづけていた八百長疑惑は、メールという証拠を突きつけられて、とうとう否定できないところまできてしまったようだ。

 八百長疑惑といえば、これまでも週刊誌などで何回も報じられてきた。八百長を報じた週刊誌が訴えられて敗訴したことがあったが、「八百長はない」といって訴えたあの裁判は何だったのか。まるで茶番だ・・・。と思っていたら、八百長疑惑を報道して日本相撲協会や力士から提訴され負けた講談社は、再審請求を検討しているらしい。

 だから、今回の報道にしても「今さら・・・」というか、「ようやく明るみに・・・」という気もしないではない。とはいうものの、大相撲の闇はかなり深そうだ。

 ところで、この問題については植草一秀氏がとても的を射た記事を書いている。つまり、日本相撲協会がNHK利権となっているという構造的な問題だ。

NHKと大相撲の癒着排し、NHK改革断行を

 植草氏によると、日本相撲協会にはNHKから年間30億円もの資金が提供されているという。大相撲の中継を独占してきたNHKは、何と30億も払っていたのだ。これを知って、腹立たしく思う人も多いのではないだろうか。

 植草氏によると、八百長をしない完全な「がちんこ」力士は少ないという。どんな世界にも不正を嫌う人はいるものだが、このような力士は立派だと思う。本格的に調査をしたなら、大相撲はもう存続できないほどのダメージを受けるのではないだろうか。相撲には興味はないが、不正を生じさせないような仕組みづくりが必要だろう。

 不正と利権、それにマスコミが絡むという構図は、政治の世界とそっくりだ。

2011年2月 6日 (日)

相変わらず書店販売を謳う文芸社の広告を見て思うこと

 ここ数年、私が購読している新聞の文芸社の広告は5段1/2サイズだったのだが、つい先日は久しぶりに全5段の広告が出ていた。こういう広告を見て原稿を送る人がいるのだろうと思うと、溜め息が出てくる。

 思えば10年ほど前、いわゆる共同出版が全盛だったころは、新聞に全5段とかその半分のサイズの原稿募集の広告がしょっちゅう掲載されていた。新風舎が倒産してからは、そのような広告もかなり減少してきたのだが、しかし、悪評を浴びた出版形態がなくなったわけではない。トラブルも相変わらず発生している。

 私はもう5年ほどもインターネットでこのような商法の問題点を指摘し続けてきたが、問題点に気づかない方はまだ多いようだ。

 共同出版、協力出版などという呼称を使うのをやめ、共同出資を謳わないようになっただけで、相変わらずいくつかの出版社が同じ商法を続けている。新聞広告が以前ほど目立たなくなったのだが、近年ではブログの管理画面などに広告を出している出版社もある。ブログの書籍化を狙っているのだろう。新聞広告は中高年へのアピール効果が高いと思うが、インターネットや「公募ガイド」はどちらかというと若い人へのアピール効果があるのだろう。

 書店流通を謳っている出版形態の場合、多くの著者が自分の本は売れるだろうと勘違いしてしまうようだ。自信作であればあるほどその傾向が強いのだろう。商業出版は無理で自費出版しか方法がないということになれば、賭けてみたくなるのだ。そんな気持ちになってしまうのも、仕方がない側面がある。

 なぜなら、出版社は自社の自費出版で作家として認められた事例などをうまく利用して宣伝するからだ。そんな事例を聞かされたら「自分にもそんなチャンスがあるかも・・・」と思っても不思議ではない。もしかしてヒットしたら増刷になるだろうし、増刷の費用は出版社持ちだ。気持ちが揺らぐのも当然だろう。しかし、「書店に並ぶ」ことと「売れる」ことはまったく違う。これを勘違いしてはいけない。

 今月の文芸社の広告には、参議院議員の徳永エリさんの本が紹介されていた。「みのもんた推薦」とある。ご本人は気付かないのだろうが、広告塔として利用されているも同然だ。

 文芸社は今もローンを勧めることがあるようだが、自費出版でのローンは恐ろしい。多くの場合、本はあまり売れない。出版社から販売部数の報告があったとしても、その数字が本当かどうかを著者は確かめることができない。そして大抵の場合、初版で何百冊もの売れ残りが生じる。契約期間を過ぎたら、不良在庫は廃棄するか著者が引き取るかということになるだろう。在庫を引き取るといっても数百冊の本は段ボール何箱分にもなるから、よほど豪邸でもない限り保管場所を確保するのも大変だ。かといって自分で捌くのも困難だろう。泣く泣く廃棄処分にすることになりかねない。

 しかし、ローンはその先何年も払わなければならないのだ。200万円前後の大金を投じてもほとんど売れず、100冊程度の著者贈呈本を受け取っただけならば、何のための出版だったのだろうということになる。満足できる結果であればともかく、苦い思いを噛みしめながら、割高のローンを何年も払い続けねばならないのは地獄だろう。

 インターネットを利用していない高齢者もまだ多く、そのような方はこうした商法の問題点を知ることが難しい。褒めちぎられて、なけなしの貯金をはたいてしまったら悲惨だ。

 昔は、自費出版というのはお金に余裕がある人が、元をとれないことを承知のうえで行っていたのだ。書店流通させても売れないから、自費出版にしたのであり、非売品、私家本が基本だった。だから、ほとんど売れないということを知っていながら、書店流通を謳ってアマチュアの著者を勧誘するというのは騙し行為に近い。「売れない場合もある」「売れるとは確約できない」と説明すればいいというものではない。出版についての知識がない人に、安易に販売前提の出版形態を勧めること自体が道義的に問題なのだ。

 また、出版社に所有権のある本をつくり著者には印税しか支払わないのに、原価以上の費用を請求しているなら詐欺的だ。

 いま私が声を大にしていちばん言いたいことは、「アマチュアの方の本の大半は、流通させてもほとんど売れない」ということだ。優れた作品であっても、売れるというわけではない。本を出版したいと思っている人は、そのことを肝に銘じて欲しい。

2011年2月 4日 (金)

黒薮哲哉氏が喜田村洋一弁護士に懲戒請求

 新聞の「押し紙」問題を追及しているジャーナリストの黒薮哲哉氏が、東京第2弁護士会に、辣腕弁護士として知られている喜田村洋一弁護士に対する懲戒請求を提出した。

 喜田村弁護士といえば、弘中惇一郎弁護士とともにロス疑惑の三浦和義氏を弁護したことで知られている。そして、強制起訴された小沢一郎氏の弁護人も弘中弁護士が主任弁護人であり、喜田村弁護士も弁護団のメンバーだ。お二人とも一般的には「人権派」と言われているようだ。喜田村弁護士も弘中弁護士も人権擁護を目的とした「自由人権協会」に所属している。

 黒薮氏は、「押し紙」報道で読売新聞から言論封じといえる裁判を起こされていたのだが、読売側の代理人が喜田村洋一弁護士だ。この裁判については、以下の記事を参照していただきたいが、言論封じを目的としたSLAPP(恫喝訴訟)といえる裁判だ。

読売新聞がジャーナリストを“言いがかり”で言論封殺 

読売新聞による“言論弾圧”著作権裁判が始まる!

 今回の黒薮氏の懲戒請求は、読売から起こされた3件の裁判のうち、著作権裁判で争点となった文書が弁護士職務基本規程75条に該当することに基づいたものだ。75条は「弁護士は、偽証若しくは虚偽の陳述をそそのかし、又は虚偽と知りながらその証拠を提出してはならない」となっている。しかし、黒薮氏によると喜田村弁護士は虚偽の事実をもとに裁判を起こしたという。

喜田村洋一弁護士に懲戒請求「虚偽の事実を根拠に裁判起こした」

 言論封じを目的にジャーナリストを訴えるという構図は、以下の記事に書いた武富士の代理人を務めた弘中惇一郎弁護士と同じパターンだ。

弘中惇一郎弁護士の不可解さ

 弁護士職務基本規程というのは日本弁護士連合会が弁護士の倫理や職務上の行動規範等を定めたものだ。この規程には以下のような条項もある。

1条 弁護士は、その使命が基本的人権の擁護と社会正義の実現にあることを自覚し、その使命の達成に努める。

14条 弁護士は、詐欺的取引、暴力その他違法若しくは不正な行為を助長し、又はこれらの行為を利用してはならない。

31条 弁護士は、依頼の目的又は事件処理の方法が明らかに不当な事件を受任してはならない。

 悪質商法や違法行為を行っている企業の代理人をしたり、言論封じを目的とした裁判の代理人を引き受けるなどというのは、弁護士職務基本規程に抵触するのではないだろうか。

 私は、不正を追及するジャーナリストなどに対して恫喝訴訟を起こすような弁護士は、真の人権派弁護士とは思わない。辣腕と評される著名弁護士であっても、それだけで高く評価すべきではないだろう。

2011年2月 3日 (木)

チャンネル北国tvがブログ削除方針を転換

 チャンネル北国tvは、1月26日にユーザーに対し長期間更新のないブログを一斉に削除するというメールを送信した。

 私はこれを受けて26日に以下の記事を書き、28日にはチャンネル北国のブログ削除方針を伝えるお知らせ記事にトラックバックを送った。事務局にユーザーの意見を知ってもらうためだ。

納得のいかないチャンネル北国tvのブログ削除方針

 すると、2月1日にはユーザーから申告のあったブログに関しては削除しないと方針転換をしたのである。きっと私以外にも複数の方たちが意見を寄せたのだろう。

「追記」【重要】更新のないブログの削除について

 チャンネル北国tvに関しては、私は過去に自分のブログが非公開にされた件で批判的なことも書いてきたが、今回のユーザーの意見を取り入れた速やかな対応については評価したい。

2011年2月 2日 (水)

市民を騙し翻弄させた諫早湾干拓

 数日前のことになるが、NHKスペシャルで「“精算の行方 ~諫早干拓事業の軌跡~」というドキュメンタリーが放送された。「ギロチン」と言われている諫早湾の潮受け堤防をめぐって漁師の方たちが排水門の開門を求めて裁判で闘っていたが、開門を命じた判決を受けて放送された番組だ。

 潮受け堤防が完成し、海を仕切る板が水しぶきをあげながら端から落とされていく光景は、まさにギロチンだ。大自然を相手に、こんな馬鹿げた工事に巨額の税金を投じてきたことに、愕然とする。自然を冒涜した愚行は豊かな漁場を壊滅させ、排水門の開門を余儀なくさせた。浅はかな人間が負けたのだ。

 番組で描き出されていたのは、田中角栄の日本列島改造論の掛け声によってはじまった国家による騙しの構図だ。

 諫早湾を潮受け堤防で仕切ることについては、専門家らが漁業への悪影響を予測する調査報告書を提出していたのだ。ところが、国は影響に関する部分を改ざんし、影響がほとんどないと変えてしまった。これについては、調査に関わった学者がインタビューで語っていた。その改ざんされた報告書を信用した漁業者は次々と干拓賛成にまわり、一世帯1000万円の保証金をもらった。はじめは埋め立てに反対していた漁師が、最終的には保証金によって懐柔されてしまうというのは、よくあるパターンだ。人はお金に弱い。

 しかし、潮受け堤防の完成によって漁獲量は激減した。騙された漁師は豊な海を失い、それまでの安定した生活は崩壊した。

 一方、干拓地に入植した農家は、開門を命じた判決に怒り、国に怒り、漁師たちにも怒りをぶつける。漁師も国に騙された被害者であれば、農家も国に騙された被害者だ。同じ被害者でありながら、判決をめぐって対立する構図は悲惨だ。諫早湾干拓という巨大公共事業は、地域の人々を騙し、翻弄させ対立を生んだ。悪いのは彼らではないのに、人々を引き裂いていく不条理・・・。そして、無駄な事業に費やされた巨額の税金。やりきれない思いだ。

 八ッ場ダムとて似たような構図だ。国はヒ素の問題も、脆弱な地質のことも隠し、事業の目的がなくなってもごり押しをしてきた。地元住民を翻弄させ、賛成と反対に引き裂いた。こうした騙しの構図は、日本の大型公共事業に共通する。

 番組では事業を推進してきた行政、調査報告書の改ざん、漁業者、入植した農家の人たちの怒りや苦悩を中心に追っているが、漁民対農民の争いのように描いてしまったのは、責任を曖昧にしているようでしっくりとしない。

 NHKが今ごろになってこの問題を取り上げたのも、裁判で国が負け、開門が決定したからだろう。もっと早い時期から多くの人の声を聞いたドキュメンタリーを作成し、国民に問題点を投げかけることこそマスコミの役割というものだ。

 諫早湾には学生時代に二回ほど行ったことがある。干潟に生息する野鳥の観察が目的だ。潮が引くと、はるかかなたまで続く広大な干潟に圧倒された。遠くの野鳥も、海に立つ「海苔ひび」の棒も、漁師の船もかげろうにゆらいでいた。底なし沼のように見える干潟にはムツゴロウをはじめとしてたくさんの生物たちがひしめいていた。そこに羽を休める渡り鳥の群れ・・・。延々と続いてきた自然の営みだ。そんな光景はギロチンによって消えた。

 干潟はそれ自体が生物の宝庫であり、海の浄化装置だ。しかし、埋めたてによってこの国からどれほどの干潟が消えてしまったのだろう。数字にしたら驚くほどの面積に違いない。失われたものは計り知れない。この国の政府は、馬鹿げた公共事業を心から反省するときがくるのだろうか。

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