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2011年1月12日 (水)

成人式はファッションショーではない

 慌ただしくしているうちに、1月ももう半ば。つい先日は成人の日だった。成人式というと、なぜ女性はこぞって振袖を着るのだろうかと毎年思う。

 私の住んでいる北海道の地方の町では、成人式の写真が町の広報紙に掲載される。男性は大半がスーツで羽織袴姿も数人交じっているが、女性はほぼ全員が振袖だ。何とも個性がないし、まるでファッションショーだ。以前は洋装の女性も少しはいたと思うが、近年はまずいない。どうしてここまでワンパターンになってしまうのだろう。

 そもそも成人式とは、成人に達した青年を祝い、社会人として自立と責任を自覚してもらうことが目的ではないか。趣旨からすれば、服装などまったく関係がないのだ。それがいつのまにか振袖のファッションショーに化してしまっている。

 その背景にあるのは呉服業界や美容業界の「成人式ビジネス」だ。二十歳の女性の多くが振袖を着るこの日は、呉服業界にとっては最大の稼ぎ時だろう。美容業界も同じだ。そして、それを加速させているのが「皆と同じ」であることが良いとする日本人の横並びの価値観と、娘の晴れ着姿を見たいという親の見栄ではないか。早い話、呉服業界に踊らされて、本来必要でもない高価な晴れ着を買わされている(あるいはレンタルさせられている)のだ。

 地方の町では、成人式は同窓会に等しい存在だ。そういう場で、皆と違う服装をするにはそれなりの勇気と覚悟が必要だろう。しかし、そんなふうに覚悟しなければ成人式に出られないということ自体がおかしい。それに、今の時代、晴れ着にお金をかけられない家庭だってそれなりにあるだろう。なぜ、自治体はそのような家庭のことも配慮して「平服」を勧めないのだろうか? そんなことを言ったら、ファッションショーを楽しみにしている人たちからひんしゅくを買うから言えないのだろうか。

 我が子に晴れ着を着せたいという親心は分からないでもない。しかし、振袖を着る機会などほとんどないにも関わらず、つまらぬ意識と見栄のために高価な着物にお金をかけることにどれほどの意味があるのかとも思う。成人式の服装などにお金をかける必要はないと思うし、洋装のほうが着まわしがきいてずっと経済的だ。しかも、北海道の場合、成人式は雪が積もった厳冬期だ。吹雪のときもあるだろうし、道路も晴れ着で歩くような状態ではない。無理して着ているとしか思えない。

 30年以上も前の話になるが、私はといえば、成人式の日は防寒着に長靴スタイルで、日本野鳥の会が行っていた全国一斉の水鳥のカウント調査に参加していた。式典に出たからといって成人としての自覚が持てるというわけではないし、はじめから行く気などなかった。ただ、当時は今ほど振袖の人は多くなかったように思う。普段着の人もいたのではなかっただろうか。日本の若者の意識レベルの低下はかなり深刻だ。

 社会人としての自覚を持つべき日であればこそ、晴れ着を着てはしゃいでいるのではなく、厳粛な気持ちになって同じ地球上に飢えや貧困で苦しんでいる人、戦争で怯えている人がいることを考えてほしい。そして、社会人として自分がどうすべきなのかも考えてほしい。

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