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2010年8月

2010年8月31日 (火)

奥日光のシカ食害とクリンソウ

 奥日光のミズナラの巨木の記事でも触れましたが、西ノ湖から千手ヶ浜までの林床の様子には驚きました。かつてこのあたりはササに覆われていたらしいのですが、今はササは全くありません。一番目立つ植物はシロヨメナで、林床全体がシロヨメナで覆われているところもあります。このシロヨメナはシカが食べないのだそうです。食害のひどいところでは、ほとんど裸地化しています。あまりにもスカスカな状態で、とても日本の森という雰囲気ではありません。

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 西ノ湖から千手ヶ浜への遊歩道を歩いていると、黄色い花の群落が見えました。マルバダケブキ(下の写真)です。これもシカが食べないそうです。キオンも咲いていましたが、キオンもシカは食べないのでしょう。

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 奥日光のシカは冬には標高の低いところに移動するとのことですので、主に夏にササを食べたのでしょうか。北海道でもエゾシカが増えましたが、ササを食べるのは普通は冬です。餌のとぼしい冬に雪を掘ってササを食べたり樹皮を齧ったりしますが、夏にはまずササは食べません。奥日光ではシカの食害が深刻だという話しは聞いていたものの、これほどまでササが消えているとは思いませんでした。

 千手ヶ浜のあたりはハルニレが多く、ハルニレの樹皮を好むシカがこのあたりに集まってきたようなのですが、それにしてもこれほど大面積にササがなくなってしまうとはちょっと驚きです。今回は西ノ湖の近くで雄のシカを一頭目撃しましたが、近年はシカの数は減ってきているようです。

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 ところで、千手ヶ浜といえばクリンソウの群落が広がっていると、8月18日に放映されたNHKの「ちょっと変だぞ 日本の自然 大ピンチふるさと激変スペシャル」で紹介されていました。クリンソウもシカが食べないので広がっているというのです。しかし、その番組に出てきたクリンソウの花を見て驚いてしまいました。白やピンクの濃淡の花は、野生のクリンソウの花の色ではありません。園芸種を誰かが持ち込んだものが、増えてしまったのでしょう。今はすっかり千手ヶ浜のクリンソウが有名になり、観光客が観賞や写真撮影のために大勢訪れるそうですが、国立公園の中に外来種が繁茂しているのであれば駆除すべきです。ところがそういう声はちっとも聞こえてきません。

 環境省はエゾシカの食害で苦慮しているようですが、外来種の除去には関心がないのでしょうか? この番組では宮城県石巻市でアサリに壊滅的な被害を与えているサキグロタマツメタという外来種の貝のことも報じていました。同じ外来種なのになぜクリンソウのことは外来種として報じないのか? まったくもって不思議です。もはや観光資源となってしまっているクリンソウを駆除すべきだと報じたら、クレームがくるからでしょうか?

2010年8月30日 (月)

トムラ三原則を反故にしてトンネル工事を強行した北海道電力

トムラ三原則の反故

 昨日は、十勝川の上流部にある富村ダムで行われている、堆砂処理用のトンネル掘削工事現場の視察に行きました。富村ダムは北海道電力の水力発電用のダムで、昭和53年から運転を開始しています。富村発電所は最大出力は4万キロワットと、貯水量の割に出力が大きい方です。

 このダムは平成20年現在で総貯水容量内の堆砂が57%、有効容量内の堆砂が41%に達したため、堆砂の除去が必要となったといいます。しかし、ダム湖周辺は急峻な地形で、トラックなどを出入りさせるための取り付け道路が造れませんし、自然環境の保全の観点から取り付け道路は造らないという約束のもとに環境庁(当時)が許可を出したという経緯があります。このために堤体を造る時にもトンネルを掘ったのです。下の写真は堤体に行くトンネルの入り口です。

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 地表を改変して取り付け道路を付けることができないため、隣の沢から貯水池までトンネルを掘って土砂を運び出すというわけです。8月からトンネル工事を始めるというので、自然保護団体が北海道電力に現地説明会を要請していました。その説明会が昨日だったのです。昨日は十勝自然保護協会のほか、北海道自然保護連合や平取ダムの反対にかかわっている方も参加しました。下の写真がトンネルの坑口と掘削機です。

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 実は、このダムを造る際に地区労と北電が「トムラ三原則」という取り決めをしました(これについては「北海道とかちトムラ三原則」参照)。トムラ三原則とは、1.事業計画の段階から、その必要性について、徹底した議論を積み重ねる 2.事業遂行に当たっては、「自然保護と開発の調和」をはかることとする 3.前2項の達成のためには、発想の段階から民主主義の基本に基づき協議を重ね、全ての段階(工事前、工事中、工事後)で対話を重ねる、という三つの約束です。

 今回の堆砂処理については、この三原則にのっとって、平成19年に北海道電力から十勝自然保護協会に対して説明がありました。そこで、十勝自然保護協会は十勝川源流部原生自然環境保全地域のすぐ近くに位置し、希少な動植物などが生息・生育するこの地域で、大掛かりな堆砂処理をすることは自然保護上問題が多いとして、堆砂の除去はしないよう求めてきました。このようなところでトンネル工事をすること自体が問題ですし、堆砂運搬のために国立公園の中を一日に200台ものダンプが往復することになるのです。数分おきダンプが通過することになります。警戒心の強い猛禽類に影響を与えないとは思えません。

 しかし、北海道電力はあくまでも堆砂処理をするといって、この8月に工事を強行しました。これは、「必要性について徹底した議論を積み重ねる」「民主主義の基本に基づき協議を重ね、全ての段階で対話を重ねる」というトムラ三原則を反故にしたということです。

 トムラ三原則の一番目の「必要性」について、徹底的な議論が重ねられたのかといえば、決してそうではありません。北電は堆砂処理の必要な理由として、「堆砂がダムの安定性に影響を与える」「洪水時にダム湖の末端部の水位が上昇し、周囲の森林に悪影響を及ぼすことが懸念される」と説明しています。しかし、ダムは非常に高い安全率(ダムにかかる荷重に対しダムの抵抗力が4倍以上)のもとに設計されているのです。たとえ堆砂面が満水位にまで達しても、それによって決壊するようなことはまずありません。北電のいう「安定性」の意味がまったく分かりません。

 また、洪水時に末端部の水位が上昇すると主張しますが、どれ位の上昇があり、それによってどんな被害が予想されるのでしょうか。これらについて納得できる説明がまったくありません。つまり堆砂除去の必要性は、いまでもよく分かりません。結局、安定した高出力の発電量を保ちたいがための堆砂処理としか思えないのです。今回、現場でトムラ三原則を持ち出して抗議すると「これまで説明してきた」の一点張り。「説明」と「議論」「対話」の違いが理解できていないようです。

秘密主義の北電

 私たちに消費者にとって気になることのひとつは工事費用です。ところがこれは「答えられない」とのこと。年ごとの具体的な堆砂量についても「答えられない」とのことでした。顧客である消費者に工事費用を説明できないのは、なぜなのでしょうか。

 北電は堆砂処理に10年間を予定しているとのことでした。しかし、毎年とってもまた土砂は堆積していきますから、その後も続けなければならないでしょう。半永久的に続けなければならないのが堆砂処理なのです。あちこちのダムで堆砂問題が深刻になってくれば、このような維持コストが永遠に必要になり、やがて電気代に上乗せされるのでしょう。

 自然環境の保全についても、「影響を最小限に抑えるように対策を実施する」と繰り返すばかり。北電は動植物の調査を行っていて絶滅危惧種や希少種なども確認しているのですが、なぜか猛禽類のうちの4種だけを黒塗りにしているのです。わざわざ特定の猛禽類だけを黒塗りにするところをみると、これらの猛禽類への影響を追求されることを恐れているとしか思えません。

 そして、この工事の費用対効果は算出していないとのことでした。とにかく「出力が大きく重要な発電所だから維持していかなければならない」との主張に終始しました。私が考えているように、安定した出力の維持を目的に堆砂処理をするのであれば、費用対効果を算出して検討すべきでしょう。これからは人口も減っていくのです。堆砂によって多少発電量が低下したとして、それほど大きな問題があるとは思えません。「重要な発電所」というだけでは、なんら説得力がありません。

 自然環境の保全を優先すべき国立公園の山奥に、堆砂処理のことも考えずにダムをつくった北電には大きな責任があります。

2010年8月28日 (土)

奥日光の巨木の森

 東京で開かれた蜘蛛学会に参加したあと、学生時代からの友人と三人で奥日光に行ってきました。奥日光といえば、学生時代の夏休みに環境庁(当時)のアルバイトをしたことがあります。湯元で自炊生活をしながら、ゴミ拾いをしたり戦場ヶ原などへ巡視に出かけたりという毎日を過ごしました。あれから38年ほど経ちますが、久々の夏の奥日光です。

 さて、今回行ったのは西ノ湖から千手ヶ浜です。以前は西ノ湖には歩いていかなければならず、暑い炎天下を延々と林道歩きをした覚えがあります。ところが、今は赤沼に立派な駐車場ができて、そこからバスが出ているのです。赤沼には自然情報センターまであります。かつては赤沼茶屋が一軒だけの閑静なところだったのですが、すっかり変わっていました。それに、西ノ湖までこんなに手軽に行けるようになるとは・・・。

 小田代ヶ原を過ぎて西ノ湖入口で下車し、ゆっくりと西ノ湖に向かいましたが、車窓からの光景は記憶の奥にあった風景とはずいぶんかけ離れたものでした。38年の歳月を経て植林したカラマツの苗が成長し、シカの食害で林床の植生がすっかり変わってしまったためでしょうか。単調なカラマツの植林地を抜けて目を見張ったのは、ミズナラの巨木の森です。かつての原生林を彷彿とさせる光景です。

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 全体でどれくらいの面積なのか分かりませんが、これだけの巨木のあるミズナラ林はそう簡単にお目にかかれないのではないでしょうか。胸高直径が1.5メートルは優に超える木もあります。また、西ノ湖畔の森はヤチダモの遺伝子保存林として保護されているとのことで、ここもなかなかの森林でした。さて、学生時代にはこんな巨木の森を歩いた記憶がないのですが、当時はあまり森林の様子に関心がなかったからかも知れません。ミズナラの梢を舞うゼフィルス(ミドリシジミ)の姿に心を奪われたことは、しっかりと覚えているのですが。

 ただ、この奥日光の巨木の森も、林床の植物がすっかりシカに食べられて裸地同然になっており、日本の森とは思えない光景になっていました。かつてはこのあたりの林床はササに覆われていたそうですが、ササはまったくありません。そして、シカによる樹皮食いを防ぐために、プラスチックのネットを巻かれた樹があちこちにあります。

 それにしても、その昔はこんな巨木の点在する森が続いていたのかと思うと、人による自然破壊のすさまじさを身にしみて感じます。北海道では今はこんな森はほとんど見られませんが、かつてはこんな巨木が茂り、シマフクロウがあちこちの森に棲んでいたのでしょう。樹洞のある巨木が消え、堰やダムでサケが遡上できなくなった現在、北海道の森からシマフクロウが姿を消していくのは自然の成り行きなのでしょう。

 こういう森を見ると、これからは失われてしまった巨木の森を取り戻していかなければならないと思わずにはいられません。とはいっても、巨木の森を復元するには数百年は必要でしょうね。

2010年8月27日 (金)

カメムシ防除の陰にあるもの

 先週の週末に東京で開催された日本蜘蛛学会の大会に参加してきました。今回のシンポジウムは「農地生態系におけるクモの役割」というタイトルです。環境保全型稲作に取り組んでいる水田で、斑点米を生じさせるアカスジカスミカメというカメムシの天敵としてクモが有効かどうかを検討する研究などが紹介されました。

 斑点米というのは、稲の穂をカメムシが吸汁することで玄米に吸汁痕が残った米のことです。斑点米を生じさせるカメムシは何種類かありますが、小型で細長い体をしたカメムシの仲間です。このカメムシの駆除にはネオニコチノイド系の農薬が使用されており、ミツバチの大量死などの原因となっていると言われています。農薬が生態系に悪影響を与えるのはもちろんのこと、米を食べる人間にとっても大問題です。

 というわけで、クモがカメムシの天敵として役立つか?という研究が行われたのです。結果は、アシナガグモ類やコモリグモ類、アゴブトグモなどがアカスジカスミカメを捕食しているものの、天敵としての役割は小さいだろうというものでした。

 結果はともかくとして、正直いって、私はこの報告を聞きながら一人で溜め息をついていました。なぜなら、斑点米など農業被害として問題にする必要がないのです。なのに、そのための研究にお金と時間がかけられているとは・・・。どういうことか説明しましょう。

 米の流通業者は選別機にかけて斑点米を除去して出荷します。また、斑点米は玄米に生じるのですが、精米するとほとんど痕が残りません。食べてもまったく問題なければ、味も変らないのです。つまり、消費者にとっては斑点米などまったく問題がないのです。それなのに、なぜ斑点米を防ぐためにカメムシを殺す農薬を散布するのでしょうか。

 それは、国産米の規格にあります。農水省の規格では、斑点米が1000粒に1粒までであれば一等米ですが、2粒になると二等米になってしまいます。そして一等米と二等米では価格が60キログラムで約1000円も違うといいます。この価格差のために農家は農薬を散布してカメムシ防除をするのです。消費者にとっては、何の問題もない斑点米を減らすためにです! これについては安田節子さんが詳しく報じていますので、是非以下のサイトをお読みください。

カメムシ斑点米規格の削除を! 

 天敵としてのクモの研究をすること自体は意味がありますし、シンポジウムの場でこのようなことを言ってしまったら身も蓋もありませんから黙っていましたが、斑点米の対策でやるべきことというのは、上述したような斑点米の規格を廃止することです。

 こんな規格で利益を得ているのはいったい誰なのでしょう。安田節子さんは米流通業者だと言います。つまり、農家が出荷するときは等級がつけられるのに、流通業者が精米して小売に出す段階で等級はなくなってしまうそうです。何のための等級付けなのでしょうね。しかし、私はそれだけではなく農薬会社が関わっているのではないかと思えてなりません。

 安田節子さんたちは、こんな危険で無駄な農薬散布をやめさせるべく、斑点米の規格の見直しを求めて農水省に働きかけをしているのですが、国はなかなか動こうとしません。その背景には流通業者や農薬会社との癒着構造があるのではないでしょうか。

 余談ですが、カメムシというのはクモが好んで食べる昆虫とはとても思えません。クモの網にかかりやすい昆虫とも思えないのです。むしろ、クモがカメムシを捕食しているということのほうがちょっと意外でした。

 また、天敵による防除というのも限界があるはずです。同じ種類の作物を広い面積で栽培したなら、害虫が大発生するのは自然のことです。ほんとうに環境保全や安全性を考えるなら、栽培でさまざまな工夫をするほか、ある程度のところで妥協していくしかないと思います。多少の虫食いや見た目は気にしないといった、消費者の意識改革も必要でしょう。

 それから、このシンポジウムの中で「生態系サービス」という言葉を使っている方がいました。今では「生態系サービス」という概念が世界的に認知されているそうです。これについては以下の記事にも書きましたが、人間の傲慢さを感じさせるところがあり、自分では決して使いたいとは思いません。「生態系の公益的機能」といったほうがずっとしっくりくるのですが・・・。

生態系がサービスをするのか? 

2010年8月19日 (木)

光市事件の出版差し止め裁判はどうなっているのか

 裁判の報道でいつも不思議に思うことがあります。それは、社会的に注目を浴びている裁判であっても、初公判や証人尋問、それに判決の時くらいしかマスコミが傍聴に来ないということです。そして判決について報道されても、裁判の中で具体的にどのような主張があったのかまではなかなか報道されません。マスコミ報道からは、たいてい判決という裁判所の判断しか分からないのです。

 熱心なジャーナリストは、自分が関心をもっている裁判などはこまめに傍聴したり関係者に取材をするのですが、そうしたジャーナリストがいなければ、裁判の様子などが報道されることはほとんどありません。また傍聴しただけでは、原告や被告が裁判所に提出した書面でどのような主張をしているのかを具体的に知ることもできないのです。

 つまり、裁判は原則として公開されているとはいっても、当事者の方たちが情報を提供しない限り、裁判で何が問われどういう主張が繰り広げられたのかなどは、一般の人たちが知ることはできません。

 光市事件のことを扱った「福田君を殺して何になる」の著者の増田美智子さんとインシデンツの寺澤有さんに対し、福田君が出版差し止めの仮処分の申し立てを行い、また提訴した時にはマスコミもこぞって報道しました。しかし、その裁判が現在どのようになっているのかは、当事者にしか分かりません。

 そこで、増田美智子さんに裁判についての感想を伺ったところ、以下のようなコメントを寄せていただきました。裁判でどのような主張がなされ、それをどう感じているのかを知っていただくために、紹介させていただきます。

 なお、光市事件についてはこのブログのカテゴリーの「光市事件」を参照してください。

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【著者の増田美智子さんからのコメント】

 今回福田君側が提出した準備書面および陳述書で、彼らは寺澤さんの責任を糾弾しています。その内容は、私がインシデンツから本を出版することは取材当初から決まっていたことであり、寺澤さんの指示のもとで福田君をだまし、取材目的であることを秘して、単行本を出版した、というものです。

 私は、光市母子殺害事件の取材を始めた当初から、取材に行き詰まると寺澤さんに相談してきました。私にとっては初めての事件取材であり、そのうえ福田君の弁護団から取材妨害を受けるなど、それまでの取材活動では体験したことのないことが多かったため、事件取材に慣れていて、信頼のおけるジャーナリストである寺澤さんに、個人的に相談していたのです。

 そもそも、寺澤さんが出版事業を始めたのは2009年2月のことであり、私が取材を始めた2008年4月当時、寺澤さんは出版事業を行っていませんでしたし、その予定もありませんでした。取材当初は、書くべきことがあれば週刊誌か月刊誌で、と考えていたくらいで、単行本にまとめることは考えてもいませんでした。そのことはこちら側の陳述書からも明らかです。

 にもかかわらず、彼らがこのような主張をしてくるのは、私と寺澤さんの信頼関係を断ち切ろうという狙いがあるのだろうと思っています。実際には、私が寺澤さんの指示のもとで取材していたと言うことなどないのですから、上記のような批判は寺澤さんにとっては至極迷惑な話です。こうした的外れな批判を投げることで、私と寺澤さんの関係を揺さぶっているのだと思います。

 寺澤さんは経験も豊富で、取材先からの嫌がらせの訴訟にも慣れていますが、私はそうではありません。私を孤立させれば、裁判を有利に進めることができると考えているのでしょう。

 この裁判では、福田君側から根拠のない難癖をつけられ、こちら側が証拠を提出しつつ反論する、ということの繰り返しです。私が福田君に報道関係者であるという身分を隠して近づいた、という批判には、私が福田君に対して、何度もフリーライターであると名乗っている手紙を証拠に提出しましたし、単行本の出版を隠していた、という批判に対しても、単行本の出版前の2009年8月に、福田君に出版の予定を知らせた手紙を証拠として提出しています。

 だから、福田君側の主張も少しずつ変わってきており、今では出版予定を隠していた、という主張はありません。最近は、死刑制度への疑問を書いていないのがけしからんだの、福田君の弁護人の名前を一覧で載せたのがけしからんだのといった、言いがかりとしかいいようのない批判ですら、臆面もなく書いています。ここに来て、彼らの批判の矛先が私から寺澤さんにシフトしたのは、そろそろ批判のネタが尽きてきた、ということでもあるのだと思います。

 私の最大の過ちは、福田君の弁護団を甘く見ていたことです。単行本の出版前に、広島で足立修一弁護士、新川登茂宣弁護士と、私、寺澤さんの4人で話し合いました。その時は、福田君の弁護団の面々は、福田君のために弁護活動をしていると信じて疑っていませんでした。だから、真摯に話せばきっとわかってくれると思い、日帰りでわざわざ広島まで話し合いに行ったんです。

 結局その話し合いは平行線に終わり、単行本の出版の直前に出版差し止めの仮処分を申し立てられたのですが、その仮処分申請すら、単行本が出版され、彼らがその内容を読めば取り下げられると思っていました。単行本の内容は福田君にとっては情状的に有利なものであり、弁護団が福田君の死刑回避を願うのであれば、当然取り下げるものだと思っていたのです。

 しかし、裁判を通じて彼らの主張を知るにつれ、自分の認識の甘さを実感しました。今は、弁護団は、福田君の死刑云々よりも自らのメンツが大事だとしか思えません。

2010年8月18日 (水)

森林生態系保護地域についての意見はどう反映されるのか

 北海道森林管理局が「森林生態系保護地域等の設定案に関する意見募集」を7月30日から行っていました。生物多様性保全の観点から、大雪山と日高の森林生態系保護地域を拡大するという案についての意見募集です。これについては、以下の記事でも触れています。

まやかしの国有林保護地域の拡大案

 今日は意見募集の締め切りの日ということで、以下の意見を送信しました。今回寄せられた意見は、9月に公表されるそうです。そして、同じく9月に「第3回大雪山・日高山脈生態系保護地域等設置委員会」が開催されるとのこと。

 果たして、今回出された意見はどの程度反映されるのでしょうか。そして、委員会の委員の方たちは、どんな意見を出されるのでしょうか。

 行政がこのような意見募集をした場合、若干の修正はするものの、基本的なところは変更しないというのが常です。でも、以下に書いたように、この保護地域の設定案というのは基本的なところで矛盾のあるものなのです。それを無視して若干の修正で確定させてしまうのであれば「聞きおくだけ」ということになります。そして、今回の保護地域の拡大案というのは、森林保全に取り組んでいるというポーズを示しただけということになるでしょう。

 出された意見に対し、どのような修正をするのか、あるいはしないのか・・・見守りたいと思います。

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森林生態系保護地域等の設定案への意見

 設定方針の1では「検討の基礎として、既存の森林現況や希少種等の生息・生育情報のみではなく、森林生態系の再評価を試み、希少種等の生息・生育が期待される潜在性(ポテンシャル)が高いと評価される区域を抽出」としています。しかし、「森林生態系保護地域において保存を図るべき生物等に関する事項」で取り上げているのは当該地で生息が確認されている種であり、保護すべき種のことではありません。希少種や絶滅危惧種など保護の対象とすべき生物の種名を決めて検討しなければ意味がありません。

 たとえば鳥類であれば、キンメフクロウ、シマフクロウ、ミユビゲラ、クマゲラ、クマタカなどが絶滅危惧種や保護を要する種として挙げられます。しかし、キンメフクロウやミユビゲラの生息地である北方針葉樹林の大半が対象外です。また、シマフクロウが繁殖するためには樹洞のできる広葉樹の大径木の存在が必要ですが、そのような樹木のある森林はほとんど含まれていません。クマタカの生息する森林帯もほとんど対象になっていません。

 ナキウサギも保護を図るべき希少な動物ですが、ナキウサギの生息地となっている然別湖周辺の森林は保護地域になっていません。大雪山の周辺には低標高の山地にもナキウサギ生息地が点在していますが、そのようなところは伐採などによってしばしば破壊されてきました。低標高地のナキウサギ生息地についてまったく配慮されていないゾーニングです。

 鳥類やほ乳類に限らず、その他の動物群や植物も含め、保護の対象とする希少種等の種名を明確にし、種ごとに生息・生育が期待される潜在性の高い区域を示して検討する必要があります。

 今回の指定地域の大半は、森林限界より上のハイマツ帯や樹木のない高山帯と、ダケカンバ帯です。高山帯は伐採の対象となる樹木がありませんし、その多くが国立公園の特別保護地区などに指定されており、森林の保護区として設定するまでもないところです。また、その下部のダケカンバ帯もこれまでほとんど伐採が行われてこなかったところです。すなわち、もともと伐採対象になっていないところ、あるいは急峻な伐採困難地を中心として設定されています。大雪山国立公園を特徴づける森林はエゾマツやアカエゾマツ、トドマツなどから構成される針葉樹林です。さらにその下部には針広混交林が広がっています。これらの森林を広く保護地域の対象にしないのであれば、森林生態系の保護にはなりません。

 「針葉樹林や広葉樹林等多様な森林生態系を包括的に保護できるように設定」と書かれていますが、針葉樹林や広葉樹林はほとんど含まれておらず、文章による説明と指定区域の実態が一致していません。このような矛盾した設定案は、基本的なところから見直す必要があります。

 保存地区は「伐採が行われた記録のない原生的な森林に設定する」、また保全利用地区は「保存地区と同質の天然林を対象に、また保存地区を取り囲むよう設定する」とのことですが、大雪山国立公園の森林の大半は過度の伐採により原生的な森林が失われてしまいました。それに伴って生物多様性も失われてしまいました。失われた生物多様性を回復させるために今後取り組まねばならないのは、過去の乱伐を反省し、かつての原生的な針葉樹林や針交混交林を甦らせることです。今回の拡大案は、そのような視点がまったくありません。

 本来、国立公園や国定公園では生態系の保全が最優先されるべきであり、伐採をすること自体が不適切です。国立公園や国定公園での伐採の是非から見直すことが必要です。

2010年8月16日 (月)

登山者あれこれ

 14日、トムラウシ山に行ってきました。といっても頂上までは行かず途中で帰ってきましたが。お盆休みと束の間の好天のためか、山はとても賑わっていました。写真は通称「トムラウシ公園」と呼ばれているところです。雄大なトムラウシ山を背に、高山植生と岩塊地、池塘の織りなす特有の光景の美しさは、言葉では言い表せません。

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 それにしても、登山者はさまざまですね。この日一番驚いたのは、トムラウシ山まで走って往復していた人がいたことです。歩いて登るだけでも大変なコースなのに、すごい脚力と心臓の持ち主がいるものです。これまで自転車で山に登っている人を見たことが二回ほどありますが、走って登り降る人ははじめて出会いました。

 この日は単独で登山をしている男性が目立ちました。健脚向きの山ということもあるのでしょう。他の山に比べて女性はちょっと少なめのように感じました。

 そんな中で驚いたのが、帰りにすれ違った中高年(高齢者の方が多いか?)の女性を主体としたパーティーです。10人ほどで、1人だけ高齢の男性が混じっていたようです。出会った時間や荷物の多さから考えるなら、日帰りではありません。南沼のキャンプ場まで行く予定なのでしょう。

 かつて(私が学生の頃ですから30年以上も前でしょうか)は、大きな荷物を背負って縦走をしている女性パーティーといえば、女子のワンダーフォーゲル部くらいでした。女性の高齢者主体のこのようなパーティーは見たことがありませんでした。今の女性の中高年登山者はほんとうに元気で逞しい! それにしても天気予報では翌日は下り坂。何事もなければいいのですが。

 それから、意外だったのが若い人の姿が目立ったこと。近年の中高年の登山ブームで、最近はどこの山に行っても中高年登山者が圧倒的だったのですが、若い男性の単独あるいは数人のパーティーのほか、子ども連れも二組見かけました。

 トムラウシは岩塊地があちこちにある山ですが、ナキウサギの絶好の生息地になっています。コマドリ沢の岩塊地で休んでいたら、ナキウサギが人おじもせずに岩の上にちょこんと姿を見せ、かわいらしい姿をじっくり見ることができました。ひとまわり小さい、今年生まれの子どものナキウサギも出てきましたし、雌の成獣も瞑想ポーズを存分に見せてくれました。雄の鳴き声も聞こえてきます。登山者の大半は山頂を踏むのが目的なのか、もくもくと頂上を目指していましたが、どれくらいの登山者がナキウサギを見たのでしょうか。登山道のすぐ横でこんな光景が見られるのに、ほとんどの人が足早に通りすぎていました。

 トムラウシ山は日本百名山ともあって登山者が多いのですが、とにかく行程が長いので日帰りでゆっくりと自然を楽しむことが困難です。でも、多くの人が「日本百名山」の登頂を目指し、頂上を踏むことを目的にしているようでした。私はピークハンターではないので頂上に行かなくてもちっとも気にならないのですが、登頂だけを目的とした登山というのはなんとも味気なく、また勿体ないように思えて仕方ありません。

2010年8月13日 (金)

がん検診・がん治療を問う「乳がん後悔しない治療」

 渡辺容子さんの書いた「乳がん 後悔しない治療 よりよく生きるための選択」(径書房)を読みました。

 渡辺さんは、慶応義塾大学医学部放射線科の近藤誠医師の書いた新聞記事がきっかけで、40歳のときに直径5ミリの乳がんを発見しました。いわゆる超早期発見をしたのですが、近藤医師の診察を受け、また近藤医師の本を読み、ご自身のがん治療の方針は自分で決めるという選択をされたのです。そして、すぐに手術をすることなく必要に応じて対処療法をしていく道を選びました。

 この本は、渡辺さんがインターネット新聞JANJANに投稿した記事をもとに加筆されたものです。JANJANの記事は読んでいましたのでだいたいのところは頭に入っていましたが、こうやって読み返すことで彼女の主張や、彼女が支持する近藤医師の考えがより鮮明に理解できました。

 世間では、今でもがんは早期発見・早期治療は重要だという考えが主流で、大半の人がそれを信じています。マスコミや自治体の広報紙など、あちこちでがん検診の呼び掛けを目にします。渡辺さんのJANJANの記事を読んでからは、そんな呼びかけを目にするたびに、暗澹たる気分になりました。もっとも、私も渡辺さんのことを知る前までは、早期発見や早期治療について疑問に思ったこともなかったのです。でも、渡辺さんの記事を読んで、自分がいかに流布されている情報に影響されていたかを思い知りました。

 がん検診を呼び掛けている人たちの多くは、おそらく事実を知らないのでしょう。つまり、早期発見・早期治療をしたら寿命が延びることを裏付けるデータがないということを。そして、医療放射線被ばくや薬による副作用など、検査や薬の弊害を。検査や治療が寿命を縮めてしまうこともあるし、辛い抗がん剤治療を我慢して「病気と闘う」ことが、肉体的にも精神的にもマイナスに働くことにもなりかねません。渡辺さんは、本の中でそのことを具体的に説明しています。

 長生きできるという明確な裏付けがないのに検診、早期発見・早期治療をよびかけ、必要のない手術や害のある治療をしているというのが日本の実態のようです。その背景には、製薬会社と医者の癒着があるとしかいいようがありません。これについては知人の医師も指摘していましたから、事実なのでしょう。

 過剰な検査ということについては、私も常々感じています。私は医者にかかることはほとんどないのですが、親族が医者にかかったときに、検査の多さに驚きました。入院したとたんに、次から次へと検査です。「この病気にこの検査は本当に必要なのか?」と素人でも感じることがありました。

 素人の私たちはどんな検査が本当に必要なのかとか、検査による副作用や弊害は分からないものですが、そうした無知が、過剰な検査を断れず医者の言いなりになることにつながっています。本来なら医者が検査の必要性やマイナス面についてわかりやすく説明すべきなのですが、病院や医者が検査や投薬で儲けようと考えているのなら、本当のことなど言わないでしょう。医者の言うままにせず、患者が学んで自分で判断する必要がありそうです。もっとも、入院をしてしまったら、本人は調べる手段もありませんが。

 がん治療にまつわる実態を知ってしまったら、検診、早期発見・早期治療に大半の人が疑問を抱かないという日本の現実に、ほんとうに愕然とするばかりです。がんの早期発見・早期治療に意味があると考えている方は、ぜひこの本をお読みいただけたらと思います。がんのことだけではなく、日本の医療のことや、患者がどうすべきかを考えるためにもとても参考になります。

 乳房にしこりができても、そのほぼ80%は良性とのことです。しかし、残念なことに渡辺さんのがんは転移をしない良性のタイプではありませんでした。今、全身の骨に転移し、肺や肝臓にも転移しているそうです。でも、彼女、すごく元気なんですね。余命1年ほどと宣告された後に車椅子で小笠原諸島に行き、海にも入る。精神的にはものすごく健全なのです。まさに後悔しない治療を自分で選択してきた証でしょう。

 人間、いつどんな病になるかわかりません。どんな運命が待ち受けていようとも、彼女のように生きられるということが本当の幸せなのだと思います。

2010年8月12日 (木)

ゲラチェックという検閲を認めた毎日新聞社

 先日の烏賀陽弘道さんの本の感想を書いた以下の記事の中で、あえて書かなかったことがあります。

「『朝日』ともあろうものが。」で見えた日本の堕落

 それは、検閲に関することなのです。烏賀陽さんは、検閲について以下のように書いています。

 「権力による検閲が、言論・出版の自由(フリー・プレス)の敵であることは言うまでもない。民主主義の敵である。日本の新聞や出版社は、戦前に検閲によって重苦しい経験をしている。今も、この世界のどこかには、権力の検閲に従わなかったために発禁処分を受けたり、投獄されたりする記者がたくさんいる。だから、検閲を許すような行為は、今でも『報道・出版を職業とする人間が絶対にやってはならないこと』だ。そのひとつが『出版前の原稿を外部に流出させること』である。それは、これまでに先達が血と涙を流しながら勝ち取った『言論の自由』に唾することである。まして、そんな冒涜行為を自分からするような人間に記者を名乗る資格はない」

 確かにもっともなことです。肝心なのは、こうした検閲行為を許さない相手は、何も権力者だけということではないということです。取材相手すべてです。その理由を烏賀陽さんは以下のように書いています。

 「『見せても相手の言うことに応じなければいい』などという人は甘い。不利な記事であれ有利な記事であれ、向こうは必死で向かってくる。内容が気に入らないと言い出す。表現を変えてくれと頼んでくる。あらゆるつてをたどり、必死に働きかける。訴訟やコネ、広告差し止めをちらつかせてくる。少しでも応じると、もっともっととキリがない。結局は検閲と同じになる。それは『取材先の合意を得た記事』であって、記者なり新聞社なりの主体的な判断に基づいた記事では、もうない。だから、そういう主体性のない記者、取材の正確さに自信がない記者ほど、簡単に屈服する。

 『言論の自由』の中には『書かれた相手の同意がなくても出版する権利』『同意されないような内容でも出版する権利』が含まれている。また、その自由を外部から侵害されない権利がある。これを『編集権の独立』という。だから、原稿を相手に見せて、向こうの要求に従って直したりすれば、それは『編集権の自己破壊』である。」

 これを読んでハッとしたのは、「福田君を殺して何になる」(増田美智子著、インシデンツ)で、福田君の弁護士がインシデンツに対してゲラのチェックを求めたことです。インシデンツの寺澤有さんは、このジャーナリストとしての原則を守り、弁護士によるゲラチェックを拒否しました。

 寺澤さんは、私のメールによるインタビューで次のように答えています。

― 「創」(2009年12月号)では、ジャーナリストの浅野健一さんと綿井健陽さんが、弁護団を支持する論調の記事を書いています。彼らの主張について、どのような感想や意見を持たれましたか。

 浅野さんと綿井さんは、進んで福田君にゲラをチェックしてもらい、彼の文章変更を受け入れています。福田君は自分のコメントだけでなく、地の文も変更しています。そこに誤字があっても、そのまま誌面に反映されています。こういう内実を読者が知れば、浅野さんや綿井さんの記事が客観的なものだと思うでしょうか。「自分たちは福田君にゲラをチェックしてもらっている。だから、おまえたちも見習え」と言われても、それは無理です。(引用ここまで)

 たとえ権力者相手ではなくても、ゲラを見せない、出版前の原稿を外部に流出させないというのは、ジャーナリストの鉄則ともいえることなのですね。相手が刑事被告人であっても、その弁護人であっても、それは当然守られねばなりません。もしゲラを見せて被告人や弁護人から都合の悪い部分の書きなおしを求められたなら、それは検閲行為なのです。弁護士という法を遵守すべき立場の者こそ、「ゲラを見せろ」と迫り、「仮処分をかける」と恫喝するなど、決してやってはいけないことではないでしょうか。

 私はジャーナリストではありませんので、権力者でなければ取材相手本人からチェックを求められればゲラを見せてもらえることもあり得るのではないかとなんとなく思っていたのですが、それは甘い考えであることが烏賀陽さんの説明で納得できました。浅野さんも綿井さんも、取材者の検閲を受け入れてしまったわけで、これはジャーナリストとして軽率な行為と思わざるを得ません。

 寺澤さんは「言論の自由」や「編集権の独立」を守るために、弁護団の脅しのようなゲラチェックや出版差し止めの仮処分に屈せず出版したということです。しかし、そのことが一般の方にはなかなか理解されていないように思えます。

 驚くのは、一般の人どころか毎日新聞という、原則を守るべきマスコミそのものがこのことを理解しておらず、「(仮処分の)決定を待つのがせめてもの出版倫理ではないか」などと社説に書いていることです。メディアが出版倫理を持ち出すのであれば、ゲラチェックを求めた弁護士こそ批判すべきであり、検閲に屈しなかった出版社を評価すべきでしょう。  ところが、毎日新聞社はそれと逆の社説を書いたのです。これについては以下の記事を参考にしてください。

毎日新聞社名誉毀損訴訟の判決への疑問

 そして、この裁判の中で、毎日新聞社は以下のように主張しています。

 「原告らは、本件書籍の原稿を福田に確認させないまま本件書籍を出版しようとした。同事実を前提として本件書籍の出版を不意打ちと評価したことは正当な論評である」(判決文より)

 毎日新聞社ともあろうものが、検閲の拒否を評価するどころか、逆に検閲させずに出版しことを「不意打ち」と批判して開き直っているのです。裁判に勝つためには、ジャーナリズムの原則とか言論の自由なんてどうでもいいのでしょうか。さらに「言論の自由」を守るべき裁判所も、毎日新聞社の主張に同調してしまっている・・・。烏賀陽さんがこの判決文を読んだら、仰天するのではないでしょうか。

 市民はジャーナリストではありませんので、ゲラチェックという検閲問題があまりピンとこないものです。だからこそ、マスコミこそその点を問題視しなければならないのに、そのマスコミもこんな状態なのです。烏賀陽さんのこの本で、ことの重大性を再認識しました。

 この問題については、世のジャーナリストや出版社などが、ゲラチェックそのものが言論の自由の侵害であることをもっと主張すべきだと思えてなりません。相手が人権派と言われている弁護士だと、気が引けて主張できないのでしょうか? 不思議なことです。

2010年8月10日 (火)

カラマツハラアカハバチの大発生

 先日の「マイマイガの大発生のゆくえ」という記事に、カラマツの食害の写真を掲載しましたが、このカラマツ、その後さらに食害されていることに気付きました。カラマツの下の道路を見ると、虫の糞で緑色になっています。おびただしい量の糞です。

P10108611

 カラマツの下にあるフキの葉の上にも、糞がたまっています。マイマイガが成虫になった今の時期にもしきりに食べているのですから、このカラマツを食べたのはマイマイガの仲間ではなさそうです。

P10108622

 そこで枝を探してみると、犯人がいました。カラマツハラアカハバチです。カラマツを食害するハバチとして、カラマツハラアカハバチやカラマツキハラハバチなどがあります。前者は長枝の葉を残し、単枝の葉を食害するのです。また、幼虫は集団になって枝の先から基部の方へと食べ進んでいきます。ところが後者は逆で、長枝の葉だけを食害するそうです。種によって食べる部位が違うというのは不思議です。

P10108633

 北海道では、しばしばカラマツが食害されて枯れ木のようになっている光景が見られます。今年もあちこちで被害をうけているカラマツ林を見ましたが、ハバチは頻繁に大発生しています。それでも、食害によって枯れてしまうことはほとんどありません。虫害で絶滅することがないようになっているのですね。

2010年8月 9日 (月)

「『朝日』ともあろうものが。」で見えた日本の堕落

 烏賀陽弘道さんの「『朝日』ともあろうものが。」(河出文庫)を読了しました。烏賀陽さんといえば、オリコンから不当な裁判を起こされ、大変な闘いを勝ち抜いたジャーナリストです。その裁判では並々ならぬ苦労をされたとのこと。以前からとても気骨のある方だなあと思っていましたが、元朝日新聞社員が朝日新聞社の内情をつまびらかにしたこの本を読んで、ますます彼の考え方や生き方に魅力を感じるようになりました。以下の彼の価値観にもいたく共感します。

 「この言葉が現代の日本で価値を保っているのかどうかすら怪しいけれど、ぼくは『良心』という言葉を何より大切に生きていきたいと願っている。ジャーナリストという仕事に惹かれたのも、この職業が、何より『良心』に忠実な人間を待っていると思ったからだ。ここなら『良心』に忠誠を誓った人生を送ることができると思ったからだ。

 ぼくにとっての『良心』とは『死んで神様の前に歩み出ても、恥ずべきことのない人生を送る』という意味である。うそをつかないこと。誠実であること。苦しんでいる人を助けること。謙虚であること。他者への敬意。異なる価値観を理解しようと努力すること。自分がそれを実践できているかどうかは別として、僕は、生きていくうえでそういう価値観が何より大切に思え、惹かれる。」

 「何が正しいのか」などというのは、考え方や価値観によって異なります。正義などというのも然り。ならば、人は何を信じて生きていけばいいのでしょう。つまるところ、自分自身の「良心」しかないのではと思います。私自身も、烏賀陽さんの示されたことを実践できているとはとても思いませんが、それでも、良心に誠実でありたいという思いは変わりません。

 烏賀陽さんは、自分のうっ憤を晴らすために朝日新聞社の批判を書いたわけではありません。この本は読者の良心への問いかけなのです。自分の体験した朝日新聞社というマスメディアのありようを、読者はご自分の良心と照らし合わせてどう思いますか、という。そして、朝日新聞社に巣食っている病理は日本のマスメディアの病理であり、さらに私を含め私たち一人ひとりの心の中に巣食っている病理ともいえるでしょう。

 ここに書かれた新聞記者の仕事や生活は驚愕することの連続です。初めての勤務で警察担当になり、寝食の時間もプライバシーもない生活を強いられ、オンボロ車を自分で運転して取材に行き、警察と上司に振り回され、あとで思えば読者がどんな記事を読みたいと望んでいるのかなど考えたことがなかったと言うのです。特ダネを書かなければ認めてもらえないというプレッシャー、他紙との競争、過酷な仕事・・・いやはや、すごい職場です。

 記者クラブについての批判にもかなりのページ数を割いていますが、これを読めばもう記者クラブなどは要らないとしか言いようがありません。最近は、フリーのジャーナリストを記者クラブに入れるとか入れないとかが話題になっていますが、記者クラブにはそれ以前の問題が山積されています。記者クラブ加盟社は既得権益を死守したいがために、決して記者クラブ批判をしないのですが、理由はそれだけではありません。烏賀陽さんはこういいます。「記者クラブの外で生き残れる人材など育てていないことを、彼らは自分でよく知っている」と。新聞社は、記者クラブに頼らずに独自に取材して記事を書ける記者を育てていないということなのです。ですから、記者クラブを廃止することは新聞の死活問題になるというわけです。その詳細は是非、本書を読んでいただけたらと思います。

 「夕刊は不要どころか有害」という章も面白い。私もつねづね夕刊は要らないのではないかと思っていたのですが、夕刊が不要だという理由が実に明快に書かれていました。夕刊が廃止できない理由として会社の既得権益も関係しているようですが、既得権益に縛られているマスコミはほとんど「死に体」でしょう。さらに、ねつ造やら検閲に手を貸す記者、それを改善できない会社・・・。

 そして、びっくり仰天したのか、取材のためのハイヤーや深夜帰宅のためのタクシー代金。烏賀陽さんの退職する前後に聞いた話しとのことですので、今から7、8年前だと思いますが、朝日新聞社全体のハイヤー・タクシー代が一日に何と千二百万円とのこと。今は経費節減でそんなことはないと思いますが、会社のお金だと思うと節約など考えられなくなってしまうのでしょうね。まあ、こうした感覚は朝日に限らないことでしょうが。

 ジャーナリストだとかエリートだとか言っても、新聞記者の大半はやはり普通の人間なんですね。烏賀陽さんは、朝日の社員についてこんなふうにも書いています。

 「嫉妬深いくせに、正面切って議論するほどの勇気はない。話しをすれば、こちらは納得するかもしれないのだ。が、それもできない。陰口だけには熱心である。しかし表面上の立ち居振る舞いは、礼儀正しく、柔和で、笑顔を絶やさない。まるで清朝末期の宦官のようだ。ぼくの運が悪かったのか、朝日ではそういう病的なパーソナリティーの持ち主にたくさん出会った。」

 「この本を読んで、ぼくを裏切り者呼ばわりし、貶めるために躍起になる人たちはもちろん、「ウガヤ君の言うことは当たっている。もっともだ」と応援してくれる人の大半も、既得権益を譲るようなことは何もしないだろう」

 こういうタイプの人は、そのあたりに普通にいます。陰口を言う人ほど正々堂々と議論しようとはしない。賛意は示しても、いざとなると応援はしないで知らんぷり。なんのことはありません。ジャーナリストといえど気概などなく、自分に不都合なことには関わろうとしないのです。たとえ気概を持って入社したとしても、会社がそれを挫いてしまうというのが正確なのでしょうか。

 新聞記者を辞めてフリーランスのジャーナリストになる方もいますが、この本を読んでいるとそういう方たちの心境がよく分かります。本当にジャーナリストらしい仕事がしたいのであれば、それはもうマスコミの社員では無理なのでしょう。

 インターネットでニュースも天気予報も見ることのできる昨今、堕落した新聞は生き残ることができるのでしょうか。マスコミが腐敗して堕落するということは、それはもう日本の堕落であり、私たちの堕落です。この国は、かなり末期的なのかもしれません。

 この本の元になったのは、烏賀陽さんがご自身のホームページに書いた記事です。烏賀陽さんの文章はとても軽快で、ユーモアもたっぷりです。

2010年8月 8日 (日)

平川一臣さんによる講座「川とは何だろうか?」

 一週間ほど前の7月31日に、北海道大学大学院環境科学研究院教授の平川一臣さんによる「川とは何だろうか?」というタイトルの講座があり参加しました。平川さんについては、こちらをご覧ください。ご専門は第四紀学、周氷河地形環境、第四紀地殻変動とのことです。

 タイトルから、川の話しだけと思っていたのですが、北海道の山がどうやって出来のかというプレートテクトニクスに基づく話しから始まりました。後半の日高山系から流れ出ている川について語る前に、その日高山脈やふもとの十勝平野がどうやってできたのかという説明です。とても興味深い話しだったのですが、ここでは割愛させていただきます。

 で、川の問題で具体例をあげて説明されたのが、札内川の支流である戸蔦別川の事例です。この川には1970年代から80年代頃にかけて次々と砂防ダムが造られたとのこと。この頃に山の奥まで林道が造られて伐採が行われたようで、それに合わせるかのように砂防ダムが造られてきたとのことです。一番奥の第8砂防ダムは1991年に完成したものです。また、拓成湖の下流には床固工が15基も造られています。支流のオピリネップ川には、すごい数の砂防ダムが連続しています。

 これらの砂防ダムによって、上流から流れ下ってくる砂礫が止められてしまいました。その結果、下流域では河底にあった礫が流されて河床が低下し、粘土層が露出する状態にまでなってしまいました。戸蔦大橋では河床低下によって橋脚が抉られてきています。また、札内川と戸蔦別川の合流点の中州ではかつて砂利の採取を行っており、これも札内川の河床低下の原因になっていると考えられるそうです。

 河床の低下によって河道の幅が狭まり、かつて砂利川原だったところがヤナギ林になってきているとのこと。私は札内川の様子はよく知らないのですが、すっかり景観が変わってしまったそうです。従来の堤防の位置などから推測すると、数メートルも河床が低下しているそうです。

 もう一カ所、写真を使って紹介したのが渋山川です。ここも上流にダムを造ったことで上流から砂礫が運ばれなくなりました。川底にあった堆積物がすっかり流されてしまい、柔らかい火砕流堆積物が急激に浸食を受けて、見るも無惨に抉れてしまいました。河川管理者はかなり慌てたのでしょう。対策のために32カ所もの床固工を施したのですが、一度このようになってしまうと、もうどうにもならないだろうとのことでした。砂防ダムといい床固工といい、自然を壊し無駄な対策にお金をかけているのです。

 札内川では河床がすっかり低下してしまったのですから、堤防から水が溢れることなどまずないと言います。洪水対策として堤防の整備をする必要などまったくないと、現在の河川行政についてかなり辛辣に批判されていました。この講座には十勝川の河川整備計画に関わっている北海道開発局帯広開発建設部治水課の職員が複数来ていました。十勝川の河川整備計画で堤防の強化や河道の掘削などを打ち出したこの方たちは、この話しをどう捉えたのでしょうか。専門家の話しなのですから、本来なら河川行政に生かすべきなのですが・・・。

 人が自然に手を加えてしまうと、自然はそれに対して黙ってはいません。「河川は“自己制御”することによって、可能な限り効率のよい形(横断面、縦断面)を維持しようとする」と平川さんは言います。戸蔦別川も渋山川も人が川の均衡を崩してしまったことで、河川が自己制御をして河床低下を起こし、それが取り返しのつかない状態にまでなっているということです。

 河川管理者はこうした川のしくみが分かっているといいます。ダムを造れば川がどうなるのか分かっているのです。これまでの事実を踏まえれば、当然そうでしょうね。ところが今でも砂防ダムを造り、床固工を施し、護岸化し・・・という無駄な工事(というかさらに状態を悪化させる工事)をやっているのです。その影には、無駄と知りながら土木工事そのものをしたい人がいるということでしょう。

 この日は実習ということで、地形図に色鉛筆で色をつけたり、砂防ダムや床固工をチェックするなどの作業も少しやったのですが、こういう作業によっていろいろなことが見えてきます。ある川の集水域はどのような範囲なのか、ダムや床固工、堤防、護岸などの人工物がどれ位あるのか、時代とともに川はどのように変わってきたのか・・・。地形学という、一見地味な印象を持つ学問の奥深さを感じ取ることができました。

2010年8月 6日 (金)

美蔓貯水池の欺瞞(14)何も答えられない開発局

前回の記事

 8月4日、美蔓貯水池のことで北海道開発局帯広開発建設部の説明会が開催されました。日本森林生態系保護ネットワーク・十勝自然保護協会・ナキウサギふぁんくらぶが6月21日に農林水産大臣に提出した要望書に基づき要請し、ようやく実現したものです。

 帯広開建は、6月21日の要望書に沿って説明したいといって、用意したパワーポイントで説明を始めました。しかし、その内容は前回(2009年11月30日)の説明会とほぼ同じです(前回の説明会については「美蔓貯水池の欺瞞(8)」参照)。結局、8カ月経っても同じ説明しかできないのです。結論は「ペンケニコロ川取水施設及び取水導水路の建設にあたって、今後とも工事区域周辺に生息する野生動植物への対策について各学識経験者からの意見をいただくと伴に、モニタリング調査を継続して工事を進めていきます」とのこと。こんなことなら誰でも言えます。

 このどうでもいい説明を聞いたあとは、こちらからの質問です。ところが、それに対しては「今日は答えられない」、「詳しいことはわからない」という発言のオンパレードでした。

 たとえば、芽室町に造られたかんがい用の美生ダムについて、完成時に課長が「目的はなくなった」と住民に説明したこと、そして実際には家畜の飲み水や農薬の希釈、機械の洗浄などかんがいとは関係のないことに使われていると指摘して、過去の教訓をどう生かしているのかと質問したのですが、「今は具体的には答えられない」とのこと。

 事業の必要性について尋ねると、「平成19年7月24日に農家の100%の同意を得ている」との回答。でも、「受益者が必要としている」ということと「事業が必要である」ということは違うと追求すると、「地域農業の振興のため」という答えにもならない回答です。具体的な被害実態はあるのかと聞いても答えられません。また、森林環境リアライズの報告書問題についても、答えられません。

 費用対効果についても追及しました。帯広開建は費用対効果を1.04と算出しています。つまり、投資した費用に対しほんの少しだけ効果が上回るということです。具体的に言うと、総事業費375億円に対し、392億円(作物の生産増、経費節減など)の効果があるということになっています。年間22億円の効果があるというのですが、そのような数字はいったいどのようにしてはじき出されたのでしょうか? とっても不思議です。

 この事業では受益地の半分強が牧草地です。そして、そのすべてが肥培かんがいを行うという計算になっています。肥培かんがいというのは、家畜の糞尿から液肥をつくり牧草地に播くというものです。しかし、肥培かんがいをするためには個々の農家がかなりのお金をかけて設備投資をしなければなりません。しかも現在は家畜の糞尿の堆肥舎整備が進んでいます。受益者として同意した酪農家が、本当に肥培かんがいをするとはとても思えません。ところがそういうことを確認もせず効果として計算しているのです。

 また、一部のナキウサギの生息地では振動や騒音などが少ないミニシールド工法を用い、ナキウサギに配慮したとの説明です。そこで、この工法による振動や騒音について具体的なデータはあるのか、それらはナキウサギには影響を与えないのかを尋ねたのですが、具体的なデータはないとのことでした。ナキウサギと人間では、感知する周波数などが違うのです。そこで、ミニシールド工法で発生する振動や騒音についての具体的データを調べたり、ナキウサギが感知する騒音や振動の具体的データについて学識経験者に確認するようにと求めたのですが、「そうします」と答えないんですね。「学識経験者の意見を聞いて進める」と説明したばかりなのに。

 さらに、調査報告書によるとナキウサギの痕跡が年々減ってきており、調査による影響があるのではないかという指摘もしました。ナキウサギが定着しているとか、一時的な生息地であるという判断についても、根拠がわからないので、アセスメント会社や有識者に確認してほしいと求めました。

 具体的なことを追及したら、何も答えられないのです。それにも関わらず工事だけは予定通りに進めるという傲慢さがありありと感じられました。

 もう一つ、重要なことがわかりました。現地ではすでに導水管埋設個所などでの伐採が行われているのですが、導水管埋設工事をするにあたって何メートルくらいの幅が必要なのかを質問すると、「20メートルほど」という答えが返ってきました。林道の下に埋設する場合は、資材の運搬路、資材置き場、掘った土を一時的に置く場所なども必要になります。二車線の大規模林道が幅7メートルですから、20メートルといえばその約3倍です。なかなか大規模な工事です。重機で穴を掘り、ダンプが行き来する工事をナキウサギ生息地の横でするということです。

 今回の質問事項については、文書で回答してもらうことになっています。

2010年8月 4日 (水)

マイマイガの大発生のゆくえ

 8月3日の北海道新聞(十勝版)に「マイマイガ 幼虫80~100%死滅」という記事が出ていました。十勝総合振興局森林室がマイマイガ幼虫の死骸確認状況調査を行ったところ、十勝の東部と北部の主な公園などで幼虫の死骸率が80~100%だったそうです。幼虫の大量死の主な原因は、カビの一種の疫病菌とウイルスによる膿病とのこと。

 一昨年あたりからマイマイガが大発生していたのですが、マイマイガの大発生は終息に向かっているようです。

 ところで、十勝北部の我が家の近くでは、街灯の柱にマイマイガの仲間がたくさんついていました。いちばん多いのがノンネマイマイのようで、カシワマイマイも交じっていますし、少数ですがマイマイガもいました。マイマイガが減って、こんどはノンネマイマイが増えてきたようです。とはいっても、ほとんどの葉が食べられてしまった木はないようですので、大被害が発生しているというわけではありません。

P10108131

 このノンネマイマイというのも、マイマイガと同じようにカンバやカラマツなどいろいろな樹種を食害します。下の写真はノンネマイマイの幼虫に食べられたと思われるカラマツです。枝の先端(長枝)の葉が残っていますが短枝はみごとに食べられています。マイマイガの仲間はこのような食べ方をします。

訂正:下の写真はノンネマイマイではなくカラマツハラアカハバチによる食害であることが後日わかりました。詳しくは「カラマツハラアカハバチの大発生」をお読みください(8月10日追記)

P10108152

 ところで今年は食害にあっているカシワがとても目につき、ちょっと気になっていました。カシワを食べていたのはカシワマイマイだったのでしょうか?

 来年以降、ノンネマイマイやカシワマイマイの発生がどうなるのか、気になるところです。

2010年8月 3日 (火)

林道ゲートの鍵をめぐって

 日高のヌカビラ岳でツアー登山の一行が遭難し、救助されたとの報道がありました。北海道新聞(8月3日付)によると、一行の入山した林道は土砂崩れの恐れがあったため7月27日にゲートが施錠されていたとのことです。しかし、このツアー会社は北海道新聞の取材に対し「入林禁止の看板を見落とした。ゲートは、札幌市内で緊急用に購入して持っていた鍵で開けた」と説明したとのこと。

 これを読んで、林道の鍵が市販されているということに驚いた方も多いのではないでしょうか。実は私も林道のゲートの鍵が釣具店で売られているという話しを聞いたことがあります。国有林や道有林には登山者、山菜採り、釣り人、ハンターなどさまざまな人が入ります。ゲートが閉まっている場合は、国有林であれば管轄の森林管理署に、道有林であれば森づくりセンターに入林届を出して鍵を借りなければなりません。森林管理署に入林届を出しに行くとすごい量の鍵の束があり、その中から鍵を貸してくれます。林道のゲートは長期間同じ鍵を使っていることもありますし、時々交換することもあります。また、場所によってはナンバーを合わせるタイプの鍵をつけているところもあります。

 とはいってもお役所は土日や休日は休みですから、平日に仕事のある一般の人が休日にゲートの閉まっている林道に入りたい場合は、事前に鍵を借りに行くことが困難です。困難というより、仕事を休まない限り行けませんよね。遠方から登山に来る方などはとても大変です。そういう事情があってかどうかは知りませんが、本来売られるべきではない鍵のコピーが出回っているらしいのです。

 国有林は国民の共有財産ですから、誰でも自由に入ることができても良さそうです。また、登山口のあるところではゲートが解放されていて、登山口にある登山届が入林届を兼ねているところも少なくありません。しかし、場所によっては林道ゲートに鍵をかけて厳重に管理しているところもあります。

 私が見た林道のゲートで一番すごかったのは、道南の上ノ国町の国有林のものです。ここではゲート自体がものすごく頑丈に造られています。そして鍵は露出しておらず、鋼鉄製のカバーがついているのです。ゲートや鍵を壊して入る人がいるということでしょう。ここには違法伐採の疑いが浮上して自然保護団体が現地説明会を申し入れて入ることになったのですが、こんな頑丈な鍵をつけているということは、よほど一般の人に勝手に入られては困る事情があるのでしょう。現に、その奥ではとんでもない違法伐採が行われていました。

 また、大雪山国立公園のタウシュベツの皆伐地ですが、この皆伐地を発見したときには林道のゲートは解放されていました。ところが、私たちが現地に入ってこの問題を指摘しマスコミ報道されると、森林管理署はゲートに鍵をかけてしまったのです。理由は危険だからとのこと。でも、危険と思えるところなどありません。とにかく鍵を借りないと調査になりませんので、鍵を継続して借りたいと申し出ると、毎週入林届を出し、その都度鍵を借りに来いというのです。森林管理署の近くに居住し、平日にも森林管理署に行ける人でなければ鍵を借りることは不可能です。これは自然保護団体に対する嫌がらせとしか思えません。この写真は鍵をかけたタウシュベツのゲートです。

P10002201

 ゴミの不法投棄を理由にゲートを閉めているところもあるようですし、山火事の多い春先だけは期間を決めてゲートに施錠している森林管理署もあります。季節に限らずあまり施錠していないところもあれば、いつも施錠しているところもあるようです。これまでの私の経験からするなら、林道のゲートを施錠するかどうかは管轄の森林管理署によってかなり判断が違うようです。

 話しが脱線してしまいましたが、遭難したツアー会社では入林届を出しておらず、しかも「緊急用に購入した」鍵で入っていたとのこと。緊急時に鍵を使ったわけではないのですから、とてもおかしな説明ですね。

 今回のツアーの一行が入山したチロロ林道では、降雨による土砂崩れの恐れがあったので閉鎖したとのことですが、「北海道夏山ガイド」(北海道新聞社刊)を見ると、この林道はゲートがあって事前に鍵を借りなければならないと書かれています。日高の場合は多くの林道に鍵つきのゲートがあるようですから、ゲートのある林道に入るのであれば入林届を出して鍵を借りるというのは当然のことなのです。

 一般の登山者は面倒でも入林届を出して鍵を借りるのに、ツアー会社がお客を募集して行っている登山で入林届も出さず、市販しているコピーの鍵を使って入っていたというのは驚きです。それに「入林禁止の看板を見落とした」というのも不自然です。普通は誰もが見逃さないように表示されているものですから。きちんと森林管理署に入林届を出していたなら、起きえなかった事故でしょう。

 今回の遭難騒ぎで、ツアー会社の杜撰さがまたも露呈してしまいました。それにしても、入林届の煩雑さがこうした安易な行動に結びついたという気もしないでもありません。

2010年8月 1日 (日)

女性自衛官のセクハラ裁判で原告が勝訴

 JANJANの記事このブログでも取り上げ 、私も二回ほど傍聴した女性自衛官のセクハラ訴訟の判決が、29日に札幌地裁で言い渡されました。原告の全面勝訴です。この日の裁判は傍聴できなかったのですが、報告が「女性自衛官の人権裁判を支援する会」のホームページに掲載されています。以下の「全面勝訴」という記事を参照してください。

http://jinken07.dtiblog.com/page-0.html

 この記事にリンクされている毎日新聞の記事が、いちばん詳しく報道しているようです。

 この裁判では、男社会である自衛隊の中で、このような悪質なセクハラが平然と行われ、それを告発しても誠意のある対応をするどころか、加害者を擁護して被害者に嫌がらせをするという自衛隊の実態が明らかにされました。損害賠償額は、加害男性の暴行による慰謝料200万円、監督義務を尽くさなかった上司らの処遇による慰謝料を300万円としており、雇用者の対応にも重きを置いた判断になっています。告発に対して退職強要をはじめさまざまな嫌がらせをしたのですから、当然の結論でしょう。

 加害者は、性的暴行について「合意の上だった」と主張していました。しかし、以下の原告の訴えの概要を読めば、これが合意などではないことは明白です。

http://jinken07.dtiblog.com/blog-entry-5.html

 セクハラ事件において加害者が「合意」などと主張するのは、セクハラという人権侵害行為を正当化する際の常とう手段です。「合意」であれば、不法行為ではなく人権侵害にはならないというわけです。

 しかし、原告女性は職場で既婚の上司から勤務中に性暴力を受けたのであり、これを合意だと主張するというのは呆れるばかりです。自衛隊という職場での権力関係によって、被害女性が上司の指示を断れない状況にあったのは自明です。何しろ、自衛隊の中では上司の命令には絶対服従ですから。

 セクハラ行為だけではなく、告発に対する職場ぐるみの嫌がらせに対し原告が果敢に闘ったこと、そしてその主張が裁判で認められたことは高く評価しなければなりません。自衛隊の男性優位体制と権力構造がよく分かる事件でした。国はこの判決を真摯に受け止め、職場環境を改善すべきでしょう。

 それにしても、日本という国は自衛隊に限らずまだまだ男性優位社会であり、女性の人権がとても軽視されていると感じざるを得ません。セクハラをめぐるこうした男性優位の社会体制については以下のサイトでも言及されていますが、これは男性の方たちには今ひとつ理解されにくいことなのかも知れません。

日常性に潜むジェンダー

  「女性を一個の人格のある存在としてではなく、単なる性的存在とみなしたとき、あるいは人格を認めないときにハラスメントは生じる」まさにその通りだと思います。

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