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2010年2月

2010年2月26日 (金)

自費出版図書館とリタイアメント情報センターの不可解な関係

 図書館といえばその多くは自治体などが運営する公共施設ですが、東京には自費出版の本を集めた自費出版図書館があります。この自費出版図書館は1994年に開設されたのですが、2002年にはNPO法人自費出版ライブラリーとなりました。運営の中心になっていたのは伊藤晋さんです。

 しかし、2009年になってこの自費出版図書館の運営体制が変わりました。NPO法人リタイアメント情報センターと提携したのです。

自費出版図書館

 リタイアメント情報センターについては、このブログのカテゴリー「共同出版・自費出版」 で何回か話題にしていますが、簡単に説明すると以下のような不可解なことがいろいろある団体です。

 副理事長である尾崎浩一氏は、ご自身が編集長をされていた「リタイアメント・ビジネス・ジャーナル」で新風舎を批判する連載記事を書きました(今はサイトがリニューアルされ、記事は削除されています)。尾崎氏は、ジャーナリストとして他にも雑誌などに新風舎を批判する記事を書き、テレビにも出演していました。また、「危ない!共同出版」という新風舎のみを批判した本も書いています。「新風舎商法を考える会」の設立や新風舎の集団提訴にも深く関わりました。ところが非常に不可解なことに、ほぼ同じ商法を行っている文芸社を批判することはありません。NPO法人リタイアメント情報センターでは「自費出版部会」を設置していますが、この部会では販売する自費出版のガイドラインを作成しました。その内容は文芸社がクリアできるものでした。そして、後に文芸社と日本文学館がそのガイドラインの賛同業者となりました。自費出版図書館を主宰していた伊藤晋さんは、その「自費出版部会」のメンバーです。

 要するに、メディアを利用して大々的に新風舎批判を展開した尾崎浩一氏は、新風舎を辛辣に批判し大騒ぎをしながら、文芸社の問題は取り上げようとしません。

 それでは、尾崎氏が批判しない文芸社が問題のない会社であるかといえば、とんでもありません。私がかねてからJANJANやブログで指摘している悪質商法をいまも続けています。そして、2008年7月にはJANJANに対し、私の記事が名誉棄損にあたるので削除するよう通知し、削除しなければ法的手段に訴えると脅しました。JANJANは記事を削除しませんでしたが、文芸社は訴えませんでした。都合の悪い記事を削除せよと、市民メディアを恫喝したのです。こういう会社をまったく批判しないのが尾崎浩一氏であり、自分たちのつくったガイドラインの賛同業者として認定しているのがリタイアメント情報センターです。

 自費出版図書館のホームページでは「自費出版相談室」を設けているのですが、そこをクリックするとなぜか「リタイアメント情報センター」に繋がります。また「ガイドライン」と書かれたところをクリックすると、これもまた「リタイアメント情報センター」に繋がります。

 以上のことから、自費出版図書館の運営にリタイアメント情報センターが乗り出したということが何を意味するのか、推して知るべしでしょう。NPO法人だからといって、頭から信用してしまうのは禁物です。

【リタイアメント情報センターの関連記事】

文芸社・新風舎の盛衰と自費出版(21)ガイドラインへの疑問

文芸社・新風舎の盛衰と自費出版(22)ガイドラインの社会的責任 

文芸社・新風舎の盛衰と自費出版(24)新風舎倒産の疑惑と批判できないマスコミの不甲斐なさ

2010年2月25日 (木)

登山の商品化に思う

 昨年7月に、大雪山のトムラウシ山で中高年の登山ツアー参加者8人が亡くなるという遭難事故が起きました。この遭難事故を受けて、日本山岳ガイド協会の調査特別委員会が事故の背景や原因についてまとめた最終報告書を公表したというニュースが流れました。

 今日の北海道新聞によると、報告書は「事故の責任は第一義的にガイドのミスとし、対応が後手後手に回ってパーティー全体を危険に追い込んだ」とし、主催者であるアミューズトラベルについて、「他社がコスト高などから撤退しているプランを、惰性的に継続するだけの安易な運営が行われてきた」、「旅行業界がツアー登山を観光の延長線上に安易に商品化していた面も事故の背景にある」と指摘しているそうです。

 これらの指摘は当然のことと思います。報告書でも指摘しているように、近年の「中高年登山ブーム」と、それに便乗した「登山の商品化」という背景を、私たちはもっと自覚しなければならないのではないでしょうか。

 「登山ツアーと百名山」にも書きましたが、「登山ツアー」などというものがない頃は、登山というのは基本的に個人あるいは登山仲間で組織したパーティーの責任で行うものでした。つまり、登山という行為は営利とは無縁の世界だったのです。

 ところが、中高年の間に登山ブームが巻き起こりました。若い頃から山に登っていたのではなく、中高年になってから山に登る人が急増したのです。そのような人たちをターゲットにして「登山ツアー」という商品が登場しました。会社が日程をセットし、ガイドが連れていってくれるのですから、一人では不安な人でも、交通が不便で個人では行きにくい遠方の山でも気軽に登ることができます。百名山ブームにも乗って、そのような登山ツアーが広まっていったといえるでしょう。観光ツアーの登山版です。

 しかし、登山は危険と背中合わせであり、危機管理が求められる行為です。お互いの体力や経験も知らない見ず知らずの人たちがパーティーを組むこと自体が登山という行為にふさわしいとは思えません。リーダーであるガイドも見ず知らずの人たちですが、ツアーに参加している以上、基本的にそのガイドの指示に従わなければなりません。観光旅行のような感覚で登山ツアーを企画すること自体に大きな疑問を感じざるを得ないのです。

 とはいっても、「登山ガイド」そのものを否定するつもりはありません。たとえば、個人あるいはグループが「ガイド」を雇って登山するということはあっていいでしょう。登山を計画した山域に不案内の人(あるいはグループ)が、その山域に精通したガイドを雇うとか、自然などの解説をしてくれるガイドを雇う、ということなら理解できます。しかし、いわゆる旅行会社の企画している「登山ツアー」というのは、このようなガイドとは異質です。トムラウシの事故でも、トムラウシに登った経験のあるガイドは一人しかいなかったというのですから、驚きです。

 今回の事故で痛切に感じたのは、登山という営利とは無縁だった行為に営利が入り込み、その結果として悲惨な事故が起こってしまったということです。山に登るという行為は、自分の体力に応じた計画を立てることや、交通手段を確保することなども含め、自分で責任を持つということが基本ではないでしょうか。それが面倒だ、あるいは無理だというのならあきらめるという判断も必要です。

 登りたいと思う山に登れなくても、生きていくのに何も困ることはありません。登山を楽しみたいのであれば、自分に合った登山をするべきなのです。のんびりと植物や写真撮影を楽しむ登山があってもいいし、山頂まで行かず体力に応じて引き返す登山があってもいいのです。商業主義の裏に潜む危険性をもっと自覚し、むやみにお金や利便性に頼ってはいけないということだと思います。

2010年2月24日 (水)

ネットでの匿名問題に思う(その3)

これまでの記事

ネットでの匿名問題に思う(その1) 

ネットでの匿名問題に思う(その2) 

 誰もが名前や所属などをある程度明らかにし、自分の発言に責任を持ってブログを書き、ブログ管理人にメールを送信できるようにしていれば、誹謗中傷や名誉棄損といった問題は生じにくくなるでしょう。また、もしそのようなことが生じたとしても、相手に修正や削除を求めることが容易になります。しかし、匿名が氾濫しているインターネット上では、常にコメントを利用した「嫌がらせ」や「荒し」、匿名掲示板などによる誹謗中傷や名誉棄損の問題がつきまといます。

 私はこれまでの経験から、コメントを利用した嫌がらせには大きく分けて2種類あると思っています。ひとつは、ブログ管理人とは関係のない、いわゆるネット右翼といわれるような方たちによる大量の書き込みです。少数派の意見に対し、匿名でよってたかって反対意見や批判の書き込みをし、時に「炎上」といわれる状態になります。その意見の多くはネット上で集めた情報です。2ちゃんねるなどで書き込みを呼び掛けることもあるようです。こうした書き込みをする人の多くは「憂さ晴らし」でやっているのではないでしょうか。心が病んでいます。

 もうひとつは、ブログ管理人に恨みや反感などを持っている人による、意図的な攻撃です。自分が批判されたことに対し、公の場で正々堂々と反論できない人物、裁判などで争っている相手方や関係者などによる嫌がらせです。管理人を疲弊させたり、信用を低下させることなどが目的なのでしょう。前者が「憂さ晴らし」による嫌がらせとすれば、後者は「恨み」による嫌がらせです。

 どちらにも共通しているのは、一人で複数のハンドルネームを使うことがしばしばあること、執拗に質問を浴びせる人がいること、決して自分の名前や所属を明かさないことです。ネットで集めた受け売りの知識をもとに管理人に質問をし、管理人がそれに返事をすると、それに対してさらにいちゃもんをつけるといった具合に、延々と続ける人物もいます。無視したり削除すれば、馬鹿の一つ覚えのように「質問に答えられない」と批判することしかできません。インターネットない時代には考えられなかった低俗で卑劣な行為です。

 しかし、冷静に考えてみればこんな連中を相手にする必要などまったくないことは明らかです。たとえば面識のない方に問い合わせをする場合、自分の名前や所属、連絡先などを伝えたうえで要件を申し出るのが常識です。それは手紙や電話でも、電子メールでも同じです。どこの誰かわからない相手からの質問や批判に答えるような人はいないでしょう。ところがこのような常識が崩されてしまったのがインターネットの世界です。コメントという公の場で、決して自分は傷つかない匿名を利用して執拗に批判や質問をすること自体が非常識であり「嫌がらせ」です。無礼な批判や質問などは削除されて当然のこと。そもそも、ブログのコメントは記事に対する感想や意見を寄せる場です。質問があるのなら名前や所属を名乗ったうえで直接メールすべきです。

 私のブログに批判的なコメントをされたある方(その方は自分のブログをリンクさせ、メールアドレスも知らせていました)にメールを送信したことがあるのですが、残念ながらお返事はありませんでした。コメント欄でかなり辛辣な意見を書かれるのに、非公開のメールでやりとりできないことが不思議でなりません。

 もちろん、批判的なコメントがすべて嫌がらせ目的ではありません。コメントに異論や反論を書くこと自体は構いませんが、少なくともブログ主を批判するのであれば名前や所属などを明らかにしたり、自分のサイトをリンクさせるのがマナーでしょう。返事を強要するなどというのは論外です。また、議論が平行線になれば、その時点で終わらせるというのもマナーです。どうしても公の場で自分の意見を主張したいのなら、自分のブログなどでやるべきです。

 自費出版業者の故渡辺勝利氏は、私のJANJAN記事を批判する連載記事をあるサイトに投稿しました。誤解と思い込みに満ちた記事でしたので、私は自分のブログに反論を書きました。科学者などが論文で論争することがありますが、それと同じです。コメントなどではなく、独立した記事で反論することこそ対等な議論というものです。

 ネットを利用した嫌がらせの最近の一例として、捕鯨問題を書いているカメクジラネコさんの例があります。「中村透」あるいは「toripan」などと名乗る人物が、ヤフーの匿名掲示板を利用してカメクジラネコさんの批判を展開しました。さらに、この人物はカメクジラネコさんのブログの「リンク集」に登録されているブログなどにも書き込みをし、私のブログ記事にも書き込みがありました。直接関係のない人まで利用して、他者の批判や情報操作をしようということなのでしょう。あまりにも卑劣な嫌がらせに対し、カメクジラネコさんは刑事告訴も検討されているようです。これについては以下を参照してください。

お知らせ(当ブログの主題と無関係です)

 批判や質問、嫌がらせコメントについては、対応に一定のルールを定め、IPアドレスの拒否設定をしたり(IPアドレスは必ずしも一定ではないのですべてに対応できるわけではありませんが)、削除することで対応するしかありませんが、あまりにも度が過ぎる場合は法的手段ということもあり得ます。こんなことが生じるのも、インターネットという環境があまりにも安易に匿名を使用する場だからでしょう。

 コメントのルールについて参考になるのが、「THE JOURNAL」です。

コメント投稿についてのお願い。 

 ここでは、投稿者について「投稿は原則として本名で行ってください。本名での投稿が難しい場合は、氏名として不自然でない名称でお願いします」となっているのですが、これに反したハンドルネームを使っている方が多数います。ルールを守れない投稿者の多さに、この国の人たちのモラルや責任感の欠如が反映されています。

 言論に責任を持たせるために、ブログの開設時に、プロバイダに実名や詳細な住所などの個人情報も登録するようなシステムにし違反者は削除する、掲示板などの投稿に厳格なルールを設けるなどの仕組みが必要だと思います。

 2ちゃんねるなどの匿名掲示板については、私はまったく関心がありません。もちろん重要な事実が書き込まれることもあるでしょうけれど、誹謗中傷や名誉棄損、情報操作の温床ともなる匿名掲示板は、益より害のほうが大きいと考えています。

2010年2月23日 (火)

ネットでの匿名問題に思う(その2)

前回の記事

ネットでの匿名問題に思う(その1) 

 私は、匿名でブログなどを書くことを否定するつもりは全くありません。たとえば仕事との関係でどうしても実名では書けないという方もいるでしょう。内部告発を目的としたサイトであれば、やはり実名を晒すことは困難です。また、単に趣味的な内容のブログであればあえて実名を出す必要性もないでしょう。実名で書くか、匿名で書くかは、基本的にはそれらのことを勘案して本人が判断することです。

 しかし、上記のような理由がなく、かつ社会的な問題や批判的な意見を書く場合はできる限り名前や所属を明らかにするほうが望ましいと思います。ところが、日本では不思議なことに一般の市民は「匿名が当たり前」という感覚が普通のようです。実名(芸名やペンネームも含む)でブログを書いている人といえば、芸能人やスポーツ選手などの著名人、ジャーナリスト、弁護士、議員、作家など、名前を出すこと自体が大きな意味をもっている方が大多数です。しかし、だからといって一般の市民は実名を出す必要がないということにはなりません。日本では、なぜ実名ブログが普及しないのでしょうか。

 私がブログを開設するに当たりとても不可解に思ったのが、ニックネームを登録するようになっていたことです。「実名で書くかニックネームで書くかを自分で決めて登録してください」と説明されていれば納得できますが、どうやらニックネームが基本なのです。実名で書くことにデメリットがあるのは事実としても、これではまるでブログ運営会社による匿名の押し付けです。しかし、そもそもブログというのは公開されることが前提です。公の場での発言に責任を持つのは当然のこと。新聞の投書などでも特別の事情がない限り名前を出すのが原則です。それにも関わらず、ブログの登録時に匿名が当たり前の設定になっているというのはおかしいとしか思えません。

 匿名で書くことのメリットとして「安全性」ということが言われます。確かにさまざまな事情により、身の安全性を重視して匿名にするのは分かります。しかし、「安全性」の上にあぐらをかいてしまうと、言論の責任が曖昧になりかねません。現実に、匿名ブログと実名ブログでは、一般的に後者の方が明らかに責任を意識した書き方がなされていると感じます。もちろん匿名ブログがいい加減ということではありませんが、匿名ブログには「言いたい放題」という感覚で書かれた記事や品のない記事もしばしば見受けられます。当然、誹謗中傷や名誉棄損といった問題も生じやすくなります。公の場で自分の意見を主張するということは、自分の言論に責任を負うことにほかなりません。ならば、できるかぎり堂々と意見すべきではないでしょうか。「安全」を重視すればするほど、責任問題はおざなりにされます。

 また、匿名による情報操作の問題があります。たとえば私は共同出版や自費出版に関する問題点や批判的な意見を多数書いています。ところが悪質出版社の名前で検索すると、悪質なことをやっている会社を、あたかも問題のない会社であるかのように紹介している匿名サイトが複数出てくるのです。その出版社の関係者が意図的に作っているのではないかと疑われます。そうであれば匿名を利用した悪質商法への誘導であり、極めて問題な情報操作ですが、一般の人にはそれを見分けることが困難です。そのサイトが信頼できるかどうかを判断する際、サイト管理者が特定できるかどうかは重要なポイントになります。

 匿名掲示板などもそうですが、インターネットでは匿名による情報操作がいくらでも可能ということになりかねません。そうした卑劣な行為を締め出すためにも、ブロガーはできる限り個人を特定できるような情報をある程度出すことが望ましいのではないでしょうか。

 私はブログを始めるときに、匿名で書くことは考えませんでした。著名人でもない一市民の私が名前や所属を公開していることの最大の理由は、責任の所在の明確化です。名前と所属を明らかにすることで、個人を特定することができるからです。また私は自然に関する記事も書いていますが、自然科学に関する話題も基本的に著者名を明らかにすべきだと考えています。論文はもとより科学読み物や科学エッセイでは著者名は非常に重要なものだからです。どこの誰が書いたものかわからず著者に問い合わせもできないのであれば、興味も信頼性も薄れます。

 また、自分のブログの「お気に入り」に入れるサイトについては、原則として管理人を特定できるものに限っています。もちろん、匿名ブログでも内容が充実しているもや信頼できるものは多数あります。しかし、どこの誰であるかを示して自分の言論に責任を負っているということは評価すべきことです。

 匿名で書くか、実名で書くかという問題は、情報を発信する側が「匿名による安全性」と「実名による責任」のどちらを選ぶのか、また情報を入手する側が「発信者のわからない情報」と「発信者のわかる情報」のどちらを信頼するのか、ということになるのではないでしょうか。

 それ以外の問題としては、いわゆる匿名による「嫌がらせ」や「荒し」、名誉棄損などの問題がありますが、これについては次回に書きたいと思います。

つづく

2010年2月21日 (日)

ネットでの匿名問題に思う(その1)

 少し前のことですが、あるブログのコメントで私のことについて以下のように書いている方がいました。

正直に書きますが、私は「正義」(とその人が信じているもの)を振りかざすことは好きじゃなくなりました。迎合するという意味ではありません。結局「正義」はもろ刃の刃。人を傷つけます。松田さんというかたがなさったことがきっかけで、深く傷ついた人たちを私はたくさん知っています。実は私もその一人。強すぎる「正義」は、想定外の相手まで斬り捨ててしまうことがあると、自らの体験で知りました。

 このコメントの「松田さん」というのは、前後の脈絡から私のことを指しているのは明らかです。このコメントを読んだときに、正直いって愕然としました。何に対して愕然としたかといえば、おそらく私が読んでいないだろうという前提のもとに、ブログのコメント欄という公の場で、匿名(ハンドルネーム)で具体的な根拠を説明せずに個人を名指しで批判していることです。

 この記述からは「私の行為がきっかけで多くの被害者を生んだ」というように読み取れます。まるで私が加害者であるかのような書き方ですが、何を根拠にそのようなことを主張されるのかが全くわかりません。

 あくまでも推測ですが、「松田さんというかたがなさったこと」というのは、私がJANJANや自分のブログで共同出版の問題点を指摘する連載記事を多数書いたことを指し、それらの記事がきっかけで新風舎が倒産し、多数の倒産被害者を出したということを指しているのではないかと思われます。

 そうであるなら、私にとってこの方の発言は名誉棄損ともいえるものです。私が共同出版の批判記事を書いた目的は、悪質出版商法の実態や問題点を多くの人に知ってもらい被害者を減らすこと、そして悪質な商法を行っている出版社に警鐘を鳴らすということです。私は文芸社や新風舎などの行っている共同出版について2005年の秋にJANJANに10回の連載記事を書きました。その記事では確かに集団訴訟のことも示唆しています。しかし、新風舎は軌道修正をするどころか事業の拡大路線をとりつづけました。この時点で軌道修正して会社の規模を縮小し、著者からのクレームに対して誠実な対応をしていたなら、おそらく倒産は回避できたでしょう。私は、反省することなくひたすら著者獲得を目指して暴走する新風舎の姿勢にさらなる危機感をもち、2006年秋から再度JANJANに連載記事を投稿しました。それでも軌道修正する姿勢は見られませんでした。

 また、新風舎の倒産に関連し、被害者らに集団訴訟をけしかけた人物に数々の不審点や疑惑があったこともJANJANやブログで指摘しつづけてきました。倒産が仕組まれたものであった可能性が極めて高いのです。私は倒産が多くの被害者を出すことが分かっていましたので、それを防ぐために水面下でできる限りの努力をしていました。新風舎の倒産は、批判を省みずライバル会社に対抗して無謀な拡大路線をとったこと、クレームに対して適切な対応をしなかったこと、そして集団訴訟を起こされマスコミで報道されことによる経営破たんです。私の書いた記事が倒産のきっかけになったというのなら、因果関係を示すべきです。因果関係について納得できる説明もないまま、批判記事を書いた私が加害者であるかのように書かれたのではたまりません。私の記事を読んで、悪質商法の被害を免れた方もたくさんいるはずです。

 この方は他の記事のコメントでご自身が書籍編集者であることを明かしています。書籍編集者は名誉棄損について常に留意しなければならない立場です。このような方が、場合によっては名誉棄損にあたるようなことを匿名で書いたことに対し、私は愕然としたのです。

 私は、ブログなどで時として公人のみならず私人の批判を書くことがあります。だからこそ、自分の名前や所属などを明らかにすることで責任の所在を明確にしています。誤ったことや不適切なことを書いたのであれば、訂正もします。また、私に直接連絡がとれるように、ブログからメールを送信できるようにしています。ですから、私に対する批判も責任をもって書いてほしいし、意見があるなら直接伝えてほしいのです。

 私は、この方のコメントを読み、以下のようなコメントを書き込みました。

こんにちは。わたしがしたことであなたを傷つけてしまったとのこと。だいたい察しはつきますが、もし差し支えがなければ直接メールをいただけたら嬉しく存じます。傷つけてしまったのであればお詫びをしなければならないと思いますし、事実関係も確認しなければなりません。私はあなたの発言に共感するところも多かったので、このような公の場で陰口のように書かれるのはとても残念です。私が「正義」を振りかざしているとお考えのようですが、私は「正義」という言葉は好きではなく、ほとんど使ったことはありません。正義など、その時の社会情勢によっていくらでも変わるものです。そんなものを振りかざすなどというのも大嫌いです。あなたは何か誤解をされているように私には感じられます。私は容子さんと同じように、自分の良心に従って発言し行動しているだけです。言いたくなくても言わなければならないことが時にはあります。

 これに対し以下のような謝罪のコメントがありました。

投稿がかちあったようで、びっくりしました。結果的に「陰口」のようになってしまったことについては、お詫びいたします。ただ私は、自分の良心に従って発言し行動して、言いたくないことも言っている行動そのものが、他者にとっては「正義をふりかざす」行為に見えることもあると思います。これは松田さんに対してというわけではなく、市民運動のような活動そのものに感じることです。それは、自分自身を振り返って反省していることでもあるのです。松田さんとお会いすることができればいいなぁと思いますが、遠いですよね。残念。折を見て、直接メールをお送りしたいと思います。でも、その流れによって結果的に起きたことですので、事実関係の確認というようなこととは違うかもしれません。取りざたされたことは事実としてあっても、違う側面もたくさんあること、それによっていわゆる被害者がさらに莫大な被害をこうむる結果となることを知りました。「正しい」ことは、むずかしいです。いずれにしても、ここでの私のコメントには不愉快な思いを抱かれたことでしょう。申し訳ありませんでした。

 この返事に対し、私は以下のようなコメントを返しました。

丁寧なお返事ありがとうございました。私もあなたにお会いしてお話できたらいいなあと思いますが、遠くて残念です。あなたがおっしゃるように、自分がそうすべきと思ってやっていることが、他者にとっては「正義をふりかざす」行為に見えることは確かにあるでしょうね。自分の意見を主張すればするほど、そう見えるのかも知れません。とても難しい問題だと思います。あなたのおっしゃる「違う側面」についてのご意見も、ぜひお聞かせいただけたらと思います。メールをいただけるのをお待ちしています。

 残念ながら、10日以上経った今もメールはありません。

 おそらくこの方は、ご自身のコメントが名誉棄損に当たるかも知れないという認識はなかったのでしょう。しかし、たとえブログのコメントといえど、全世界に公開している場なのです。個人を特定して批判するのであれば、責任が生じます。ブログのコメントという場に対する認識の甘さのようなものを感じざるを得ません。

 もしこの方が自分の所属や名前を明らかにしたうえでコメントを書かれているのであれば、このような書き方をしたでしょうか? 私はもう少し、書き方が変わっていたのではないかと思えてなりません。そこに匿名の無責任さが潜んでいます。

つづく

2010年2月20日 (土)

検察とマスコミの裏側

 民主党の小沢一郎幹事長をめぐる政治資金の問題では、検察の暴挙ともいえるやり方への批判があちこちで噴出し、検察リークとマスコミの問題が露呈しました。この検察リークについて、ジャーナリストの魚住昭氏が、ご自身の経験に基づいた大変興味深い記事をご自身のサイトに掲載しています。

検察リークについて思うこと

 この記事を読むと、検察という組織が特ダネのほしい記者を利用して巧みにマスコミを操っているのかがよくわかります。魚住さんは、検察の罠にはまってしまった記者は「共犯関係」に陥ってしまうといいます。そして、「捜査当局に依拠する事件報道は当局の太鼓持ちをするように宿命づけられている」といいます。そういう目で見ると、今回の小沢幹事長の事件に関するマスコミ報道から、検察の意図がより鮮明に見えてきます。

 最近明らかになりつつあることで、やはり検察の暴走としか思えないのが、元厚生労働省局長の村木厚子さんの逮捕と起訴。1月から裁判が始まっていますが、村木さんは起訴内容を全面的に否認して無罪を主張しています。それが事実であるなら、逮捕・起訴の背景には検察による意図があったということです。村木さんが逮捕・起訴されたときのマスコミの報道はいったい何だったのでしょうか。独自調査をせずに捜査機関のリークに頼った記事しか書かないのであれば、無責任の極みであり、むしろ有害です。しかし、そんなことにも気づいていない記者も多いのでしょう。

 魚住さんは、1997年に「特捜検察」(岩波新書)という本を書かれているのですが、実はその本のあとがきで「戦後の高度経済成長下で肥大化し、腐敗してきた日本の官僚機構の中で、特捜部は利権の手垢にまみれなかった稀有な組織だと思う」と書いています。しかし、検察の裏金を告発しようとして逮捕・起訴されて刑に服したのが元大阪高検公安部長の三井環さんです。三井さんは1月18日に刑期を終えて出所されたのですが、これからまた果敢に検察批判を展開するようです。

三井環・元大阪高検公安部長が18日、満期出所。さっそく検察批判を。

 警察のみならず検察という組織も利権にまみれており、自らに都合の悪いことを封印するためには何でもやり、またマスコミを巧みに操って情報操作をしている恐るべき組織ということでしょう。日本のマスコミが検察リークに頼っている限り、こうした検察の不正や暴挙は見えてこないのです。

2010年2月17日 (水)

グリーンピース職員の逮捕は人権侵害

 国連人権理事会の「恣意的拘禁に関するワーキンググループ」が、青森県の運送会社から鯨肉を持ち出たグリーンピース・ジャパンの職員二人の逮捕・拘留は、日本も採択している世界人権宣言に違反する人権侵害であるとして、日本政府に伝えていたそうです。鈴木さんの裁判でのスピーチによると、二人の逮捕のために公安警察38名、青森警察署37名、計75名もの警察官を動員していたとのこと。凶悪事件で逃走している人の逮捕ならわかりますが、逃走の恐れもない人たちに対してこんな大掛かりなことをしたのですから、不可解ですね。国連人権理事会が人権侵害とするのももっともでしょう。

国連人権理事会ワーキンググループ、日本政府に厳しい判断 

 グリーンピース・ジャパンの鯨肉持ち出しに関する裁判は15日に初公判が開かれましたが、以下に報告が掲載されています。

鯨肉裁判初公判「土産」の矛盾と調査捕鯨の不正隠ぺいが明るみに 

佐藤さんと鈴木さんの裁判でのスピーチ 

星川淳事務局長の初公判雑感 

 これらの一連の記事を読むと、グリーンピースが追求している鯨肉の横領疑惑を、捜査機関が必死に隠そうとしての逮捕であったことがよく分かります。初公判の尋問で、共同船舶の幹部が私用のための塩蔵鯨肉を作っていることを認めたとのことですが、今後の裁判の中で横領のシステムが明らかにされていくのではないでしょうか。

 マスコミは初公判のニュースは伝えましたが、その中身は国民の知りたいことが伝えられているとは思えない内容です。とりわけ、国連人権理事会の意見についてはろくに報じていないのではないでしょうか。なんとも不思議な国です。

 以下はヤメ蚊弁護士のこの裁判に関する記事です。ご参考まで。

グリーンピース「横領」鯨肉「窃盗」事件は最高裁基準によれば無罪~市民の知る権利を軽視してはならない

2010年2月16日 (火)

国母和宏選手の服装問題に思う

 スノーボード・ハーフパイプのオリンピック日本代表である国母和宏選手の服装が批判を浴びましたが、国母選手の所属する東海大学札幌校が応援会を中止したとのニュースを聞き、大学の対応にいささか呆れました。

 国母選手が選手団のユニホームでネクタイを緩め、ジャケットの裾からシャツを出し、ズボンを腰まで下げていたことの評価は人それぞれでしょう。「だらしがない」という見方もあれば「かっこいい」という意見もあると思います。とくに、若い人たちには意図的に崩した格好をするのは、それほど違和感のあることではないかもしれません。

 国母選手の服装は、統一感を重視するユニホームの集団行動では、やはりふさわしい格好だとは思いません。しかし、彼にとってはおそらくそのような感覚がなかったのでしょう。ハーフパイプの選手たちの間では、ズボンを腰まで下げるような着方が当たり前のようです。彼らにとっては、あのような着方こそ格好がいいのですし、ユニホーム感覚なのかもしれません。国母選手は、それを頭から否定されたことに納得のできないものがあり、記者会見(私は見ていないのですが)の態度にその気持ちが出たのではないかという気がしました。

 しかし、どう考えても「服装問題」と「オリンピックへの参加」は別のことです。開会式への参加まで止めさせる必要があったのでしょうか。ユニホームや集団行動についてきちんと話し合いをしたうえで、ルールを守るという条件で参加させてよかったのではないかと思います。ところが東海大学は応援会まで中止しました。世間の風当たりを気にしたのか、厳格さを求めたのか分かりませんが、物事の本質を取り違えたような大人げない対応です。

 個人的な意見を言うなら、私はあのような着方は好きではありません。ズボンを腰まで下げたり、穴のあいたボロボロのジーンズをはいたり、あるいはリュックサックの肩ひもを伸ばして背負ったり…。こうした若者の姿はどうしても好感を持てません。もっとも、どんな着方をするかは個人の自由の範疇ですし、他者をひどく不快にさせなければとやかく言うつもりもありません。しかし、彼らの服装が個性的であるとは決して思いません。

 彼らが好んでそのような格好をするのは、おそらく仲間意識からくるのでしょう。以前流行った女子高生のルーズソックスのようなものです。心から格好がいいとか、自分に似合うと思ってやっているのではなく、仲間同士の連帯感を意識しているのではないでしょうか。

 おしゃれとは何でしょうか? 私はファッションというものにトンと興味がないのですが、たとえばブランドものの服を着たり、流行っている格好をすることが「おしゃれ」ではないはずです。また、個性的な服装というのも決して他人と違う奇抜な格好をすることではありません。服装は、個人の感性の現れです。本当におしゃれな人は、ブランドや流行にとらわれず、自分にとってしっくりとくる色やデザインの服をさりげなく身につけるのではないでしょうか。そういう着こなしは、不思議なことに他者が見ても違和感がありません。人の内面から醸し出されるものが、身につけるものにも自然に反映され、心地よさを感じさせるのでしょう。

 サハリンや北欧に旅行したときも、センスのいい服装をしている人たちが多いと感じました。日本人は自分に合った服装でおしゃれを楽しむことより、他者の視線や評価を意識しすぎているのかも知れません。厳冬期のミニスカートやホットパンツ姿も、寒さから身を守るという衣服の機能を無視した装いであり、雪景色には不釣り合いとしか映りません。単に流行に乗っただけの服装には、心地よさを感じないものです。

 ユニホームならユニホームとしてふさわしい着方があります。個性的な服装を楽しむのはいいのですが、それは私服でやればいいことです。今回の彼の服装や態度に関しては、一般の人たちからの苦情や批判が殺到したからといって一方的に処罰的な対応をするのではなく、もっと本人と話しをしてルールを理解してもらう必要があったのではないかと感じました。なんとも後味の悪さが残りました。

2010年2月15日 (月)

強制と自主性―四茂野氏のホロウェイ論を読んで(1)

 少し前からとても興味深く読んでいるサイトがあります。ジャーナリストの魚住昭氏の主宰するウェブマガジン「魚の目」に四茂野 修氏が連載で執筆している「ホロウェイ論」です。四茂野氏はジョン・ホロウェイの書いた「権力を取らずに世界を変える」という本の訳者のお一人であり、この連載はその本についての解説です。そこで、この論考を読みながら感じたことなどを書いてみたいと思います。

 連載の一回目、「ジョン・ホロウェイ『権力を取らずに世界を変える』その1」では「する力」と「される力」について語られています。ホロウェイはこの世界には「させる力」すなわち他者による強制的な力と、「する力」すなわち自分の内から発する力の二種類があると言います。権力者による「させる力」によってひどい目にあわされてきた民衆は、人々が尊重し合って協力して生きていける社会を夢見てきました。20世紀の革命家は、自分たちが国家権力を握ることで「させる力」をふるう権力を取り除こうとしました。しかし、「させる力」を取り除くために「させる力」を行使したなら、やはり上下関係が生まれ、内部から自己崩壊していきます。ホロウェイは、「させる力」に依存することに、大きな問題があると指摘します。

 このホロウェイの主張はとても大事なことではないでしょうか。私たちは日ごろ、何かをするときに「させる力」によって動いているのか、「する力」によって動いているのかを、どの程度意識しているでしょうか。人は、自らの意志や考えに基づき、行動することによって充実感や満足感を得ることができます。しかし、強制的に押し付けられたことにやりがいや充実感を得ることはあまりありません。精神的な豊かさとは、もっぱら「する力」によってもたらされるのではないでしょうか。社会の中で「する力」より「させる力」の方が幅をきかせていたなら、やがて不平や不満が広がっていくでしょう。他者の指示に従うのではなく、自らの意志による行動がない限り、格差のない平和な社会の構築などできないのではないかと思えてなりません。

 今、日本の社会は失業者が溢れ、最低限の生活も保障されないような恐るべき状況になっていますが、「させる力」によって使い捨てのように酷使されてきた労働者が、自らの「する力」を発揮するようにしていかなければ、この社会を変えることはできないのかも知れません。

 「する力」すなわち自主性と「させる力」すなわち強制の問題は、労働に限ったことではありません。たとえば「学ぶ」ことにおいても同じことがいえるのではないでしょうか。私は子どもの頃、学校での勉強が面白いと感じたことはあまりありませんでした。もっとも全ての授業が面白くないというわけではなく、たまに楽しみな授業もありました。そのような授業はきまって教師の教科に対する思い入れが強く伝わってくるような内容でした。生徒の主体性を重んじ、知ること、考えることの楽しみを発見できる授業であれば、教師と生徒が「知ることの楽しみ」を共有できるのです。しかし、今はそんな個性的な授業のできる教師は果たしてどれ位いるのでしょうか? 教育指導要領にがんじがらめになった学校は、生徒の学びの主体性が薄れ、強制的に勉強を教え込む場となり果てています。

 私は現在の教育現場の実情はほとんど知りませんが、少なくとも私の子ども時代と比べてさまざまな点で悪化しているのは確かでしょう。いじめの多発や不登校も、それを物語っています。知識の押し売りのような授業をし、テストで競わせることを強いたなら、学校は子どもたちにとって競争の場でしかありません。級友は競争相手であり、いやがおうでもライバル意識を植え付けられ、階層化が生じるでしょう。

 今、私たちを支配しているのは圧倒的な「させる力」です。「させる力」の陰で「する力」は瀕死状態になっているように感じられます。「させる力」に抗い、「する力」を強めていくことが、あらゆる場面で求められているように思います。

つづく

2010年2月13日 (土)

悪夢のようなランドラッシュ

 一昨日のNHKスペシャルのテーマはランドラッシュでした。ランドラッシュとは、2年前の食糧危機に端を発した農地の争奪戦のことです。近年、食糧を輸入に頼るのではなく、海外に農地を確保して食糧危機に備えようという流れが広がってきています。

 現在およそ68億人の世界の人口は、2050年には90億人に膨れ上がると予測されているそうですが、そうなれば深刻な食糧不足に陥ります。とりわけ人口が急増しているインドなどでは、食糧危機は深刻な問題です。中国・韓国・インドなどがランドラッシュに積極的で、ロシアやウクライナ、アフリカなどで農地の争奪戦が繰り広げられています。

 しかし、タンザニアではランドラッシュによって政府が農民に立ち退きを要求して農民が抗議し、マダガスカルではクーデターに発展するなど、さまざまな軋轢も生じています。

 日本の場合は「自国の自給率を上げるべき」という声が強いとのことで、ランドラッシュへの方向性ははっきりしていないそうです。それはそうでしょう。耕作放棄地がたくさんある日本が、なぜ海外に農地を求めなければならないのでしょうか。自国の食糧を自国で生産するということは、ごく当たり前のこと。大豆も小麦もトウモロコシも日本で作れる作物です。

 このように闇雲に海外の土地を漁るという状況に、危ういものを感じざるを得ません。地球上の土地は有限なのに、農地を拡大して人口増加に対応するなどという発想は限度があります。限られた面積の地球で、人類という自然を破壊し汚染物質を垂れ流しにする生物がどんどん増殖していったなら、自滅に向かうしかないでしょう。食糧危機への対策としては、まずは中国のように人口の抑制策を考えるべきではないでしょうか。

 もうひとつ、非常に懸念されるのはランドラッシュのように企業が農業経営をすることの弊害です。企業が農業に参入したなら大規模化、経営の合理化が目に見えています。農薬や化学肥料の大量使用、遺伝子組み換え作物の導入が進むでしょう。環境面でも健康面でもマイナスでしかありません。農業は自然と密接に結びついており、自然のサイクルを乱すような農業をやっていれば、かならずそのしわ寄せが自分たちに返ってきます。

 2月7日付けの北海道新聞に「受胎率低下 経営を圧迫」とのタイトルで、酪農の大規模化が人工授精の受胎率の低下を引き起こしていることが報じられていました。配合飼料によって一頭の乳量は20年前と比べて3割以上増えたそうですが、その一方で受胎率の低下による損失が大きくなっているそうです。

 乳製品のパッケージに乳牛が青々とした牧場で草を食む光景が描かれていることがありますが、北海道に住んでいても、近年はそのような光景を見ることはほとんどなくなりました。大規模化すると、牛を牛舎に閉じ込めて配合飼料を与え、乳を出す機械ででもあるかのように扱わざるを得なくなります。これでは牛もストレスが溜まり、栄養不足にもなるでしょう。品種改良なども受胎率の低下につながっているそうです。酪農家は設備投資で莫大な借金を抱え込み、経営面でも決して安泰ではありません。こういうやり方は限界にきています。

 日本でも企業が農業に参入しはじめていますが、利潤を追い求めるだけのやり方は、自然を相手にする農業には通用しません。ランドラッシュで土地を奪い合う人々の光景は、まるで悪夢でも見ているようで背筋が寒くなりました。

2010年2月11日 (木)

奨学金という借金を抱える学生

 今日の北海道新聞に、「仕送り0学生10%超す」という記事が掲載されていました。記事によると、仕送りを受けていない下宿通学(親元を離れてアパートなどから通学)の大学生の割合が10.2%に達したとのこと。仕送り額が5万円未満の下宿生も22.7%で、毎月の仕送り額の平均は7万4060円なのだそうです。

 場所にもよりますが、アパートの家賃だけでも4~5万円はするでしょうから、7万とか8万の収入では生活ができません。アルバイトや奨学金に頼らなければとてもやっていけないのが多くの下宿通いの大学生の実態です。親元から通えるところに希望の大学があればいいのですが、地方に住んでいたらどうしても下宿や寮生活にならざるを得ません。都市と地方では大きな教育格差が生じています。

 私の知人で昨年息子さんがある私立大学に入学した方がいるのですが、仕送りはゼロだと言っていました。学費は親が支払っているようですが、生活費は全額アルバイトと奨学金で何とかしているそうです。4年間で何百万円も奨学金を借りることになるといいます。息子さんが入学する前にそのような話を聞き、私は正直いってかなり驚きました。「それじゃあ卒業と同時に借金地獄になるでしょ。本人はそのこと理解しているの?」と聞くと、「そういうことも計算させたから理解しているはずだし、本人の希望だから・・・」とのことでした。この話に、なんだか溜め息が出てきました。

 上記の記事によると、下宿生の収入合計は12万5580円とのことですから、それ位の生活費がかかるということでしょう。アルバイトの収入が月額数万円あったとしても、仕送りがゼロならかなりの奨学金をもらわなければやっていけません。仮に年額100万円(月額約8.3万円)の奨学金を受給したら4年間で400万円にもなりますし、返済時には利息もつきます。正社員として就職できても、返済はかなりの重荷になるはず。いったい何年で返せることか。もし卒業しても就職できず、フリーター生活になれば大変なことになるのが目に見えています。この就職難の時代に、しかもまだ20代の前半から借金の返済に追われることにもなるでしょう。

 私も日本育英会の奨学金をもらっていましたが、あの頃は受給金額もそれほど多くはなく、無利子でしたから返済はそれほど大変ではありませんでした。でも、今は受給金額のケタが違います。

 かつてはアルバイトで生活を支えて頑張っている学生を「苦学生」といいましたが、いまはアルバイトだけではとても足りずに奨学金頼りです。しかし、20代で多額の借金を抱えてしまうような状況はとても正常とはいえません。教育制度などの改革をしないと、とんでもないことになるのではないでしょうか。

2010年2月10日 (水)

銭函海岸の風力発電計画を考える(その4)

前回の記事

銭函海岸の風力発電計画を考える(その3) 

 2月6日に小樽市で開催されたシンポジウム「銭函自然海岸の貴重さと保全の重要性」の報告が、銭函海岸の自然を守る会の後藤言行さんより送られてきました。私は参加できなかったのですが、報告でおおよその内容を知ることができました。多くの方に知っていただきたいと思いますので、転載して紹介します。

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シンポジウム 「銭函自然海岸の貴重さと保全の重要性」実施報告

                               銭函海岸の自然を守る会

1. 日 時 : 2010年2月6日(土) 14:00~17:00

2.会 場 : 小樽市 生涯学習プラザ (小樽市富岡1-5-1)

3.参加人数: 最多時50名(出入り、延べ人数は不明)

4.発言内容:

(1) 小林英男氏(北海道昆虫同好会、日本鞘翅学会)「石狩湾の海浜地帯における昆虫たち」

 (標本の提示とスライドで) 昆虫などは食草に依拠しており、当然、生活環境の制約を受けるので、海浜性の昆虫は想像以上の多様性に富む。汀線に最も近いハマニンニクが食草であるフルショウヤガからハマナスの花につくカタモンコガネ、カシワ林に生えるニシキギ科につくキバラヘリカメムシまで、多様な環境に対応して狭い範囲にたくさんの種が棲んでいる。また、流木の多い浜にはクワガタの類もいるし、後背湿地にはトンボ類、ミズカマキリ、オオコオイムシやゲンゴロウ類などが棲んでいるが、この中には絶滅危惧種も多い。後背湿地は、全国的に湿地や池沼が減少している中で貴重な位置を占めている。

 これらの多彩な昆虫相は、例えば草原湿地で採集されるゴマシジミの幼虫が湿地に生えるナガボノシロワレモコウを食草としているように、植物相と互いに生育・生活圏を重ね合わせており、ある種だけ、ある環境だけを保全したとしても生存を保障できるものではない。つながり合った自然をまるごと残すことが大切なのである。

(2) 梅木賢俊氏(日本野鳥の会小樽支部)「銭函海岸の野鳥」

 銭函海岸は砂浜が主であるが、北海道の野鳥434種の37.6%にあたる40科163種の野鳥が観察されている。銭函の野鳥を環境別に分けてみてみると  ①海域、河川域(新川、星置川)、新港西端の人工干潟、沼地…11科55種:オジロワシ、オオワシなど絶滅の恐れのある種(絶滅危惧ⅠA類、絶滅危惧ⅠB類、絶滅危惧Ⅱ類、準絶滅危惧及び「種の保存法」に基づく国内希少種)7種。  ②汀線~砂浜…9科39種:シギ・チドリをはじめ野鳥の重要な採餌場。ハヤブサなど絶滅の危惧5種。  ③砂丘草地、後背湿地…17科35種:チュウヒ、アカモズなど絶滅の危惧6種。  ④カシワ林…17科34種:準絶滅危惧、国内希少種のオオタカがいる。  各環境は、種によっては営巣・採餌・休息の場として相互に利用されているが、干潟の生成が貧弱な日本海側において、銭函海岸は旅鳥のシギ・チドリの貴重な採餌・休息地である。

 オーストラリアと行き来しているトウネン、ミユビシギや、銭函で標識放鳥したショウドウツバメがベトナムで確認(日本初記録)されたように、銭函海岸の喪失は日本だけの問題ではなくなる。

(3) 松島肇氏(北大大学院農学研究院) 「銭函海岸は役に立たない荒地か?保全が求められる理由」

 日本各地の砂浜海岸の変遷を古い航空写真(例えば米軍の撮った)と重ねてみると「開発」の名のもとにいかに壊されてきたのかが分かる。日本の代表的な海岸風景である「白砂青松」のクロマツですら植林したものである。そのなかで大都会・札幌の至近距離にありながら、自然砂浜海岸の特徴である成帯構造(汀線~砂浜植物~砂丘植物~後背湿地~後背林)をきれいに残している海岸は、きわめて貴重なものである。

 環境省は植生自然度を1~10のランクに分けるが、最高の10にランク位置づけられる自然草原は、高山帯のお花畑か、ここ銭函海岸で見られるような海岸草原くらいである。

 生物たちと環境が織りなす生態系は複雑に関連しあっており、部分的な環境を残すだけで保全されるものではない。砂丘上にはイソコモリグモのような希少種もいるが、稀少種でない普通の海岸植物へのダメージは砂丘の崩壊・消失を引き起こし、生物多様性や生態系そのものの崩壊へとつながる。食草のハマボウフウの激減が送粉者のキアゲハを減らし、エゾスカシユリのクローンの増大=遺伝子多様性の危機に直結している。

5.ディスカッションとまとめ

 フロアからの発言で「札幌の昆虫」(北海道大学出版会)の著者である木野田君公氏が、銭函4~5丁目地区で採集された希少昆虫種などについて報告した。終了時間が切迫している中でもっと話を聞きたかったし、討論ももっと深めたかったが残念であった。

 質問に応じて昆虫関係のパネリストが変更になった経緯をコーディネーター・後藤言行が説明した。本人や上司の博物館長の意思とは別に「もっと上のほうから」禁止の職務命令が出たとのことである。

 今回は砂浜海岸の生態系に焦点を当てたシンポジウムとなったが、1回だけで終わらせることなく、次回、3回目は「風力発電そのものの光と影」「健康被害」「地質・植物・動物のつながり…リレートーク的に」などをやりたいとアイディアが出されているので、ぜひ実現したいものだと思う。

2010年2月 9日 (火)

沙流川を破壊したダムの歴史

 2月7日に放送されたNHKのETV特集「あるダムの履歴書」は、沙流川に建設された二風谷ダムと、支流の額平川に建設が予定され現在凍結状態になっている平取ダムについての番組でした。勇払原野に計画された石油コンビナート、つまり「苫東」への工業用水の取水を目的として計画された二風谷ダムと平取ダムの建設が、苫東計画の失敗によって目的を失ったにも関わらず、またアイヌ民族の反対にも関わらず、押しすすめられた歴史、そして二風谷ダムの建設により清流が失われた沙流川の姿が描きだされていました。

 番組の中心に据えられているのは、アイヌの聖地としての沙流川流域の自然です。雪が少なく比較的温暖な二風谷は、古くからアイヌの人たちが住んでいました。二風谷のアイヌの生活についてはイザベラ・バード著、高梨健吉訳「日本奥地紀行」(平凡社)にも登場します。そのアイヌ民族の聖地であり、豊かな食べ物をもたらしてきた沙流川をせき止めてダムを造る計画は、彼らにとって容認しがたいものだったのです。日本人はアイヌ民族の権利を取り上げ、差別し、さらに聖地までをも壊す計画を打ち出したのですから。

 アイヌ民族の故萱野茂さんと、故貝澤正さんの起こした訴訟では、アイヌを先住民族として認め、ダムを違法とした画期的な判決を勝ち取りましたが、ダムの撤去は認められませんでした。そうやって完成した違法な二風谷ダムは、今ではその半分が土砂で埋まり、治水の役割も果たせなくなりつつあります。

 番組で印象に残ったことがいくつかあります。まず、北海学園大学の小田清教授らの調査団の報告書です。小田教授らの独自の調査による報告書では、ダムの堆砂の検討が不十分であり、二風谷ダムは危険きわまりない利水ダムで、25年で土砂に埋もれると結論づけられたそうです。そのような報告を無視して北海道開発局は建設に邁進しました。

 また、二風谷ダムの流域住民の「ダムができてから、水害が増えた」という発言も、ダムが治水の役割を果たしていないことを物語っていました。

 2003年の台風では大量の流木が二風谷ダムを埋めたのですが、その発生源について、石城謙吉氏のコメントも重要なものです。石城氏は、この時の流木の大半は生木ではない、つまり河畔林が流されたものではなく、乱伐によって山に放置されていたものなどが大雨によって流出したのであろうと語っていました。大量の木を伐採して放置してきた林業のつけだと言います。流域の森林をもっと大切にしていたら、これほどまでの流木は発生しなかったのでしょう。

 水害の多発、水質の悪化、ダムを埋め尽くす堆砂、アイヌの人々の聖地の破壊…。多くのものを失って造られた二風谷ダムは、いったい何をもたらしたのでしょうか? 二風谷ダムは、もはや撤去すべき存在です。この愚行を省みずさらに平取ダムを造ったなら、現状をより一層悪化させるだけでしょう。

 平取ダムは政権交代によってようやく凍結になりましたが、その影には地道に反対運動をしてきた市民の力があります。

 目的を失っても、アイヌ民族の反対を受けても、裁判に負けても、建設の論理が破たんしていても、何としてでもダムを造ろうとする政治的な背景、そして今も粘り強く反対運動を続けている人たちの姿も取り上げれば、より真に迫る番組になったと思いました。

2010年2月 8日 (月)

オオモンシロチョウの幼虫ダンス

 昨年の秋、新得で有機農業をされている宇井さんから、「オオモンシロチョウの幼虫が音に反応するんだけど、どうしてか分かりますか?」と聞かれました。オオモンシロチョウは大陸から日本に入ってきたチョウで、幼虫は集団で作物を食い荒らします。無農薬栽培をしている農家にとってはなかなかの厄介者。

 チョウの幼虫が音楽にあわせてダンスをするなどという話は初めて聞きましたので、とても不思議に思ったのですが、宇井さんがその動画をYOU TUBEにアップされたので、紹介します。ウクレレの音に合わせ、頭をピョコピョコと上げて踊りますよ~。

 なぜ音に反応するのか、どなたかご存知でしたら是非教えてください。

2010年2月 7日 (日)

士幌町「富秋地区」の国営かんがい排水事業の中身

 十勝自然保護協会が説明を求めていた、士幌町および音更町(十勝地方)の「富秋地区」に計画されている「国営かんがい排水事業」について、昨日、北海道開発局帯広開発建設部から説明がありました。国営かんがい排水事業といえば、昨年の事業仕分けでやり玉に挙げられ予算が削減されましたが、これから実施予定の事業もあります。

 帯広開発建設部の説明によると、富秋地区では比較的排水条件が良いところであるが、近年の降雨量の増加、ゲリラ豪雨などによりたびたび湛水被害や加湿被害が発生するために、3本の排水路を整備したいとのこと。しかし、予定地にはニホンザリガニなどの希少種が生息しているために、工法などを検討し、地域住民などの意見を聞きながら進めたいとのことでした。つまり、比較的排水の良いところだったので、これまでは排水事業は行われていなかったが、近年の雨量の増加で被害が増えた。そこで、段丘崖の縁を流れる既存の小川(開建は排水路と称していた)を掘り込んで大々的に改修し、排水路にしたいというわけです。

 「ゲリラ豪雨」、便利な言葉ですね。十勝川の河川整備計画の公聴会でも、しばしばこの言葉を聞きました。地球温暖化で「ゲリラ豪雨」が増え、危険だから治水工事をしっかりせよ、というわけです。

 さて、その費用を聞いて驚きました。3条11.2キロメートルの排水路の概算総事業費は46億円です。負担区分は、国が80パーセントの36億8千万円、北海道が15パーセントの6億9千万円、地元が2億3千万円です。受益農家戸数は54戸。単純計算では農家一戸あたり約8500万円を投じることになります。もっとも54戸のすべての畑に被害が発生するわけではありません。

 また、施設の耐用年数はおよそ40年を見込んでいるとのこと。1年当たりにすると1億1500万円になります。湛水や加湿による被害が毎年発生するわけではありませんから、これだけの事業費を投じるのであれば、被害額を補償したほうがよほど安くすむでしょう。

 費用対効果を計算していないということでしたが、こんな数字では、費用対効果の数値が「効果がある」という1.0以上になることはないでしょう。国は、こういうことを国民にほとんど知らせることなく、「かんがい排水事業」に多額の税金を投じてきたのです。

 配布資料には具体的な降雨量や被害状況が書かれていないので質問すると、以下のような説明がありました。

 2009年の4月から10月までの降雨量は745ミリであり、7月は257ミリだった(過去5年間で最多)。ただし、2009年は既存の水路から溢れてはいない。平成11年から平成21年の10年間で5回、水路が溢れて被害が発生した。溢れる場所はだいたい同じところである。

 つまり湛水被害、加湿被害といっても、川が溢れて水に浸かる場合と、畑の水が速やかに排水されずに湛水や加湿状態になる場合の二つがあるのです。それらの対策は分けて考える必要があります。川が溢れる場所は、溢れないように堤を整備してポンプで排水するという方法も考えられます。また畑の水はけをよくするなら、畑の中や道路などにそって排水溝をつくるという方法も考えられます。そもそもここは音更川の氾濫原です。畑作にはあまり適していないところに畑をつくっているということも認識する必要があります。

 富秋地区は河岸段丘に接しており、湧水など小川となっているのですが、その川を掘り下げて大々的に改修する工事をしたなら、段丘崖に残された貴重な自然が壊されてしまいます。私たちは、費用対効果や自然保護などの側面から、別の対応策を考えるべきだと提案しました。

 この「富秋地区」の排水事業は、今はまだ調査期間とのことで、実施期間は平成23年度から27年度になっています。来年度の調査費用の予算はついたとのことですが、その後の予算がどうなるかはわかりません。費用対効果や代替案などをきちと検討すべきでしょう。

2010年2月 5日 (金)

銭函海岸の風力発電計画を考える(その3)

 一昨日と昨日の二回に分けて、後藤美智子さんの書かれた銭函海岸の風力発電計画の環境アセスメントまつわる記事を紹介しました。

銭函海岸の風力発電計画を考える(その1) 

銭函海岸の風力発電計画を考える(その2) 

 その内容を要約すると、以下のようになります。

 銭函海岸の風力発電計画における環境アセスメントで重要種として絞り込まれた6種のうちの一種である「キセワタ」という植物について調べたところ、北海道では1882年、1890年に札幌で採集されたものと、1916年に湯の川で採集された標本があっただけで、近年は確認されていない植物であった。120年も前に確認されているだけの幽霊のようなキセワタが北海道のレッドデータブックに掲載されていた。そのレッドデータブックの植物を選定した検討委員が環境アセス専門研究所による刊行文献の著者と同一であった。さらに、アセスメント調査では短期間に驚くべき多くの植物と昆虫の種数を記録していた。

 つまり、生育が確認できそうにない「キセワタ」という植物を重要種として選定し、「調査しましたが確認できませんでした。だから、風車を建設しても問題ありません」としたかったということではないでしょうか。重要種を絞り込む際に、「キセワタ」なる植物のことをきちんと調べていたなら、こんな選定はおそらくしなかったでしょう。

 こんな選定をしているのであれば、それ以外の5種がどういう基準で決められたのかということまで気になってきます。

 さらに、小樽総合博物館とボランティアが5年かけて調べた植物の種数が約150種であるのに対し、アセスメントでは6月と8月の8日間だけで356種も確認しているというのです。たった8日間で2倍以上の種数を確認しているとは、驚き 桃の木 山椒の木!ですね。いったい調査範囲をどう設定し、どんな調査をしたのでしょうか。こうなるとアセスメント調査の信ぴょう性が全面的に問われることになります。

 ところで、2009年7月31日に業者が小樽市にやってきて、第一回の地元説明会として環境アセス方法書を配布したとのことです。市民には、アセスをやって、地元との調整をし、市長が意見書を出したらはじめて補助金がOKになると説明したそうです。ところが、7月31日付けですでに経済産業省ルート(NEDO)の補助金申請が通っていたのだそうです。

 つまり市民に偽りの説明をしたのです。不可解な環境アセスメントに加え、市民を欺いてまで進めようとするこの風力発電計画に、大きな疑問を抱かざるをえません。

 なお、明日2月6日に、銭函海岸の自然をテーマにしたシンポジウムが開催されます。以下にお知らせを掲載します。近隣にお住まいでこの問題に関心を持たれる方は、ぜひご参加ください。

               **********

              シンポジウム開催のお知らせ

 銭函海岸は、環境省が「植生自然度10」と評価したように、自然度が良好に保たれているきわめて貴重な海岸です。200万人に垂んとする大都市・札幌の近郊に、これだけの広がりをもった自然海岸が残っているのは奇跡に近い、と評価する人もたくさんいます。

 北海道はこの地域を「豊かで優れた自然の特徴をもち 将来的にも自然環境の保全にあたって格別な配慮が必要な地域」として『保全を図るべき自然地域(北海道自然環境保全指針・1998年)』に指定し、さらに『石狩湾沿岸海岸保全基本計画(2002年)』では、海岸砂丘林の貴重な存在を「海岸草原も含めた海岸植生全体としての保全が必要」と認めています。

 しかしこの地域には、ナキウサギのような“超有名な”生物が生息しているわけではないので、えてして“あまり重要でない”地域のように思われがちです。しかし有名な生物がいなくとも、ありのままの自然を保全することの重要性は、生物多様性を維持する観点からも明らかです。

 折しも今年10月には『第10回生物多様性条約締約国会議(COP10)』が名古屋で開催され、我が国は議長国となります。私たちはこの海岸(自然砂丘)がいかに貴重なものであるかを、一人でも多く人に知っていただくことが大切であると考えてこのシンポジウムを企画しました。

 市民のみなさんに広く報道などでお知らせいただければ幸いです。

 なお、今回の案内に先立って一部の方たちにお送りした文書から、昆虫研究者のパネリストが変更になっています。このような事態になった詳しい説明は別の機会に譲りますが、ご存じのようにシンポジウムとは、ある問題について数人がいろいろな角度・見地から意見を述べ、フロアからの質問・意見も加えてその問題を深める学習集会です。職権をもって参加を阻止するなどということが許されてよいとは思いません。

シンポジウム   銭函自然海岸の貴重さと保全の重要性

と き  2月6日(土)14:00~17:00

ところ  小樽市 生涯学習プラザ(レピオ) 小樽市 富岡 1-5-1(電24-3363)

パネリストおよびテーマ

小林 英男 (北海道昆虫同好会会員・日本鞘翅学会会員)

 「石狩湾の海浜地帯における昆虫たち」

梅木 賢俊 (日本野鳥の会小樽支部 支部長)

 「銭函海岸の野鳥」

松島 肇  (北海道大学大学院 農学研究科 園芸緑地学講座)

 「銭函海岸は役に立たない荒地か? 保全が求められる理由」

コーディネーター  後藤 言行 (銭函海岸の自然を守る会)

つづく

2010年2月 4日 (木)

銭函海岸の風力発電計画を考える(その2)

前回の記事

銭函海岸の風力発電計画を考える(その1) 

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銭函海岸でアセスを受けるキセワタとは?(後篇)

                          後藤美智子

 前回に続いて“キセワタ追跡記” 次に「北隆館」の『牧野図鑑』の系統に移る。

[Ⅲ] 「和名は“着せ綿”で花の上に白い毛があるためらしい」と牧野富太郎博士。「きせわた」の原線画、また後世の彩色画、写真像を眺めると、淡紅色の唇形の花の群がりにはどことなく愛嬌を感じる。

 最初のⓚ『牧野日本植物図鑑』(1940年)は復刻版で見ることができた。当時「きせわた」は〈くちびる(ばな)科〉に分類され「山地に生ずる多年草にて…」という簡潔な記述が冒頭にある。

 牧野博士は最晩年期に前川文夫・原寛・津山尚の「助力を得て」『大増補版』 (1956年、序文は「昭和30年師走の日」付)を完成し、翌1957年に95歳の生涯を閉じた。間もなくして上記三博士による編集・補遺により口語体文のⓛ『牧野新日本植物図鑑』(1961年)が登場した。(我が家唯一の所有はこの最終の20版(1970年)で、家人の若き頃からの“愛蔵書”である)「きせわた」は〈しそ科〉として分類されている。

 その冒頭の分布記述は以下のようにⓚより豊かになっている。「東アジアの温帯に広く分布し、山地や丘陵地の草原に生える多年草である」。要するに牧野博士はキセワタの日本国内分布に関する記載は一切していないといえよう。

 この分布記述は「北隆館」のそれ以降の牧野の基本系統、すなわち『原色版』(1982)、『改訂増補版』(1989)、『改訂版原色』(1996)、そして『新訂牧野新日本植物図鑑』(コンパクト版Ⅰ~Ⅲ,2000年初版)に至るまで一貫して変わっていない。

 ところがⓛより半世紀を経た2008年に至ってキセワタ分布記述は大きく変更されていたのである。ⓜ『新牧野日本植物図鑑』(2008年11月初版)によると「北東アジア冷温帯に」分布して、しかも「北海道・本州・四国・九州…」となっていて、現代の他の大手出版社の図鑑とよく似た内容に一変しているのだ。以上が牧野博士の名を冠した「北隆館」系統の図鑑の流れである。

(前篇からここまでのまとめ)

 現在キセワタの北海道分布に関しては、定評あるこれまでの「道内出版系」と「全国大手出版系」との間には明らかに“対立”がある。道内系が決して「北海道にあるよ」と言わないのに、全国系は「ある、ある」と大合唱する。これはおかしくないか?

[Ⅳ] しかし本当に奇ッ怪な話になってくるのは、これから先だ。

 別の事情から「モミジバキセワタ」という別種の帰化植物(1975年銭函で発見)のことを知りたくて、私は北大の総合博物館の高橋英樹先生に問い合わせた。その際「キセワタの道内標本がある」というお話に驚き、早速お訪ねすることになった。

 先生のお力添えで、キセワタの実物に初めて対面すべく、植物標本室に入った。示された標本はまさしくキセワタ。それもセピアな色が漂う明治時代のもの…。

 2点は札幌採集(1882年)(1890年)、残り1点は湯の川(1916年)であった。約120~130年前の“超稀少な証拠物”だけでは、道内の図鑑を執筆された先生方は、どなたも道内における生育を認められなかったのである。いや、道内でのキセワタの生育を認めた方が、ただ一人おられたのである。

[Ⅴ] 万万が一、北海道のどこかの山地草原で、ひっそりとキセワタが愛らしい花を咲かせていたとしても、何でよりにもよってこの銭函海岸砂丘地帯で、風力会社の環境アセスの網に引っ掛からなければならないの?私の素朴なギモンは膨らむ一方だ。

 コンサルタント会社は、アセス方法書で「重要種」として植物6種を絞り込んだ。前篇を繰り返すがハマハナヤスリ、イソスミレ、シラネアオイ、チョウジソウ、エゾムグラ、そしてこのキセワタだ。当然業者側がこの選定に依拠したという文献、ⓝ『北海道レッドデータブック』(2001年3月)に注目することになる。道のホームページでは確かにキセワタは希少種(R①ab)になっている。今までの流れからしてどうもヘンだ。(R)という限りは、現在道内で、誰か彼かがどこかで生育を確認し、証拠写真の一枚も撮ってなくてはネ…。

 では環境庁(2000年)RDBはどうなっているのだ?全国的カテゴリー判定では「絶滅危惧Ⅱ類(VU)」のキセワタだが、道内で(R)ならば当然、都道府県別分布情報の北海道ランクは○(ある)に決まっているよネと思いつつ、RDB8(2006年初版の06年版)を見て、オヤオヤ…。なんと北海道は空白なのだ。○でも△(現状不明)でも、そして×(絶滅)でもない。つまり北海道にはもとから生育していないのだ。

 さらにⓞ「矢原徹一監修『絶滅危惧植物図鑑レッドデータプランツ』」(山と渓谷社、2003年)を入手して調べたところ、村田源氏により初めて「(キセワタは)本州、四国、九州、アジア大陸に広く分布する」という(私としては納得のいく)解説が明示されていたのである。

 しかしながらここで最大の疑問が生じてくる。同じ2000年の作成であるのに、キセワタに関わる北海道と環境庁のRDBの大いなる食いちがいは何なのだ。図鑑版での道内系と全国系の“対立関係”がものの見事に逆転しているではないか。

 ここまでの事実関係は、前篇投稿の段階ですでに把握され、私の疑問とともに後篇で論じる予定になっていた部分である。

[Ⅵ] 私はキセワタをめぐる国と道との奇妙奇天烈な“逆転現象”が気になって仕方がなかった。そこで小樽市博物館に出向き、道のRDBの実物を閲覧させてもらった。植物を選定した検討委員の名前を知りたくて。委員の名前を見たときはアッと驚き、さらに「引用文献」及び「選定種の解説」の記載方法等を追う中で驚きは倍増した。これが12月18日のことである。

[Ⅶ]  翌日12月19日、風力事業者とPコンサルタント会社を東京から呼びつけ、小樽市内で「銭函海岸の自然を守る会」主催の環境アセスをめぐる質疑集会が持たれた。札幌市、石狩市、さらに遠方の後志地域からも今回の巨大風力発電事業に懸念を抱く人々が続々と詰めかけた。中には超低周波空気振動の被害の恐れを心配して駆け付けた手稲山口周辺の方たちもおられ、40人を超える集まりとなった。報道関係者も数社が取材にきた。

 6名でやってきた事業者側はアセスの「中間調査結果概要」なるプリントを1枚配布した。植物相と群落の調査は昆虫類と同じく6月、8月の2回で終了していた。質疑の中で私はキセワタをめぐる一連のギモンにコンサルタント会社の担当A氏がどう対応・説明するのか、大いに注目していた。

 以下、私の質問に対する最初のやり取りの概要である。

Q:銭函砂丘帯でキセワタは見つかりましたか?…

A:ありませんでした。

Q:キセワタはなぜ最終段階の重要種6種のうちに入ったのですか?その選定基準は?…

A:道のRDBにより5万分の1・A4図面にチェックがかかっている種を抽出。必ずしも砂浜に生育する種を抽出したものではありません。

Q:道内の希少種(R)の植物は合計316種にものぼります。ここからキセワタを選出したことに関して、どなたか専門の方に意見を求めたりしましたか?…

A:方法書は全く文献からのみで、専門家には相談しておりません。

 どこか歯切れの悪い印象を受けて、私は今回のキセワタ追跡の要点を会場のみなさんに語り、A氏には「120年以上も前の“キセワタの幽霊”を捜す(ふりをする)ような真似ごとをアセスに持ち込む“いいかげんさ”では信用できない」といった。

 そして前日18日に知りえた事実を皆さんに告げた。つまり

・道のRDB検討委員・植物担当の責任者(当時某大学教授)と4人の委員のうち1人は、すでに倒産したT銀行所属の環境アセス専門研究所による刊行文献の著者らと同一人物であったこと。

・そしてこの文献こそが唯一、道内にキセワタが生育していると記載していること。

 それに対するA氏の応答は一言。「キセワタは取り下げます」。その言い草には、これから重大な決定に関わる環境アセスに対する、担当者としての責任感や誠実さは微塵も感じられなかった。新たな怒りがわいてきた。キセワタと一緒に調査や風車工事そのものも取り下げてもらいたいものだ。

(後の反省)

 いや、キセワタにまで八つ当たりして申し訳ない。いまや絶滅危惧種にまで追い込まれ、その上このような業界・学術界・さらには政界に潜む“面妖さ”にまで翻弄されてきたキセワタこそとても気の毒な存在なのではなかろうか。私の怒りはもっと深化しなければ……。

(追記)

 翌日20日、彼らは小樽市のさる機関に、前日に配布した「概要」を裏付ける報告書をもちこんだ。調査確認種数・植物79科356種(調査日6、8月の計8日間)、昆虫178科689種(同じく10日間)。

 ちなみに小樽総合博物館とボランティアが5年がかりで調査・同定した種数は植物で約150種、昆虫で約200種(多数ある未同定のものは含まず)である。地元調査勢も真っ青になるほどだが、わずかな日数でこれだけの成果を上げる調査方法とはどんなものか、ぜひ知りたいものだ。

 興味は尽きないけれども、ここに至ってはもうそんなことはどうでもいいことにしましょ。コンサルトさんは地元博物館のこれまでの調査結果をしっかりと裏付け、いや、それ以上の収穫をあげてくれたのだから。だって、この銭函海岸の生物多様性・自然度をグレードアップしてくれたのでしょ。ひょっとしたらこの豊かな自然を潰す事業計画は断念してくれるんじゃないかしら?などと業者に単純に期待をかけるのは、善良な市民の心。どうしてどうして。質疑集会の前日の18日には「ボーリングはしない」という以前の約束もどこ吹く風で、小樽土木現業所にボーリングの申請をしっかりと提出していましたよ。

 “したたかな業者”とともに新年を迎えた。生態系の問題に加えて超低周波問題も浮上してきた。会員の諸先生にはご専門を通しての一層のお力添えをお願いする次第です。

―転載はこれで終わりです―

つづく

2010年2月 3日 (水)

銭函海岸の風力発電計画を考える(その1)

 先日、日本科学者会議北海道支部の「北海道支部ニュース」を読む機会があったのですが、そこに後藤美智子さんが書かれた銭函海岸の風力発電計画にまつわる大変興味深い記事が掲載されていました。著者の後藤さんの了解が得られましたので、「北海道科学者会議北海道支部ニュース」No.316およびNo.317の「科学談話室」に掲載された記事を転載し、銭函海岸の風力発電問題について考えてみたいと思います。なお、後藤さんの文章は昨年書かれたものですので、文中の「今年」というのは2009年のことです。

          **********

銭函海岸でアセスを受けるキセワタとは?(前篇

                         第3水曜の会 後藤美智子

 「海岸巡り大好き人間」である私は、近年は主に、(財)日本自然保護協会による海岸植物群落調査活動を契機に、後志地域の海辺を歩き回ってきた。そして最近は地元の小樽市博物館の自然ボランティアの一員として銭函海岸の昆虫相調査にも参加している。この活動を通して石狩砂丘の砂地を這いまわる小さな昆虫たちと、周辺の動・植物相との関わりなどに特別の興味を抱くようになってきた。この銭函海岸(新川河口~石狩湾新港西端)は「日本一」といわれる海岸カシワ天然林と沼湿地を後背に有する砂丘帯が続く自然の砂浜であり、稀少種を含む各種の昆虫相と豊かな海浜性植物の景観に恵まれている。

 この砂丘帯に、今年の5月中旬に突然持ち出されたのが、東京の大手「日本風力開発(株)」による大規模な風力発電事業計画である。海岸線に沿う5kmの砂丘地帯に2000kw、20基もの巨大風車を並べようとするものである。脆弱な砂上の生態系に回復不可能なまでの負荷がかけられようとしているのだ。危機感に駆られ、さらに砂丘を暴走して破壊を繰り返している近年のレジャー車やゴミの不法投棄による心配も強まる中で、小樽市内の自然愛好者が集い「銭函海岸の自然を守る会」(以下「守る会」)を立ち上げたのはこの7月のことである(事務所:047-0034 小樽市 緑3‐2‐12 後藤言行 ・T/F 0134-29-3338)。

 現在「守る会」は、事業者側による “自主的”(と称する、実は巨額な補助金目当ての)「環境影響評価方法書」に含まれている様々な問題点を指摘し、それらに対する批判・研究活動への参加協力を広く呼び掛けている。この貴重な銭函海岸の自然を“まるごと”次世代に残そうという夢を抱いて。

 さて、この「科学談話室」でこれから私が語りたいのは、アセスの調査対象としてなぜか重要植物に絞り込まれた「キセワタ」という植物にまつわる“奇妙さ”なのである。「風車建設予定位置とその周辺」の砂丘上の「重要種」として、アセスの方法書が最終的に“絞り込んだ” 対象はハマハナヤスリ、イソスミレ、シラネアオイ、チョウジソウ、エゾムグラ、キセワタ(シソ科)の6種である。まずシラネアオイ以下の4種はいずれも海岸砂丘には縁のない、まったく場違いとも言えるような植物であることを先に記しておこう。その上で、とりわけ不可解な登場は(シソ科メハジキ属)キセワタなのである。以下、私による“キセワタ追跡記”を追っていただきたい。

[Ⅰ]このキセワタ、私や家人にとっては見たことも聞いたこともない「存在」であった。そこで早速、日頃親しんでいる“梅俊”さんのⓐ『新北海道の花』(2007年)を見た。ところが出ていないのである。それからは次々と、我が家の本棚にある以下の北海道関係の植物図鑑類を調べまくった。ⓑ谷口弘一・三上日出夫編(1977~1984,3巻)、ⓒ原松次著(1981~1985,3巻)、ⓓ鮫島惇一郎・辻井達一・梅沢俊著(1985)、ⓔ滝田謙譲著(2001)など。ⓑについては書店で最新版(2005)を見つけた。

 結論として北海道の諸先生の執筆による定評のある図鑑・図譜の類にはキセワタなるものは記載されていなかったのである。

 唯一、道内系の例外があった。それを古書店で見つけた。環境調査・アセス用に出版されたⓕ伊藤・日野間編著『北海道高等植物目録Ⅳ』(たくぎん総合研究所、1987年)である。キセワタは渡島、檜山、胆振、石狩にあるとされていた。

[Ⅱ]何か訝しいこのキセワタ…? 私は次に日本全土に関するいくつかの著名な図鑑・図譜の類にあたってみた。

 まず1957年4月に出版された定評あるⓖ北村四郎外著『原色日本植物図鑑・草本編』(保育社、1957~1964 3巻)。キセワタは北海道にも分布することが記載されていた。北村博士(1906~2002)の著者名が入るこの「保育社」系統は最近の2008年4月の改訂(69刷)に至るまでキセワタ分布に関しては北海道を外していない。

 次に「平凡社」系でⓗ寺崎留吉著(1977年)、ⓘ北村四郎・佐竹義輔・大井次三郎外著『日本の野生植物・草本』(1981~1982 3巻)及びこのフィールド版(1986)、さらに最近の新装版(2006/12月 第3刷)を調べたが、すべてキセワタは北海道に分布することになっている。参考までによりポピュラーと思われる山渓カラー名鑑シリーズ中のⓙ林弥栄編・解説『日本の野草』増補・改訂・新装版(2009.11月)も同様であった。

 ここまでの結論は、大手の全国的な植物図鑑系統においては、キセワタは北海道に分布することになる。

 では、キセワタに関して詳細な記述を残していた牧野富太郎博士に関してはどうなのか?『牧野日本植物図鑑』(1940年)以来70年を重ねながら牧野の名を冠した大図鑑・図譜を出版して来たのが「北隆館」である。この系統の中でキセワタの分布はどうなっているのか。次回で“キセワタ追跡記”の顛末と、今回の風力発電会社による環境アセス(植物)なるものの“面妖さ”をお話しすることでまとめたい。

つづく

2010年2月 2日 (火)

実証された風倒木処理の誤り

 昨日の北海道新聞に「風倒木残せば“一石二鳥” 北大調査 植生豊か、シカ食害減も」という記事が掲載されていました。要約すると以下のような内容です。

 2008年に、北大農学部研究院の森本淳子講師らの研究グループが石狩森林管理署と協力し、2004年の台風18号で風倒被害を受けた支笏湖東側のトドマツ林に「風倒木を残した区域」「重機で地ごしらえした上で再植林した区域」「再植林してさらに下草を刈った区域」「風倒木の枝や根などを積み上げた区域」の4つの試験区域を設定し、植生の変化や食害を調べた。その結果、風倒木を残した区域ではトドマツの幼木が育ち、植物の種類も豊富で生長も早かった。また、エゾシカによる食害も風倒木を残した区域が最も少なかった。

 要するに、近年道内各地で行われてきた「風倒木を運び出して皆伐状態にし、重機で地ごしらえをして植林する」という方法は、植生回復やエゾシカの食害などの点で不適切なやり方だったといえます。

 大雪山国立公園の幌加やタウシュベツで行われた皆伐による風倒木処理がとんでもない自然破壊を招いたことについては、このブログのカテゴリー「森林問題」で何度も取り上げ、風倒木を運び出して重機で地ごしらえをやる手法を批判してきましたが、この実験でも私たちの主張が裏付けられたということです。当然といえば当然なのですが。

 林野庁の職員は、幌加やタウシュベツの皆伐について「適切だった」と繰り返していましたが、この発言は撤回しなければならないでしょう。とりわけ急斜面での重機による地ごしらえは土砂の流出や斜面の崩落などを生じさせており、取り返しのつかない事態になっています。

 私が関わっている「えりもの森裁判」の現場(道有林)でも、皆伐地のシカの食害が伐採していないところより顕著であることが分かっています。皆伐して草原状態になってしまうと、そこにシカが集中するために、植えた苗木の新芽が食べられてしまうのです。現地裁判で私がその食害を指摘したところ、道職員が霜害だと主張したのには呆れました。確かに霜害を受けた苗もありましたが、私が指差したのは明らかに食害を受けたものでしたから。林業に携わっている人が食害と霜害の区別もつかないのなら、それはそれで深刻な問題ではないかと思いますが。

 林業界では省力化、合理化によって伐採作業、風倒木の処理や地ごしらえなど、大半の作業を重機に頼るようになりましたが、森林を傷つけない手法を考えていく必要がありますし、少なくとも天然林では風倒木は基本的に放置するべきです。林野庁は過ちを認め、しっかりと反省してもらいたいものです。

2010年2月 1日 (月)

増田美智子さんへのインタビューの感想

 先日、「福田君を殺して何になる」の著者の増田美智子さんへのインタビューを3回に分けて掲載しました。

増田美智子さんへのインタビュー(その1)

増田美智子さんへのインタビュー(その2)

増田美智子さんへのインタビュー(その3)  

そこで、増田さんからお話を伺って感じたことについて書いてみたいと思います。

 まず、増田さんはご自身の考えを率直に表現される、正直で好感が持てる方だという印象を持ちました。「福田君を殺して何になる」でも、取材した事実について包み隠すことなく語っていることからもそれは感じていましたが、実際にコンタクトをとってみてそのことをさらに実感しました。

 増田さんの回答を読んで私がもっとも気になったのは、弁護士が増田さんに抱いた警戒心に関することです。増田さんが弁護士に取材を申し入れた際、弁護士は増田さんに不信感を抱いて警戒したのですが、その警戒に妥当性があるのかという点です。弁護団の警戒心については、当該書籍に引用されている、弁護団長の本田弁護士が増田さんに宛てた以下の手紙で知ることができます。

 「福田君の依頼を受けて、貴方の福田君への面会の申出について、以下のとおり、ご通知します。福田君は、貴方の福田君への面会の申出をお断りします。また、福田君及び弁護団は、今後、貴方からの福田君への手紙を差し出すことも行わないように申入れます。福田君は当職に、福田君へ差し出した貴方の手紙を宅下げしてくれました。それによると、福田君も弁護団も、貴方が報道関係に身を置くことを隠して(「あがり症で、たどたどしく、すぐに顔が赤くなってしまう」そうですが)、福田君へ手紙を差出したことを、極めて不適正で、卑劣なことと考えます。以上のとおり、福田君は、貴方の面会の申出を断っていますし、福田君も弁護団も、今後は貴方が福田君に手紙を差し出すことも行わないように申入れることとし、貴方へのご通知とします」

 増田さんは、福田君が深く反省をしている青年であることを広く知ってもらいたかったのであり、また弁護士に取材することで弁護団の主張も伝えたかったのです。ところが、増田さんが「あがり症」の若い女性で、ライターとしての経験もそれほど多くなかったこともあり、本田弁護士に彼女の意図が伝わらず、逆に警戒をされてしまったのではないかと推測されます。また、本田弁護士は「報道関係に身を置くことを隠して」「福田君は、貴方の面会の申出を断っています」と書いていますが、増田さんはとフリーライターであることを福田君への手紙に書いていましたし、実際には福田君は増田さんの取材を拒否していませんでした。弁護士の手紙には事実と異なることが書かれており、それが本書の出版によって公になってしまいました。そうしたすれ違いやトラブルが、出版差し止めにまで発展してしまったのではないかと思えてなりません。

 弁護団はマスコミによって不当なバッシングにさらされ、多大な迷惑をこうむったのですから、ライターに対して警戒することもわからなくはありません。しかし、たとえば門田隆将氏は「なぜ君は絶望と闘えたのか」(新潮社)の中で福田君との面会内容について書いていますし、森達也氏も「死刑」(朝日出版社)の中で福田君との面会について触れており、お二人とも本に書くことを前提として福田君に面会しています。しかも、門田氏の著書は被害者遺族である本村さんの側に立った内容です。そして、このお二人の著書からは、弁護団から面会を拒否されたという形跡は伺えません。

 ですから、増田さんが拒否されたのはやはり不可解なのです。拒否の理由として考えられるのは、増田さんが門田氏や森氏ほどライターとしての実績がないこと、そして「あがり症」でもある若い女性だということです。もし、このような理由によって不信感を募らせ取材を拒否したのであれば、差別ともいえる不当な扱いだったとしか思えません。増田さんへの対応に関しては、やはり弁護団側に不適切な側面があったとしか思えないのです。

 弁護士とて人間ですし、思い込みなどから不適切な対応をしてしまうこともあるでしょう。そのようなことをとりたてて非難するつもりはありません。謝れば済むことですから。しかし、そうしたことがきっかけとなって、著者や出版社に対して出版差し止めの仮処分の申し立てという重大な手続きが行われたのであれば、やはり行き過ぎた行為だと思えてならないのです。少なくとも、この点について当該弁護士はきちんと説明をし、非があれば認めて謝罪してほしいと思います。

 もうひとつ印象に残ったのは、「実名を売り物にしている」という批判についてです。私自信、実名の入ったタイトルにちょっと意外性は感じましたが、それが「売らんかな」という目的でつけられたとは全く感じませんでした。ですから、弁護団による仮処分で話題になった途端にこのような批判が出てくることに驚きました。

 そもそも出版社にとって書籍というのは不特定多数に向けた表現の場、すなわちメディアであると同時に商品でもあります。出版社は、多くの人に読んでもらいたいということだけではなく、少なくとも元をとれる程度は売れることを目指して企画を立て、著者の言いたいことが一言で伝わるタイトルを考えるのは当然です。タイトルに実名が入っていようがいまいが、関心のある人は買うでしょうし、関心のない人は買わないでしょう。「実名を売り物にしている」という批判は、「少年法違反を理由とした仮処分」がマスコミによって報じられたからこそ、出てきたことなのではないでしょうか。弁護団がこのような形で問題にしなければ、これほどにまで書名が話題になることもなく、「実名を売り物にしている」などという批判自体もあまり出てこなかったのではないかと思えます。

 増田さんも最後に言っているように、この問題については本を読まないまま的外れな批判をしている方がたくさんいます。ぜひ、本を読んで、自分の頭で考えてほしいと思います。

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