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2009年11月 4日 (水)

インシデンツを訴えて何になる?

 さる2日、光市事件の被告人が「福田君を殺して何になる」(増田美智子著)の版元であるインシデンツ(寺澤有代表)に対し、出版の差止めと1100万円の損害賠償を求める訴えを広島地裁に起こしたとのニュースが流れました。被告人の弁護団は、10月5日に出版差止めの仮処分申請をしていましたが、今回の提訴はそれとは別です。

 5日の仮処分の申立書では「元少年が取材を受けた際に、原稿内容を事前に確認させることを出版の条件としていたが、約束が守られなかった」(10月7日付け北海道新聞)と主張していました。そして、今回の提訴で原告側は「原稿内容の事前確認や私信の非公開などの約束を破ったのは、人格権やプライバシーの侵害にあたる」と主張しているそうです。

 ところで、著者の増田美智子さんは記者会見で「本人に実名で書くと伝え、了解を得ていた。仮処分の目的は弁護団による事前の検閲。報道の自由への重大な侵害だ」(10月7日付け北海道新聞)としています。また、増田さんや版元のインシデンツは「実名や顔写真は過去に雑誌などに掲載された『公知の事実』で、表現の自由に照らして違法性はない」(11月3日付け北海道新聞)と主張。要するに実名を書いたことの是非というより「本人に原稿内容の事前確認をさせる」という約束があったか否かが問題となっており、原告側と著者や版元の主張が真っ向から対立しているという構図です。

 ところが、新聞などでは実名報道が少年法に照らし合わせて問題があるのか否かばかりが強調されているようで、11月1日付けの北海道新聞「サンデー討論」でも実名の是非に焦点があてられています。問題意識というか、論点がずれているとしか思えません。

 「福田君を殺して何になる」の冒頭には、福田君から増田さんにあてた手紙が掲載されています。冒頭から手紙の内容が紹介されていたことに多少違和感は持ちましたが、本を読み進めていけば、なぜ増田さんが手紙を紹介したのかという理由が理解できます。この手紙からは、増田さんの面会を楽しみにしながらも増田さんの交通費や宿泊費のことを気にする心遣いや、同い年の女性に関心を示す様子が伝わってくるのです。増田さんについて書かれている部分の文面はたしかに年相応とは思えずいまだに精神的に未熟な側面があることを伺わせますが、それでも彼なりに心を込めて書いている手紙であり、率直な心情が滲み出ています。

 この手紙の稚拙な文面に関してはマイナーな要素があることは否めないでしょう。しかし、公開されたら都合の悪いようなプライベートなことが書かれているわけではなく、むしろ光市事件を起こした被告人の精神面を読み取るうえで大きな意味をもっていると私は感じました。つまり、この手紙には女性になれなれしく接してしまう彼の心理が表れています。その陰には父親の暴力から母親を守ってきた家庭環境、それによって生じた母親との絆が大きく関係していると推測できますし、弥生さんに甘えて抱きついたという行動も理解できるのです。

 本書は、トータルに見たならば福田君にとって決して不利なものではなく、むしろ彼の人間像を浮き彫りにして死刑という判決に疑問を投げかけています。彼が事件を起こした原因を見つめ直し、この裁判の問題点を問うためにも意義のあるものです。さらに、本書での実名表記は、凶悪犯というイメージと一体となって流布された実名に対し、名誉回復を図っていると捉えることができます。

 福田君に有利な内容であるにも関わらず、なぜ版元を提訴したのでしょうか? その理由は、今枝弁護士の解任について書かれた部分に隠されているように思われます。福田君自身は今枝弁護士を心から信頼しており解任には最後まで抵抗したのです。弁護団が福田君を説得して解任を働きかけたことは間違いないでしょう。解任に福田君の意志がどれだけ反映されていたのかが疑問です。それと同じように、今回の仮処分申請や提訴についても、弁護団の意志がかなり反映されていると考えるのが自然です。福田君本人が増田さんに対して本当に「原稿の事前チェック」や「私信の非公開」を求めていたのでしょうか? 私には大いに疑問です。

 今回の仮処分申請や提訴については、版元側の主張があまり詳しく報じられていないように感じるのですが、以下の津田哲也氏のブログにインシデンツの寺澤有氏の話しが掲載されています。

[光市母子殺害事件]実名ルポ本『福田君を殺して何になる』が出版差止めを申し立てられた本当の理由 

 寺澤氏は、本田弁護士から出版前にゲラ刷りを見せなければ出版差止めの仮処分申請をすると、半ば脅しのようなことを言われていたそうです。寺澤氏は、警察や検察、裁判所などの組織の腐敗などについて果敢に報じているジャーナリストであり、そんな脅しに応じないのは当然でしょう。ところが弁護団は本当に仮処分申請をしました。さらに、本の内容を確認してから提訴したのです。寺澤氏が権力と対峙している点では安田弁護士などとも同じ立場です。そうした者同士が、福田君にとって有利としか思えない本をめぐって争うことは不可解としか思えません。

 私も自然保護問題などで報道関係者から取材を受けることがありますが、「原稿の事前チェック」は取材を受けた本人がはっきりとその意志を伝えなければ行われないのが当たり前です。「原稿の事前チェック」や「私信の非公開」の約束をめぐって法廷で争ったなら「約束した、しない」の争いになり、さらには「弁護団の関与があった、なかった」の論争になるだけでしょう。こうした争いにどれだけの意味があるのでしょうか? 私には、今枝弁護士の解任同様、原告である福田君自身が精神的に苦しむことになるのではないかと思えてなりません。

 弁護団が守ろうとしているのは、福田君なのでしょうか? 今回の仮処分申請や提訴に限って言うなら、私は弁護団を支持することはできません。

 なお、この件についてはジャーナリストの山岡俊介さんのサイトでも報じられています。無料で読めるのは冒頭の部分だけですが。

書籍『福田君を殺して何に成る』を巡って――仮処分に加え、本訴もした光市母子殺害元少年側

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