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2009年10月

2009年10月31日 (土)

美蔓貯水池の欺瞞(3)

前回の記事

計画変更と矛盾する事業費

 美蔓ダムは当初は然別川水系に建設される予定であったことは、前回の記事に書きました。それがペンケニコロ川に変更され、さらにダムからため池に変更されたのです。理由は受益面積と受益戸数の減少による水需要の減少です。当初計画、変更計画、現行計画の貯水量、受益面積、受益農家戸数、総事業費を比較すると以下のようになります。

当初計画  630万立方メートル 9270ha 417戸 470億円

変更計画  340万立方メートル 7529ha 306戸 530億円

現行計画   30万立方メートル 4056ha 222戸 330億円

 ここで不思議なことに気付きませんか? まず、水需要が減少したのであれば、当初計画の規模を縮小すればいいはずです。普通だったらそうするのではないでしょうか。ところが、なぜかそうはせずに建設場所をペンケニコロ川に変更しました。この建設場所の変更理由はよくわかりません。ペンケニコロ川にダムを建設したなら、ナキウサギなどへの影響が避けられないのにとても不可解なことです。

 変更計画では、当初計画よりダムの規模が大きく縮小されました。ならば、それに伴って事業費も安くなるのが当然です。ところが逆に膨れ上がっています。こんなおかしな話があるでしょうか? 当初計画でも上幌内川の水が少ないために、ペンケニコロ川から導水管でダムに水を引く予定だったのです。ですから、ダムの場所を変更したことで導水管が長くなったというわけではありません。この矛盾について質問したところ、労賃や資材が上昇したためとの説明がありました。しかし、規模を縮小したのに60億円も余計にかかるなどということは、労賃や物価上昇だけではとうてい説明できません。不可解というほかないのです。

 水需要はどんどん減っており、いま掘っている貯水池は、はじめのダムの貯水量の20分の1です。本当に330億円もかけて貯水池をつくる必要があるのかが問われるのです。(つづく

2009年10月30日 (金)

興味深かった公聴会

P1010355  昨日は北海道開発局帯広開発建設部の「十勝川水系河川整備計画(原案)」についての公聴会があり、公述人として意見を述べてきました。実は、公聴会なるもので公述するのははじめてです。そこで、公聴会の様子を紹介したいと思います。

 意見募集には75人から意見が寄せられたとのことです。帯広開建が意見募集を締め切ったあとで公開した意見は72件でしたから、掲載されなかった意見が3人分あったようです。不思議ですねえ、どういう事情があったのやら・・・。

 公述人は9人。そのうち、治水事業の根拠となる基本高水や計画高水のピーク流量とか、目標流量などを中心にさまざまな問題点を指摘したのは、私や十勝自然保護協会を代表して意見を述べた安藤会長など3人。シシャモの保全の面から、川の蛇行や河畔林の重要性などについて意見を述べた方が1人。相生中島市民協働会議の代表として中水敷のことなどについて意見を述べた方が1人。ゲリラ豪雨への備え、遊びや学びのための利活用、ビオトープなどの整備についての意見を述べた「十勝多自然ネット」の方が1人。他には、温暖化による豪雨への不安から整備計画への期待を述べた方が1人、河川の近くに住んでいる立場から、堤防の利活用や内水氾濫への対応を求めた方が1人、同じく内水氾濫への対応や河道掘削の拡張などを求めた方が1人でした。

 「十勝多自然ネット」というのは建設業界の方たちのグループですから、一般市民というよりも業界関係者の意向が強く出ているという印象は否めませんでした。河川敷を利用した「遊び」や「学び」とか、ビオトープや湿地の復元といった提案は、まさにご自身の事業に直接関わってくることです。何だかねえ・・・。

 さて傍聴席ですが、顔見知りの自然保護関係者などが5人ほど。顔を知っているコンサルタント会社の方(開建の下請けをしている)が2人。作業服姿の業界関係者と思われる方が数名。あとの大半は背広姿の方たち(一般市民の方なのか?)。どういうわけか、マスコミの姿は見えませんでした。1600億円もの整備計画に関わる問題なのに、マスコミの意識の低さには落胆します。

 これまでもダムのことや河川整備のことなどで、おかしいと思うことはブログに書いてきましたが、公の場で事業主体者に対して意見を言うというのは感覚的にかなり違います。何しろ、責任者と顔を合わせているのですから。十勝自然保護協会が話し合いを求めても応じなかった方たちに対し、言いたいことはだいたい言いました。これから「住民意見の反映」と「知事意見の聴取」を行い、計画が策定されることになっています。問題なのは、これらの意見が河川整備計画にどのように反映されるのか、あるいは反映されないのか、ということです。論理的な意見が反映されないというのなら、何のための意見聴取なのかということになります。

 公述した方たちの意見は、後日、帯広開発建設部のホームページで公開されるそうですから、関心のある方は是非ご覧いただけたらと思います。

 なお、公述時間は15分とのことでしたので、先日提出した意見書に、より理解しやすいように説明を追加しました。冒頭につけ加えた部分を、以下に紹介します。

 今回、私が河川整備計画原案を読んでもっとも疑問に思ったことは、ピーク流量を設定するにあたって、その根拠とする数値が書かれていないということです。十勝川水系では150年に一度の確率で起こる洪水に備えた河川整備をすることになっています。ですから150年に一度の降雨確率の3日間降雨量を何ミリにしているのか、また時間あたりの降雨量を何ミリにしているのかということが明らかにされなければなりません。これは非常に重要なことです。なぜなら、3日間の総降雨量が同じでも、短時間に集中的に降るパターンと分散して降るパターンではピーク流量が違ってくるからです。総降雨量が150年に一度の降雨確率であっても、集中的に降るパターンで計算したならピーク流量は大きくなります。しかし、そういう降りかたをする確率は150分の一よりはるかに小さくなります。ならば、150年に一度の降雨確率というのは、まやかしということになります。時間降雨量を多くすることでピーク流量を大きくすることができ、過大な整備、すなわち無駄な公共事業をつくりだすことになるのです。こうした不透明な数値操作によるピーク流量が、ダムその他の治水対策の根拠となって、多くの税金がつぎ込まれてきました。

 整備計画原案に、基本高水流量を決めたさいの根拠となる数値が書かれていないということは、科学的な検証に耐える計画ではないということです。そこで、きょうはそのような治水計画の根幹に関わる問題を中心に、8つの意見について述べさせていただきます。

2009年10月29日 (木)

美蔓貯水池の欺瞞(2)

前回の記事のつづきです。

虚偽の説明をした帯広開発建設部

 帯広開発建設部との2~4回目の話し合いでは、美蔓ダムをペンケニコロ川に選定した理由について、コスト面と自然環境の面からの説明がありました。帯広開発建設部によると、ダムの建設地は6つの河川の環境調査やコストの試算などに基づいて決めたというのです。その6河川とは、十勝川の支流であるペンケナイ川、ペンケニコロ川、パンケニコロ川、ポンニコロ川(パンケニコロ川の支流)、然別川の支流である第5西上幌内川、第6西上幌内川です。これらの流域で環境調査を行い、また建設コスト面から検討してペンケニコロ川が最も適切であるという結論になったという説明でした。

 環境調査の説明には、調査を請負ったコンサルタント会社の職員であるI氏も来ました。しかし、不思議なことに6河川で同じ質の環境調査をやっているわけではありません。それに、ペンケニコロ川の流域にはナキウサギが生息しており、導水管の埋設工事はナキウサギの生息地を直撃します。それがわかっているのになぜペンケを選んだのでしょうか? また、クマタカやシマフクロウをはじめとした絶滅危惧種や希少種も生息しています。ペンケニコロ川は生物多様性も高く、開建の示したデータからも決して適切な選択とは考えられない状況でした。この点について追求すると、結局、ペンケニコロ川を選んだ最大の理由は、猛禽類のランクと天然林の割合、そして改変面積という不可解な説明になったのです。猛禽類のデータというのも、各河川を比較するに耐えるようなものではありませんでした。

 なぜ、こんな不可解な説明になったのか、あとでわかりました。

 実は、美蔓ダムの当初計画というのは1993年(平成5年)に然別川水系の第6西上幌内川に建設するというものだったのです。ところが水需要の減少などによってダムの規模を縮小し、建設場所もペンケニコロ川に変更することになりました。この変更は1998年に明らかにされていました。

 開建が環境調査を行ったのは2000年(平成12年)以降です。つまり、環境調査を行ったときにはすでに建設地はペンケニコロに決まっていたわけです。環境調査は6河川から建設河川を選定するために行ったのではなく、ペンケニコロ川につくることを前提として行ったということです。それなのに、開建は私たちに当初計画やペンケニコロへの計画変更については何も説明せず、6河川の環境調査をしてペンケニコロ川を選んだと嘘の説明をしていたのです。だから、環境調査の説明も辻褄が合わなかったということです。

 私たちは、以前の新聞報道を入手してこの事実を知ったのですが、これを知ったときには愕然としました。開建は説明会の要請を拒否しませんでしたし、誠実に対応する素振りを見せてはいましたが、建設地選定に関しては虚偽の説明をしていたのです。当初計画や計画変更についても意図的に隠していたとしか思えません。(つづく

2009年10月28日 (水)

美蔓貯水池の欺瞞(1)

 民主党が無駄な公共事業の見なおしを行っていますが、十勝ではどう考えても必要とは思えない「美蔓地区かんがい排水事業」(旧美蔓ダム)の工事が進められています。この事業は、十勝地方西部の鹿追、清水、音更、芽室の4町にまたがる美蔓地区の農家にかんがい用水を供給するものです。排水工事は完了しているのですが、問題は昨年から着工されているかんがい事業。地元の十勝自然保護協会は、かれこれ4年以上前からこの事業に疑問を呈してきたのですが、開発局は自然保護団体の抗議も無視して去年から着工しました。そして、最近になってようやく北海道新聞でもこの事業について取り上げるようになりました。そこで、何回かに分けてこの事業のおかしさを浮き彫りにしたいと思います。

 私がこの事業のことを知ったのは、2005年の春です。新得町のパンケニコロベツ林道とペンケニコロベツ林道が世界ラリー選手権に使われるとのことで、私たち自然保護団体は林道に調査に行きました。このあたり一帯にはシマフクロウやクマタカ、ナキウサギといった希少動物が生息しているのですが、そのようなところでラリー競技を行ったら森林に生息する動物を脅かすだけではなく、自然環境に大きな負荷を与えます。とりわけ林道のすぐ脇に生息するナキウサギへの影響は重大です。そこで動植物の調査に入ったのです。

 その調査の際、ナキウサギ生息地に測量杭があるのを見つけました。そういえば、ペンケニコロ川に美蔓ダムというダム計画があったという話を耳にしたことがありましたが、その計画は頓挫したものと思っていたのです。しかし、その測量杭を見て、美蔓ダムの計画がまだ生きていて、これから工事を始めるのではないかと思い至りました。そこで、私は北海道開発局の出先機関である帯広開発建設部に電話をして問い合わせ、その悪い予感が当たっていたことを知ったのです。

 私たちは美蔓ダムなるものの計画がどんなものなのかまったく知りませんでしたので、十勝自然保護協会として帯広開発建設部に説明を求めることにしました。そして2005年6月30日に第一回の話し合いが行われました。これを皮切りに、今年の2月まで10回にわたって話し合いが行われることになったのです。

 まず、第1回の話し合いで、「2005農業事業概要」というパンフレットを渡されました。その地図にはペンケニコロ川に「美蔓ダム」が書き込まれていました。そして開建からはペンケニコロ川にダムをつくる計画だったが、今はダムではなく頭首工(取水堰)への変更を検討していると説明されました。ダムはやめて取水堰にし、受益地の近くにため池をつくって導水管でため池に水を送る方式に変更するというのです。受益面積や受益者が減ったというのが変更の理由です。ただし、これはまだ確定していないので公にしないようにと言われました。口止めということでしょう。

 ところで、このかんがい事業の受益地は然別川水系にあります。ならば然別川から水を引いてくるのが筋というもの。ところが取水堰をつくるペンケニコロ川は十勝川の支流です。そこで、私たちが然別川水系から水を取るべきだと指摘すると、然別川は水が少ないので無理だと説明されました。あとから分かったことですが、北海道電力が発電のために然別川の水を堰き止め、導水管で十勝川に送水していたのです。水系を無視した送水によって川の生態系はめちゃめちゃにされており、かんがい用水も確保できない川になっていたのです。

 こうして帯広開建との話し合いがはじめられたのですが、だいぶ後になって帯広開建は私たちに重要な事実を隠していたことがわかりました。(つづく

2009年10月27日 (火)

消える北極海の海氷

 9月21日付けの北海道新聞に「『温暖化で消滅』説に波紋? 北極海氷2年続け拡大」との見出しの記事が掲載されました。2007年に観測史上最小を記録した北極海の夏の海氷が、2008年に続き今年も拡大しているとのこと。しかし、海氷を変化させる要因はよくわかっておらず、調査が進められているとの記事でした。この記事のタイトルからは、北極海の海氷の減少は一時的なものであり、それほど憂慮すべきことではないかのような印象を受けますが、そのあとで連載された館山一孝氏による調査レポート「北極海からの報告」によると、決して安心していられるような状況ではないことがわかります。

 館山氏が参加したのは、夏を越した海氷(多年氷)が多く残る、北極ボーフォート海の海域での調査です。このボーフォート海には時計まわりに流れる「ボーフォート循環」があります。報告によると、ボーフォート海の南の海域では多年氷の厚さが通常は4~6メートルあるのに、今年は1.5メートルほどしかなく、内部はスポンジのように穴だらけなのだそうです。北側の多年氷が3~5メートルあるところでは、古い氷でもできてから3年未満で、内部はぼろぼろの状態とのこと。さらにボーフォート循環の海氷の流れるスピードが10年前に比べて4倍以上に速まっているという衝撃的な報告でした。

 つまり、海氷の面積は2年続けて増加していても、海氷は薄くボロボロになっているということです。こうした北極海氷の大規模な減少の要因について、館山氏は地球温暖化だけではなく海水の循環が関係しているのだろうといいます。つまりボーフォート海の西側に太平洋の暖かい海水が沈みこんで、水深100メートルほどのところに熱がたまっていることが関係しているようです。館山氏によると、5年以内にボーフォート海の夏の海氷は消滅してしまう可能性があるといいます。

 海水の循環については「レジーム・シフトと地球温暖化」で紹介した川崎健氏の「イワシと気候変動」でも説明されていますし、川崎氏も北極海の海氷の融解が海水の循環に取り返しのつかないような大きな影響を与える可能性があることを示唆しています。近代文明は、これまで経験したことのない気候変動や環境変化の中に置かれているといえるでしょう。

2009年10月26日 (月)

ニルス・クリスティの言葉

 先日の記事「厳罰化で犯罪は減るのか?」でお知らせした、NHKの「未来への提言~犯罪学者ニルス・クリスティ~囚人にやさしい国からの報告~」を見ましたが、大変興味深い内容でしたので簡単に紹介します。

 世界の多くの国で厳罰化が進んでおり、日本では地下鉄サリン事件の頃より厳罰化が進んできました。とりわけアメリカでは1980年代から犯罪が急増し、凶悪事件をメディアがしきりに報道して厳罰化を煽ったといいます。そのきっかけになったのが被害者による訴えで、それによってスリーストライク法が成立しました。刑務所では受刑者が増加し、過剰収容で暴動になることもあります。刑務所内の環境は悪化し、受刑者を更生させることができなくなっているうえ、財政難に陥っているといいます。

 ノルウェーでは1960年代に厳罰化したところ犯罪が増加しました。そこで1970年代後半に見直しが行われ、受刑者の社会復帰を目的にした政策がとられるようになりました。ノルウェーでは、ひとつの島が刑務所になっているところがあり、そこでは受刑者が普通の家で自立した生活を営んでいます。外にも出られますし、休暇をとって実家に帰ることもできます。受刑者は助け合って暮らすことで社会のルールを身につけることができるといいます。

 犯罪学者のニルス・クリスティはこういいます。「受刑者は普通の人間であり、私たちは受刑者について知らなければならない。多くの国で刑務所自体が拷問の場となっており、これでは更生にはならない。受刑者の衣食住を良くしなければならない。犯罪者が苦しめば良い社会になるというのは違う。報復は苦しんできた人をさらに苦しめる」

 ノルウェーの刑事裁判では参審員制がとられています。裁判官1人と参審員2人の3人の合議で量刑まで決めるのですが、このようなやり方で市民は厳罰に慎重になるといいます。

 ニルス・クリスティが犯罪に興味を持つようになったのは、ナチスドイツがノルウェーに侵攻した際に、捕虜の殺害があったという事実を知ったことでした。人は特異な状況に置かれると、どんな残酷なこともするということを理解したのです。捕虜を殺さなかった人は捕虜と個人的な話をするなどして繋がりがあった人でした。そのようなことから、犯罪者について考えるようになったのです。彼は、犯罪者にモンスターはいないといいます。

 また、ノルウェーでは被害者と加害者と市民が顔を合わせて解決を図る「対立調停委員会」によって、解決する方法がとられるようになりました。ここで解決すれば裁判にはなりません。この対立調停委員会によって、9000件の事件のうち8000件は解決するそうです。罰を与えるのではなく解決を探る方策がとられているのです。犯罪を減らすには、自分たちの問題を自分たちで解決できるようにすることが大切だといいます。

 ニルス・クリスティが最後に語ったメッセージは「すべての人間は人間である」ということでした。

 以上が番組のおおよその内容です。アメリカの刑務所の映像がありましたが、目を覆いたくなるような悲惨な状況でした。日本でも受刑者の人権などないに等しい状況でしょう。厳罰を課して苦しめるやり方が、犯罪者を更生させるとはとても思えません。そのことがまさにノルウェーの寛容政策で実証されたといえます。ニルス・クリスティの言葉のひとつひとつが重みをもっています。「すべての人間は人間である」という彼の言葉には、他者を想うことの大切さが込められています。私たちはこの言葉をしっかり考え噛みしめる必要があります。ノルウェーの寛容政策は、多くの国が取り入れていくべきことだと実感しました。

 ひとつ気になったのは、日本の裁判員制度がノルウェーの参審員制をモデルにしているという説明でした。裁判員制度については「裁判員制度の真の狙い」にも書きましたが、問題だらけの制度です。そうした問題点にまったく触れないままノルウェーの参審員制をモデルにしていると説明したなら、視聴者はあたかもすぐれた制度であると勘違いしてしまう可能性があります。このあたりは、NHKの体制寄りの姿勢が透けてみえます。

 それにしても、このような番組をどうして総合テレビや教育放送などで放送しないのでしょうか?

2009年10月24日 (土)

嫌がらせコメントについて

 私のブログ(とりわけチャンネル北国tvの方)にはしばしば「嫌がらせ」「荒し」としか判断できないコメントがつけられますが、このようなコメントについての意見を書かせていただきます。

 コメント欄は、あくまでも感想や意見を述べる場を読者に提供するものです。感想や賛同意見、情報提供のほか、異論や反論を書かれるのもいいでしょう。しかし、少なくとも異論や反論を書く場合は謙虚であるべきで、他人の家に土足で上がり込むかのような鷹揚な態度、返事を強要するコメントはマナー違反というべきものです。ブログ管理人は書き込まれたコメントに返事をする義務もなければ責任もありません。

 また異論や反論を書くのであれば、自分の意見、さらにはそう考える根拠をきちんと示すべきです。他の話題に誘導して問題点を逸らせたり、言葉尻を捉えてつっかかったり、細部にこだわった揚げ足取りのようなコメントを執拗にするのであれば、それはもはや異論とか反論ではなく単なる「嫌がらせ」や「荒し」です。ハンドルネームの使い分けや暴言ももちろんマナー違反。このようなコメントについては削除します。

 現時点では嫌がらせやマナー違反ではないと判断されるコメントにはなるべく返事をする方針ですが、不毛な議論をするつもりはありませんので返事をしない場合もあります。また、意見交換したものの平行線にしかならないと判断した場合は、意見交換は打ち切ります。

 そもそも、名前を明らかにして書いているネット上の記事について強く反論したいのなら、自分でホームページやブログを開設し、そこで名前や立場などを明らかにして書くのが筋でしょう。ところが、そのような方はほとんどいません。自分の意見に責任が持てないことの表れでしょう。科学論争などでも論文で主張し合うのが当たり前ですし、ジャーナリスト同士による論争も雑誌などの誌面で行うのが常識。ブログ記事のコメントを利用して匿名で執拗に異議を唱えること自体、非常識かつ無責任な行為です。

 ブログ管理人は読者に気持ちよく読んでもらうために、コメント欄やトラックバックを管理する責任があります。誹謗中傷や名誉毀損などの不法行為あれば削除は当然ですが、「嫌がらせ」や「荒し」コメントを削除するのも管理人として当然の権利です。ところが嫌がらせコメントをつける人たちは、削除に対して必ずといっていいほど「都合の悪いコメントを削除した」「答えられない」と批判のコメントをします。要するに、匿名を隠れ蓑にして攻撃だけをするのです。このような無責任で卑劣な人たちは、相手にする意味も価値もありません。

 では、なぜ嫌がらせコメントをする人がいるのでしょうか? 私の場合、しばしば批判的な記事を書きますので、私に恨みを持つ人による嫌がらせの可能性が高いと思われます。私を疲弊させたり、評価を低下させることが目的なのでしょう。そういう方は、匿名の掲示板などでも私の批判や悪口を書いているのではないかと察せられます。そうではない方の場合は、単なるストレスの発散でしょうか。そんなことでしかストレスが発散できないとしたなら、なんと病んだ社会なのでしょう。

 ということで、私の記事に対して声高に異論や反論を唱えたい方、私を批判したい方は、どうぞご自分のサイトでお名前や立場を明らかにし、自分自身の責任のもとにやってください。

2009年10月23日 (金)

厳罰化で犯罪は減るのか?

 10月2日号(769号)の週刊金曜日に、森達也さんが「森達也が見た『裁判員裁判』」と題して非常に興味深い記事を書いています。この記事の中で最も私の関心をひいたのは、厳罰化とは正反対の政策をとるノルウェーのことです。

 ヨーロッパの多くの国で死刑が廃止されているのに対し、日本は「光市事件」に象徴されるように厳罰化の方向に向かっています。この国の死刑支持率の高さには驚かされるのですが、なぜ人はそれほどにまで死刑を望むのでしょうか? 厳罰化は犯罪の抑止や治安の向上につながっているのでしょうか?

 北欧は厳罰化とは反対の方向に向かっているのですが、ノルウェーの寛容政策において大きな役割を果たしたのが犯罪学者のニルス・クリスティです。ニルス・クリスティの主張を採用して寛容政策をとったノルウェーでは、殺人事件の件数は傷害致死を除いて年間で1件前後。治安は劇的に良くなっているそうです。森さんは、NHKの「未来への提言」の取材のために、この8月にノルウェーに行きました。そして法務省で刑務所の制度設計を担当する官僚に、ノルウェーで厳罰化が進まない理由を聞くと、以下のように答えたそうです。

「犯罪者のほとんどは、教育や愛情の不足、貧しい環境などが原因で犯罪を起こしている。ならば彼らに与えるべきは罰ではない。良好な環境と愛情、そして正しい教育だ。もちろんとても少数ではあるが、いわゆるサイコパス的な人はいる。でもそうであるならばなおのこと、彼らに苦痛を与えても意味はない。この場合はできるかぎりの治療をしなければならない」

 このことはなにもノルウェーに限ったことではありません。日本の犯罪を見ても同じです。また、ノルウェーでは再犯率が低いのですが、その理由は懲役を終えた囚人が住まいと仕事を保障されているからだといいます。そして、ニルス・クリスティは以下のように語ったそうです。

「私は今まで多くの犯罪者に会ってきた。でもモンスターになど、一人も会ったことがない。どこかにいるのかな。君がもし知っているのなら是非教えてほしい」

 お二人の言葉は、厳罰化を求める多くの日本人がいまいちど見つめなおしてみるべきことではないでしょうか。光市事件の関係者を取材して書かれた「福田君を殺して何になる」という本で、著者の増田美智子さんは被告人の素顔に迫ることでマスコミがつくりだしたモンスターのイメージを払拭しようとし、「死刑になることで何か1つでも社会にとって得るものがあるのか」と問いかけましたが、ニルス・クリスティの言葉にこの回答を見出すことができそうです。

 「未来への提言~犯罪学者ニルス・クリスティ~囚人にやさしい国からの報告~」はBSハイビジョンではすでに放送済みですが、BS1で25日(日)の午後8時10分から9時にかけて短縮版が放送されます。是非、多くの人に見ていただきたいと思います。

2009年10月22日 (木)

北海道のヒグマ出没予報の精度

 北海道は、この秋からヒグマ出没予想の情報提供をはじめました( 9月18日付北海道新聞)。これによると渡島半島部を除き例年並の出没だろうとのことです。これは、ドングリ・ヤマブドウのなり具合が例年並だという判断に基づいています。

 十勝管内では10月18日に浦幌町内で、20日に新得・清水間でヒグマが特急列車に衝突したという報道がありました。さる9月26日には糠平温泉近くの国道273号でバスにヒグマがぶつかっています。また、この夏以降、十勝北部の三股山荘のまわりや然別湖近くの道路にしばしば出没して話題になっていました。こうした情報から、ヒグマが餌を求めてかなり広範囲に歩きまわっている様子がうかがえます。

 過去にもドングリが不成りの年には、夏からヒグマが人里に出てくることがありました。そこで、今年のミズナラドングリのなり具合を調べてみたのですが、糠平ではまったくドングリをつけた様子がありません(これは昨年豊作だったので予期された結果なのですが)。さらに確認のため、9月27日に然別湖付近および十勝川上流に出かけた際に、ドングリの成り具合を調べてみました。然別湖の白樺峠で二本のミズナラにそれぞれ1粒のドングリが確認できただけで、それ以外のところではドングリをつけたミズナラを見つけることができませんでした。不作を通り越して凶作といえるほどの不成りです。

 北海道は例年並の成りとしているのですが、少なくとも十勝北部では、この判定はあたっていません。これが続発したヒグマの交通事故と、例年並みという出没情報の乖離の原因ではないでしょうか。北海道が予想するにあたって判断材料としたのは、主に道内の大学研究林から集められたデータでした。十勝地方からは足寄町の九州大学のデータだけで、その足寄のデータは凶作となっていました。

 ヒグマの出没予想情報を出すことに異存はありませんが、もう少し判定の精度を高めるための努力をしてもらいたいものです。北海道には鳥獣保護員という制度があったはずです。彼らからドングリの成り具合について情報を寄せてもらい、サンプリング地点を増やすなどすれば精度向上に繋がるでしょう。

2009年10月21日 (水)

哀しみと豊かさ

 今まで読んだ本の中で、折にふれて何度も読み返したくなるような本はそれほど多くはありませんが、何度も手に取るような本にはきまって心の奥深くで喜びや哀しみ、あるいは感動といったものを共有できる何かが宿っています。そして読み返すたびに、心のどこかに置き忘れていた大切なものを見つけ出した気持ちになるものです。先日読了した藤原新也氏の新刊「コスモスの影にはいつも誰かが隠れている」(東京書籍)も、そんな本のひとつであり、他者の苦悩に目を向ける藤原さんの眼差しと優しさが漂っています。

 この本には、人と人の出会いと別れにまつわる物語が、あたかもその場面に居合わせているような精緻な描写で綴られているのですが、人の出会いや別れ、それによって揺れ動く心ほど、人の心に共感を呼び覚ますものはないのかも知れません。思えば、人と人との出会いや別れほど偶然に支配され、時としてかけがえのない温もりを与え、また時として深い哀しみや苦悩に裏打ちされているものもないでしょう。人は常に哀しみやつらさと共に生き、それによって生かされてもいるのだということが、ここに納められている14編の物語からしみじみと伝わってきます。

 本書に出てくる物語をここで紹介するほど野暮なこともないでしょう。是非、自分の目と心で読んでいただきたいと思います。

 ここでは「あとがき」の最後の一節を紹介しておきましょう。

 そしてあらためて読み返してみるとそこには、人間の一生はたくさんの哀しみや苦しみに彩られながらも、その哀しみや苦しみの彩りによってさえ人間は救われ癒されるのだという、私の生きることへの想いや信念がおのずと滲み出ているように思う。

 哀しみもまた豊かさなのである。

 なぜならそこにはみずからの心を犠牲にした他者への限りない想いが存在するからだ。

 そしてまたそれは人の中に必ずなくてはならぬ負の聖火だからだ。

2009年10月20日 (火)

意見募集をめぐるお粗末

 十勝川水系河川整備計画(原案)への意見募集の締め切りが19日でしたので、18日の夜に帯広開発建設部のホームページから意見を送信することにしました。このページには「意見書に記入の後、送信ボタンを押すと、自動的に記入内容からメールが作成されますので、記載内容を確認して、そのままお使いのメールソフトにて送信してください」と書かれています。しかし、必要事項を記入して送信ボタンをクリックしても、記載内容の確認の画面になりません。うまく送信できないようなので、そのページに記載されているメールアドレス宛にメールで意見を送信しました。

 締切日である19日の夕方に意見募集のページを開くと、18日までに寄せられた意見がPDFファイルで掲載されていましたが、私が送信した意見は掲載されていません。うまく届いていないのかと思って電話で問い合わせると「松田さんの意見は、一部が文字化けしていた。また電話番号が書かれていなかった」とのことでした。一部が読めなかったのであれば、すぐにメールで再送の依頼があってしかるべきですが、不思議なことに締切日の夕方になってもそのようなメールは届きませんでした。

 そして「あとでこちらからメールを送るので、そのメールの返信に意見書を添付してください」と言われました。5時まで待ったのにメールが届かないので、意見募集用のメールアドレスに意見書を添付して送信し、届いたら知らせてほしいと付け加えておきました。その直後に広報係からメールが届いたので、念のためそのメールにも返信して意見書を添付しました。ところが、どういうわけか広報係りへの返信メールは配信されなかったとのお知らせがMail Delivery Systemより届いたのです。

 こんな状態なので、ほんとうに意見書が届いているのかどうか心配になり、20日の朝に広報係の方に電話をしました。ところがいつまで待っても広報係りに繋がらずオルゴールが鳴っています。そのまま10分ほども待たされたでしょうか、携帯電話の方に電話があり、ようやく意見書が届いているとの確認がとれました。また、19日までに届いた意見を21日までにホームページに掲載するとのことでした。ついでに公聴会に出られるかどうかの確認も(公聴会に出られるからこそ、口述希望としたのですが・・・)。

 うまく送信できない意見募集ページ、文字化けして読めない部分があっても再送の依頼もしない担当者、配信されない返信メール、繋がらない電話・・・。何ともお粗末なことだらけです。もし、こちらから問い合わせていなければ、不備があったという理由でボツにでもされたのでしょうか? 帯広開発建設部にとっては不都合な意見書なのでしょうけれど、こんな対応には呆れ果てました。

2009年10月19日 (月)

十勝川水系河川整備計画への意見はどうなるか

 十勝川水系河川整備計画(原案)について、昨日、北海道開発局帯広開発建設部に以下のような意見書を送信しました。意見書の締め切りは今日までで、29日の公聴会の後に住民意見の反映と知事意見の聴取を経て策定されます。いちばん気になるのは、このような住民意見がどれだけ反映されるのかということです。単に「聞き置く」だけなら、形だけの意見募集・公聴会でしかありません。100ページもの資料を読んで意見を書いているのですから、しっかりと受け止めてもらいたいものです。提出した意見がどのように検討されて計画が策定されるのか、注目したいと思います。

十勝川水系河川整備計画(原案)に関する意見書

1.政権交代により治水対策の抜本的見直しが必要

 自民党から民主党への政権交代により、全国でダムの中止や見なおしが進められています。このことは、これまで自民党政権のもとで立てられていた治水計画が全面的に見直されることを意味します。今回提案された十勝川水系河川整備計画原案も、自民党政権下で計画・検討されてきたものです。政権交代によって治水のあり方自体が見なおしを求められている中で、従来の整備計画をそのまま踏襲することは現状にそぐわず不適切です。今回の整備計画原案はすぐに確定させるべきではなく、前原国土交通大臣の治水整備の方針に基づいて再度検討し、提案しなおすべきです。

2.根拠が不明のピーク流量

 今回の整備計画原案においては「戦後最大級の洪水」「150年に一度の降雨確率」に供える治水対策をするとのことです。十勝川水系では昭和56年に数百年に一度といわれる大雨が降りましたが、このときの帯広地点での流量は4952立方メートルでした。これだけの水が流下しても堤防から水が溢れることはありませんでした。今回の原案では、帯広地点での河道への分配流量は4300立方メートルとしています。過去に4952立方メートルの水が流れているのですから、4300立方メートルの流量はすでに確保できています。ところが、今回の原案では帯広地点でさらに掘削工事が必要だとしているのです。説明が破綻しています。

 今回の原案においては、堤防整備や河道掘削の前提となる流量の設定の根拠が書かれていません。たとえば基本高水流量の算出の基になっている150年に一度の確率とされる大雨の降雨量や時間当たりの降雨量などの数値が示されていません。帯広地点においては、基本高水のピーク流量を6800立方メートル、計画高水流量を6100立方メートルとしていますが、過去に4952立方メートルの水が流れた際も破堤や溢水は生じておらず、この数値はきわめて過大に算出されたものとしか考えられません。また、流下能力不足の解消を目的に平成19年に千代田新水路が完成し、現在は同様の目的のもとに相生中島地区の水路掘削工事が行われていますが、これらの水路掘削による治水効果についても何ら具体的な説明がなされていません。直線化によって早く水を流すという考え方は、下流部での洪水を誘発することにつながります。したがって、このような水路掘削が本当に有効であり必要なのかという疑念が持たれます。 治水対策の根拠となる具体的数値を提示して納得のできる説明をしない限り、この整備計画原案は認められません。

 また、帯広開発建設部のホームページでは、十勝川水系において「浸水想定区域はんらんシュミレーション」を公開しています。このシュミレーションでは堤防にそって破堤点を想定し、時間を追って浸水状況が示されるようになっています。このシュミレーションは、氾濫計算条件として150年に一回程度起こる大雨が降ったことにより十勝川が氾濫した場合に想定される浸水の状況を示したもので、指定の前提となる計画降雨は、十勝川流域の3日間総雨量214.8ミリとされています。今回の整備計画原案資料によると、3日間の流域平均雨量で最大の記録は、昭和56年8月の283.8ミリ(帯広地点)です。前述したように、これだけの降雨があっても堤防が決壊したり堤防を越えて水が溢れることはありませんでした。しかし、このシュミレーションでは昭和56年8月の大雨より少ない雨量での破堤を想定していることになります。このような想定は実態とは合致せず、非現実的です。しかもこの雨量で破堤を想定するということは、現在の堤防構造に欠陥があることを意味することになり、看過できません。このシュミレーションは、根拠のない破堤を想定して周辺住民に洪水による危険性を煽り、本整備計画原案に盛り込まれた根拠不明の整備を正当化するものといえます。

3.過去の被害とその原因からの対策

 洪水対策を考える上では、過去の被害と原因を究明し、どのようにして被害を防ぐかを検討する必要があります。たとえば、農地が冠水した場合と市街地が浸水した場合では危険性や被害額が異なり、治水対策も変える必要があります。22ページおよび23ページに洪水被害の概要が示されていますが、昭和56年8月の時点では堤防の整備が進んでいたために、被害は上流部の支流および内水氾濫が主であったとされています。近年の被害も内水被害が主です。そうであれば堤防の整備や河道掘削よりも内水氾濫の対策を重視すべきですが、内水被害を軽減させるための対策については80ページに4行の記述があるにすぎません。過去の被害ごとに原因を究明し、それを基にどの程度の治水対策が必要であるかを検討したうえで整備計画をたてることを求めます。

4.遊水地などによる治水の検討

 近年では、ダムや堤防によって水を封じ込める治水のあり方は適切ではないとして、遊水地などによる治水が行われるようになってきました。しかし、今回の整備計画ではそのような検討が具体的になされたかどうかが書かれていません。説明会でこの点について質問したところ、遊水地などによる治水についての検討もなされたが採用されなかったとの説明がありました。なぜ採用されなかったのか、検討内容について明らかにすることを求めます。

5.河畔林と流木の問題

 洪水時の水位の上昇や流木発生を防ぐために河畔林(河道内樹木)の管理が必要だとのことですが、河畔林は野生動植物の生息・生育地になっているほか、流速を低下させて下流域の洪水を軽減させる役割があります。また、上流からの流木を捕捉する役割もあります。したがって、安易に河畔林を伐採するべきではありません。流木による漁業被害を防ぐ必要があるとのことですが、どこから流木が発生しているかについて調査を行い、その結果を公表することを求めます。

6.絶滅危惧種の欠落

 動植物の生息・生育状況の記述で、十勝川下流部(45ページ)の確認種に、国が絶滅危惧種(絶滅危惧Ⅱ類)に指定しているイソコモリグモが欠落しています。このデータは「河川水辺の国勢調査」によるものとのことですが、生息している動植物を取り上げている以上、少なくとも絶滅危惧種については把握すべきです。

7.事業費の明示

 整備計画案の事業費については新聞報道がありましたが、計画案では費用のことは説明されていません。説明会で質問したところホームページに掲載されているとのことでしたが、どこのページに書かれているのかわかりませんでした。治水対策に莫大な税金が投入される以上、整備計画案に事業費の説明も盛り込むべきです。

8.説明会と意見募集

 今回の原案の縦覧は9月10日からでしたが、説明会は9月29日から10月8日にかけてであり、最後の説明会から意見募集の締め切りまでは10日間しかありませんでした。これでは十分な検討ができません。縦覧と同時にすみやかに説明会を開催することを望みます。

2009年10月18日 (日)

木の上に生えた木

P1010312  先日とある林道に入ったところ、目を疑うような光景に出会いました。なんと見上げるようなカツラの木の横枝から、エゾマツが生えているのです。エゾマツの生えているところは、地上から10メートルほどはあるでしょうか。こんな不思議な光景ははじめてです。カツラの木は幹が根元で何本かに分かれているので、萌芽(ひこ生え)が育ったものでしょう。向かって右側は幹にはまだ葉が残っていましたから生きているのですが、エゾマツが乗っている方はすでに枯れているようでした。

P1010311  倒木の上に落ちた樹木の種子が発芽して育っていくことを倒木上更新(倒木更新)といいますが、このエゾマツは倒木ではなく立っている枯木の枝上で発芽して育ったのです。それにしても、よくこんな高いところで生きつづけているものです。ここまで育つまでに、何度も大風を経験しているに違いありません。決して地面に根を下ろすことができない場所に芽生え、風雨に負けずに枝にしっかりとしがみついて生きているエゾマツの生命力に、自然の不可思議さを感じずにはいられません。

2009年10月16日 (金)

暴れる沢と斜面崩落

 先の休日に、タウシュベツの皆伐地の調査に出かけました。前回ここを訪れたのは8月中旬ですから2ヶ月ほどしか経っていないのですが、驚くほど様子が変わっていました。

P1010287  まず、沢の様子です。今年は雨が多かったということもあるのでしょうけれど、沢の流れがガラリと変わっていました。おそらく雨のたびに、流れがあちこちに動いたのでしょう。皆伐地のあたりでは作業道上に何本もの流れができており、道そのものが川になっているところがありました。森林管理署の職員は、作業道をつける際に沢の流れは大きく変えていないとうそぶいていましたが、ちょっと雨が降っただけでこんなふうになってしまうのですから、沢を潰すようにして作業道をつくったことは明らかです。作業道が沢の流れを変えてしまったことで、沢沿いの風穴の斜面も崩落してきています。

P1010289  皆伐地の下の縁には亀裂が入り、谷側にずり落ちてきています。縁に積み上げられた枝や切り株の山は、谷側にわずかに残された森林の中に部分的に崩れ落ちています。このまま斜面がずり落ちていけば、斜面に生えている木が倒れてしまう可能性があります。斜面を撹乱した皆伐によって斜面崩落が生じているのです。

 皆伐地の入口の様子も違っていました。ここには面積、苗木の樹種や本数などが書かれた「育成天然林」の表示板があったのですが、それが奥の方に移動されていました。表示板が立っていたところが崩れてしまったのではないかと思われます。急斜面にブルドーザーを入れて岩屑をむき出しにしてしまったために、斜面崩落が進行しているのです。懸念していたことが現実になってきています。いじってはいけない沢であり、斜面だったということです。

2009年10月14日 (水)

根拠不明の治水対策で1600億円

P1010262  一週間ほど前のことになりますが、8日に音更町で十勝川水系河川整備計画(原案)の説明会があったので参加しました。この原案は北海道開発局帯広開発建設部が、今後30年間の河川整備計画についてまとめたもので、原案縦覧・説明会、意見募集、公聴会を経て計画を策定することになっています。

 参加者には100ページの説明と29ページの附図からなる分厚い資料が配布されました。これはインターネットでも公開されていますが、全部読んで理解するのはなかなか大変な資料です。その分厚い資料の説明がスライドを用いて45分ほどで行われたのですから、もちろん駆け足で概要の説明をすることしかできません。

 ところで、河川の整備計画といっても、その中身は治水が中心です。十勝川水系の場合、新たにダムを造るのではなく、堤防の整備や河道の掘削で対応するというわけです。9月10日の北海道新聞によると、堤防整備に約230億円、河道の掘削に約860億円、堤防の保護対策に150億円、その他(広域防災対策や耐震対策など)に約360億円で、合計約1600億円が見込まれているそうです。

 十勝川では、洪水のときに速やかに水を流すという目的で、千代田新水路が平成19年に完成したほか、現在同様の水路を相生中島地区に建設しています。相生中島の水路については、十勝自然保護協会は帯広開建に「現在の流路でどれほどの降雨量があると洪水を起こすのか、そしてそれはどれほどの確率か」ということを質問したのですが、これについて数値を示して説明することはありませんでした(「十勝川水路工事で再質問書を送付」参照)。直線化が必要であるという根拠も示さないまま直線化の工事をし、これらの工事が終わったあともまだ洪水時に十分な流量が確保できないところがあるとして、堤防の整備や河道の掘削などに1600億円もの税金をつぎ込むというのです。

 十勝川水系では昭和56年に数百年に一度といわれる大雨が降ったのですが、このときの帯広地点での流量は4952立方メートルです。これだけの水が流下しても堤防から水が溢れることはありませんでした。今回の原案では、帯広地点での河道への分配流量は4300立方メートルとしています。過去に4952立方メートルの水が流れているのですから、4300立方メートルの流量はすでに確保できています。ところが、今回の原案では帯広地点でさらに掘削工事が必要だとしているのです。説明が破綻しているとしか思えません。

 説明の後の質問時間にも、治水対策の根拠となるピーク流量の設定についての質問が出されました。ところが、帯広開建は具体的な数値を示すことができず、曖昧な回答に終始しました。

 帯広開建の意味不明なやり方でいくなら、永遠に堤防のかさ上げや掘削工事を続けることができるのではないでしょうか。これでは治水のための整備ではなく、工事のための整備です。治水の根拠となる数値を具体的に説明できない限り、整備計画原案を認めることにはならないでしょう。

2009年10月13日 (火)

「福田君を殺して何になる」を読んで

 フリーライターの増田美智子さんが書いた「福田君を殺して何になる」(インシデンツ)の出版をめぐっては、10月5日に光市事件の弁護団が広島地裁に出版差止めの仮処分を請求したことで波紋を呼んでいます。10月7日付けの北海道新聞によると、弁護団側は「実名表記に同意せず、中止を求めたのに出版を強行した」とし、著者の増田さんは「本人に実名で書くと伝え、了解を得ていた。仮処分の目的は弁護団による事前の検閲。報道の自由への重大な侵害だ」としています。

 発売前であるにも関わらず、実名表記についての本人の了解をめぐって弁護団が仮処分申請をしたことについて、正直いって非常に驚きました。本のタイトルから察するならば、被告人である元少年の視点に立った本としか思えないのに、著者と弁護団の間でこのような対立が生じるのはなぜなのか? 両者の間に何があったのか? その疑問は、本書を読むことで解けてきました。

 本書の執筆の動機は、増田さんが、ジャーナリストの綿井健陽さんが月刊誌「創」などに書いていた光市事件に関する記事を読み、「本当に死刑が妥当なのだろうか」と感じたことにあります。増田さんは元少年の同級生や家族、教師などを取材することで、元少年の実像を明らかにすることを試みます。取材に応じてくれた人たちの言葉から浮かび上がってくる元少年の人物像は、マスコミなどで報道されたような凶悪犯、知能犯などというイメージからはかけ離れており、どちらかといえばひょうきんな側面をもつ内向的な少年です。これは弁護団などの主張とも一致します。

 本書は、元少年の「不謹慎な手紙」の文通相手である拘置所で知り合った少年にも取材しています。文通相手であるA君は、交通事故で高次脳機能障害を負っているとのことでしたが、「不謹慎な手紙」を検察に提出することになった理由について以下のように説明しています。

 「出所してしばらく経ったころ、自宅に僕が起こした傷害事件の担当刑事と、光市母子殺害事件を担当する刑事が訪ねてきました。『最近どうだ』『ちゃんと仕事しているのか』というひととおりの挨拶が終わったところで、本題が切り出されました。『ところでお前、光市の事件の犯人と文通しとるのう。検察側から要望がきとる。1点の真実でいいから、判断材料が欲しい。本当に公正な裁判が行なわれるために、出してくれ』と。刑事は『犯人を死刑にするために』なんていいません。僕は子どものころから警察と折衝してきましたから、警察のもの言いはだいたいわかっています。『建前だな』と思いました。(中略)僕は当事、まだ執行猶予中で、断ればどんな微罪をふっかけられて逮捕されるかわからない。逮捕されれば執行猶予は取り消され、刑務所送りです。断れませんでした」(108ページ)。

 A君は差し戻し控訴審で死刑判決が下された直後に、最高裁に提出した手紙の仮還付請求をしたそうです。A君曰く、「請求書には、手紙を提出したのは、公明正大な裁判を期待したためで、被告人を死刑にするためではない。私が手紙を提出したことにより、被告人が死刑判決を受けるのであれば、私は一生、罪の意識から逃れられない、というようなことを書きました。最高裁には却下されましたが」(110ページ)とのこと。

 しかし、A君は刑事の「公正な裁判が行われるために」という言葉が「建前」であると察したのなら、検察に手紙を渡すことが、どういう意味を持つのかよくわかっていたはずです。検察が無期懲役を不服として控訴した際、A君は元少年への手紙にも、次のように書いているのです。

 「新聞で知ったが、検事のアホに上告(筆者注・「控訴」が正しい。以下同)されたらしいな。クソ検事!! 上告する意味がわかってんのか!! もしかすると人が三人も死ぬかもしれんのだぞ!! 国が人を殺すのは殺人となんら変わりはない。ただの合法的殺人だ!!(後略)」(102ページ)。

 それにも関わらずA君が検察に手紙を渡してしまったのは、やはり警察の無言の圧力に抗しきれなかったからではないかと思わざるを得ません。A君の葛藤が伝わってきます。

 私がこの本で多少なりとも衝撃を受けたのは、弁護人への取材について書かれた「6章 弁護士」です。増田さんは2審の弁護人や今の弁護団にも取材を求めているのですが、ことごとく取材拒否をされてしまいました。増田さんが死刑判決の直後に広島拘置所の元少年に手紙を書き、面会について手紙でやり取りをしたところ、その手紙を元少年が弁護団に渡し、弁護団から面会の申し出を断られたというのです。その理由は、増田さんが報道関係に身を置くことを隠していたことが不適切であり卑劣だというものです。しかし、増田さんはご自身がフリーライターであると手紙の冒頭で書いています。なぜ、弁護団は面会を拒否したのでしょうか? いったい弁護団にそんな権限があるのでしょうか?

 弁護団は確かに偏ったマスコミ報道によってバッシングにさらされた報道被害者といえるでしょう。そうした経緯からも、弁護団側がマスコミに対して過敏に反応してしまうことはわからなくもありません。しかし、この6章を読む限りでは、弁護団はマスコミに対して疑心暗鬼になって警戒心を強め過ぎ、結果として不適切な対応をしてしまったとしか思えません。増田さんはそんな弁護団の対応に疑問を抱き、その経緯を赤裸々に記述しています。

 増田さんの取材に応じ、本書の解説を担当した今枝仁弁護士は、その解説「F君の『言の葉』に込められた魂の逡巡を読み解いてほしい」の中で、取材について以下のように記述しています。

 「著者は、過去から現在までのF君の弁護人をあたり、けんもほろろに取材拒否され、反感を抱いた。その描写が弁護団バッシングを再燃させ、ひいてはF君に心理的負担を与えないか心配もある。とはいえ、『弁護人のマスコミ対応』という問題を考察するうえでの価値に期待したい。僕は僕なりに誠意を持って取材に応じたこともあり、著者はよく真意を書いてくれていると思う。もっとも、僕は多くの弁護士から『取材に応じて被疑者・被告人の利益になることは絶対にない。むしろ不利益になるばかりか、(弁護士の)守秘義務違反が問題になる』と叩かれている」(230ページ)。

 私は弁護団の原理原則を重視する弁護方針には深く共感しますし、真摯な弁護活動を高く評価してきました。その気持ちは今も少しも変わっていませんし、本書を読んで弁護団の主張が間違っていなかったとの確信を強めました。また、弁護方針についてはどちらかといえば今枝弁護士より安田弁護士を支持する立場です。しかし、本書で明らかにされた弁護団の対応には大きな疑問を抱かざるを得ません。今枝弁護士の解説にあるように「取材に応じて被疑者・被告人の利益になることは絶対ない」のでしょうか? これまでの弁護団のマスコミ対応は本当に適切だったのでしょうか?

 さらに、出版差止めの仮処分請求は正当なものなのでしょうか? 「実名で書くことについて、元少年の了解を得ていた」という増田さんに対し、「実名に同意していない」と主張して争うことは、元少年を精神的に苦しめることになるとしか思えません。弁護団はそのことをどう考えているのでしょうか。私には、弁護団のメディア対応と今回の出版差止めの仮処分請求は、自分で自分の首を絞めるような行為としか思えないのです。弁護団のマスコミ対応については、今枝弁護士が警鐘を鳴らしていました。それにも関わらずこのような方向になってしまったことは、非常に残念としかいいようがありません。弁護団は本書の意味をしっかりと受け止め、被告人のために仮処分請求を取り下げてほしいというのが私の想いです。

 最後に、問題とされている実名表記についての私見を書きたいと思います。増田さんは実名表記について217ページで触れていますが、匿名報道が元少年の人格を理解することを妨げているとしています。また、モンスターのようなイメージがふくらみ、それが死刑を望む世論を形成しているのではないかとも述べています。それに対し、あえて実名を出す必然性はないのではという声もあるようです。私は本を読む前は、実名表記がどれだけの意味があるかについて判断できませんでしたが、実際に読んでみて増田さんの主張もストンと胸に落ちました。元少年は今でも未熟な側面があるとはいえ、すでに28歳になり自分の意見もしっかりと言えるまでに成長しています。本人が同意したのなら、実名表記は決して無意味なものとは思えません。版元であるインシデンツの寺澤有氏も、そのように判断したのではないでしょうか。

 「死刑になることで何か1つでも社会にとって得るものがあるのか」という増田さんの問いは、私たち一人ひとりに発せられていることです。その問いかけを考えるためにも、本書が多くの人に読まれることを望みます。

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2009年10月 9日 (金)

大規模林道中止か!

 北海道の自然保護団体が長年にわたって反対してきた大規模林道(山のみち)という、税金の無駄遣いの典型ともいえる公共事業が中止になる公算が大きくなってきました。

 今日の北海道新聞には、「道、事業継続は困難 中間報告 年明けにも中止決定」というタイトルで、ほぼ中止といえるスタンスの記事が掲載されました。一方、朝日新聞では、「大規模林道8割中止か 道方針事業化可能1区間」とのタイトルで、必要性や費用対効果などについて検討した結果、3路線7区間のうち6区間は中止となりそうだという内容で、道新より詳細な記事になっています。

 朝日の記事によると、事業化の可能性のあるのは「平取・えりも線」の「静内・三石区間」だけとしています。しかも、この区間とて新ひだか町は「費用負担は困難」としている上、事業費は67億5700万円もかかる見込みだそうです。ここは一日の平均の交通量は2台とか・・・。こんな道路に税金を使うことに納得する人など利害関係者以外はいないでしょうね。それにしても、どうしてこの区間だけは費用に見合う効果が見込めるという結論になったのでしょうか。不思議、不思議・・・。

 まだ本決まりではありませんが、中止の決定まであと一歩というところでしょうか。

 一年くらい前に北海道に費用対効果について質問したところ、計算をしている最中だといっていたのですが、その数値はずっと公表されませんでした。林野庁はこれまで費用対効果はあると主張していたのですが、今回の北海道の試算によってそれは覆されたといえそうです。林野庁の試算がいかにいい加減なものだったかということがわかります。

 北海道の大規模林道の進捗率は46パーセントで、すでに半分近くが建設され335億円を費やしたとのことですが、建設途中で中止に追い込まれた部分は「負の遺産」として立て札でも立てておくといいでしょう。「この国では、かつてこんな不要な道路を造って自然を破壊し、税金の無駄遣いをしました」という証拠として。

2009年10月 8日 (木)

北海道の矛盾した説明に唖然

 6日は「えりもの森裁判」でした。といっても、今回はラウンド法廷という円卓の法廷で非公開で行われました。この裁判を起こしたことで、問題としている皆伐に関連してつぎつぎと不可解なことがわかってきたのですが、それによって論点が解りにくくなってしまいました。裁判所も論点の整理をしたいということで、裁判官が原告と被告に疑問点を聞くことを目的に円卓での口頭弁論になったのです。論点の整理ですから、裁判官が原告と被告の主張に対して「こういう理解でいいのか」という具合に、具体的に確認の作業をしていくということです。

 えりもの森裁判で私たちが主張しているのは、「天然林受光伐」としながら実際には皆伐して植林をし、さらに集材路の造成でナキウサギの生息地を破壊したということです。受光伐とは、森林の一部を伐採することによって、森林の内部にまで光が当たるようにし、稚樹や若木など下層木の生長を促して森林を複層化する伐採方法のことです。すなわち、後継樹の成長を促すことを目的に、単木または群状の抜き伐りをすることです。天然林を皆伐して植林をするという行為は、とうてい受光伐などといえるものではなく、拡大造林そのものです。そして、売買契約をした376本よりはるかに多い木を伐っていました。この過剰な伐採について被告は、植林の邪魔になるので伐ったと主張していますが、植林の支障になっていない木も多数伐られています。この伐採においては、収穫調査から木材の販売、さらに伐採の区画をめぐってさまざまな疑問や疑惑が生じています。私たち原告は、こうした一連の行為が違法だといっているのです。

 さて、今回の話しの中で、内心、非常に憤慨したことがあります。というのは、被告である北海道の職員の「玉取り」についての説明です。

 収穫木を指定するための調査野帳には、収穫木の376本の木の樹種や胸高直径などのデータが記入されているのですが、376本の収穫木のうち、胸高直径36センチ以上の木の根株にはナンバーテープとピンクのスプレー、34センチ以下の木(これを「玉取り」としている)にはピンクのスプレーで印をつけたことになっています。つまり収穫木にはスプレーがなければならないことになります。しかし、伐採した直後に実際に現場の伐根を確認したところ、ナンバーテープもスプレーもない伐根が複数ありました。すなわち盗伐が疑われるのです。  昨年の秋、裁判所と原告・被告が現地に検証に行きましたが、その際に原告らはナンバーテープもスプレーもないウダイカンバ(ウダイカンバの材は高額)の伐根を指し示しました。この木は植林の邪魔にはなっていません。ですから盗伐が疑われるのです。すると道職員は、「このあたりは直径が小さめな木が多かったので、区画を決めてその中の34センチ以下の木を玉取り扱いにした。だから区画内の木にはスプレーをつけていない」という説明をしたのです。たとえ「玉取り」する区画を決めたとしても、収穫木に印をつけながら調査しなければ、どの木を調査したのかもわからなくなるでしょう。とても不可解な説明です。

 ところが、6日の口頭弁論では、現地での説明と異なる説明をしました。つまり、「玉取り」とは胸高直径34センチ以下の収穫木を野帳へ記入する際の様式であり、業者はナンバーテープとスプレーで特定されている376本の収穫木を伐ったという主張です。ならば、スプレーのない伐根はどう説明するのでしょうか? 現場での説明と法廷での説明が明らかに食い違っており、現場での説明は言い逃れとしか思えません。

 これでは、いったい何のために現地に行ったのでしょうか。現場での道職員の説明は何だったのでしょうか? 裁判官に対し、こういう矛盾した説明を平然とする道職員には心底呆れるというか、怒りを覚えました。

 次回も、ラウンド法廷で論点の整理の続きをすることになっています。

2009年10月 4日 (日)

レジーム・シフトと地球温暖化

 環境問題とか生態系といえば、多くの人は陸上のことが頭に浮かぶと思うのですが、先日読んだ川崎健氏の「イワシと気候変動」(岩波新書)は、海洋生態系をめぐる壮大なシステムについて論じた大変興味深い本でした。

 まず冒頭で、イワシの減少が人による乱獲によるのではなく、世界の大気と海と海洋生態系が連動して数十年の時間スケールで変動しているためであることが解き明かされていくのですが、このシステムが本書のテーマとなっているレジーム・シフト理論です。著者の川崎氏自身が発見したこの理論は現在世界的に認められ、1990年代に入ってからは水産資源学、海洋生物学、気象学、海洋物理学までも包含する分野に発展しているそうです。この理論は海洋生物資源の持続可能な利用を考えるうえで、無視することのできない重要なものです。

 陸上では人類による狩りで絶滅した生物は多数いるのに、海洋では強い漁獲圧によって絶滅した魚類を知らないと川崎氏はいいます。それは数十年のタイムスケールをもつレジーム・シフトという生物生産のメカニズムによって、海が安定した状態に保たれているからです。これまで海洋生態系について全く知識のなかった私にとって、本書で展開されているこのダイナミックなシステムは、非常に新鮮でありかつ驚くべき内容でした。

 海洋生態系と海洋生物資源は、系の外側から乱されない条件の下では、正常なリズムでレジーム・シフト、すなわち変動を行っているのですが、その正常な変動が乱されたり破壊されたりする可能性として、川崎氏は二つの要因を取り上げています。ひとつは乱獲であり、もう一つは地球温暖化です。前者の対応としては、漁獲量が減少したときには漁獲をせずに資源を保護して回復を待たなければならないとして、現在の漁業に警鐘を鳴らしています。さて、後者の地球温暖化はレジーム・シフトにどのような影響を与えるのでしょうか。

 グリーンランド海とラプラドル海の二ヶ所では低温の高密度水が深海に向かって沈みこんでいます。その高密度水(北大西洋深層水)は南下してさらに東に流れて北太平洋北部で浮上し、高温の表層流となって元に戻ってくるコンベアベルトという大きな海流の循環を形成し、これによって世界中に熱が運ばれています。コンベアベルトの出発点は二ヶ所の沈降点で、ここがレジーム・シフトの変動のタクトを振っているといいます。ところが地球温暖化によって北極海とグリーンランドの氷が融けて淡水がノルディック海に流れだすと、それが表層に広がってグリーンランド海とラプラドル海にあるコンベアベルトの片方あるいは両方の沈降点に蓋をすることになります。その結果、コンベアベルトが停止して熱塩循環が閉鎖され、地球の気候が暴走する恐れがあるというのです。

 もちろん実際にそのようなことが生じるどうかはわかりませんし、あくまでも可能性ですが、地球温暖化問題を考えるときこうした可能性も常に頭に入れておかなければならないでしょう。先の「気候変動と地球温暖化」でも触れたように、人類は地球温暖化によって非常に大きな局面に立たされているといえるのではないでしょうか。

2009年10月 3日 (土)

貪欲なる林野庁

 先のシルバーウィークに、小夕張岳に登りました。夕張岳に登るには大夕張コースと金山コースの二つの登山ルートがあるのですが、小夕張岳は金山コースの途中にある山です。この金山コース、かなり長いうえにお花畑が少ないので登山者には人気がないようです。この日も、休日というのに誰にも会いませんでした。誰もいない山は静かで最高です。登山者名簿を見ると、9月に入ってからはなんと2パーティーの記録しかありません。もっとも登山道に新鮮なクマの糞があったり、標識がクマにかじられていたり・・・。静かな登山を楽しみたい人にはもってこいですが、クマさんの気配を気にしながら歩かねばなりません。

P1010137  さて、標高1000メートル近くまで登ったところで、ダケカンバの大きな切り株に出くわしました。この標高になると針葉樹も少なくなり(このあたりは針葉樹は多くありませんが)ダケカンバが優占してきます。針葉樹の生育が困難になってくる高標高地では、伐採などすべきではないのです。少し下にも針葉樹の朽ちた切り株がありましたので、この山はかなり前に伐採が入っているのですが、標高1000メートルもあるところに比較的新しい切り株があるのには驚きました。よくもこんなところまで伐ったものだと・・・。

P1010138  すると、そのすぐ上で古い作業道跡にぶつかりました。若いダケカンバやササに覆われているので一般の登山者は気付かない人も多いでしょう。しかし、良く見れば過去に作業道がつけられたことがわかります。写真は作業道と登山道が重なっている部分です。山の斜面はかなり急なところもあるのですが、斜めに作業道を切って、こんなところまで伐採したのです。林野庁の貪欲さには呆れ果ててしまいました。国立公園や国定公園の中でなければ、こういう作業道や伐採は問題ないという感覚なのでしょうか。もっとも、国立公園の中でも似たような伐採はやっていますが。

 ちなみに、登山口に置いてあった林野庁のパンフレットには「登山のマナー」として以下のように書かれていました。

 「高山植物等を採取するのはやめましょう。森林窃盗罪という犯罪行為になります」

 高山植物の採取をしないよう呼びかけるのはわかりますが、標高1000メートルのところにまで重機を入れて伐採する林野庁の行為は許されるのでしょうか? 作業道の開削でさまざまな植物を傷めつけたはずです。林野庁こそ、あちこちで盗伐や越境伐採などの違法行為をし、生長量を超える伐採をして天然林をボロボロにしてきた張本人です。盗人が泥棒をするなと言っているようなものです。

2009年10月 2日 (金)

認識すべきダムの弊害

 今日の北海道新聞に、見直しの焦点となっているサンルダムと平取ダムについての記事が掲載されていました。北海道で見直しの対象となった10ヶ所のダムのうち、サンルダムと平取ダムは本体着工時期が迫っていることから、入札が延期される可能性が高くなってきました。

 この記事の中で、前原国交相が就任記者会見で「ダムに砂がたまれば、海岸線への砂の供給が減り、海岸浸食に対する護岸整備をやらなくてはならなくなる」と述べたことが記されています。

 私も、ダムに大量の土砂が堆積して大変な状況になっていること、そしてイソコモリグモの生息調査で目の当たりにした北海道の海岸浸食の凄まじさを報告してきました。日本の海岸はダムと漁港建設によって浸食が進み大変なことになっています。ところが海岸浸食の現状については、海水浴場の維持や自然への影響などの視点から新聞などが記事にすることはあっても、その大きな原因となっているダムや漁港建設にまで言及することはほとんどありませんでした。そのような意味で、前原国交相の発言は大きな意味があります。

 海に行くことがない人はあまり気付かないかもしれませんが、海岸浸食対策としてテトラポットやコンクリート護岸に多額の税金がつぎ込まれ、自然の海岸がどんどんなくなっているのです。また、治水を目的としているダムでは、たまった土砂を取り除いて十分な貯水容量を確保しなければなりません。ダムがある限り永遠にこのような対策を続けなければなりません。新たにダムをつくれば堆砂対策に永遠に税金がつぎ込まれることになるのですから、建設に関わる事業費だけを問題にすべきではないのです。

 ダムの中止や見直しに当たっては、地元自治体などから反対や補償を求める声がありますが、彼らにはダムの抱えるマイナス面を見つめようという姿勢がみられません。治水にしても、ダムができてから洪水被害がひどくなったり、水が引きにくくなった場合もあるという現実を無視しているようです。いったいダムにプラスの側面などどれだけあるのでしょうか? ダムによってもたらされる弊害こそ、認識すべきでしょう。

2009年10月 1日 (木)

気候変動と地球温暖化

 田近英一著「凍った地球 スノーボールアースと生命進化の物語」(新潮選書)という本を読んだのですが、非常に衝撃的な内容でした。地球は何度も寒冷な気候と温暖な気候を繰り返していることはもちろん知っていましたし、過去に地球全体が凍り付いていたことがあるということもNHKの番組で知っていましたが、そのダイナミックな気候変動のメカニズムの謎解きからはじまって生物進化にまで言及している本書は、環境問題や生物学に興味を持つものにとって非常に興味深く刺激になる内容です。

 とはいうものの、私がここで話題にしたいのは地球温暖化懐疑論についてです。従って、この本の内容については、以下のサイトを参考にしていただけたらと思います。

今週の本棚:中村桂子・評『凍った地球-スノーボールアースと・・・』=田近英一・著 

 さて、日本では二酸化炭素による温暖化説に対して、複数の懐疑論者が異を唱えています。懐疑論については「温暖化への異論は信用できるのか?」 「温暖化懐疑論と反論」 「学術学会とIPCC」などでも取り上げていますが、私自身はこれまで懐疑論はにわかに信じられないものの、どちらが正しいかについての確信は持てず、学者がそれぞれの意見を主張するのは大いに結構なことだと思っていました。そして、人為的な二酸化炭素放出によって地球が温暖化しており、人類にとって大きな脅威となりえる可能性が高い以上、真剣に削減のための行動をとるべきだという考えでした。専門的なことは理解できないとしても、たとえば「日本の科学者」42巻12号に掲載された「地球温暖化問題への自然科学的アプローチ」という論文を読むなら、IPCCの第四次報告書の根拠は納得できます。そして、田近氏の本で、懐疑論への疑問が非常に強まりました。

 本書では、過去約80万年間にわたる気候変動も、過去約5億4200万年間の気候変動も、大気中の二酸化炭素濃度の変動と見事に同期していることを指摘し、二酸化炭素濃度の変動が、少なくとも気候変動を増幅させてきたことは疑いようもないとしています。懐疑論についての記述を以下に引用します。

 「もっとも、こうした過去の二酸化炭素の変動は、気候変動の『原因』ではなく『結果』である、という主張もある。これは、両者の変動のタイミングに、時間的なズレが存在する可能性を指摘したものだ。二酸化炭素濃度の増加による現代の地球温暖化は間違いだとする一部の主張は、過去の気候変動についても、二酸化炭素濃度の変動が原因ではない、と解釈する。アメリカでは、このような主張が政治や産業界と結びつき、ゴア元副大統領の訴える「不都合な真実」を受け入れてこなかったことはよく知られている」

 過去のデータからも、二酸化炭素の増加によって地球の温暖化がもたらされたのは疑いようがないでしょう。懐疑論者の主張の整合性が問われることになります。

 気候変動のメカニズムについては割愛しますが、この本の94ページでは、地球には二酸化炭素の分圧に応じて無凍結状態・部分凍結状態・全球凍結状態という3つの安定した状態があり、ひとたび安定解を超えると、別の安定した状態に急激に移行する(気候ジャンプと称している)ことが示されています。たとえば、部分凍結状態で氷床が緯度30度付近まで拡大すると、全球凍結に向かって一気にジャンプし、数百年程度で赤道まで氷に覆われるだろうと推測しています。さらに、全球凍結状態で二酸化炭素分圧が0.12気圧になると、一気に無凍結状態に移行すると推測しています。無凍結状態から全球凍結までとりえる地球の気候変動が、いかにダイナミックなものであるかを物語っています。そして、現在は部分凍結状態にあるわけです。

 現在人類が直面している地球温暖化は、過去の大規模な変動とは時間的スケールが全く異なりますし、現時点ではその変動規模はとりわけ大きいとはいえないかもしれません。しかし、過去の大変動について知ることは、化石燃料の大量消費による温暖化によって今後地球がどうなるのかを予測するためには不可欠なことです。著者はエピローグで次のように書いています。

 「現代の地球温暖化は、人類が化石燃料の消費や森林伐採などによって、大気中に大量の二酸化炭素を猛烈な勢いで放出することによって生じている。問題はその速度にある。人類活動による二酸化炭素の放出速度は、火山活動による二酸化炭素の放出速度の約三〇〇倍にも達する。地球システムは、そのような大きな速度での二酸化炭素の放出にすぐには対応できず、大気中の二酸化炭素は急激に増加する結果となる。このまま二酸化炭素の放出が続くといったいどうなってしまうのだろうか」

 気温の上昇にともなって土壌中に大量に蓄積されている有機物が微生物によって酸化分解されたなら、大量の二酸化炭素が放出されます。永久凍土が溶けてメタンハイドレートが分解したり、海水温が上昇することによって海底のメタンハイドレートの分解が生じたら、温暖化をますます加速させる可能性もあります。また、南極やグリーンランド氷床の大規模な崩壊が起こったら、急激な海面上昇が生じるかもしれません。グリーンランド氷床が融ければ6メートル、南極氷床が融ければ60メートルもの海面上昇が生じると推測されており、地球史を顧みれば大規模な氷床の崩壊と海面上昇は、突然かつ急激に生じたことが知られているそうです。

 もちろん、これらはあくまでも推測であり、本当にそうなるかどうかはわかりません。また、予測できないことが起こる可能性もあり得ます。しかし、人類活動による二酸化炭素の放出速度が火山活動によるものよりはるかに速く、地球のシステムはそうした急激な変化に対応できないという指摘が事実なら、ことは極めて重大であり、対策も急を要するでしょう。私には、二酸化炭素の削減は喫緊の課題としか思えません。

 温暖化懐疑論については、槌田敦氏や近藤邦明氏のように科学者が自らデータを示して主張するのはわかりますが、専門ではないのに懐疑論者の主張を鵜呑みにし、二酸化炭素の削減や地球温暖化は瑣末なことだと主張している方もいます。生物学者の池田清彦氏や経済学者の池田信夫氏など、とりわけ社会的に大きな影響力を持つ方の中にもそのような発言をしている人がいますが、慎重さに欠けるとしか思えません。

 懐疑論を支持されている方は、是非この本を読んで自らの頭で考えてほしいと思います。

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