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2009年9月16日 (水)

人としての輝き

 北海道新聞夕刊に「魚眼図」というコラムがあります。毎回読んでいるわけではありませんが、昨日の藤宮峯子さん(札幌医科大教授)の「生きる意味」という一文が目に留まりました。医師として末期がんの患者さんを受け持ち、以下のことに気づいたといいます。

 「運命を理不尽だとうらむところに救いはなく、運命を受け入れて初めて心が和らぐようだ。運命の流れを変えることは出来ないけれど、それに意味を持たせることが唯一人間に出来ることで、たとえ死が迫ろうとしても人としての輝きを保つことができる」

 これを読んですぐに頭に浮かんだのが渡辺容子さんです。私が渡辺さんを知ったのはJANJANの記事で、記者プロフィールから彼女のホームページとブログを知りました。お会いしたことはありませんが、JANJANの記事やブログを読ませていただき、その生き方や感性にとても共感を覚えたのです。はじめのうちは彼女ががん患者であることすら知りませんでした。杉並の教科書裁判を闘われ、JANJANに精力的に記事を書かれている姿からは、がん患者を想像することもできなかったのです。

 最近ではJANJANに「がんと闘わない生き方」とのタイトルで連載記事を書かれていましたが、ご自身の体験や知識をもとに書かれた一連の記事は、私にとって日本のがん検診やがん医療の実態を知ることができる有益なものでした。反論や、記事の趣旨を理解できない方などからの意見に丁寧に対応される姿勢にも共感しました。先日の「がん患者は医師言いなりでなく、知識を求め合理的選択を」という記事で連載は打ち切りとのことですが、この最後の記事で言っていることもよく理解できない方が多いことに、私は驚くばかりでした。

 がんを宣告され転移を告知されても自分自身の境遇に不平不満を言うのではなく、あくまでもそれを受け入れ、平和な社会を望みそのために努力を惜しまず、今を大切に生きる。そのような姿勢から、自然と「人としての輝き」が生まれてくるのでしょう。自分が同じ立場だったら渡辺さんのように振舞えるのだろうか、と考えてしまいました。

 不慮の事故に遭う人もいれば、不治の病を宣告される人もいます。経済的に豊かな家庭に生まれ育った人もいれば、食べていくことすら大変な家庭も少なくありません。不平等としか言いようのない社会で、輝きを失わない生き方ができるかどうかは、運命を受け入れてなお、他者のことを考えて生きられるかどうかということなのではないでしょうか。

 藤宮さんも指摘していますが、世の中には欲深いがために不平不満を言ったり仲たがいをし、今生きていることの幸せに気づかない人の何と多いことでしょう。小さなコラムが、大切なことを気付かせてくれました。

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はじめまして
大手マスコミには、無視されていますが、最近話題になっているのが、ガストン・ネサン氏の「ソマチット論」です。余裕のあるときにでも読んでみて下さい。

ガストン・ネサン・アカデミー
http://www.gaston-academy.org/

ガストン・ネサンの「ソマチット論」
http://homepage3.nifty.com/sparrows/somatid.html

ソマチット概論 I
http://www.peace2001.org/2006/main/bow/20061126_bow_01.html
ソマチット概論II
http://www.peace2001.org/2006/main/bow/20061208_bow_01.html

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