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2009年9月10日 (木)

裁判員制度の真の狙い

 先日、伊佐千尋・生田暉雄、編著「裁判員拒否のすすめ」(WABE出版)を読みました。本を読む前は、帯の裏側に書かれている「国家権力に従順な国民をつくるのが狙い!」「精緻に考え抜かれた『21世紀版治安維持法』とも言うべき法律」という文言は、さすがにちょっと誇張しすぎではないかと感じたのですが、実際に読み終えると決してそんなことはないと思えるようになりました。国、とりわけ悪政を押し進めてきた自民党政権が何か新しいことをやろうとするときには、その真の狙いを考えて警戒しなければ国民全体が騙されることにもなりかねません。そこで、この本を読んで私がとりわけ重要と感じた部分について紹介したいと思います。

 日本の刑事裁判の最大の問題点は何かといえば、やはり自白強要と自白調書を中心に裁判をすすめる特有のシステムでしょう。日本では警察による自白獲得捜査が中心になっているといいます。

 犯罪捜査は1.犯行現場での物証や目撃証人の確保 2.それに基づいた参考人の確保・犯人の確定や確保 3.容疑者の取調べが行われます。つまり、証拠や証人をきちんと確保し、十分に調べてから容疑者の取調べをすれば、たとえ容疑者が犯行を否認しても犯人を間違えることはまずありません。ところが、日本の場合は1や2がおろそかにされ、容疑者に自白させることに重点が置かれているといいます。しかも、捜査機関が自らの管理化で被疑者を長期間にわたって留置して取り調べるシステムになっています。取調べには弁護士の立会いも認められず、違法な取調べが行われても検証すらできません。このような捜査構造は国連や諸外国から非難や改善を求められています。

 捜査機関の筋書きどおりに自白しなければいつまでも拘束し、苦痛を与えたり不安を煽って自白を強要させる「人質司法」が行われているのです。こうした事実は、冤罪を経験した人たちも語っています。

 さらに問題なのは、裁判では法廷での証言よりも自白調書の証拠能力の方が高いと判断されてしまうことです。刑事訴訟法319条では「強制、拷問、または脅迫による自白、不当に長く抑留または拘禁された後の自白その他任意にされたものでない疑いのある自白は、これを証拠とすることができない」とされているのですが、実際にはほとんどが公判廷で裁判官の恣意的な運用によって証拠とされているといいます。刑事訴訟法では「事実の認定は証拠による」とされているので、虚偽の自白調書であってもその証拠能力が認められてしまうと、自白調書に書かれたことを法廷で覆すのは極めて困難になってしまいます。こうしたシステムによって、日本では数え切れないほどの冤罪や不当判決を生み出してきました。

 このようなシステムをそのままにして裁判員制度を導入したらどうなるでしょうか? 裁判員裁判では裁判員の参加しない「公判前整理手続」によって非公開の場で証拠が整理されてしまいます。この公判前整理手続の時点では、検察側と弁護側の手元にある証拠に絶望的な差があります。すなわち、検察側には強制力をつかって多数の捜査官が集めた膨大な証拠があるのです。これまでの裁判では、弁護人は検察官の提出した証拠を公判廷の反対尋問で詳細に検討して嘘や矛盾を発見するという弁護活動をしてきたのですが、公判前整理手続によってこれが極めて困難になり、検察側に圧倒的に有利な状況になります。

 そのあとで裁判員が選ばれて数日間の審理で判決を出すことになります。裁判官は裁判員より多くの権限をもち、裁判の主導権を握って評議を仕切るのです。さらに、陪審制度とは異なって、裁判員自身が量刑の判断すらしなければなりません。こうしたシステムと、上の人ばかり見て判決を下す「ヒラメ裁判官」によって、市民が国家権力の求める判断に誘導される可能性が高くなります。もし冤罪が生じた場合、冤罪責任の国民への転嫁ということにもなります。

 自白強要によって虚偽の自白をさせないために、取調べの全面可視化が求められてきましたが、そういうことすら実現されないまま裁判員制度が始まってしまいました。しかも、裁判員には守秘義務をはじめ、さまざまな罰則によってがんじがらめにされています。それでは、一体何のためにこのような問題の多い裁判員制度をつくったのでしょうか?

 生田弁護士は、裁判員制度の真の狙いは「裁判員になった国民に強権的裁判を実際に体験させることによって、国家権力の強大さ恐ろしさを知らしめ、国家権力に従順な国民に仕立て上げる国民養成法」だといいます。アメリカの「21世紀国家戦略」に応えるために憲法改正を迫られている日本政府が、国家権力に従順な国民をつくりだすために考えた制度だというのです。市民が裁判員になることで、権力者として振舞う「爽快感」が得られます。また、強権的裁判に市民を強制的に参加させることで、国家権力の強大さ、恐ろしさを体験させ、国家権力に従順な市民を養成することができるというわけです。

 近年の死刑の乱発と執行、厳罰化、市民運動に対する強硬な逮捕や起訴、「日の丸」「君が代」の強制をみても、強権化が進んでいることは明らかです。さらに有事法制3法や有事関連7法、その他多数の法改正によって、日本はどんどん戦争のできる国になりつつあります。裁判員制度もそのような強権化の一環として考えると、「市民参加」の名の下に国民を騙して戦争ができる国へと変えていくためのシステムであるという主張はなるほどと納得できます。政権交代が実現した今、民主党は平和憲法の維持と裁判員制度の改廃に力を入れるべきです。

 以下は裁判員制度についての記事です。マスコミは裁判員裁判の報道のたびに「市民参加」を強調していますが、こういう視点も必要でしょう。

裁判員による公開リンチがはじまった

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