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2009年9月24日 (木)

カミネッコンへの疑問

 地球温暖化、カーボンオフセットなどの理由から、近年では植樹活動が盛んになっています。カーボンオフセット目的の植樹については「植樹とカーボンオフセット」に書きましたが、もうひとつ気になるのは、カミネッコンなどと称される紙ポットを利用した植樹があちこちで推奨されていることです。

 カミネッコンというのは、元北大教授の東三郎氏が考案した、再生ダンボールによる紙ポットのことです。このポットに土を入れて苗木を植え、地面または雪の上に置くという植樹方法です。利点は、根を傷めずに植樹できること、穴を掘る手間が不要で雪のある時期でもできること、誰でも簡単に植樹できること、などとされています。

 インターネットで「カミネッコン」と検索すると、あちこちでカミネッコンによる植樹が紹介されており、この手法を評価する記事ばかりが出てきますが、果たしてこのようなやり方に問題はないのでしょうか?

 まず、穴を掘らないで地面や雪の上にポットを置くという点。確かに簡便ですが、穴を掘らないで置くだけなのですから、苗の根際が地面より高くなってしまいます。これは苗の根張りにとって決して良いことではありません。やはり、苗というのは穴を掘って植えるべきなのです。

 カミネッコンにヤナギの挿し木をしている例がよく見られますが、ヤナギの挿し木ならポット苗をつくる必要などありません。ハンノキやシラカンバなども同様で、このような先駆樹種ならば植樹する場所を掻き起こして周囲から種子が飛来するのを待ったり、種を蒔けばいいのです。先駆樹種の紙ポット苗をつくって植えるなど、無駄なことをしているとしか思えません。

 また、短命な先駆樹種と一緒に、寿命の長い樹種のポット苗を寄せて植えるという方式をとっている場合が多いようです。いわゆる混植ですが、この方法についても「生態学的混播法への疑問」で触れたように、適切とは思えません。

 その地域に生育する樹種や種子を用い、森林を復元させるという視点に立つなら、掻き起こしをしたり、近くの森林から幼木(山採り苗)を移植するという方が理に適っているのではないでしょうか。混植法では、どんな森林をつくるのか、もともとそこにあった森林に近い森をつくるにはどうしたらいいのかという視点が欠落しているようです。こうして考えてみると、カミネッコンという植樹法に疑問を抱かざるを得ないのです。

 次回は、カミネッコンを利用したある植樹地がその後どうなっているか、実例を報告します。

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森林問題」カテゴリの記事

コメント

拝読させて頂きました。
あちこちでカミネッコン植樹に関わっているものです。というより、より良い森づくりを進めるためにどうすべきか、日々考えている人間の1人とご理解下さい。
名前は出しても構わないのですが。貴方の記事を書く過程に引っかかるところがあるため、匿名とさせて下さい。

カミネッコンを使った植樹については、いろいろ批判もされていますね。
もっと良くしていく方法はたくさんあると思っています。
ご批判の点については、然りと思う点も多々あります。

ただ、御ブロクを拝読した印象としては、方法の意義や目的、内容に対する批判について、少々狭量に過ぎるのではないかな?と思う点。
また、そもそもあなたの方法に対する理解が不足しているのではないかな?と思う点があります。
読んだ者の意見の一つとして、受け止めていただければと思います。

>まず、穴を掘らないで地面や雪の上にポットを置くという点。
>確かに簡便ですが、穴を掘らないで置くだけなのですから、苗の根際が地面より高くなってしまいます。
>これは苗の根張りにとって決して良いことではありません。
>やはり、苗というのは穴を掘って植えるべきなのです。

木を植える、という重労働を、いかに誰にでも簡単に楽しくできるものにして、より多くの人に木を植える体験をしてもらうか、というのが、カミネッコンを使う方法の最大のコンセプトです。

幼苗の山引きをするにしても、山中へ藪を分け行って探して。樹種を確かめて。掘り取って。乾かさないように運んで。また穴を掘って植えつけて。
結構な手間と労力、そして正しい知識が必要になりますよね。
庭いじりは

これを簡素化・単純化することを最大の目的としているので、穴を掘るべき、掘らないべき、だけを論点に挙げるのはいささかナンセンスでは?
というのも、苗の根張りにとってもベストではなくともまずまずベターであることが示された、つまりしっかり苗木が生長した植栽地はありますよ。

そして、反例としての、仰る山引き植樹の事例、それも、できればカミネッコンのものと同様、植栽に関してほぼ知識も無い市民による植樹の事例がありませんね。
ただ「こうあるべき」とだけ批判しても、代わる方法を示していないのでは説得力がないのでは?

>カミネッコンにヤナギの挿し木をしている例がよく見られますが、ヤナギの挿し木ならポット苗をつくる必要などありません。
>ハンノキやシラカンバなども同様で、このような先駆樹種ならば植樹する場所を掻き起こして周囲から種子が飛来するのを待ったり、種を蒔けばいいのです。
>先駆樹種の紙ポット苗をつくって植えるなど、無駄なことをしているとしか思えません。

先駆樹種を植えること、ないし先駆樹林を形成すること、それだけを目的としているなら、然りです。(ただし、周辺に母樹があれば、の話ですが)

ただ、カミネッコンで先駆樹種を植える場合の多くは、これらは目的の樹種ではありません。
一緒に植えている生長の遅い極相樹種の、風除けであったり、過度の日射による乾燥防止であったり。
遷移の一過程の擬似再現を目的にしています。
植えなくても生えてくる木であっても、生えて欲しい場所に生えてくれるとは限らないのでは?

また、先述のとおり、カミネッコンは市民参加、市民の自主的植樹を目的としています。
カミネッコンで挿し木などするのと、人力ないし重機で掻き起こしをするのと。
どちらが「市民にとって」容易いでしょう。

>また、短命な先駆樹種と一緒に、寿命の長い樹種のポット苗を寄せて植えるという方式をとっている場合が多いようです。
>いわゆる混植ですが、この方法についても「生態学的混播法への疑問」で触れたように、適切とは思えません。

混撒法の項の、この項と繋がるご意見も拝読しましたが。
「先駆樹種に負けるに決まっている」というのも、反例が不足しているし些か短絡に過ぎるのでは。
実例をご覧頂くしかないですが、きちんと先駆樹種と極相樹種が共に生長している例はありますよ。

>その地域に生育する樹種や種子を用い、森林を復元させるという視点に立つなら、掻き起こしをしたり、近くの森林から幼木(山採り苗)を移植するという方が理に適っているのではないでしょうか。

繰り返しになりますが。最大の「理」がどこにあるのか、です。
御説の植樹方法は、プロが自然復元を「理」として為すならば、然りでしょう。
では、現状プロの手は何本あるのでしょうか?プロによる理を実現するために必要なコストは?時間は?産業として成り立ちますか?食っていけますか?
まさか、国や行政の支出で、なんて言いませんよね。

復元の視点での「理」の前に、多くの人が環境問題に無関心な現状に対して、少しでも気軽に関心を持ってもらいたい、というのがカミネッコンの「理」です。
考案者の東三郎氏は、「産業の森」「防災の森」に対して、「文化の森」と呼んでいます。
まず敷居を低くして、関心を広げ、コストフリーの文化として根付かせよう、ということです。
ひいては、関心が高じてプロ並みになってくれる人が増えれば、という思いもあり、そのための指導者制度もあります。

>混植法では、どんな森林をつくるのか、もともとそこにあった森林に近い森をつくるにはどうしたらいいのかという視点が欠落しているようです。

これについては、全く同感です。これまで行われてきたカミネッコン・混撒法の植樹に共通して欠けている視点ですね。
今後の改善課題として、重く受け止め研鑽しています。

カミネッコンによる植樹は、まだ始まって10年と少しの、木の一生で考えればまだまだ若木のような植樹法です。
別記事の浮島湿原のような失敗の事例も数多くあり、また資材が一人歩きしていい加減な植え方をされた事例も数多くあります。
失敗を重ね、いろいろご指摘頂きながら改善の努力をしている方法です。

>こうして考えてみると、カミネッコンという植樹法に疑問を抱かざるを得ないのです。

私のコメントを受けても、この全否定に近いお考えは変わらないでしょうか?
もし変わらないならば、失礼ながらあなたを軽蔑します。

疑問を抱かざるを得ないのに、あなたはこのブログ記事以外に何か行動を起こしましたか?
いろいろ検索したようですが、その検索で出てきたサイトの執筆者に問い合わせしたり、もっといい方法があるとアドバイスしたりしましたか?
冒頭で記した、記事を書く姿勢でひっかかるところ、というのはここです。

口で言ってるだけでは、環境問題はいつまでも解決しません。それは歴史が証明しています。
人は常に、自分のことだけ考え、自分が生きやすいように生きようとします。その際、関わりがなさそう(実は大いに関わるのですが)な環境問題など、どうでもいいことと考えてしまいがちです。
そういう今必要なのは、気付いた人の行動だと思います。
カミネッコンに関わっている方には、市井の生活をまっとうしながら、勉強を重ね誰の支援を受けるでもなく植樹活動に取り組んでいる、善意で行動している方も数多くいらっしゃいます。
僭越ながら、私も常にそういう者でありたいと考えています。まだまだ勉強不足ですが。

そういう人に対して話を聞くでもなく、方法を良く調べるでもなく、ただ自分が否定しやすい部分を強調した記事を書いてしまえば、遠くから石を投げられているような、陰口のような批判に聞こえるでしょう。

口で言ってるだけで何も行動しない人なら、私は軽蔑します。

匿名様

「名前を出しても構わない」とのことであれば、是非お名前と所属などを教えていただきたく思います。私の記事に引っかかるところがあるのでしたら、なおさらお名前を明らかにして自分の発言に責任を持たれるべきではないでしょうか。匿名にされる理由が理解できません。

私は重労働といえるほど大きく生長した木の移植の提案などはしていません。小さな苗木を植えることのどこが重労働でしょうか? 「十勝三股森づくり21」という市民団体では、林野庁の許可を受けて国有林の土場跡地で山採り苗による植樹を行っていますが、決して重労働ではありません。ポットで育苗した苗を運んで植栽するより手間はかかりませんし、その地域に適応した遺伝子を持つ樹による森づくりができます。なお、私は同会の設立当初からの会員です。以下の同会のホームページをご覧ください。「森林復元作業」には、森づくりについてのコンセプトも書かれています。森づくり活動をされている方にはいろいろ参考になると思います。
http://www.moridukuri.org/

「ヤナギの挿し木ならポット苗をつくる必要がない」というのは、ヤナギであれば直接地面に挿し木をするか、埋幹(幹を横にして地面に埋める方法)すれば容易に根付くという意味です。エゾノバッコヤナギのように挿し木のできないヤナギもありますが、多くのヤナギ(ヤナギ属の種)はこのような方法で増やすことができます。先駆樹種が「子守り木」となるのはそのとおりですが、その苗をわざわざお金と手間をかけてカミネッコンでつくる必要性はありません。

私はポット苗による植樹自体を否定してるわけではありません。山採り苗を利用できない場所では、ポット苗等による植樹も必要でしょう。そのような認識の上で、カミネッコンという手法の問題点や疑問点について意見を述べているのです。地面に置くだけより、穴を掘って苗を植えた方が、活着や生育がいいのは当然ではありませんか? ならば、いくら手軽だといっても地面に置く手法は改めるべきではないでしょうか。ポット苗の植え穴を掘る程度の作業は省くべきではないと思います。混播法も然りで、せっかく育てた苗を無駄にするような植樹方法は改善したほうがいいという意見です。「植え方」について意見を言っているのであり、ポット苗の利用やカミネッコンを全否定しているわけではありません。ただし、山採り苗が利用できる場所でカミネッコンによる植樹をすることは疑問です。

多くの人に環境問題に関心を持ってもらうことは大切ですが、市民の参加のしやすさだけを重視したのでは真の環境保全には繋がりません。例えば、植えっぱなしできちんと手入れをしないような植樹活動では大量の炭素を蓄えるような森林には育たず、二酸化炭素削減の効果はほとんどありません。

プロフィールに書いてあるように、私は十勝自然保護協会の会員として森林の保全活動に取り組んでいます。大径木の点在する成熟した森林は大量の炭素を固定しており、森林保全は環境問題に直結しています。また、前述したように「十勝三股森づくり21」の会員です。実践を伴わず口先だけで批判していると推測し「軽蔑する」とまで書かれることに、驚きを禁じえません。

なお、実践していなければ意見を言う資格がないかのような主張も理解いたしかねます。例えばダムの反対運動に関わっていない人が、ダムの批判をするべきではないなどということにはなりません。実践することはもちろん大事ですが、おかしいと思うことに対して一人ひとりが意見を言うことも大切ではないでしょうか。

どうやら、まだご理解を頂けていないようで。私の書き方も悪かったですね。反省します。

>私は重労働といえるほど大きく生長した木の移植の提案などはしていません。小さな苗木を植えることのどこが重労働でしょうか?

もともと自然や木を植えるという活動に興味がある人にとっては、そうでしょうね。
では、もともと興味が無い人にとっては?

現代の世の中の大半の人は、山に入ったこともなくて、車で行けないところまで行くのは面倒で。服が汚れたり破れたりなんて、とってもイヤなことで。
当然木に対する正しい知識も無い。普段の仕事も忙しい。
そういう人にとっては、山を歩くという、しかも苗木を掘り取って植える場所まで運ぶということ、それは結構な重労働ですよ。
興味のある人だけで集まっていると、なかなか気付きませんけどね。
でも、忙しい中での少しの余力でよければ、環境のことも考えていきたい。
そんな善意はかなり多くの人が持っています。

こういう人を相手にする時に、無理やりにでも山へ引っ張って行くおつもりですか?
最初からその調子でついてこれる人はどのぐらいでしょうね。

そういう人に、少しでも自然との繋がりをもってもらうためには、どうすればいいか。
カミネッコンは、そのきっかけ作りのために考えられたものです。
おわかりですか?

>「ヤナギの挿し木ならポット苗をつくる必要がない」というのは、ヤナギであれば直接地面に挿し木をするか、埋幹(幹を横にして地面に埋める方法)すれば容易に根付くという意味です。

カミネッコンを使う方法でも、初期には埋枝によるヤナギ植栽を伴う市民参加植樹が行われました。
しかし、なかなかうまくいきませんでした。普通の人には、「挿し木」の概念そのものがうまく理解できないようです。
枝がむけたり埋めすぎたりが多発しました。
カミネッコンを使うと、ポットに立てて押さえ、周りから土を入れるだけなので、作業の標準化が非常に簡単なんですね。

また、カミネッコンの植樹は、季節を問わず実施可能であることも目指しています。
他の植樹法のように、春秋の適期でなければ植えられない、とやっていては、市民参加での植樹の時期調整は大変です。

夏に挿し木はできませんよね?運が良ければつくでしょうが。
夏の場合は、秋挿しまたは春挿しして芽出しした挿し木苗を使っています。
植えた跡地を見に行っても同じに見えるでしょうが。

>地面に置くだけより、穴を掘って苗を植えた方が、活着や生育がいいのは当然ではありませんか?
>ならば、いくら手軽だといっても地面に置く手法は改めるべきではないでしょうか。

貴方の根底にあるのはここなのでしょうが。
ここを少し調べてみたら如何ですか?
当然とまで書いてある割に、検証は浮島湿原一件ですか?
しかも、その例でも置き植えと失敗の因果関係は示されていませんね。

穴を掘って植えた植樹と、カミネッコンによる植樹の、その後の生育の比較検討資料はありますよ。
生育している実例は、お宅の方面なら富良野の倉本聰さんのところにあります。
カミネッコンで植えている木は、今は年間何万本とあります。10年で10万は確実に超えているでしょうね。

>実践を伴わず口先だけで批判していると推測し「軽蔑する」とまで書かれることに、驚きを禁じえません。

私のコメントをよく読めばわかると思いますが。
私が問題にしているあなたの「口先だけ」は、このブログのこの記事についてのことのみです。

「疑問」と「否定」の使い方が、よくわかっていないようですが。

どうしてこういう方法なんだろう、わからないね?
↑コレが疑問です。

こんなのダメなのわかりきっているのに、何でやるんだろうね
↑コレは否定です。「疑問形文体」を用いて遠まわしにしているだけで、言ってる中身は「やめればいいのに」なんだから。否定ですよね。

自分の見識の範囲での「失敗した実例」と「正しい知識」だけを振りかざし。
「成果」や「現在の問題解決に対する取り組み」は伝えず。調べず。問い合わせもせず。
多くの市民の善意で活動している活動に対して、(ちょろちょろとネット検索はしてみたものの)それ以上のアクションは起こさず。
結果として、方法も、その意義の理解も中途半端なまま、ただ否定的な記事を書かれたら、どう思うでしょうね?
また、カミネッコンを知らない人が、このただ闇雲に否定する記事を読んだ感想を想像して、どう思うでしょうね?
あなたがこの匿名のコメントに対して感じたのと、同じ感情を味わうんですよ。それも、私はこういう批判をしています、ということを相手に連絡もせずに、遠くで石を投げているだけですからね。

本気で森を守りたい、と思っているなら、そしてそこに多くの人が関わっている活動があるなら、さらに自分が正しい知識と経験を持っていると考えるなら。
本来すべきことは、今ある活動に
真剣にカミネッコンによる環境活動に取り組んでいる人たちと、より良い活動のありかたを考えることではないですか?
問いかけましたか?
私の言うあなたの「行動の欠如」はこれらです。

ご自身の失礼をご理解頂けるまでは、匿名です。
>名前を明らかにして自分の発言に責任を持たれるべきではないでしょうか。
なんてのは私の勝手です。
非公開ですがメールアドレスを記入していますから、あなたに対する責任は果たしていますよね?
あとは名前を書くかで変わるのは、この発言の信憑性ぐらいのものでしょう。
私はそんなものに興味は無いし、あなたには利はあっても害はありませんよ。

匿名様

あなたのご意見は、ご自分たちの行っている方法を批判されたことに、単に腹を立てているだけにように感じます。私はあなたのコメントで指摘されたことに対応した返事を書きましたが、あなたの二度目のコメントはそれに対するまっとうな返事にもなっていません。

あなたたちのグループはヤナギの埋枝に失敗されたようですが、専門知識のある方から指導を受けたり試行錯誤されたのでしょうか。十勝三股森づくり21で行っている作業も初めてのことであり試行錯誤ですが、ヤナギやケヤマハンノキの埋枝は容易で結果も非常に良好です(ただしヤナギは鹿に食べられますが)。なお、十勝三股森づくり21が作業を行っている現場は山奥ですが、林道があって車で入れるところであり、子どもでも作業に参加できます。

あなたは、私に対し「本来すべきことは、今ある活動に真剣にカミネッコンによる環境活動に取り組んでいる人たちと、より良い活動のありかたを考えることではないですか?」といい、そうしないことが「行動の欠如」だと批判します。しかし、私がそうしなければならないという義務も責任もありません。カミネッコンに関心を持つ方が検索によってこの記事を読み、カミネッコンの問題点を理解してご自身の植樹活動に活かしてもらえればそれでよいと考えています。もちろん、私の意見に納得されないのならそれも自由です。他団体の「成果」や「現在の問題解決に対する取り組み」は、実践している団体がそれぞれホームページなどで紹介すればいいことです。

義務も責任もないことを持ち出し、ブログで批判的な意見を書くことがまるで迷惑行為であるかのようにいい、「口先だけ」と批判するあなたの見識を疑います。明らかに間違っているところがあるなら修正しますが、あなたからはそのような具体的指摘もありません。この記事に対して質問やご意見がある方にはお答えしますし、そのためにコメントをオープンにしメール送信もできるように設定しているのです。あなたのような立場の方が批判的意見を主張される場合は、お名前や所属を名乗るがマナーかと思います。ご自身でいろいろ活動されているなら、所属ぐらい名乗られたらいかがでしょうか? 匿名に関するあなたの言い訳は意味不明であり支離滅裂です。

多くの無関心な市民が環境問題に関心を持ってもらうために植樹活動をすることに異論はありません。しかし、カミネッコンによって作業を簡便にしなければ、植樹や環境保全に対する意識を持ってもらえないと決め付けてしまうような考えは理解しかねます。

「また、カミネッコンの植樹は、季節を問わず実施可能であることも目指しています。他の植樹法のように、春秋の適期でなければ植えられない、とやっていては、市民参加での植樹の時期調整は大変です。」とのことですが、ポット苗を否定しているわけではないことは先のコメントで説明しています。また、苗をつくって植えるだけが森づくりではありません。成熟した森に育てるには下草刈りや除間伐などの手入れも必要です。自然を相手にした作業では、季節に応じた作業を行うのは当然のことで、さまざまな作業を通して森づくりの知識や意義を学ぶことができます。無関心な市民層に広く関心を向けてもらうことにこだわり、簡便化や利便性だけを追求するやり方はいかがなものかと思います。その地域に適した植樹方法があり、市民参加の方法があるはずで、そうした方法を探っていくべきでしょう。

善意を否定はしませんが、善意だけで環境は守れません。あなたのコメントはご自身を正当化するための言い訳としか感じられません。

 カミネッコンは自然の摂理に反する植樹法だと考えている小生にとって、「あちこちでカミネッコン植樹に関わっている」という人物の考え方を知ることが出来たのはありがたいことだった。感想を一言でいうと、やっぱりカミネッコンをやらなくてよかったである。
 
 「木を植える、という重労働を、いかに誰にでも簡単に楽しくできるものにして、より多くの人に木を植える体験をしてもらうか、というのが、カミネッコンを使う方法の最大のコンセプト」であり、「苗の根張りにとってもベストではなくともまずまずベターであることが示された」とのこと。つまりは、苗の根張り上、問題はあるが、だれにでも簡単にできるからカミネッコンでもいいじゃないかということだ。
 
 「貴方の根底にあるのはここなのでしょうが(小生注:こことは「地面に置くだけより、穴を掘って苗を植えた方が、活着や生育がいいのは当然ではありませんか?」のこと)。ここを少し調べてみたら如何ですか?当然とまで書いてある割に、検証は浮島湿原一件ですか?しかも、その例でも置き植えと失敗の因果関係は示されていませんね。」との2回目のコメントには驚いた。1回目のコメントで「カミネッコンによる植樹は、まだ始まって10年と少しの、木の一生で考えればまだまだ若木のような植樹法です。別記事の浮島湿原のような失敗の事例も数多くあり」といっていたのである。失敗の事例も数多くあると認めていながら、もっと失敗例を明らかにし、因果関係を示せとは呆れた。

 種子は発芽すると、胚軸を半分地上に出し、根を地下に伸ばすように進化してきた、と小生は理解している。つまり根にとって、地中に埋められるより地表に置かれることのほうが不自然でありストレスにさらされる可能性が高いのだ。だから、地表に根を置くカミポットはまずいのである。上士幌の幌加というところでも、林野庁がイベントでカミポット植林をやったが、きわめて成績が悪かった。関係者もこれはだめだと実感したという。こんな例は探せばまだあるだろう。

 「生態学的混播法への疑問」に関して、「実例をご覧頂くしかないですが、きちんと先駆樹種と極相樹種が共に生長している例はありますよ」という。先駆樹種の寿命は短いとはいえ50~100年もある。同時にスタートさせたのならば、しばし共存状態がつづくのはいうまでもない。ほかにもおかしなところがあるが止めておく。論理の一貫しない相手との議論は益がない。

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