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2009年9月

2009年9月29日 (火)

空を飛ぶクモ

P1010164  先日、東大雪湖(十勝ダム)に架かる橋を渡ったときのことです。ちょうど橋の改修工事をしていたのですが、足場のポールや橋の鉄骨からクモの糸が何本も棚引いてキラキラと光っている光景に出会いました。写真では見づらいのですが、白いポールから右上に斜めに光っている線がクモの糸です。おそらくこの橋のどこかに卵が産み付けられ、そこから孵化した子グモたちが飛立つ場所を求め、鉄骨を上に上にと登り詰めていって次々に飛立ったのでしょう。鉄骨に掴まってお尻を上にむけて糸を流し、その糸の引く力に耐えられなくなると一瞬のうちに大空に向かって飛立つのです。このようなクモの飛行をバルーニングと呼んでいます。

 秋の草原などで、逆光を受けて草の上に何本もの糸がきらめいている光景を見かけることがありますが、穏やかな日に子グモたちが飛立った痕跡なのです。この糸が絡まりあって空をふわりふわりと飛んでいく現象は「雪迎え」とか、「ゴッサマー」「遊糸」などと呼ばれています。こんなバルーニングの痕跡を見るたびに、クモというのは糸とともに生き、進化してきた生物なのだということを思い知らされます。

 バルーニングについては「『雪迎え』と『雪虫』」にも書きましたが、こんなふうに風まかせで大空に旅立っていく小さなクモたちはなんと大胆なことでしょう。橋の下にはダム湖が広がっています。うまく上昇気流に乗れずに落ちてしまったら、水の上・・・。たとえ上昇気流に乗って遠くまで飛んでいけたとしても、落ちたところがそのクモにとって好適なところとは限りません。むしろ、好適な環境の場所に落ちることができたなら、よほど運がいいといえましょう。まさに命がけの冒険旅行です。

 澄み切った空が広がる穏やかな秋の日、気をつけていれば小さなクモの旅立ちに出会えるかもしれません。クモが飛立つところを見られなくても、幾本ものきらめく糸が子グモの旅立ちを教えてくれます。

2009年9月27日 (日)

経済成長とは何か?

 鳩山首相が温室効果ガスの排出量を2020年までに25パーセント削減することを表明し、高い評価と期待が寄せられていますが、それと同時に産業界の反発が大きくなっているようです。経済成長が妨げられると・・・。しかし、経済成長など永久に続けられるものではありません。経済成長の先にはいったい何があるのでしょうか?

 Chikirinさんのブログを覗いたら、こんな記事がありました。香港とマカオのビル街の写真、なかなかすごい光景です。

香港&マカオ

 経済成長、経済成長・・・のあげく緑が消えて冷たいコンクリートのそそり立つ街になり・・・。利潤の追求で金の亡者になった人々は金融に投資し、やがてバブルが崩壊し・・・。そういう現実を目の当たりにしながらもなお経済成長を唱える人たちは、いったい何を求めているのでしょうか? こういう街であくせく働く人たちは、ほんとうに幸せなのでしょうか?

 小学生のころ、未来の街の絵を描かされたことがあります。多くの子どもは高層ビルが立ち並ぶ灰色の街を描きました。でも、それが現実となった今、追い求めた経済成長や灰色のビル街が決して人の心を幸せにするものではないことを誰もが実感していることでしょう。今、人類に求められているのは持続可能な循環型社会であり、破壊された自然を少しでもとり戻すことです。

 それでも「経済成長」を唱えて温室効果ガスの削減に反発する人は、果てしなく利権にしがみつきたい金の亡者でしかないのでしょう。

2009年9月26日 (土)

乗鞍スカイラインの自然破壊

 9月19日に岐阜県の乗鞍スカイラインの畳平バスターミナルで、観光客らがクマに襲われて負傷するという事故がありました。20日の北海道新聞には「クマに襲われ9人負傷 岐阜・乗鞍バス発着所に出没」「観光客100人パニック」との見出しの記事が掲載されていました。負傷した方に落ち度があるわけではなく気の毒としかいいようがありませんが、しかし、あたかもバスターミナルに現れて次々と人を襲ったクマに問題があると言わんばかりの記事に、考えさせられてしまいました。

Dscn1516  乗鞍の畳平といえば、標高2700メートルほどもある高山帯です。私には、そもそもこんなところに立派なバスターミナルがあり100人もの人がいるということ自体がおかしいとしか思えません。クマにしてみれば、山を歩いていたら建物や駐車場があって人がたむろしているところに迷い込み、びっくりして近くにいた人を襲ってしまったところ、さらに(襲われた人を助けるために)人が駆け寄ってきたのでパニックになり、次々と襲ってしまったということではないでしょうか。あるいは食べ物の匂いなどにひきつけられたのかもしれません。パニックになったのは人だけではなくクマも同じでしょう。しかも、ここはもともと人が大勢いるようなところではなく、大自然の中なのです。

Dscn1519  私は畳平には2回行ったことがあります。1回目はまだマイカー規制がされていない時で、バスターミナルの手前で渋滞に巻き込まれました(マイカーで行ったわけではありません)。ハイマツが茂り、すぐ近くにコマクサが生育する2700メートルもある高山帯で渋滞し、車が排気ガスを出しているのです。畳平のターミナルに下り立ち、こんなところに土産物屋や食堂まである立派な建物があることに仰天したものです。そのスカイラインはさらに高山方面に向かって蛇のように山肌を縫っていました。観光を掲げてライチョウの棲みかである高山帯にまで道路を延ばし施設をつくった人の貪欲さに、愕然と立ちすくみました。

 2回目はマイカー規制が実施されたために、さすがに渋滞はありませんでしたが、バスやタクシーは自由に乗り入れできるために人の数が減ったわけではありません。素晴らしい景色の一方で、人の多さにも辟易としました。こんなところにまで道路をつけて、登山者や観光客を呼び寄せる必要があるのでしょうか? 道路や建物で自然を破壊し、大勢の人を運んでさらに自然を傷めつけているのです。

 かつて大雪山にも横断道、縦断道というとんでもない道路計画がありました。これらは中止になったものの、銀泉台には横断道の開削痕が残っています。もし建設されていたなら乗鞍岳のような状態になり、大雪山の自然は台無しになっていたでしょう。お金のため、利権のために高山帯にまで道路や施設をつくり続け、かけがえのない自然を破壊してきたことこそ、反省しなければならないでしょう。

2009年9月25日 (金)

無惨な「カミポットくん」植樹地

 昨日の記事「カミネッコンへの疑問」の続きです。

 2002年のことです。上川町の浮島湿原に出かけたのですが、湿原への歩道の脇に踏みあと道があるのに気づきました。入ってみると林野庁の「パブリックの森」という看板があり、標識には「カミポットくん植樹」「北の森21運動緑の募金 記念植樹」と書かれていますので、募金を利用した植樹地のようです。「カミポットくん」というのは、「カミネッコン」と同じダンボールでつくった紙ポットです。このあたりは過去の伐採のためか樹木がなくてチシマザサが生い茂っているのですが、その一部を掻き起こして紙ポット苗による植樹をしたのです。標識によると2000年に植樹をしたようです。

 植樹地を見渡すとアカエゾマツとミズナラが植えられた紙ポットが三つ一組で置かれているのですが、かなりの苗が枯れていました。数えてみるとアカエゾマツは33本中24本、ミズナラは35本中8本が枯死しています。それに、枯死はしていないものの、死にかけているミズナラが8本。両種合わせた死亡率は48.5パーセントですから、たった2年で苗のおよそ半分が枯れてしまったのです。こんなに枯れてしまったというのは、やはり地面に紙ポットを置くという手法に問題がありそうです。この方法では根が地上に露出しやすくなりますし、開けた場所で地上に置かれただけのポットは乾燥しやすいでしょう。

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 5年後の2007年に同じところに行くと、植樹地の大半はダケカンバの幼木が茂っていました。周囲の森林から飛来した種子が一斉に発芽したのです。ダケカンバに覆われていないところがわずかにありましたが、生き残っている苗の大半は元気がありません。写真はかろうじてアカエゾマツとミズナラの両方が生き残っている寄せ植えです。

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 それから2年たった先日、同じところに行ってみると、ダケカンバはさらに生長して植樹地を覆っていました。ダケカンバに覆われていないところも写真のような状況です。生き残っている苗も生長の良いものはほとんどなく、なんとか生きているという状況でした。写真のミズナラの苗は、たぶん枯れてしまうでしょう。

 林野庁は紙ポット植樹によってアカエゾマツとミズナラの混交林をつくろうとしたと思われますが、多くの苗が枯死するか衰弱し、ダケカンバが生い茂ってしまったというわけです。アカエゾマツは条件の悪いところでも我慢強く耐えることができる樹種ですので、わずかに生き残ったアカエゾマツはダケカンバの下でも生きていけるかもしれませんが、長寿のダケカンバの下では旺盛な生育は望めそうにありません。ミズナラは、すでに息絶え絶えの状況ですから、生き残ることは困難でしょう。ダケカンバ林にするなら掻き起こしだけで十分であり、植樹をした意味はほとんどありません。

 もうひとつの問題は、苗木の樹種です。浮島湿原の周辺はアカエゾマツが主体ですが、この植樹が行われたあたりはエゾマツが優占する森林です。また、ここにはミズナラはほとんど生育していません。つまり、元の森林を復元することを視野に入れた植樹ではないということです。植えた苗は、どこで採った種子を用いたものなのかも不明です。エゾマツの苗木はほとんど出回っていませんから、ここにエゾマツの森を復元するのなら、周辺の森から幼木を移植するしかないでしょう。幼木を植えてもそのまま放置したのではササに覆われて枯れてしまいますから、ササ刈りなどの手入れも欠かせません。

 これは紙ポット植樹の一例ですが、「カミネッコン」「カミポットくん」の問題点が浮き彫りになった事例ではないでしょうか。植樹のための募金活動があちこちで行われているようですが、こんな状態では何のために植樹をしたのかわかりません。せっかくの募金がこのような無惨な結果にならないよう、植樹方法を改善してもらいたいものです。

2009年9月24日 (木)

カミネッコンへの疑問

 地球温暖化、カーボンオフセットなどの理由から、近年では植樹活動が盛んになっています。カーボンオフセット目的の植樹については「植樹とカーボンオフセット」に書きましたが、もうひとつ気になるのは、カミネッコンなどと称される紙ポットを利用した植樹があちこちで推奨されていることです。

 カミネッコンというのは、元北大教授の東三郎氏が考案した、再生ダンボールによる紙ポットのことです。このポットに土を入れて苗木を植え、地面または雪の上に置くという植樹方法です。利点は、根を傷めずに植樹できること、穴を掘る手間が不要で雪のある時期でもできること、誰でも簡単に植樹できること、などとされています。

 インターネットで「カミネッコン」と検索すると、あちこちでカミネッコンによる植樹が紹介されており、この手法を評価する記事ばかりが出てきますが、果たしてこのようなやり方に問題はないのでしょうか?

 まず、穴を掘らないで地面や雪の上にポットを置くという点。確かに簡便ですが、穴を掘らないで置くだけなのですから、苗の根際が地面より高くなってしまいます。これは苗の根張りにとって決して良いことではありません。やはり、苗というのは穴を掘って植えるべきなのです。

 カミネッコンにヤナギの挿し木をしている例がよく見られますが、ヤナギの挿し木ならポット苗をつくる必要などありません。ハンノキやシラカンバなども同様で、このような先駆樹種ならば植樹する場所を掻き起こして周囲から種子が飛来するのを待ったり、種を蒔けばいいのです。先駆樹種の紙ポット苗をつくって植えるなど、無駄なことをしているとしか思えません。

 また、短命な先駆樹種と一緒に、寿命の長い樹種のポット苗を寄せて植えるという方式をとっている場合が多いようです。いわゆる混植ですが、この方法についても「生態学的混播法への疑問」で触れたように、適切とは思えません。

 その地域に生育する樹種や種子を用い、森林を復元させるという視点に立つなら、掻き起こしをしたり、近くの森林から幼木(山採り苗)を移植するという方が理に適っているのではないでしょうか。混植法では、どんな森林をつくるのか、もともとそこにあった森林に近い森をつくるにはどうしたらいいのかという視点が欠落しているようです。こうして考えてみると、カミネッコンという植樹法に疑問を抱かざるを得ないのです。

 次回は、カミネッコンを利用したある植樹地がその後どうなっているか、実例を報告します。

2009年9月19日 (土)

ダム見直しへの期待と補償問題

 18日に、前原国土交通相は、全国143のダムの見直しを表明しました。北海道では9事業が見直し対象として挙げられています。これまで「ダムは自然破壊、税金の無駄遣い!」と、地道に反対運動をつづけてきた自然保護団体にとっても、そして多くの国民にとっても歓迎すべきことです。

 今日の北海道新聞には、見直しの対象となった9事業のそれぞれの総事業費と現状が表になって掲載されていますが、総事業費を合計してみると6530億円にもなります。これがはじめから福祉や教育、医療、雇用対策などの予算にされていたなら・・・と思わずにいられません。すでに本体着工がなされているものもあり、かなりの無駄づかいをしてしまったわけですが、政府は中止に向けて本腰を入れてほしいものです。

 それと同時に気になったのは、これまで事業を推進してきた地元市町村の戸惑いや建設業界の反対の声が大きくなっていることです。先日の八ッ場ダム中止の報道があったときもそうですが、国が中止や見直しの意思表示をした途端、マスコミは抵抗勢力の意見を載せるようになりました。今後、これらの方たちによる反対や抵抗、そして補償を求める声が高まるのは必至でしょう。

 10年ほど前、大雪山国立公園に計画された「士幌高原道路」が、「時のアセス」によって中止になりました。「地域振興」「悲願」として建設に向けて動いてきた地元の町などは、この中止決定に抵抗し、道に補償を求めました。公共事業の中止には、推進した人たちによる「補償」の要求がつきまといます。

 で、士幌高原道路の補償はどうなったのでしょうか? 中止になった当初こそ、地元の方たちを中心に代替の振興策とやらが画策されたようですが、今ではそんな話を聞くこともなくなりました。時間の経過とともに振興策はうやむやになり、忘れ去られていくのです。道路建設が地域振興になるというのが幻想であると同様に、その補償を求めたところで代替になどにはならず、結局は幻想に終わるのでしょう。

 政府は、抵抗勢力による「補償」の声に惑わされず、公約を守ってきっぱりと中止の判断をしてほしいと思います。

2009年9月18日 (金)

民主党の公約違反とメディアの圧力

 民主党の発足と同時に、インターネットで飛び交っているのが鳩山総理の公約違反への批判。

 というのも、鳩山氏は「政府の記者会見をすべてのメディアに開放し、既存のマスメディアの記者クラブ権益を剥奪する」など、いくつかのメディア改革をマニフェスト発表の記者会見で明言していました。ところが、この「メディア改革」について、不都合な大手マスコミは黙殺してしまったというわけです。さすが、大手マスコミです。

神保哲生:検証・民主党政権で日本はどう変わるのか!<第5回>大手メディアが決して報じない、「メディア改革」という重要政策の中身

「記者クラブ開放」で日本のジャーナリズムは変われるか? 

に政府の記者会見を解放する」という民主党の公約は早くも裏切られてしまったのです。いやはや・・・。

「記者クラブ談合」を民主党は温存するのか 

 記者クラブ問題を追及してきたジャーナリストの上杉隆氏や、ビデオジャーナリストの神保哲生氏も、以下のように語っています。

非記者クラブメディアを排除した鳩山首相初会見への落胆

なぜ記者会見がオープンでなければならないのか

 見逃してはならないのは、今回の公約違反の裏には、記者クラブに加盟する既得権メディアによる民主党への凄まじい裏工作の圧力があり、党内守旧派によって公約が握りつぶされたということです。これについては以下の山口一臣氏のサイトに詳述されています。

新聞が書かない民主党の「公約破り」 

 民主党の掲げる税金の無駄遣いの見直しや脱官僚政治には大いに期待したいところですが、それと同時に大きな改革が望まれるのがメディアです。まあ、この国の大手マスコミときたら、政府の広報紙ではないかと思うような状況ですから。そのメディア改革の公約が、メディアの圧力によってはかなくも出だしから破られてしまったことに落胆せざるをえません。

 それにしても、マスコミが圧力をかけるという現実、そしてそれに屈してしまう民主党というのは何なのでしょうか。記者クラブにしがみついていたいがために圧力をかけるマスコミは、日本の恥と堕落の象徴のように見えてきます。日本のマスコミがまともになる日はくるのやら・・・。日本の新聞は世界のメディア界でも異色だそうです。

米国記者が語る「つまらない新聞が多量に売れる日本の不思議」

2009年9月17日 (木)

エコキャップを美談にするマスコミの危うさ

 新聞記事の話題ばかりで恐縮ですが、昨日の北海道新聞夕刊のコラム「まど」を読み、新聞がエコキャップ運動を美談にしていることに愕然としました。

 エコキャップ運動とは、ペットボトルのキャップを集め、その売却代金で発展途上国にポリオワクチンを届けるというもの。この記事によると、1年余りで170万個のキャップがあつまり、2千人分のワクチンが買えるのだそうです。なんだか、空き缶のリングプルを集めて車椅子を買うという運動のペットボトル版のようにも思えてきます(「リングプルと車椅子」参照)。新聞記事では高校生がこの運動をしているという内容でしたが、このような運動をしている人たちは誰も疑問を持たないのでしょうか? この記事を書いた記者は疑問を持たなかったのでしょうか?

   この運動を推進しているエコキャップ推進協会のホームページによると、キャップは400個で10円になり、20円で1人の子どもの命が救えるとしています。一人分のワクチンのために、800個ものキャップが必要だというのです。また、キャップを焼却処分すると二酸化炭素を発生するから、集めてリサイクルするのはエコなのだと・・・。

 あり余るペットボトル自体が大きな環境問題になっているのですから、環境問題を考えるならペットボトルを減らすように働きかけるべきですが、キャップを多く集める行為はペットボトル飲料の消費拡大につながります。途上国への貢献が目的ならば、ペットボトル入り飲料を買わずにその分のお金を寄付するような活動をしたほうがはるかに効率的ですし、環境問題にも貢献します。それに、なぜポリオワクチンにこだわるのでしょう? 以下のサイトによるとポリオはもはや根絶されつつあるそうです。いったいワクチンをどこに送っているのやら?

第7回ポリオ根絶計画の進捗状況

 途上国支援なら、ほかにもいろいろなことが考えられるはずです。しかも、大量のキャップを送るための送料は集めた人の負担。集めた人は送料に自腹を切って、送料よりはるかに安いものを送ることになります。さらに、エコキャップ推進協会は、エコキャップの回収ボックスの販売までしているのです。ちょっと考えただけでも、矛盾だらけで胡散臭さが漂ってくる運動であることは一目瞭然なのに、なぜ疑問を持たないのでしょうか?

 新聞などのマスコミがエコと善意の名の下に、疑問も抱かずに手放しでエコキャップ運動を美談とすることが不思議でなりません。新聞記者はエコキャップ運動についてきちんと調べたのか? 記者の見識はどうなってしまったのか? こういうマスコミの状況に、危機感を抱かざるを得ません。

2009年9月16日 (水)

人としての輝き

 北海道新聞夕刊に「魚眼図」というコラムがあります。毎回読んでいるわけではありませんが、昨日の藤宮峯子さん(札幌医科大教授)の「生きる意味」という一文が目に留まりました。医師として末期がんの患者さんを受け持ち、以下のことに気づいたといいます。

 「運命を理不尽だとうらむところに救いはなく、運命を受け入れて初めて心が和らぐようだ。運命の流れを変えることは出来ないけれど、それに意味を持たせることが唯一人間に出来ることで、たとえ死が迫ろうとしても人としての輝きを保つことができる」

 これを読んですぐに頭に浮かんだのが渡辺容子さんです。私が渡辺さんを知ったのはJANJANの記事で、記者プロフィールから彼女のホームページとブログを知りました。お会いしたことはありませんが、JANJANの記事やブログを読ませていただき、その生き方や感性にとても共感を覚えたのです。はじめのうちは彼女ががん患者であることすら知りませんでした。杉並の教科書裁判を闘われ、JANJANに精力的に記事を書かれている姿からは、がん患者を想像することもできなかったのです。

 最近ではJANJANに「がんと闘わない生き方」とのタイトルで連載記事を書かれていましたが、ご自身の体験や知識をもとに書かれた一連の記事は、私にとって日本のがん検診やがん医療の実態を知ることができる有益なものでした。反論や、記事の趣旨を理解できない方などからの意見に丁寧に対応される姿勢にも共感しました。先日の「がん患者は医師言いなりでなく、知識を求め合理的選択を」という記事で連載は打ち切りとのことですが、この最後の記事で言っていることもよく理解できない方が多いことに、私は驚くばかりでした。

 がんを宣告され転移を告知されても自分自身の境遇に不平不満を言うのではなく、あくまでもそれを受け入れ、平和な社会を望みそのために努力を惜しまず、今を大切に生きる。そのような姿勢から、自然と「人としての輝き」が生まれてくるのでしょう。自分が同じ立場だったら渡辺さんのように振舞えるのだろうか、と考えてしまいました。

 不慮の事故に遭う人もいれば、不治の病を宣告される人もいます。経済的に豊かな家庭に生まれ育った人もいれば、食べていくことすら大変な家庭も少なくありません。不平等としか言いようのない社会で、輝きを失わない生き方ができるかどうかは、運命を受け入れてなお、他者のことを考えて生きられるかどうかということなのではないでしょうか。

 藤宮さんも指摘していますが、世の中には欲深いがために不平不満を言ったり仲たがいをし、今生きていることの幸せに気づかない人の何と多いことでしょう。小さなコラムが、大切なことを気付かせてくれました。

2009年9月15日 (火)

トムラウシに避難小屋は必要か?

 北海道新聞の報道によると、7月にトムラウシ山でツアー客ら9人が亡くなった遭難事故を受けて、新得町が避難小屋とトイレをトムラウシ山頂から新得側登山口の間に設置するよう環境省に要望したそうです。

 この遭難事故では、荒天の中を出発したガイドの判断の甘さや、予備日のないスケジュールが指摘されていました。この事故を取材した新聞記者と話しをする機会があったのですが、それによると夏用の登山シャツしか着ていなかった人、簡易な雨具しか持っていなかった人、小さなザックしか背負っていなかった人もいたそうです。また、ツアー会社の職員が避難小屋に客のマットを敷いて場所取りをしていたという報道もあり、ツアー会社のマナーも問題になりました。

 たとえトムラウシ山に避難小屋があったとしても、トムラウシ山の手前で最初に動けなくなった方を救うことはできなかったでしょう。この遭難は、悪天候の中を出発したガイドの判断や、客の装備に大きな問題があったといえます。中高年を対象にしたツアー登山の実態が明るみになり、さまざまな問題点を投げかけたのです。

 原因を究明して遭難防止の対策を講じなければ、同じような事故はまた起こるのではないでしょうか。安易な避難小屋建設は、「小屋があるから天気が悪くなっても安心・・・」と考える軽装での登山者を増やしたり、ツアー登山を助長することにもなりかねません。

 以前であれば、登山者は自分の経験や力量に合わせて登る山やコースを選択し、自らの責任で登山をしました。避難小屋がないなら、それを前提に登山計画を立てて行動すべきなのです。ツアー登山の増加によって、かつての山の常識がどんどん崩れてしまったように思います。

2009年9月13日 (日)

コンクリートで固める治水事業への疑問

 北海道開発局帯広開発建設部が開いた治水事業説明会では、資料も配布せずにスライドをつかって通り一遍の説明をしただけでした( 「開発建設部の治水説明会をめぐる怪」参照)。

 国の管理する河川の治水計画は北海道開発局が立てますが、北海道が管理する河川では道の出先機関である土木現業所が治水計画を立てます。帯広土木現業所が6月に開催した治水事業説明会では、「平成21年度治水事業概要書」という72ページの資料を配布しました。このような資料を配布する姿勢は、開発局よりはるかに評価できます。

 ところで、土木現業所が配布した資料をみると、十勝地方だけでもかなりの数の改修工事や砂防工事が計画されていることがわかります。地図に示された事業の数だけでも37箇所あります。近年、氾濫被害を受けた河川の改修工事のほか、地域の街づくりと連携した整備、子どもたちの自然体験の場となる水辺づくり、魚道など。果たして、そのすべてが本当に必要な工事なのでしょうか?

P1000523  この写真は、芽室川です。護岸や河床のコンクリートブロックの形や色から、幾度にもわたって河川改修が行われた様子が伺えます。こうやって増水などのたびに川は直線化され、河畔林は伐られてどんどんコンクリートで固められてきたのです。この原因はどこにあったのでしょうか?

 この一帯の河川はかつて深い河畔林に覆われていたそうですが、上流にダムが造られるようになってから河床低下が進み、川の様子がすっかり変わってしまったといいます。治山ダムなどが造られると砂礫などが下流に運ばれなくなり河床低下を起こします。柔らかい火山灰地では、河床低下が著しくなります。河床低下によって古い護岸が河床に落下すると新たな護岸工事が必要になったり、河床低下を防ぐために床固工を施したり・・・と悪循環に陥り、次々と工事が必要になってしまうのです。こういう工事を繰り返すことで、河川はどんどんコンクリート化されてしまいますが、これが河川改修の実態でしょう。

 子どもたちや市民が水とふれあう場を整備するとの名目で、護岸の部分に階段を造る工事などもありますが、このような施設はほとんど利用されていないといってもいいでしょう。工事が必要になった原因を考え、その反省のもとに、河畔林の茂る自然の河川をいかに残すかという視点にたった河川管理が求められます。

2009年9月12日 (土)

呆れたパナソニックの簡易水洗トイレ

 先日、母の住宅の簡易水洗トイレが故障してしまいました。トイレの故障などといってもピンとこないかもしれませんが、ほんとうに故障したのです。私のところは下水道が完備されていないので、トイレは簡易水洗を利用しています。簡易水洗というのは、便器の底に弁がついていて少量の水で汚物を便槽に落下させる汲み取り式のトイレです。弁の開閉とタンクからの水の供給は、普通の水洗トイレと同じようにレバー操作(ペダル式のものもある)で行います。

 それじゃあ、どうしてトイレが故障するのかと思いますよね。故障したトイレは弁の開閉と水の供給を、手動レバーではなくボタン式の電動リモコンで行うタイプだったのです。家が完成したとき、このリモコンを見て「なんで電動にしなけりゃならないんだろう?」と思ったものです。だって、手動レバーで十分なのですから電気代の無駄というものでしょう。もちろん建て主がそのようなタイプを希望したのではなく、業者が勝手に選定して取り付けてしまったんです。

 故障というのはその電動部分です。ボタンを押すとタンクから水は流れてくるのですが、弁が開かなくなってしまいました。そこで家を建てた業者に修理を依頼したのです。業者もできる限り修理で対応したいとのことでメーカーとやりとりしたそうなのですが、メーカーによると今は電動の商品はつくっておらず、部品がないので修理できないとのこと。だから、便器そのものを交換しなければならないと・・・。「ええっ!」という感じです。

 ほんとうにあきれ果ててしまいました。でも、このままではトイレが使えないのですから交換するしかありません。便器やタンクなどの本体はまったく問題がないのに、電気関係の部品がないというだけでトイレそのものを交換しなければならないなどというのは不良商品というべき代物です。交換した便器やタンクはゴミにするしかないでしょう。結局、交換に十数万円もかかり、「電動式」から「手動レバー」のトイレに。電動にする必要がないものを電動にしたパナソニックの見識が問われます。

 さらに驚いたのは、新しい商品のタンクがなんとプラスチックでできていることです。以前のものは丈夫な陶器製だったしタンク自体は壊れていないのに、それを廃棄させてプラスチックですよ! まったくパナソニックというのは何を考えているのでしょうか。長く使ってもらうことより、新しい商品の販売を優先しているとしか思えません。もっとも、こういうことはパナソニックに限ったことではありませんけれど。恕、恕!

2009年9月10日 (木)

裁判員制度の真の狙い

 先日、伊佐千尋・生田暉雄、編著「裁判員拒否のすすめ」(WABE出版)を読みました。本を読む前は、帯の裏側に書かれている「国家権力に従順な国民をつくるのが狙い!」「精緻に考え抜かれた『21世紀版治安維持法』とも言うべき法律」という文言は、さすがにちょっと誇張しすぎではないかと感じたのですが、実際に読み終えると決してそんなことはないと思えるようになりました。国、とりわけ悪政を押し進めてきた自民党政権が何か新しいことをやろうとするときには、その真の狙いを考えて警戒しなければ国民全体が騙されることにもなりかねません。そこで、この本を読んで私がとりわけ重要と感じた部分について紹介したいと思います。

 日本の刑事裁判の最大の問題点は何かといえば、やはり自白強要と自白調書を中心に裁判をすすめる特有のシステムでしょう。日本では警察による自白獲得捜査が中心になっているといいます。

 犯罪捜査は1.犯行現場での物証や目撃証人の確保 2.それに基づいた参考人の確保・犯人の確定や確保 3.容疑者の取調べが行われます。つまり、証拠や証人をきちんと確保し、十分に調べてから容疑者の取調べをすれば、たとえ容疑者が犯行を否認しても犯人を間違えることはまずありません。ところが、日本の場合は1や2がおろそかにされ、容疑者に自白させることに重点が置かれているといいます。しかも、捜査機関が自らの管理化で被疑者を長期間にわたって留置して取り調べるシステムになっています。取調べには弁護士の立会いも認められず、違法な取調べが行われても検証すらできません。このような捜査構造は国連や諸外国から非難や改善を求められています。

 捜査機関の筋書きどおりに自白しなければいつまでも拘束し、苦痛を与えたり不安を煽って自白を強要させる「人質司法」が行われているのです。こうした事実は、冤罪を経験した人たちも語っています。

 さらに問題なのは、裁判では法廷での証言よりも自白調書の証拠能力の方が高いと判断されてしまうことです。刑事訴訟法319条では「強制、拷問、または脅迫による自白、不当に長く抑留または拘禁された後の自白その他任意にされたものでない疑いのある自白は、これを証拠とすることができない」とされているのですが、実際にはほとんどが公判廷で裁判官の恣意的な運用によって証拠とされているといいます。刑事訴訟法では「事実の認定は証拠による」とされているので、虚偽の自白調書であってもその証拠能力が認められてしまうと、自白調書に書かれたことを法廷で覆すのは極めて困難になってしまいます。こうしたシステムによって、日本では数え切れないほどの冤罪や不当判決を生み出してきました。

 このようなシステムをそのままにして裁判員制度を導入したらどうなるでしょうか? 裁判員裁判では裁判員の参加しない「公判前整理手続」によって非公開の場で証拠が整理されてしまいます。この公判前整理手続の時点では、検察側と弁護側の手元にある証拠に絶望的な差があります。すなわち、検察側には強制力をつかって多数の捜査官が集めた膨大な証拠があるのです。これまでの裁判では、弁護人は検察官の提出した証拠を公判廷の反対尋問で詳細に検討して嘘や矛盾を発見するという弁護活動をしてきたのですが、公判前整理手続によってこれが極めて困難になり、検察側に圧倒的に有利な状況になります。

 そのあとで裁判員が選ばれて数日間の審理で判決を出すことになります。裁判官は裁判員より多くの権限をもち、裁判の主導権を握って評議を仕切るのです。さらに、陪審制度とは異なって、裁判員自身が量刑の判断すらしなければなりません。こうしたシステムと、上の人ばかり見て判決を下す「ヒラメ裁判官」によって、市民が国家権力の求める判断に誘導される可能性が高くなります。もし冤罪が生じた場合、冤罪責任の国民への転嫁ということにもなります。

 自白強要によって虚偽の自白をさせないために、取調べの全面可視化が求められてきましたが、そういうことすら実現されないまま裁判員制度が始まってしまいました。しかも、裁判員には守秘義務をはじめ、さまざまな罰則によってがんじがらめにされています。それでは、一体何のためにこのような問題の多い裁判員制度をつくったのでしょうか?

 生田弁護士は、裁判員制度の真の狙いは「裁判員になった国民に強権的裁判を実際に体験させることによって、国家権力の強大さ恐ろしさを知らしめ、国家権力に従順な国民に仕立て上げる国民養成法」だといいます。アメリカの「21世紀国家戦略」に応えるために憲法改正を迫られている日本政府が、国家権力に従順な国民をつくりだすために考えた制度だというのです。市民が裁判員になることで、権力者として振舞う「爽快感」が得られます。また、強権的裁判に市民を強制的に参加させることで、国家権力の強大さ、恐ろしさを体験させ、国家権力に従順な市民を養成することができるというわけです。

 近年の死刑の乱発と執行、厳罰化、市民運動に対する強硬な逮捕や起訴、「日の丸」「君が代」の強制をみても、強権化が進んでいることは明らかです。さらに有事法制3法や有事関連7法、その他多数の法改正によって、日本はどんどん戦争のできる国になりつつあります。裁判員制度もそのような強権化の一環として考えると、「市民参加」の名の下に国民を騙して戦争ができる国へと変えていくためのシステムであるという主張はなるほどと納得できます。政権交代が実現した今、民主党は平和憲法の維持と裁判員制度の改廃に力を入れるべきです。

 以下は裁判員制度についての記事です。マスコミは裁判員裁判の報道のたびに「市民参加」を強調していますが、こういう視点も必要でしょう。

裁判員による公開リンチがはじまった

2009年9月 9日 (水)

高速道路の無料化と公共交通機関

 国土交通省が高速道路の無料化の経済効果について2008年に試算をまとめていたというニュースがありました。それによると、無料化による経済効果は一般道の渋滞解消など年4兆8千億円で、高速道路の渋滞発生などによるマイナス効果2兆1千億円を差し引いても2兆7千億円となり、3割引の5千億円、5割引の1兆円より大きいとのこと(9月8日付け北海道新聞より)。また、利用者の料金負担の軽減分などを加味した別の試算では、経済効果は7.8兆円に達するそうです。

 はてはて、一体どこからこのような数字が出てくるのでしょうか? 大規模林道の費用対効果なども根拠がわからないいい加減なものでしたから、こういう試算を見るとどうしても眉唾物としか思えないんですね。と思っていたら、JANJANにこれに関する記事が掲載されていました。やはり、真の経済効果とはいえない数字のように思えます。

高速道路無料化「経済効果7.8兆円」の幻想

 高速道路が無料になれば、公共交通機関の利用者が減少して経営が悪化したり、本数が減る可能性もあります。車を利用しない人の利便性が低下する可能性も否定できません。また、高速道路では橋脚などコンクリートを多用していますが、将来コンクリートが劣化してきたら一般道のメンテナンスとは比べ物にならないくらい多額の費用がかかるでしょう。もっと負の部分も考えていく必要があるのではないでしょうか。

 高速道路を無料にするということは、車の利用を増やすことになっても減らすことにはつながりません。環境面を考えても、やはり自動車に頼る社会を変えていく必要があると思えてなりません。日本の都市への一極集中は世界的にみても異常といわれています。将来的なことになりますが、人口を分散させたり、公共交通機関の充実を図って車を減らすということをもっと考えていくべきではないでしょうか。多くの鉄道を廃止してしまったのは、誤りであったとしか思えません。

 昨年旅行したスウェーデンやフィンランドの都市は人口も少なくこぢんまりとしており、バスや路面電車などの公共交通機関がとても充実していました。人で溢れ、満員電車に押し込まれて長時間の通勤を強いられる日本の大都市は不健全であり、異常としか思えません。

 と、ここまで書いて終わりにしようと思ったところで、上記で紹介した記事と同じ上岡直見さんの書かれた以下の記事を見つけました。

高速道路無料化より公共交通機関の無料化を 

2009年9月 8日 (火)

オオモンシロチョウと天敵

P1010081  庭の大根の葉がオオモンシロチョウの幼虫に食べられて虫食いになり、さらにトウがたってきました。すると蕾がエゾシカに食べられて・・・。なんだかちょっと悲惨な家庭菜園になってきました。今の時期でもエゾシカが庭にやってきて、庭やプランターの植物を食べてしまいます。幸いなことに、サラダ菜とミニトマトは食べられていませんが、今年はインパチェンスが壊滅状態。エゾシカの味覚って、どうなっているのでしょうか? 写真は大根についたオオモンシロチョウの幼虫です。

 以前、大根を育てた時にも虫食いになりました。ほんの2日ほど留守にしていたら、芯の部分を残してきれいに葉っぱがなくなっていたのです。よく見ると、オオモンシロチョウの幼虫がうじゃうじゃ。オオモンシロチョウは一箇所に多数の卵を産むために、幼虫も集団発生し、食草もみるまに丸坊主になるのです。

 このときはちょうどハクセキレイの雛が保護されて持ち込まれていたので、餌と害虫退治の一石二鳥というわけで、オオモンシロチョウの幼虫を雛に与えました。はじめのうちこそ食べていたのですが間もなく嫌がって食べなくなり・・・仕方がないので幼虫は手作業で取り除きました。オオモンシロの幼虫は野鳥にはおいしくないのか、あるいは毒でもあるのでしょうか。幼虫には黒い斑点があり、モンシロチョウの幼虫のように緑色の隠蔽色ではありません。この目立つ体色は、野鳥などの捕食者に対して「まずいよ!」と警告しているのかもしれません。

 ところが、今回は忙しかったのでそのまま放っておいたのですが、丸坊主になりません。よく見ると茎に死んだ幼虫がついています。ということは、多くの幼虫が寄生をうけたか、あるいは病気などによって死んでしまったのでしょう。野鳥に捕食されにくいのなら、寄生動物や病気などで個体数が調節されない限り大発生しますから、キャベツや大根などでは大きな被害を受けることになるでしょう。

 オオモンシロチョウはもともと日本に生息していなかった蝶ですが、沿海州から海を渡って北海道に侵入したといわれています。そういえば、2001年にサハリンに行ったときもこの蝶を見ました。人里離れた大雪山の愛山溪温泉でも見たことがあり、北海道ではすっかり定着してしまいました。しかし農業被害についてはあまり聞きません。天敵がうまく働いているのならいいのですが、農薬で防除しているのでしょうか。農業被害や農薬使用の実態が気になります。

 写真家の宮崎学氏がオオモンシロチョウの大発生について書いていますが、北海道からどんどん南下しているようです。

オオモンシロチョウという蝶に負けた人間

2009年9月 5日 (土)

八ッ場ダムのヒ素問題

 八ッ場ダムの場合、自然環境の破壊、利水や治水の不要性、堆砂、ダム堤体の地質、川原湯温泉の水没などの問題のほかに、忘れてはならない重要なこととして鉱毒問題があります。鉱山から排出されているヒ素問題について、2008年12月12日号の週刊金曜日で、ジャーナリストの高杉晋吾氏が「二五億人分の致死量のヒ素が水源に」と題して取り上げています。

 吾妻川は酸性河川のために、鉄が溶けコンクリートが腐食するとして中和工場をつくり、品木ダム(八ッ場ダムより上流の吾妻川の支流にあるダム)に中和生成物を堆積させるシステムを造りました。高杉氏によると、この中和システムの源流にある万代鉱という閉鎖された硫黄鉱山からヒ素が排出されており、この10年間で500トン、致死量にして25億人分のヒ素が堆積し、これからも溜まる一方だといいます。この堆積するヒ素を流域内の山野に埋め立て処分しているのですが、国土交通省は処分場をこれ以上つくれないと表明しているそうです。となると、行き場を失ったヒ素入りの中和生成物がどうなるのかということです。そのまま品木ダムに溜まるしかないでしょう。

 今でも中和システムの品木ダム下流の吾妻川に、毎年3トンのヒ素が流出しているという報告があるそうです。八ッ場ダムができてこの水が飲料水に利用されたなら、下流住民はこのような水を飲まされる危険性があります。

 さらに、東京電力が吾妻川の酸性水のほとんどを発電に利用しているとのこと。発電に使った水を吾妻川に戻さず、道水管を利用して10箇所ある発電所に次々と送っているために、吾妻川本流は弱酸性化または中和化されているが、ダムができて東京電力が導水管から吾妻川に水を戻せば、吾妻川本流は強酸性河川になってしまうのだそうです。とすると、八ッ場ダムは酸性水にさらされることになります。支流にある品木ダムの中和システムは意味をなさないことになるのです。

 八ッ場ダムは、酸性水によるダムの崩壊の危険性、ヒ素の流出の危険性という、大変な問題を抱えたダムであるということです。こんな恐ろしいダムは、何としてでも中止させなければならないでしょう。

 この中和問題については、「死の川だった吾妻川」にも4回に分けて触れられています。

2009年9月 4日 (金)

中止を明確にすべき八ッ場ダム

 国土交通省は、八ッ場(やんば)ダム(群馬県)の本体工事の入札を延期したとのことです。民主党はマニフェストで八ッ場ダムの建設中止を掲げていましたから、民主党が圧勝した今、入札延期は当然のことでしょう。

 八ッ場ダムというのは1852年に利根川水系の吾妻川に計画された多目的ダムです。半世紀以上も前に計画されていて総事業費4600億円のうちすでに3210億円が投入され、本体工事以外の周辺工事が進められてきました。

 ところが、地元では今さら中止されても困るといった声があるそうです。また、以下の記事によると、自治体の撤退以外の理由で中止された場合、利水費は特定多目的ダム法で建設負担金を全額返還するとの規定があるそうです。このために、事業を継続した場合より、多くの費用がかかる可能性もあるとのこと。

八ッ場ダム:入札延期…流域自治体「困った」

 こんな状況になってしまったのは、激しい反対運動があるにも関わらず、事業を凍結して検討しようとしなかったからです。とてもおかしなことなのですが、日本では建設差し止めの住民訴訟が起こされていても工事を凍結させることはできません。反対の声とは関係なく計画が押し進められ、工事はどんどん進んでいくのです。「中止になる可能性がある」などということははじめから考えようとしないのですね。利権構造によって、工事をすること自体が目的となっているのです。

 そもそもダムは無駄な公共事業の典型であり、問題が多すぎるから中止が求められているのです。周辺工事が進んでしまったとか、中止したら建設負担金を返還しなければならないなどということに左右されるべきではありません。反対の声が大きいのに周辺工事を進めてしまったことこそ問題であり反省すべきことでしょう。いったい誰がダムを欲しがっているのか、ダムがいかに大きな問題を抱えているのか、そして本当にダムが必要なのか、中止に困惑する人々はダムの本質的問題点をいまいちど見つめなおしてほしいと思います。

 八ッ場ダムの問題点については「八ッ場あしたの会」のサイトが参考になります。

2009年9月 2日 (水)

消費者庁への期待と懸念

 昨日、消費者庁が発足しました。消費者庁は、消費者団体などから発足に期待をかけられていましたし、消費者問題の情報が一元化されて迅速に適切な対応ができるようになることは望ましいことです。問題はどれだけ独立性が保てるかということと、どれだけ消費者の要望に応えられるしっかりした組織になれるかということだと思います。

 というのは、たとえば国民生活センターでは以下のような問題が指摘されていました。消費者に有益な情報を提供すべき団体が、天下り受け入れ団体で、国民が苦情やクレームを寄せても企業名を握りつぶしてしまうのならどれだけの意味があるでしょうか。

大企業の手先、国民生活センターは「役人センター」か「事業者センター」に名前変えよ

 消費者庁の場合は消費者委員会が監視するとのことですから、この委員会のメンバーが適切に選任され、監視役としてどれだけきちんと機能するのかが問われることになるのではないでしょうか。

 苦情や相談を受け付けるホットラインはすぐにスタートできず、最寄りの消費生活センターにつながるとのこと。また、民主党は長官人事が官僚主導だとして見直しをしているようですが、見直しは当然でしょう。どう考えても準備不足であり拙速なスタートといえそうです。辞退したそうですが、発足前から住田裕子弁護士が委員長に内定していたというのも疑問です。

 消費者庁のスタートということで思い出したのが環境庁の発足したときのことです。初代長官の大石武一氏は自然保護に尽力して成果をあげましたが、その後、環境庁はどんどん無力化していきました。今では環境省は自然破壊に対してほとんど何もできません。希少種の保護とかデーター収集などはやっていますが、自然破壊の公共事業を推進する国土交通省や林野庁に何も言えないのですから、なんと情けないことか。伐採問題でも、林道ラリー問題でも、士幌高原道路や日高横断道路でも、大規模林道問題でも環境省はまったく役に立たなかったし、自然保護団体が対応を求めても無視同然なのですから、何のための環境省なのかと思わざるをえません。

 消費者庁が、全国の消費者団体や被害者団体などの期待に応えられないような無力な組織にならないよう願いたいものです。

2009年9月 1日 (火)

北海道の公共事業はどうなるのか

 自民党惨敗で、民主党政権が誕生しました。これまでの経緯からも当然の結果ですが、何はともあれ政権交代が実現したことは喜ばしいことです。

 民主党は、無駄な公共事業を見直すといっていますが、これから北海道の公共事業はどうなるのでしょうか?

 たとえば「山のみち」(大規模林道)。高橋知事はいまだに費用対効果もだせずにいますが、民主党としては費用対効果の認められない事業は推進できないはずです。政権交代を機に、廃止を明確に打ち出すべきでしょう。

 ダムはどうでしょうか。民主党のマニフェストでは、建設または計画中のダムはいったい凍結して再検討するとされていました。ところが、北海道の自然保護団体でつくる「北海道脱ダムをめざす会」が主要政党を対象に行ったアンケートでは、自民・公明・国民新党がダム建設推進、共産・社民は反対、そして民主党は条件付で推進するとの姿勢を示しているのです。具体的には、平取ダムは推進、サンルダムは「住民意見を反映する」、当別ダムは「慎重な検討が必要」としています(8月1日付け、北海道新聞より)。

 私たちから見れば、どのダムも無駄な公共事業であり自然破壊事業でしかありません。党としての公約に立つなら、北海道のダムに限ってこんな曖昧で矛盾した態度をとることに大きな疑問を感じます。

 高速道路はどうでしょう。民主党は高速道路を無料化するといっているのですから、今造っている高速道路を見直すこともあまり期待できそうにありません。高速道路を無料にしたらこれまで高速道路を利用していなかった人まで利用するようになり、化石燃料の使用増加につながります。いったい環境対策をどう考えているのでしょうか。民主党の環境対策には大いに疑問があり、今後も厳しく見つめていきたいと思います。

 政権交代は歓迎ですが、これで大きく流れが変わるとも思えず、安易に喜んでいるわけにはいきません。民主党に期待するというより、民主党が弱者の声を反映したまっとうな政治を行うよう監視し働きかけることが求められるのではないかと思います。

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