土砂災害の責任はどこにあるのか?
台風による豪雨によってあちこちで土砂崩れが発生し、被害が出ているようです。私は本州のことはよくわからないのですが、九州の平野虎丸さんが、土砂崩れは人災だと指摘しています。根が張りにくい挿し木苗を植林しているために、崩れやすいのだそうです。それがわかっていながらこのような植林を続けてきたのなら、確かに人災の側面が色濃いでしょう。
集中豪雨等で災害が起こったあとで、一斉に行われるのが災害復旧工事。北海道の川では、集中豪雨によって河岸が浸食されるたびにコンクリートによる護岸化が進められ、山の中は砂防ダムだらけになりました。砂防ダムで土砂の流下を止めてしまったために、河床低下や海岸浸食、魚の移動の妨げなどさまざまな弊害が発生しています。土砂崩れの中には確かに自然災害といえるものもあるでしょう。しかし、人間が改変してしまった環境においては、自然災害というより人災といえるものの方が多いのではないでしょうか。
大規模林道の平取・新冠線は、2003年8月の台風10号によってズタズタになってしまいましたが、もろい地質の斜面に道路を開削したこと自体が災害を招いたのです。沢の部分では道路の下に埋設された土管が詰まって機能せず、水があふれて道路を崩壊させました。崩れることがわかっているようなところに道路を造って土砂崩れを誘発し、いい加減な設計や工事が被害を増大させたのですから、これも人災です。ここはほとんど車の通らないような道であるにも関わらず、災害復旧として多額の税金が投入されました。災害復旧という公共事業をつくるために、いい加減なことをやっているのではないかとすら思えてきます(「崩れる!壊れる!大規模林道」参照)。
土砂災害が生じた際には、崩れた原因をきちんと検証し改善していかなければまた同じことが繰り返され、人命が失われたり自然が破壊されたり、新たな税金の無駄遣いがなされるのです。台風とか未曾有の集中豪雨だといって自然災害であることを強調し、責任を曖昧にしてしまうべきではないでしょう。
« 開発局はいらない! | トップページ | 山の中のハマナス »
「自然保護」カテゴリの記事
- 山小屋弁護士(2019.09.05)
- 失われた東京湾の干潟(2018.09.24)
- 然別湖周辺の風倒被害(2015.11.02)
- 日高地方のサクラソウ移植に思う(2015.06.08)
- 日向市のスラグ問題と自然保護・環境保護運動(2015.05.31)
コメント