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2009年7月

2009年7月30日 (木)

破壊された海岸

 本州では工業開発などによってイソコモリグモの生息地がかなり消滅してしまったようです。北海道は工業開発による海浜の消滅はそれほど多くはありませんが、工業開発によってもっとも影響を受けたのは勇払の海岸でしょうか。

 勇払の海岸は砂丘が発達し、かつてはイソコモリグモの良好な生息地であったと考えられますが、港湾と苫小牧東部工業地帯の開発の影響を受けました。苫小牧東部工業地帯の開発は事実上失敗したのですが、良好な砂浜は一部しか残されていません。

P1000592  先日、勇払の海岸状況を調べに出かけて、驚くべき光景に遭遇しました。海浜植物に覆われていたはずの砂丘が突然グランドのように開け、ブルドーザーで平らに均されているのです。よく見るとあちこちにブルドーザーが動いています。均された砂浜を海岸沿いにたどっていくと、近くに砂採りの砂山があり、そこからブルドーザーが出入りしていました。

P1000590  植物群落が残されているところの近くにはかろうじてイソコモリグモの巣穴がありましたが、ブルドーザーが走り回って固めてしまったところは壊滅的状況です。何のためにこのようなことをしているのかよく分からないのですが、これはイソコモリグモ生息地の大々的な破壊です(写真は穴の中から覗くイソコモリグモ。この穴のあるところは砂丘が破壊されてしまった)。

P1000611  苫東への企業誘致は失敗したものの、砂の採取やこのような破壊行為によって海岸の自然はどんどん失われていくのです。石狩浜では車の進入などで破壊されてしまった植生を回復させようと、あちこちに通行止めのロープが張られていましたが、勇払海岸の破壊はそれとは対照的な光景です。

2009年7月29日 (水)

北海道開発局の矛盾

 「河畔林は障害物か?」で然別川の河畔林伐採について書きましたが、伐採を行なった国土交通省北海道開発局帯広開発建設部は、治水を目的として河畔林伐採をしたとのことです。つまり、河畔林を伐採することで洪水時の流速を速め、少しでも早く下流に水を流すことが治水上必要だという考えです。

 2000年7月14日の中日新聞に「植物ある川洪水防ぐ 流れに抵抗 貯水能力」というタイトルの記事が掲載されました。岐阜県にある建設省自然共生センターが、川岸や川底に植物が生えている夏・秋と、それらが枯れている冬・春で、植生と水位の関係を比較する実験をしたのです。長さ800メートルの実験用河川に毎秒2トンの水を20分間流して洪水を起こし、最下流から60メートル地点で水位を計測しました。

 その結果、洪水が計測地点に達するまでの時間は、植生のない冬と春が18分だったのに対し、草の茂った夏は32分、秋は25分かかったそうです。また水位は、平常時より冬が44センチ、春が49センチ上昇したのに対し、夏は29センチ、秋は25センチしか上昇しなかったそうです。植物があるとその抵抗で水はゆっくりと流れ、下流での水位上昇も抑えられることが、10年ほど前に建設省(現国土交通省)の研究機関の行なった実験で検証されていたのです。この実験で流速や水位に影響を与えた植生は、川岸に生えているタデや川底に生えているヤナギモなどですから、河畔林による効果はさらに大きくなるのではないでしょうか。

 であれば、河畔林を伐採して水を速く流すことが下流部の治水対策として有効ということにはなりません。むしろ逆効果です。然別川の河畔林を伐ったなら、下流の帯広市などには洪水が早く到達して水位を上昇させることにつながるでしょう。北海道開発局は国の研究機関が10年も前に行なった実験結果をないがしろにし、実験結果と矛盾する対策をとっているといえるでしょう。この実験結果を現場の帯広開発建設部が知らないのであれば、何のために研究機関を持っているのかということになります。

 「『川の樹林化』って何?」に書いたように、中村太士氏は河畔林があると洪水が流れづらくなり氾濫する危険性が増すと指摘していますが、中村氏の認識にも問題がありそうです。

2009年7月28日 (火)

売れない自費出版本

 昨年、二人の知人から自費出版の本をいただきました。お一人は元大学教授で、地球温暖化についての問題点を一冊の本としてまとめたものです。地球温暖化についてはデータなどが年々新しくなりますし、はじめから売れないことを前提にして流通は考えず、原稿や図をパソコン入力して印刷・製本したとのことです。資料集としていろいろ参考になる本です。

 もうひとりは現役の大学の先生で、新聞のコラムに書いたエッセイを一冊の本としてまとめたものです。500部作製し、ISBNコードも取得して見かけは商業出版の本なのか自費出版なのかまったくわかりません。一部の書店に置かれているそうですが、ほとんど売れないとのことでした。内容はとても興味深く楽しく読めるものなのですが、500部を捌くのも大変なことなのです。

 また別の元大学教授で、画文集を何冊も自費出版されている方がいます。はじめから売るつもりはなく、パソコンで版下をつくって印刷所で印刷・製本してもらうのです。商業出版の本も書かれていますが、画文集はあくまでも自費出版です。

 大学の先生といえば一般の方よりはるかに知名度は高いでしょうし専門家です。それでも、著書は簡単には売れないのです。商業出版社から出版の依頼がなければ自費出版を選択することになります。でも、多くは売れません。

 本が売れるというのは、なんらかの形で話題になり広まることが必要です。たとえば、書店員が興味をそそるポップを書いたことがきっかけでその書店で話題になるとか、新聞や雑誌の書評で取り上げられるとか、ネットなどで話題になるとか・・・。次から次へ本が出版されている中で、何らかのきっかけがない限り、いくら内容がよくても簡単に売れるものではありません。

 商業出版の場合は単価を安くするために少なくとも3000部程度は刷るというのが普通でした。でも最近では初版が2000部程度の本もあるようです。沢山刷って在庫の山を築いたあげく断裁するより、はじめから少なめに刷ることを選択するのでしょう。それほど出版業界は厳しくなってきているといえます。専門書などでは500部程度しか刷らないという場合もあります。もちろん本の単価は高くなりますが、高くてもその本が必要な人は買いますから、刷り過ぎで在庫を抱えるよりもいいのです。

 そんな状況であるにも関わらず、新聞や雑誌で原稿を募集し、あちこちで出版説明会を開催し、アマチュアの著者に多額の費用負担を提示して書店販売・流通を前提とした出版を勧める出版社がいまだにありますし、相変わらず怪しげな共同出版を謳っている出版社もあります。ネット書店等での流通を謳う自費出版社もあります。でも、多くの本が売れずに断裁されているのが実態ではないでしょうか。過剰に作るというのは、資源の無駄そのもの。

 出版社側から一方的に販売前提の出版を勧められ、高額な費用を請求されたら要注意です。アマチュアの本が売れないことはこれまでも何度も書きましたが、本を出版したいと考えている方はこのことをしっかりと肝に銘じ、出版社の甘い言葉に惑わされないことが大切です。

2009年7月26日 (日)

自然破壊のアウトドア施設

 24日は日高から勇払にかけての海岸、25日は石狩浜へ、イソコモリグモの調査ででかけました。調査前に衛星写真で海岸のチェックをしたのですが、日高の三石の海岸に何やら人工的な構造物があるのが気になりました。現場に行ってみてそれが三石海浜公園なるものであることがわかったのですが、私にとってはなんともゾッとする海岸風景でした。

P1000555  ここには道の駅や海水浴場、バンガロー、オートキャンプ場などの施設があるのですが、そこに自然の海岸風景はなく、砂浜と道路の間には芝が張られ、きっちりと管理された公園になっています。海水浴場は防波堤でぐるっと囲まれた中にあり、要するに人工海水浴場なのです。そして、海水浴場に隣接したふれあいビーチには、どこから持ってきたものやら、海の中に岩が積み上げられて不自然な光景になっています。(写真の奥が海水浴場で、手前がふれあいビーチ)何から何まで人工的な公園になっているのです。

P1000557  施設から砂浜に下りる通路の手摺は、砂に埋もれていました(写真)。海水浴場の防波堤で、ここには砂が堆積したのでしょうか。もともとあった海浜植物群落をはぎ取り、コンクリートと芝で固めて公園にしてしまったのです。石狩浜などの海水浴場とは対照的ですが、最近はこのように完全に人工的に整備してしまった海水浴場をときどき見かけます。しかし、海水浴とはそもそも自然の海岸で楽しむものだったのではないでしょうか? せっかくあった自然の浜を壊し、きれいな施設をつくり、なにもかも便利にしてしまったならアウトドアということにはならないでしょう。

 それに北海道で海水浴を楽しめるのはほんの1、2ヶ月だけで、シーズンオフはどこも閑散としています。たった1、2ヶ月のためにこのような整備が必要なのか? 芝刈や施設管理だけでもかなりの費用がかかるはずです。北海道を旅行していると、小さな自治体でも立派なキャンプ場や公共施設を持っているところがとても多いことに驚かされます。造ってはみたものの利用者が少なく、維持管理にばかりお金がかかるというのが実態でしょう。

 観光の目玉となる施設が欲しいという自治体の想いはわからないでもありませんが、人工的な施設を造ればいいというものではありません。自然を楽しんでもらいたいのならそこにある自然を大切にし、施設は最低限にしてほしいものです。海浜の動植物の生態系は、一度壊してしまったら元にはもどらないのですから。

2009年7月23日 (木)

植樹とカーボンオフセット

 地球温暖化の防止、カーボンオフセットなどを謳っての植樹活動がブームのようになっていますね。行政や企業、生協なども「植樹」を呼びかけ、市民参加の植樹ツアーなどの催しもあるようですが、果たして二酸化炭素の吸収源として有効な植樹活動がなされているのでしょうか?

 昨日の記事「樹木の炭素固定量」にも書きましたが、樹木が多くの炭素を固定するためには太い木に育てなければなりません。現在北海道で行なわれている植樹活動では、皆伐地のような樹木のないところに圃場で育てられたトドマツやアカエゾマツなどを植えることが多いようです。そのような植樹での問題点は、植えたあとの手入れです。

 苗木を植えたあと放置してしまえば下草に覆われてしまいますから、下草刈りをしなければなりません。植えた苗のなかには枯れてしまうものもありますから、補植も必要でしょう。ある程度生長して混み合ってきたら、間伐によって間引きをしなければ太い木には育ちません。材として利用するのであれば、枝打ちも必要です。畑の作物も手入れが必要なように、植林したらきちんと手入れをしなければ大きな木は育たないのです。ところが、実際には手入れもされずに放置されている植林地もあります。

 植林しただけで間伐せずに放置され、モヤシのようになった人工林がいたるところにありますが、そのような状態になってしまったら個々の木は太ることができず、共倒れになることもあります。このようにしてしまったのではカーボンオフセットの意味がほとんどありません。苗木の炭素固定量はごくごく僅かでしかなく、多くの炭素を固定する森林になるまで100年とか200年はかかるのです。植樹によるカーボンオフセットというのは気の長い話であり、一朝一夕ということにはなりません。樹を植えさえすれば二酸化炭素の削減になると思うのは幻想でしょう。

 また、「100年遅れた日本の林業」にも書きましたが、私は単一樹種による造林をやめ、自然林に近い森林での木材生産を目指していくべきだと考えています。そういう視点からも、現在あちこちで行なわれている植樹は、見直していく必要があるのではないでしょうか。

2009年7月22日 (水)

樹木の炭素固定量

 地球温暖化問題に関連して、カーボンオフセットという言葉をよく耳にするようになりました。カーボンオフセットとは、人間活動によって発生する二酸化炭素などの温室効果ガスを、植樹や森林の保護などによって相殺しようという考え方です。地球温暖化の防止のためには化石燃料の使用料を減らす努力をすることが求められますが、すぐに化石燃料の使用をゼロにすることはできません。そこで、樹木による炭素の固定を利用して大気中の二酸化炭素の絶対量を削減しようというわけです。

 それでは樹木はどれだけの炭素を固定できるのでしょうか? 先日「十勝三股森づくり21」の会長である斎藤新一郎氏から、生きている樹木の炭素固定量の簡単な求め方を教えていただきました。求め方はとっても簡単で、樹木の材積(幹の体積)の約四分の一なのだそうです。幹の形態によって誤差が出るとはいうものの、その誤差もふつうは10~15パーセントとのことです。例えば、材積が1立方メートルの樹が固定している炭素の量はおよそ四分の一トン、つまり250キログラムになります。

 現在知られている世界の超高木に、樹高が83.8メートル、胸高直径が1,110センチメートル、材積が4,055立方メートル(世界一)のセコイアデンドロンがあります。この樹の場合、一本でおよそ1,000トンの炭素を固定していることになります。また、樹高が111.4メートル(世界一)、胸高直径が670センチメートル、材積1,964立方メートルのセコイアの炭素固定量はおよそ500トンになります。巨木は一本で多くの炭素を固定することができるのです。

 なお、樹木が固定するのは固体の炭素であって、気体の二酸化炭素ではありません。固体の炭素1トンは気体の二酸化炭素3.7トンと計算されているそうです。

 材積の大きな樹木ほど多くの炭素を固定するのですから、森林が多くの炭素を固定するためには森林全体の蓄積量(1ヘクタール当たりの樹木の材積の合計)を大きくする必要があります。蓄積量の多い森林というのは、細い木がたくさんあるような森林ではなく、大径木がある森林なのです。かつての原生林には胸高直径が1メートル近い樹や1メートル以上ある樹も珍しくはありませんでした。

 ところが、林野庁は「老齢過熟木を伐って若木を育てる」との名目で天然林を択伐し、大きな樹をどんどん伐っていったのです。そうやってお金になる大径木から順に短い周期で伐りだしたために、北海道の天然林の蓄積量は大きく低下してしまいました。大雪山国立公園などの森林の多くでは、かつての半分程度になってしまったといわれています。

 天然林は細い樹ばかりの森林になり、森から大径木は激減しました。最近では大径木が減少してきたために、胸高直径30センチ程度の樹まで伐っています。林野庁のやっている伐採は、森林の炭素固定量を減らすことであり、カーボンオフセットに逆行する行為なのです。森林の炭素固定量を増やすには、伐採量が成長量を下回るようにしなければならないということです。

2009年7月21日 (火)

クモの網の巧みな罠

P1000502  ベランダの階段のオオツリガネヒメグモの網に、大きな餌がかかっていました。よく見るとマイマイガの幼虫です(ちょっとピンボケですが、マイマイガの上にいるのがオオツリガネヒメグモです)。クモの網にはときどき網の主よりはるかに大きな餌がかかっていることがありますが、こういう光景を見ると、クモのつくりだした網という罠に感心せずにはいられません。

 クモの網といえばオニグモなどが張る円網を思い浮かべる方が多いと思いますが、実際にはさまざまな形の網があります。オオヒメグモやオオツリガネヒメグモは不規則網といわれる網を張ります。その名のとおり、不規則に糸を張り巡らせた網で、糸には粘着性はありません。こんな網でうまく餌が捕れるのかと思うのですが、ときには自分の体の何倍もあるような大きな餌も捕ることができるのです。

P1000513  その秘密は網の下部にあります。不規則網からは、地面(写真の場合は板)に何本もの糸が引かれているのですが、この糸の地面に近いところにだけ粘着性があるのです。写真は網に霧吹きで水滴をかけて糸を見やすくしたのですが、粘着球が数珠繋ぎになっているところが白く太めに写っているのがわかると思います。網が乾いていると、この糸はほとんど見えません。

 マイマイガの幼虫は網の下を歩いていて、この粘着球に捕らわれてしまったのでしょう。マイマイガの体に多数の粘着球がつくと、糸の張力で上に引き上げられるのです。つまり、この網の下を歩いた虫は自動的に吊り上げられてしまうのです。この仕組みによって、素手ではとうてい捕まえることができないような大きな獲物も手に入れることができます。下に丸まって落ちているのは、お食事を終えて捨ててしまったマイマイガの亡骸です。

 今年の北海道は雨の日ばかりで肌寒く、昆虫の動きも鈍いようです・・・。でもこんな大物の餌を平らげれば、しばらくは餌がかからなくても大丈夫でしょう。

2009年7月19日 (日)

登山ツアーと百名山

 大雪山系で10人もが遭難死するという惨事が起こってしまいました。背景には中高年を対象にした登山ツアーのブームがあります。

 私はそれほど頻繁に山に登るわけではありませんが、最近つくづく思うのは中高年のツアー登山の多さです。私が20代のころは登山といえば若い人が中心で、中高年の登山者の大半は若い頃から山に登っているベテラン。そもそも登山ツアーなどというものはありませんでした。グループで登るといっても、気心のしれた数人のパーティーが普通です。自分たちの体力に合った計画を立て、自分たちの責任で登るというのが登山の基本でしょう。

 それが今ではどうでしょうか。登山口には何十人もの団体が貸切バスで押しかけることも珍しくありません。山頂に立つことを目的に、ひたすら列をつくって登って降りる人達を見ていると、何のために山に登るのだろうかと思うことすらあります。避難小屋にツアー客が大人数で押しかけたら、一般の登山者も迷惑します。かつてはワンゲルなど大人数のパーティーはテント泊が常識でした。ハイキングならともかく、一般の人を募集してのツアー形態での登山は不適切だと思えてなりません。

 また信じがたいのは、雨が降っていても山に登ろうとする人の多さです。天候が悪ければ自然をゆっくりと楽しめないばかりか、危険が増すだけです。縦走中に荒天になってしまったなら、山小屋やテントで「沈殿」というのが当たり前でした。日程にゆとりのないツアーでは多少無理してでも行動したいという心理状態になるのかもしれませんが、縦走登山に予備日を設けないというのは理解できません。以前は山でラジオの天気予報を聞いて天気図を描いていた人も見かけましたが、グループのリーダーなどはそうやって万全を期したものです。

 「百名山」の踏破を目指し、かなり厳しい日程で山めぐりをしている道外登山者も少なくありません。これにはNHKのテレビ放送も影響しているのでしょう。それにしても、なぜ百名山の踏破にこだわるのかと首を傾げてしまいます。

 私が所属する自然保護団体でも山での自然観察会をやったことがありますが、一般参加者の中には「無料ガイド付き登山」と勘違いしているのではないかと思われる方もいます。中高年の登山者が増える中で、かつての山の常識も薄れてきたのでしょうか。今回の遭難事故から、危うい登山ツアーの実態が垣間見えたようです。

2009年7月17日 (金)

生物の死とは?

 先日、改正臓器移植法のA案が参院であっけなく可決されてしまいました。「脳死は一般的に人の死」と位置づけるそうですが、十分な審議もされないまま人の死をこんなふうに扱ってしまうことに大きな疑問を抱かざるをえません。

 今回の改正には国際移植学会が渡航移植の禁止を求める宣言をし、世界保健機構もそれを追認する方針になっているという背景があります。日本人の渡航移植について国際的な批判がある中で、移植しか治療法のない患者を国内で救済すべきだという考えが根底にあるのでしょう。しかし、渡航移植の問題と生物の死の定義は別のことではないでしょうか? 移植で救える命があるというのは事実ですが、やはり今回の改正は「はじめに移植ありき」で進められたという感が否めません。

 動物の死とはどういうことでしょうか? 犬や猫などのペットの場合でも、すくなくとも私達は心臓が止まり、体温のぬくもりがなくなってはじめて死を実感し受け入れるのではないでしょうか? 臓器提供を拒否している人が脳死になった場合も、医師は「脳死は人の死だから」といって死亡診断書を書くのでしょうか? 脳死だからといって人工呼吸器を取り外すのでしょうか? たぶんそんなことにはならないでしょう。とすると、死の判断や扱いが状況によって違ってくるのです。医療の現場では脳死の判定に混乱は生じないのでしょうか?

 脳死を人の死とするのは、移植医療を前提としてのことなのです。移植医療自体を否定するつもりはないのですが、それを前提に死の定義を決めてしまうのはやはりおかしいとしか思えません。

 生物である以上、いつかは死が訪れます。生命とは何か、そして死とは何か? 逃れることのできない死と、私達はどう向き合うべきなのか? 医療はどこまで踏み込むべきなのか? 私たちは改めて見つめ直す必要があるのではないでしょうか。

2009年7月16日 (木)

エゾアシナガグモと誤同定

 昨日はエゾアシナガグモについて書きましたが、エゾアシナガグモと大変よく似たクモにウロコアシナガグモがいます。雌では区別が困難なほどよく似ていますが、雄ではエゾアシナガグモの方が大きな上顎をしています。私は北海道に来た頃、体が大きめで大きな上顎を持つ雄をエゾアシナガグモ、やや小形で上顎が小さめの雄をウロコアシナガグモと同定していました。

P1000321  当事同定に利用していた保育社の原色日本蜘蛛類大図鑑には、大きな上顎をもった黄褐色のエゾアシナガグモと美しい緑色のウロコアシナガグモの雌の原色図が出ていました。解説でもエゾアシナガグモの体色は「背甲は黄褐色」で腹部は「銀白色の鱗からなり黄色を帯びる」とされ緑色とは書かれていないのですが、ウロコアシナガグモは黄緑色と書かれています。そして北海道ではこの2種が分布していることになっていました。ならば、美しい緑色の雌はウロコということになります。そして、大きな上顎をもち黄色味を帯びているのはエゾの雄です。(写真はエゾアシナガグモの雄)

 それではエゾの雌は? ウロコの雄は? そう考えると、わけがわからなくなってきました。また、東京で採集したウロコアシナガグモの雄には腹部に赤褐色の斑紋があることも気になりました。北海道産の雄で赤褐色の斑紋をもった個体は見たことがなかったからです。そこで雄の上顎の形態や触肢を顕微鏡で調べると、エゾアシナガグモの雄は体長や上顎の大きさにかなり個体差があることがわかったのです。アシナガグモの研究者である大熊千代子さん(故人)にも、識別ポイントを教えていただきました。そして、それまで二つに分けていたものはすべてエゾアシナガグモであるという結論に達したのです。

 それでは過去の北海道のウロコアシナガグモの記録は、本当に正しいのでしょうか? ウロコアシナガグモは本当に北海道にいるのでしょうか? 少なくとも、私は北海道ではウロコアシナガグモは確認していません。そこで、最新の北海道のクモ目録からはウロコアシナガグモを削除してしまいました。あやふやな記録をいつまでも目録に残しているのは誤同定を誘発することにもなりかねません。しかし、道南ではあまりクモの調査がされていませんから生息している可能性はあります。いつか道南のアシナガグモを調べなければならないでしょう。

 なぜこのような同定ミスが生じたのかといえば、図鑑に書かれている色彩と分布を信じ、触肢をしっかりと確認せずに「見かけ」だけで判断してしまったからです。それ以来、私はよほど特徴的なクモ以外は、極力「見かけ」だけで安易に同定しないようにしています。このような思い込みによる過ちというのは、いろいろあるのではないでしょうか。

2009年7月15日 (水)

エゾアシナガグモの巨大な触肢

 夏の短い北海道で、いちばんいろいろなクモが見られる季節といえば、やはり7月でしょうか。クモの場合は子グモで越冬する種が多いのですが、春先にはまだ小さく弱々しかったクモが成熟して卵を産むのが今頃の季節なのです。そして、秋風が立つころになると、成体のクモの姿はぐっと少なくなります。

 春先に、体全体が緑色に輝いている細身のクモを見たことはないでしょうか? エゾアシアナグモの子グモです。草本や樹木の枝先などに小さな円網を張ります。今ごろの季節には成体になっており、あちこちで見ることができます。雄は成体になると葉裏でじっとしている姿がよく見られますが、このクモの雄は驚くほど巨大な上顎をもっているのです。アシナガグモ類の大きな上顎には大小の突起(牙堤歯)が並んでおり、その配列や形が同定のポイントにもなります。

P1000486  この上顎は、実は交尾(交接)のときに重要な役割を果たすのです。クモの雄は成体になると精網という小さな網を張ってそこに精液をたらします。それを触肢先端の移精器官でスポイトのようにして吸い取り、雌を探して交尾をするのですが、その時に雄の大きな上顎で雌の上顎を挟み込んでメスの体を固定してしまうのです。そして、雄は触肢を雌の生殖器にあてがって交尾をします。この光景を見たなら、あの巨大な触肢にも納得がいきます。写真は右が雄で左が雌。ちょっと見難いのですが、雄が触肢を雌の生殖口にあてがっているところです。

 植物の葉が開いていない春先は、このクモの鮮やかな緑色はとてもよく目立つのですが、緑の生い茂る季節になると、鮮やかな体色も実に周りの色にとけこんで目立たなくなってしまいます。ちなみにミドリアシナガグモというクモがいるのですが、こちらは名前にミドリとついているのに緑色ではありません。ミドリアシナガグモに限っては、名は体を現わしていないようです。

 エゾアシナガグモの雌は、産卵すると葉裏で卵のうを守るようになります。今ごろの季節に、ヨブスマソウなどちょっと草丈の高い植物の葉裏などを覗くと、じっとしているエゾアシナガグモが見られるかもしれません。

2009年7月14日 (火)

漁港と生態系

 昨年から今年にかけ、イソコモリグモの調査で道内のかなりの海岸を見てまわったのですが、漁港が立派になっているのには驚きました。古い地形図と照らしあわせて海岸を見ていくとよくわかるのですが、大半の漁港が拡張されて防波堤が延長されていますし、以前は漁港のなかったところに防波堤で囲った漁港がつくられているところもあります。漁業者が増えたとは思えないのに、漁港だけは増えて立派になっているのです。

 はて、これはどうしたことかと思っていたのですが、これについて川崎健氏が「日本漁業 現状・歴史・課題」(「経済」2004年5月号)で指摘していることを知りました。それによると、水産関係予算の中の漁港や漁礁などの大型公共事業費が、1980年度には約1500億円だったのが2000年度には約3000億円に倍増しているというのです。水産関係予算に占める割合も、1980年代までは50パーセント台だったのが、1999年度には80パーセント台になったとのこと。ところが、1980年代半ばに約230万トンだった沿岸漁業生産量が、2000年には160万トンに減っているのだそうです。

 1970年以降から「栽培漁業」が中心となり、漁港や漁礁という大型公共事業にお金をつぎ込んだにも関わらず、沿岸漁業は衰退したというわけです。その失敗の要因はどこにあったのでしょうか? いくら設備にお金をかけ、稚魚を放流したところで、魚の育つ水域の生態系全体を保全しなければ成果はあがらないということなのでしょう。

 これは漁業だけに限ったことではありません。林業政策とて同じです。戦後の乱伐と拡大造林によって天然林は無惨な姿になりました。造林や保育への多額の補助金投入によって人工林は増えましたが、安い輸入材に押されて多くの造林地が手入れもされず放置されたのです。林業政策の失敗です。また、苗を植えてから収穫までに何十年もかかる林業では、植えっぱなしではうまくいきません。風雪による被害や病虫害などにも見舞われます。

 漁業や林業のように、収穫物の栽培を自然のシステムの中に委ねる産業においては、自然のシステムや生態系を無視することができません。自然のサイクルをないがしろにして増産を図ろうとしても思い通りにはいかないのです。そして、自然の摂理を無視した政策は、どこかにツケがまわってくるのです。

A  立派な漁港や長大な防波堤は沿岸流の流れを変えて海岸の浸食を加速させ、海浜の生物に影響を及ぼし、海岸の護岸化に拍車をかけていますが、それが漁業政策の失敗に起因していたとはなんとも皮肉なことです。(写真は海岸浸食によって建物の際まで断崖が迫ってしまった光景)

2009年7月12日 (日)

法面工事への疑問

 6月はじめのことです。十勝自然保護協会に、道々鹿追・糠平線の法面の改修工事をしたいとのことで、管理者である帯広土木現業所鹿追出張所(北海道の出先機関)の職員から説明がありました。扇が原展望台の向かいの法面が崩れてきているので、崩壊を防止するために工事をしたいとのことです。帯広土木現業所は、国立公園での事業については十勝自然保護協会に説明するということになっているのです。

 法面が崩落してきて危険な状態になっているということであれば、工事は止むを得ませんが、問題は方法です。私達は崩落を防止するための植生回復方法などについて提案し、一度に全面を工事するのではなく部分的に施工して様子をみながら対応するように求めました。

P1000326  その後のことです。現場を通りかかって唖然としました。工事をするという法面は部分的に土がむき出しになって崩れかけているとばかり思っていたのですが、一部には樹木も茂り、見た目には青々として安定した状態です。ごく一部に凍上によると思われる裸地がありましたが、落石が生じるようなところは見当たりません。当面はこのままで何ら問題ないとしか思えないのです。

 そういえば、説明のときには法面の図面だけが示されて、写真は見せられませんでした。説明の前に現場を見ていたなら、私達の対応も違ったでしょう。せっかく樹木も入りこんで安定してきているのですから、このままの状態でササなどが定着するような工夫をすれば十分に思えます。この斜面に全面的に手を加えたら、かえって自然破壊になるのではないでしょうか? なんだか、工事のための工事に思えてきました。

Dscn1656  このあたりの道路では近年あちこちに落石防止柵を設置しているのですが、落石などありそうにないところにまで柵を設置しているのです。写真は落石防止柵の工事をしているところですが、この斜面のどこから石が落ちてくるというのでしょうか? どちらの工事も過剰な整備としか思えません。

2009年7月11日 (土)

「川の樹林化」って何?

 北海道新聞2009年7月8日付夕刊のコラム「魚眼図」で、中村太士氏が「川の樹林化」について書いていました。十勝川の支流、然別川の河畔林が大々的に伐採され、十勝自然保護協会が河川管理者である帯広開発建設部に質問書を出していたこともあり、大いに関心をもって記事に眼を通しました。

 中村氏は、日本の多くの川では洪水撹乱が減ったことで「樹林化」が進んでおり、河原特有の植物(カワラノギク・カワラハハコ・カワラバッタなど)が姿を消しているが、ダムや取水によって流量が低下あるいは安定し、河川改修によって河道(中村氏は「澪筋」と表現)か変動しなくなってきたことが原因だとしています。また、樹木が茂ることで洪水が流れづらくなり氾濫する危険性が増し、流木による堤防決壊や橋・道路などの破壊の危険性が増すと指摘しています。しかし伐採して管理するには多大な税金がかかる。だから、新陳代謝を促す堤防と堤防の間での洪水撹乱が必要だと説きます。

 これ読んで、中村氏は何をいいたいのかと考えこんでしまいました。ここで冷静に彼の論理の妥当性を検討してみましょう。

 中村氏は、北海道の川ではなく、日本の多くの川と言っています。本州の多くの河川は世界的に見ると特異な河川形態を有しています。それは広い砂礫川原をもつことです。ここを生活の場とするのがカワラノギクでありカワラハハコなのです。この砂礫川原は短い間隔で繰り返される洪水によって維持されています。ですから、ダムによって流量が平準化すると他の植物が繁茂しこれらが消失することになりかねません(これについては「新・生物多様性国家戦略」で指摘されている)。なお、北海道の多くの川は、本州と異なり広い砂礫川原をもちません。このことは安定した河畔林となりやすいことを意味します。なぜ中村氏は、北海道の河川の特性を無視し「樹林化」というのでしょう。

 次に核心部分である河畔林が氾濫の危険性を増し、流木化して構造物を破壊する危険性を増す、という指摘についてです。

 明治以来、わが国では川を直線化して水を速く流すという治水がおこなわれてきました。しかし、これは下流部に一気に水を集め洪水被害を起こすことにつながります。このため河畔林が流速を落とすことで下流部の急激な増水を抑える効果が見直されようとしているのです。ですから河畔林によって水の流速が落ち氾濫の危険性を増すとの指摘は未来につながる思考とはならないでしょう。

 百年に一度、あるいは数百年に一度というような大雨による洪水では、河畔林から多量の流木が発生することもありますが、通常の増水程度では大規模な流木化は生じません。流木が生じた場合でも、中流域や下流域の河畔林は上流からの流木を捕捉する役割を果たします。また、流木が橋脚に引っかかって集積し、堤防決壊や橋・道路などの構造物を破壊するという指摘は、川(流域)の特性を考慮したうえでなされなければならないでしょう。川(流域)の特性を見極めて対策を立てるべきであり、河畔林は流木の元とばかり伐採するというのは短絡思考です。

 たとえば日高地方の厚別川流域では、2003年8月の台風10号によって未曾有といわれる集中豪雨に見舞われました。厚別川の上流に建設されていた大規模林道は法面の崩壊でズタズタになりましたが、路上には斜面から流れ出た立木が山となっていました。流木の供給源は河畔林だけではないのです。ここでは流木が橋に引っかかって橋が押し流されるという被害が生じましたが、大量の流木の発生は道路建設による斜面崩壊も関係していました。このとき流出した河畔林は一部であり、とくに中・下流域の河畔林の多くは流されることなく上流からの流木を捕捉するという役割を果たしたのです(光珠内季報:河畔林の消失と流木の捕捉実態参照)。

 また、ダムや堰の設置により河床が低下し河岸が段丘化してしまった場合には、河岸の崩壊によって河畔林が流木化しやすくなります。つまり、大雨によって流されやすい河畔林というのは限られているのです。河畔林や流木による危険性をことさらに取り上げるより、流木が発生する原因や河畔林の働きに目を向ける必要があります。

 さて、中村氏はこのコラムで何を言いたかったのでしょうか? 河畔林の伐採は多大な税金を必要とするとしながらも、河畔林の伐採そのものを否定してはいません。また、ダムや取水などによる「川の樹林化」が問題だとしながら、ダム建設を否定したりダムによる水の管理方法に言及しているわけでもありません。天然林伐採の時もそうでしたが、行政への配慮を欠かさない方のように見受けられます。

2009年7月10日 (金)

開発建設部の治水説明会をめぐる怪

 十勝自然保護協会では、十勝川の相生中島地区の水路掘削や然別川の河畔林伐採について北海道開発局帯広開発建設部に質問書を出していました。それに対応してのことでしょう、帯広開発建設部は7月6日に十勝川に関わる市民団体に治水事業説明会を開いたのです。ところが・・・その開催をめぐって不可解なことがいろいろありました。

 まず、説明会の参加申し込みの締め切りの7月1日を過ぎても、十勝自然保護協会に案内が届かなかったのです。開発建設部の説明によると、ヤマト運輸のメール便で会の郵便私書箱宛に送付し戻ってきてしまったというのです。説明会の案内は6月24日付けになっているのに、7月2日に返送に気づいたというのはとても不自然です。しかも、開発建設部の治水課は十勝自然保護協会の事務局の住所を知っていて、同じ24日付けで住所宛に河畔林伐採の質問書への回答を送付していました。住所を知っていながら、なぜメール便では配達されない私書箱宛にしたのか? そもそも24日付けの書面をいつ発送したのか?

 私は6日の治水事業説明会には参加できなかったのですが、参加した人からこんな話を聞きました。説明はスライドで行い、印刷した資料などは渡さなかったとのこと。また、質疑応答時間が短く、ほとんど質問できないまま現場視察の時間になってしまったそうです。たしか河畔林伐採の質問に対する回答では、この説明会に参加して欲しいということだったと思いますが、質問の時間もない説明会でどうしろというのでしょうか・・・。

 視察したのは礼文内川で、ヤナギタウコギやタンチョウの保全について説明をしたそうです(これが治水事業の説明会?)。一行が到着すると現場にはコンサルタント会社の社員が待ち構えていて、参加者がツルの餌について質問すると、開発建設部の職員ではなくコンサルタントの社員が回答したとのこと。開発建設部と下請けのコンサルタントとの癒着が透けて見えます。

 しかもそのコンサルタントの社員であり、某団体の代表として参加していた人物が、説明会の案内が29日に届いたことについて苦情を呈したとのことでした。この人物自身は、説明会の日程を29日以前に知る立場にあったと思われますが、他の参加者が苦情を言うまえに率先して苦情を言ったようです。他団体に29日に案内が届いたのなら、いったい何日に発送したのでしょう? 申し込み締め切りの2日前に届き、しかも平日の日中に開かれたわりには、ずいぶん参加者が多かったようですが・・・(道新の報道では12団体の約30人)。

 ちなみに、帯広土木現業所(北海道の出先機関)でも市民団体に治水説明会を開催していますが、参加者には資料を配布しますし、平日の夕方に開催するなど仕事を持っている参加者に配慮しています。

 案内を私書箱に送ったという件で、かつて環境省も同じようなことをしたことを思い出しました。会長が環境省の設置したある検討会の委員になっており、いつもは検討会の案内が会長宅に発送されていました。ところが、重要な議論が予定されている検討会のときに限って、なぜか案内が会の私書箱宛に送られたのです。しかも検討会の直前に。「手違い」で納得できることではありません。どうしてこんなことが起こるのでしょうね?? なお、この検討会では日程を決める際に委員の都合を聞いていたそうですが、会長の都合が悪い日にばかり開催されたそうです。

 この治水説明会の案内に関する不可解な経緯については、以下を参照してください。

開建の治水事業説明会について質問書を送付 

2009年7月 9日 (木)

高山に侵入する外来植物

 大雪山で手軽に高山帯のお花畑を楽しめるところといえば、「姿見の池」周辺でしょう。旭岳ロープウェイで一気に標高1600メートルまで行くことができます。駅から足を踏み出せば、目の前に広大な高山帯の光景が広がり、足元には可憐な高山植物が咲き誇っています。

 ところが最近はここにもアキタブキやセイヨウタンポポが侵入してきているのです。たしか3年ほど前に行ったときに、ロープウェイの駅の裏にアキタブキが茂っているのを目にしました。高山帯に本来なかった植物が高山帯に定着してしまったのです。アキダブキもセイヨウタンポポもキク科の植物で、風散布によって種子を遠くに飛ばしますから、できるだけ早く除去する必要があります。

P1000441  標津岳では標高680メートルのあたりの登山道脇に、外来種のコウリンタンポポの群落がありました(写真)。コウリンタンポポも繁殖力が旺盛ですから、そのままにしていたら登山道沿いにどんどん広がってしまうでしょう。西別岳では、登山者にセイヨウタンポポを除去して持ち帰ってもらうよう、登山口にポリ袋が用意されていました。登山者が多い山ではどうしても外来種が持ち込まれてしまうのです。ただし、タンポポは地上部だけ採っても枯れませんから、根絶させるのは大変なことです。

 一方、大雪山の「姿見の池」は動植物の採取が厳しく規制されている国立公園の特別保護地区であり、天然記念物にも指定されているところなのです。外来種だからといって、一般の人が勝手に除去するわけにはいきません。管理者である環境省は早期に徹底的な駆除を実施すべきです。環境省も外来種駆除に関しては法にがんじがらめになるのではなく、ある程度の融通性を持たせて駆除対策を強化すべきではないでしょうか。

 もっとも入り込んでしまった外来種を駆除するというのは最後の手段。入りこまないよう防止することこそ大切です。姿見の池に関しては、数年前にロープウェイの架け替えをしたときに、ゴンドラを大型化して定員を増やしてしまいました。6月から10月までの間、何と定員101人のゴンドラが15分間隔で運行されていますから、夏の観光シーズンなどは人だらけになります。人の入り込みが多くなればなるほど、外来種の種子が運ばれる確率が高くなるのです。保護の面から考えるなら、高山帯への人の入り込みを安易に増やすようなことは不適切だったとしか思えません。環境省は、国立公園は「保護と利用」の両面あると強調しますが、利用より保護を優先すべきことは言うまでもないでしょう。

 知人から聞いた話なのですが、日本の米軍基地では在来種の保護のためにセイヨウタンポポなど外来種を徹底的に駆除しているそうです。外来種をどこにでもはびこらせている日本人の感覚は、おそらく先進国の中では相当遅れているのではないでしょうか。

2009年7月 8日 (水)

コウモリオニグモと高山植生

 登山者の多くは「山に登ること」を目的としているようですが、私の場合は動植物などを観察しながら自然を楽しむことが目的です。足元の植物に目をやり、クモの姿を探し、野鳥の声に耳を傾け、木々を見上げ、写真を撮りメモをしながら歩くのでとても時間がかかり、山頂まで行かないこともあります。もっとも、真剣にクモを探していたらほとんど進みませんので、クモは歩きながら目に入るものを見る程度ですが。

P1000451  5日に登った標津岳は、8合目の稜線あたりから山頂にかけてハイマツ帯になるのですが、ハイマツの枝先に円網がいくつもありました。ハイマツ帯に円網を張るクモといえば非常に限られています。さて網の主は何でしょう? クモは網にはいません。クモの居場所はとてもわかりにくいのですが、枝先や葉陰で網に餌がかかるのをじっと待っているのです。そのクモの正体は・・・。

P1000448  コウモリオニグモLarinioides patagiatus(Clerck 1758)でした。コウモリオニグモは、日本では北海道でしか記録がありません。私が知る限りでは、ハイマツ帯や高層湿原の矮性化したアカエゾマツなどに網を張っているクモです。サハリンでは海岸近くの湿原で幼体を見ましたが、北海道では高山性のクモといっていいでしょう。ハイマツなどに円網を張るクモには、ほかにノルドマンオニグモがいるのですが、標津岳のクモはすべてコウモリオニグモでした。コウモリさんをこんなにたくさん見たのもはじめてです。しかし、コウモリオニグモというのはどうしてハイマツや高層湿原のアカエゾマツでしか見られないのでしょう?

 大雪山系の場合、森林帯は針広混交林・針葉樹林・ダケカンバ林・ハイマツ林の順に移行していきますので、ハイマツ林が出てくるのは標高がかなり高いところになります。ところが標津岳では針葉樹林帯といえる森林がないのです。そしてダケカンバ林上部の標高900メートルくらいからハイマツ帯が出現し、それと同時にコウモリオニグモも出現します。どうやら、コウモリオニグモの分布は温度条件だけで決まっているのではなく、植生とかなり結びついているように思われます。

 コウモリオニグモは針葉樹の枝先とよく似た体色をしており、針葉樹の枝葉を隠れ家とするように適応してきたのでしょう。ただし針葉樹といっても高木の針葉樹林には見られませんので、ハイマツや湿原の矮性化したアカエゾマツなど、明るい条件にある針葉樹に適応してきたのではないかと思われます。ハイマツ帯はいろいろなところにありますが、コウモリオニグモはそれほど頻繁に見られるクモではありません。ハイマツとコウモリオニグモの分布の関係が気になってきました。

 なお、一部の図鑑ではコウモリオニグモは北海道の平地から山地に分布すると記述されていますが、平地というのはなにかの間違いではないかと思われます。

2009年7月 6日 (月)

過剰な登山道整備では?

P1110756  4日に道東の西別岳、5日に標津岳に登ってきました。西別岳は登山口に立派な山小屋があり、登山道も整備されていました。登山道沿いのササ原は広く刈られ、道のところどころに排水のための溝が切ってあります。そして、途中から石を並べて階段状にしたところが何箇所も出てきます。おそらく登山道の浸食防止のために足場として並べたのでしょう。ところがその石はどう見てもこのあたりにある岩石ではありません。いったいこんな重い石を誰がどこから持ってきて整備したのか・・・。とても不思議な思いにかられながら歩いていました。

P1000422  稜線の登山道脇には立ち入り防止のロープが取り付けられ、部分的に木道まであります。さらに驚いたのは、稜線に点在する裸地に刈り取ったササの茎や枯枝が敷かれている光景でした。この裸地は人が踏み入れてできた裸地ではなく、風食によって自然にできた裸地のようでした。これも浸食防止を目的としているのでしょうか? 風食の裸地はこの稜線が森林へ移行するのを妨げる要因になっている可能性があります。自然現象で裸地になっているところを人為で変えようというのは、自然の摂理に反します。

P1000434  徹底した整備に驚きながら登山口にたどり着いて目に入ったのが、登山道の整備に使っていた岩塊の堆積場でした。発注者は環境省です。そういえば、ここは阿寒国立公園ですから、環境省が登山道整備に関わっているのです。環境省の名を見て、大雪山の愛山溪で行なっている登山道の石組みによる整備を思い出しました。愛山溪では沢地の登山道の浸食防止を目的に、登山者が石づたいに歩きやすいように、意図的に石を階段状に組んでいるのです。この手法はその場所にある石を利用しているのであり、他の場所から石を運んでいるわけではありません。

 利用者の増加による登山道の浸食は場所によっては深刻な事態になっていますので、対策をすること自体に異議はありませんが、他の地域の石をもってくるようなやり方は問題でしょう。どうしても整備が必要なのであれば、従来の木材を使った整備の方が適切ではないでしょうか。また過剰ともいえる整備をすることで登山者を誘引するのもどうかと思います。その地域の自然を守るためには、過剰な整備を慎むべきでしょう。

2009年7月 3日 (金)

劣化するテトラポット

 今年はイソコモリグモの生息調査のために北海道の海岸を見てまわりましたが、日本の海岸がいかにテトラポットで囲まれているかということを改めて実感しました。浸食の烈しいところは、まさにテトラポットで埋め尽くされています。そのテトラポットに使われているコンクリートの量たるや、凄まじいものです。

P1000241  しかし、コンクリートとて永遠に形を保っているわけではありません。この写真のように、波に打ち砕かれてボロボロになってしまったものも見受けられます。コンクリートの質にもよるのでしょうけれど、何年でこんな状態になるのでしょうか? 砂丘が発達した場所ではしばしば砂の採取が行なわれていますが、海岸の塩分が含まれた砂をコンクリートに使用したなら、その寿命も短いはずです。

 コンクリートの寿命はおよそ100年といわれていますから、今はしっかりしているテトラポットもいつまでもそのままというわけではありません。ボロボロになってしまったら、また新しいものを設置しなければならないでしょう。この国はそれを永遠に続けるのでしょうか? コンクリートでできた堰やダムも寿命というものがあるはずです。いずれ寿命がきたときに、どうするつもりなのでしょうか?

 ダムが土砂を止めてしまうために海岸の浸食が進み、大量のコンクリートが投入されています。最近ではダムの堆砂が進み、溜まった土砂を毎年のように浚渫してダンプで運び出しているところもあります。たぶんダムがある限り、ずっと続けなければならないでしょう。堆砂問題はこれからますます深刻になっていくはずです。ダムがあることで、悪循環にはまり込んでいます。

 川をとりまく生態系の破壊、堆砂問題、コンクリートの寿命などなど・・・先のことを見据えるなら、もうダムを造る時代ではないはずです。そして、これからは壊してしまった川を少しずつ本来の川の姿に戻していくことを選択すべきです。ボロボロになったテトラポットはそんなことを語っているように見えました。

2009年7月 2日 (木)

ナイフの規制と銃刀法

 改正銃刀法施行によって、5日から、刃渡りが5.5センチから15センチで先端が鋭い両刃の刃物は所持や購入が禁止され、違反すると50万円以下の罰金または3年以下の懲役が課せられます。今日の北海道新聞によると、牡蠣の殻をむくための「カキむきナイフ」の一部にも該当するものがあるとのことです。どうやら「カキむきナイフ」だけではなく、養蜂業者の使う「みつ刀」や、ダイバーがロープを切るために使う「ダイバーズナイフ」なども、形状によっては該当するようです。

 今回の銃刀法改正は秋葉原での無差別殺人事件でダガーナイフが使われたことが発端であり、凶器となるような刃物を制限するという目的でした。確かにダガーナイフは日常生活において必要とは思えませんが、「カキむきナイフ」や「みつ刀」のような実用的な刃物にまで適用する必要があるのでしょうか? 銃刀法の改正で刃物を規制しても、包丁などはいくらでも入手できるのです。刃物の規制で犯罪が減るとは到底思えません。杓子定規に規制し、実用的なナイフまで違法としてしまうことにどれだけの意味があるのか疑問に思えてなりません。

 私が小学生の頃、子どもたちはボンナイフというカミソリの刃のついた折り畳みナイフを筆箱に入れていました。鉛筆を削るためです。たいていの子どもはそれで上手に鉛筆を削ったものです。今は子どもが学校にカミソリを持ってくるなどということは考えられないでしょうね。そうやって子どもからナイフを取り上げなければならない状況こそ憂うるべきことです。危ないからといってナイフから遠ざけられた生活をしていたなら、大人になってもリンゴの皮も満足に剥けないでしょう。

 登山などをする人にとって、おそらくナイフは必需品でしょう。ナイフひとつと思考力さえあれば、いろいろなことができます。私も調査などのときには小形の登山用ナイフを持ち歩くことにしているのですが、野外ではナイフは非常に有用な道具です。サハリンに旅行したとき、案内をしてくださった現地の方が私達の持っているナイフを羨ましげに見ていたので帰り際にプレゼントしたところ、とても喜んでいました。ナチュラリストである彼にとって、登山用の小形ナイフはとても魅力的だったに違いありません。きっと大切に使っていることでしょう。

 私は娘達にもそんな有用なナイフを使いこなせるようになってほしいと思い、登山用品店で売っているナイフを買い与えたことがあります。しかし、今の法律のもとでは安易に持ち歩くこともできません。家庭でも学校でも、子どもたちがナイフを使いこなせるような教育をするべきだと思うのですが、今の日本の社会ではまず無理でしょうね。日本人はどんどん不器用になり、刃物を使いこなせなくなるのではないでしょうか。

2009年7月 1日 (水)

治水の根拠をはぐらかす開発局

 十勝川の相生中島地区の水路掘削問題と然別川の河畔林伐採について、十勝自然保護協会が北海道開発局帯広開発建設部に質問書を送付したのですが、先日その回答がありました。水路掘削問題ではほとんどの項目ではぐらかした回答をし、河畔林伐採では具体性に欠け、あまりにもお粗末です。

十勝川水路掘削問題 帯広開建からの回答 

然別川の河畔林伐採問題で帯広開建から回答

 水路掘削は帯広周辺を洪水の被害から守るという治水目的の工事だというのですから、危険となる降雨量やそのような大雨の降る確率、そして水路掘削による効果などについて具体的な数値を出したうえで事業が計画されているはずです。ところが、なんら具体的な数値は示されませんでした。なぜ隠すのでしょうか?

 本来なら住民参加のワークショップの最初の説明で、治水工事の根拠となる具体的数値をきちんと示さなければならないはずですが、おそらくそのような説明もしなかったのでしょう。これでは過大な基本高水流量を設定しているのではないかと疑わざるをえません。

 河畔林伐採の目的も治水とのことです。河畔林を伐採することで流速を早め、少しでも早く流したいということなのでしょう。相生中島地区の水路掘削と基本的に同じです。しかし、水を早く流すという治水の考え方はとっくに破綻しているはずですが・・・。釧路川や標津川では自然再生を標榜して蛇行復元を提唱していますが(これらも自然再生の名を借りた、工事のための事業だとの批判がありますが)、蛇行復元というのは流速を落とすことにほかなりません。十勝川ではそれと正反対のことを、自然を破壊してやっているのです。開発局のやることは一貫性がなく、矛盾だらけです。

 治水工事が必要だとする具体的根拠も示さないまま、工事に同意している「十勝川相生中島地区市民協働会議」への説明会に参加して意見を言って欲しいというのも驚きです。十勝自然保護協会だけを相手に話し合いを持ち、具体的なことを深く追及されるのが困るのでしょうか?

 河畔林伐採の回答で、帯広開建は管内の環境団体などに毎年治水事業説明会を開いていることがわかりました。ところが説明会の参加団体は教えられないそうです。行政が市民参加のもとに自ら選定した環境団体の名称が、個人情報につながるという回答には仰天です。こんな馬鹿げた回答は前代未聞ではないでしょうか。

 本質的なことを問われたら、こんないい加減な回答しかできないという実態が明らかになりました。これでは市民参加も建前でしかないでしょう。開発局は、いつまでたっても進歩しないようです。

生命現象と動的平衡

 私は書店で平積みにされている本を買うことはあまりないのですが、福岡伸一氏の「動的平衡」にはついつい手が出てしまいました。福岡氏の「生物と無生物の間」については「生物とは何か?」でも触れましたが、この本で福岡ワールドに魅了されてしまっていたからでしょう。一般の人には難解な分子生物学を、ご自身の体験談や比喩を取り入れ、畳み掛けるようにわかりやすく伝えていく話術はもちろんのこと、身近な話題を展開させながら「動的平衡」というテーマに収斂させていく構成は、彼の秀でた才能によるものなのでしょう。

 プロローグ「生命現象とはなにか」で、バイオテクノロジーがうまくいかないことについて「それは、端的にいえば、バイオつまり生命現象が、本来的にテクノロジーの対象となり難いものだからである。工学的な操作、産業上の企画、効率よい再現性。そのようなものになじまないものとして、生命があるからだ」と指摘し、生命とは何かと問うのです。そして最終章「生命は分子の『淀み』」で、「生命とは動的な平衡状態にあるシステムである」という回答を引き出します。

 「生体を構成している分子は、すべて高速で分解され、食物として摂取した分子と置き換えられている。身体のあらゆる組織や細胞の中身はこうして常に作り変えられ、更新され続けているのである」という動的平衡から発展し、「可変的でサスティナブルを特徴とする生命というシステムは、その物質的構造基盤、つまり構成分子そのものに依存しているのではなく、その流れがもたらす『効果』であるということだ。生命現象とは構造ではなく『効果なのである』」という視点は、はっとするような新鮮さがあります。私達を形づくっている細胞が絶えず入れ替わっているというのは、言われてみれば当たり前のことでありながら、私達がひごろ動物を観察したり生物について考えるとき、ほとんど意識してこなかったことではないでしょうか。

 サスティナブル(永続的)なものは不変であるかのように見えるが、実際には動きながら平衡を保っており、その軌跡と運動のあり方が進化だといいます。そして、生命が動的平衡を保つシステムであるからこそ、バイオテクノロジーによる操作にはなじまないとして、遺伝子組み換えや臓器移植にやんわりと警鐘を鳴らします。このあたりの感性にはとても共感できます。

 生命の本質を見事に描き出し、一気に読ませる本ですが、ひとつだけ誤りを指摘しておきたいと思います。第6章「人と病原体の戦い」の中でヒョウの父親とライオンの母親から生まれた雑種であるレオポンについて、「ヒョウとライオンは厳密に言うと種は変わらない。ヒョウの分類はネコ科ヒョウ属ヒョウ亜種で、ライオンはネコ科ヒョウ属ライオン亜種。つまり種が異なるのではなく、亜種が異なる」と説明しています。しかし、ヒョウの学名はPanthera pardus、ライオンの学名はPanthera leoで、属名(Panthera)は同じですが種小名(ヒョウはPardus、ライオンはleo)は異なります(亜種同士であるなら、種小名は同じでなければなりません)。ヒョウとライオンは自然界では交雑することのない別種であり、レオポンというのは飼育下で交雑させて作り出した雑種です。このあたりは分類学者ではなく分子生物学者である福岡氏のちょっとした勘違いなのでしょう。

 本書で繰り広げられている福岡氏の示唆に富んだ指摘については、追い追い話題にしたいと思います。

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