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2009年1月18日 (日)

命の重みと報道

 今日の北海道新聞朝刊の一面トップに「心肺同時移植が成功」という記事が大きく掲載されていました。脳死と判定された方から提供された心臓と肺の同時移植に成功したという記事です。

 その下にはイスラエルによるハマスへの攻撃に関わる記事が掲載されています。イスラエルは停戦を宣言する認識を示したとのことですが、今回の戦争によって亡くなったパレスチナ人は1201人にものぼるとのこと。

 移植手術によって命が救われることにもちろん異論はありません。しかし手術によって生かされる命があり、それがニュースとして大きく報じられる一方で、戦争という人殺しによって信じられないほど多数の命が簡単に失われているということが、日常のニュースとして当たり前のことであるかのように報じられているのです。

 移植によって人の命の尊さや大切さを伝えているニュースと、人による人の大量殺戮を当然のことであるかのように淡々と報じている記事が隣合わせに並んでいる矛盾…。何の問題意識もないかのように並べて掲載する新聞社の感覚、白々しさ…。この矛盾にどれくらいの人が違和感を覚えたのでしょうか?

 「命の重み」「命の大切さ」という言葉は、残虐な殺傷事件などが起こるたびに聞かせられてきました。しかし、ひとたび戦争となると命の重みは限りなく軽くなってしまうようです。人の命の重みを計る秤とは、人間の身勝手さが基準になっているのでしょうか。

 同種の動物がなわばりや異性などをめぐって闘う場合でも、相手を死に至らせることは滅多にありません。同種同士が大量殺戮をする動物は人間だけなのです。人間こそ、戦争がどんなに凄惨であるかを理解しているはずです。数限りない戦争を繰り返してきながら、いつになっても殺し合いを止めることができない人間こそ、地上でもっとも愚かな動物といえそうです。

 これだけ脳が発達し科学を発達させた人間は、その頭脳をなぜ平和のために生かすことができないのでしょうか。人はなぜこんなにまで憎しみ合うのでしょうか? そしてなぜ、すぐに暴力に及ぶのでしょうか? 頭脳が発達したがゆえに、エゴイズムが顕在化し牙をむき出しにしてきたのかもしれませんが、その暴走を止めるのもまた人の理性や頭脳でしかないはずです。

 人の命の大切さを報じるならば、せめて戦争という名の人殺しを報じるとき、戦争の非を、悲惨さを、道理のなさを、そして暴力を正当化する人々への怒りこめた記事を、攻撃されている市民の立場にたって力強く書けないものでしょうか。そういう記事がまったくないわけではありませんが、真実の多くが雲に覆われているかのようです。

 ジャーナリストの広河隆一氏のサイトによると、今回のガザ地区への攻撃についてのマスコミ報道は、おかしなところがいろいろあるようです。以下、広河さんのサイトです。

ガザ空爆報道のうそ 

メディアとガザ報道 

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