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2008年12月27日 (土)

生態学的混播法への疑問

 北方ジャーナル10月号に掲載されていた、滝川康治氏の標津川の蛇行復元にまつわる記事「『蛇行復元&築堤』の旧態依然 開発の過ちを教訓に湿原再生を」を読み、標津川での蛇行復元事業のいきさつなどがよくわかりました。

 この記事では1952年当時の大きく蛇行している標津川の図と、ショートカットされて堤防に囲まれた2005年の標津川の図が示されていますが、ほんの50年ほどの間に驚くほど川が変えられてしまったのです。

 このような状況を嘆いた標津町の町長や地元のNGO代表の蛇行復元の提案に、開発局が飛びついたというのが事の始まりだったようです。開発建設部は試験地を設置して専門家に調査などを委ねました。そして地域住民との協議もないまま蛇行復元の計画をつくり築堤工事に結びつけたために、地域の住民から反対の声が上がったのです。

 さて、私がこの記事を読んで「ここでもか!」と思ったことがあります。それは、復元実験の写真に添えられた以下の説明です。

「復元試験地では、表土をはぎ取り、道工業大の岡村俊邦教授が開発した『生態学的混播法』による植樹を実施中。環境保全に取りくむ住民からは『根室の風土に合わない無茶なやり方』と不評だ」

 この「生態学的混播法」については、以前、JR北海道の広報誌で石狩川の河畔林の復元でも行なわれていることが書かれていました。その説明によると、河畔林からいろいろな樹種の種子を採取して苗をつくり、直径3メートルの円のなかに10種ずつ選んで植えるという方法です。違う樹種の苗を植えて競争させ、最終的に生き残ったもので河畔林を再生させるというのです。その記事を読んでとてもおかしな方法だと思いました。

 河川敷では増水によってしばしば水につかるところ、ときどきしか水につからないところ、滅多に水につからないところがあり、それぞれの場所で生育している樹種が異なります。河畔林の復元を考えるときには、こうした条件を考慮しなければなりません。ヤナギなどの先駆樹種は洪水で洗われた裸地にまっさきに入ってきて、旺盛に生長します。このような樹種では苗をつくって植える必要はありません。

 また、生育の早さや寿命も樹種によって異なっていますので、生育の早い樹と遅い樹の苗を同時に植えたなら、遅い樹は早い樹の陰になってしまい生存競争に負けるでしょう。はじめから競争に負けるとわかっているような樹種を、なぜわざわざ植えて競争させるのでしょうか?

 河畔林を復元させるのであれば、その場所の条件によって飛来する種子を利用して復元するのか、苗を植えるのか考える必要があります。また苗を植える場合は本来そこに成立していた河畔林の樹種構成を踏まえ、生長速度なども考えて植える苗の樹種を決めるべきです。地元の方たちが「根室の風土に合わない無茶な方法」として批判したのも頷けます。

 「十勝三股森づくり21」の会長である斎藤新一郎氏も、以下のように批判していました。

「森づくりにおいては、遺憾ながら、成果が出ないにも拘わらず―科学的にも無理なのに―、公的な植樹会において、採用されている怪しい手法があります。たとえば、添木付きでの成木植え―根切りが強く、不成績に終わる―があります。また、混播方式―陽樹と陰樹の区別、先駆種と後継種の区別が無い―があります」

 ところが、ネットで「生態学的混播法」と検索すると、この方法があちこちで行なわれて評価されているようです。どうやら開発局は岡村氏と組んでこの方法をあちこちの河川で展開しているようですが、疑問を抱かざるを得ません。

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