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2008年11月

2008年11月30日 (日)

納得できない裁判員制度

 マスコミ報道によると、28日に裁判員の候補者に選ばれた有権者への通知の発送が行なわれたそうです。裁判員制度についてはこれまでも新聞などで取り上げていましたから、ある程度の関心を持っていましたが、今回の報道ではじめて知ったことがあります。

 裁判当日に「裁判所で裁判長と面接し適任かどうか判断する」ということです。面接するということについては以前の報道でも書かれていました。しかし、そこに書かれていたのは「辞退(事件と関係がある、仕事や家庭の事情で裁判長が認めた人など)」ということだけでした。

 ところが、29日の北海道新聞では面接の内容として「辞退理由が認められる」という人のほかに「不公平な裁判を行なう恐れがある人」つまり不選任の決定というのが書かれていたのです。これはいったいどういうことでしょうか?

 候補者は有権者から無作為に抽出するとしています。ところが公判の直前(当日)に裁判長が面接によって不適切と思う人を避けてしまい、その中からさらにくじで裁判員を選ぶのです。裁判長の判断基準というのがまったくわかりませんから、恣意的な判断がなされる可能性もあります。こういう重要なことが、今頃になって知らされるということに大きな疑問を抱かざるをえません。

 また、事前に辞退を申し出ても辞退が認められなかった人は、この面接を受けなければなりません。体調が悪いなどという場合は裁判所に出向いて辞退を伝えることなどできないでしょう。新聞には「『仕事が忙しい』などの場合は、裁判官が個別に判断することになりそうだ」と書かれているのですが、辞退を申し出るためにも裁判所に行かなければならないとはおかしいとしか思えません。辞退を柔軟に認めるといっても、その判断も裁判官の裁量ということになります。

 私の居住地は釧路地裁の管轄なのですが、釧路まで行くとなったら何時間かかることか・・・。車で行けない場合は半日近くかかるでしょう。裁判員に選ばれるかどうかもわからないのに、とにかく裁判所に行かなくてはらないというのはとても納得いきません。さらに、従わなければさまざまな罰則があるのです。どう考えてもおかしなシステムではないでしょうか?

 自分が候補者に選ばれたことを公表することも違法だというのです。この守秘義務規定は「不当な圧力などから候補者を守るためのもの」という理由なのだそうです。他人が勝手に「○○さんは裁判員に選ばれた」などと公表したら確かに問題が生じるかもしれませんが、自分自身が公表するのであれば本人の責任ではないでしょうか?

 ところで、裁判員は裁判所に出向いた当日に、事件のことを知らされるようなのです。いったい裁判所からはどれだけの情報が提供されるのでしょうか? 検察による捏造事件、冤罪事件は今でもあるのです。そのような状況のなかで、法のことが分からない人がどれだけ適切な判断ができるのでしょうか?

 制度についての具体的かつ重要なことをマスコミが知らせるのは、いつも決定してしまってからです。これでは市民は制度の是非すらきちんと考えることもできません。マスコミはなぜもっと早い段階で知らせないのでしょうか? 市民はデメリットをどれだけ知らせてきたのでしょうか? 

 裁判員制度については、納得できないことだらけです。

2008年11月29日 (土)

泡瀬干潟とヤマトウシオグモ

 11月19日、沖縄の泡瀬干潟の埋め立て事業に関して住民らが公金支出など支出の差し止めを求めた訴訟の判決がありました。全面勝訴ではありませんでしたが、那覇地裁は経済的合理性がないとして支出は違法であるとしました。自然破壊を止めるための裁判で勝訴するのは日本ではなかなか大変なのですが、この判決は画期的といえるでしょう。

 私は行ったことがないのですが、泡瀬干潟には絶滅危惧種に掲載されている種が多数生息していてきわめて生物の多様性に富んでいる上、渡り鳥の生息地として貴重な干潟です。

 クモの研究者にとってはヤマトウシオグモの密度が高いところとして知られています。そもそもこのクモはとても少ないクモなので、「密度が高い」といっても干潟のあちこちにいるというわけではありません。ここでヤマトウシオグモを探した谷川明男さんによると、「3人で2時間探して6頭発見であったから、平均すれば一人で1時間探して1頭見つかるという割合」(2002年、KISHIDAIA 78号)なのだそうです。しかも、この日はとびきり多く発見できた日だとか。一日探しても見つからない日もあるそうで、それくらい個体数の少ないクモなのです。

 「干潟にクモがいるの?」と思われる方がいるでしょうね。ヤマトウシオグモというのは、実は満潮時には海水に没してしまうような潮干帯の岩の窪みなどに生息しているとても変わり者のクモなのです。泡瀬干潟では、干潟にころがっているサンゴのかけらに生息しているそうです。

 満潮の時にはどうしているかというと、糸でつくった住居の中に潜んでいます。住居の中までは海水が入ってこないのですね。なにもわざわざこんなところに棲まなくても・・・と思うのですが、変わり者はどこの世界にもいるんですね。

 ところで、2001年の9月はじめに、私は伊豆諸島の式根島に出かけました。式根島は小さな火山島で岩礁海岸に囲まれているのですが、ところどころに砂浜があって海水浴場になっています。そんな湾の波打ち際を歩いていると、1頭の見慣れないクモを見つけました。「イソタナグモかな?」と思いつつとりあえず採集し、他にもいないかとしばらくあたりを探してみましたが、結局その1頭だけしか見つけられませんでした。

 さて、家に帰って調べたら、なんとそれがヤマトウシオグモだったのです。それまでこのクモの北限は和歌山県とされていたのですが、それより北の伊豆諸島にも生息していたのです。式根島にいるのですから、おそらく近隣の島にも生息しているのでしょう。思いもかけぬ収穫でした。しかし、とても個体数が少ないことから考えるなら、このクモにめぐり合えたのは幸運なのでしょうね。

 それにしても、このクモは陸地から遠く離れた伊豆諸島にいつから棲んでいるのでしょうか? 恐らくかなり古い時代からではないでしょうか。島に棲む生物の起源はとても興味深いものがあります。

2008年11月28日 (金)

理解できないNHK

 NHKの「家計診断」についてはすでに「本末転倒のNHK『家計診断』」として記事を書きましたが、JANJANにも投稿しました。

NHKの家計診断 「自費出版・方法と費用」に疑問

 NHKのHPでは、ご丁寧に「お問い合わせ先」としてNPO法人リタイアメント情報センターと、NPO法人日本自費出版ネットワークを紹介しています。なぜ国民生活センターや消費者センターなどの公的機関を紹介せず、疑惑の解明されていない団体や事業者と関わりの深い団体だけを紹介するのか、私には理解できません。

 あなたなら、なんらかの消費者トラブルに巻き込まれたとき、その事業者が深く関わる団体に相談しますか? たとえ業界のモラル向上を目指している組織であっても、事業者団体で構成されているのであれば消費者とは立ち位置が違うのです。

 また、事業者団体のつくったガイドラインの賛同事業者が、すべて安心・安全だとは思えないのです。業界団体に、どれだけのチェック機能があるのでしょうか?

柴田晴廣氏の行方

 このブログに執拗にコメントをいれて誘導尋問のような質問をしたり、誹謗発言をした柴田晴廣氏ですが、文芸社との癒着疑惑を指摘された途端、私やαさんの質問を無視してトンズラです(この件に関しては、「魑魅魍魎の共同出版批判者」「共同出版のビジネスモデルは未完成」をお読みください)。

 このブログから逃げ出した柴田氏は、共同出版問題ではダンマリを決め込むのかと思っていたら、文芸社ビジュアルアートで出版された方のブログに、10月下旬にコメントをしているのです。

http://blogs.yahoo.co.jp/mamo_land/26532892.html 

 この記事のコメントで柴田氏は以下のようなことを書いています。  「著者が製作費(実際にはそれ以上だが)負担、書店流通のいわゆる共同出版をmamoruさんが選択したのは最良ではなかったと自覚していることだけは伝わってきます」  著者が製作費を負担するという契約でありながら、製作費以上を請求されていることを指摘しているのです。これを読めば、小学生だって契約違反の請求をしていることが理解できるでしょう。私もずっとこのことを指摘してきました。

 しかし、柴田氏はこの水増し請求自体を決して問題にはせず、常に契約した著者に責任を転嫁するのです。柴田氏のコメントは、文芸社に批判的な立場であるように感じさせるのですが、肝心な水増し請求については決して問題にしません。実に不思議です。

 ところで、同じ方の以下の記事のコメントを見るとわかるのですが、柴田氏は文芸社の著者のブログを実によくチェックしているんですね。普通の人は、いくら共同出版に関心があるといっても、こんなにこまめに共同出版した人のブログをチェックするでしょうか?

http://blogs.yahoo.co.jp/mamo_land/19388958.html 

 私には、まるで「ネット対策係」ではないかと思えてしまうのです。名前を出して自分のサイトにリンクさせ、文芸社に批判的な論調のコメントをしていれば、文芸社の関係者だと怪しむ人はいないでしょう。

*この記事へのコメント 「com081128.doc」をダウンロード  

2008年11月25日 (火)

ダムに殺された然別川(2)

 昨日の記事の続きです。

 現場の3の沢に行くときは然別川にそっていくのですが、川を眺めていて下流と上流で川の水量が大きく違うことに気づきました。

 河川では上流より下流の方が水量は多くなるのが当然です。ところが、下流部はとても水量が少なくて勢いがないのに、上流部ではとうとうと水が流れているのです。これはどうしたことでしょうか?

Daiitihatudensyo  その原因は発電施設にありました。然別川の東には然別湖という天然の湖がありますが、北海道電力はこの湖の水を導水管で引いてきて然別第一発電所で発電に利用しています。本来であれば、発電に利用した水は然別川に入って然別川の水量を増やすことになります。ところが、発電所の下に堰があるのです。そして然別川の水と発電に利用した水を集め、なんと導水管で十勝川にもっていっているのです(この写真は然別第一発電所と取水堰)。

Mizunonaikawa  このために、然別第一発電所を境にして上流では水があるのに、下流では水がほとんどなく川が流れていません(この写真は取水堰のすぐ下の然別川。水がほとんどなく流れていない)。

 この然別第一発電所の堰に集めた水は、途中で然別川の支流(ピシカチナイ沢川とオソウシュ川)の水を取り込み、さらに十勝川の支流であるオソウシ川の然別第二発電所を経て、岩松ダムの上流の上岩松発電所で利用され、十勝川に流れこんでいます。

 本来、然別川を流れなければならない水が、途中で取水されて十勝川に入ってしまっているのです。それは発電に利用するためにほかなりません。然別川の水を途中から十勝川水系に流してしまうことにより、然別川の河川生態系は大きく破壊されたのです。

 こうして考えてみると、然別第一発電所の上流に巨大な砂防ダムをいくつもつくった理由が見えてきます。つまり発電所の取水施設を大水の被害や堆砂から守るためではないでしょうか。

 発電施設を守るための巨大な砂防ダムによって魚は遡上を阻まれ、発電のために水を盗まれた川は本来の河川生態系を失ってしまったのです。然別川は、まさにダムによって殺された川なのです。

2008年11月24日 (月)

ダムに殺された然別川(1)

 今日は、然別川に行ってきました。というのは、この川の支流の3の沢にある砂防ダムを魚が遡上できるように改修工事をするという計画があるからです。

3nosawasaboudamu  現場を見て驚いたのは、小さな沢にそそり立つ高さ12メートル幅77メートルの巨大な穴あきの砂防ダム。下流側の川底はコンクリートで固められています。

 上流側に行ってみると、一番上の穴から1メートルほど下まで土砂が堆積しています。水量は多くはなく長靴で簡単に渡れる小さな沢に、あまりにも不釣合いな大きな砂防ダムが造られているのです。

 この砂防ダムには魚道がついていないため、中央部分を壊して金属製の格子状の構造物をはめ込み、魚が遡上できるようにするというのが河川管理者の説明です。改修の事業費はおよそ2億円とのこと。庶民にとっては驚くべき金額ですね。

 近くに人家もない山奥の小さな沢にどうしてこんな巨大な砂防ダムを造ったのかという疑問が湧いてきます。沢は安定していて大きな石などはなく、大雨で増水したとしても大量の土石が流れてくるとは思えません。ダムには流木も貯まっていません。あえていうなら、沢沿いに造られた林道から流されてくる土砂を止めているということでしょう。ほとんど必要性が感じられない砂防ダムです。

2goudamugyodou  さて、本流はどうかというと、上流にも下流にも砂防ダムがあります。魚道はついているものの、機能しているかどうかはきわめて疑わしい状況でした。取り付け口の落差が大きいため、大型のニジマス(外来種)であれば遡上できてもオショロコマなど小型の魚はとても遡上できるとは思えないのです。砂防ダムによって、魚の移動は困難あるいは不能状態になっています。

 支流の砂防ダムを壊して魚が移動できるようにするのはわかります。しかし、格子状の構造物が必要とは思えません。壊すだけで十分です。また、本流の砂防ダムの魚道が機能していないのであれば、支流の改修はあまり意味のない工事です。

 このあたりには、同じような砂防ダムが他にもいくつかあります。過剰なダム整備に税金を投入して川を殺し、次は魚道を口実にダムの改修工事にお金をかけるというのです。こんなことばかりに税金を使っていていいのでしょうか?

2008年11月22日 (土)

本末転倒のNHK「家計診断」

 今日放送されたNHKの家計診断「自費出版・方法と費用」には、ただただ呆れてしまいました。

 自費出版のトラブルといえば、そもそも共同出版社による悪質な商法が広まったことに端を発しているのです。ところが、しょっぱなから文芸社のB型の本とか出版説明会の様子。そしてなんと満足している人の事例が幻冬舎ルネッサンス。いくら丁寧な編集をしているからといっても、一冊あたりの単価から計算したなら300万円という費用は不当な請求でしょうに! まったく、問題の出版商法を行っている会社ばかりです。

 そして、相談機関として登場したのがリタイアメント情報センターと尾崎浩一氏。疑惑真っ只中の団体と人物をそのまま出すとは、「何だこの番組!?」というありさまでした。

 リタイアメントが制作した冊子のことで気になったことを指摘しておきます。

 番組のなかでもこの冊子を紹介し、とりわけ「合意のうえで契約すること」を強調していました。契約をする際に合意のうえで契約するなどということは常識中の常識です。では、なぜそんなことをわざわざ取り上げて強調したのでしょうか?

 費用でトラブルになったとき、出版社側が「この金額で合意した」と主張したいからではないでしょうか。「おいおいちょっと待って!」といいたいですね。そもそも著者を募集するための新聞広告費とか営業費などの費用まで上乗せした不当な請求をしていることが問題なのです。出版社の方で不当な請求をしておきながら、「合意した金額だ」などと主張されたら著者はたまりません。なんだかすごく意図的だと感じてしまいました。

 それに尾崎氏の「電話ですませた著者にも落ち度があり、面談が大切」というコメントも「ええっ?」ですね。返済能力を確認もせずに高齢者にクレジットを提案したのは業者ではありませんか? 費用についても具体的な内訳や出版社の負担などの説明があったのでしょうか?

 面談で騙されてしまった人は山ほどいます。面談では記録が残らないので「言った、言わない」のトラブルになりやすいのです。しかも、出版についての知識のない著者をたくみに騙すのも面談の特徴でしょう。とりわけトラブルになったときは個人的な面談は禁物。

 解説者として登場した喜田えり子さんは、本来の請負契約をする自費出版の立場で話を進めているのに、NHKが紹介した事例は共同出版かそれと同類のものばかり。なんともちぐはぐ! このために共同出版の問題点がまったくわからないのです。そして結局は悪質商法の宣伝みたいになっていました。問題の本質を理解しないで番組をつくった制作者側の問題でしょう。

 この番組の感想は「本末転倒」の一言です。

2008年11月21日 (金)

文芸社と弁護士、法律関係者

 文芸社の新聞広告に「弁護士の『品格』」という本の宣伝が載っていました。「またか・・・」と思ったのは私だけでしょうか?

 ネットで「文芸社 弁護士」などと検索してみるとわかるのですが、文芸社から本を出している弁護士や司法書士が何人かいます。たとえば、以下のような本。

坂和章平(弁護士)「ナニワのオッチャン弁護士、映画を斬る!」「がんばったで!3年―ナニワのオッチャン弁護士評論・コラム集」「津山再開発奮闘記―実践する弁護士の視点から」

佐藤順太(弁護士)「鉄道事故と法」

西山国顕(司法書士・行政書士)「渉外相続法(韓国・台湾・中国・北朝鮮)とその登記手続き」

植田忠司(弁護士)「騙されて泣き寝入りしている消費者たち―不当な債務、悪質な商法から抜け出すために」

田邉信好(弁護士)「これでいいのか裁判員制度」

田中正人(弁護士)「弁護士の品格」

共著では

蒲 俊郎(弁護士)・林 一浩・信濃義明「第三ネットビジネス 成功する法務・技術・マーケティング」

 ちょっと調べただけでこれだけ出てくるのですが、確か他にもありました。元警察官の本なんかもありますね。まあ、これだけ法律の専門家の本を出していれば、信頼できる出版社だと思ってしまう人も少なくないでしょう。広告塔としての効果は抜群でしょうね。

 ところで、「第三ネットビジネス・・・」という本の序文では、蒲俊郎弁護士が田宮甫弁護士から出版を持ちかけられ、文芸社関係者の方からの強い後押しがあったことが綴られています。

 法律とは関係のない本なのですが、小堀宗慶氏の「もう一輪の花」(文芸社刊)という本があります。この本の序文では田宮甫弁護士が小堀家の顧問弁護士であり、親戚筋に当たることが記されています。そして、小堀氏は田宮氏から本を書くことを勧められたとのこと。

 文芸社と田宮甫弁護士の関係については、「著作者保護制度で思い出した名誉毀損裁判」にも書きましたが、どうやら田宮弁護士は知り合いの弁護士や懇意にしている知人などに文芸社を紹介しているようです。文芸社は外部からの応募原稿や持込原稿の大半に流通出版を提案しているようですが、田宮弁護士から紹介された方の本は企画出版(商業出版)で出されているのでしょうか? それとも著者が費用負担する協力出版(流通出版)なのでしょうか? とても興味のあるところです。

 さて、文芸社から本を出している法律関係者の方たちは、文芸社の商法が批判されていることを知っているのでしょうか? 被害者の声を聞いているのでしょうか? 文芸社についてネットなどで調べたことがあるのでしょうか? 全く知らないというのであれば、とても不思議です。

 不思議といえばすぐに著作権法を持ち出す柴田晴廣氏も不思議、というより不可解、いえいえ疑惑の多い人物です。「柴田晴廣 偽書」で検索すると興味深いウィキペディアの記事が出てきました。どうやら彼の書いた本は偽書だとされているようです。

ウィキペディア 偽書

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%81%BD%E6%9B%B8

 そして、こんなのも。

ウィキペディア 利用者―会話:故城一片之月/過去ログ

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%88%A9%E7%94%A8%E8%80%85%E2%80%90%E4%BC%9A%E8%A9%B1:%E6%95%85%E5%9F%8E%E4%B8%80%E7%89%87%E4%B9%8B%E6%9C%88/%E9%81%8E%E5%8E%BB%E3%83%AD%E3%82%B02

 ここには、「全部同一人物または、同一団体による複数ハンドルネームによるもの。論点がすべて、牧野氏は凄い、という前提の上に成り立っている。牧野氏を批判する論者および牧野氏の事跡を史実に沿って記述している論者は存在せず、そのため反論が登場すると一斉に蜂起する。あなたたちは、おそらく大学や出版社などの専門知識を有する集団のようですが。ひょっとして穂国幻史考作者の柴田晴廣さんですか?」などという書き込みがあります。そして柴田晴廣氏が登場するのです。

 さらに「2大グループによるWIKI工作活動により、一般人が理解しがない文章が完成している」などとの記述も・・・。

 柴田氏の本が「偽書」だという解釈と合わせて考えるなら、なるほど・・・と思える節もあります。「大学や出版社などの専門知識を有する集団」というのが気になりますね。

 柴田氏はご自身のブログで「ウィキペディアは、テンプレートがあるだけの2ちゃんねる」だといってウィキペディアを批判し、「私はこうしたまやかしがもてはやされるネット社会というものに疑問を感じます。これもインターネットの受動的利用者及び不完全能動的利用者が完全能動的利用者と比べ絶対的に多いことが背景にあるのでしょうね」と書いているのです。ところが、実は彼自身が「まやかし」だというウィキペディアに書き込みをしているのです。

 どうやら柴田氏は頻繁に検索をしてネット上の情報をチェックしているようですが、いったい何者なのでしょうか? 彼こそ「偽」の字が似合うのではないかと思ってしまいます。

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2008年11月20日 (木)

ジャーナリストと取材対象

 一昨日昨日につづき、上杉氏の「ジャーナリズム崩壊」に関連した話題です。この本のエピローグで大変興味深い指摘がなされていました。要約すると以下のような内容です。

 ニューヨーク・タイムズの契約カメラマンであるケビン・カーター氏は、1993年にスーダンを襲った大飢饉の悲惨な現状を世界に伝えるために現地を訪れ、1羽のハゲワシが飢えで地面にうずくまっている少女を狙っている写真を撮影した。ニューヨーク・タイムズが一面トップでその写真を掲載すると、絶大な反響がよせられ寄付が集まった。この写真がピュリッツァー賞をとると、なぜ少女を助けなかったのかということで「報道か、人命か」という論争に発展した。カーター氏は自殺してこの論争に終止符が打たれた。その結論は以下のようなものである。

 「ひとりの少女の生命を救うことで、同じ境遇のさらに多くの子どもたちの生命が危機に晒される可能性がある。それを避けるためにもジャーナリストは対象(被写体)に触れるべきではない」

 これを読んで、そういえばそんな論争があったと思い出しました。上杉氏は「取材対象とのそうした距離感を保つことこそ、ジャーナリストに求められていることではないだろうか」と意見を述べています。

 翻って、尾崎浩一氏はどうでしょうか? 取材対象であった新風舎被害者を集めて被害者組織をつくり、自分が世話人となって積極的に関わりました。被害者と一体となり、倒産を煽るかのように繰り広げられた彼の言動は、結果として多くの倒産被害者を生むことにつながったのではないでしょうか。そして、問題の多い共同出版を認めてしまったのではないでしょうか?

 ジャーナリストの役割とは、社会的事象について取材や調査を行って報道することであり、取材対象者とは一定の距離を置くべきなのです。ジャーナリストが被害者の立場を考えることは必要ですが、同化して共に行動することは禁物でしょう。

 同じく彼の取材対象である自費出版業者が、リタイアメント情報センターのガイドライン賛同事業者になっています。取材対象がNPO法人と深く関わっているのです。リタイアメント情報センターは、「私たちは健全なリタイアメント・ビジネスの普及による消費者保護と、より安心で安全な生活環境を整備してゆくための機関として『リタイアメント情報センター』の設立を提唱するものです」と、あたかも市民に門戸を開いた中立の団体を装っていますが、ガイドラインを設けて賛同事業者を掲載している自費出版部会はまるで業界団体であるかのようです。

 彼の取材対象者との癒着はジャーナリストとしての一線を越え、規範を逸脱しているとしか思えません。このようなジャーナリストを、私は他には知りません。彼と関わりを持っている被害者や自費出版業者は、このことに疑問を抱かないのでしょうか?

 リタイアメント・ビジネス・ジャーナルのホームページは最近リニューアルされ、あれだけ騒いでいた新風舎批判記事を消してしまいました。ジャーナリストが意気込んで書いた記事を消してしまうとは不可解です。私には証拠隠滅のようにすら思えます。そして、このホームページでは、日本文学館の本を紹介したり、文芸社から本を出版している小田俊明氏の書評を掲載しているのです。また、リタイアメント情報センターでは同じく小田氏のコラムを掲載しています。いよいよ怪しいではありませんか。

 「注意すべき人物・団体とは?」で書いたように、私たちは事実こそ見つめなければなりません。私は、文芸社との癒着疑惑のもたれる尾崎浩一氏や柴田晴廣氏、リタイアメント情報センターこそジャーナリストが取材すべき対象だと思います。

2008年11月19日 (水)

批判と反論

 昨日の記事で紹介した上杉隆氏の「ジャーナリズム崩壊」に関連し、批判とそれに対する反論について書きます。

 上杉氏によると、ニューヨーク・タイムズでは、どんな小さな記事にも記者の署名が載るそうです。日本の新聞とは大違いですね。上杉氏は当初、ベタ記事にも記者の署名が載ることを「浅ましい」「自己顕示欲の表われ」と感じていたそうです。ちょっと意外でしたが、それが日本人の一般的な感覚かもしれません。日本で匿名ブログが多いのも、「自己顕示欲」だと思われたくないという意識が強いのかもしれませんね。

 上杉氏は、署名記事についてニューヨーク・タイムズの支局長の以下の話しを引用しています。

 「記事は常に責任が生じるものだ。取材・執筆した記事に対しては最終的に責任を負わなくてはならない。もし責任を負えないというのならば、その記事は書かれるべきではない」

 もっともだと思います。

 とことで、上杉氏は、最終的なジャーナリストとしての仕事は「権力の監視」だという認識から、批判は「公人」および「準公人」に限るという取り決めを自らに課しているそうです。「公人」は税金収入を得ている者で、「準公人」は反論手段をもっている者とのこと。そして書かれたことに不満があれば反論すべきだという考えです。言論には言論で対抗しろということですね。ちなみに、アメリカでは連日、ジャーナリストの批判合戦が繰り広げられているそうです。

 私もこのブログやJANJANで会社や団体、個人などを名指しで批判しています。私の場合、相手が社会的に影響力を持っていることと、反論の場を持っていることが批判対象の条件です。

 たとえば出版関係では、文芸社や新風舎などの共同出版社、リタイアメント情報センターのような団体、尾崎浩一氏や柴田晴廣氏、高石左京氏、江川紹子氏などを批判してきました。文芸社やリタイアメント情報センターはホームページを持っており、いくらでも反論できます。尾崎氏や江川氏はジャーナリストですから、ネットだけではなくマスコミでも反論できるでしょう。柴田氏も高石氏もブログで発言していますから反論の場があるのです。

 ところが、不思議なことに誰も反論しないんですね。とりわけリタイアメント情報センターや尾崎氏、柴田氏のように重大な疑惑を指摘されている人が反論しないというのは、身の潔白を証明できないとしか思えません。

 尾崎氏はかつて自らが編集長を努めるリタイアメント・ビジネス・ジャーナルで、新風舎の賞ビジネス、著者を惑わすセールストーク、費用(折半という説明)、クレジットの問題などを取り上げて新風舎批判を大々的に展開しました。ところが、これらの問題は文芸社でも生じているのです。尾崎氏は文芸社を批判しない理由を説明する社会的責任があります。

 しかも、リタイアメント情報センターは、ガイドライン賛同事業者に所定の情報開示を求めているのです。なぜそれらを公開しないのでしょうか? 文芸社はなぜリタイアメント情報センターには情報開示をしているのに「共同出版・自費出版の被害をなくす会」の質問には回答しないのでしょうか? リタイアメント情報センターも文芸社も説明責任があります。

 尾崎氏は同誌(2006121日版)で私のことを取り上げ、「特に松田まゆみさんはこの問題に関して長年にわたり研究され、自分でもネット新聞に記事投稿を続けている数少ない研究者の一人である」として、JANJANの記事も紹介しているのですね。共同出版批判では私は無視できない存在であることを認めていながら、その後はJANJANの私の記事は一切無視しています。なぜでしょうか?

 そして、私の指摘している文芸社との癒着疑惑についてなんら反論をしないのです。ジャーナリストとは思えない無責任さです。もし「独自の見解を主張している個人など相手にしても仕方ない」などというのであれば、それこそ見苦しい言い逃れでしょう。個人のブログもJANJANの記事も、NPO法人のホームページも、インターネットによって世界に発信していることに変わりありません。

 そういえば「創」12月号の森達也さんの記事によると、江川紹子さんは、「創」11月号での森さんの反論に対し「こういう挑発に乗る気はない」と創の編集長に伝えたそうです。「反論」を「挑発」というのには恐れ入ります。私は、彼女は反論できないのではないかと感じました。どう考えても、江川さんの批判は森さんの発言を十分理解しておらず的外れなのですから。

2008年11月18日 (火)

ジャーナリズムと客観報道

 札幌に行くと、たいてい本を買ってしまうのですが、今回は「ジャーナリズム崩壊」(上杉隆著、幻冬舎新書)を買って帰りの乗り物で読んでいました。

 主として日本特有の記者クラブの弊害について書かれているのですが、ニューヨーク・タイムズ記者の経験を通して、世界の目から見たら醜態ともいえる日本のジャーナリズムの現実を浮き彫りにしていて、なかなか読み応えがありました。もっとも上杉氏の意見に全面的に賛同するというわけではありませんが。

 この本の冒頭で、上杉氏は、日本の新聞は客観報道を装って偏向報道をしており、読者を欺くものであると喝破していますが、これは同感ですね。

 ニューヨーク・タイムズの場合は、事実のみを知らせるストレートニュースは通信社に委ね、新聞記者は取材によって事象を分析し独自の記事を書くことが求められているそうです。ところが日本の新聞はストレートニュースばかりで、分析したり批評する記事はごくわずかです。しかも、そのような記事は、コラムなどで外部の識者などに委ねていることが多いですね。私はかねてからこういう報道に疑問を抱いていました。

 また、日本の新聞は「両論併記」も好きですね。相対する見解の方を並べることにより、いかにも中立・客観性を装っていますが、「それじゃあ、新聞社としてはどちらを支持するの?」と聞きたくなってしまいます。新聞社が自社の見解も示さず、両論併記に委ねてしまうのは、責任放棄ではないでしょうか。

 一般市民の中にも「記事というのは事実のみを伝えればいい」と考えている人がいるようですが、そうでしょうか? 上杉氏は、海外では「単に、時事的な事象を報じるだけではなく、さらにもう一歩進んで解説や批評を加える活動を一般にジャーナリズムと呼んでいる」と記しています。また、「その役割をぎりぎりにまで絞った場合は、公権力に対する監視役としての仕事が期待される。つまり『第四の権力』とも別称される通り、三権(立法、行政、司法)に対する監視こそがジャーナリズムの役割ともいえる」としています。

 私も、その通りだと思います。つまり、マスコミは基本的に権力者と対する者、すなわち市民や弱者の視点で事象を分析したり解説する報道をすべきでしょう。

 ジャーナリストが個性を持った人間である以上、客観報道などできないというのはもっともなことです。新聞よりフリーのジャーナリストやライターが寄稿している雑誌の方がはるかに説得力があって面白いのは、解説や批評が加えられているからです。

 新聞やテレビなどのマスコミは、記者クラブを通じて流される警察や検察の情報をそのまま垂れ流しているのです。権力者側の偏った情報を検証することなくそのまま記事にしているマスコミは、どう考えても中立ではなく、客観報道でもないでしょう。それを棚に上げてマスコミ自身が中立だとか客観的などといっているのであれば、弊害でしかありません。

 JANJANの市民記者などでも記者自身の意見が強く出ている記事を嫌う人がいますが、市民記者であるがゆえに市民の目線で解説や批評を加えた記事を書くことこそ意味があると私は思います。

 記者クラブについては、以下の記事も参照してください。

記者クラブに浸かった軟弱ジャーナリズム 

2008年11月17日 (月)

裁判に発展か?

 緑資源機構の解体によって大規模林道が「山のみち」と名前を変え、地方公共団体に引き継がれることになったわけですが、この道路の賦課金をめぐって裁判になりそうです。

 この林道の事業費は国の補助金と地方公共団体の負担金、賦課金でまかなわれます。

 賦課金とは、受益者負担のことです。森林整備のための林道事業ですから、受益者は林道の整備によって便益を受ける森林の持ち主になります。国有林であれば国、道有林であれば北海道、私有林であればその所有者です。

 さて、問題となっているのは広島県廿日市市の大規模林道「大朝・鹿野線、戸河内・吉和区間」です。ここには西山林業組合の組合員の土地があり、西山林業組合が受益者となっていて賦課金を支払っていました。ところが、実際には地元の自治体が林業組合に賦課金分の助成金を支払うことで肩代わりしていたのです。公共性がなく営利を目的としている私企業に地方自治体が助成金を支出するなどというのは違法ではないか? そう思った廿日市市の住民らが、廿日市市に監査請求をしていたのです。

 しかし、その監査請求は棄却されてしまいました。こういう理解しがたい棄却というのはしばしばあります。監査委員は何を考えているのか? 住民監査請求が棄却された場合、請求した住民らは裁判を起こすことができるんですね。住民訴訟です。私が原告となっている「えりもの森裁判」も、これと同様の住民訴訟です。

 ということで、監査請求をした方たちは裁判を起こすべく張り切っているようです。詳しくは、以下をご覧ください。

http://hosomidani.no-blog.jp/jumintohyo/2008/11/post_2e19.html 

 実は、このように受益者が賦課金を支払わず、行政が肩代わりしているという例は他にもあるのです。私たちの税金が、営利を目的とした私企業に使われているのであればとてもおかしなことですよね。ところが、このようなことはこれまでほとんど裁判になってきませんでした。住民がそのような事実を知らないということもあるのではないでしょうか。

 大規模林道問題はついに裁判に発展しそうです。そして、これは広島だけの問題ではないはずです。

2008年11月16日 (日)

北海道環境宣言を棚に上げないで!

 北海道の広報誌「ほっかいどう」11月号の一面と二面は、道民への環境対策の提言。その中の「オフィスは室温を20℃に、過程では1℃下げて」というのが目に入りました。

 13日は大規模林道(山のみち)の意見交換会で道庁に行ったのですが、庁舎は「これでウォームビズ?」と思えるような暖かさ。デパートや大型書店もコートなどとても着ていられない暑さに辟易としてしまいました。「環境」だ「エコ」だと騒いでいるのに、いったいどうなっているのか!?

 その意見交換会については、以下の報告をお読みください。

http://nctokachi.kitaguni.tv/e737935.html 

 つまり、緑資源機構という天下りの仕事作りをしていた組織が談合の発覚で解体され、大規模林道を北海道の事業として引き継ぐ立場になった途端、困惑しているという状況です。

 北海道は木材生産を目的とした施業はやめたのですから、木材生産を目的として計画された大規模林道の目的は、道有林では当てはまらなくなりました。国有林も同じような方向になってきています。しかも、道民の税金をなぜ国有林の林道整備に使わなければならないのでしょうか? こんな税金の使われ方を、道民は納得するのでしょうか?

 そして、何よりもこの林道事業は自然を破壊し、環境に大きな負荷を与えるのです。

 北海道では4月に「北海道環境宣言」を発信して道民への取り組みを求めていますが、そこには「身近な川や湖などを守る環境保全活動に参加しよう」とか「環境と調和した農林水産業や観光業をすすめよう」という項目があります。

 道民にこのようなことを求めるのであれば、北海道自ら率先して取り組まなければならないはずです。「山のみち」をつくることは、北海道環境宣言に反していることにほかなりません。

 高橋はるみさん、北海道環境宣言を棚に上げず、率先して守ってください。

2008年11月15日 (土)

電磁波の脅威

 13日から14日にかけて札幌に行ってきたのですが、10月25日から利用できるようになったICカード乗車券Kitacaを使っている人はまだ多くないようです。

 ICカード乗車券といえば、昨年東京に行ったときに初めてsuicaを利用しました。確かに切符を買う手間が省けるし、JRも私鉄も地下鉄も利用できて便利です(札幌のKitacaは地下鉄では使えません)。しかし、どうしても気になるのは電磁波です。

 マスコミはICカード乗車券が利用できるようになったことはしきりに報道するのですが、その読み取り部からかなり強い電磁波が出ていることを不思議なくらい報道しません。以下のMy News Japanの記事をお読みください。

http://www.mynewsjapan.com/reports/575 

 この記事によるとSuicaの読み取り部からは国の防護基準の5倍、国際基準の12倍もの電磁波が出ているのです。通勤に利用した場合、毎日、カードの読み取り機に手をかざす度にこのような強い電磁波にさらされるのですから、かなり問題なのではないでしょうか。ところが、その危険性について周知もされず野放し状態なのです。

 電磁波の脅威はそれだけではありません。携帯電話の基地局のアンテナ設置にからんで、各地で住民の反対運動が起きていますが、そうした問題もマスコミはほとんど取り上げないようです。電磁波問題はマスコミにとってタブーなのではないでしょうか。携帯電話も公共交通機関も、マスコミとは切っても切れない関係であることが理由なのでしょう。

 さらに気になるのは、私の住んでいるような北海道の小さな町村でも携帯電話の基地局のアンテナが増えていることです。どうやら携帯電話がパソコン並みに大容量の通信を行なうようになったためのようです。こんなふうに電磁波の発生源がどんどん増えているのが実態です。

 携帯電話を使えないような電磁波過敏症の方もいるのに、ここまでの整備が必要なのかと思えてなりません。本人の意思とは関係なく電磁波にさらされてしまうのですから、基地局の近くの住民にとってはたまったものではないでしょう。

 食物アレルギーの子供が急増したように、このまま電磁波にさらされる生活が続いたなら、電磁波過敏症の人も増加していくのではないでしょうか。気づいたときには深刻な事態になっているということにもなりかねません。

 便利さの裏には、多くのリスクが隠れています。すくなくとも行政やマスコミは電磁波の問題や影響を周知させるべきです。

2008年11月12日 (水)

海岸侵食と絶滅危惧種

 今日の北海道新聞に、稚内市浜勇知のコウホネ沼周辺の海岸侵食が進んでおり、沼に海水が流れ込んだような跡がみつかったとの記事が掲載されていました。海水の浸入が続けば、絶滅危惧種のネムロコウホネだけではなく、沼の存続も危惧されます。

http://www.hokkaido-np.co.jp/news/environment/128629.html

 私は、昨年から機会あるごとに海岸でイソコモリグモ(絶滅危惧種)の分布を調べてきたので、新聞に掲載されているような写真を目の当たりにしてきました。狭い砂浜と波で削られて段丘状になった海岸の光景です。こうなってしまうと、イソコモリグモの生息は非常に厳しくなります。

 新聞では、1954年と比べると海岸線は約130メートル後退したとのことですが、同様の後退はいたるところで起こっています。あちこちで後退を防ぐための護岸工事やテトラポットの敷設が進んでおり、自然の海岸線は姿を消しつつあります。残されているところも、砂浜の幅がどんどん狭くなっているのです。

 新聞記事では、8日の低気圧による高波などで海岸線が2、3メートル削られたとされていますが、もちろん海岸線の後退は荒波によるものだけではありません。これまで何度も書いてきましたが、ダムで土砂がせき止められるために、川から土砂が供給されなくなっているのです。

Zenibakokaigan  10月に調査に行った石狩浜でも、それを実感しました。石狩浜は石狩川の河口から銭函まで約25キロメートル続く長大な砂浜です。しかし、その中央あたりに石狩湾新港が建設されました。現場に行くと、石狩湾新港の東にはある程度の幅の砂浜があるのですが、西では砂浜がやせ細り海岸線がどんどん後退していることが実感できます。銭函の東にある海水浴場では、海の家も内陸側に移動しているのです(写真)。

 石狩川からの土砂が石狩湾新港によってさえぎられ、それより西に運ばれないことが砂浜の侵食に大きく関係しています。イソコモリグモは、かつては石狩浜全域に広く分布していたと考えられますが、今では海岸侵食と海水浴場で西部は絶望的な状況です。

 稚内市は、貴重な財産を将来に残すために関係機関と協議の場を持ちたいとしていますが、希少な動植物が分布している海浜の生態系自体が壊れつつあるのですから、護岸を強化すればいいという問題ではありません。

 土砂が海岸に堆積するような方策を考えて浸食を押さえ、海浜の生態系そのものを保全しなければ海浜やその近くに生息する絶滅危惧種を保全することはできないのです。

2008年11月11日 (火)

大規模林道の行方

 9日の毎日新聞北海道版に、「どうする3路線」として、北海道の大規模林道のことが大きく掲載されました。

 国の補助金が80パーセントであるものの、道有林の割合が高い「平取・えりも線」では、北海道に受益者負担が生じます。また、完成した道路は地元の市町村に移管されるため、地元では維持管理費が生じることになるのです。

 もろい地質のところに造られるのですから、大雨などで法面や路肩の崩壊があるのは目に見えています。何しろ、工事中から崩壊が発生していたのですから、移管された市町村は維持管理費にあえぐことになるのではないでしょうか。

 動植物調査も杜撰なうえに、費用対効果の根拠も不明。北海道は一年をかけて調査をするといっていたのですが・・・。

 北海道は10月の7日から10日にかけて、3路線の地元の7市町村で住民との意見交換会を開きました。会場によっては、地域の住民のほかに見るからに建設業界の関係者と思われる作業服姿の方たちも参加されていたようです。とりわけ、「平取・えりも線」では、業界関係者と思われる方の賛成意見が多かったようですが、直接の利害関係者が賛成意見を述べるというのも・・・。

 もっとも地域住民の方は必要性などに疑問を抱いている人も多かったとのこと。反対意見も活発に出されたようです。ただ気になるのは、一般の道民には大規模林道の問題点が広く知れ渡っていないと思われる点です。すでに開通しているところも車はまばらで、自然への影響だけではなく必要性そのものが問われます。

 北海道は来年の2月までに方針をまとめる予定とのこと。道財政は大赤字なのです。無駄な公共事業こそ真っ先に見直さなければなりません。一部の利害関係者の声に押されることのないよう、公平な判断をしてほしいと思います。

2008年11月10日 (月)

注意すべき人物・団体とは?

 「三浦さんへの質問」に書いたように、JANJANの三浦さんの記事のご意見板に質問をしましたが、残念ながら回答していただけないようです。

 20063月の碧天舎倒産以降、一連の新風舎批判報道に深く関わってきた人物や団体の疑惑はなんら解決されていないのです。疑惑を持たれながら、なぜ疑惑の解消をしようとしないのか? なぜ、私に嫌がらせがあるのか? それこそ不可解です。

 新風舎を提訴した人たちが何を目的にしていたのか、私にはわかりかねるところがあります。「裁判の目的とは?」にも書きましたが、損賠賠償裁判とは、被害の回復と問題点の明確化を目的とすべきです。会社を潰すための手段として裁判を利用するようなことはすべきではないと私は思います。

 言論封じを目的とした恫喝裁判は言語道断ですが、尾崎浩一氏の行動は、それに通じるものを感じてしまうのです。

 本日、三浦さんの記事に以下のコメントを投稿しました。コメントナンバーは【38824】です。

***************

事実から考えましょう

三浦さんから回答をいただけず、残念です。
共同出版や新風舎批判に関しては以下の事実があります。

・尾崎浩一氏が編集長を努めるリタイアメント・ビジネス・ジャーナルは、碧天舎倒産直後の0644日より碧天舎の破産問題を取り上げ、「賞ビジネス」や「ダンピング」を問題視し、情報提供を呼びかけた。

・尾崎浩一氏はジャーナリストとの肩書きで、読売ウィークリー(06813日、2027日号)に碧天舎の倒産と共同出版にまつわる記事を書いた。

・リタイアメント・ビジネス・ジャーナルは、06年秋より新風舎のみの批判を開始した。

・当時、リタイアメント・ビジネス・ジャーナルのホームページでは、リタイアメント・ビジネス研究会とリンクさせていた。同研究会は、文芸社より「始動する『リタイアメント・ビジネス』」という本を出している。その本では同研究会について「文芸社総合研究所を中心に会社経営者、経営コンサルタント、ライター、編集者などで構成。現在「リタイアメント・ビジネス」の情報交換をし、21世紀における「リタイアメント・ビジネス」のありようについて研究を重ねている」と説明している。

・尾崎氏は0611月に私に被害者との連絡方法を尋ね、複数の新風舎被害者とコンタクトをとっていた。

・私は尾崎氏に文芸社批判をしない理由を尋ねると「文芸社はいまのところ、新風舎と異なって、取材拒否ではなく、むしろ積極的に情報公開してきているので、その対応の変化を見守ろうという状況です。特別文芸社シンパというわけではありませんが、とにかく優先順位は新風舎より後です」と説明した(06126日)。

・リベラルタイム(072月号)に、尾崎氏の書いた新風舎のトラブルにまつわる記事が掲載された。

・毎日放送「憤懣本舗」(07312日放送)で新風舎を批判する番組が放送され、新風舎被害者と尾崎氏が登場した。

・北海道文化放送(0745日放送)で悪質出版商法について取り上げ、尾崎氏と「新風舎商法を考える会」の被害者が電話で新風舎商法に関するコメントをした。

3月中旬に、尾崎氏と目森一喜氏が世話人となって、「新風舎商法を考える会」が設立された。目森一喜氏は、文芸社の関連会社であるたま出版から本を刊行している。

74日に「新風舎商法を考える会」のメンバーらが新風舎を提訴して記者会見を行ない、マスコミで報道された。

・尾崎氏は読売ウィークリー(07722日号)に裁判についての記事を書き、リタイアメント・ビジネス・ジャーナルに設けた相談窓口を紹介した。

・尾崎氏は8月に「危ない!共同出版」(彩図社)を出した。新風舎のみを批判し、文芸社を容認する内容である。

10月に尾崎氏が副理事長を努めるNPO法人リタイアメント情報センターが設立され、自費出版部会が設けられた。自費出版部会には、尾崎氏が取材などで接触した自費出版業者らが参加していた。

1121日に「新風舎商法を考える会」のメンバー2人が新風舎を提訴し、記者会見して新聞などで報道された。

NHKクローズアップ現代(071127日放送)で、リタイアメント情報センターの自費出版部会が紹介された。

・新風舎の倒産直後の081月に、リタイアメント情報センターの自費出版部会が、自費出版営業・契約ガイドラインを発表した。このガイドラインは文芸社がクリアできる内容である。

088月、リタイアメント情報センターのガイドライン賛同事業者として、文芸社と日本文学館が新たに登録された(登録には所定の情報公開が必要とされている)。

・新風舎が文芸社に事業譲渡されたが「新風舎商法を考える会」は文芸社について沈黙している。同会のHPの中身は削除され、相談者をリタイアメント情報センターに誘導。

以上の事実がある一方で、以下のような事実もあります。

・文芸社は新風舎と同様の商法を行って批判を浴びてきた会社だが、新風舎の倒産後もトラブルや批判があり、深刻な被害例もある。現在も共同出版の問題はなんら解決されていない。

・文芸社は私が代表を務める「共同出版・自費出版の被害をなくす会」の2回にわたる質問書に無視を貫いており、疑問や疑惑は解消されていない。

・共同出版や文芸社を批判してきた私のブログに情報操作や嫌がらせと考えられるコメントが相次いだ。中でも柴田晴廣氏は私の見解に賛意を示して接近しながら、著作権法を持ち出して議論をふっかけ、著者の自己責任を強調した。しかし、私の文芸社についての質問には回答しない。

・文芸社が私を提訴するかもしれないことをほのめかすメール、個人情報を確認する不審な電話などが相次いだ。

・私は自分のブログにおいて尾崎氏と文芸社の癒着疑惑、柴田氏と文芸社の癒着疑惑を投げかけたが、疑惑を否定する説明はなされていない。

 これらの事実から、共同出版に関してどのような人物、どのような団体に注意すべきかが自ずと見えてくるのではないでしょうか。

 新風舎が倒産して、未完の著者、既刊の著者、あるいは下請けの印刷会社や外部編集者などが大きな被害を受けました。その一方で、新風舎の最大のライバルであった文芸社がシェアを拡大しました。文芸社は、事業譲渡によって新風舎の著者の個人情報を入手し、しきりに勧誘をかけました。しかし共同出版商法の問題は何も解決されていません。
 このような状況になることは碧天舎の倒産の経験から予測できたことです。尾崎浩一氏はそのことをもっともよく分かっていた立場の方といえるでしょう

2008年11月 9日 (日)

ヤンバルの伐採で刑事告発

 沖縄北部のヤンバルで、大規模な皆伐と林道建設が進められています。

廃木の多さに驚きも/沖縄弁護士会が山原の森視察

 ところが、その林道建設予定地で県が動植物の調査を行ったところ、驚くほどたくさんの希少種が確認されたそうです。沖縄では南部は開発が進んでおり、貴重な自然が残っているのは主として北部ですが、その自然も伐採と林道によって壊されています。

林道予定地に希少129種

林道周辺に希少132種 県農水部環境調査 

 しかも、ヤンバルクイナの生息地で伐採が行なわれており、自然保護団体が種の保存法に違反するとして9月に刑事告発をしました。希少な動植物の生息などおかまいなしに行なわれる伐採や林道建設。天然記念物、種の保存法、レッドリストなどはいったい何のためにあるのでしょうか?

今日県を告発 クイナ生息地、伐採「違法」 

 刑事告発は、正式に受理されたとのことです。那覇地検はしっかりと捜査してほしいですね。

2008年11月 7日 (金)

爆音轟く札幌ドーム

 野生生物の棲家である森林内の林道で、爆音を轟かせて猛スピードで改造車を走らせるWRC(世界ラリー選手権)が、今年は10月31日から11月2日にかけて札幌圏で開催されました。

 昨年までは十勝の林道、陸別のオフロードサーキット、河川敷や公園などに設けられた特設コースで競技が行なわれていたのですが、絶滅危惧種の生息地でレースが行なわれているために自然保護団体が抗議していました。(ラリーに抗議!参照)

 十勝でのラリーは自然保護上の理由のほかに、拠点から林道コースまでが遠い、飛行機の便が少なく観客の誘致に不利などいろいろ問題を抱えていたようです。そんなこともあって今年からは札幌ドームと支笏湖や夕張山地周辺の林道で開催されたのです。

 札幌ドームでの競技の様子がYou Tubeでいくつも公開されているのですが、観客席はガラガラ。会場には耳をつんざくような爆音が轟きわたっています。

 札幌ドームの使用料がいくらなのかは知りませんが、何日も借り切って特設コースを作ったのですから想像するならとてつもなくお金がかかったのではないでしょうか?

 環境との調和を謳って日本に国際ラリーを誘致したのはなんと「環境の毎日」といわれる毎日新聞社なのですが、毎日は約束を破って地元の自然保護団体に不買運動を起こされ、ラリーへの投資で大赤字を出して退散したという経緯があります。

 毎日新聞が撤退してからは、ほかの企業や地元自治体が支援したり、地元の支援者などがボランティアで支えていたようです。WRCは企業などがスポンサーについてそれなりの出資をしなければ経営的に困難なのです。

 札幌ドームを借り切ったラリーはさぞかしお金がかかっていると思うのですが、こんな状況で果たして採算はどうなのでしょうか? いくら千歳空港が近いからといって、そんなに多くの観客がやってきたとは思えません。コースにされた林道も深掘れでグチャグチャになり、森に棲む生き物たちは爆走するラリーカーに怯えたことでしょう。

 地球環境問題が深刻です。時代に逆行するこのようなイベントこそ見直してもらいたいものです。

2008年11月 6日 (木)

奥入瀬裁判と過剰整備

 昨日の北海道新聞夕刊のコラム「魚眼図」に、中村太士氏の「奥入瀬裁判」についての意見が掲載されていました。

 2003年に青森県の奥入瀬渓流の遊歩道付近で昼食をとろうとしていた女性観光客にブナの大枝が落下して重傷を負い、女性が管理責任のある国と青森県に損害賠償を求めていた裁判がありました。

http://www.daily-tohoku.co.jp/tiiki_tokuho/n_park/news/npnews2004/np040710b.htm 

 一審と控訴審では賠償金の支払いを求める判決が出されましたが、国と県はこれを不服として最高裁に上告しています。

 この裁判について、中村氏は「利用者が自然公園においてどこまで自己責任をもち、行政がどこまで管理しなければならないかについては議論を要する」とし、「被害者、管理者の責任論に終始するのではなく、社会全体で二者の責任を分担し、裁判以外で被害者を救援するシステムが必要である」と論じています。

 奥入瀬裁判問題を考える際に指摘しなければならないのは、環境省の緑のダイアモンド計画に見られる行政の施設整備の姿勢です。緑のダイアモンド計画は自然を破壊する過剰な整備であり、無駄な公共事業だとして各地から批判の声が上げられていました。

http://www.daily-tohoku.co.jp/tiiki_tokuho/n_park/kikaku/houkoku/3_bu/3_bu_01.htm

 環境省は奥入瀬渓流でもこの計画を進めており、自然保護団体の批判によってデッキ計画を白紙撤回した経緯があります。奥入瀬渓流一帯は、バリアフリーの立派な木道をつくるなど、観光客誘致のために過剰ともいえる整備がなされていたといえるでしょう。

http://www.daily-tohoku.co.jp/tiiki_tokuho/n_park/news/npnews2000/np001018a.htm

 以下の記事によると、事故の起きた場所は年間50万人もの利用者がいたそうです。行政は、歩道を整備してPRすることで一般の観光客に自然の中を歩くよう誘導しているといえるのです。そのような場所である以上、管理責任を問われるのは必然ではないでしょうか。

http://www.daily-tohoku.co.jp/tiiki_tokuho/n_park/news/npnews2006/np060409a.htm

 中村氏は、国立公園内では自然現象による事故はつきものであるし、自然公園を徹底的に管理することは不可能に近いとし、行政の責任を問うことに疑問を投げかけているかのようです。このような考えは、行政の責任を曖昧にし、利用者に責任を転嫁することになりかねません。管理者の責任と利用者の責任は、老若男女、誰でも自然を楽しめるように整備し観光客の利用を促進している場所と、特別な整備をしていない登山道のような場所では、区別して考えなければなりません。

 また中村氏は、国と県が敗訴した場合、立ち入り禁止措置や歩道脇の樹木の伐採などの管理が行なわれることを危惧しているようです。しかし、私は原生的な自然の中に行過ぎた整備をすることの方をより懸念します。特別保護地区という本来自然の保全を最優先しなければならない場所に、大勢の観光客を誘導するような施設整備はそもそもそぐわないのではないでしょうか。

 奥入瀬裁判からは、自然の保全より利用を優先させながら、責任だけは回避したいというご都合主義の行政の姿が透けて見えます。

2008年11月 5日 (水)

議論を呼んだチビクロ問題

 チビクロ問題といっても、絵本の「ちびくろサンボ」の話題ではありません。チビクロハエトリというクモの話題です。

 先日の「チビクロハエトリの謎」という記事が「クモ蟲画像掲示版」で話題になってしまったようです。ありゃりゃ・・・。(http://xbbs.knacks.biz/kjrshoji/a2924参照)もちろん議論を起こすつもりで書いたのではありませんので、きっかけをつくってしまった当事者としてはちょっとびっくり。

 問題となっているクモの画像はこちらでどうぞ。論争の最中にこのクモの画像を投稿された方がいますので。 http://xbbs.knacks.biz/kjrshoji/a2954  確かにハエトリグモの研究をされている池田博明さんは、ご自身の「クモ生理生態事典」ではチビクロハエトリHeliophanus aeneusだけを取り上げています。

 日本のクモの目録を発表されている谷川明男さんは、チビクロハエトリとウスリーハエトリHeliophanus ussuricusの両方を目録に掲載しています。

 新海栄一さんは、「日本のクモ」(文一総合出版)でも「写真日本クモ類大図鑑」改訂版(千国安之輔著、偕成社)でも、チビクロではなくウスリーハエトリとしています。

 私は先の記事に書いたように、北海道(千国図鑑の写真)で私が確認しているものはウスリーであり、日本にはチビクロが分布している可能性は低いという見解です。その理由はいうまでもなく、生殖器の形態がチビクロではなくウスリーの記載と一致するからです。

 Spinnentiere Europasという写真図鑑にチビクロハエトリが掲載されています。ネットでもチビクロの画像を見ることができます。外見はウスリーによく似ていますが、雌の脚はウスリーのような黄色ではありません。私はチビクロの写真を見たとき、日本のものはチビクロとは違うと直感しました。ロシアのクモのリストを見ても、チビクロの分布の中心はヨーロッパです。私がチビクロは日本に分布していない可能性が高いと考えるのは、こうした理由からです。

 研究者によって見解が異なることはよくあることですし、それぞれの見解はもちろん尊重します。科学というのは、さまざまな研究者が自分の見解を公表し、議論を重ねることで真実を追究していくものではないでしょうか。議論があるのは多いに結構です。

 ところで、池田さんも谷川さんもチビクロとしている個体の生殖器の図を示していないので、私にはどのような理由でチビクロと判断しているのかわからないのです。それぞれの研究者の判断基準が分からない以上、同定者自身が生殖器を観察し、文献などに当たって判断するしかありません。チビクロの生殖器の図はネット上にも掲載されています。標本所有者が今一度、チビクロとしていた標本を確認することで解決できる問題でしょう。

 クモの研究者はおそらく誰でも誤同定の経験があるはずです。もちろん私もそうです。誤同定をしながら経験を重ねていくことで、同定のコツが身についてくるものなのです。そして、誤っていたことがわかれば訂正するしかありません。

 日本人の特質かもしれませんが、大先生あるいはその道の専門の方と見解が異なる場合、指摘しにくいがために時として黙認してしまうこともあるようです。しかし、そのような遠慮こそ混乱を招き研究を遅らせてしまうことになりかねないのではないでしょうか。研究においては気兼ねや遠慮を持ち込まず、個々の研究者が率直に自分の見解を明らかにしていくことが求められると私は考えています。

 なにやら私の記事がきっかけで、クモ蟲画像掲示板の存続問題に関わるようなコメントまで登場してしまったようで、ちょっと当惑してしまいました。私の見解などにこだわらず、楽しく続けてもらえたらと思っています。

2008年11月 4日 (火)

夢は買えるのか?

 「知名度が高ければ安心か?」の星原さんのコメントを読み、以前、北海道新聞に掲載されていた記事を思い出しました。作家の横山秀夫さんが「夢は金で買ってはいけない」というタイトルで書かれた自費出版にまつわる話です。

 要約すると以下のような内容です。

 「開業医の息子さんが推理小説を自費出版し、両親も才能があると入れ込んでいるので感想を聞かせてほしい」と知人から頼まれた。似たような依頼が面識のない大学の後輩からもあって驚いた。

 子どもの頃から本を読んだり物語を書くのが大好きな横山少年は、いつか作家になりたいと夢をいだくようになった。しかし、職業を選ぶときには作家の選択肢はなく、地方新聞の記者になった。記者生活をつづけて12年ほどしてから推理小説を書き始め、賞に応募した処女作が最終選考の候補作になったことをきっかけに作家デビューを夢見て会社を辞めた。

 しかし作家としてのデビューの道は険しく、生活も困窮を極めた。一冊でもいいから自分の書いた小説を本にしたいと思った。そんなときにデビューのきっかけをつくりたくて自費出版社に原稿を持ち込んだところ、著者と出版社の折半との条件で200万を超える費用を提示され断念した。

 会社を辞めて7年後にデビューを果たしたが、書店に並べられた膨大な本の中から自分の本が買われていくのは、まさしく奇跡的な出来事だと思った。物書きとして生きていくには、死に物狂いで書いていかねばならない。夢だけはお金で買ってはいけない。まして子供に買い与えてはならない。

 この記事から、作家を志望する人たちの夢を餌食にしようと待ち構えている共同出版社の姿が浮かびあがってきます。

 しかし、著者が費用を負担するいわゆる自費出版とは、そもそもこのようなものだったのでしょうか?

 はじめから商業ベースに乗らないようなアマチュアの作品や専門書などを著者が自ら費用を負担してつくり、知人に配ったり関心のある人に買ってもらう、それが本来の自費出版の姿でした。利益とはほとんど無縁の世界であり、「お金を出して夢を買う」という幻想が入り込む隙間はありませんでした。

 今でも、お金を投じて本を出される方の多くは、売って利益を得るというより、自著を持ち願わくば書店で売りたいというささやかな夢を抱いて出版社に原稿を持ち込むのではないでしょうか。

 しかし、そんな著者の心理をうまく利用した共同出版商法が現れ、トラブルが急増したのです。

 公募ガイドや新聞広告による原稿募集。「商業出版では採算がとれないが、埋もれさせるには惜しい作品。費用の一部を負担してもらうことで出版したい」という著者をくすぐる勧誘。かくして著者を褒めて舞い上がらせ、本来ならとても商業ベースに乗らない本まで流通本として大量につくられるようになりました。

 お金さえ出せば、誰でも自分の書いた本を流通に乗せることができるようになってしまったのです(流通に乗せるというのは、書店に必ず置かれるという意味ではありません)。  しかし、冷静に考えるなら、本は書店に並べたからといって決して売れるものではありません。優れた作品として世間に認められ、書評で取り上げあられ、書店に営業を行い… さまざまな努力や費用をかけなければ決して大部数を売ることはできないのです。

 「本を流通に乗せる」という夢はたしかにお金で買えるかもしれません。お金を出して提携書店に棚を確保している出版社もあります。でも、それは本が売れることを意味するのではありません。まして1日に200点もの本が出版される昨今、本を出しただけで作家になれるなどというのは幻想にすぎません。運よくベストセラーになる確率などどれほどのものか…。

 横山さんのいうように、作家を志望するのであれば決して夢をお金で買ってはいけないのでしょう。本を出版することと、作品が認められることは全く次元が違うのです。作家として認められたければ、しっかりした賞に応募したり、完全な商業出版を目指すなどして試練に耐えなければならないのです。

 また、たとえ作家を目指すわけではなくても「多くの人に読んでもらいたい」「売りたい」というささやかな気持ちにつけこむ商法があることを十分知らなければなりません。

 幸せがお金で買えないように、夢もまた金銭に置き換えることのできない精神的なものではないでしょうか? 「夢をお金で買う…」なんだか嫌な時代になりました。

追記

 こんな風に書くと、大金を出して自費出版をするべきではないと受け止めてしまう人がいるかもしれませんが、決してそういう意味ではありません。作家になりたい、ベストセラーを出して有名になりたい・・・などという夢まで、自費出版に託してしまうべきではないということです。

 自費出版自体はひとつの素晴らしい文化だと思います。ただし、アマチュアの書いたものであるからこそしっかりした編集作業(場合によってはリライトも)が必要ですし、そのためにはもちろんお金がかかります。編集者と著者がともに本をつくり上げていく過程にこそ楽しみや喜びがあり、完成したときの充実感もひとしおなのです。内容も造本もいい本をつくりたいならお金がかかります。むしろ安さを強調する出版社は「物」としての本をつくるだけですから要注意です。

 要は、著者をカモとしか思っていない悪質出版社と良心的な出版社を見極める目が必要だということです。

2008年11月 3日 (月)

現地裁判報告(3)

説明できない受光伐と支障木

 裁判のもっとも核心的な部分は「受光伐」を理由にした「皆伐」です。売り払い木は376本と支障木18本なのですから、それ以外の樹木は残っていなければなりません。ところが、376本のおよそ2倍もの本数の木が伐られ、皆伐状態になっているのです。

 北海道では、平成14年度から木材生産を目的とした伐採を全面的に中止し、公益的機能を重視することを打ち出しました。そして、森林内の光環境を改善するためとして「受光伐」を取り入れたのです。一部の木を伐採することによって林内に光を当て、後継樹を育成するというのです。 北海道は、天然林で受光伐をした後の更新方法として 1.林床の稚樹の育成 2.掻き起こしによる後継樹の発芽促進 3.植え込み を行なうとしていますが、植え込みというのは優先順序の最後です。そして、最終的には連続的な複層林(針広混交林)へと誘導するというのが基本的な考え方です。

 当該地域には収穫木のほかにも木があったのですから、まずそれらを育てなければなりません。また、後継樹が少ないところでは掻き起こしをすることで発芽を促進しなければなりません。ところが、実際には皆伐してトドマツを植林したのです。

 このような施業は天然林を針葉樹の人工林に変えるものであり、拡大造林といわれています。北海道の方針とはまったく逆のことをやっているのです。

 大径木の少ないところでは、範囲を決めてその中の胸高直径34センチ以下の収穫木をすべて伐る「玉取り」という方法を採用したそうです。ところが、実際には皆伐されているために「玉取り」の場所と、それ以外の場所の区別もつきません。皆伐なのですから、「玉取り」の場所を設定する意味もわかりません。

Setumeifuukei  もうひとつのハイライトだった「支障になっていない支障木」ですが、これも被告は「支障になっている」ことについてまっとうな説明ができませんでした。

 被告の説明に裁判長が首を傾げる場面もありました。

2008年11月 2日 (日)

現地裁判報告(2)

シカを誘引した皆伐地

 私たち自然保護団体がえりもの皆伐地を発見したのは2005年の秋です。そのときは伐根もなまなましく、地表は伐採や地ごしらえのためにブルドーザーで撹乱されていました。

Sougenkaibatuti  それから3年、久しぶりに現地を目の当たりにして驚いたのは、皆伐地がすっかり草原化していたことです。皆伐地の大半がスゲと思われる植物に覆われていて、それが草刈をしたようにシカに食べられています。エゾシカの格好のお食事場になっているのでしょう。そして、植栽されたトドマツや自然に芽生えたカンバの苗がことごとくシカの食害にあっていたのです。

 光があまり当たらない林床であれば、こんなにスゲが繁茂してしまうことはありません。皆伐によって直射日光がさんさんと降り注ぐようになり、スゲがどんどん広がってしまいました。それを食べにきたエゾシカが苗木まで食べてしまったのです。

 私が裁判長にこのことを指摘すると、被告側の道職員は「今の発言に間違いがある」と口を挟み、「苗がこのようになっているのはシカの食害ではなく、寒さによる霜害だ」と反論しました。唖然です。

Syokugaitodomatu  苗を良く見ればシカが噛み切った痕がはっきりとあるのです。ほとんどの苗がシカに食べられており、刈り込まれたようになっています。それを霜害とは… たしかに霜害も一部に見られましたが、大半の苗は食害にあったために正常に伸びることができず、盆栽のようになっているのです。

 たとえ春先に強い冷え込みがあっても、上部に樹木があれば霜も降りにくくなります。皆伐によって霜害を受けやすくなったといえるでしょう。事実、林道脇に自然に芽生えた稚樹はシカの食害にも霜害にもあっていませんでした。

 皆伐して植林したのは失敗であり、不適切な更新方法だったといえます。

 霜害と食害の区別もつかない職員が「森づくり」をしているのであれば、お粗末としかいえませんね。はからずも職員のレベルの低さが露呈される結果となりました。

2008年11月 1日 (土)

現地裁判報告(1)

浮上した越境伐採疑惑

 昨日は「えりもの森裁判」の進行協議(事実上の現場検証)がありました。待ちに待った裁判所による現場確認です。

 前日、私は現場検証に備えて資料などをチェックしていたのですが、皆伐地の衛星写真を見ていてしばし頭を抱えてしまいました。これまで情報開示で入手した伐区の図と、皆伐地の範囲が合致していないのです。伐区の図と写真をしばらく睨めっこしていましたが、どう見ても皆伐区域が伐区からはみ出しています。

 さて、現地で渡された被告(北海道)の「進行協議期日説明用資料」の地図を見て、仰天しました。その地図に書かれている伐区の形が、これまで原告が情報開示で入手していた伐区の図と異なっていて、実際に伐採が行なわれた場所を囲むように線引きが変わっているのです。伐区の境界線が部分的に隣の小班に食い込んで引かれています。

 伐採前と伐採後で伐区の線引きが変わってしまうなどということは普通ありえませんし、信じがたいことです。とすると… 森づくりセンターの職員が越境して収穫調査を行ったという疑いが浮上してきます。そして、越境伐採を隠すために後から伐区の線引きを意図的に変えたのではないかという疑惑が生じるのです。 収穫調査をする際、職員は伐区の範囲を確認することになっています。伐区沿いに林道があって分かりやすい場所ですから、伐区の境界を誤るなどということは常識的に考えられません。

 ところで、公有林での越境伐採は過去にも明るみになっています。林野庁が上ノ国町で行なったブナ林の伐採では、自然保護団体が越境伐採を見つけました。そして自然保護団体の調査で大量の過剰伐採や違法な土場、集材路などが発覚したのです。林野庁は収穫調査の際に職員が林班の境界を誤ったと釈明していますが、林班界は尾根上にあって分かりやすく、現場に詳しい職員が誤認するとは考えられません。

 1987年には、大雪山国立公園内の然別湖北岸でも、幅200メートル、長さ1キロメートル以上にわたって越境伐採(択伐)が行なわれていたことが自然保護団体の調査で明らかになりました。清水営林署(当時)も越境択伐の事実を認めましたが、原因ははっきりしませんでした。

 公有林では以前から原因のはっきりしない越境伐採が行なわれているのです。自然保護団体などが調査しない限り、このようなことはまず発覚しないでしょう。

 今回の疑惑については、今後の裁判の中で追求していくことになります。疑惑がまたひとつ増えました。

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