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2008年10月

2008年10月29日 (水)

チビクロハエトリの謎

 版元に注文していた「写真日本クモ類大図鑑 改訂版」(千国安之輔著、新海栄一改定監修、偕成社)が届きました。税抜きで3万円という価格だったのでちょっと迷っていたのですが、絶版になってしまったら入手できなくなるので思い切って購入したのです。

 この図鑑の初版は1989年に出版されたのですが、最大の特徴はクモの全体の写真だけではなく、同定に用いられる生殖器の顕微鏡写真が掲載されている点です。これほど鮮明な生殖器の構造が多数掲載されている図鑑はそれまでにありませんでした。普通種の大半が掲載されていてクモを調べたい人にとっては非常に有用な図鑑でしたが、しばらく品切れが続いていたのです。

 著者の千国先生は亡くなられたものの、改訂版では新海さんによって最新の種名が取り入れられ、生態写真なども加わってより使いやすくなっています。

 さて、図鑑を開いてほっとしたことがあります。初版にチビクロハエトリHeliophanus aeneusとして掲載されていたハエトリグモの種名が、ウスリーハエトリHeliophanus ussuricusに直されていたことです。

 この写真のクモは私が千国先生に送ったものです。私は「ウスリーハエトリです」といってクモを送ったのですが、千国先生は「これはチビクロハエトリだ」とおっしゃって譲りません。というのもそれまで日本ではこの仲間のクモはチビクロハエトリしか記録されていなかったのです。そして、このチビクロハエトリとウスリーハエトリというのは外見がそっくりなのです。

 私も、日本ではチビクロハエトリしか記録されていないということもあり、はじめのうちは北海道で採集されるものはチビクロハエトリだとばかり思っていたのですが、その後生殖器を調べたところウスリーハエトリと一致することに気づきました。そこで、少なくとも北海道で私が確認しているのはチビクロではなくウスリーであると発表したのです。そして、「ウスリーハエトリですよ」といって図鑑用にクモを送りました。

 しかし、千国先生はどうしてもそれに納得できなかったようで、図鑑では私の送った北海道産のウスリーハエトリがチビクロハエトリという種名で掲載されてしまったのです。この事情を知らない方は、千国図鑑のチビクロハエトリとウスリーハエトリは同じにしか見えず、区別つかないということで混乱を招くことになりました。区別できないのは当然なのです。

 それでは、本物のチビクロハエトリは日本にいるのでしょうか? それは今のところ謎です。谷川明男さんの日本産クモ類目録(2005年版)にはチビクロハエトリの名前も掲載されています。しかし過去に記録があったとしても、チビクロと同定できる標本が確認できなければ確実に生息しているとは言い切れません。分布から考えるなら、日本にはチビクロは分布していないと考えるのが妥当ではないかと私は考えています。

 こういう誤同定というのは、実はけっこうあります。過去の同定が間違いだったのに、それに気づかずに誤同定を続けてしまうのです。同定をするときには、過去の記録に頼らず自分で生殖器を精査してみることが大切なんですね。

2008年10月27日 (月)

知名度が高ければ安心か?

 こんな記事がありました。

「文芸社」は安心なのか?

 この記事を書かれた方は、まず費用に疑問を持たれています。出版費用の一部を著者が負担するということなのに、なぜ200万円以上もかかるのか? まっとうな疑問です。この方は著者の負担金額に多額の利益が含まれていると気づかれたようです。

 相変わらず原稿を褒めたたえて勧誘しているようですが、このやり方も以前と変わっていませんね。そんなに素晴らしい原稿ならはじめから負担金なしの商業出版にするか、もっと負担額を抑えて印刷・製本の実費程度にするべきでしょう。

 負担金が高くて無理といえばローンを勧めるようですが、本がほとんど売れず期待はずれに終わっても延々とクレジットの返済をしなければならなくなります。自分の本を引き取りたいと思っても、本の所有権は出版社にありますから買い取らなければなりません。あとで「騙されたのでは?」と思っても、請求は信販会社から…。これがクレジットの怖さです。

 メールでの連絡方法を選んだのに、頻繁に電話で勧誘するというのも変です。電話とか面談での説明なら証拠が残りませんから、もし嘘をいって勧誘しても「そんなことは言っていない」としらばっくれることもできるでしょうね。

 文芸社はコンテストもいろいろやっていますし、やり方は倒産した新風舎とほとんど変わりません。こんな文芸社をガイドライン賛同事業者に認定しているのがリタイアメント情報センターです。「安心できる自費出版の環境作り」を目指しているとのことですが、不思議ですよね。どこが安心なんでしょうか?

 私は、概して小・零細出版社の方が誠実で志のある出版社が多いと思っています。自費出版社でも、商業出版社でも。出版社の知名度につられないほうが賢明なのではないでしょうか。

 ついでにいうと、費用だけで判断しないことも大切です。ハード面(印刷・製本)でもソフト面(編集・装丁)でもいい本をつくろうとしたら、ある程度の費用はかかるものです。もっとも編集も必要なく、安価に本をつくりたいなら印刷会社に直接頼むという方法もありますが。

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2008年10月26日 (日)

リングプルと車椅子

 最近、北海道新聞の十勝版で気になる広告を何回か見かけました。十勝管内の北海道新聞の販売所で空き缶のリングプル(プルタブ)を回収しており、リサイクル業者を通じて車椅子と交換して管内の各施設に寄贈するので協力してほしい、という内容の広告です。リングプルを車椅子に交換するという話、よく耳にしますよね。新聞などでもたまに取り上げられています。

 以前からとても不思議に思っていたのですが、なぜ空き缶本体ではなく小さなリングプルだけを集めるのでしょう? そしてなぜ決まりきったように車椅子と交換するのでしょう?  疑問に思いつつも、身近にリングプルを集めている人がいないこともあって、調べることもしませんでした。その謎が解けたのは今年の夏になってからです。

 「広島仮説サークル・いどの会」の方が送ってくださった冊子に、リングプル集めについてのことが詳しく説明されていました。要約すると以下のようになります。

 以前は、缶入り飲料のプルタブ(リングプル)は本体から取れてしまう形態であったため、人の集まるところなどでプルタブが散乱した。それを野鳥などが飲み込んだり、砂浜などで人が踏んで怪我をする事故が増えたため、環境保護団体がプルタブ回収運動を始めた。せっかく集まったプルタブを何かに使えないかと考え、換金して車椅子でも購入してどこかに贈ろうということになった。この話を聞いた善意の団体がプルタブで車椅子を贈る窓口になり、そのスタイルが続いている。

 もともとは環境問題という側面から始められた回収だったのです。でも、今はプルタブが缶から離れない形態になって、プルタブだけが飛散するということはなくなりました。もうプルタブ回収の必要はありません。ところが当初の目的から離れて一人歩きしてしまった「プルタブ集めと車椅子」だけが、今でも続いているということです。

 プルタブを集めるためにわざわざ缶からプルタブの部分だけを引きちぎらなければなりませんし、一台の車椅子と交歓するために膨大な数のプルタブを集めなければなりません。とても無駄なことをやっているといえます。しかも、最近はリサイクルが徹底されてきましたから、以前ほど空き缶が捨てられなくなっているはずです。

 福祉施設などに寄付をするのはいいのですが、それだったら空き缶本体を集めて換金した方がよほど効率的でしょう。それに車椅子にこだわる必然性もまったくありません。現金でもほかの物でもいいのです。

 新聞販売店が今でもこんな形骸化した無意味なことを行い、新聞広告まで出していることに首をかしげざるを得ません。

2008年10月23日 (木)

カラスとの知恵比べ

 1ヵ月ほど前のことなのですが、生協の配達時間に留守にしたために、商品を玄関前に置いていってもらいました。商品は発泡スチロールの箱とプラスチックのコンテナに入れてありますし、配達の方も注意してくださっているのです。

 何に注意するかっていうと、カラスです。とにかくカラスは目ざとくて、食べられそうなものがあればすぐに近寄ってきますから。北海道は本当にカラスが多いんです。

Nusuttokarasu  ところが… やられちゃいました! コンテナの近くには破れた食パンとバターロールの袋が…。そしてバターロールが半分だけ転がっていたんです。配達されてからほんの一時間ほどの間にです。

 コンテナの持ち手の隙間から嘴を突っ込んでパンを盗んだのです。でも、あの小さな隙間から食パン一斤分とバターロール6個を引っ張り出すとは、なんて器用なんでしょうか(感心していてはいけないのですが!)。人間だってそんな簡単にできるもんじゃありません。

 それに、いくら大食漢のカラスだって、一度にそれだけのパンを食べられるとは思えません。一羽だけではなく何羽もいたのか、あるいはどっかに持っていって隠したのか?

 私の家の周辺にいるカラスはほとんどハシブトガラスなのですが、これがとても頭がいいんですね。ゴミを出すときも、カラスにやられないようにいつも気をつかいます。

 外にゴミを出すとき、どこかで「カァー」と鳴き声がしたときは要注意。木のてっぺんなんかでちゃんと見ているんです。鳴声で仲間に合図でもしているのでしょうか。コンテナに入れたり、網をかぶせたりいろいろ対策はするのですが、それでもちょっとした隙をついて散らかされることがあります。たかがカラスといってあなどれません。コンテナの持ち手の部分は要注意。本当に、ゴミ出しはカラスとの知恵比べなんです。

 カラスといえば、札幌では鳥ポックス症というウイルス感染症が流行っているそうです。

鳥ポックス症:札幌のカラスで流行 

 ゴミ置き場などでのカラス同士の接触によって、感染が拡大するようです。札幌のゴミ置き場はカラスのたまり場になっていますからね。流行は今のところ都市部が中心のようですが、今後は広がるかもしれません。スズメの大量死を思い出してしまいました。

 人間が野鳥たちに影響を及ぼさないよう注意しなければいけないのですが、頭のいい鳥だけあって対策も大変だと思います。

2008年10月22日 (水)

看過できない「ご意見板」コメント

 新風舎の被害者である三浦ヒロシさんが、JANJANのご自身の記事「『新風舎』にだまされた 自費出版の巧妙手口」の「ご意見板」にコメントを書きこまれていることに気付き、いささか驚きました。

 コメントに引用している元サイトを調べたところ、何と2chでした。2chなどバカバカしくて見ていませんし、相手にするつもりもないのですが、今回だけは確認のために見てしまいました。ここでは、どうやら私は「蜘蛛」とか「クモ」と呼ばれ、自作自演の疑惑まで飛び交っているようです。最近このブログへの嫌がらせがないと思ったら、2chで言い放題のようです。

 それにしても「ご意見板」に2chの書き込みを転載し、それをもとに消費者センターに相談することを勧めているのはちょっと看過できません。

 そこで、さきほど以下のコメントを投稿しました。コメントナンバーは【38378】です。皆さんはどう思われますか?

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なぜ2chの書き込みを転載されたのですか?

三浦ヒロシ様

 下記コメントにあなたが転載した文の引用元サイトが気になったため、文中のキーワードを利用して検索で調べたところ2chでした。匿名で誹謗中傷が絶えず、しかも業界関係者が情報操作をしていると思われる2chの書き込みを出典も明らかにせずに転載し、「真相は定かではない」「責任は持てない」としながら、その記事を持参して消費者センターに相談するように勧めることに驚きを禁じ得ません。

 転載した記事には被害者の会のことが書かれています。「夢物語」としてはいるものの、その内容から「訴訟をおこした会」に「新風舎商法を考える会」、「他の会」に私が代表を務める「共同出版・自費出版の被害をなくす会」を当てはめることができます。そして、あたかも「被害をなくす会」の代表である私が相談者から得た情報を利用し、悪質出版社に対して「情報を買いませんか?」と持ちかけて取引をしているかのように連想させるものです。また、「被害をなくす会」が得たいの知れない会だと思わせ、関らないように仕向けているかのようにも受け止められます。そのように意図して書かれたものといっても過言ではないでしょう。

 ここから連想される疑惑は事実無根です。私が共同出版社と取引していると疑うのであれば、その根拠や証拠を示していただきたいものです。「夢物語」を利用して、私や「共同出版・自費出版の被害をなくす会」の信用を落とすことを目的に書かれたもののように読み取れます。

 新風舎の倒産で私が問題としたのは、文芸社との癒着疑惑の持たれるジャーナリストが「新風舎商法を考える会」をつくって被害者を集め、提訴に関っていたということです。その人物が訴訟をマスコミなどで大々的に報道させ、さらに新風舎だけを批判した本を出版するなど倒産を煽る行動をとったこと、新風舎が倒産したあとも同様の商法を行っている文芸社を一切批判しないことなど、不自然かつ不可解な行動があったことについてJANJANや自分自身のブログで指摘しました。

 私は被害者が泣き寝入りすることをよしとしませんし、訴訟を起こすことを否定してもいません(あなたにも裁判をしないように助言したことはありません)。ただ、被害者の方たちが、ライバル会社と癒着疑惑の持たれる方と共に行動されることでライバル会社に利用されてしまうことを懸念しましたし、そのことはメールであなたに警告しました。共同出版商法の本質的問題点を隠蔽し、ライバル会社に利をもたらすことになりかねないからです。そして、それが現実のものになったといえましょう。訴訟を起こしたことに問題があったのではなく、疑惑を持たれる方とともに行動されたことに問題があったのです。

 悪質商法と闘うためにはいろいろな方法があります。被害の回復をはかるために交渉をし、それで解決できなければ提訴するというのは被害者の当然の権利です。また問題点を社会に知らしめて被害の拡大を防いだり、会社に軌道修正を求めることも必要でしょう。しかし倒産させてしまったら交渉や裁判の継続も困難になり、被害の回復が望めなくなります。さらに共同出版のような商法の場合、倒産による被害者を生むことになります。ですから、提訴する場合にもそのようなことに配慮し、慎重さを持たなければなりません(このこともあなたに伝えました)。そこにこの商法と闘う難しさがあります。

 被害者の方が怒り、経営陣を追い詰めたい気持ちはわかりますし、それは自由です。しかし、いろいろな立場の著者がいることを考慮したり、多面的に問題解決の方法を探ることも必要ではないでしょうか?

 あなたが被害者の方に注意を促すのはわかりますが、なぜそのために2chの書き込みを、出典を明らかにせず転載されたのでしょうか? 

 もし、あなたが2chの書き込みから連想されるように、私が被害者の会を利用して情報を収集し、悪質出版社と取引しているかもしれないとの疑惑を持たれているのであれば、大変残念としかいえません。

*この記事へのコメント 「com081022.doc」をダウンロード

三浦さんへの質問

 「看過できない『ご意見板』コメント」で書いた三浦さんのJANJAN記事に、三浦さんから新たなコメントが入りました。残念ながら、なんとも抽象的で理解しがたい内容でした。

 被害者の方を追及するようなことはしたくないのですが、このままではとても納得できません。そこで三浦さんに質問をしました。誠実な回答を期待したいと思います。

 以下が私のコメントです。コメントナンバーは【38511】です。

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三浦さんに質問です

三浦ヒロシ様

あなたのコメントは非常に抽象的であり落胆しました。以下にいくつか質問させていただきますので、ご回答くださいますようお願いいたします。

質問1.

あなたが掲げられた10項目は、共同出版問題について発言や行動をしている人物や被害者組織と接する際に、このようなことに注意するようにという意味だと受け取れます。ご自身の経験からそのような人物あるいは団体がいると認識されているようですが、それは誰なのかあるいは何という団体なのか名前を教えてください。また、その人物や団体がどのようなことを言っているのかも具体的に教えていただけたらと思います。

質問2.

⑧についてですが、共同出版や自費出版に関する被害者団体でそのような疑惑のある団体があると公表されているのでしょうか? 法律の専門家や警察官、消費者センターが指摘しているとのことですが、それぞれ具体的な名前や指摘内容などの情報を教えてください。

質問3.

⑩について指摘している民間の調査機関とはどこのことですか?

質問4.

文芸社は新風舎とほぼ同様の商法を行っており、新風舎の被害者同様に問題意識や被害者意識を持っている方が複数います。ネット上でもさまざまな批判的情報があります。あなたは文芸社のやり方は悪質だと考えていないのでしょうか?

質問5.

文芸社は「共同出版・自費出版の被害をなくす会」の質問書に回答せず不誠実な態度を貫いています。これについてあなたはどう思われますか。

質問6.

私がこれまでJANJANや自分のブログ(「鬼蜘蛛おばさんの疑問箱」で検索してください)で書いてきたことについて、異論などがありましたら是非お聞かせください。

2chについて

三浦さんは「又、松田さんも語られているように「業界関係者」も「自社の情報流出」を未然に防ぐ目的からこのサイトを訪れています。」と書かれていますが、私はそのようなことは語っていません。私は、悪質商法を行っている出版社が自社に都合の悪い情報を発信している人の信用を落とすことを目的に、意図的に批判や誹謗中傷をして情報操作をしていると捉えています。もちろんすべての情報が信頼できないとは思っていませんが、書き込みをしている人の名前や所属がわからない以上、信頼できる情報は限られますし、どの情報が信頼できるかも特定できません。

また、「これら「新風舎の共同出版詐欺」はネット新聞や他のコミュ二ティサイト等に投稿される遥か以前から「2ちゃんねる」内で審議されていました。」とのことですが、2chでは、新風舎のみならず文芸社も批判されていたのではありませんか? 文芸社についてのあなたの見解をぜひお聞きしたく思います。

もちろん、情報の信憑性を決めるのは記事を書いた人ではなく第三者です。だからこそ、私は名前を明らかにしたうえで具体的情報に基づいて記事を書いています。私の書いていることについて異論や批判があるのなら、公の場で名前や所属を名乗って反論していただきたいと思います。

2008年10月21日 (火)

知里幸恵とアイヌの自然観

 昨日、NHKの「その時歴史は動いた 知里幸恵の闘い」(再放送)を見ました。

 明治政府はアイヌ民族を支配し、民族としての尊厳や人権を奪いました。アイヌとして生まれた知里幸恵さんは子どものときから差別されつづけました。差別に傷つけられ苦しみ、日本人として認められようとした彼女に転機が訪れたのは、アイヌ民族の研究のために自宅を訪れた言語学者である金田一京助氏との出会いでした。

 金田一氏の依頼で、幸恵さんがアイヌユーカラをアイヌ語のローマ字語書きと日本語で整然と併記したノートは、十代の少女のものとは思えないほど緻密です。そのノートを見て感動した金田一氏は、幸恵さんを東京に呼び寄せ出版のための編集作業をするのです。しかし、編集が完成したその日に彼女は19歳という短い命を閉じました。「アイヌ神謡集」は、知里幸恵さんがアイヌ民族としての誇りをもって、まさに命と引き換えに書き上げたアイヌの物語です。

 彼女が東京の街に降り立って驚いたのは、落ち着きなく動き回る人々。着飾った人々がデパートで商品を買い求める姿を見ても、彼女は何も欲しいとは思わなかったそうです。私は彼女のこの感覚にひどく新鮮なものを感じました。

 自然からの恵みで生活する狩猟採取民族のアイヌにとって、富や財産は無縁です。アイヌの人々は自然の恵みを「神」としてたたえ、大切にしてきました。ユーカラにはそのような彼らの生き方が如実に描きだされています。

 アイヌ民族の血が流れる彼女は、物に群がる都会の人々が失ってしまった大事なものを敏感に感じ取っていたのです。彼女にとって、お金や物は決して真の豊かさではありませんでしたし、そのことを理屈ではなく直感できるしなやかな感性をもっていたのです。だからこそ幸恵さんには、お金や物に群がる人々が奇異としか見えなかったのでしょう。

 以前、裕福になれば夢がかなえられると信じて努力しそれが実現したものの、虚しさにさいなまされているアメリカ人のことがテレビで取り上げられていました。お金があっても、人は決して心の豊かさまで手にいれることはできないのです。そして、人が人間らしく生きていくために何よりも必要なのは、日々の糧とともに精神の豊かさでしょう。

 今の私たちは、幸恵さんの感性をすっかり失ってしまったようです。物質的な豊かさや利便性を追求することで、大切なものを置き去りにしてきました。

 また、アイヌ民族は争いごとを嫌い、揉め事が起こると「チャランケ」といってとことん話し合いをしました。自分の意見をはっきり言うことを避け、周りの人に同調して丸くおさめたがる日本人とは対照的です。

 今年の6月に、日本はようやく「アイヌ民族を先住民族とすることを求める国会決議」を採択しました。あまりにも遅い決議です。これまで日本人が虐げてきたアイヌ民族の生き方こそ、私たちが失いかけている大事なことを教えている、そのことを強く印象づける番組でした。

2008年10月19日 (日)

子どもたちは今…

 ちょっと古い本ですが、先日「負けるな子どもたち!」(渡辺容子著、径書房)を読み、すさんできている子どもたちと教育環境について考えさせられました。著者の渡辺容子さんは、都内の学童保育の指導員をされていた方です。

 私自身、自分の子育ての過程で子どもたちや学校がずいぶん変わってきていることを感じてはいました。自分の子ども時代と比較してみると何かが違う、子どもも学校も変わってしまった… そんな気持ちを強く抱いてはいたものの、いまひとつ実感として捉えられないでいました。しかし、学童保育の指導員として子どもたちと関り、その様子を伝えるこの本を読んで、目からウロコのように子どもたちの変貌を感じとることができました。

 渡辺さんは、子どもたちの心がすさんでしまったこと、変わってしまったことに悩まされます。塾や習い事に追われる子どもたち。落ち着きなく言葉を荒げ、すぐに暴力をふるい平然といじめをする子どもたち。吹き荒れる嵐のような子どもたちの中に入り込んで彼らを受け止め、寄り添い理解しようとする行動には心が打たれます。

 私は渡辺さんと同世代です。私の子ども時代にも塾や習い事はありましたし、いじめもありました。でも、どうやらそれらの質や中身は驚くほど変わってしまったようです。放課後は家にランドセルを放り出して遊びまわりましたし、夏休みなども実に自由に過したものです。いじめといっても陰湿さはありませんでしたし、ごく一部の子どもの問題でした。個性の強い子どもも、それなりに認められるところがあったのです。でもほんの2,30年の間にすっかり状況が変わってしまったようです。もちろんそれは子どもたちに原因があるのではなく、社会の問題です。

 今の若い人(あまり使いたくない言葉ですが)を見ていると、驚くほど周囲の評価を気にして周りに合わせようとしている人が少なくありません。そうするように強いている社会があるのです。子どものころから競争に駆り立てられ、いじめられることを恐れ、身も心も疲れてストレスをため、追い詰められているのです。それは子どもたちだけではありません。この国は何もかも大変な状況になりつつあります。

 この本のなかで、フィリピンの小さな島の子どもたちのことが紹介されています。文房具もなく着る物さえも不自由する生活であっても、いきいきとして表情の豊かな子どもたち。家の仕事を当たり前のようにこなし、礼儀をわきまえた子どもたち。開発途上といわれている国の子どもたちは皆同じでしょう。そして、同じような姿は少し前の日本にもあったはずです。

 物質的な豊かさと裏腹に、私たちは大切なものを失ってきました。もちろん、昔の不便な生活に戻すべきだなどとはいいません。しかし、本当にこれでいいのでしょうか? 暗澹たる気持ちになります。でも打ちひしがれているだけでなく、なぜこうなったのかを問いただし変える努力をすることこそしていかなければならないでしょう。

 今は学童保育の仕事を離れたものの、一市民として地道に努力を続けている渡辺さんに、エールを送ります。  

2008年10月18日 (土)

支笏湖周辺での植樹活動への疑問

 先日のJANJANにボランティアによる支笏湖での植樹活動の記事が掲載されていました。

紅葉に染まる支笏湖畔の国有林で植樹する 

 セブン・イレブンでも植樹活動に参加しています。

支笏湖周辺台風災害・復興の森づくり 

 これらのイベントは、北海道森林管理局の呼びかけている市民参加による森づくり活動のようです。

http://www.hokkaido.kokuyurin.go.jp/kyoku/news/200627morappu.htm 

 支笏湖畔といえば、1954年の洞爺丸台風で大きな風倒被害を受け、さらに2004年の台風18号で大きな被害を受けました。ところで、これらの記事を読を読むと、風倒跡地に植えている樹種がトドマツとアカエゾマツなのです。また針葉樹の植林地をつくるのかと疑問を感じてしまいます。

 以下の記事に支笏湖周辺の風倒被害について興味深いことが書かれています。

森を造った(1)

森を造った(2)

森を造った(3)

森を造った(4)

 このあたりはもともと広葉樹に針葉樹が混じっている針広混交林でした。もっとも洞爺丸台風以前から伐採や植林は行われていたのです。

 1954年には5月に暴風があって被害を受け、さらに9月の洞爺丸台風で壊滅的な被害を受けたのです。そして風倒跡地にカラマツやトドマツの造林地をつくってきました。木材生産を目的とした植林です。しかし、針葉樹は広葉樹に比べて根が浅く風で倒れやすいのです。

 過去に大きな風倒被害にあっている場所というのは、風の通り道になるところです。そのようなところには針葉樹の森林ではなく風に強い広葉樹を主体とした森林をつくっていくべきだったでしょう。本来の森林も、広葉樹に針葉樹が混じっている森林だったのですから。

 上記の「森を造った(4)」にも書かれているように、2004年の台風で大きな被害を受けたところの多くはカラマツやトドマツの造林地で、広葉樹に針葉樹が混じった天然林や、洞爺丸台風のあと風倒木処理をしないで自然の回復に任せたところは無傷だったのです。風倒被害地を皆伐して針葉樹の造林地に変えてしまったのは不適切だったといえます。

 ならば、その教訓を生かした森づくりをしていくべきだと思うのですが、相変わらずトドマツとアカエゾマツの植樹をしているのです。苗の入手が容易という事情があるのかもしれませんが、なぜミズナラなどの広葉樹を植えないのでしょうか? 北海道森林管理局は、ここを本来の広葉樹を主体とした風害に強い森林に戻していこうという考えはないのでしょうか?

2008年10月17日 (金)

水をかき集めた富村ダム

 富村ダムを見て、あらためて驚いたことがあります。先の記事「堆砂で埋まる富村ダム」で書いたように、富村発電所の最大出力は4万キロワットもあります。ダム湖が小さい割りに発電量が多いのです。これは発電する際の落差が大きいためだと思っていたのですが、どうやらそれだけではなさそうです。

 十勝川の源流部はいくつもの支流に分かれているのですが、富村ダムはその支流のひとつであるトムラウシ川に造られました。ところが、トムラウシ川の水だけを貯めているわけではないのです。

 本流にシイ十勝川取水堰、トノカリウシュベツ川にトノカリ取水堰、そしてポントムラウシ川にポントムラウシ取水堰をつくり、そこから富村ダムに水を送っているのです。

 富村ダムは、十勝川源流部の支流をいくつも堰き止め、水をかき集めて発電に利用しているのですね。こんなダム湖もあるのかと驚いてしまいました。源流部の河川を堰によってズタズタにして造られたのが富村ダムです。

 しかし、発電量が大きい割りには小さなダムです。このまま堆砂が進めば有効貯水量はどんどん減っていくでしょう。とすると渇水期には十分な水が確保できなくなる可能性があります。堆砂が進んだとしても、堤体に大きな影響を及ぼすとは考えられませんから、トンネルを掘ってまで堆砂を除去したいのは、有効貯水量の確保にあるのではないかと勘ぐってしまいます。

Pontomurahousyutukou  ピンボケですが、この写真はポントムラウシ川からの水の放出口です。堆砂運搬用のトンネルはこの近くに造られる予定のようです。

 富村ダムの下流には上岩松取水堰があり、その下には十勝ダム、岩松ダム、屈足ダムがあります。十勝川上流部は堰とダムによってすっかり変えられてしまいました。  

2008年10月16日 (木)

オオウバユリのその後

Ooubayurimi1  「ちょっと不思議なオオウバユリ」で紹介した庭のオオウバユリですが、立派な実をつけました。

 この種がこぼれたら、そこいらじゅうからオオウバユリが芽生えてきそうなので、飛び散る前に処分することにしました。

 ところで、この一本に幾つくらいの種をつけるのでしょうか? 試しに実のひとつを開いてみました。裂け目から溢れるように種がこぼれてきます。

Ooubayurimi2  一つの実は三つに割けるのですが、一片が2室に分かれています。そして一部屋に薄っぺらい種がぎっしりと並んで詰まっています。一室に入っている種を数えてみると、ちょうど100個ありました。つまり、ひとつの実に600個ほどの種が入っていることになります。  実の数を数えると全部で22個でしたので、600×22で13200個。一株でこれだけの種をつけた計算になります。すごい量の種ですね!

 オオウバユリは地下に鱗茎をもっている一回繁殖型多年草です。花をつけるようになるまで何年もかかるのですが、一度花をつけると鱗茎ごと枯れてしまいます。何年もかかって栄養を貯め、大量の種をつけるという繁殖戦略なのですね。もっとも、脇に小さな鱗茎をつくって栄養繁殖もします。

 種には幕がついていて、ひらひらと舞うようにこぼれますから、風に乗ればけっこう遠くまでいけそうです。

 栄養繁殖だけでは環境が変わってしまったら生きていけません。群落ごと危機的な状況になることもあるでしょう。そういう時のために、たくさんの種をつけて別の場所に移動できるようにしているのです。でも、これだけ沢山の種をつけても大半は発芽できなかったり、発芽しても大きく育つことはないんですね。

  一回繁殖型多年草としては、エゾニュウなどの大型のセリ科植物があります。こちらは幾つぐらい種をつけるのか数えたことはありませんが、オオウバユリより多いかもしれません。 

2008年10月15日 (水)

堆砂で埋まる富村ダム

 一昨日は、十勝川の支流であるトムラウシ川に造られた富村ダムを見てきました。

 富村ダムは1978年に北海道電力が造った発電用のダムですが、運用開始からわずか30年で大量の土砂が溜まってしまったのです。北海道電力では、このまま堆砂が進むと数年後には設計堆砂面に達し、ダムの安全性に影響を与えたり洪水時に水位が上昇して周囲の森林に悪影響を与えるとの理由で、堆砂の処理をしなければならないとしています。

 ところがこのダムは非常に急峻な谷あいに造られています。ダムの堤体に行くにはトンネルを通っていかなければなりません(もちろんトンネルの入口は扉があって、一般の人は立入りできません)。上流に通じる林道は湖岸ではなく尾根につけられているために、堆砂を除去するといってもダム湖の岸にトラックをつけることができません。

 で、どうすると思いますか? 北電は隣の沢にある林道から尾根の下にトンネルを掘ってダム湖に溜まった土砂を運びだすというのです。しかし、ここは国立公園の第3種特別地域内。すぐ上流には原生自然環境保全地域もあり、希少な猛禽類なども生息しています。トンネル工事をしたり、大型ダンプがひっきりなしに通ることになったなら、野生生物にも影響を及ぼすことでしょう。

 ダムをつくれば土砂が溜まるのはわかりきったことですし、当然、設計時に堆砂のことを考えています。でも、土砂が溜まってからトンネルを掘るなどというのは、計画時に堆砂処理のことまで考えておらず、堆砂の予測も甘かったとしか思えないのです。

Tomuradamusita  写真を見てください。ダム湖の上流側はすっかり土砂に埋まって陸地化し、草本のほかにヤナギやケヤマハンノキまで生えてきています(上の写真は陸地化したところから下流側を見たもの、下の写真は上流を見たもの)。このあたりはもともと浅かったとはいえ、すごい堆砂量です。

Tomuradamuue  北電は、なぜトンネルを掘ってまで堆砂を除去しなければならないのでしょうか? 富村ダムの湛水面は大きくはないのですが、富村発電所は4万キロワットもの発電量があります。北海道の水力発電所の中では、発電量が大きな方なのです。ところが北電の調査によると、平成18年の10月現在で総貯水容量内の全堆砂量が56パーセント、有効容量内の堆砂が40パーセントに達しているのです。

 ダムを計画する場合、ふつう100年分の堆砂量を堆砂容量としてとり、無効容量として扱います。ところが、たった30年で半分以上土砂に埋もれてしまったのです。このまま放置したなら発電量にも影響が出ると考えているのでしょうか?

 この現実からわかることは、恐らくどこのダムにも大量の土砂が溜まっているということです。しかも予測していたよりはるかに早く大量の土砂が溜まっています。これからあちこちのダムで永遠に堆砂除去が続けられることになるのではないでしょうか? そして、その費用は私たちの電気料金に上乗せされていくのでしょう。

 これからはダムの堆砂は避けてとおれない問題です。黒部川のダムのように下流に流してしまったら河川の生物に壊滅的な影響を与えます。堆砂のことを考えず安易にダムを造りつづけてきたことを反省しなければなりません。  

2008年10月12日 (日)

江川紹子氏の責任

 「創」11月号で、森達也氏は「極私的メディア論 江川紹子さんへの反論」と題してオウム問題で森氏を批判した江川氏に反論しています。森さんと江川さんの論争についてここで言及するつもりはありませんが、森さんの記事を読んで私は江川さんに大きな違和感を持ったのです。

 オウム問題を追及してきた江川さんは、被害者の視点からの発言が多いようです。オウム問題では自らも被害者の立場ですから、それはそれでいいでしょう。しかし、新風舎問題ではどれだけ被害者に寄り添って意見を発信してきたのでしょうか? 私には被害者の立場に立つどころか、新風舎を擁護することで保身にこだわったとしか思えないのです。

 森さんとの論争のもとになったのが江川さんのブログでしたので、久しぶりに彼女のホームページにアクセスしてみました。その同じサイト内で、彼女は「受難の時代に」と題して新風舎問題について言及しています。森さんの記事がきっかけで、私はもう一度江川さんのその記事を読み返し、正直いって以前読んだとき以上に違和感を強くしたのです。オウム問題ではあれだけ被害者感情に寄り添って発信しているのに、新風舎の広告塔として被害の拡大に加担した責任は微塵も感じられません。オウム問題とはあまりにも対照的です。

 私が江川さんの「受難の時代に」を読んで、もっともカチンときたのは以下の部分です。ちょっと長いのですが引用します。

 
 元々詩人である松崎義行社長は、自分の思うような本を出したいという夢もあって出版社を設立した、と聞いた。すべての「表現者」は平等であり、尊重されるべきだ、と松崎氏は語っていた。理念としては私も共感する。しかし現実には、同社の出版は二つの形態があった。一つは、本を出したい人がお金を出す自費出版。もう一つは、筆者に印税を払う、通常の商業出版だ。私が出版したのは、もちろん後者の形態である。ところが同社の目録では、どちらの形で出された本も同じように扱われており、「著者」としてはプロの書き手も初めて本を自費出版する人も混在する形で名前が並んでいた。
 私が同社に申し入れた事柄の中で、受け入れられなかったことの一つは、出版形態の異なる書籍はきちんと区別することだった。
 書店に並ぶ本は、出版される本の一部であって、書店が注文してくれなければ店に並ばない。まして300部や500部といった出版部数で、全国の書店に出回るはずがない。そんなことは、出版社や本を出した経験のある者には、当たり前に思える。しかし、そうした業界とはまったく縁がなく、初めて自費出版で「自分の本」を作ろうという人はどうだろうか。
 しかも、目録では自分の横にそれなりに名の通った書き手の作品が載せられており、その作品は大きな書店に行けば売られている。となれば、それだけで自分の本も同じように扱われる、という思いこみを招きかねない。
 自費出版をする人は、「思いを本という形にする」「もしかして私も作家デビュー?!」など様々な夢を抱いて、依頼をしてくるのだろう。多くの自費出版本は書店などでは売れないのが現実でも、時たまヒットして、皇室に愛読されたり、マスコミに取り上げられたりするものも、ないわけではない。「次は私が……」と大きな夢を持つ人もいるだろう。新風舎の自費出版は、流通ルートに乗せる可能性を持っているという点で、そうした諸々の夢を売る仕事、あるいは夢を本に託す人を相手にしたサービス業と言えた。だからこそ、会社側は相手を商業出版の「著者」とは分けて、むしろ「お客様」と心得て対応しなければならない、というのが私の主張だった。今の出版や書店業界の厳しさも、業界の外にいる「お客様」だからこそ、分かりやすくお伝えして分かっていただく必要があるのではないか、と。
 「お客様」には、出版にかかる実費に加えて、社員の人件費や事務所費、それに会社の利益を上乗せしたものを払っていただくことになる。これは、いわば夢を買う代金だ。夢の実現に向けたお手伝いをするサービス料金といってもいいかもしれない。ところが同社は、「著者」と出版社が「共同」して本を出すための「編集費」と説明していた。それが、編集に関わる実費のことだという誤解を受け、実費以上の金額を支払わされた、明細が不明朗であるといったクレームも招いた。
 にもかかわらず、こうした点が変わらなかったのは、「表現者」を平等に扱いたい、という松崎社長の理念、あるいは思い入れゆえだろう。けれども、現実に出版形態が異なり、実際に苦情が来ている以上、作品に対しては平等の敬意を払いつつも、現実に合わせた対応が必要だったのではないだろうか。

 江川さんは新風舎に申入れをしたと書いていますが、これは私が2006年の末に彼女にメールを送って新風舎の商法の問題点を指摘したからです。まっとうなジャーナリストであれば、悪質商法に加担した責任を感じて新風舎と縁を切り、問題点を指摘していくくらいの気概をもってほしいと思いましたし、このままでは批判の対象にされかねませんので忠告したつもりでした。新風舎と縁を切った平間至さんのことも知らせていました。

 また、自分のJANJANの記事(はじめに投稿した10本)も江川さんに紹介しましたから、私が「水増し請求」を最大の問題としたうえで文芸社や新風舎の共同出版を悪質商法として批判していたことを知っていたはずです。

 ところが彼女の意見は、新風舎共同出版はサービス業といえるものであり著者はお客様であるのだから、請求金額は実費ではなくても当然だというわけです。私の指摘している「費用は実費であるべき」という主張は誤解だというのです。しかし、誤解だという見解を示すにあたって根拠がまったく書かれていません。これでは、私の一連のJANJAN記事は誤解のもとに書かれているということになってしまいます。

 私が主張する水増し請求については、文芸社ですら「誤解」だなどとは言明していません。私はこれまで新風舎からも文芸社からも誰からも、「水増し請求という主張は誤解だ」という指摘を直接受けたことはありません。「請求費用は実費であるべき」ということに関し、「誤解」とされたことはないのです。新風舎の社員自身が詐欺だと思っているのです。誤解だと決め付けるなら、その根拠を説明すべきでしょう。彼女は新風舎が「共同出資」を謳っていたことを確認しなかったのでしょうか? 契約書を読んで理解していたのでしょうか? 彼女の解釈こそ誤解といえます。 

 さらに、江川さんの意見はまるでアマチュアの本は商業出版の本と同列に扱うべきではないとも受け止められます。でも、そうでしょうか? 自費出版社の中には商業出版に劣らない本をつくり、商業出版と同様の販売方法で書店流通してそこそこ売れている本もあるのです。新風舎の共同出版の本の中にも、優れた本は数多くあったことでしょう。出版形態の異なる本、アマチュアとプロの書き手の本を区別して扱うべきだという主張には、著名人の驕りが感じられるのです。

 また、不思議なのは新風舎が派手に展開していた「賞ビジネス」についてまったく言及していないことです。藤原新也さんが取り上げて問題提起していましたので、私は藤原さんの記事も知らせました。ところが彼女は、賞ビジネス問題については無視しています。

 新風舎の商法が悪質であるという認識も、自分が広告塔にされているという自覚もほとんどなしという態度です。そのうえで、破綻の原因は新風舎の無謀な経営にあると片付づけています。それが本心ならジャーナリストの資質を問われるというものでしょう。私には責任逃れの態度としか思えません。

 オウム問題で被害者に寄り添って加害者を糾弾する彼女は、新風舎に騙されて怒っている被害者、破産によって夢を砕かれ、お金が戻らずに悲嘆にくれている被害者の気持ちを想像したのでしょうか?

 江川さんは森さんのことを「この森という人は、被害者の置かれている状況について、あまりに想像力が欠けている。というより、実は被害者には(死刑に反対してくれる人以外)興味がないのだろう。さもなければ、見たくない現実は徹底的に無視する主義なのか…」と批判し、「この感性が、やはり私には、どうしても理解できない」と書いているのです(「ある犯罪被害者批判について参照)。

 私はこの記述を読んで、思わずのけぞってしまいました。森さんに発した言葉こそ、新風舎問題に関して彼女自身がとった態度ではないでしょうか。江川さんの感性こそ、私には理解できません。

 江川さんについてはこんな記事もあります。

江川紹子の功罪

 

*この記事へのコメント 「com081012.doc」をダウンロード 

壊されたナキウサギ生息地

 10月7日は日弁連の皆伐地の視察に同行しましたが、翌8日は足寄町の伐採現場にでかけました。というのも、自然保護団体が林野庁の伐採計画などの資料を開示請求によって入手したところ、ナキウサギの生息地があるあたりでかなり伐採をしていることがわかり、生息地の破壊が懸念されたからです。

 現場に行って目にしたのは、作業道の建設や伐採によるナキウサギ生息地の破壊現場でした。2年ほど前に自然保護団体などが林野庁に注意喚起し、伐採計画を見直すよう要請していたのにこの惨状です。

 この破壊は自然保護団体の指摘を無視したために引き起こされたのです。北海道森林管理局は、生物多様性保全が必要だという姿勢だけは見せていますが、それは形だけでしかありません。調査もしていないし、気をつけてもいないのです。

 詳しくはJANJANに投稿した以下の記事をお読みください。

国有林伐採でナキウサギの生息地を破壊 

2008年10月10日 (金)

エゾイチゴで緑が回復?

 今週は日本弁護士連合会の自然保護部会の弁護士さんたちが幌加とタウシュベツの皆伐地の視察に来たり、日本森林生態系保護ネットワークの伐採調査があったりで、ちょっと忙しくしていました。

 日弁連は士幌高原道路や日高横断道路のときにも現地に視察に来ていますが、今は森林伐採問題についても取り組んでいるようです。6日は林野庁の職員の方たちに現地を案内してもらったそうですが、前日の5日には自然保護団体が弁護士さんたちに大雪山国立公園での伐採の問題点などについて説明しました。そして7日には自然保護団体のメンバーなどが現地で説明をしたのです。

Tausyubetu2007 Tausyubetu2008_2  タウシュベツの皆伐地の昨年(左の写真)と今年の(右の写真)の様子を比べてみてください。両方とも10月初めに撮ったものです。今年のほうが緑色の部分がいくぶん増えています。林野庁の職員はこれを指して「緑が回復してきている」と、弁護士さんたちに得意げに説明したそうです。

 確かに緑色の部分は多くなっているのですが、これはエゾイチゴという木苺やハンゴンソウという植物なのです。もともと針葉樹林の中に生育しているのではなく、開けた荒地や林道の脇のような明るいところに生育する植物です。土場などを放置したあとにしばしばエゾイチゴやハンゴンソウが入り込んで繁茂していることがあります。エゾイチゴは木本で高さが1メートルほどになり繁殖力が旺盛です。ハンゴンソウはエゾシカが食べないのでどんどん広がっていきます。

 このような植物に覆われてしまうと樹木の種が周囲の森林から飛んできても、生育するのが困難になってしまうのです。緑が回復してきたなどといって、喜んでいるようなことではないんですね。裸地になったところにササが繁茂してしまうと更新困難になるですが、それと似たような状況になってしまいます。

 エゾイチゴがここに残っていたということは、以前から林道や作業道沿いにこのような植物が入り込んでいたということでしょう。皆伐によって明るくなり、植生がはがされてしまったためにそれが広がってきたのです。

 植林したトドマツの苗は活着不良のものが多く、枯死してしまったものもあります。そのうちエゾイチゴに囲まれ覆われてしまうかもしれません。

 このまま放置したらもとのような針葉樹林になるのに相当の年月がかかるでしょう。稚樹をそのまま残しておけば、ずっと早く再生できたのです。エゾイチゴやハンゴンソウが茂って喜んでいるようでは、林野庁もかなり末期的というしかありません。

2008年10月 9日 (木)

社員は詐欺だと思っている

 以下は新風舎の元社員の方のブログです。

http://blog.goo.ne.jp/kamimagi/e/6ebef9b351d244029f505829415159d8

 この方も私と同じように「制作費」だけを負担してほしいと著者に説明しながら、実際にはそれとはかけ離れた費用を請求していたことを「詐欺ではないか…」と思っていたわけです。当然ですよね。文芸社や同じようなことをやっている共同出版社の社員も、同様に「詐欺ではないか」と思っているのではないでしょうか。

 でも、社内ではそんなことは口に出せないような雰囲気があったようですね。「朱に交われば赤くなる」といいますが、組織ぐるみで水増し請求を当たり前のように続けていると、罪悪感も薄れていくのかもしれません。

 それに、「同じことをやっているのは自分達の会社だけではない」という思いもあったのではないでしょうか。バレなければいい、あるいは社会問題化しなければいいのだと…。

 社員の方は守秘義務があっていろいろ口外できないようですが、新風舎はDTPの制作も印刷・製本もかなり安い費用でやっていたようです。大半の本はほとんど売れないのですから、水増し請求をしなければ広告や出版説明会などの営業費、賞のための費用、会社の維持管理費などが捻出できないのです。著者の方たちが印刷会社との取引価格を知ったなら、恐らくびっくりというか、唖然とするのではないでしょうか。印刷屋さんもお得意さんの出版社には特別に安くすることもあるでしょう。

 もっとも、印刷費などは印刷方法などでかなり幅があります。本格的なオフセット印刷で質の高い本をつくり、しっかりした編集をしているのであれば、それ相応の費用がかかるのです。費用的には安くなくても、質の高い本づくりをしている会社もあります。

 こういうことは素人の方にはなかなかわからないのですね。ですから悪質な出版社の中には、本格的で立派な本をつくるといいながら、実際にはかなり安く仕上げている場合もあるのです。また、安さを売りにして、質的にあまりよくない本をつくったり、編集をほとんどしない場合もあるでしょう。

 素人がわからないことをいいことにボッタクリをしている会社は、いろいろあるのかも知れません。その反面、適正な価格で良心的な出版をしているところもあるはずです。

 自費出版や共同出版を謳う会社が溢れているなかで、良心的な出版社を探すのは大変なことなのです。名の知れた商業出版社の自費出版部門だからといって、必ずしも良心的だとか安心だとはいえません。著者の方たちは良い会社をじっくり探し、納得のいく本づくりをして欲しいと思います。良心的な会社は、決して作品を褒めちぎって販売を勧めたり、しつこく勧誘することはないでしょう。

2008年10月 6日 (月)

自然保護活動の今昔

 「もうダムは造らないで!」で紹介した以下のページを見ていて、「時代は変わったな…」と思ったことがあります。

http://www7b.biglobe.ne.jp/~yakkun/suigenren/manifesuto.htm

 団体の代表者に実に女性が多いのです。私は学生時代に自然保護団体の全国集会などに参加したことがありますが、その頃は代表者といえばほとんど男性でした。

 でもこの30年ほどの間に、状況がどんどん変わってきたのですね。登山者などでも女性がすごく多いですし、趣味でいろいろな活動をしている人にも女性が目立ちます。自然保護活動のような地道な市民運動も女性が積極的に関るようになりNGOの代表として活躍する人も増えたことに、時代の変化を感じます。

 もっとも、自然保護団体で中心的に動いている人たちはまだまだ男性が多く若者が少ないというのが全国的な傾向なのではないでしょうか。北海道の自然保護団体を見ていると、中心になっているのはいわゆる団塊の世代の人たちが多いのです。

 団塊の世代の人たちといえば、私が学生の頃に自然保護に関っていた人たちでもあります。あの頃は中高年の方たちもいましたが、20代や30代の若い人たちが積極的に自然保護運動に関っていたのです。

 つまり、今でも同じ世代の人たちが中心メンバーとして頑張っているのです。裏を返せば次世代の人たちが育っていないともいえます。「おやまあ…」ですね! 自然保護団体のメンバーの平均年齢は毎年一歳ずつ上がっていくのではないかと心配してしまうくらいです。

 でも、学生さんなどが入ってくることもあるのですよ。それも誰かに誘われたということではなく、自分で調べて問合せてくるのです。若い人たちでもやはり意識をもっている人は必ずいるものなのですね。自分の親より年上のような人たちの中に入ってきて活動してくれるのはとても嬉しいですし、会も明るくなります。平均年齢が一気に下がりますし(笑)。

 自然保護団体は、これからいかに若者に裾野を広げていくかが問われているといえるでしょう。

 環境問題に関心を寄せる若者は決して少ないとは思わないのですが、なかなか自然保護活動のような行動に結びつかないというのが日本の現状なのかもしれません。それ以前の問題として、多くの若者が貧困であえいでいますから、まず自分の生活を考えねばならず、それどころではないのかもしれません。

 この社会状況を改善しない限りダメなのでしょう。もっとも貧困をなくすためにも若者が意識をもって立ち上がらなければならないのですけれどね…。

2008年10月 4日 (土)

もうダムは造らないで!

 河川の生態系を破壊し、無駄な公共事業の代名詞ともいえるダム。これ以上、ダムはいりません。

 ということで衆院選に向けて脱ダムを公約に盛り込むよう、水源開発問題全国連絡会と賛同する全国の自然保護団体が、野党各党に要望書を提出しました。以下を参照してください。

http://www7b.biglobe.ne.jp/~yakkun/suigenren/manifesuto.htm

 全国の96団体が要請団体として名を連ねていますが、もっと時間をかけて広めたならさらに多くの団体が名を連ねたのではないかと思います。こういう意思表示が今こそ大切なのではないでしょうか。

 ダムといっても、大規模なダムだけが問題ではありません。ちょっと山に入るといたるところに砂防ダム、治山ダムなどがありますし、今もそのような小さなダムが人知れずに造られているのです。たとえ規模は小さくても、魚にとっては大きな障害物になり生息地を分断されてしまうのです。

 北海道のダムを紹介しているサイトがあります。

北海道の川が泣いている 

 このサイトを見ると、本当にどこもかしこもダムだらけで酷い状況であることがよくわかります。釣りの愛好家も嘆きたくなるでしょうね。

 過剰な伐採やそのための作業道で土砂を流出させておき、次に砂防ダムで川の生態系を破壊するのです。国立公園の中であっても、おかまいなしです。

 日本は森もボロボロになってしまいましたが、川もズタズタですね。この現状をもっと多くの人に知ってもらい考えて欲しいと思います。  

2008年10月 3日 (金)

呆れた橋下知事

 光市の母子殺害事件で、被告の少年の弁護団に対しテレビで懲戒請求を呼びかけた橋下徹大阪府知事に、広島地裁は賠償命令を出しましたね。当然の判決だと思います。

 私はテレビをほとんど見ないので、問題となった放送も見なかったのですが、タレント弁護士の発言がどれだけ影響力を持っているのか、橋下氏は自覚すべきでしょう。

 そもそも懲戒請求などというのは安易にやるべきことではないと思うのですが、テレビで一般の視聴者に対して呼びかけてしまうなどというなどというのはあまりにも軽率です。自分が弁護団の立場で、他の弁護士がテレビでそのような発言をしたらどうなるかという視点がまったく欠落しているとしか思えません。橋下弁護士の方こそ懲戒請求をされても不思議ではないくらいです。

 呆れたのは、橋下知事が弁護団に迷惑をかけたことを謝罪し、法律の解釈、表現の自由の考え方を間違えたと認めたにも関らず、三審制なので控訴するという姿勢です。謝罪の言葉は何なのかと疑いたくなります。弁護士という立場でありながら一審では出廷もしなかったそうですが、いったい彼は何が不服で控訴するのでしょう? 首をひねってしまいます。

 それと同時に疑問に思ったのは、橋下氏の言葉につられて懲戒請求した人の多さです。新聞報道によると各地の十弁護士会に少なくとも約8千3百件の懲戒請求が出されたとのことですが、この人たちは自分自身できちんと弁護団のことを調べ、本当に弁護団の活動が不適切だと判断しての行動だったのでしょうか?

 人気のあるタレント弁護士の発言につられてしまった人が大半なのではないでしょうか? 自分自身の判断はどうなのか、自分の安易な行動がどれほどの迷惑をかけたのか、考えてみたのでしょうか?

 テレビでバナナのダイエット法が紹介されたら店頭からバナナがなくなったそうですが、こうしたニュースを聞くにつけ、いかに多くの人がテレビの情報につられてしまうかがわかります。

 マスメディアの情報に引きずられて右往左往している日本人の、なんと情けなく恥ずかしいことか。

2008年10月 2日 (木)

なぜレジ袋だけなのか?

 道内の生協や大手スーパーでは、1日からレジ袋の有料化が始まりました。レジ袋については「レジ袋考」でも書きましたが、資源や環境問題のことを考えて使用を減らしていくべきです。

 それにしても、石油製品を減らすということであればなぜレジ袋ばかりが問題にされるのでしょうか? 石油製品ならレジ袋以外にもいろいろあるのに、レジ袋のことばかりが取り上げられるのは不思議だと思いませんか?

 例えば過剰包装。お菓子などの個包装が当たり前のようになってしまいましたが、ひと昔前には二重の包装などしていませんでした。それでもとりたてて問題はなかったのです。生鮮品に利用している発泡スチロールのトレーなども、どうしても必要だとは思えません。

 若い人たちはわからないかも知れませんが、40年ほど前は「プラゴミ」などというものはほとんどなかったと思います。それが、今は「燃やせるゴミ」より「プラゴミ」の方がはるかに多いような状況になってしまったのです。その大半は包装と容器です。

 ペットボトルも然り。ペットボトルが普及する前は、飲み物は水筒やポットに入れて持っていくのが当たり前でした。夏は冷たい麦茶、寒い季節は暖かい飲み物を入れていったものですし、私は今でもできる限りそのようにしています。

 登山のときもガスコンロを持参してお茶を沸かしたものですが、最近はそういう光景もほとんど見なくなってしまいましたね。大半の方がペットボトル飲料を持ってきます。

 発泡スチロールのトレーにしてもペットボトルにしても、回収してリサイクルすればいいという問題ではありません。化石燃料が有限であり環境問題と密接に関係している以上、石油製品の使用自体を減らしていかなければならないはずです。ところが、過剰包装やペットボトルを減らそうという動きがなく、レジ袋ばかりが問題にされるのです。

 レジ袋ばかりが槍玉に挙げられるのは、レジ袋の削減が消費者の努力に帰せられることだからではないでしょうか? 消費者がマイバックを持参すれば済むことですから、企業側の努力は必要ないのです。

 でも、包装をもっと簡易にしましょうという話になれば、商品を生産する企業の努力や販売する小売店の協力などが必要になってきます。それにペットボトルは買わないようにしましょう、などといったら飲料メーカーが反発するでしょう。そういえば、北欧ではペットボトル入りの飲料の種類がとても少なかったのですが、日本は多すぎますね。

 節電などもそうですが、この国では結局は消費者ばかりに環境対策が押し付けられ、企業側にはほとんど努力が求められていないのではないかと感じてしまうのです。

 国がもっと環境対策に本腰を入れることで、レジ袋よりはるかに効果的な石油製品の削減ができると思うのですが…。

2008年10月 1日 (水)

夕張岳とナキウサギ

Yuubaridake  昨日は夕張岳に登ってきました。写真の奥の山が夕張岳です。

 林道のゲートのことなど何も考えずに出かけたのですが、林道の入口に9月30日で林道のゲートを閉めると書いてあったのにはドッキリしました。最終日にギリギリセーフです。

 実は5月に足を捻挫してしまったために、今年は登山を控えていたのです。で、今年最初で最後の山ということで、ちょっとキツイかなとは思ったのですが夕張岳に登ることにしたのです。とにかく無理は禁物ですから、先日、スポーツ店に行って登山用の杖を買ってきました。ちょっと前までは、杖をついて登山などということは考えてもいなかったのですが、まったく情けないですね。

 平日ですし、ゲートの閉まる最終日ということもあってか、登山者は他には無し。誰にも合わない登山ほど最高のものはありません。雄大な山の景色を独占できるのですから。

 ということで登り始めは良かったのですが、標高1000メートルほどになると積雪がちらりほらりと…。標高1300mメートルほどの望岳台から先は登山道にも雪が積もっていて、雪の夕張岳登山になってしまいました。

 そういえば、大雪山では24日に初冠雪が確認されたのですが、この時に道内の山には一斉に雪が降ったようです。上の方は雪があることも予想はしていたのですが、尾根は風に飛ばされて雪はついていないのでは…とちょっと楽観していました。といっても雪の上に数人の踏み跡があったので、新雪を踏んでいくというわけではなく踏み後をたどっていきました。ズブズブ埋まる新雪状態だったら途中で引き返していたでしょう。

 凍った雪や濡れた岩は滑るので、どうしても慎重にならざるを得ません。特に、濡れた木道が滑るんです。何とか転ばずにすみましたが、ヒヤリとしたことも数回。いやはや、杖に助けられた登山でした。

 さて、夕張岳といえばナキウサギが生息していることで知られています。とりわけ夕張・芦別のエゾナキウサギは「絶滅の恐れのある地域個体群」として環境省のレッドデータブックに掲載されています。大雪山系から日高地方にかけての生息地からは離れていて、孤立した生息地なのです。

 夕張岳の一帯には岩峰が沢山あります。大夕張コースから夕張岳に登ると、前岳、男岩、ガマ岩、釣鐘岩など、岩峰を巻いていくのですが、岩峰から落下した岩が溜まっているところはナキウサギの生息地になります。また、夕張岳の山頂部にも岩が堆積しています。

 ただ、夕張岳の場合、岩のサイズがあまり大きくはありません。大雪山系の典型的な生息地のような大きな岩が堆積した岩塊地が少なく、岩の隙間が明瞭ではないのです。とりわけ新しく崩壊しているところは、岩のサイズが小さくてナキウサギの生息には不適です。

 ただし、すべての岩塊地で岩のサイズが小さいというわけでもなさそうです。岩の上に火山堆積物が積もっているところもあり、場所によっては岩と岩の空隙が火山灰で埋まってしまった可能性もあります。岩の堆積が厚いところでは、内部は比較的良好な生息地になっている可能性があります。たとえば新得町の低山にある生息地も岩の隙間が明瞭ではなく、外見ではあまり好適な生息地に見えないのです。

 岩の隙間を生息地にしているナキウサギにとって、夕張岳は好適な岩塊地はあまり多くないのかも知れませんが、岩塊の堆積状態がどの程度なのか、もっと綿密な調査が必要なようです。この山塊で生息しつづけてきたのですから、恐らくある程度の広さの生息可能地が点々とあるのでしょう。

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