« 2008年7月 | トップページ | 2008年9月 »

2008年8月

2008年8月30日 (土)

欺瞞に満ちた米国のバイオ燃料政策

 先日、野口義直氏の「米国バイオ燃料の政治経済学」(日本の科学者43巻1号、日本科学者会議発行)という大変興味深い論考を読みました。

 アメリカはしきりにバイオエタノールを推進していますね。私は、これまでアメリカがガソリンの代わりとなる燃料としてバイオエタノールを推進しているのだとばかり思っていたのですが、これを読んで目からウロコ・・・でした。

 著者の野口氏によると、ブラジルではバイオエタノールをガソリンの代替燃料として消費しているそうですが、アメリカではバイオエタノールそのものを燃料にしているのではなく、ガソリンの添加物として使用しているというのです。

 自動車燃料として使われるガソリンは、原油を精製したガソリンにオクタン価向上剤というものを加えて製造されるそうです。

 オクタン価というのは、ガソリンのアンチノッキング性能を示す数値で、この値が高いほど性能が良いそうです。ところが、かつてオクタン価向上剤として使用されていた四エチル鉛は人体に有害であることがわかり、使用が規制されました。

 その代わりに登場したのがエタノールとMTBEというオクタン価向上剤です。そして石油業界はMTBEを選択しました。ところが、MTBEによる地下汚染が発覚し、MTBE禁止の動きが広まったのです。こうして石油精製企業はエタノールをガソリン添加物として使用せざるを得なくなったというわけです。

 つまり、アメリカではバイオエタノールは化石燃料の代替エネルギーとして使われているのではなく、ガソリンの添加物にすぎません。そしてエタノールはガソリンの大量消費をつづけるために不可欠なのです。アメリカがバイオエタノールの推進を叫ぶのは、ガソリンの生産・供給を維持してガソリンを使い続けるためともいえます。

 これでは地球温暖化防止どころか、温暖化を推進させることになります。アメリカが二酸化炭素の削減に積極的に取り組もうとせず、バイオ燃料の推進ばかりにこだわる陰に、こんな事情があるのです。

 ところで、アメリカのバイオエタノール産業は、穀物メジャーのADM社とカーギル社に支えられています。また、原料となる作物には遺伝子組み換え作物が利用されるという仕組みがあります。遺伝子組み換え作物といえば、悪名高いモンサント社がありますね。

 温暖化対策の名の下に大量の遺伝子組み換え作物をつくり、特定の穀物メジャーが、本来人間の食料とすべき穀物をガソリンの添加物にしているということです。ここから見えてくるのは、食料危機を加速させ、温暖化を促進させる恐るべき悪循環です。

 アメリカは世界の4割のガソリンを消費しているといいます。欺瞞に満ちたバイオ燃料政策に、騙されてはなりません。

2008年8月29日 (金)

温泉と昆虫

Oosiokaratonbo  写真はオオシオカラトンボです。北海道ではシオカラトンボはどこでもよく見かけますが、オオシオカラトンボは少ないようですね。

 「蝦夷の蜻蛉」(広瀬良宏・伊藤 智著、自費出版)によると、「道東では温泉地に限られる傾向がある」とのこと。確かに、オオシオカラトンボが見られるのは、温泉の排水が流れ込んでいる水溜りなどのようです。ヤゴの生育には一定以上の水温が必要なのかも知れません。

 屈斜路湖の和琴半島にはミンミンゼミが隔離分布していて、北限の生息地として知られています。ミンミンゼミは温暖な時代に北海道に広く分布していたものの、その後の寒冷化にともなって姿を消していき、地温の高い和琴半島に生残ったといわれています。この一帯は火山地帯で温泉があり、地温が高いのです。

 クモにも、もしかしたら温泉と関係があるのではないかと思われる種がいます。ヒノマルコモリグモというクモです。札幌の近くにある野幌森林公園で記録されているのですが、全道的に記録があるわけではありません。野幌森林公園以外では、2箇所だけですが道東の山地で記録されていて、その両方が温泉地です。

 コモリグモは地上を歩き回っている徘徊性のクモです。越冬もおそらく地中でしょう。寒冷な地域では分布と地温が関係している可能性がなきにしもあらずです。

 ところが、同じコモリグモでも高山性といわれるタカネコモリグモは、地温が高くて標高の低い硫黄山(アトサヌプリ)にも生息しているのです。こちらは地温との関係ではなく、他のクモが入り込めないような厳しい環境条件がこのクモの生息と関っているのではないかと考えられます。

 そういえば、温泉地にはヘビが多いなんていいますね。最近はヘビもあまり見かけない気がしますが・・・。

2008年8月27日 (水)

著者だけの責任?

 文芸社の商法に疑問を抱いている方は沢山います。たとえば以下のような質問。

持ち込み原稿を無料出版するという文芸社は実際は詐欺まがいですか?

 この質問に回答しているsoupdoggさんという方の意見は、著者が勘違い(錯誤)するのが悪いのだとし、錯誤させている側の行為は正当化しているようです。そして事業者名を出して「詐欺まがい」などとは言うな、と脅しているかのように感じます。

 「魑魅魍魎の共同出版批判者」でも言及した柴田晴廣氏も、著作権法を理解して契約しない著者に責任があるという意見のようですから、著者にばかり責任を押しつけるという点では、この方と共通していますね。

 でも、錯誤させるというのは要するに騙すということです。そして民法では他人を錯誤に陥れることを詐欺といい、重要な部分で錯誤があったなら無効を主張できるのです。ただし、騙された側が著しく注意を怠っていた場合は無効を主張できません。

 著作権法を理解していないことが著しく注意を怠っていたなどということにはならないはずです。ごく常識的なことなら兎も角、一般の人は著作権法など詳しく理解していないのが普通ですから。

 soupdoggさんは「校正費用にべらぼうな金額がかかるとか、製本後の書籍の在庫管理費が法外に高いとかかも知れません」と、質問者が聞いてもいない具体的なことを持ち出していますが、ずいぶん詳しいようですね。費用が法外に高いこと自体は詐欺とはいえないでしょうけれど、悪質ではないでしょうか。お年寄りなどに法外な値段の布団を販売する商法なども、悪質商法ですから。

 「騙される著者が悪い」といわんばかりの意見というのは、いかにも業者が主張しそうです。soupdoggさんの回答も、なんだか業者の代弁者のように感じてしまいました。

 ご存知の方も多いと思いますが、文芸社についてはこんな掲示板もあります。ここにも著者の責任ばかり主張される方がいるようです。

http://sakka.org/opinion/thread/index.cgi?mode=view&no=515

 でも「騙されるのが悪い」では、安心して日常生活も送れませんよね。

この記事へのコメント 「com080827.doc」をダウンロード

2008年8月25日 (月)

魑魅魍魎の共同出版批判者

どうも共同出版問題では、批判的な人たちの中にも不可解な人がいますね。

 「アホらしい主張」に柴田晴廣氏がコメントを入れてきましたが、柴田氏も不可解な態度をとられる方だとつくづく感じました。柴田氏のはじめてのコメントは、228日の「本を売るということ」という記事です。柴田氏は、「はじめまして いわゆる共同出版についての問題点、ネット上ではじめて正鵠を得た見解を目にしました。それとともに、外部から眺めていて新風舎問題を扱う団体などの不可解な行動の疑問も解けました」との挨拶で、私のブログにコメントを入れるようになりました。

 まず「正鵠を得た見解」といって私の見解について持ち上げています。また「新風舎問題を扱う団体などの不可解な行動の疑問」といっていますが、この団体は「新風舎商法を考える会」を指すものと思われますから、尾崎浩一氏の深く関る「考える会」の行動が不可解だということでしょう。

 柴田氏は、その後もいくつかの記事にコメントしてきました。たとえば次のような記事です。

「呆れ果てるマスコミ」

 このコメントで柴田氏は共同出版の契約書は請負契約ではない、また著者は消費者ではないとして、私の意見に賛同していますが、実費費用ではない請求金額については「『請求金額が原価より高額であっても疑問をも』っていないなっとくしているわけですから、契約上もなんの問題もありません」(原文ママ)としています。

 そして、「著者が支払っている費用というのは、出版社の商品としての本をつくることが前提ですから、出版社は著者に原価費用を請求するべきです。また、費用の分担を謳っているのですから、著者からではなく本を販売することで利益を得るべきです」という私の見解に対しては答えず、「この費用の負担額については著者は不満があるわけではないということですね」として片付けてしまっているのです。私の見解に「正鵠を得た」といっておきながら、まったく理解していないとしか思えない発言です。

 共同出版や「新風舎商法を考える会」にあたかも問題があるかのような発言をしながらも、柴田氏の見解は出版社やマスコミはそれほど責任がなく、「著者に責任がある」ということになってしまうのです。

 そして「アホらしい主張」のコメントでは、抽象的・誘導的ともいえる質問をして私を小バカにするかのような発言をしました。私は自分の体験した契約の経緯を示し、過去の記事では騙されたことについても言及しているのに、文芸社の行為については質問しても無視のようです。あれだけ頻繁にコメントしておきながら、無責任としかいいようがありません。柴田氏に対する信頼感は完全に吹き飛びました。

 「アホらしい主張」のコメントで、α氏は柴田氏が文芸社の関係者ではないかと疑われています。私は柴田氏が文芸社の関係者であるという証拠は得ておりませんので、それについては何ともいえません。しかし、柴田氏のコメントや質問に回答しない態度は、文芸社の行為を容認しているも同然です。また「オーマイニュースの衣替え?」で、柴田氏がα氏の質問を無視し、話題を逸らしている態度も釈然としませんね。

 これでは、α氏から疑惑を持たれても仕方ないでしょう。α氏はこのブログのコメント書き込み中にウイルスの警告が出たことも指摘していますが、もしα氏の推測が当っているのなら、α氏が誰なのか何としてでも知りたいと思う人がいるのも頷けます。

 ついでにいうなら、持ち上げたり賛意を示してオーナーを信頼させ情報を引き出そうとする、次第に話題をずらしたり難解な話題を持ち出してオーナーを疲弊させるというやり方は、批判者つぶしの常套手段です。

 リタイアメント情報センターの尾崎浩一氏といい、柴田晴廣氏といい、共同出版に疑問を呈する方の中には理解しがたい人物がいます。私にとっては、新風舎の倒産時に著者を勧誘した高石左京氏よりよほど不可解な存在です。

この記事へのコメント 「com080825.doc」をダウンロード

2008年8月24日 (日)

シロタマヒメグモの色彩変異

Sirotamasanhitu  庭先のカツラの葉が、袋状になっていました。そっと開いてみるとシロタマヒメグモEnoplognatha margarita Yaginuma 1964が卵のうを守っていました。葉を糸でかがって産室をつくっているのです。クモでは、こんな風に卵のうを保護する光景がしばしば見られます。

Sirotamahimegumo  シロタマヒメグモは北海道では平地から山地まで広く分布していますが、本州ではちょっと標高の高いところに行かないと見られないようです。クリーム色の腹部に黒っぽい葉状斑がありますが、シロタマという名はこの白っぽい腹部に因むのでしょう。

 今から7年前の8月中旬に、サハリンに行ったときのことです。私は少しでも時間があるとすぐにクモ探しをしてしまうのですが、泊っていたホテルの生垣で真っ先に目に付いたのがこれと同じクモの産室でした。開いてみると、やはりヒメグモが入っていました。腹部は黄色の地に2本の褐色のストライプがくっきりと入っています。はじめて見る美しいヒメグモに、やはり海を隔てていると生息しているクモも北海道と違うのだなあと心が躍りました。

 ところがです。いくつか産室を覗いているうちに、このクモは非常に色彩に変異があることに気付きました。中には北海道のシロタマヒメグモとそっくりな色彩のものがいるのです。

 あれれっ??? なんだかキツネにつままれたような気分でしたが、とりあえず何頭かを標本にして持ち帰りました。産室の中にいるのは雌だけですが、幸い雄も1頭だけ採集できました。

 さて、帰国してからさっそく実体顕微鏡で生殖器を調べたのは言うまでもありません。もしや初めて見る種かとひそかに期待したのですが、生殖器は雄も雌も北海道のシロタマヒメグモと同じでした。日本ではクリーム色のタイプしか見られないのに、サハリンでは別種かと思うほど色彩の異なるタイプがいるのですね。宗谷海峡を隔てただけで、同じ種なのにこんなに色が違ってしまうことにとても驚かされました。

 しかし、サハリンの褐色のストライプの入ったタイプ、どこかで見たような気がしてなりません。そこでヨーロッパの図鑑を当ってみました。するとどうでしょう、とてもよく似たクモがいるではありませんか! Enoplognatha ovata (Clerck 1757) です。そして、こちらはクリーム色に赤いストライプが2本あるタイプ、中央に太い赤いストライプが1本あるタイプ、ストライプがなく全体的に白っぽいタイプがいるのです。この種も色彩変異が大きいのですね。

 もしや、サハリンの種はシロタマではなくこちらでは・・・。もう一度、顕微鏡で確認です。近縁種ですから、生殖器も似ているのですが、やはりサハリンのものはシロタマの方に一致します。サハリンのクモのリストを確認しましたが、やはりシロタマが記録されています。一件落着です。

 ところで、韓国の図鑑にはE. margarita とE. ovataの2種が出ているのです。しかもE. ovata はサハリンのストライプのものとそっくりの色彩をしています。E. ovataは全北区に広く分布しますが、E. margarita は日本やサハリンなど東アジアだけに分布する種です。そして、海を隔てたお隣の韓国には両方とも分布しているんですね・・・。クモの分布や色彩変異って面白いとつくづく思ってしまいます。

2008年8月22日 (金)

今年は害虫の当たり年?

Kanbanohamusi  家の近くのシラカンバの葉の一部が茶色くなってきました。近づいて見てみると、ハムシの幼虫が葉を食べていました。もう8月も下旬ですから、幼虫の発生時期にしてはずいぶん遅いように思います。ケヤマハンノキもだいぶ食害されているものがあり、なんだか元気がありません。

YatidamoyoubokuGanoyouchuu   こちらはヤチダモの幼木ですが、ずいぶん虫に葉を食べられています。緑色の幼虫がいます。どうやらガの幼虫が食べたようです。

Nonnemaimai  これは、今年家のまわりでよく見かけるノンネマイマイというガで、マイマイガと同じドクガ科です。マイマイガのような大発生はしないようですが、幼虫はトドマツ・エゾマツなどの針葉樹からミズナラやシラカンバなどまでいろいろな樹木の葉を食べるようです。

 家のまわりの木々を見ると、どうも例年より虫に食べられている木が多い気がしてきました。こんな風に食葉性昆虫が目立つのが単なる偶然であればいいのですが、異常気象が騒がれる昨今、ちょっと気になってしまいました。

溢れる新刊本と悪のサイクル

 出版年間(出版ニュース社)によると、2006年の新刊点数は8万618点で、過去最高とのこと。これを365で割って1日あたりの出版点数を出すと、約220点にもなります。相変わらず、呆れるばかりの点数ではありませんか! 朝日新聞(2006年12月24日付け)によると、昨年1月から10月の書籍の返品率は、金額ベースで37パーセントだそうです。

 出版不況といわれて久しい中で、出版点数の増加だけは止まらず、溢れるように本が生み出され、その多くが書店にもほとんど並ばずに返品されて断裁処分になっているのです。これほどの資源の無駄遣いが行われていても、なぜか実態はなかなか報道されません。

 大型書店の出店によって小規模書店が廃業に追いやられ、倒産する小規模出版社も後を絶ちません。本の売上がそれほど増えない中で、出版点数だけが異様に増加し、自転車操業に陥っている出版業界は、悪のサイクルにはまった化け物のようにさえ感じられます。それに拍車をかけているのが、アマチュアの著者を対象に流通する有料の出版形態を推奨している出版社の存在でしょう。

 昨年の新刊点数は、1位 新風舎2788点(385点)、2位 講談社2013点、3位 文芸社 1468点(327点)、4位 学研1106点、5位 小学館937点とのことです。主として有料でアマチュアの本を出している新風舎と文芸社が1位と3位を占めていることからも、いかに無名の著者の本が氾濫しているかが伺われます。

 ところで、この出版点数は「『出版年鑑』の書籍目録に収録されたもの」とのことですが、新風舎と文芸社の場合は、括弧内の点数が書籍目録に収録された点数とのことです。ということは、この2社の場合は「書籍目録に収録されていない書籍」が非常に多いということになります。

 では、その「書籍目録に収録されていない書籍」というのはどういうことなのでしょうか? Shuppan NEWS blog によると「データセンターに登録時に定価なしの商品(定価が無いものは流通しない)であったり、小部数出版として扱われ、流通分としては販売用のみのデータ登録しかなされていないのでこのような違いが出ているのであろうということです」との説明があります。

 おそらく新風舎や文芸社の場合、小部数の本が非常に多いということでしょう。これらの出版社の場合、出版点数は多くても、一点あたりの部数は他社とは比べ物にならないくらい少ないのです。

 新風舎や文芸社がメインとしている出版形態は、商業出版の契約書をベースにし、著者が費用の一部を負担するというものですから、出版社の顧客は本を買う読者であるべきです。しかし、少ない部数の本を多産している実態からは、販売に値する優れた作品を選んで質の高い本づくりをし、売って利益を得るという姿勢が欠落し、著者から利益を得ていることが見て取れます。

 それにしても、出版ニュース社やメディアは、新風舎や文芸社を「自費出版系」と呼ぶのはなぜでしょうか? 両社の大半の本は、「著者も費用の一部を負担する条件での商業出版形態の契約」をしたもので、普通の自費出版とは区別しています。このような出版形態は、何も新風舎や文芸社などの共同出版社だけではなく、多くの商業出版社が行っているのです。それらの本は「自費出版」ではないのでしょうか? 「商業出版系」と「自費出版系」を、どのような基準で分けているのでしょうか?

 さて、悪のサイクルを断ち切るために、新刊の氾濫を食い止めて返本を減らし、本の寿命を長くしていくことが、今、出版業界に最も求められていることではないでしょうか。そのためには、まず大手の版元が率先して新刊点数を減らすべきでしょう。それと同時に、「ほとんど売れない」ことを承知のうえで、安易に書店販売を謳って著者を募り、アマチュアの本を乱造することで利益を得ている一部の出版社のあり方も問われます。

2008年8月21日 (木)

帰化植物と法面

Aragehanngonnsou  この写真は大雪山国立公園の中の国道の法面です。一面に咲いている黄色い花はアラゲハンゴンソウ。見事な光景に、旅行者などが車をとめて写真を撮っていることもあります。でも「きれい」だといって感心していてはいけません。別名キヌガサギクといい、北米原産の帰化植物なのです。

 ここでは以前は法面に部分的に生えていただけでしたが、今はこのように法面上部にまで広がり、さらに道路に沿って広がっています。多年草であり種子でも増えるので、一度侵入すると広がる一方なのです。

 アラゲハンゴンソウだけでなく、ルピナスやフランスギク、ビロードモウズイカ、オオアワダチソウなどなど、法面は帰化植物のオンパレード。国立公園の中でありながら、こんなふうに外来種が繁茂しどんどん広がっていくのは生物多様性の保全の面からも問題です。

 また、法面に張られた牧草は、エゾシカの餌となるため道路ぶちにエゾシカが集まってきて、交通事故にもつながります。このあたりの法面、春先にはエゾシカがずいぶん集まってきます。

 では、どうすればいいのでしょうか? 引き抜いたり、刈ったりするのも一つの方法ですが、急斜面での作業は危険で大変です。

 ところで写真を見ると法面に木が生えています。これはケヤマハンノキなのですが、周囲から種が飛んできて自然に生えたものです。ササが生い茂っていないような法面では、こんな風に自然に木が生えてくるものです。そして、このケヤマハンノキの影になるようなところではアラゲハンゴンソウはあまり生えていません。

 法面を牧草ではなく樹木で緑化したなら、外来種の繁茂も防げそうです。ただし、大きくなる木は枝が道路に張り出してくるので刈り込みをしなければなりませんし、強風などで倒れると処理が大変です。法面には大木になるような木は向かないのです。

 自生種の中からあまり大きくならないような樹種を選んで緑化に利用することで、外来種の繁茂を防ぎ、景観的にも優れた緑化ができるのではないでしょうか。このあたりであればケヤマハンノキほど大きくならないミヤマハンノキあたりが適しているのかもしれません。

 種子の散布などで少しだけ人が関り、あとは自然にまかせることで外来種の繁茂を抑えることができたら一石二鳥ではないでしょうか。

2008年8月20日 (水)

オーマイニュースの衣替え?

 My News Japan によると、2006年に発足した市民メディアであるオーマイニュースが経営的にうまくいかず、5月には社員全員に解雇通告がされていたそうです。9月からは「Oh!mylife」として再スタートするとのこと。

 発足した当時は随分注目されていましたので、たった2年で経営的になり行かなくなったとはちょっとお粗末というか情けないですね。

 驚いたのが、大企業、大マスコミ体質だったということ。編集長の年俸が数千万円だったというのでは、経営的に行きづまるのも納得できます。

 日本と韓国ではネット環境や人々の意識が大きく異なるのですから、同じやり方で企業として収益を上げるのはやはり無理があったのではないかと思います。私はJANJANの市民記者登録をしていますが、JANJANは富士ソフトによる資金提供で経営しているのであり、日本ではインターネットによる市民メディアが自力で経営を続けていくことは厳しいのでしょう。

 市民メディアの意味というのは、何なのでしょうか? 市民がボランティアでも記事を書くのはどうしてでしょうか?

 新聞や雑誌の報道はプロのジャーナリスト、ライターからの発信が中心です。市民が発信したい情報があっても、簡単には報道されません。たとえば自然保護の問題にしても、マスコミに情報提供したところでなかなか取り上げてもらえないものです。そんな経験は何度もしています。市民にとっては大マスコミに記事にしてもらうことは大きな壁があるのです。その壁を取り払ったのがインターネットを利用した市民メディアなのだと思います。私が市民メディアに一番の魅力を感じたのはその点です。

 オーマイニュースの場合は、一本あたり300円の原稿料が支払われるとのことですが、正直なところ私は原稿料にはほとんど関心がありません。市民の活動や発言に権力が介入する傾向が強まる社会情勢の中では、市民が物言える社会を形成していくことこそ必要です。そのために市民メディアは大きな意味を持っているといえるでしょう。出資会社である富士ソフトの以外の企業広告を出さないJANJANは、一般のマスメディアが書かない問題も取り上げるという点で、評価できると思います。

 ホームページやブログの普及によって、誰もが自由に情報を発信できる時代になりましたが、それでもブログの大半はどこの誰が書いているのかも分かりません。閲覧数も限られてしまいます。さまざまな課題はあると思いますが、市民が自ら情報発信でき、無料で閲覧できる市民メディアの存在は、無視できません。

 市民メディアについては、所詮、素人が書いている記事だとか、信憑性に問題があるなどとして軽くみられる傾向がありますが、現場や地域に密着した「知りたい情報」が掲載されていることも少なくありません。

 また、インターネットの特質として記事がいつでも見られるということがあります。新聞や雑誌などは新しい情報のみが流れ、過去の記事は忘れさられてしまいますし、無料で読める記事は限られます。ネットを利用した市民メディアの場合、検索によって過去記事をいつでも手軽に無料で閲覧することができます。

 一番の問題といえば、市民の意識、書き手の少なさでしょうか。周りに同調し自分の意見を主張したがらない日本人が意識を変えていかない限り、市民メディアの発展は難しいのかもしれません。

2008年8月19日 (火)

八木健三さんと自然保護運動

 1ヵ月ほど前のことになりますが、7月18日に北海道の自然保護運動に大きな足跡を残した八木健三先生が亡くなられました。93歳とのこと。

 私が八木先生と直接行動を共にしたのは、士幌高原道路の反対運動のときでした。当時は建設予定地で何度も調査や観察会が行われましたが、八木先生はいつもご専門の地質調査用のハンマーを片手に、大きな声で地質の解説をしてくださったことを鮮明に思い出します。当時もご高齢でしたが、足腰がとてもしっかりしていて登山も何のそのというお元気さでした。

 そして、「ナキウサギ裁判」のときには原告団長として闘われたのです。ナキウサギのぬいぐるみを片手に法廷に入られ、「ウサギではなくヤギです」とおっしゃっていたのが今でも忘れられません。

 そのナキウサギ裁判の思いが心に強く残っていたのでしょう。「えりもの森裁判」のはじめての口頭弁論のときは、ご高齢にもかかわらずお一人で裁判所まで傍聴に来てくださり、記者会見でもしっかりと発言してくださったのです。そんな行動力、そして裁判を支援してくださる熱い気持ちに私たち原告はたいへん勇気づけられたものです。

 また、大変勤勉な方で、病に倒れる前まで日本科学者会議の学習会にも参加されていたそうです。若々しい精神を持ち続けられたからこそ、90歳を越えてもなお向学心が旺盛だったのでしょう。

 私は、知床の伐採問題で揺れていた頃はほとんど自然保護運動に関っていなかったのですが、八木先生は知床の伐採問題でも大きな役割を果たされたと聞いています。千歳川法水路問題でも然り。北海道自然保護協会が最も精力的、というより果敢に自然保護に取り組んでいたのも八木先生が会長の時代だったように感じられます。とても情熱的な方でした。

 あとを継ぐ私たちは、この素晴らしい大先輩を手本としたいものです。ご冥福をお祈りいたします。

2008年8月17日 (日)

アホらしい主張

 私は共同出版についての発言で、「文芸社と契約した」と書いているのですが、この発言について、文芸社は「松田は契約当事者ではない」と主張しているようです。あまりにもアホらしい主張に呆れてしまいます。文芸社はこのブログを閲覧していると思いますので、私の契約から解約までの経緯についてここで説明しておきましょう。

 まず、私が文芸社に送った原稿は父の遺稿です。父の遺稿集を出版するために文芸社に原稿を送ったということです。原稿の送付から見積もりの依頼、契約、メールによる協議、解約まですべてにわたって私が文芸社と対応しました。

 契約書を記入する段階になって、私は契約者名が私自身でいいのかという迷いが生じました。なぜなら、出版契約の場合、契約者は著作権者になるのです。印税も著作権者に支払われます。この本の場合、父はすでに亡くなっていますから著作権者は遺族です。そこで、契約者名を私にすべきか著者の配偶者である母にすべきか、契約担当者に相談したのです。すると、契約担当者は母のほうが良いとの返事でした。そして私のほうで契約書に母の名を書いて送付するようにということだったのです。契約書の返信用封筒は「速達」になっていて契約を急がされていましたので、私が母の名義で契約書に記入して文芸社に返送しました。

 契約の名義を母にしたのは文芸社からの指示だったのです。私は北海道在住ですが母は東京在住であり、直接的には契約に関っていません。

 このような経緯ですから実質的には私が契約したと同然であり、そのように書いているわけです。文芸社との契約の経緯を書くときに、そんな私的なことまで書く必要がどこにあるのでしょうか?

 文芸社は、原稿の送付から契約、メールでの協議、解約まですべて私が対応していたことや契約書の名義を母にしたことも、担当者に聞けばわかることです。メールで行った協議内容をきちんと読んでいないのでしょうか? 「松田は契約当事者ではない」などということは共同出版問題の本質とは全く関係のないことですし、そんなことをいちいち問題にするとは信じがたいことです。

 ついでに以下の疑問も指摘しておきましょう。

 私が契約について返事をしないでいると、文芸社の担当者は830日(2001年)になって「松田様の作品は8月の協力出版枠に選定された作品でございますので、8月中には出版契約を締結したいのです」として8月中に仮契約をし、9月に本契約をするようメールで提案してきました。理由は以下の通りです。

 「なぜ急ぐかと申しますと、毎月の刊行点数を確保しなければならないからです。また、書店と提携して作品を選定しておりますので(審査委員の中には書店長も含まれております)、弊社が勝手に刊行作品や刊行点数を変更する事ができないのです。ご理解いただけますでしょうか。仮契約を締結することにより、取次・書店に対して本作品は出版する旨を示すことができ、刊行の際に優先的に陳列されるメリットがございます」

 私は9月初めまで旅行で留守にしていたために8月末という期限には間に合いませんでしたが、それでも契約書を速達で送ってきて、契約期限を指定して契約を急がせたのです。

 ところが契約した後はしばらく連絡が途絶え、だいぶたって編集者から連絡を受けた時には、発行が約束の期日に間に合うかどうかギリギリの状況でした。あれほど契約を急がせておきながら、こんな状況で「刊行の際に優先的に陳列」とは、驚き呆れてしまいました。

 なお、私の契約から解約までの詳細と、この商法の問題点については以下を参照してください。

共同出版って商業出版?それとも自費出版?

出版社と対決へ

出版社との協議は疑問の連続

出版契約の解約成功

契約は商業出版、実態は自費出版!

文芸社に騙された

この記事へのコメント 「com080817.doc」をダウンロード

2008年8月16日 (土)

虫の大発生をもたらすもの

 「虫に食べられる樹木」の続きです。

 今年はマイマイガが大発生したのですが、被害が出ているところはほとんどが里山のようです。大雪山国立公園の中などは、一本の木の葉がすべて食べつくされてしまうような食害はほとんど見られません。天然林の場合、いろいろな樹種の木が混生しているために食害が集中することが少ないのです。

 里山には広大なカラマツの人工林があります。広葉樹の二次林も多いですね。そのような森林ではマイマイガの餌となる樹木がまとまってあるので、虫が大発生しやすいのです。さらに、生物多様性の豊かな天然林では野鳥などの捕食者や寄生生物などの天敵が多いために、大発生が抑えられる傾向がありますが、多様性に乏しい人工林などでは天敵が少ないことも多いのです。

 畑の害虫もそうですが、単一の植物を広大な面積に植えるというのは害虫の大発生を呼び寄せているともいえます。

 葉を食べる害虫に対し、キクイムシなどのように枯れた木や衰弱した木を食べる虫は、台風などで風倒木が発生するとそれに合わせて大発生します。といっても、これも普通は一時的なもので、自然に収束していくのです。森林での虫の大発生は、生態系の一つの側面に過ぎません。「中村太士氏の『天然林の伐採』の問題点」にも書きましたが、害虫は駆除しなければならないと決め付けるのではなく、もっと広い視野で見るべきでしょう。

 先の記事でも紹介した山口博昭氏は「森林昆虫の生活史」(創文)の中でこんなふうに書いています。

 「このように多くの森にすむ昆虫たちが、森とあい争う、すなわちすみ場である森を破壊するような愚かしいことをすることはもともとなかった。風害後に大発生するキクイムシ類のように、時に一見森の破壊者のように振る舞うことはあっても、それは倒木や風に傷められた衰弱木をいち早く分解し、新しい森林の更新、成立を早めるための自然の営みともみられ、むしろ森林の遷移、発展にとっても好ましい現象ともいえたのである。それがまるで憎しみあった敵同士のようにとめどもなくあい争うようになったその影に、著者は人間の姿を見るのである。森に人の営為が入ったとき、森と虫との壮絶な闘いが、さらには人と虫との血みどろの闘いが繰り広げられるようになる」

 マイマイガが大発生して商店街などでは大騒ぎしているようですが、大発生を助長しているのは人間であることを私たちは認識しなければならないでしょう。害虫が大発生したと騒いで殺虫剤をばら撒くことは、人間の驕りでしかありません。

2008年8月14日 (木)

虫に食べられる樹木

 先月のはじめに三笠市を通ったとき、山肌のシラカンバの葉がほとんどなくなって枯れ木のようになっているのに気付きました。今年はマイマイガが大発生しているようですので、マイマイガの幼虫に食べられたのでしょう。

 マイマイガの幼虫は食性が広く、カンバのほかにカラマツやハルニレ、ミズナラ、ハンノキ、ヤナギなどいろいろな植物を食べます。10年ほどの周期で大発生するといわれていますが、今年はどうやら大発生の年に当ったようです。

Dakekannbasyokugai  先週、朱鞠内湖に行ったときには、写真にようにダケカンバの葉が虫の食害にあっていました。もう虫の姿はありませんでしたので、食べた虫が何かはちょっと分かりません。

Hannokisyokugai  こちらはケヤマハンノキですが、虫の食害のために枯れ木のように見えます。今年はこんなケヤマハンノキがあちこちで見られます。

Hannnokinoha  落ちている葉っぱはこんな感じ。葉脈など硬いところは食べないので、葉は茶色に枯れています。虫の姿はもうありませんが、食害したのはハンノキハムシでしょうか?

 普段は木の葉が虫に食べられていてもあまり気付かないものですが、大発生すると一本の木の葉のほとんどが食べつくされてしまうことがあります。こんなに食べられてしまったら木が枯れてしまうのではないかと心配になりますが、普通は枯れてしまうことはありません。

 山口博昭氏の「森林昆虫の生活史」(創文)によると、常緑針葉樹では全ての葉の70パーセントが、カラマツや落葉性広葉樹では100パーセントが食害で失われても枯死はしないそうです。また、失葉率が30パーセント以下なら、生長にもほとんど影響がないとのこと。

 樹木にとっては葉を食べる虫がいるのは当たり前で、少し食べられるくらいなら全く問題がないのです。ときとして虫が大発生してすべての葉が食べられても、生存には支障のないようになっているのですね。こうして森林の生態系が保たれているのです。

 虫が大発生して植物の葉を食い荒らすと人間は害虫が大発生したといって大騒ぎをしますが、アメリカシロヒトリのような外来種を除けば、虫はもともと生態系の一員なのです。それがひとたび人間に被害を与えたら「害虫」として扱われ駆除の対象になってしまうのです。雑草などもそうですね。なんとも勝手なものです。

2008年8月13日 (水)

レジ袋考

 石油製品を減らすために、レジ袋を減らそうとの動きが盛んですね。

 そもそも買った商品を袋にいれるサービスというのは、スーパーマーケットができてからのことだったと思います。それまでは「買い物籠」をもって買い物に行くのが当たり前でした。今でいうマイバックですね。私の子ども時代、母親はみな「買い物籠」というマイバックをもって買い物に出かけたのです。八百屋さんに行くと、野菜などは新聞紙でつくった袋に入れてくれましたね。お肉も計り売りでした。あの頃は家庭から出るゴミの量もすごく少なかったですね。

 スーパーでも、初めのうちは紙袋に商品を入れてくれましたっけ。それが今のような持ち手のついたレジ袋に変わってきたのです。いつ頃からだったでしょうか・・・。私たちはいつの間にかそんなサービスにすっかり慣れてしまい、入れ物をもっていくという習慣を失ってしまいました。

 過剰包装もその時代あたりからだったのではないでしょうか。スーパーで用意しているロール式のポリ袋は不要だと思うのですが、あれを余分に持っていく人がいるのですね。そういう光景を目撃してしまうと、なんだかあさましいなあと他人事ながら恥ずかしくなってきます。

 レジ袋も、ゴミ袋にするなど用途はありますが、全部は使い切れないものです。最近はゴミの分別収集や有料化で、レジ袋の用途も減ってきましたし。

 レジ袋を減らしても温暖化対策には効果がないと主張する方もいるようですが、私はそういう問題ではないと思うのです。一人ひとりが不要なものは使わない、もらわないという意識をもち、無駄をはぶいて循環型の社会をつくっていくことが求められているのです。何しろ、日本という国はすぐにゴミになるような商品が溢れているのですから。

 でも、マイバックを利用する人が増えたら万引きが増えたとか・・・。これには驚きです。日本人っていつからこんなにマナーが悪くなってしまったのでしょうか。温暖化対策だとか循環型社会だとかいう以前の問題だと思うのですが。

2008年8月12日 (火)

日本文学館と文芸社は安心・安全なのか?

 昨年、NPO法人リタイアメント情報センターの自費出版部会が「消費者保護のための自費出版営業・契約ガイドライン」を作成して賛同する事業者を募っていましたが、最近になってそのガイドライン賛同者に日本文学館と文芸社が加わりました。

 日本文学館はオムニバス本を多く手がけているようですが、これも基本的には共同出版といえるでしょう。リタイアメント情報センターは「新風舎の共同出版は多くの問題があったが、文芸社や日本文学館の共同出版は安心・安全」といっているようなものです。共同出版問題というのは新風舎だけのことだったとでもいうのでしょうか? 自費出版業者の方たちがかねてから「著者にあるべき」と主張してきた本の所有権にしても、クリアされていないのです。ここまでやると、さすがに開いた口がふさがりません。

 このガイドラインでは、「自費出版事業を行う出版社が、自費出版作品を書店で流通させることを付加価値サービスの一つとして消費者と契約する場合・・・」としています。しかし文芸社が多くの応募者に提案している流通出版の印税タイプは、出版社の商品として本を出版する契約です。出版社が自社の商品を販売(書店流通)することは出版の目的そのものであり、付加サービスといえるものではありません。

 これまでに何度も書いていますが、著者は共同出版では印税を、自費出版では売上金をもらう立場なのですから、消費者ともいえません。確率は低いとしても、ヒットして何千部、何万部も売れたなられっきとした事業者です。

 前提からして合致していないのに、共同出版を主として行っている出版社を賛同事業者にしてしまうというのはどういうことなのでしょうか? 不可解というしかありません。というより、この団体は新風舎だけを問題視したかったのではないかと思えてきてしまいます。

 このガイドラインは、制作請負・販売委託を行う純粋な自費出版と、費用の一部負担を求める商業出版をきちんと定義づけたうえで作成されていません。共同出版を自費出版すなわちサービスの契約だとみなし、著者を消費者だとしているようですが、そのような捉え方が問題点をわかりにくくしてしまっているのです。

 私がとても不思議に思うのは、なぜ「費用の一部を著者が負担する条件での商業出版」を認めようとしないのかということです。私が文芸社と契約したのも、「著者と出版社が費用を分担するという条件での商業出版」だと理解したからですし、それ自体は問題があるとは思っていません。そのような形態を認めたうえで共同出版の問題点を考えれば、何かおかしいのかがはっきりするのです。

 日本最大の共同出版社である文芸社は、私がかねてから指摘している費用の水増し問題などについてなんら見解を明らかにしていません。自社が行っている出版について説明できない出版社をガイドライン賛同者に加えてしまったことは、もはや相談機関として失格といえるのではないでしょうか。

 もっともNPO法人のガイドラインなど、法的な制約があるものではありません。出版を考える人は著作権や出版契約についてきちんと勉強し、自分自身でよく考えて出版社や制作サービス会社を選んで欲しいと思います。

参考記事

文芸社・新風舎の盛衰と自費出版(21)ガイドラインへの疑問 

文芸社・新風舎の盛衰と自費出版(22)ガイドラインの責任 

2008年8月11日 (月)

霞堤とヨーロッパの取り組み

 「標津川の蛇行復元問題」でも触れましたが、日本には優れた治水法がありました。

 霞堤(かすみてい)をご存知でしょうか。堤防をところどころで切断し、下流側の堤防を上流側の堤防の外側に二重、三重に伸ばして築くのです。川が増水すると自然に水が溢れて遊水地に誘導されます。川の水位が低くなれば、遊水地に集められた水が速やかに川に排水されるのです。釜無川の信玄堤が有名です。

 強固な堤防を築くことが困難だった時代に、堤防の決壊を防ぐために考案されたのです。似たようなものとして、堤防の一部を低くした乗越堤(越流堤)などがあります。

 また、天野礼子氏の「ダムと日本」(岩波新書)によると、吉野川では堤防を築かず、下流域に二重・三重の竹の水害防備林を造っていたそうです。自然に氾濫させることで洪水が上流から運んでくる栄養分を作物の栽培に利用していたのです。

 日本では洪水を力ずくで制御するのではなく、氾濫させることで川の運ぶ養分を利用しつつ水害から身を守るという自然の理にかなった治水法が確立されていたのです。ところが、国が河川管理を行うようになってからは、このような地域に根ざした伝統的な治水法は見捨てられてしまいました。

 日本が明治時代に手本にしたのは、オランダの河川工法でした。しかしオランダでは、ライン川の河口に造られたハリゲンフリート堰によってデルタ地帯の生態系が失われ、ヘドロが溜まり、河口堰の開放を余儀なくされたのです。

 ヨーロッパでは、堤防をかさ上げしダムを次々とつくっていく治水が、氾濫原の持っていたさまざまな機能を破壊し洪水を招くことを認識し、その反省のもとに大きな転換をしたのです。遊水地を造って水を誘導する、氾濫原には建物をたてない、地表の浸透性を高めるなどの方法で氾濫原の生態系の復元に取り組んでいます。こうした治水は経済的にも優れているといわれています。

 ヨーロッパの人々が失敗ののちにたどり着いたのは、日本で従来から行われていた霞堤と同じ発想だったのです。

 ところが、日本は聞こえのいい「自然再生」の部分だけを取り入れて土木工事の延命を図っているのです。過去の過ちの反省をしようとせずにダムを造りつづけ、大雨のたびに川岸をコンクリートで固めている光景は、この国の土建大国の構図を物語っています。

2008年8月10日 (日)

標津川の蛇行復元問題

 北海道新聞に、6日から三回の連載記事で標津川の蛇行復元事業についての記事が掲載されました。この事業の問題点について書いてみたいと思います。

 この事業は、標津川の下流4キロメートルにわたって現在の堤防の片方を500メートルほど拡幅し、直線化で切り離された三日月湖を本流とつないで蛇行を復元させるというもので、事業費は10年間で50億円だそうです。

 日本の河川管理者が治水の名目のもとに行ってきたのは、河道の直線化やそれに伴うコンクリート護岸化、川底の掘削やダム建設などでした。水害を防ぐためには川を直線化して速く水を海に流さなければならないとして、蛇行をことごとくカットしてきたのです。こうして氾濫原に広がっていた自然は失われていきました。

 ところが川を直線化すると、これまで蛇行しながら時間をかけて流れ下っていた水が一気に河口部に押し寄せ、河口部で水が溢れることになります。川の下流部では、本流の水位が上昇し、支流より水位が高くなって水が支流に逆流し、内水面氾濫が起こりやすくなります。川を直線化して水を速く流すというやり方は河口部の氾濫につながるのであり、誤った方法でした。

 ところで、近年になってしきりに「自然再生」が叫ばれるようになりました。そして直線化した川をもう一度蛇行させようという試みが検討されはじめたのです。本来の川の姿に戻すということ自体は否定すべきことではありません。ならば、直線化を進め周辺の湿原を破壊してきた河川管理者は、まずはそれが誤りであったことを認めて反省し、その地域に適した自然復元のあり方や治水を考えていかなければならないでしょう。

 堤防によって切り離されてしまった三日月湖をまた本流とつなげるためには、堤防を壊さなければなりません。そこで、現在の堤防をさらに外側に移動させるというのが開発局の発想です。そのような開発局の姿勢には、過去の自然破壊を省みず、相変わらず土木工事によって洪水を押さえつけようとする人間の欺瞞が感じられるのです。トータルな河川環境の保全と治水を考えているのではなく、「蛇行化」だけが目的になっているということです。

 この堤防拡幅の費用は事業全体の8~9割を占めるそうです。「自然再生」を名目にした、「工事のための工事」ではないかという批判を生むことになります。

 川というのは本来蛇行して流れていくものです。そして大雨のたびに氾濫して流路を変えるのです。三日月湖もできれば湿地もできるのが自然の姿です。こうした河川周辺の自然をできるだけ保ちながら、洪水が起こったときに被害を生じないようにするにはどうしたらよいかを考えていかねばなりません。

 ヨーロッパでは、無理に洪水を押さえ込むのではなく、堤防から堤外に水を溢れさせるようにしているそうです。川が溢れることを認め、「洪水」が「水害」にならないように工夫するという考え方です。

 日本でも、かつては洪水を受入れたうえで被害を少なくするような工夫をしてきたのです。直線化を否定するのであれば、水を堤防内に押さえ込むというのではなく「洪水をある程度許容する」という考え方が必要でしょう。水を押さえ込む工事にはお金がかかりますが、水が溢れることを認めるような考えにたてば、大規模な工事をしなくてすむのではないでしょうか。

 国は、地域に根付いていた伝統的な利水・治水の知恵を無視し、直線化とダム建設の愚行を続けてきたのです。その反省なしに、形だけの「蛇行化による自然復元」を唱えても、説得力はありません。

2008年8月 7日 (木)

まやかしの育成天然林

 6日付けの朝日新聞に「天然林の伐採 実態は」とのタイトルで、大雪山国立公園の皆伐問題に絡めて興味深い記事が掲載されました。

 何が興味深いかというと、林野庁が使っている天然林に関する用語のことです。記事によると、林野庁は92年に天然林を「天然生林」と「育成天然林」に分けたそうです。そして当初、東京との面積とほぼ同じ22万ヘクタールを育成天然林としたが、06年にはその二倍の45万ヘクタールにまで増やしたとのこと。

 「天然生林」とか「育成天然林」などというのは林業用語なので、一般の人にはよく分からないと思います。「天然」とついているのですから、人の手が加えられていない森林だと思われる方も多いかもしれませんね。

 森林を区分する場合、あなたならどのように分けるでしょうか? まず、人手が加わっているか否かで分けると思います。人手の加わらない自然のままの森林を「天然林」といいます。これに対し、人手の加えられた森林を育成林といいます。ですから、はじめに「天然林(非育成林)」と「育成林」に分けるのではないでしょうか。「森林・林業百科事典」(丸善)によると、国際的には「育成林」と「非育成林」という区分が一般的で、育成林の中に「人工林」と「天然更新由来で人手の加えられた森林」が含まれているとのことです。わかりやすいですね。

 ところが日本では「人工林」と「天然林」に分けています。そして伐採しても後継樹の育成を自然に委ねて放置している天然林を「天然生林」、植林などの人工的な更新や保育を加えた天然林を「育成天然林」と呼んで、ともに「天然林」に分類しているのです。人手を加えた森林でも「天然林」なのですから、なんとも理解に苦しみますね。

 では、天然林の一部を皆伐し、植林をしたらどうなるでしょうか? 天然林の中に人工林ができることになります。そういうのを拡大造林と呼んでいます。大雪山国立公園の皆伐はその例です。ところが、林野庁の定義ではそのような森林は「育成天然林」であり天然林の一種になってしまうのです。天然林の中に人工林をつくっても、表向きには天然林の面積が変わらないということにほかなりません。

 「育成天然林」を増やすということは、それを隠れ蓑に拡大造林をすることだといえるでしょう。こういうのをまやかしといいます。日本特有のおかしな林業用語に騙されないようにしなければなりません。

 朝日新聞の記事は、その盲点を鋭くついているということです。

 林野庁は「天然生林施業」で過剰な伐採を行って天然林をボロボロにし、「育成天然林施業」で天然林を人工林に変えてきました。こうしたやり方で、日本では、人手の加えられていない天然林はほとんどなくなってしまったといっても過言ではありません。国立公園の中でさえそうだということです。

川島弁護士の不可解な説明

 今年倒産した新風舎の債権者に対する説明会が、去る7月30日に開催されたそうです。

 その様子をブログで報告している方がいます。

新風舎財産状況報告会(1) 

新風舎財産状況報告会(2) 

新風舎財産状況報告会(3) 

新風舎財産状況報告会(4)

新風舎財産状況報告会(5) 

 この報告によると100人ほどが参加し、その多くの方が著者だったようです。このような説明会を、なぜ文芸社に事業譲渡する前にできなかったのでしょうか・・・。残念です。

 報告を読んで大変疑問に思うのは、破産管財人である川島英明弁護士が、共同出版商法自体について問題を抱いていないと感じられることです。裁判が起こされて大きく報道されたことも倒産とは直接関係ないと考えているようですが、理解に苦しみます。

 川島弁護士は、本の所有権が新風舎にあると判断しているのですから、販売目的に新風舎の商品をつくる契約であることは分かっていたと思います。新風舎は費用を分担するとしながら実際には著者と購読者の双方をお客にし、本の所有権が著者にある普通の自費出版より有利であるかのように振る舞っていました。さらに著者を錯誤させるような説明もしていました。賞ビジネスも批判されていました。そのようなやり方に問題がないと判断したのなら、それこそ問題ではないでしょうか。

 もっとも川島弁護士が共同出版自体に問題があると考えていると表明したら、同じ共同出版社である文芸社に事業譲渡することはできなかったでしょう。川島弁護士が「共同出版・自費出版の被害をなくす会」の質問書に答えないということは、商法自体の問題点について判断を示したくないということなのかもしれません。

 質疑応答で「文芸社の請求額が高い」と質され、「コストは分かりずらい」とか「棚買いもしている」「高いかどうか管財人にはわからない」などと発言したようですが、あまりにも無責任ですね。

 文芸社は、新風舎の著者には既存のデータを利用した再出版を提案しています。編集なしなのですから、制作費は本体の印刷・製本費とカバーのデザインおよび制作費であり、分かりやすいのです。しかも「儲けなしでやっている」そうですから、ほぼ原価の費用を請求するべきでしょう。管財人は新風舎の本の制作原価がどのくらいであったかを知ることができるでしょうから、文芸社の請求金額が適正かどうかの目星はつくのではないでしょうか。

 「棚買いもしている」とのことですが、そもそも文芸社が通常著者に勧めている「印税タイプ」では、販売経費や倉庫使用料は文芸社負担となっていて、300書店に並べるとしています。新風舎の著者にのみ棚買いなどの販売費用も請求するのであれば、その理由を説明する必要があります。しかも新風舎の著者には100書店に並べるとしているのです。新風舎の著者とそれ以外の一般の著者で条件が違うというのは不公平ではないでしょうか。

 極めつけは「高いと思えば他の会社から出す選択肢もある」との発言。「文芸社は儲けがなくていいとやっている」とのことですが、「儲けがない」のなら著者から高いという声が出るのは不思議ですね。他の会社から勝手に出してくださいというのなら、個人情報が渡ってしまう事業譲渡は著者にとってマイナスにこそなれプラスになるとは思えません。

 要するに著者のことを考えて事業譲渡したというより、管財人として文芸社からの4000万ともいわれる譲渡金を得るほうが重要だったといわれても仕方ないでしょう。このような返答しかできないのなら、著者の反発を買ってしまうのも当然です。

 著者が費用負担していない商業出版ならともかく、多額の費用を負担して新風舎を支えていたことをもっと真剣に考えてほしかったと思います。

 今回の事業譲渡については、なによりも弁護士という立場の方が、共同出版自体の問題点について言及せずに済ませてしまったことこそ最大の問題であったと私は思います。弁護士さんの中には、たとえば新風舎が大々的に行っていた賞ビジネスについて批判的な見解を示している方もいるのです。今は文芸社もいろいろなコンテストをやっていますね・・・。

出版賞商法? (由利弁護士の部屋)

2008年8月 6日 (水)

見事な倒木上更新

 針葉樹の森に分け入っていくと、しばしば倒木上更新に出会います。寿命が尽きて倒れた老木や風倒木が、自らの命を土台として新たな命をつなげていく光景は、森が世代を重ねて生き続けていることを教えてくれます。

 エゾマツやトドマツの稚樹・幼樹が根を伸ばしている倒木は、風雨にさらされ表面には苔が生えていますが、やがて朽ち果てて地面と区別できなくなっていくことでしょう。

Toubokujyoukousin2  ところが、ときにはこんな倒木上更新もあります。倒木が地面に接触せず宙に浮いた状態のまま時が経過し、いつしか腐朽しはじめた幹は苔をいただき、そこに種子がこぼれて発芽したのでしょう。

 あまりにも見事な倒木上更新に、しばし見とれてしまいました。  この倒木がさらに腐朽して地面に着地するのに、あとどの位の年月がかかるのでしょうか? 倒木上に並んだ兄弟たちのような木々が大きく成長するためには、倒木から地面へと根を伸ばさなければなりません。倒木が朽ちて地表に着くまで、この木々は倒木の上でじっと待つしかないのです。

 熱帯や亜熱帯の森では、落葉などはすぐに分解されてしまうと聞きます。倒木の上に並んだ木々たちが大地に根を張れるときをじっと待っているこんな光景は、倒木が腐朽して地面と見分けがつかなくなるまでに恐らく何十年とかかる北国の針葉樹林ならではの光景なのでしょう。

 ここのすぐ脇には風倒木処理との理由で皆伐された裸地が広がっているのです。自然の営みを無視した愚かしい行為による傷跡が癒えるには、どれだけの年月がかかることか・・・。

2008年8月 5日 (火)

シマフクロウの営巣木にシラカバ?

 昨日の北海道新聞に「フクロウすむ森に」と題する記事が掲載されました。

 記事の内容は、日本野鳥の会が「子どもレンジャーワークキャンプ」という行事で、シマフクロウのすめる森をつくるために、同会の「野鳥保護区ソウサンベツ」(根室市)でシラカバの植樹をしたというもの。22人の参加者が110本のシラカバの苗木を植えたそうです。

 新聞記事には「同会によると、植えたシラカバが、シマフクロウが巣を作る大きさになるには、百年以上の年月がかかるという」と書かれています。

 思わず「ええっ! ちょっと待って!」といいたくなりました。

 シラカバは成長が速い樹木で、寿命は80年程度です。大木になって樹洞をつくるような木ではありません。100年もしたら植えたシラカバは寿命が尽きているでしょう。

 シマフクロウは、営巣木となるような樹洞のできる広葉樹の大木が伐られてしまったこと、河川にダムや堰がつくられて餌となるサケなどの魚が遡上できなくなってしまったことなどで、北海道の森からどんどん姿を消していき、絶滅危惧種になってしまいました。今では120~130羽程度しか生息していないといわれています。

 環境省はシマフクロウを絶滅の危機から救おうと保護増殖事業を行っています。給餌を行ったり巣箱をかけて繁殖を手助けしているのです。近年ではその成果もあって、場所によっては個体数が増えてきているところもあるようです。

 ところが問題なのは、シマフクロウが棲めるような環境がないのです。いくら増殖事業を行っても、増えた個体が定着できる森がなければ意味がありません。巣立ったシマフクロウがいつまでも給餌場近くに棲んでいたら、兄弟同士の近親交配という問題も生じます。

 また、将来的には人による保護事業なしにシマフクロウが生きていける森づくり、川づくりを目指さなければならないでしょう。そのような意味で、シマフクロウの棲める森づくりをしていくことは意味があります。

 ならば、当然のことながらかつてシマフクロウの棲んでいた森を復元させるような取り組みがなされなければなりません。大木になって樹洞のできるようなミズナラなどを植樹するというならわかりますが、樹洞とは縁のない短命のシラカバとは・・・。

 ちょっと考えさせられるというか、唖然としてしまうような記事でした。

2008年8月 4日 (月)

不可解なメール

 数日前のことですが、一通のメールが寄せられました。お名前は「アンチ共同出版」となっていますので、要するに匿名です。

 「言いたいことを理解してもらえれば返信は必要ない」とのことでしたが、このような責任の所在を明確にされない方に直接返信をする気はありませんので、この場でこのメールに対する私の意見を書かせていただきます。

 メールの内容は私が4月20日に書いた「自費出版業者の功罪」という記事への批判です。これは渡邉勝利氏の著書「自費出版を殺すな」についての意見を書いたものですが、私の「読解力、理解力は皆無であり考え方が極めて幼稚」なのだそうです。

 私が指摘した部分は渡邉氏が共同出版の問題点について書いている章です。そして渡邉氏の視点は、契約に署名捺印した著者の立場に立ったものではないと主張しただけです。自費出版物の所有権は著者にあるべきだという渡邉氏の主張を否定したものではありません。「読解力・理解力が皆無」だという言葉はそのまま「アンチ共同出版」さんにお返ししましょう。

 さて、「アンチ共同出版」さんのある筋の情報によると、文芸社が私を訴えるような動きを見せているとのこと。そして「不特定多数の人が利用する、ネット上で、こんな事を書けば、名誉棄損、営業妨害で訴えられるのは当然ですね」とも書いています。私が不可解だと思ったのは、なぜ匿名でそのようなことを知らせてくるのかということです。

 そのような内部情報を入手できるのは、文芸社の内部の者か、あるいは内部の者と親密な関係にある人と推測されます。

 「アンチ共同出版」さんは名誉毀損だとか営業妨害だとかいいますが、私のネット上の発言のどの部分が事実と異なっていて名誉毀損だというのでしょうか? かねてから批判されている共同出版について意見を書くことのどこが問題なのでしょうか? それとも公益性がないとか?

 「アンチ共同出版」というハンドルネームからは、いかにも共同出版に批判的な人物のように感じられますが、本当に共同出版に批判的な人であれば、私に対してこのようなメールをするでしょうか?

 共同出版に批判的な立場の方なら、私の発言に納得のいかない点があれば、お名前や立場を明らかして質問されるのが責任ある態度です。

 ハッキリ言っておきましょう。「著作者保護制度で思い出した名誉毀損裁判」でも書いたように、言論に対しては責任をもって言論で対応すべきです。

 文芸社にしても、私のネット上の発言に対して納得のいかない点や事実と異なる点があるというのなら、具体的に言論で示すのが社会的に責任のある態度というものです。わが国最大規模の共同出版社ですし、言葉による表現を商売にしているのですから。

 私は、文芸社が自社の商行為の正当性についてきちんと納得のいく説明をしたり、問題点を認めて軌道修正をするというのであれば、批判的なことを書くつもりはありません。文芸社は過去にも言論を封じようとしたことがあったようですが、出版社としてあるまじき態度でしょう(「文芸社が言論封じ!」参照)。

 武富士が、武富士の実態を暴いた書籍を出版した弁護士さんや版元を提訴した名誉毀損裁判での裁判長の判断を、もう一度ここに示しておきましょう。

「控訴人会社(武富士)は我が国有数の規模を持つ消費者金融業者である。このような企業は、その業界における地位に恥じない企業活動をすべき社会的責任を負っているのであり、膨大な遂行業務のうちの一部にせよ、その業務活動に違法行為があると批判する記述のある書籍については、むしろ謙虚にその事実の有無を調査確認し、批判を招くことのない業務を遂行するよう従業員の指導教育に尽力するのが健全な企業姿勢の在り方というべきである。そして、言論、特に執筆者も出版責任者も明らかにして出版された書籍中の批判記事に対しては、資料の裏付けのある言論によって応酬するのが民主主義社会における表現活動の当然の在り方であり、名誉毀損訴訟の提起を考えるならば、摘示された事実の真否につき、相手方の応訴に対抗できる資料としてどのようなものが存在し、また用意できるかを慎重に調査検討すべきものである」(週刊金曜日 同時ルポ 武富士裁判90  より)

 「アンチ共同出版」さんのメールは、私に圧力をかけているかのように感じられてしまったのですが・・・。

2008年8月 3日 (日)

ヤンバル問題ふたたび

 以前にも「沖縄の凄まじい森林伐採」や「破壊されるヤンバルの生態系」で紹介しましたが、沖縄のヤンバルの森の破壊は非常に深刻な状況のようです。最近も知人が現場に行ってきたのですが、伐採によってノグチゲラの生息地が破壊されたり、赤土が海に流れ出てサンゴが死滅しているとか。しかも伐採されたイタジイなどの木は、何とチップになってしまうそうです。

 林道といえば、ふつうは砂利道です。でも沖縄では林道が舗装されているそうです。舗装しなければどんどん赤土が海に流れだしてしまうというのです。北海道でも林道や作業道からの土砂の流出はひどいのですが、舗装されているのは例の「大規模林道」くらい。土砂の流出防止のために林道を舗装しなければならないというのも凄いはなしですね。

 昨日のインターネット新聞JanJanに記事が掲載されていました。とにかく現場の写真を見てください。天然林がバッサリと皆伐されているのです。

沖縄県議会経済労働委員会が、やんばるの林道・伐採現場を視察 

 このヤンバルの森でも、裁判が行われています。ヤンバルの森については以下のサイトをどうぞ。

やんばるの森を破壊から救おう! 

 温暖化防止のために植樹、植樹としきりに言われますが、その一方で多様性の豊かな天然林がこんな状況に置かれていることを、きちんと見つめて行動していかなければならないと思います。

巨大なウスタケ

 先日、大雪山国立公園の皆伐地に調査に行ったときのことです。

Usutake  作業道の脇の林床に、巨大なキノコの一群を見つけました。とても大きなキノコでしたので近づいてみると、傘がそっくり返って漏斗型をしています。そして中央が深くくぼんだ傘には水がたまっているのです。

 キノコの傘といえば、たいていは雨傘のような形、あるいは平たい形ですね。傘がオチョコになっているキノコも時々ありますが、このキノコはその典型ともいえるでしょう。家に帰ってから調べると、どうやらウスタケのようです。

 漏斗状の傘を天に向けて雨乞いしているかのようなウスタケ、ちょっと面白かったので記念に撮影しました。

2008年8月 2日 (土)

北海道は大規模林道中止の決断を!

 昨日は、北海道新聞朝刊一面に「大規模林道の中止検討」との記事が掲載されました。北海道は、緑資源機構から「山のみち」として受け継いだ大規模林道(緑資源幹線林道)のうち、未完成になっている7区間の大半の建設中止を視野に検討に入ったという記事です。

 そもそも大規模林道は緑資源機構という天下り組織の存続のためにつくられてきたような道路です。その緑資源機構が談合の発覚で解体したにも関らず、道路だけは「山のみち」と名前を変えて地方自治体の事業として押し付けたのです。

 北海道は、費用対効果や自然への影響を検討するとして今年度は事業を見送っていましたが、この報道で大半は中止したいとの意向を示したといえるでしょう。住民説明会を開催して意見を聞いたうえで、年度内に結論を出すようです。

 新聞記事では「厳しい自治体財政や環境への影響などから、大半の路線が建設中止になる可能性が高い」としていますが、「滝雄-厚和」線の「滝上-白滝」区間のように進捗率の高い区間(87.6パーセント)もありますので、まだまだ油断はできません。

 この大規模林道は、完成すると地元の市町村に管理が移行するのです。大雨や台風のたびに崩壊を繰り返している道路ですから、地元の負担は大変なものになるはずです。

 今日の北海道新聞の帯広・十勝版には、足寄町と陸別町の「中止もやむを得ない」「事業中止は予想していた」という冷静なコメントが掲載されていました。

 この大規模林道は、1973年に林野庁が策定した「大規模林道開発構想」に位置づけられたもので、全国32路線が計画されました。全国各地で反対運動が起こりましたが、35年が経過した今、北海道3路線の進捗率は45.8パーセントです。無駄な道路がこんなに造られてしまったともいえますし、半分もできなかったいう見方もできます。

 昨日は、北海道新聞の報道を受けて大規模林道問題北海道ネットワークが道庁記者クラブで記者会見を開き、中止を求める声明を発表しました。費用対効果などについてなにも説明できない北海道は、きっぱりと中止の姿勢を示すべきでしょう。

2008年8月 1日 (金)

やっぱりNHKは・・・

 一昨日は、珍しくNHKのテレビを2本見てしまいました。ひとつは「ちょっと変だぞ日本の自然Ⅲ世界の異変が連鎖!日本の異変に」です。内容は、地球温暖化による世界の異変が連鎖して日本にも影響を及ぼすというもの。

 はじめに出てきたのが、チベット高原に穴を掘って生活しているクチグロナキウサギ。ナキウサギが増えて草を食べてしまったために草原が荒れているといいます。なぜナキウサギが増えたかというと、異常気象と家畜の放牧により草原の草丈が低くなり、見通しがよくなったために雄と雌が出会うチャンスが増え、繁殖率が高まったというのです。

 チベットでは気温が上昇し、氷河から融けだす水も減って砂漠化が進んでおり、それが原因でチベット高気圧が発達して日本に猛暑をもたらすという内容でした。「ナキウサギが増えれば日本が猛暑になる」というわけです。

 この説明を聞いて、びっくり! なんだかチベットの草原が荒廃していくのはナキウサギが増えたためといいたいようですが、草がなくなったのは本当にナキウサギのせいなのでしょうか?

 このサイトにも書かれていますが、クチグロナキウサギはもともと高原の乾燥した草地に生息しているのです。辺りの見通しがきかないような草薮に生息しているなどということは聞いたことがありません。

 ナキウサギふぁんくらぶのHPに、ナキウサギの研究者であるアンドリュー・スミスさんの講演の報告が掲載されていますが、それによるとクチグロナキウサギは高密度に生息しており、死亡率が高いために多産なのです。「草丈が低くなったことで繁殖率が高まり個体数が増えた」などという説明はどう考えても納得できません。

 中国では、以前から家畜の放牧による裸地化が深刻になっていて、砂漠化が進んでいました。ナキウサギの巣穴に排気ガスを入れて、ナキウサギを殺していたこともあったと聞いたことがあります。遊牧民にとっては、クチグロナキウサギは害獣という位置づけなのでしょう。

 チベットの草原の荒廃は、ナキウサギの増加というより家畜の過放牧が原因とだとしか思えません。ナキウサギを持ち出して、日本の猛暑とつなげてしまう論法はあまりにもこじつけといえるでしょう。番組作成時にナキウサギの専門家に相談していたなら、こんないい加減な放送にならなかったのではないでしょうか。

 もうひとつの番組は、雪印による牛肉偽装を告発して廃業に追いやられた西宮冷蔵の水谷洋一さんの闘いをドラマにした「たったひとりの反乱」です。はじめ「へぇー、NHKでもあの問題を取り上げるんだ」と思ったのですが、そのドラマの内容はいささか拍子抜けするものでした。

 この問題ついてはすでに「西宮冷蔵の闘い」で書きましたが、NHKの番組は肝心なところが曖昧にされたドラマになっているのです。つまり、食肉業界から圧力がかけられ営業停止へと追い込まれたということ、そして営業停止をなんとか乗り越えたのにも関らず、「コープこうべ」の取引業者が荷物を引き上げてしまったことで廃業に追いやられたという具体的な背景にまで言及されていません。重大なことを具体的に出さず、水谷さんの行動に焦点を当てるように仕上げられたドラマといえます。

 いつも思うんですよね。NHKは過ぎ去った事件についてはさも問題点を暴くような、いわばカッコイイ番組をつくるのですが、現在進行形の利害関係が関ることについてはまず批判的な報道をしようとしません。この事件にしても、勇気ある告発をした西宮冷蔵が危機に陥っているときにいったいどんな報道をしたというのでしょうか?

 過去の、しかも利害関係のある部分を曖昧にした番組をつくることより、今起きていることについて背景を見据えた批判的報道をすることこそ、メディアの責任ではないでしょうか。

« 2008年7月 | トップページ | 2008年9月 »

フォト

twitter

2017年5月
  1 2 3 4 5 6
7 8 9 10 11 12 13
14 15 16 17 18 19 20
21 22 23 24 25 26 27
28 29 30 31      

最近のトラックバック

無料ブログはココログ