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2008年4月

2008年4月30日 (水)

綿井健陽さんの視点とジャーナリズムの危機

 去る4月22日、光市母子殺害事件の差し戻し控訴審で広島高裁は死刑の判決を言い渡しました。この裁判については、ジャーナリストの綿井健陽さんが関心を寄せて取材しています。私も綿井さんが月刊誌「創」に書いてきた記事を読んでいましたので、判決内容はもとより、マスコミの報道に危機を感じていたのです。

 綿井さんといえば、イラク戦争を報じてきたジャーナリストです。その綿井さんが光市の母子殺害事件に興味を持った理由は、マスメディアの流す情報と現場との間に大きな隔たりがあることに気づき危機感をもったためだといいます。

 綿井さんは、ご自身のブログで「世の中の流れや見方がマスメディアを通じてすべて一方向に流れるときは、非常に危険です。それは確信できます。そういうときこそ、逆の側の異論を知らなければならないと思っています」と綴っていますが、私もこの点については日ごろからそう感じていますし、昨年からの新風舎報道でも同じことを痛感しました(共同出版問題については、カテゴリーの「共同出版・自費出版」を参照してください)。このような不自然な流れになっているときというのは、なんらかの意図が働いていると感じられるのです。

 光市の事件については、橋下徹弁護士がテレビで弁護団の弁護士への懲戒請求を呼びかけたことで懲戒請求が殺到し、弁護士事務所には苦情の電話や脅迫状が送られるなど、異常ともいえる事態に発展しました。

 こうした行動を起こした人たちは、弁護団の主張についてきちんと事実を把握し、理解していたのでしょうか? マスコミの偏った報道によって、多くの視聴者に事実が伝えられていなかったのではないでしょうか? マスコミ報道が原因になったともいえる弁護団叩きについて、マスコミ自身はどう考えているのでしょうか? そして弁護団の行ってきた真実を明らかにする行為について、マスコミはどう考えているのでしょうか? こうしたことを明らかにすることこそマスコミのやるべきことだったと思うのです。

 私は、自分自身で物事を理解・判断しようとせずに、マスコミの報道に迎合して批判や抗議に走る人たちの「うねり」のような行動に危機感を覚えるとともに、そうした行動に毅然と対処できないマスコミに愕然とするのです。この事件の報道からはジャーナリズムの危機がはっきりと感じ取れます。ジャーナリズムの危機こそ、民主主義の危機でもあるでしょう。この国は、危険な方向に向かっているとしか思えません。

 綿井さんのブログにも紹介されていますが、多くの人に安田好弘弁護士の以下の記事を読んで欲しいと思います。

http://www.jca.apc.org/hikarisijiken_houdou/hou%20to%20minsyusyugi200711.pdf

 また、判決の前後に書かれた綿井さんのブログも読んでいただいて、一人ひとりがこの問題について考えてほしいと思います。

【本文さしかえ】20日(日)放送番組と掲載誌のお知らせ

ネット上で記者会見

2008年4月29日 (火)

沈みゆく野付半島

 前回は野付半島でイソコモリグモの生息を確認したことについて書きましたが、私が野付半島を訪れたのは二度目です。最初に訪れたのは30年以上も前の学生時代の夏です。その時の記憶はさほど鮮明ではありませんが、30年ぶりの野付半島は脳裏の片隅に残っていた光景とは異なった印象を受けました。

 確かあの時はトドワラを抜けてアカアシシギを観察しながら歩き、野鳥の観察に夢中になっていたら放牧されていた牛に取り囲まれてしまった記憶がありますが、今は牛が放牧されている気配もありません。

Todowara  半島の中ほどにあるトドワラまで足を伸ばして、かつての記憶と印象が違った理由がわかりました。トドワラはかつて砂嘴に茂っていたトドマツの森が枯れてしまい、その枯れ木が独特の荒涼とした景観を作り出しているのです。なぜ森が枯れてしまったのかというと、海水面の上昇や砂嘴の沈降によって森林が海水の影響を受けるようになったからなのです。

 先日は満潮時と重なっていたからかもしれませんが、トドワラの端にある「トド橋」は海中に取り残されていました。かつては一面に立枯れ木が見られたたトドワラも、今では立っている枯れ木はごく一部になってしまいました(写真)。やがてはこの枯れ木も倒れてしまうのでしょう。

 野付半島は砂嘴(さし)といって砂礫の堆積によって形成されました。知床半島沿岸から海流によって砂礫が運ばれて砂嘴となり、それが少しずつ延びてきたのです。このために、知床側の海岸には砂だけではなく礫がたくさんあります。

 野付半島の過去と現在の写真を比べると、砂嘴の幅が驚くほど狭くなっているのがよくわかります。「道東の自然を歩く」(道東の自然史研究会編、北海道大学図書刊行会)によると、最近は海岸浸食が目立つようになり、1952年から1990年の間に最大60メートルもの汀線の後退が生じたそうです。

 川の流れが砂礫を海に運び、その砂礫を海流がさらに遠方に運んで砂嘴を形成する。その一方で沈降によって砂嘴が海中に没しつつあるのです。このような自然の力によって、野付半島はほんの数十年の間に大きく形を変え、景観まで変わってしまいました。  今後、野付半島がどのように変わっていくのかわかりませんが、このまま沈降が続けば砂嘴はますますやせ細り、やがてイソコモリグモの生息地もアカアシシギの繁殖地も水没してしまうのかもしれません。

 野付半島がなくなってしまったら内湾の漁業などに大きな影響が出るとして浸食への対策が講じられているようですが、自然の摂理に対してどこまで人が手を加えるべきなのか、正直なところ疑問に思います。

2008年4月27日 (日)

消えゆくイソコモリグモ

 イソコモリグモについては「石狩浜のイソコモリグモ」でも書きましたが、自然の海岸線がどんどん減少していくとともに生息地を奪われてきた大型のコモリグモです。

IsokomoriIsofurusu Isosuana  写真は、2センチほどの大きさの雌成体です。惚れ惚れしてしまうくらいふっくらとした大型のコモリグモです。海岸の砂浜に垂直に穴を掘って潜んでいるのですが、昼間は巣穴の入口を閉じてしまうのでほとんど見つけることができません。右端の写真が入口を閉じている巣穴です。真ん中に1ミリくらいの小さな空気穴が開いているだけなので、この下に巣穴があることはまずわからないでしょう。こんなふうに糸と砂をつかって入口をきれいに閉じてしまうなんて、すごいですよね。

 でも生息しているところにはすでに利用しなくなった古巣があることが多いので、それを見つければ生息していることが確認できます。中央の写真が入口を開けたままになっている古巣です。

 砂浜にはほかにも穴を開けている動物がいますが、イソコモリの穴は、入口部分が糸で裏打ちされているので、ほかの動物の穴と区別できるのです。穴の内側をピンセットなどでつついてみると、糸の幕があることがわかります。

 北海道でのイソコモリグモの生息調査は遅れていることもあって、海岸方面にでかけるときはなるべく海辺に寄って生息調査をしています。

 昨日は道東の海岸で調査をしたのですが、生息が確認できたのは野付半島の1箇所だけでした。サケマス漁などの漁業が盛んなこの地域では、海岸はテトラポットや堤防、番屋や漁具置き場などでかなり撹乱されて、かつてあったであろう自然の砂浜は激減しています。このために生息地はかなり限られているだけでなく、分断化・孤立化してしまっているようです。今のこっている生息地は、なんとか人為的な改変を免れてきたところといえるでしょう。

 北海道は本州と比べると自然の海岸線が多いそうですが、砂浜ではなく崖地になっていたり岩礁海岸になっているところも少なくありません。しかも海岸沿いに道路が建設されているところが多く、イソコモリグモが棲めそうなある程度の幅のある砂浜はごく限られています。人間が海岸線を改変する前と比べたら、大半の生息地が失われてしまったといえそうです。

 国のレッドリストで絶滅危惧種に指定されていますが、この先、温暖化によって海面が上昇したら、生息地が水没して絶滅の危機にたたされることが懸念されます。

2008年4月25日 (金)

出版社の内情

 一昨日昨日の記事に関係するのですが、草薙さんの本の件で講談社が設置した第三者委員会の報告書が講談社のHPに掲載されていて、この本の出版に関係した人たちの話などがかなりリアルに書かれています。

 一般の人たちにとっては、一冊の本ができあがるまでに出版社の内部でどのような人たちが関り、どのようにして取材が行われ、どんな議論がなされているのかといったことは全くわからないものですが、この報告書によって日本で一、二位を誇る大出版社の編集者の対応や内情が垣間見え、なかなか興味深いものがあります。

 大手出版社の場合は雑誌やコミックスの収益でやりくりしているところも多いと聞きますが、ノンフィクションというのはこの両者に関ってくる話題になります。例の「僕はパパを殺すことに決めた」も、はじめは雑誌でとりあげ、そのあとで単行本になったわけですが、このような題材では雑誌と書籍の両方で収益に結びつけられるわけです。

 ところが、雑誌の編集者と単行本の編集者とではちょっと感覚が違うようで、調書の扱いにしても雑誌のほうがはるかに慎重だったといえます。さらに、書籍の編集者も調書の引用や家族のプライバシー問題については内心気にしていて、法務部でのチェックを引き伸ばしていたことなども赤裸々に書かれています。法務部に校了済みのゲラが届けられたのは発売の一週間前で、すでに印刷が始まっていたとのこと。こんな状況なのですから、出版社の法務部というのは事前チェックよりも事後対策のためにあるようです。

 一冊のノンフィクションを作り上げるときに、著者、編集者、取材相手などさまざまな人が関ってくるのですが、それぞれの本に対する思いや期待が微妙に違っているのですね。そして、著者や編集者の意図と、取材に応じた医師や親族の想いにズレが生じてしまっている。それがまた、今回の事態を誘発してしまったのではないかとも感じられます。著者や編集者が、取材相手が取材に応じた理由を理解して書籍に反映できなければノンフィクションとはいいがたいのではないか・・・。そんな思いを抱いてしまいました。

 ところで、ちょっと気になったのがこの本の制作費です。膨大な量の調書を写真撮影したのは出版社側のカメラマンで、著者が手伝ったとのこと。ノンフィクションの場合は取材のための費用もバカにならないはずです。編集にしても何人もの編集者が関って何ヶ月もかけていることになりますから、かなりの制作費をかけているのでしょう。大手出版社の場合は編集者の給料も高額でしょうし。

 その一方で、取材費などかからない本もあるはずです。こうなると書籍の制作費用というのは本当にピンキリといえるのでしょう。

 一口に「書籍制作費」といっても、著者の原稿をほぼそのまま本にしてしまうような共同出版社や自費出版社と大出版社では雲泥の差が生じてくるはずです。

2008年4月24日 (木)

苦い経験

 昨日の記事で、「崎浜医師の気持ちがよくわかる」と書きましたが、私はこの記事を書いていて苦い経験を思い出してしまったのです。それは北海道新聞社が創立60周年記念として企画した本のことです。

 この本は大雪山の自然をテーマとし、「山岳・地史」、「高山植物」、「動物・昆虫」の3巻の刊行が予定されていました。写真を主体とし、価格も一冊13,000円という高価なものです。一番初めに「高山植物」が発行され、次ぎに「動物・昆虫」が発行されました。問題が起きたのはこの「動物・昆虫」です。

 この本の発売広告が北海道新聞に掲載されたので、近くの道新販売所に注文すると「手違いがあって刷り直しをすることになり、発売が遅くなるそうです」と言われました。私は内心驚きました。写真をふんだんに使った大型写真集といえる本ですから、製作費はかなり高額になるはずです。何があったのかわかりませんが、発売直前にこのような高価な本を刷り直すなどというのは出版社にとっては大変なことです。

 注文をしたのを忘れてしまったころに、その本が届きました。ペラペラとページを繰っていて愕然としてしまいました。クモの写真がかなり使われているのですが、種名が間違っているものがゾロゾロ!

 この著者からは以前、クモの種名を教えて欲しいとして数枚の写真が送られてきていました。しかし、同定を頼まれたのはこの本に掲載されているクモのうちのごく一部です。しかも、本に掲載する予定だとの説明もありませんでした。クモや昆虫の場合、写真だけでは同定が困難なものも少なくありません。私は、写真では正確な同定はできない旨を書いて疑問符をつけたうえで返送しました。ところが、疑問符をつけた種名がそのまま書かれているのです。さらに、本文には私の私信が紹介されていました。

 同定を依頼されなかったクモや、種名を確定しなかったクモの同定責任は著者にありますが、なぜゲラの時点で私に種名の最終確認を依頼しなかったのでしょうか? また、私信というのは公開を前提として書いているわけではありません。本の中で紹介するのであれば事前に了解を得て欲しいものです。

 名前を出されたうえに誤同定だらけなのですから、それ以上本を開く気にもならず放置していました。たとえ誤同定を指摘したとしても、一度刷り直しをしている高額な本を再度刷り直すなどということにはならないでしょうし・・・。

 ところが、だいぶたったある日のことです。北海道新聞の片隅に載っていた記事を見て、目が点になりました。この本に100箇所以上の種名の誤りがあることが分かって刷り直しをしたので、無料で交換するというのです。誤同定があったのはクモだけではなく昆虫や鳥にも及んでいたのです。

 私はすぐさま「クモの種名は本当にきちんと直されているのか?」との疑念に襲われました。版元からは、私のところに何ら種名についての確認の依頼がなかったのですから。北海道新聞の担当者に電話で確認をとると、「今回は専門家に依頼したから大丈夫」と太鼓判を押します。それでも食い下がって、どの写真の種名がどう修正されたのか確認すると、案の定、一部しか訂正されていないことがわかりました。なんてこった!

 結局、私の私信が出ているページの誤同定部分だけは、急遽シールを貼って訂正してもらうことにしたのですが、それ以外のページは誤同定のままになりました。新しい本と交換してもらいましたが、この本はやっぱり開く気になれずに放ってあります。

 このような事態を招いたのは、著者の同定に対する認識の甘さでしょう。専門外の動物の同定を専門家に確認してもらわずに素人判断で行ったということです。ゲラの段階で専門家に同定依頼をしていれば、こんなことにはならなかったはずです。その結果、版元に苦情が寄せられて多大な迷惑を被り、予定されていた「山岳・地史」は日の目をみないことになってしまいました。第1巻が欠落した記念出版などというのは前代未聞ではないでしょうか。

 それにしても、編集者は種名の確認のことまではまったく気がまわらなかったのでしょうか? 本というのは、形として後世に残るものなのです。一度出版してしまえば、インターネットの記事のように修正することはできません。誤同定はその本を見る者に永遠に影響を与えてしまいます。著者は自分の力で本を仕上げたいという気持ちだったのかもしれませんが、写真だけで専門外の動物の同定までしてしまうというのはあまりにも無謀です。

 草薙さんに情報提供した崎浜医師も、草薙さんや講談社に対して似たような気持ちを抱いたのではないでしょうか。草薙さんや編集者の問題意識はわからないわけではありませんが、やはり情報提供者の了解も得ずに調書の引用をしたことは無謀なことと思えてなりません。

2008年4月23日 (水)

著者と出版社の常識は?

 ジャーナリストの草薙厚子さんが講談社から出版した「僕はパパを殺すことに決めた」という本で供述調書を多数引用し、医師が秘密漏洩罪に問われていますね。いろいろな意見があるようですが、この事件ではやはり草薙さんや講談社の脇の甘さを感じざるを得ません。

 崎浜医師は、調書を見せたことは後悔していないとしながらも、見せる相手を間違えたことを後悔しているとのこと。私にはこの医師の気持ちがよくわかります。

 崎浜医師は、ジャーナリストに調書を見せることは秘密漏洩にあたることを十分承知していたはずです。だからこそ、コピーを禁じたのでしょう。それをデジカメで撮影したうえに、丸写しのような引用をしたというのは信じられないことです。

 講談社側も、複数の人が本の出版に関っていながら、この点について考慮できなかったというのはどういうことでしょうか。講談社という大手出版社でありながら、ずいぶんいい加減なものだと驚きました。ここには、情報源の秘匿よりも出版社の利益を重んじる姿勢が垣間見えるようです。

 ところで、草薙さんは21日に記者会見を開き、講談社の設置した第三者調査委員会が、取材に使ったICレコーダーの記録を無断で使用、公表したとして、調査委員会や講談社あてに削除や謝罪を求め、鑑定医との三つの約束についても「言葉尻をとらえ合意があったと結論づけるのは乱暴」として訂正を要求したことを明らかにしました。

 この三つの約束とは、コピーの禁止、直接引用の禁止、原稿の事前確認です。この記者会見の報道に、正直いって「そういう問題?」と思ってしまいました。

 調書をそのまま引用したなら情報提供者を特定されてしまう可能性があることくらい常識でわかりそうなものです。最低限、出版する前に情報提供者である医師の同意を得るべきだったと思います。合意があったとかなかったとかの問題ではなく、情報源を特定されないためにジャーナリストがこうした点に気を配るのは常識の範疇ではないでしょうか。

 録音を無断使用といいますが、草薙さんは調書を無断転載したとはいえないのでしょうか? なんだか、自分の非を認めたくないがための弁解のように感じられてしまいます。違法行為を犯してまで情報を提供した医師の好意を踏みにじる行為ではないかと思えてしまいました。

2008年4月22日 (火)

百聞は一見に如かず

 18日は「えりもの森裁判」の口頭弁論で、原告の4回目の主張でした。今回は北海道職員の違法な行為について主張しました。

 北海道は「北海道森林づくり条例」で道有林の管理方針を転換し、木材生産を目的とした皆伐や択伐を廃止しました。ですからこの条例に反する木材生産を目的とした皆伐も択伐もできないはずなのです。

 受光伐というのは、抜き伐りをすることで日陰になっている若木に光を当てて生長を促すことを目的とした伐採です。林床に若木がない場合は、抜き伐りして植栽するとしています。

 裁判で問題としている皆伐現場は、受光伐として376本の立木を伐採し、伐採跡地に植栽を行うという契約でした。ところが、実際には376本の立木だけではなく「地ごしらえ」との名目で大半の木を伐採して皆伐状態にし、伐採した立木を搬出してしまったのです。

 このような北海道職員による一連の行為は、森林の公益的機能を低下させたばかりではなく、材として価値のある立木が正当な対価なしに伐採されて搬出され、北海道に損害を与えました。受光伐などといっていますが、実質的には拡大造林にほかなりません。

 この一連の伐採は、故意あるいは重大な過失によって北海道森林づくり条例や生物多様性条約に違反する行為であり、不法行為法上も違法と評価されるといえます。そこで、原告らは日高支庁長に対し、この契約に関った職員に対して損害賠償請求をするように求めました。

 さて、今回は準備書面とともに検証申立書を提出しました。要するに裁判官にも現地を見て下さいということです。「百聞は一見に如かず」ですからね。現場を見れば、受光伐の名を借りた拡大造林であること、そして伐採の支障になどなっていないのに「支障木」として価値のある木が伐採されていることは一目瞭然です。

 ところで、裁判の現地検証で思い出すのは大雪山の「ナキウサギ裁判」です。士幌高原道路の予定地一帯に広がる希少な自然を裁判官に見てもらうために、裁判官を現地に案内して「山上裁判」が行われたのです。

 この日のことは忘れもしません。前日からの大嵐で雪が舞い風が吹きすさぶ中、大勢の支援者とともに裁判官や原告らが登山をして現地を視察しました。現場では動物や植物の研究者らがこの地域の自然の特異性について裁判官に説明しました。私も、この山域にはマツダタカネオニグモや風穴に生息するサラグモ類など、氷河時代の生き残りと考えられる希少なクモが生息していることについて説明させていただきました。

 強風の吹き荒れる山頂で、裁判官も大変だったと思いますが、とても熱心に聴いてくださいました。環境訴訟の場合、法廷の中だけではなかなか理解しにくいことでも現場を見れば理解できることも多いのです。

 今回の「えりもの森」の現地検証では、ハンゴンソウが茂って見通しが悪くなってしまう前に現地検証をして欲しいと要望しました。現場は皆伐して明るくしてしまったので、ハンゴンソウという大型の植物が茂ってしまったのです!

 現地検証については未定ですが、次回期日は7月4日(金)です。札幌地裁8階の3号法廷で午前10時からですので、関心のある方は是非傍聴に来てください。

2008年4月20日 (日)

自費出版業者の功罪

 一昨日から昨日にかけては「えりもの森裁判」の口頭弁論で札幌に行っていたのですが、その間に「自費出版を殺すな」(渡邉勝利著、東京経済)という本を入手して読みました。正直いってひどく失望したとともに、こうした発言の影響を危惧せざるを得ません。この本を読んで感じたのは、まさに彼の発言の「罪」です。

 渡邉氏が、同業者でありながら共同出版を批判してきたことは「功」として評価しなければなりません。その一方で、彼の発言が徹底して自費出版業者としての立場からのものであり、共同出版社と契約を交わした著者の立場に立っていないことについては、「罪」として批判せざるを得ません。渡邉氏がNPO法人リタイアメント情報センターの自費出版部会長という立場であるからこそ発言の責任は大きく、私としては看過できないのです。

著者の立場を考えていない問題意識

 この世の中に悪質商法は数々ありますが、被害者が悪質業者と交渉したり裁判で闘う際は「自分の交わした契約内容に基づいて不当性や違法性の指摘をしなければならない」ということです。これは大原則でしょう。この大原則を無視したなら勝つことは困難です。ところが、渡邉さんの主張はこの大原則を無視したものなのです。その最たるものは「なぜ人はそんな商法に引っ掛かるのか」の中での印税・本の所有権に関わる主張です(67ページ)。その部分を引用してみましょう。

 「そもそも印税というものは、出版社が著者に原稿を依頼し、商業出版として発行した本の売り上げに対し、原稿の対価として、著者に支払うもので、雑誌等では印税ではなく、原稿料として支払われるものである。自分が費用を出して出版した自費出版物に、印税は存在しない。」 「自費出版であるならば、出版した本はすべて著者のものだと認識するが、共同出版といわれると、出版物の所有権が出版社にあると思い込まされてしまう。だから、もらった百冊がなくなってしまい、追加して本が欲しいとき、自分が費用のすべてを負担した本でありながら、出版社から有料で買い取らなくてはならなくなることを、不思議だと思わなくなる。」

 この発言については、私は「冗談じゃない!」といいたいですね。著者は出版社に所有権のある本をつくることに同意しているのです。出版社の商品として本を出版させるという契約書に署名捺印しているのですから印税があるのは当然です。所有権についても「出版社にあると思い込まされている」わけではなく、同意しているのです。

 この件については、文芸社との裁判において文芸社側の主張が認められています。文芸社は、協力出版は基本的に商業出版の契約書の雛形をベースにしていることを主張しており、文芸社側に所有権があることが認められているのです。それは当然の判断です。碧天舎や新風舎が倒産したときの弁護士の判断も同じです。著者が法的に争う場合は「印税があるのはおかしい」「所有権は著者にあるべき」などと主張することにはなりません。

 費用についても同様です。そもそも共同出版では「著者と出版社で費用を分担する」という条件で商業出版と同様の契約を交わすのです。出版社が費用負担していないなら契約違反なのですからそのことを問題視すべきなのに、費用負担していないことを認めたうえで「共同出版」という呼称がおかしいという考えです。著者としてはこのような主張にはとうてい同意できません。

 悪質商法の被害をなくすためには誰が闘うべきでしょうか? それは同業者ではなく被害を受けた著者でしかないはずです。だからこそ契約を交わした著者の立場にたった問題点の指摘がなされなければなりません。実態から見て「出版社はこうあるべきだ」という渡邉氏の主張は業界に向けてすべきことなのです。それを一般向けの本のなかで展開して被害者がそう信じたら、被害者にとってはプラスになるどころかマイナスに働いてしまうでしょう。そして共同出版社にとって有利に働くだけなのです。

 このような主張は渡邉氏に限ったことではありません。JPS出版局の高石氏もそうでしたし、多くの自費出版業者はそう考えているのでしょう。自費出版業者がこの点を自覚しないかぎり、結果として被害者を誤解させ、悪質業者に加担してしまうことになるのです。

文芸社が軌道修正?!

 私は渡邉氏が文芸社との癒着疑惑を持たれている尾崎浩一氏とともにリタイアメント情報センターに関っていることについて大きな疑問を持っていましたが、「文芸社は」という章を読んで彼の立場が私なりに理解できました。

 渡邉氏は「私の主張を研究することで、文芸社は全面的ではないが、かなりの部分を修正した。このことにより、トラブルの発生を極力防ぐことに成功したようである。またトラブルが発生した場合は、速やかに対処するよう心がけているという」として、文芸社の修正を全面的ではないものの評価しています。

 しかし、文芸社の修正はあくまでも表面的かつ部分的なものです。トラブルが発生した場合は速やかに対応すれば問題ないのでしょうか? そうではないですね。しばしばトラブルが発生すること自体が問題なのです。文芸社が流通出版の印税タイプを全面的に廃止しない限り、何も解決していないと同然です。安易に文芸社を評価してしまうことは被害を拡大させることにつながりかねません。

 共同出版批判には、渡邉氏のような自費出版業者の立場での批判と、私のような被害者の立場での批判があります。さて、文芸社が「批判を封じ込めたい」と考えたならどうするでしょうか? 批判者になびいて部分修正したなら、批判を押さえ込むことができるでしょう。そしてそれがやりやすい批判者は私ではなく自費出版業者の方なのです。その理由はおわかりですね。前述したように、渡邉氏の主張は共同出版社にとって有利に、被害者にとっては不利に働くからです。だから、文芸社が渡邉氏になびいて部分修正することは理にかなっています。

 あくまでも推測ですが、リタイアメント情報センターに関っている自費出版業界の方たちは、そのような意図のもとに利用されているのではないでしょうか。少なくとも私の目からはそうとしか思えません。しかし、残念ながら渡邉氏にはこのような視点は持てないのでしょうね。

 「自費出版を殺すな」によれば、新風舎の未刊著者の被害者のうち数百人もがリタイアメント情報センターのトラブル相談室に電話をしたそうです。相談に乗っている担当者が、被害者が交わした契約内容を無視して「著者は消費者」とか「本の所有権は著者にあるべき」とか「印税があるのがおかしい」などと説明しているのであれば恐るべきことです。

 文芸社は新風舎の事業を引き継ぎ、草思社の支援にまで乗り出したようです。まだ不透明な要素が大きいとは思いますが、文芸社には何らかの思惑でもあるのでしょう。

 私が被害者の立場から一貫して主張してきたことを理解しようとせず、自費出版業者の主張だけを取り入れて文芸社に信頼感を与えてしまったリタイアメント情報センターの責任は限りなく重いとしかいいようがありません。

2008年4月17日 (木)

「考える会」の弁明?

 昨日「新風舎商法を考える会」のHPが久々に更新され「新風舎破綻の真相、1昨年から危機の兆候が・・・ 信頼回復に向かって動き出す自費出版業界」という記事が掲載されていました。

 倒産の理由は提訴やそれに関する報道のためではなく、放漫経営だという説明がなされています。私はこれを読んで「あっ、私のJANJANの記事に対する弁明だな」とすぐに感じ取りました。

 でもね、この説明どう読んでも「提訴やそれに関する報道が倒産の引き金にはなっていない」という説明にはなっていません。「応募原稿は読まない」とか「広告代金の支払が滞っていた」とか、「前受け金を使い込んだ」とか、新風舎の問題点が連ねられているだけ・・・。

 私も新風舎の実態がひどかったことは認めますよ。でも、「応募原稿を読んだ、読まない」ということ以上に、商品とならざる原稿にまで流通を勧めたり、アマチュアの原稿を流通レベルに高めるような編集をしていないことの方が問題ではないでしょうか? ならば、文芸社だってほとんど同じといえるでしょう。文芸社は確かに原稿を読んでいるのでしょうけれど、棚に並んでいる本を見れば「本当に売れるの?」と疑問を抱くような本が多々あります。

 読者を顧客にすべき契約書を用いながら、本の販売によって経営をしているとは思えないことがこの商法の問題なのです。そして同様のことをやっていると考えられる出版社はたくさんありますよね。相変わらず論点がずれています。意図的にずらしているのかな?

 また、新風舎の一部の社員が上司に疑問をぶつけたり改革の提言を行ったが、それがことごとく潰されて契約を取り捲り、編集能力を超えた受注を重ねたことで破綻に向かったとのことが書かれています。それでは文芸社は改革しているのでしょうか?

 確かに小手先の改革はしたでしょう。著作者保護制度とか、売上還元タイプの創設とか、提携書店の強化とか。以前やっていた著名人を広告塔に使うことは控え、ヒットしたアマチュア作家を広告塔にしているようですね。でも、本質的な改革をしているとは思えません。文芸社が批判を受け入れて改革を目指す会社なら、被害者の会である「共同出版・自費出版の被害をなくす会」の質問書に対して誠実に回答するのが筋というものです。

 そして、リタイアメント情報センターのガイドラインの宣伝をしています。「事業者にとってはかなりハードルの高いガイドライン」なのだそうです。文芸社はこの高いハードルもクリアしているから問題ないと考えているのであれば、驚きです。もっとも文芸社はガイドラインの賛同事業者には入っていませんから、拘束されるようなこともないのでしょうね。このガイドラインは以下の記事でも指摘しているように、私にとっては疑問が多いんです。

文芸社・新風舎の盛衰と自費出版(21)ガイドラインへの疑問 

文芸社・新風舎の盛衰と自費出版(22)ガイドラインの責任 

 さらに、他の自費出版社にも問題が残っているとして、新風舎の元社員たちが動き始めていることにも言及しています。これって、JPS出版局の高石左京氏が宣伝しているパブネットのことを指しているのでしょうか? 高石氏は文芸社に譲渡されるはずだった作品を勝手に出版させてしまいましたからね。文芸社から睨まれる存在になったといえるでしょう。

 JPS出版局に問題がないとはいいませんけれど、批判されている共同出版社のように契約内容と実態がかけ離れているわけではなく、新風舎などと同レベルで問題視すべきではないでしょう。あえていうなら、利益のためにやっているのではないと弁明していることや編集内容でしょうか。

 さて、ちょっと驚いたことがあります。リタイアメント情報センターは4月26日に「失敗しない自費出版のススメ」というタイトルで出版相談事前セミナーを開催するそうです。自費出版編集者フォーラムは、だいぶ前からこの日の同じ時間帯に総会・座談会を予定していました。リタイアメント情報センターに関っている一部の業界関係者もこちらの座談会のパネリストになっています。同日同時間帯とはずいぶん偶然ですね。

 「出版相談事前セミナー」とのことですが、中立であるべきNPO法人が、特定の事業者による出版相談会を主催するということにも疑問を感じてしまいます。セミナーを開催するのであれば、利害関係のない人に講演を依頼するとか、せめて複数の講師に依頼するとかすべきではないでしょうか。

 そうそう、高石氏は5月11日にやはり都内で有料の「本作りセミナー」を予定していますが、その前にリタイアメントの無料のセミナーがあるわけです。こういう状況にも、なんだか意図を感じてしまうのですよね。考えすぎでしょうか・・・。

 それにしても被害者組織の「考える会」とNPO法人の「リタイアメント情報センター」というのは、いったいどういう関係なんでしょうか? 文芸社との癒着疑惑を持たれている尾崎浩一氏が両者に共通していることは明らかですけれど、「考える会」のメンバーの皆さんはこのような状況に疑問を抱かないのでしょうか?

2008年4月16日 (水)

西宮冷蔵の闘い

 西宮冷蔵社長の水谷洋一さんが雪印の牛肉偽装を告発して大ニュースになった事件がありましたね。牛海綿状脳症対策のための在庫牛肉の買い取り制度を利用して、外国産の牛肉を国産牛肉と偽って詐欺を働いたという事件です。ところが、告発者に襲いかかってきたのは営業停止処分。その後、取引業者が次々と撤退して廃業に追い込まれてしまったと知ったときには、さすがにショックでした。

 あれからかれこれ6年が過ぎましたが、その水谷洋一社長のドキュメンタリー映画「ハダカの城」が、札幌でも上映されることになったようです。

 あの時とても不思議に思ったのは、告発者がどうして営業停止処分になってしまったのかということでした。こんなことにはたいてい裏があるはずです。「正義は我にあり 西宮冷蔵・水谷洋一の闘い」(アットワークス)という本を読んで、その事情がよくわかりました。

 雪印が告発されたことであわてたのが、同じことをやっていた日本ハム。危機感を持った日本ハムは口封じに動いたわけです。水谷さんのような告発者を出さないためには、取引をしている倉庫会社の口を封じなければなりません。そのためには見せしめが必要というわけです。そのターゲットになったのが水谷さんです。

 食肉の業界団体に影響力を持っているのは農水省。冷蔵会社の監督官庁は当時の運輸省(現国土交通省)なのですが、そこは官僚同士で手を組んでうまくやったのでしょう。そうして倉庫業違反で営業停止処分になってしまったのです。

 西宮冷蔵は一週間の営業停止処分を乗り切ったものの、それを契機に取引業者がどんどん撤退してしまい、廃業に追い込まれてしまいました。まさしく業界による「見せしめ」のための処分だったといえるのではないでしょうか。

 それにしても、こういうときに取引業者が撤退してしまうというのは不思議ですよね。その撤退した業者というのは「コープこうべ」に商品を納入していた業者だったというのです。コープがこのようなことに関っていたとは、地に落ちたものです。

 こうやってみると、告発者潰しの構図というのはすごいですよね。大企業を相手にした告発者というのは、こういう構図と闘わなければならないということなのです。でも、それに負けずに会社を再建させた水谷さんの努力と心意気には頭が下がります。告発者、公益通報者を守れないとは何と情けない国か。

 こんなことがあったのに、昨年はまた食品偽装が相次ぎました。最終的には信頼を失って頭を下げなくてはならないのに、偽装をする人たちはそれがわからないのでしょうか。

2008年4月15日 (火)

桜の植樹はいいこと?

 今日の北海道新聞の十勝版に、新得山への桜の植樹に関する記事が掲載されていました。タイトルは「混乱、背景に町の不作為 新得山 住民発意の植樹で自然林伐採」。簡潔に紹介すると以下のような内容です。

 神社山(新得山)の桜が老木化して名所に危機感を持った「花咲爺さんの会」が桜の苗を植えるために町民に寄付を募ったところ、約170本分の資金が集まり、植樹場所を確保するために神社周辺の樹を伐採した。この植樹活動は住民と自治体の「協働」として町も歓迎していたが、伐採に対して非難や疑問の声が上がった。計画に関った町は、たとえ善意の行為であっても情報を開示して町民の意見を把握すべきだった。

 この記事、どうしても釈然としません。なぜかというと、この記事自体が「桜を植えるのは良いこと」「植樹は善行」という前提で書かれているのです。でも本当にそうでしょうか?

 桜の花を観賞するために、公園とか公共施設の周辺、あるいは街路樹として桜を植えるというのは理解できます。神社の境内に植えるのもいいでしょう。ただし、いくら桜の花がきれいだからといって、自然林(といっても二次林でしょうけれど)の中に170本もの桜を植えるという発想に疑問を抱かざるを得ません。

 ここで言う桜とは北海道に自生しているエゾヤマザクラのことだと思いますが、エゾヤマザクラというのはそもそも山肌に点在している樹です。自然状態では「山肌一面が桜」などということはあり得ません。北海道では桜の名所にしようと、山肌がピンク色に染まるくらい里山に桜を植えているところもありますが、あまりにも不自然な光景で感心できません。

 神社の桜が老木化したという理由で新たに苗を植えるのはいいのですが、寄付が集まったからといって自然林の一部を伐採して170本もの桜の苗を植える必要があるのでしょうか? 桜の名所をつくりたいという気持ちはわかりますが、桜にこだわるのはあまりにも安易な発想のように思えます。

 今は生物多様性の保全が叫ばれています。道有林では木材生産のための伐採はやめ、人工林も天然林に近づけるようにしていくという方針です。かつては薪炭林などとして利用されてきた里山も、これからはできるだけ本来の植生に近づけ生物多様性を保全していくようにすべきでしょう。

 近年では温暖化防止のために「植樹」が叫ばれていますが、ただ樹を植えればいいというものではありません。自治体も住民も生物多様性を念頭に置いて、かつてそこにあった森林を取り戻すような復元を考えていくべきではないでしょうか。

2008年4月14日 (月)

平取ダムは愚の骨頂

 先日は「土砂で埋まる二風谷ダム」について書きましたが、同じ愚行を繰り返そうとしているのが平取ダムです。

Biratoridamu  平取ダムは二風谷ダムの少し上流で沙流川に注ぎ込んでいる額平川(ぬかびらがわ)の峡谷に建設が予定されているダムです。

 沙流川本流に建設された二風谷ダムは水深が浅くて湛水面の広いダムですが、峡谷につくられる平取ダムはそれとは対照的に深いダムです。しかもこのあたりの斜面は崩落を繰り返しているところ。こんなところにダムを造ったらすぐに土砂が溜まるのは目に見えています。そして、流れを堰き止めたダムの底には必ずヘドロが溜まるのです。

 ダムを建設する北海道開発局も、二風谷ダムの経験から平取ダムを造ったら大量の土砂が溜まってしまい、洪水調節機能を保てなくなると学習したようです。それならばダム建設はやめるのが筋でしょう。ところがどうしたかというと、何と「排砂ゲート方式」にするというのです。融雪期にダムの下部に設けた排砂ゲートから溜まった土砂、つまりヘドロを流すということです。

 同じことをやって大変なことになったダムをご存知でしょうか。富山県の黒部川に造られた二つのダムです。ヘドロを流したので大量の魚が死に、河口部では大きな漁業被害を出して裁判にもなりました。

 そもそも二風谷ダムの洪水調節という目的は破綻しているのに、上流にさらにダムをつくって今度はヘドロを流すというのですからとんでもない話です。河川や海にヘドロを流して汚染してしまうことが予測されます。国はそんなダムに今後461億円もの税金を投入するというのです。しかもその費用の15パーセントは北海道が負担することになっています。

 二風谷ダムの経験を生かすなら、これ以上のダムの建設は中止するべきでしょう。愚行に税金を投入するだけです。

 北海道の自然保護団体などは開発局に質問書を出したのですが、開発局は二風谷ダムではヘドロは確認されていないなどと釈明しています。二風谷ダムの堆砂の予測もいい加減だったということでしょう。

 黙っていたら何の反省もなくどんどん無駄なダムが造られていく。それがこの国の現実です。

 写真は建設現場の入口に立てられている建設反対と書かれた立て札です。

 以下は、昨日のJANJANに掲載された記事です。

まやかし 排砂ゲート方式採用 北海道・平取ダム

2008年4月12日 (土)

ビラを配って有罪?!

 昨日の立川反戦ビラ事件の判決は、やはり黙ってはいられません。なんとも酷い判決です。

 ビラを配っただけで平穏な生活の侵害? ビラ配りなどどこでも行われていることでしょうに。頼みもしないのに勝手に共用部分に立ち入って郵便受けにビラを入れていく人など、日常茶飯事です。いらないビラは皆さん勝手に処分しているのではないですか?

 被害届が出されていた? サラ金が違法な取立てに来たので、警察を呼んで告訴したが何もしてくれなかったなんて話を聞いたことがあります。それこそ平穏な生活の侵害でしょう。警察の対応はあまりにもアンバランスです。

 扉をあけて住居の中に入ったわけではないのに住居侵入罪? 集合住宅の共用部分に入っただけのことで罰するのであれば、日本はとんでもない社会になってしまったということでしょう。

 結局は、そのビラが「反戦ビラ」であったこと、そして配られたのが「自衛隊の宿舎」だったことがそのような事態にまで発展させたということでしょう。これではまるで反戦活動をする人を、いいがかりのような理由で犯罪者にしてしまうということです。

 最高裁がこんな判断をするというのは、反戦活動をするなというに等しいのではないでしょうか。なんだか戦前に引き戻されているようです。ビラによる表現の自由も拘束されるとは、この国の民主主義も末期的では・・・。

 今日のJANJANに裁判を傍聴した方の記事が出ていました。リアルな裁判傍聴記をどうそ。

「立川ビラ配布事件」最高裁で有罪判決確定

2008年4月11日 (金)

土砂で埋まる二風谷ダム

 日本というのは本当にどこに行ってもダムだらけですね。上高地に行った時も、急峻な谷あいにいくつもの巨大ダムが連なっているのを目の当たりにして、ため息が出てきました。田中康夫前知事が「脱ダム宣言」をしたのがよくわかります。

 北海道でもダム問題は深刻です。日高地方の沙流川には、苫小牧東部工業地帯に工業用水を供給することを主目的として二つのダムが計画されました。二風谷ダムと平取ダムです。ところが苫東計画は破綻。すると次ぎにはダムの目的を洪水調節とか、灌漑用水、水道水、発電などに変更して二風谷ダムを造ってしまいました。

 二風谷といえば、古くからアイヌ民族の集落があったことで知られているところですが、アイヌ民族の反対を押し切って造られてしまったのです。

 ダムの最大の目的は洪水調節だったのですが、平成15年の台風10号ではダムが満杯になって洪水調節の機能が果たせなくなったうえ、水害を引き起こしました。

 ダムが満杯状態になって危険になると、「ただし書き操作」といって、流入量と等しくなるまで放流が行われます。この時点でダムの洪水調節機能は失われたことになります。「ただし書き操作」が行われると、ダムの下流部では一気に水量が増えることになります。

 水量が一定以上に増えると、本流から支流に水が逆流してしまいます。この逆流を防ぐために支流との合流部には「ひ門」と呼ばれる水門があります。ところが台風10号のときにはこの「ひ門」が閉められなかったために、本流の水が逆流して溢れ、下流域が水浸しになったのです。人災ともいえる水害です。この水害では今も裁判が行われています。

 さらに問題なのは、二風谷ダムにはすでに大量の土砂が溜まっていて、有効貯水量が減ってきているということです。この対策として、国土交通省は夏のあいだは水位を下げて貯水量を増やすようにしました。ところが水位を1メートルほど下げたら何と一面の「泥の原」が出現したのです。あと何年かしたらさらに土砂が堆積して、洪水調節の機能はほとんど果たせなくなるでしょう。

 要するに、ダムによる洪水調節はすでに破綻しているということです。

 そんな状態なのに、さらに上流に平取ダムを建設しようとしています。建設することが目的となっているとしか思えません。まったくどうなっているんでしょう!

 二風谷ダムの写真は以下の記事をご覧ください。

建設が自己目的化 沙流川水系の二つのダム

2008年4月10日 (木)

ケショウヤナギの不思議な分布

 ケショウヤナギは、朝鮮半島や中国東北部、日本、サハリン、カムチャッカなどに分布するヤナギで、高木になります。日本では北アルプスの上高地と北海道の十勝地方や日高地方に分布していることが知られていましたが、その後、オホーツク海に注いでいる諸滑川にも分布していることが確認されました。昨日の記事「河原を彩るケショウヤナギ」はその諸滑川のケショウヤナギです。

 ケショウヤナギが生育しているのは礫の多い河川敷です。十勝には十勝川や札内川のように礫の多い河川がいくつもありますから、あちこちでケショウヤナギが見られるのです。

 ところが、礫の多いのにケショウヤナギが分布していない河川もあります。諸滑川の東に湧別川という川があります。この川も礫が多い河川なのですが、ケショウヤナギは分布していません。オホーツク海に注ぐ川でケショウヤナギが見られるのは諸滑川とその周辺だけなのです。北海道では十勝と日高に分布し、それと離れて諸滑川に分布していることになります。

 ヤナギ類は雌雄異株ですが、ケショウヤナギはヤナギでは珍しく風媒花です。近くに雄株と雌株の両方がなければ種子はできません。また、ヤナギの種子は風によって運ばれますし、一般に乾燥に弱くて短命です。ただしケショウヤナギの場合は1ヵ月ほどの寿命があるようです。種子が風によって数十キロほど運ばれることはあるでしょうけれど、落ちたところの条件が悪ければ発芽することはできません。つまり、それほど遠くまで分布を広げられないということです。写真は、裸地に一斉に芽生えたケショウヤナギです。

 諸滑川と湧別川は30キロメートルほど離れています。湧別川にケショウヤナギが分布していないということは、風によって諸滑川から種子が運ばれるには遠すぎるということなのではないでしょうか。

 本州でケショウヤナギといえば、上高地です。数年前上高地に行きましたが、河童橋のたもとには立派な老木がありますし、梓川の河原には若いケショウヤナギ林が茂っていました。私は、本州では上高地にしか分布していないとばかり思っていました。ところが、上高地から松本までタクシーに乗ったときに、新島々の近くの梓川にケショウヤナギがあることに気づきました。

 上高地は盆地上になっていて梓川の河川敷には砂利河原が広がっていますから、ケショウヤナギが生育できます。しかし、大正池のあたりは礫がないので分布できません。また、上高地と新島々の間は峡谷になっていて砂利河原がないのでやはりケショウヤナギは生育する場所がないのです。梓川が平野に出て砂利の河原が出てきたところにケショウヤナギが分布しています。ここのケショウヤナギは、種子が上高地から川の流れによって運ばれてきた可能性があります。

 それでは、なぜ東北地方をとびこして北海道と上高地に隔離分布しているのでしょうか。それこそ植物の分布の不可思議なところですが、簡単に近隣の地域に分布を拡大させることができる植物ではなさそうだということから考えるなら、かつてはもっと広く分布していたが、その後なんらかの原因で分布が縮小してしまったと考えるほうが自然です。

 北海道には氷河期にはカラマツと近縁のグイマツが分布していたといわれていますが、その後絶滅してしまいました。ケショウヤナギも、かつては日本に広く分布していたものが、今は上高地周辺と北海道の一部の地域にしか生残っていないのかも知れません。

2008年4月 9日 (水)

河原を彩るケショウヤナギ

 殺風景だった冬の河原も、フキノトウが顔を出し、カラスが巣づくりをはじめ、ヤナギの花がほころびはじめて少しずつ春めいてきました。

Kesyouyanagi1  ヤナギの若い枝は若草色、赤、黄色…とカラフルに色づいています。その中でもひときわ目を引くワイレッドの枝先のヤナギは、ケショウヤナギです。ケショウヤナギの紅色は特に濃い色をしているのですね。写真は、先日訪れた諸滑川のケショウヤナギです。この日は曇っていたのであまり色が鮮明ではありませんが、実際にはもっと明るい色です。

 まだ葉が伸びていない今の季節はケショウヤナギの枝先の深い紅色がとてもよく目立つので、簡単にほかのヤナギと区別することができます。葉が茂ってきても、葉が小さく樹形も独特なので、慣れると遠くからでも区別できます。

Kesyouyanagi2  ケショウヤナギは砂利河原のあるところに生育しているのですが、洪水などで河川敷が洗われて砂利が露出したところに種子が散布されると一斉に芽を出して群生するのです。若木が密生しているところは遠くから見るとサンゴソウのような色合いでとても綺麗です。

 ケショウヤナギという名前は、若い枝に白粉がついていて化粧しているように見えるところからきているのですが、若い枝に白い粉をふくヤナギはほかにもありますので、それだけで区別してしまうのは危険です。新聞に紹介された新産地の記録が、誤った同定によるものだったことがあります。

Kesyouyanagi3  新緑の季節になると明るい緑の葉に覆われてしまうので、綺麗な紅色に彩られているのは冬から春の間です。でも、ヤナギのカラフルな枝の色というのは、何か意味でもあるのでしょうか?

 十勝地方では広く分布しているケショウヤナギですが、砂利のある河原があればどこにでも分布しているとというわけではありません。分布が限定されているので、国のレッドリストでは絶滅危惧Ⅱ類に指定されています。

 ケショウヤナギの不思議な分布の話は、またの機会に。

2008年4月 8日 (火)

国土交通省の呆れた看板

Kanban  先日、紋別方面に出かけたのですが、諸滑川にかかる橋を渡るときに目を疑うような看板を見つけました。あまりにびっくりしたので、引き返して写真を撮ってきました。

 この看板があったのは橋のたもとの堤防の上です。河川管理者の国土交通省が設置したもののようですが、この看板、いったい何をいいたいのでしょうか?

 看板にはコスモス、ルドベギア、ナデシコ、矢車草など6種の花の写真が並べられ「川を飾る花たち」と書かれています。どれも園芸植物です。ということは、河川の周辺を園芸植物で飾りましょうということなのでしょうか?

 このあたりでこれらの園芸植物の種を蒔いているかどうかは知りませんが、もしそんなことをしているのであれば河川に外来種を積極的に導入することになるのですから穏やかではありません。そうでないなら、どういう意味なのでしょうか?

 十勝の札内川では、河川敷にムシトリナデシコが入り込んで花の季節にはピンク色に染まっているところがあります。また、音更川では河川敷にルピナスの種を蒔いた人がいました。種を蒔いた人は観光名所にしようと思ったのでしょうけれど、人為的に外来種を持ち込むというのは河川の生態系、生物多様性を破壊する行為です。北海道では両種ともあちこちで野性化していて問題視されています。

 園芸植物を楽しむのは結構ですが、それは個人の庭や公園など、きちんと管理できる範囲に限定すべきでしょう。とりわけ繁殖力が旺盛で簡単に野生化してしまうような植物は、自然の中に逃げ出さないようにしなければなりません。ルドベギアなどは北海道の気候によく合って繁殖力も旺盛ですから要注意植物です。

 日本は生物多様性条約を締結し、それに基づいて「生物多様性国家戦略」「新・生物多様性国家戦略」を策定しました。このために河川法が改正されて、国土交通省も環境の保全を図らなければならないことになっています。生物多様性を破壊する外来種などは、駆除の対象といえます。

 このようなことがまったくわかっていないような看板に、驚き呆れてしまいました。

2008年4月 5日 (土)

表現の自由の危機

 東京と大阪の映画館で「靖国」の上映が相次いで中止されたとのことですが、映画館はどうしちゃったのでしょうか?

 街宣車による抗議活動などで迷惑がかかるとの話がありますが、その対策を考えようともせずいとも簡単に上映中止という判断をしてしまうとは情けないとしかいいようがありません。映画館が「表現の自由」に自ら蓋をしてしまう行為です。こういうときに果敢に立ち向かうことこそ表現を大切にする人たちに求められているのではないでしょうか?

 お客さんへの迷惑を理由に、暴力に抵抗することもなく中止を決め込んでしまうなどということが当たり前になってしまったら、もはや「表現の自由」などはお題目だけということになります。どこの映画館も「右に倣え」というのであれば、あいた口がふさがりません。

 内容が反日的という声もあるようですが、仮にそうだとしてなぜそれがいけないのでしょうか? 日本が外国人の目からどのように捉えられているのかを知ることは、とても意味のあることではありませんか?

 そもそも、この映画の製作には文化庁所管の日本芸術文化振興会から750万円の助成金が出ていることから、自民党の稲田朋美議員が文化庁に要請して国会議員に対して試写会が行われたとして批判されています。手続きを経て出されている助成金に、国会議員が異議を申し立てることこそおかしいのであり、これはまるで国会議員による検閲ではありませんか。こうした議員の行動に、なんだか戦前のような空気を感じてしまいます。

 街宣車が押しかけるような映画なら、なおさら見たくなってしまうのですけれど、そう思うのは私だけではないでしょう。

 とにかく、今回の上映中止事件にはこの国の表現の自由の危機を感じてしまいます。

2008年4月 4日 (金)

魑魅魍魎の出版業界

 新風舎の事業が文芸社に譲渡されて不可解に思うのは、あれだけ騒いでいた「新風舎商法を考える会」の動きです。昨年はあちこちのマスコミに露出していたようですが、すっかり沈黙してしまいました。「裁判どうなってるの?」にも書きましたが、提訴時には記者会見までした裁判の動きはさっぱりわかりません。

 文芸社に事業譲渡されたというニュースが報道されても、マスコミは譲渡先の文芸社や同様の商行為を行っている出版社については何も批判的な報道をしていないようです。弁護士先生がお墨付きを出したから?

 つい先日もある新聞記者と話しをする機会がありましたが、共同出版の話題になったら苦笑いをしていました。本気で何も問題がないと思っているわけではないのでしょう。でも書けない、それが現実なのだと思います。新聞記者はネタ探しには熱心なのですけれど・・・。それにしても、昨年はどうして新風舎ばかりが目の敵のように批判されたんでしょうね?

 新風舎の広告塔になっていた井狩春男氏は出版取次の鈴木書店に勤務していたのですから出版業界のことに詳しいはずですが、新風舎の商法をどう考えているのでしょうか? 自分の責任を感じていないのでしょうか? 広告塔になっていた著名人の無責任ぶりにも呆れてしまいます。

 ということで、以下の記事を書きました。

文芸社・新風舎の盛衰と自費出版(24)新風舎倒産の疑惑と批判できないマスコミの不甲斐なさ

 私は、出版業界というのはもう少し堅気の商売だとばかり思っていました。出版というのはメディアの一員ですし、マスコミの多くは出版部門ももっているのです。何よりも信頼性を重視しなければならない業界ではないでしょうか。でも実態は、魑魅魍魎がうようよしている世界のようです。長引く出版不況で出版業界が大変なのはよくわかりますが、それでもやっていいことと悪いことの区別くらいはしてほしいですよね。利益のために人を騙すようなことだけは許せません。

 もちろんそんな業界であっても、地道に頑張っている出版社もあるはずです。商業出版であっても自費出版であっても、一人でも多くの人に読んでもらいたいと著者とともに努力している出版社だってきっとあるでしょう。ただし、そのようなところはあまり目立ってはいないのでしょうね。

 アマチュアが本を書いて販売することを非難する人もいるようですが、私はたとえプロのもの書きではなくても、何千部も売れなくても、本を出版することを否定するつもりは毛頭ありませんし、出版はひとつの文化だと思っています。アマチュアだって発言したり表現する権利はあります。ただ、作品の内容やレベルに見合った出版をすべきですし、悪質な商法に引っかからないような注意が必要だということです。

 昨年から猛然と繰り広げられた新風舎への批判によって、アマチュアの人が本を出すことや著者が費用を負担する出版への批判や不信感が強まってしまったのではないかと気になります。契約内容も確認せずに的外れな批判をしている人もいたようですが、そんな発言が広まってしまったら出版文化の妨げになりかねません。

 でも、つくづく思います。魑魅魍魎がうようよするなかで良心的な出版社や出版サービス会社を探すのはとても大変なことだと。

2008年4月 3日 (木)

破壊されるヤンバルの生態系

 昨日紹介したサイトが更新され、ヤンバルの沢の破壊について書かれています。

http://hosomidani.no-blog.jp/hfm/

 大雪山国立公園の皆伐地でも、沢に作業道をつくったために沢を破壊していました。雪融けの季節は皆伐地から泥水が川に流れ込むはずですし、沢が増水すれば作業道はすぐに流されてしまうでしょう。伐採と沢の破壊はきってもきれない関係です。

 森が壊れれば川も壊れ、海にまで影響が及びます。ひとつづきになった生態系として守っていかなければなりません。

 とかく北海道と沖縄という日本の両端のことは中央では報じられないようですが、霞ヶ関の人たちにはこのような実態を是非知ってもらいたいですね。

2008年4月 2日 (水)

沖縄の凄まじい森林伐採

 大雪山国立公園で風倒木処理との名目で皆伐が行われていることについては、「天然林伐採の凄まじい実態」で書きましたが、実は沖縄のヤンバルの森はもっと凄い伐採をやっているようなのです。

 私はこの現場には行っていないのですが、1月に現地を視察した方がその実態を報告しています。それによると舗装した林道を山奥にまでつくり、大々的な皆伐をしているというのです。なんだか熱帯雨林の皆伐を連想するかのような状況ですね。

 北海道の天然林では「択伐」という抜き伐りをしてきましたが、まとまって風倒木が発生したところなどでは皆伐状態にしています。ある程度の広さのところを全部伐って植林するのですから、これは天然林を造林地に変える拡大造林にほかなりません。風倒木が発生したといってもすべての木が倒れるわけではありませんし、幼樹や稚樹もあるのですからそのままにしておけばもとの森林に復元するはずなのですが、そこをブルドーザでならして苗木を植えるのです。

 ところが、沖縄の場合は天然林で択伐ではなくはじめから皆伐をしている、つまりいまだに拡大造林をしているようなのです。

 これについては以下のサイトをご覧ください。

http://hosomidani.no-blog.jp/hfm/2008/02/hfm67223_a09f.html

http://hosomidani.no-blog.jp/hfm/2008/02/hfm68225_07d8.html

 本州では、古くからスギなどの造林地が広範囲につくられていますので、天然林での伐採は北海道から比べれば多くはありません(もちろん東北などではその残り少ない天然林にまで手をつけているのですが・・・)。

 温暖化防止のために木を植えましょう、などとしきりに言われていますが、北海道と沖縄という日本の北と南の端では、いまでもこんな伐採をやっているのです。これでは「北と南の恥」ですね。

2008年4月 1日 (火)

幻想的な幻日

 昨日は上湧別町まで足を伸ばしました。途中で遠軽町を通っていくのですが、遠軽町の駅のすぐ近くにはとても奇怪な岩が聳え立っています。「がんぼう岩」といわれるこの岩は、約730万年前に噴出した安山岩質火山角礫岩とのことで、この町のシンボル的存在です。

 アイヌ語では、この岩は「インカルシ」と呼ばれているそうで、「見晴らしのよいところ」という意味だそうです。インカルシからエンガルという町名になったようです。

 こんな岩があったら、やはり登りたくなってしまうものです。この巨岩の麓には「太陽の丘えんがる公園」があり、そこから簡単にこの岩に登ることができるので、帰りにちょっと寄ってみようと車の方向を変えたところ目の前の空に不思議な光景が出現しました。

Genjitu  沈みかかる太陽の近くに赤い光りが見えるのです。よく見ると太陽の左右に光があり、その光は虹のように太陽に近いほうが赤っぽく、外側に向かって淡くなっています。遠くから見るとまるで太陽が3つあるかのような不思議な光景です。「太陽の丘」公園に行って太陽の不思議な現象を見てしまったのですから、なんとも偶然です。

 これは幻日(げんじつ)という現象です。この光りは太陽の片側にしか見えないこともあるそうですが、昨日は条件がよかったのか両側に綺麗に見えました。よく見ると左右の光は半円を描いて繋がっているようです。幻日とは、ウィキペディアによると「太陽と同じ高度の太陽から離れた位置に光が見える大気光学現象」とのことですが、やはりこういう自然現象というのはなにやら神秘的ですね。

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