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2008年3月

2008年3月30日 (日)

青いクモ

 だいぶ前のことになりますが、「苫小牧の港の近くの貯木場で青いクモが採集されたので見て欲しい」といわれて送ってもらったことがあります。

 送られてきたクモを見て、ドッキリしました。とにかく全身が原色のブルーなのです。形からオニグモ(コガネグモ科)のクモであることがわかりましたが、こんな色のクモは日本にはいません。港の近くの貯木場・・・とすると、外材に紛れて南の国から運ばれてきたのでは? となると名前を調べるのは大変です。

 クモの生殖器を確認しようと思ってひっくり返してから「おや?」と思いました。なんと、背面側は真っ青なのに腹面はまだらなのです。そして、顕微鏡で覗いて謎が解けました。何と、この青いクモさんは背面からカラースプレーをかけられたオニグモだったのです。顕微鏡で細部を見れば表皮も毛も同じ青ですし、一部がまだらになっていることからも、その青がもともとの体色ではなく塗られたものであることがはっきりわかってしまいます。

 山から伐り出された丸太には、赤や青のスプレーで印がつけられていることがあります。おそらく丸太に止まっていたオニグモが、不運にもそのスプレーをたっぷりと浴びせかけられたのでしょう。ただし、腹面にまでスプレーがかからなかったのでまだらになったのです。また、クモの呼吸器官は腹面にあるのですが、そこにはスプレーが付着しなかったので呼吸するには問題がなかったようです。

 「南国からの珍客?」という仮定はあっけなく崩れ去ったのですが、それにしてもあんな真っ青なクモを見つけたならだれだってびっくりするでしょうね。

 ところで、私たちが普通目にするクモの多くは茶色系統などの地味な色が多いのですが、カラフルなクモもいろいろいます。赤、オレンジ、黄、緑、白など。北海道にもその名のとおり赤いアカオニグモとか、黄色のキバナオニグモ、緑に輝くエゾアシナガグモ、白いヒメハナグモなど、とても綺麗な色のクモがいます。ところが、よくよく考えてみると青いクモというのが思い当たりません。

 アオオニグモというのがいますが、青ではなく薄い緑です。アオオビハエトリというクモはたしかに青光りする部分があるのですが、原色のような青というわけではありません。昆虫には目の覚めるような瑠璃色のハムシやカミキリムシがいます。また綺麗な青色をもつトンボやチョウなどもいますが、どういうわけかクモには青いものが非常に少ないようです。

 クモの多くは積極的に狩りをするというより待ち伏せ型ですから、体の色もまわりの環境に合わせているのかもしれません。自然界には緑や黄色、赤などの色彩は多くても、青というのはほとんどありませんから。

 ところで、先日こんなサイトを見つけました。タランチュラの仲間ですが、何と脚が綺麗な青ではありませんか! こんな写真を見ると目が輝いてしまうんですよね、蜘蛛好き人間は(こんなこと書くと、たぶんかなりの変人だと思われるのでしょうね・・・)。

 好奇心旺盛な方は以下のサイトをどうぞ。でも、クモが嫌いな方は見ないほうがいいような・・・。

http://avimania.exblog.jp/7674343/ 

こんなふうに、全身青いのも!

http://avimania.exblog.jp/679934/

2008年3月29日 (土)

北海道の高速道路は無駄の典型

 道路特定財源の問題で、福田首相は2009年から一般財源化する提案をしましたが、これだけでは本気で道路改革に取り組むという姿勢が感じられませんね。2009年度からなどといわずに早急にすべきですし、道路整備中期計画は撤廃しなければ・・・。

 高速道路のことについては「高速道路と医療崩壊」でも書きましたが、北海道の高速道路は本当に問題です。

 昨年は道内のいろいろなところに出かけ、高速道路の建設現場なども通りかかったのですが、北海道の呆れる高速道路建設のことは本州の人にも知ってもらいたいですね。

 たとえば旭川紋別自動車道という建設中の高速道路があります。この道路にそっては遠軽まで鉄道(石北本線)が通っています。また国道もあるのですが、もちろん交通量は少なくてガラガラです。本州の人が見たなら、この車の少なさに驚くのではないかと思います。なぜ、混んでもいない道路があるところに並行して高速道路を造らなければならないのでしょうか? いったいどれだけの人が高速道路を望んでいるのでしょうか?

 ここでは工事のやりやすいところから建設しているようなのですが、山の中の急峻な地形のところは当然のことながら難工事になるのです。山を削り谷に橋梁をかけて造っていくのですから、工事費もかなり巨額になっているはずです。

 そびえ立つ橋梁ひとつを見ると、「このコンクリートの塊にいったい幾らかかっているのかしら?」と思ってしまいます。そんな道路のために自然が容赦なく破壊されている現場を見ると怒りがこみ上げてきます。

 帯広・広尾自動車道も同じで、すぐ近くに国道があるのです。帯広の市街地を抜ければ、広尾まで国道はガラガラです。地方は人口だって減っているのですから、これから交通量が増えるとは思えません。

 高速道路を促進する人たちは、しばしば農水産物や宅配便などの輸送が早くなることをメリットとして挙げますが、今以上に早くする必要がどれだけあるというのでしょうか? 私たちは利便性だけを求めつづけていくべきなのでしょうか? 「少しでも早く」と求めれば求めるほど、運輸業者にも負担がかかっていくのです。

 北海道で造りつづけている高速道路は、まさに無駄な道路の典型ではないでしょうか?

2008年3月27日 (木)

エゾシカは減ってきたのか?

 いつもこの季節になると悩まされるのが、エゾシカによる庭荒らしです。雪が融けて間もない頃は、エゾシカが餌となる植物を求めて市街地にまで出てくるのです。公園などの芝生や、庭に植えられた園芸植物・樹木が彼らのごちそうになります。人家の庭先のわずかな植物まで食べなくても・・・と思うのですけれど。

 といってもエゾシカが庭先にまで現れるようになったのは、十数年ほど前からでしょうか。はじめはチューリップが狙われました。何とチューリップが大好物なのです。それからクロッカスやヒヤシンス、ムスカリなども食べられました。どうやらユリ科の植物は特に好きなようです。

 ある年などは、プランターに植えて並べたばかりのビオラの花が一晩できれいになくなっていました。朝、窓から庭を眺めてそれを見つけたときには、ビオラの花だけがきれいに消えていたので目を疑ったものです。

 さらにエスカレートしていって、オニゲシやアイスランドポピー、フロックスなどの宿根草もことごとく食べるようになりました。最近では食べないのは毒のあるスイセンやサクラソウなどの一部の植物くらい。食性もどんどん変わっていくかのようです。

 樹木ではイチイの樹皮が齧られるほか、ツリバナやサクラの幼樹、バッコヤナギの枝もバリバリと食べられてしまいました。イチイとツリバナは大好物です。

 夜になると、本当にシカさんたちが家の周りを闊歩しているのです。20メートルくらい近づくとさすがに逃げますが、車に乗っているとかなり近くでも逃げません。時には昼間でも出てきていました。毎年、「今年こそ数が減って庭に来ないで欲しい」と思っていましたが、必ず来るのです。

 一時は庭の周りに網を張ったり針金で柵をつくって侵入できないようにしたこともありますし、懐中電灯を持って夜回りをしたことも。で、最近はもうあきらめて何もしていませんでした。どうぞ勝手に食べてくださいとばかり、そのままにしていました。

 ところが今年は来ないのです! 雪が多い年はエゾシカも餌がとれず、餓死して個体数が減るのです。でも今年は雪がすごく少なくて雪融けも早かったので、エゾシカにとっては餌がとりやすい年だったはずです。それなのに、来ない・・・。どうやらエゾシカの個体数が減ってきているようですが、どうして減ってきているのかが今ひとつわかりません。

 世界遺産に指定された知床半島では、エゾシカが増えすぎて食害が深刻な状況になっており駆除もしているようですから、場所によって違うのでしょうね。

2008年3月26日 (水)

やっぱりおかしい裁判所

 冤罪については「冤罪の構図」でも書きましたが、袴田事件の特別抗告が棄却され再審が否定されたという結果には落胆しました。やはり今の裁判所におかしさを感じざるを得ません。

 袴田事件といえば、冤罪が訴えられている事件として有名ですが、多くの人たちが彼の冤罪を訴えて活動をしてきました。

 これまでの冤罪の多くが強要された自白によってつくられてきたといわれています。袴田事件も長時間の取調べで強要された自白によって起訴されたといえるでしょう。そして物的証拠として出されているのは、みそタンクから出てきたという血痕のついた衣類のみ。

 しかもその衣類は小さすぎて袴田さんが着用できないサイズであり、付着していた血痕は衣類によって血液型がまちまちで不自然なものだったといわれています。

 多くの支援者が冤罪を訴えているなかで、自白と不自然な衣類だけで死刑を決め付けてしまう検察、裁判所というのはどうなっているのでしょうか? ここからは「はじめに犯人ありき」の捜査と、起訴したからには絶対に有罪に持ち込むという検察、検察の意向を強くうけている裁判所の姿が見えてきます。

 その中で、昨年、元裁判官の熊本典道さんが「無罪との心証を持っていた」と告白したことに、私は熊本さんの良心を見た思いがしました。彼のブログもそのとおり「裁判官の良心」というものです。

 「心証」とはいってもそれは「確証」といってもいいのではないでしょうか。彼のブログを読めば、その思いが伝わってきます。そして、多くの人に読んで欲しいのは、そこに書かれた袴田さんの獄中の手記です。犯人なら、こんなことは決して書けないとしか思えません。

 熊本さんも書いていますが、誤った判断をしてしまったならそれを認め、過ちを正すことが何よりも大切なのではないでしょうか。それをもっとも誠実に実行してもらいたいのが人の命を預かる検察官であり裁判官ですが、それができないところが日本の検察であり裁判所のようです。情けない限りです。

 無実の人を苦しめ追い詰めて人生を台無しにし、死を突きつけることがどんなことなのか、裁判官こそ胸に手を当て、良心にしたがった判断をしてほしかったのですが・・・。 熊本さんや支援者の思いが伝わらなかった判断になんとも虚しさを感じてしまいます。

参考サイト

袴田巌さんを救う会

2008年3月25日 (火)

紛らわしい針葉樹の和名

 北海道を代表する針葉樹といえばトドマツ、エゾマツ、アカエゾマツですね。本州でマツといえばアカマツやクロマツ、ゴヨウマツなどのマツ科マツ属の木を指します。ですから、私は北海道にきてトドマツやエゾマツを見たとき、マツ科マツ属の樹木ではないのにどうしてマツという名前がついているのか不思議でなりませんでした。

 トドマツ、エゾマツ、アカエゾマツはマツ科ですが、トドマツはモミ属(Abies)、エゾマツとアカエゾマツはトウヒ属(Picea)です。

 さて、本州では針葉樹の様子がだいぶ異なります。本州に分布しているトウヒ属は、アカエゾマツ、トウヒ(エゾマツの変種)、ヤツガタケトウヒ、ヒメバラモミ、イラモミ(マツハダ)、ハリモミ(バラモミ)の6種です。

 どれもトウヒ属(Picea)なのに、和名はマツだったりモミだったり・・・。なんだか頭がおかしくなりそうですね。どうしてこんな名前がついてしまったのでしょうか?

 本来なら属名に合わせた和名をつけるのがわかりやすくて適切なのですが、どうもこのマツ科の樹木たちは属にとらわれずにいろいろな名前がつけられているようです。

 ついでに本州のモミ属の樹種としてはシラビソ、オオシラビソ(アオモリトドマツ)、モミ、ウラジロモミなどがあります。こちらも和名はいろいろですね。そのほかにツガ属(Tsuga)としてコメツガやツガがあります。本州のほうが針葉樹の種類がずっと多いのです。

 学名には国際的な命名規約がありますので、たとえ不適切な学名がつけられてしまっても勝手に変えることはできないのですが、和名はそのような決まりはありません。モミ属は○○モミ、トウヒ属は○○トウヒというように統一してもらえると分かりやすいのですけれどね。

 ちなみに、樹木の専門家である斎藤新一郎氏はトドマツをトドモミ、エゾマツをエゾトウヒ、アカエゾマツをアカエゾトウヒと称しています。このように覚えると属がすぐに分かってとても都合がよいのです。

2008年3月24日 (月)

春一番のウヅキコモリグモ

 今年の十勝地方は、例年より春の訪れが一ヶ月ほど早いような感じです。なんだか雪かきらしい雪かきをしないうちに、春になってしまいました。北海道に来てから28年になりますが、こんな年も初めてです。

Udukikomori  こんな早春に一番よく目立つクモは、ウヅキコモリグモです。空き地や林縁、川原など開けたところを好むこのクモは、雪が融けてポカポカと暖かくなるとどこからともなく湧き出すかのように姿を現します。じっとしていると落葉や枯れ草に紛れて目立たないのですが、人が歩くと足元から飛び出てくるのでその存在に気づきます。

 北海道では多くのクモが小さな子グモで越冬するのですが、ウヅキコモリグモは成体の少し前くらいの状態で越冬するのです。春先にはかなり大きな体になっていますから(といっても7~8㎜くらいでしょうか)、他のクモより目立つのです。

 ウヅキコモリグモのウヅキとは卯月(4月)のことで、本州では4月には成体が見られるところからそのような名前がつけられたようです。でも、北海道では成体になるのはまだ少し先の5月頃です。今の時期は雄も雌も同じような外見をしていますが、雄は成体になると黒っぽく変身します。

 網を張らない徘徊性のクモですが、餌の捕獲を網に頼らないからこそ飛翔性の昆虫の少ない季節でも活動できるのでしょう。もっとも徘徊性といっても積極的に狩りをしているというより待ち伏せ型のようです。そして、このようなクモを狙っている野鳥もいます。

 暖かさにつられて外に出てウヅキコモリグモを見かけると「春がきたな・・・」と、ちょっと嬉しくなります。

2008年3月22日 (土)

不思議なツルマサキ

Turumasaki  写真の光景、ちょっと不思議だと思いませんか? 遠くから見ると落葉広葉樹林の下に、トドマツなどの針葉樹が生えているかのように見えますが、よくよく見ると針葉樹ではありません。

 これはツルマサキというニシキギ科の常緑広葉樹です。つる性の木本で、気根をもっていて他の樹木によじ登ることができるのです。

 本州では普通に見られるようですが、北海道ではそれほど多くありません。北海道のような寒冷な気候条件のところでは、寒さや乾燥から身を守るために落葉広葉樹や針葉樹が主体となります。このために北海道で生育できる常緑広葉樹はごく限られていていますし、雪の下で越冬するような潅木が多いのです。しかし、このツルマサキは葉を大気にさらしながら寒い冬を乗り切っているようです。

 この写真は、空知地方の国道沿いにあるヤチダモ林です。ここにはヤチダモ林とヤナギ林があるのですが、ツルマサキはヤチダモにばかりついています。どうやらツルマサキはヤチダモとは相性がいいようです。

 ヤチダモは開葉が遅く落葉が早い植物ですから、少しでも長く日光に当たりたいツルマサキにとっては好都合なのかもしれません。ツルマサキも絡みつく相手をちゃんと選んでいるのでしょうか?

2008年3月18日 (火)

北国ならではの凍上現象

 3月に入ってからは気温がどんどん上昇し、雪が見る見るうちに融けていきます。十勝平野はまだ3月中旬だというのに雪がほとんどなくなってしまい、黒い畑の光景に変わってしまいました。例年にない速さです。

 僻地住まいの私のところでも、道路の雪はすっかりなくなってしまいました。そして現れたのがデコボコの路面。

Toujyou  特に、深く掘り込んで砂利を入れていない道路では、路面が大きく波打っています。道路の部分は除雪をするので、どうしても凍結深度が深くなるのですね。それで地面が凍って盛り上がり、舗装を壊してしまいます。北国ならではの「凍上」という現象です。今年は1月の冷え込みが厳しかったので、とりわけ凍上がひどいようです。

 凍上については「クモはどこで越冬するのか?」でもちょっと触れました。

 写真ではちょっと分かりにくいのですが、ひどいところではこのように舗装に亀裂が入ってしまうのです。写真の亀裂の部分では10cmほどの段差ができていました。春になると毎年、路面の補修が行われるので、つぎはぎ道路になります。

 北海道では家を建てるときに地面が凍らないところまで掘り込んで基礎をつくるのですが、我が家の場合も1.8メートル掘り込んでいます。基礎が浅いと、家がゆがんでしまうのです。永久凍土地帯に住んでいる人たちもいますが、家を持ち上げてしまう凍上には悩まされているようです。

 春の訪れは嬉しいものですが、あまりにも早いのはやはり気になりますね。生物にもさまざまな影響を及ぼしますから。

 春の足音だけではなく、温暖化の脅威も感じざるをえません。

2008年3月17日 (月)

思考停止の行き着く先

 過酷で低賃金の労働環境に対して何も言わない人々、政治や社会についての会話をしない若者たち、君が代強制を黙認する多くの教職員や親、悪質商法の被害にあっても泣き寝入りするだけの人々…。

 日本人は自分の頭で考え行動することを放棄しつつあるのではないでしょうか? いったいいつからこんな思考停止状態になってしまったのでしょうか?

 ある東京都の教職員と話しをしていたとき、「同僚から組合などには関わるなと言われるし、組合なんて入っていたら仕事ができない」といわれたことがあります。これを聞いたときには、耳を疑いました。日教組の内情はともかくとして、組合に入って教員としての権利を守ろうとは思わないのでしょうか? そこからは体制になびいているだけの教師の姿しか見えてきません。

 東京都といえば、「君が代」の不起立で教師たちを処分していますが、教師自身がこんな感覚なら、思想・信条の自由を否定されていることに怒りもせず平然としていられることが理解できます。

 東京都の教員である根津公子さんが、日の丸掲揚、君が代斉唱での不起立を貫いて処分を受けていますが、多くの教師たちはこうした同僚の行動を「見て見ぬふり」なのでしょう。この構図は、いじめを見ても傍観している子どもたちといったいどう違うのでしょうか? 

 教師が分別をもった大人であり、子どもたちを指導する立場である以上、子どもたちのいじめより低レベルではないかと思えてしまいます。人間として…。

 根津さんは、多様な意見を認めたうえで、自分の意志を貫いているのです。誰も不起立しないからこそ自分で不起立を実行しているのです。そしてこの問題を自分の頭で考えて行動するように訴えています。「自分の頭で考えて行動する」という最も基本的なことができない大人がいかに多いことか! この国の国民の重症の病としかいいようがありません。日本国民はもう瀕死状態ですね。

 周りの人に同調し、上からの言いなりになり、保身ばかりを考える。自分が楽しいと思うことにしか興味を示さない。そうした態度が、やがては自分の首を絞めてしまうことに気付きもしないのでしょう。

 自分で考えようとせず、過去からも学ぼうとしない。まるで頭がピーマン(空)ではありませんか。

 卒業シーズンの今、根津さんや彼女を応援する人たちの思いを多くの人に知ってもらいたいですね。

河原井さん根津さんらの「君が代」解雇をさせない会

虹のたね

2008年3月16日 (日)

匿名サイトと情報操作

 以前にも書きましたが、私は2ちゃんねるのような匿名掲示板は全く関心がありません。閉鎖空間でやりとりするミクシィなども同じ。匿名サイトというのは関係者が情報操作するのに便利でしょうからね。

 悪徳商法マニアックスというサイトをご存知でしょうか。以前、このサイトを覗いて、トップページにある「悪徳サーチ」から「文芸社」で検索したことがあるのですが、そのときは確か何も出てこなかったと記憶しています。ところが昨日ひさしぶりに訪問して「文芸社」で検索をかけてみたら、ここの掲示板でも話題になっていたのですね。

 まあ、内容的にはたいしたことは書かれていませんが、読んでいって思わす「やっぱり・・・」と思ってしまいました。この書き込みの中に北海道新聞の記事が紹介されていたからです。No.56454の「ひかる」さんというハンドルネームの方です。

 その記事とは私と文芸社とのトラブルについて書かれたもので、「大金払ったのに出来上がりに不満… 自費出版よく確認を」というタイトルで生活面に掲載された記事です。私が文芸社と解約して2ヵ月ちょっと経った2002年3月4日に掲載されました。この記事では文芸社という社名は伏せていてA社となっています。さすがに北海道新聞は文芸社という社名までは出せなかったのでしょう。でも、私の名前はフルネームで掲載されています。

 この掲示板では新聞記事の内容を要約して紹介しているのですから、投稿者は記事を読んでいるのでしょう。ところが、不思議なことに私の名前はまったく書かれていません。A社を文芸社であるとしながら私の名前を出さないとは、何とも不思議です。この「ひかる」さんという投稿者はその後、文芸社と契約して満足しているようなことが書かれていましたが、他の投稿者からも疑われていました。

 もし私の名前が書かれていたらどうでしょう? たぶん名前でネット検索する人がいるでしょうね。そうしたら私がネット上で書いている文芸社の批判記事が出てきてしまいます。だから意図的に書かなかったのではないでしょうか? どう考えても、この「悪マニ」の掲示板でも情報操作が行われているとしか感じられません。

 さて、この北海道新聞の取材で一番いいたかったのは、もちろん不当な請求費用のことでした。何しろ76万もの編集費を請求したのに、編集らしいことはほとんど何もやっていなかったのですからね。で、このトラブルが円満に解決したと思った方がいるかもしれませんが、とんでもありません。

 私は「おかしい」と思ってからメールでの協議を開始しましたが、こらからは解約を要請しませんでした。なぜなら、契約書では著者側に起因する理由で解約する場合は支払った負担金は戻ってこないことになっていたからです。「本もできなければお金も戻らない」という最悪の事態を避けるためには、文芸社側に落ち度があることを明確にさせなければなりません。それに刊行の期限がありましたから、作業を中止させずに交渉をしました。

 もちろん文芸社は回答に行き詰ることになり、「満足できないなら全額返金で解約する用意もある」と申し出たのです。それで、私の方から合意解約書を送りつけて解約をとりつけました。こちらの作戦勝ちといえるでしょうね。結局、文芸社に投げかけた疑問は解決されませんでした。

 文芸社は、組版に入る前にさっさと解約を申し出ていれば組版の費用もかからなかったでしょうし、メール協議でボロを出さずに済んだでしょう。ゴリ押ししようとしたのがいけなかったのです。タダのおばさんだと思って甘くみたのかもしれません。

 ついでに説明しておきますが、この新聞記事では文芸社側のコメントもとっています。それを紹介しておきましょう。

 「当社の協力出版で五千冊以上売った実績は全体の一割程度だが、ある。それを目指すとの意気込みだったが、著者側に『必ず売れる』との誤解を生じさせたかもしれない。また、編集作業が遅れたのに、十分説明せず、不審に思われた部分もあったので謝罪し、全額を返金した。今後は、こうしたことがないようにしたい」

 「五千冊以上売った実績が全体の一割程度」などというのはとても信じられませんね。私には増刷になるのは全体の一割程度という説明でしたが、それすら信じられません。それから「編集作業が遅れた」としていますが、編集者とのメールのやりとりではそんなことは一言もいっていません。予定通りだとしているのです。あきれるコメントです。

 まだ共同出版問題が今ほど知られていなかった頃に掲載された記事ですから、自費出版業界などではちょっとした話題になったようです。

 でも北海道新聞は、この後は共同出版問題についてほとんど取り上げていないですね。不思議なくらい。道新は、北海道警察の裏金問題ではすごく精力的に取り組んでいましたが、道警に弱みを握られてからはサッパリ書かなくなってしまったようです。私のトラブルを取り上げたことが、よほど応えたのでしょうか…。

 話をもどしますが、やっぱり匿名掲示板は情報操作の場になっているんでしょうね。「悪マニ」でも、JANJANのような情報源の特定できるニュースサイトの記事の紹介がまったくないのに、なぜか2ちゃんねるのことなどが書かれています。それだけでも怪しいですね。

 ついでに言えばウィキペディアも相当おかしいですね。たしか以前は「新風舎」の項目に私のJANJANの記事が全部リンクされていましたが、途中からなくなってしまいました。それに、今はウィキペディアの「文芸社」を見ると、批判的なことが消えてしまいましたからね。誰が編集しているんでしょう?

 なお、私の文芸社との経緯はこのブログのカテゴリー「共同出版・自費出版」の一番はじめに書いています。

共同出版って商業出版?それとも自費出版?

出版社と対決へ

出版社との協議は疑問の連続

出版契約の解約成功!

契約は商業出版、実態は自費出版

 そして、私が一番いいたいことは、やはりJANJANに一番最初に書いた記事につきますね。

文芸社「協力出版」で著者に請求する制作費は正当か?

2008年3月15日 (土)

分類って面白いの?

 今、ある方から送られてきたクモの標本の同定作業をしています。つまり、名前を調べる作業です。

 クモの場合、大半の種が網羅されている図鑑がないために、図鑑に出ていない種は記載文献に当らなくてはなりません。また、同定するためには実体顕微鏡で生殖器を観察します。しかも今、見ているクモの多くは2ミリ前後の小さいものばかり(もちろん成体です)。それで、けっこう時間がかかるのです。

 同定作業というのは一種の職人技のようなものなので、慣れてくると「感」がだいぶ働くようになるのですが、ときには「何これ?」と科名も考えこんでしまうものに出くわすことがあります。かなりオタクの世界でしょうね。

 さて、そんな地味なことをやって何が楽しいのかと思う人もいるでしょうね。生態学などをやっている人から「分類のどこが面白いのか?」なんて言われることもあります。もちろん機械的に同定することが楽しいわけではありません。同定しながら、生物の基本単位である種について考えることが楽しいのです。

 大半のクモは、生殖器の形態だけで種の同定ができます。ところが、中には生殖器だけでは同定できないクモもいるのです。例えばハリゲコモリグモの仲間の雌では生殖器はそっくりで、どうにも同定できません。生殖器はごくわずかな違いしかなく区別が困難なのに、見た目は明らかに異なるという種もあります。かといえば、同じ種でも別種かと思えるほど変異に富んでいるものもあります。でも、確かに「種」という枠のような境界が存在するのです。不思議ですね。

 また、同定作業をしていると、いろいろと種について考えさせられます。たとえば、ある種はどうして地理的変異が大きいのか? Aという種が生息しているところは湿度が高い森林に限られるようだ。BとCは近縁だか成体の出現時期は異なっている。Dという種はなぜ人為的な環境に多いのか? などなど。生息環境や分布などと合わせて種を見ていくと、さまざまな興味が湧いてきます。

 同定によって種を認識し、その種について考えるというのは、結局は連綿と続いてきた進化の流れの「今」という断面を見ているにすぎません。その陰には壮絶な競争、適応と種分化、そして絶滅の歴史が隠されています。そんなことを考えていくと、とても深くて興味深い分野なのですね。

 でも、そんなことに興味を持つのはやっぱりオタクなんでしょうね。

 それにしても手元には不明種が山のように溜まってしまいました。何とかしなければ、と思ってはいるのですが、毎年増えるばかり…。ああ、困った!

2008年3月14日 (金)

「仕組まれてた?」の疑惑

 昨日の日刊「サイゾー」に、「仕組まれてた? 倒産した新風舎を“買った”文芸社の真の狙い」という記事が掲載されていました。

 内容は、文芸社への譲渡額が4000万とも言われているが、他社が固辞するなかでなぜ文芸社が引き継いだのかということ。新風舎の破綻は、文芸社サイドの人間が被害者に訴訟を起こさせたことが引き金になったと証言している新風舎関係者の発言を取り上げています。また、藤原新也さんのブログでの発言も引用しています。つまり譲渡劇の陰には、ライバルの文芸社が関っていて、仕組まれた譲渡だったのではないかという疑惑です。

 さらに、それについてちゃんと証拠の録音テープを取っていた方がいたようですね。

http://blogs.yahoo.co.jp/whistlemotohn/17144828.html

 上述の疑惑なら、私もずっと前から書いていました。例えばJANJANでは約1年前から。

文芸社・新風舎の盛衰と自費出版(15)共同出版と消費者問題

文芸社・新風舎の盛衰と自費出版(17)「新風舎商法を考える会」への疑問

文芸社・新風舎の盛衰と自費出版(18)新風舎の提訴と共同出版問題

文芸社・新風舎の盛衰と自費出版(22)ガイドラインの社会的責任

自分のブログでは

理解できない訴状

「木」を見て「森」を見ない末期的症状

事実から見えてくるもの

危ない「危ない!共同出版」

提訴第二弾と軌道修正の欺瞞

新風舎批判と黒い影

裁判どうなってるの?

事業譲渡と文芸社

 だから新風舎の訴訟や共同出版のことを調べて私の記事にたどり着いた人なら、「仕組まれてた?」という疑惑に当然のことながら思い当たったはずです。それに、そのことを知っていたマスコミ関係者だっていたはずです。

 「サイゾー」がいつこの情報を入手したのかわかりませんが、もうちょっと早く出せなかったのでしょうか? 事業譲渡が決定される前に報道していれば、状況は少し違ったかもしれません。ううん…そうでもないかな? どうせ新聞やテレビなどのマスコミは報道しないでしょうからね。

 それにしても、この「サイゾー」の記事でも相変わらず共同出版商法の本質的問題点には触れられていませんねえ。「『自費出版ビジネスはヤバい』という印象を一般に広く知らしめた」とは書かれていますけれど。どう「ヤバい」んでしょうか?

 あっ、それから今日のJANJANに記事が掲載されました。サイゾーの記事が掲載される前に投稿したので、書いたときには譲渡額については知りませんでした。4000万ねえ…。

文芸社への事業譲渡と今後

2008年3月13日 (木)

被害者組織って何?

 私はこれまでにさまざまな自然保護NGOに関ってきました。NGOとは民間の非営利の団体です。では、NGOの基本とは何でしょうか? 私は、目的を同じくした組織の構成員による主体的な活動だと考えています。

 組織の構成員である個人が、目的達成のためにそれぞれ意見を出しあい、意見交換して考えながら活動をしていくということです。会員個人の意見や活動を尊重し、下(メンバー)から上(組織の中枢)への流れの中で活動していくのです。「個人が自分の問題であると捉え、自分が行動しなければ誰も動いてくれないし変わらない」、これは私がNGOに関るとき、常に感じてきたことです。学生時代からずっと・・・。

 この流れが逆になってしまうと、上から下の押し付けになってしまい、会員の主体性が奪われ中枢メンバーの意のままの組織になってしまいます。ですから、NGOというのはメンバーの意見が反映されやすい規模のまとまりであるほうが適していると思っています。

 大きくなればなるほど、中枢の判断、行動に重きがおかれ、メンバーはそれに従属するような形になってしまいます。そうなると、中枢で不適切なことが行われた場合も、メンバーがそれを修正できなくなってしまうのです。これはNGOにとって致命的といえるでしょう。

 個人の主体性を基本とするなら、個人で活動すればいいのです。それなのに、なぜNGOをつくるのでしょうか? それは、多くの意見・アイディアを取り入れることで、活動が充実するからであり、一人では無視されてしまうことでも無視せざるを得ない状況にできるということです。また、一人では困難なことでも、複数の人たちが協力しあうことで成し遂げられることも少なくありません。

 でも、自分が主体になろうと思うのではなく、組織が何かしてくれるだろうと頼ってしまう人が多いというのが現実なのかもしれませんね。共同出版問題でも、そんな風に思ってしまうことがあります。

 「新風舎商法を考える会」は尾崎浩一氏がつくり、中心になって活動している団体のようですが、尾崎氏は新風舎の被害者だったのでしょうか? 本当に新風舎の被害者の立場になって行動していたのでしょうか? 彼についていった人たちは、結局は自分で考え行動するのではなく、彼を頼ってしまったのではないでしょうか? 尾崎氏は文芸社をまったく批判していなかったようですが、著者の方たちは文芸社に事業譲渡されたことに納得できたのでしょうか?

 私が被害者の会の代表として常に思うのは、やはり被害者意識を持った人たちの主体性の問題です。被害者は事実を知って、何をすべきなのか? それは被害者個人個人が考えていかなければなりません。誰かに頼っていたのでは、誰も解決してくれないということです。解決を助け、ともに行動するために組織があるのです。

 まして、被害者にとって「新たに本をつくる」ことが問題解決ではないはずです。もちろんそれは著者にとってひとつの重要な課題ですが、共同出版の問題解決の道はそこにはありません。利害関係のある業界の方に相談して納得ができますか? 自分が納得した本づくりができれば、被害は回復できますか? 悪質な出版商法はなくなりますか? 新たな被害を防ぐことができますか?

 先日JANJANにこんな記事が掲載されていましたが、被害者の方たちはこれを読んでどう感じるでしょうか?

自分しかいないよ 新風舎関連の記事を見て 

 この記事では「スイミー」が取り上げられています。「スイミー」というのは小さな魚が集まって、大きな魚の形をした群れになることで、自分たちを食べる大きな魚から身を守るという内容の絵本です。みんなが知恵を出し合い行動することで、敵を追い払うことができるというお話しです(余談ですが、日本語版の訳者は新風舎と関係が深かった谷川俊太郎さんでした)。

 マスコミが頼りにならない以上、この商法に関った著者や元社員などが、体験者としてそれぞれこの商法のおかしさをブログやインターネットメディアで公開する、そうやって大勢が意思表示するだけでも意味があると思います。もちろん新風舎だけではなく、文芸社をはじめとした同様の商行為を行っている出版社から本を出した方たち一人ひとりが発言するということです。

 ただし、自分の交わした契約に照らし合わせて、実態がどうおかしいかを主張しなければ意味がありません。サービスの契約だ、著者は消費者だなどと主張したなら、出版社の思う壺です。

 新風舎だけでも1万5千人もの著者がいるとされているのですから全体ではかなりの被害者がいるのです。大半の人が泣き寝入りするだけ、あるいは新たに本を出すだけなら、こうした商法は衰えることを知らないでしょう。

2008年3月12日 (水)

樹液と野鳥

 春ですね! 陽射しが日増しに暖かくなり、雪がどんどん融けています。

 つい先日、庭のイタヤカエデの枝を剪定しました。すると切り口から樹液がしたたり落ちるのです。アカゲラやヤマゲラ、シジュウカラやコガラなどの小鳥たちが、その樹液を飲みにやってきます。

 メープルシロップというのはサトウカエデ(北アメリカ原産)の樹液を濃縮してつくるのですが、カエデの樹液は甘いのです。夏には苦そうな虫ばかりを食べている野鳥たちも、甘い樹液が好きなのですね。もちろん剪定をしなくても、小鳥たちは幹から滲みでてくる樹液を飲みにきているのですが、剪定をしたら切り口から樹液がしたたってきたのには驚きました。

 樹液といえば、シラカバの樹液はかなり人気があるようです。飲んでみたことはありますが、特別どうという味でもありませんでした。それに、私は木に傷をつけてまで樹液を採取することには抵抗があり賛成できません。でも、春先には幹に小さな穴をあけただけで、かなりの量の樹液が採取できるようです。本当に樹液が幹のなかを移動しているのだと感じますね。

 「幹に聴診器を当てると樹液が流れる音がする」という話を聞き、「まさか~!」と思いつつも知り合いの看護婦さんから古い聴診器を借りてきて試したことがあります。雑音は聞こえましたけど、流れるような音はさっぱり。

 そりゃそうですよね。樹液は幹の中を小川のように流れているわけではありませんから、流れる音など聞こえないはずです。もし、本当に聞いたことがある人がいたなら、教えていただけたらと思います。

2008年3月11日 (火)

観光ギツネ

Kankoukitune  この写真はとある展望台の駐車場で、車がくるのを待っている「観光ギツネ」です。

 「観光ギツネ」とは、道路や駐車場などに出没して、観光客から餌をおねだりするキツネのことです。以前はあちこちでこのようなキツネを見つけました。中には車がくると道路の真ん中に寝そべってしまうものもいました。車をストップさせようというわけです。繁殖期が終ると、家族連れの「観光ギツネ」が現れることも・・・。

 「観光ギツネ」は、車が止まるとノコノコやってきて、物欲しげに車内の人を窺います。そのしぐさがとてもかわいいのです。でも、食べ物を与えてしまうのは禁物。物欲しげな顔をしてこちらを見るのですが、心を鬼にして何もあげません。

 とりわけ道外からの観光客はキタキツネが珍しいとあって、ついつい餌をあげてしまうのですね。でも、「キツネに餌をあげないで」という呼びかけもあって、最近では餌をあげる人も、このようなキツネも減ってきたようです。

 キタキツネの場合はエキノコックスの感染に関ってきますので、みだりに近づかないようにすべきなのですが、逆に人が野生動物に病気をもたらしてしまう危険性もあります。

 大雪山などではシマリスがよく登山者から餌をもらっていますが、野性動物のためにも人の食べ物を摂取したり、人間に依存してしまうのは良いことではありません。写真撮影のために餌を置く人もいますが、そこまでして撮影すべきでしょうか? 野生動物への影響やマナーを考えて欲しいですね。

 自然状態での採餌が困難になってしまった(人間がそうしてしまったのですが)シマフクロウやタンチョウなどの場合は給餌もやむを得ませんが、そのような特別の事情がない野生動物への餌付けは基本的にはやめるべきでしょう。

2008年3月 9日 (日)

国立公園と自衛隊の演習場

 昨日の北海道新聞によると、防衛省は陸上自衛隊上富良野演習場に隣接する大雪山国立公園内の国有林589ヘクタールを、1995年から演習場用地として買い取っていたそうです。買収の理由は、射撃訓練の着弾地がぶれる可能性があるからとのこと。国立公園内に弾が飛んでいく可能性があるということなのです。

 新聞記事によると、現場には演習場とわかる標識もなく、市民が山スキーなどで入山しているそうです。これに対して自衛隊側は「市民が立ち入り禁止区域に勝手に入ったことになる。今のところ、立入り禁止を広報するなどの考えはない」とのこと。拡張部分に看板などを設置することも考えていないようです。この強弁には呆れます。

 然別湖の近くにも大雪山国立公園に隣接する演習場があります。ここでの射撃訓練の音はあたり一面に響き渡り、かなり遠くにも届きます。ナキウサギをはじめとした希少な動植物の生息地の脇でドカン、ドカンと凄まじい音をたてているのですから、以前から「こんなところで射撃訓練とは・・・」ととても気になっていました。しかも砲弾が行方不明になったとか、流れ弾が農家のビニールハウスの支柱に刺さったなどの不祥事が起きています。

 安全性の面ではもちろんのこと、国立公園という自然の保護を優先すべき森林を射撃訓練の場とするとは、どう考えても不適切です。土地を売った林野庁も、国立公園の管理者である環境省もなぜこうしたことを国民に知らせずに内々に済ませるのでしょうか?

 またまた女性自衛官の人権訴訟や、イージス艦の事故のことを思い出してしまいました。

2008年3月 7日 (金)

事業譲渡と文芸社

 新風舎の保全管理人弁護士が事業譲渡を模索すると発表したとき、もしかしたら文芸社が候補として挙がることもなきにしもあらずとは思いました。ただ、そこまでやるのかとも・・・。ほかの出版社は事業譲渡を固辞したようですからね。まあ、それが普通の感覚ではないでしょうか。

 文芸社がこれから著者の方たちにどのような条件を出すのかわかりませんが、碧天舎の倒産時に行った支援策が参考になりそうです。尾崎幸一氏の読売ウィークリーの記事によると、出版直前まで準備が進んでいたケースについては、300部を35万円程度で出版したとのこと。DTPデータの有無や部数、流通の仕方によって費用は変わってくるでしょうから、この金額はあくまでも参考です。

 文芸社の流通出版(印税タイプ)の場合、販売や宣伝にかかる費用は文芸社負担ですが、譲渡された本の場合はどうするつもりなのでしょうか。利益はとらないといっていますが、まさか文芸社が宣伝や販売の費用を持ち出しするわけではないでしょうね。とすると、制作・販売・宣伝の実費を請求するのでしょうか? それとも請負契約である売上金還元タイプを提案して実費を請求するのでしょうか?

 未刊の著者の方たちはそのあたりのことを確認し、制作費の内訳をきちんと出してもらうべきでしょう。何しろ「利益はとらない」としているのですから。それから、これまでの販売実績なども聞いたほうがよいでしょうね。新風舎のデータをつかった本が、棚借り方式や注文だけで売れるとも思えませんし。

 それにしても、驚くのは弁護士の感覚です。新風舎の共同出版という悪質商法が取り沙汰されていたのですから、事業譲渡を考える場合も文芸社が同様の商法を行っていることくらいは調べるのが当然でしょう。文芸社の情報を調べてまったく問題がないと判断したのなら頭を抱えてしまいますし、調べなかったのであれば理解に苦しみます。被害者組織からの質問書にすら答えられない出版社をまったく問題ないと判断したのでしょうか?

 弁護士は文芸社が役務(サービスの内容及び費用)を提供するとしています。文芸社が売上金還元タイプの契約を提示するのであれば役務の提供でよいのですが、印税タイプであればサービスの契約ではありませんから適切な表現ではないでしょう。新風舎の本については売上金還元タイプの契約を提示することを確認して「役務の提供」といっているならいいのですが。

 弁護士は譲渡先を決めるにあたっては、出版社の代金の保全措置と流通の条件にこだわったようですがそこにこだわるべきだったかも疑問です。流通にこだわるなら流通を謳った自費出版社でもよかったのではないでしょうか。またすべての費用を支払っている人でも追加費用が出てしまうなら、事業譲渡の意味もあまりない気がします。

 新風舎商法を考える会は沈黙しているようですね。役割は終ったからいいのでしょうか。

2008年3月 6日 (木)

高速道路と医療崩壊

 北海道では高速道路や高規格道路の建設があちこちで進められていますが、新聞などでは「医療機関への通院のために高速道路が必要」とする意見がときどき掲載されていて、そのような記事を目にするたびに「えええっ?」と首を傾げ、さらに怒りがこみあげてきます。

 たとえば、医療機関の縮小が進んでいる根室では、高度医療の受けられる釧路まで既存の国道を利用すると片道2時間以上かかるため、安心して通院できるよう高規格道路が必要だというのです。

 私も僻地に住んでいますので、地方に住む人にとっては病院に行くことすら大変であり切実な問題であるということはよくわかります。でも、「高規格道路や高速道路で遠隔地へ病院通い」という感覚がわかりませんし、それ以前に地元の医療機関を充実させてほしいとつねづね思っています。

 地方の医療機関はどこも縮小されてきています。公立病院は医師不足のうえに赤字を抱えて大変な状態に追い込まれています。経営が大変なのは私立病院も同じです。国の診療報酬の引き下げによって、病院経営が圧迫され国民の医療費の負担が増えました。医師や看護師は過酷な労働環境にさらされています。地方の町は病院の維持のために、大きな負担を強いられています。いつ地元の病院が閉鎖されるかと戦々恐々としている人も多いでしょう。

 医師不足は、大学の医局が地方の病院に医師を派遣しなくなったことが大きく影響していますし、医師数の抑制策も関係しているでしょう。また、医療に関る訴訟が相次いでいるという事情もあります。

 こうした背景があって、とりわけ地方での医療崩壊が進んでいるのです。国はムダな公共事業を削減して医療にお金を注ぎ、医師不足を解消する政策を打ち出すことで地方の町の医療を充実させていかなければならないはずです。

 地方の医療崩壊を加速させて何の手も打たず、高速道路をつくって病院に通えなどというのは、まさに本末転倒というものでしょう。

 北海道では高速道路を走っても、平行して走る国道や道道を走っても時間がほとんど変わらないようなところが沢山あります。、交通量の少ない立派な道路がすでにあるにも関らず、その隣に山を削り、橋をつくり、土盛りをして高速道路を造っているのです。

 巨額を投じて自然を破壊し、まさにムダな道路を造っているとしかいえません。このお金をすぐにでも医療費と医師・看護師の増加策に回せ!といいたくなります。

2008年3月 5日 (水)

地球温暖化と高山植物

 昨日の北海道新聞によると、環境省が地球温暖化の影響と対応策を探るために設置した専門家委員会が報告書の草案を示したとのこと。それによると道内の高山植物が将来的に急減する可能性があるので、高山帯に特別保護区などを設置することを求めているそうです。

 具体的な内容がわからないので細かいところまで言及できませんが、「保護区を設けることで温暖化による高山植物の減少を防げるのか?」という単純な疑問を感じてしまいました。しかも高山植物群落のあるような高山帯の多くは、すでに保護区などに指定されています。

 地球温暖化が高山帯の植生にどのような影響を与えると予測しているのかがよくわかりませんが、保護区を設けるだけでは何の対策にもならないように思います。

 気温の上昇は植物の生育を早めるという影響を与えるかもしれませんが、高山植物の生存自体にはあまり直接的な影響を与えないのではないでしょうか。高山植物を平地でも栽培できるように、気温に対しての適応力はある程度あると考えられるからです。

 では、温暖化が高山植物にどのような影響を与えるのかといえば、主として積雪量や雪融け時期などの変化に伴う影響ではないでしょうか。植物の分布や開花期は積雪量、雪融けの時期などによって左右されますから、温暖化によってそのような条件に変化が生じたら、植物は減少したり移動することを余儀なくされるでしょう。

 ところが、植物というのは移動速度がきわめて遅のです。高山植物の大半は多年草ですから、生育場所を移すためには種子によって分散するしかありません。種子が生育適地に運ばれて発芽したとしても、花をつけるまでに何年もかかるのです。種子が鳥や動物あるいは風で運ばれない植物では、標高の低いところから高いところに移動するということも困難です。温暖化がゆっくりと進むのであればそれに対応して徐々に移動できますが、急速に進んだ場合は移動が追いつかなくなります。

 また、花粉を媒介する昆虫との関係も良好に保たれなければうまく繁殖できません。たとえば、温暖化の影響で開花期と花粉媒介昆虫の出現時期にズレが生じてしまうと、結実率が下がってしまうでしょう。

 気象の変化を人間が簡単にコントロールできるとは思えません。要するに、高山の生態系を保全するためには、これ以上の温暖化を防ぎ、温暖化の速度を緩めるために最大限の努力をするしかないのではないでしょうか。

 温暖化とは直接関係ありませんが、大雪山の高山帯にはセイヨウオオマルハナバチが侵入してしまいました。花粉媒介に役立たない盗蜜行動をしたり在来のマルハナバチの生存を脅かすこのハチの分布拡大も懸念されるところです。

2008年3月 4日 (火)

呆れ果てるマスコミ

 碧天舎の倒産、新風舎の倒産で、マスコミはどのような役割を果たしたのでしょうか?

 大手新聞社は原稿募集の新聞広告を掲載して著者を引き込みました。大手新聞社の広告なら安心だと思って契約した著者も多かったのではないでしょうか。朝日新聞などは新風舎の提灯記事まで書きましたし、文芸社があたかも問題のない出版社であるかのように受け取れる記事も書きました。

 ところが、それらの出版社が主として行っていた共同出版は詐欺的な商法であったわけです。詐欺的というのはもちろん出版社と著者で費用を分担するとしながら出版社は何ら負担せず、実際の出版費用を上回る請求をしていたということです。契約と実態が異なり、本が一冊も売れなくても利益が上がるという出版社にとって非常においしい商法で、不公正な取引だったことがわかりました。

 では、新聞はその商行為についてどれだけ問題点を伝え、警鐘を鳴らしてきたでしょうか? 新風舎の例でいうなら、一部の著者が起こした裁判やそれに関連することばかり取り上げました。つまり「書店にほとんど本が並ばなかった」ということや賞ビジネスがもっぱらの話題になったのです。そして、不当な費用請求についてはほとんど話題にされませんでした。

 共同出版の疑惑については、私は2005年からJANJANに投稿していましたから、その本質的問題点はネットで調べればわかったはずです。しかしマスコミは、新風舎商法を考える会」をつくり著者らを提訴させて新風舎問題を広めた尾崎浩一氏の主張をそのまま伝えたのです。これによって、共同出版商法の本質がますます見えにくくなってしまい、提携書店の棚を有料で借りて本を並べている文芸社は問題ないかのような雰囲気が作り出されました。しかも、尾崎氏は新風舎の契約がサービスの契約であり著者は消費者だといういい加減な解釈を撒き散らしたのです。

 さて、新風舎の倒産後、出版権が消失していない新風舎の原稿を出版してしまい、販売されている方がいます。「俺、マジダメかもしれない・・・」という本です。この著者の方は、ご自分が新風舎と交わした契約を理解されていなかったのでしょうか? もし契約内容をきちんと理解されていたなら、今回の出版は断わるか延期していたことでしょうね。なぜなら、出版権を出版社に設定している原稿を別の会社から出版することは法に抵触する行為だからです。

 新風舎の財産が保全管理人弁護士の管理下にある状況のもとでは、財産的価値のある本のデータは債権なのです。出版権が解除されたり消滅していない以上、著者といえども勝手に出版することはできません。保全管理人弁護士は本のデータが新風舎に所有権のある財産であることを伝えています。また、弁護士は外部委託先や印刷会社にも、データをそのまま保管しておくように伝えています。その文書をJPS出版局の高石左京氏自身が自分のブログにアップしています。外部編集者の方は、なぜ保管しておかなかったのでしょうか?

 その出版の実現にむけて編集者と著者を結びつけ出版させた高石左京氏からは、どんな説明を受けていたのでしょうか? 出版契約のことがよくわからない著者にいい加減な持論を説明して契約させたのであれば、とんでもない非常識者です。

 高石氏はあちこちのマスコミに取材依頼をしたようですが、業界関係者が介入して債権であるデータをつかって違法と判断される出版をしてしまったというこの不祥事を、マスコミが何も調べずに報道したのであれば、これまたとんでもない失態でしょう。

 共同出版問題に関してマスコミのやってきたことは「どうしようもない」の一言です。

 そして、新聞社は相変わらず、新風舎と同様の商行為を行っている出版社の原稿募集の広告を掲載しています。責任などというものを持ち合わせていないとしか思えません。

2008年3月 3日 (月)

クモは何種いるのか?

 世界には、あるいは日本には何種くらいのクモがいるのか想像がつくでしょうか?

 アメリカのプラトニック博士は世界のクモカタログというクモのリストを発表しています。以前は分厚い本を作成していたのですが、近年はインターネットでこのカタログを見ることができます。それによると、昨年末で世界のクモは4万種を越えたそうです。  もちろん、この4万種というのは種名がつけられている種の数です。世界にはまだまだ名前がつけられていないクモが沢山いますから、実際にはこれよりはるかに多くのクモがいることになります。

 それでは日本には何種のクモがいるのでしょうか? こちらは谷川明男さんというクモの研究者がリストをつくっています。谷川さんの日本産クモ類目録(2005年版)では、1400種弱のクモが掲載されていますが、その後もクモの種数は増えています。まだ名前のつけられていないクモもいますから少なくとも1500種以上はいるでしょう。

 小さな島国である日本に1400種ものクモが生息しているというのは、日本の自然が多様性に富んでいることを裏付けているといえるでしょう。亜寒帯から亜熱帯までの気候帯をもち、豊かな森林生態系に恵まれた国だからこそ、多様な生物を育んできたのです。

 では、北海道では何種くらいのクモが生息しているでしょうか? 私が作成した「北海道クモ類目録(2007年版)」には、509種のクモを収録しました。私の手元には名前がわかっていないクモが多数ありますので、600種はいるのではないかと推測しています。

 クモに限ったことではありませんが、これだけ科学が進歩してきているのに、名前のつけられていない生物が実は非常にたくさんあるのです。なぜこれほど研究が遅れているのかといえば、研究者の数が少ないこと、そして行政がこのような基礎的研究を重要視していないことが挙げられます。

 たとえばクモの研究を職業としている人は非常に限られています。日本ではクモの分類の研究をして食べていける人は極めて少ないということです。ですから、職業というより本業の傍らとか趣味で分類を手がける研究者も多いのです。オタクの世界ということでしょうか。

 もちろん基礎的な研究を重視する国では、そんなことはありません。国の姿勢なのでしょうね。

 熱帯林では伐採による大々的な破壊が進んでいます。恐らく名前もついていない多くの昆虫やクモが絶滅したり絶滅の危機に立たされているのでしょう。人という自分勝手な生き物が、かけがえのない多数の生物を絶滅に追い込んでいることに、私たちはもっと目を向ける必要性があるのではないでしょうか。

2008年3月 2日 (日)

冤罪の構図

 久しぶりに風邪をひいてしまいました。「鬼の霍乱」ならぬ「鬼蜘蛛の霍乱」です。

 さて、日ごろテレビはあまり見ないほうですが、昨日は周防正行監督の映画「それでもボクはやっていない」を見ました。満員電車で痴漢に間違えられ、一貫して無罪を主張しているのに逮捕・起訴されてしまい、有罪判決を受けるという冤罪をテーマにした映画です。

 どのように冤罪がつくられていくのかが、実にリアルに描かれています。おそらくこれはかなり事実に沿ってつくられているのでしょう。ほとんど公衆にさらされることのなかった警察や検察といった権力や司法の裏側を「見てしまった」という印象の映画です。

 痴漢で起訴されたら99.9パーセントが有罪になってしまうとのことですが、それは裁判が「はじめに有罪ありき」で進められてしまうということを意味します。検察に有利になるように巧妙に誘導して書かれる自白調書。検察に不利な証拠は隠され、握りつぶされる。被害者の証言ばかりが重視される。裁判官も自分の出世ために検察に有利な判決を出そうとする。三権分立などというのは、建前でしかありません。

 この映画で思い浮かべたのは電車の中で痴漢をしたとして逮捕・起訴され有罪となった植草一秀氏の事件です。植草氏は冤罪を主張していますし彼の主張には真実味が感じられます。また、彼はりそな銀行のインサイダー取引について告発しており、この痴漢での起訴は国家権力が関係しているのではないかと疑問を投げかける人もいます。

 さて、この映画を見て気にかかったことがあります。周防監督はもちろんこうした日本の警察や検察、司法の実態を知らせて視聴者に冤罪の構図について訴えたかったのでしょう。

 しかし、こうした現実を見せつけられた人がもし冤罪で逮捕されたらどうするでしょうか? 無実を貫くかどうか、ものすごく悩むのではないでしょうか。やってもいない罪を認めて罰金を払って済ませてしまうほうが、無罪を貫くよりはるかに楽です。無罪を勝ち取ることが奇跡といえるほど困難であるという現実を知ってしまったら、多くの人は無罪を貫く勇気を奪われてしまうでしょう。これでは権力の思う壺です。何と恐ろしいことか!

 では、どうすべきか? 警察や検察の体質を変えて取り調べの可視化を図り、裁判官との癒着を断たなければ真の問題解決になるとは思えません。「疑わしきは罰せず」「疑わしきは被告人の利益に」を徹底させなければなりません。ところが、現在の日本は刑事事件の厳罰化の道を歩んでいるとしか思えません。それに国民を巻き込もうとしているのが裁判員制度です。

 警察が長年裏金をつくり私的に流用してきたことを告発した警察官は、さまざまな嫌がらせをうけています。検察にも裏金があるといわれています。道警の裏金問題を精力的に追及してきた北海道新聞は、道警から嫌がらせを受けたといいます。

 警察や検察という権力の塊の改革を目指さなければ、人権が尊重されないというのは何ともやりきれないことであり、考えされられます。このままでは日本は法治国家から遠ざかっていくばかりです。

 国民ひとりひとりの意識を高め、投票に反映させていくしかないのかも知れません。

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