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2007年12月

2007年12月31日 (月)

詐欺大国からの脱出を

 5月17日からはじめたこのブログも7ヶ月以上たちました。

 思えば昨年の今頃は、ブログを書くなどということは考えてもいませんでした。人に勧められても「そんな気はない」と言っていたのです。それが半年もたたないうちに気が変わったのは、身近な人がブログを書いていることを知り「ええっ、ブログやっているの? それなら私にもできるかな・・・」なんて思ったのがきっかけです。

 日ごろ、「不思議だなあ?」とか「おかしいんじゃないの!」と思うことがあっても、聞いてくれる人は限られています。それなら、ネットで発信すればいいのですよね。で、はじめてみると、すっかりはまってしまって・・・自分でも驚いています。

 はじめは自然の不思議さを伝えることをメインにと思っていたのですが、書いていくうちに日ごろ疑問や不満に思っていることが多くなってきました。それも自然の流れなのでしょう。

 2007年を漢字で表すと「偽」だそうですが、「偽り」や「騙し」は今にはじまったことではありません。日本はだれもが実感する詐欺大国になってしまったということでしょう。でも、そんな騙しを許しているのはおとなしい日本人の国民性なのではないでしょうか。

 一人ひとりがおかしいと感じていることを発信し行動することでしか、この詐欺大国を変えることはできないのではないかと感じた一年でした。

 ということで、来年もさまざまな疑問について書いていきたいと思います。ブログのタイトルは「疑問箱」としましたが、ときどきは「疑問」から脱線しながら・・・。

 来年も、どうぞよろしくお願いいたします。

2007年12月29日 (土)

共同出版と消費者問題

 共同出版における著者と消費者の関係について説明しておきます。

 消費者とは、商品を購入し使用する者やサービスを受ける者のことを指します。物を買う人だけではなく、サービスを受ける場合も消費者です。たとえば美容院でパーマをかけたりするのもサービスであり、お客さんは消費者です。工務店に家を建ててもらうというのもサービスです。

 著者が自費出版業者に本の編集や印刷・製本をしてもらい、著者に本を納品するなら制作サービスですね。従来、自費出版というのは、著者が自分で必要な部数の本の制作を自費出版業者や印刷会社に依頼してつくってもらうことでしたから、著者は消費者ということになります。

 しかし、共同出版の場合は、著者の本を制作するサービスではありません。出版社が自社の商品(本)をつくってその売上金も出版社のものとなるのですから、著者に対するサービス提供の契約ではなく、著者が出版社の事業に出資する契約です。出版権や所有権という財産権を出版社に移譲する対価として著者が印税を得るという契約です。

 ですから著者の負担金はサービスへの対価ではなく、出版社の事業に対する出資といえます。著者に贈呈される一割程度の本は、出版社への出資の見返りであり、著者の注文に対する納品とは異なります。

 ところで、2000年に消費者保護の目的で消費者契約法という法律ができました。消費者契約法では、消費者を以下のように定めています。

第二条 この法律において「消費者」とは個人(事業として又は事業のために契約の当事者となる場合におけるものを除く。)をいう。

2 この法律において「事業者」とは、法人その他の団体及び事業として又は事業のために契約の当事者となる場合における個人をいう。

3 この法律において「消費者契約」とは、消費者と事業者との間で締結される契約をいう。

 共同出版の著者はサービスを受ける立場ではなく、出版社から印税を得られるのですから事業者といえます。契約上は著者を消費者とするのはどう考えてもおかしいといえます。

 また、自費出版で著者に所有権のある本を制作するだけなら著者は消費者ですが、書店流通を自費出版社に依頼した場合は流通サービスを受けることになります。しかし、この場合は著者が売上金を得るのですから、完売や増刷で利益が得られるような契約であれば、著者は消費者ではなく個人事業者といえるでしょう。事業者と事業者の契約です。

 つまり、本を書店に流通させて販売し利益が得られる契約内容であれば、消費者契約法は適応されないことになります。「新風舎商法を考える会」の世話人である尾崎氏は一貫して著者は消費者だと決め付けていますが、私にはとうてい理解できませんし弊害ですらあると考えています。

 クレジット契約のとき、新風舎は事業者用の契約書を使用しているために倒産した場合などの解約が困難になっています。それに対して文芸社は消費者用の契約書を使用しているようですから、倒産した場合などは著者に有利です。事業者用の契約書を使用している新風舎を批判するために著者を消費者だと主張しているのであれば、本末転倒だと思います。「考える会」のHPには、新風舎商法改善の見込み無く、断末魔の様相へ-3- という記事が掲載されました。新風舎の倒産を煽るようなことをやっているのは誰でしょうか?

 私自身も、以前この問題で国民生活センターに電話したことがありますが、「出版契約の場合は消費者ではありません」と即座に言われました。

 ただ、出版社の危機管理にも書いたように、共同出版の場合、出版・流通についてよくわからない素人の著者を相手に新聞や雑誌を利用して大々的に宣伝して原稿を募集しているという観点、また著者を錯誤させている悪質商法との観点から、たとえ消費者契約法に該当しない契約であっても消費生活センターなどの公的機関は相談に対応すべきだと思います。

2007年12月27日 (木)

廃油回収とバイオディーゼル

 家庭から出るてんぷら油などの廃油を回収して、バイオディーゼル燃料を精製する取り組みが目に付くようになりました。京都市では、廃油を回収してバイオディーゼルをつくり、市バスやゴミの収集車の燃料に利用しているようですし、帯広市でも来年からスーパーに回収ボックスを置いて公用車の燃料に使うとのこと。同様の取り組みをしているNGOなどもあります。

 そのような取り組みを環境教育と結びつけて学校などでも行っているところがあるようです。面倒な廃油の処理の手間が省けるうえに、環境に良いと喜んでいる主婦などもいるようです。

 でも、家庭から廃油を出すこと自体を極力なくすべきだと思っている私にとっては、こうした取り組みを「環境教育」などといってすんなり評価する気になれません。

 我が家では、揚げ物の油はフィルターで漉してから炒め物などに利用しています。次回の揚げ物のときに新しい油を足して使うことで、廃油を出すことはまずありません。家庭では工夫次第で廃油をほとんど出さないようにできるはずです。「エコ」とか「環境教育」というのであれば、今の生活から無駄な消費を省くことをまず率先してやらなければならないのではないでしょうか?

 確かに化石燃料よりバイオディーゼルやバイオエタノールのほうが、二酸化炭素の排出量削減には効果があるでしょう。しかし、熱帯林の破壊とそれに伴う二酸化炭素の放出、原料の輸送コスト、製造段階での燃料や二酸化炭素の排出量、原料作物への農薬散布や遺伝子組み換え作物の拡大などを考えると、安易にバイオディーゼルやバイオエタノールを推進することは問題が多すぎます。

 バイオディーゼルやバイオエタノールを普及させていけば、食料自給もできない日本は、自国のバイオ燃料の原料をどんどん輸入しなければならないのが目に見えています。熱帯林の破壊と泥炭からの二酸化炭素放出に加担することになります。

 廃油をバイオディーゼルに利用するといっても、回収できる量などたかが知れています。結局はバイオディーセル普及のために市民を巻き込んで利用しているのです。先日の記事「地球温暖化とバイオ燃料」 「環境対策に隠された罠」に書いたように、バイオディーゼル普及の裏に、温暖化対策で儲けようとしている企業や大国の思惑があること、さらには戦争や核実験で大量の温室効果ガスを排出していることこそ表舞台に引きずり出して、すぐにでも森林伐採や戦争を止めさせる努力、無駄な消費の見直し、廃棄物を利用した地産地消型のバイオ燃料の開発をするのが先決です。

 国や自治体、マスコミがバイオディーゼルのさまざまな問題点を報道することなく、市民にバイオディーゼルばかりアピールして期待させるのは、正直いって恐いですね。廃油のリサイクルなら、石けんの原料にして合成洗剤の排除を進めるという方法もあるのです。

 バイオディーゼルの負の部分こそきちんと伝え、どうすべきか考えていくのが真の環境教育ではないでしょうか?

2007年12月26日 (水)

共同出版と裁判

 今年は、共同出版(自費出版)問題がかつてなく話題になった年でした。

 出版ニュース社のブログ「2007年の出版界10大(重大)ニュース(予定)」によると、新風舎の提訴は第4位とのことです。

 共同出版を問題視してきた人たちにとっては、ようやくマスコミがとりあげ国民生活センターも動き出したというのが実感でしょうか。しかし、共同出版社に対する提訴は今回がはじめてというわけではありません。それにも関らずマスコミがこの問題を取り上げた裏には、ことさら新風舎のみを批判して被害者を集め、集団提訴に協力してマスコミに煽ったジャーナリストがいたというのが実態だと思います(事実から見えてくるもの 参照)。

 私は、「新風舎商法を考える会」が関った二つの集団提訴について批判的な記事(理解できない訴状 提訴第二弾と軌道修正の欺瞞 参照)を書きましたが、決して裁判を否定する立場ではありません。交渉によっても埒があかないのであれば、著者には裁判しか解決の道は残されていません。提訴は当然の権利です。これについては、碧天舎が倒産する前の2005年にインターネット新聞JANJAN(騙しの出版商法と闘うために 参照)にも書いています。

 では、なぜ批判的な記事を書いてきたのかといえば、今回の提訴はその訴えの中身があまりにも稚拙であったことと、新風舎を倒産させることが目的であるかのようにマスコミを利用して提訴を大々的にアピールしたということにあります。

 弁護士をつけて集団提訴するのであれば、問題点を的確につかんで勝訴し、軌道修正させることを目的にしなければ悪質商法をなくすことにつながりません。敗訴したり、和解で解決してしまったなら、悪質商法をのさばらせることにもなりかねないのです。

 現に、ライバル会社の文芸社は新風舎批判を尻目に、自社の流通出版を大々的にアピールしていますし、ほかにも同様なことをやっている出版社があります。共同出版商法の本質的問題点に切り込むのではなく新風舎だけの落ち度に絞った訴状は、稚拙というだけではなく何らかの意図すら感じてしまいます。

 また、このような商法に限っては、相手を倒産に追い込むようなやり方は極力避けなければなりません。倒産によって本もできなければお金も戻らないという被害者が多数出ることを考慮すべきです。倒産した碧天舎の被害者の方たちは怒り苦しんでいるのです。その心痛を受け止め、同じことを繰り返すようなことは回避すべきでしょう。マスコミを使って提訴を必要以上に煽ることは、碧天舎の倒産からなにも学ばないばかりか倒産を助長するだけなのです。

 さらに、新風舎から出版された著者の方たちの多くは、販売を続けてほしいと願っていることでしょう。出版社が軌道修正することが一番の解決といえます。

 共同出版では、著者の自己責任だと批判する人も多いようです。しかし、私は著者を錯誤させ不当な費用を請求する商法は、圧倒的に出版社側の問題だと思っています。

 ただし、著者が自分で署名捺印した契約が本の制作・販売サービスの契約であり、消費者契約を交わしたと錯誤しているのであれば、契約書の内容を理解していない著者にも責任があります。

 新風舎の契約書は基本的に商業出版の契約書と同じです。つまり出版権を出版社に設定することで出版社が複製権と頒布権を得、出版社が売上金を得る見返りとして著者に印税(著作権使用料)を支払う(ただし増刷分から)という、事業者同士の出版権の取引契約なのです。作品を高く評価したというのは、作品に財産的価値を認め、出版社が多少の費用負担をしてでも利益を得られると判断したことを意味します(高い評価が嘘であるなら、嘘をついたことが問題です)。財産的価値をみとめて印税を払う契約は消費者契約ではありませんし、著者も消費者という立場ではありません。作家が消費者ではないのと同じです。

 著者が支払う制作費は出版社への協力出資金であり、著者の本の制作・販売サービスに対する報酬ではありません。一割程度の著者への贈呈本は、出資への見返りといえるでしょう。出版社が著者にサービスをするのではなく、著者が出版費用の一部を出資してあげるという契約なのです。しかも「一部」としながら、実際の出版費用以上の出資金を請求して、契約するだけで出版社に利益を与えていると考えられるのです。著者は全面的な資金協力者であり、サービスを受ける側ではありません(「共同出版」でなければいいのかhttp://onigumo.cocolog-nifty.com/blog/2007/10/post-691a.html 参照)。

 碧天舎の被害者の方はブログで著者を消費者としています。また、新風舎を提訴された方も自分たちは消費者だと捉えているようですが、契約上は消費者ではありません。そんなふうに自費出版(サービス)の契約だと錯誤させてしまうことこそ悪質出版社の「騙しどころ」であると理解すべきでしょう。

 著者は、出版社の出版事業に資金協力する契約書に署名捺印したことを自覚し、自分の交わした契約にもとづいて出版社のやっていることのどこがおかしいのかを明確にしなければなりません。裁判でも、自分の交わした契約に基づいて主張しなければ、勝訴は難しいのです。

2007年12月24日 (月)

溢れる洗剤に疑問

 大掃除の時期となり、さまざまな洗剤の広告が目につくようになりました。台所用、浴室用、住宅用、トイレ用、ガラス用。それに手洗い用の液体石けんや、シャンプーにボディシャンプー・・・。 どうしてこんなに沢山の種類の洗剤が必要なのでしょう? しかも、洗剤による環境汚染が問題視されてから久しいというのに、大半の洗剤は界面活性剤入りの合成洗剤です。

 我が家では、洗剤は洗濯用の粉石けんと無添加の固形石けんで済ませています。それとクレンザーの代わりの重曹があれば掃除は十分。無香料の粉石けんは台所やガラス拭き、トイレの掃除にも使えます。また、無添加の固形石けんも洗顔から浴用、台所用にまで幅広く利用でき、これを使いはじめたら香料入りの石けんは使う気になれません。  洗髪も石けんをつかい、酢でリンスをしています。私が子供のころは、石けんで髪を洗っていた人も多かったのではなかと思うのですが、いつの間にかシャンプーなる合成洗剤が当たり前になってしまいました。

 一時期は石けんシャンプーというものも使っていましたが、添加物が多いのでやめました。石けんと酢で何も問題はありません。多くの日本人は毎日のように合成洗剤のシャンプーで洗髪をしているようですが、環境にも体にも悪いことこのうえないでしょう。

 また、植物性の洗剤がいかにも環境に良いように宣伝されていることがありますが、熱帯林を伐採して石けんの原料となるアブラヤシを植えている現実があります。「環境に良い」といって、森林破壊を助長しているのです。温暖化防止に効果があるといって注目されているバイオディーゼルの原料と同じですし、状況も同じですね。ですから、石けんを買うときには原料に何が使われているかにも注意を払っています。

 石けんひとつで、大半の汚れを落とすことができます。スーパーに溢れるさまざまな種類の洗剤は、洗剤メーカーの販売戦略にほかならないのです。

 私の加入している生活共同組合は、粉石けんを普及する活動から始まったと聞いています。ところが今はどうでしょうか。生協といっても一般のスーパーと変わらないような品揃えです。あの精神はどこに行ってしまったのでしょう?

 これだけ環境問題、地球温暖化問題が騒がれているのですから、生協は率先して合成洗剤や不要な洗剤を排除してほしいものです。

 それにしても、企業の販売戦略に乗せられている消費者の何と多いことか!

2007年12月22日 (土)

違法行為だけが問題なのか?

 北海道の自然保護団体などは、大雪山国立公園の特別地域で風倒木処理の名目で行われた皆伐と、沢を破壊してつくられた作業道について、12月3日に北海道森林管理局(林野庁)と北海道地方環境事務所(環境省)に質問書を提出し、17日にはそれぞれの事務所を訪問して交渉をもちました。

 その交渉の記事が18日の新聞各紙に掲載されたのですが、どの新聞記事も林野庁と環境省の「伐採や作業道は適正」という見解を伝える内容でした。

 「記者クラブに浸かった軟弱ジャーナリズム」に書いたように、北海道で行われている天然林伐採問題に関する報道は、大半が低レベルとしかいえないものです。

 確かに自然保護団体は、問題のひとつとして「事前協議」なしに土地や沢の形状を改変をし、自然公園法に違反している恐れがあると指摘していますが、それだけが問題なわけではありません。ところが、違法疑惑にピリピリしている林野庁と環境省は「適正」ということばかりを主張し、マスコミもそのことばかりを報じたのです。

 裏を返せば、責任がないことを主張したい林野庁と環境省の姿勢、さらに違法ではないことは報じたくないというマスコミの姿勢があります。そのマスコミの姿勢がどこからきているのかといえば、行政にたてつきたくないというところにあるのでしょう。要するに批判をしたくないのです。

 さて、大雪山国立公園の皆伐問題については、12月7日号の週刊金曜日でも大きな写真とともに報じられました。ここでは違法疑惑だけではなく、天然林伐採のあり方や背景にも言及しています。国立公園の特別地域という本来環境保全を優先すべきところで、多くの人があきれ果てるような皆伐をしているのです。

 「国立公園で木を伐る日本の恥」「無惨! 国立公園の森林」にも書きましたが、国際的に見ても国立公園で伐採をしていること自体が恥ずべき行為であるのに、皆伐をしてブルドーザで土壌をメチャメチャに撹乱し、沢の生態系まで破壊していることを、環境省やマスコミはどう考えているのでしょうか? 

 環境省が、「違法ではないから関係ないし、責任もない」と考えているとしたら、とんでもないことです。マスコミは、満足な現地調査もせずに林野庁に同調する環境省の姿勢を疑問に思わないのでしょうか? 恐らくそんなことはないでしょう。でもそれは書かないのですね。

 無惨な皆伐行為に何もいえず弁解しかしない環境省、そして違法性云々にばかりこだわり行政側の言い分だけしか報道しないマスコミは情けないばかりです。

2007年12月21日 (金)

諫早湾干拓の愚行

 諫早湾は学生の頃に2回ほど訪れたことがあります。かれこれ30年ほど前になるでしょうか。諫早湾といえば野鳥の渡来地として知られており、干潟に渡来する野鳥を観察するためにはるばる東京から出かけていったのです。

 バスから降りて広大な農地をてくてくと歩き到達した諫早湾は、干拓事業によってすでに自然の海岸線は失われ、堤防でぐるりと囲まれていました。

 それでも潮が引くと広大な干潟がはるかかなたまで続き、汀線あたりでツクシガモが陽炎でゆらめき霞んでいるのでした。堤防から見下ろす干潟はおびただしい生物を内包し、底なし沼のように鈍く光っていました。

 2度目の諫早湾は、年末からお正月にかけての九州旅行でした。堤防の傍らの農具小屋にもぐりこんで一夜を明かしたのですが、潮が満ちた諫早湾にはおびただしいカモが集結し、夜中中かん高い声が響きわたっていました。一晩中カモの声を聞きながらうつらうつら過ごしたのは、後にも先にもこのときだけです。

 その日本にわずかに残された広大な干潟を堤防で締め切って埋め立てるというとんでもない事業のことを知ったときには、心底怒りがこみ上げたものです。

 自然保護団体や漁民の反対を押し切って貴重な干潟を潰し、漁業に壊滅的な打撃を与え、有明海の生態系を破壊した「ギロチン堤防」から10年目の今年11月に干拓事業が完成し、明日22日には堤防道路が開通するとのこと。

 その愚行につかわれた工事費はなんと2500億円にものぼるそうです。

 巨額の工事費と引き換えに失ったものはあまりにも大きく、愚の骨頂といえる工事でした。まさに「工事のための工事」の典型です。

 あの、広大な干潟に羽を休めた野鳥たちは、羽を休める干潟を失ってどうしたのでしょうか? 干潟の生き物を殺し、海を殺したのは誰でしょうか?

 「ギロチン堤防」は生物多様性条約を締結した国の恥ずべき行為として、歴史に刻みつけられるでしょう。

参考サイト

さまざまな問題を抱えたまま「完成」を迎えた諫早湾干拓

2007年12月19日 (水)

ゴア氏のエコ住宅への疑問

 「不都合な真実」で、地球温暖化問題の深刻さを訴えノーベル平和賞を受賞したゴア元米副大統領が、豪邸を改修してエコ住宅にしたそうです。

 ゴア氏の豪邸は部屋数が多く世帯平均の20倍以上もの電力を消費するとして、環境保護団体から批判されていたので、ソーラーシステムや地熱暖房などを取り入れて、徹底的にエコ住宅に改修をしたとのこと。

 それを、環境にやさしい住宅として評価する専門家もいるとか・・・。

 でも、批判した人たちはその改修で納得したのでしょうか? 彼らはゴア氏がエコ住宅に変身させることを望んでいたのか、疑問を感じざるをえません。

 大改修は裕福だからこそなせる業です。お金をかけた大改修には底辺の人たちへの配慮がまったくありません。富裕層に対し、エコ住宅への評価をアピールしているかのように感じられます。でも、地球温暖化でまっさきに生活を直撃されるのは、貧困層の人たちなのです。

 住むところさえ事欠く貧困層の人たちにとっては、ゴア豪邸のエコ住宅など他人事でしかないでしょう。まず、貧富の差がそのような豪邸の所有を許しているのです。そして環境問題は格差の問題と直結していることを、彼はどの程度深刻に考えているのでしょうか?

 ゴア豪邸は部屋数が多いといいますが、本当にそんなに多くの部屋が必要なのでしょうか? 改修を全面否定するつもりはありませんが、まずは常時使う部屋を限定し、使用するエネルギー量を極力減らす努力をするべきではないでしょうか?

 ゴア氏の「不都合な真実」は、地球温暖化問題を広めたということでは評価できますが、やはり環境問題の底深さまで抉りだしているとは思えません。

 元副大統領が危機を訴えることだけなら比較的容易なのです。大国の巨大な資本が底辺の人たちを犠牲にしながら地球を蝕んでいることや自国の責任について訴え行動しなければ、「不都合な真実」も真実味が薄れてしまうのです。

2007年12月18日 (火)

クモはなぜ凍らないのか?

 前回の記事では、クモはどこで越冬するのかについて書きました。ところで、私が最も疑問に思ったのは、氷点下30℃にもなる寒冷地でなぜ凍ることなく冬を越せるのかということです。

 この疑問は、「虫たちの越冬戦略」(朝比奈英三著、北海道大学図書刊行会)という本を読んで解消しました。また、クモの耐寒性については田中一裕(宮城学院女子大学)さんなどが大変興味深い研究をされています。

 誰もが知っているように、水の氷点は0℃です。ふつう水が凍るときには氷の核となる物質が必要ですが、何も混ざっていない純水な水はゆっくり冷やしていくと0℃でも凍りません。霧粒ほどの純水の場合はマイナス40℃くらいまで凍らないのだそうです。このように、通常なら凍ってしまう温度なのに凍らない現象を過冷却といい、凍りはじめる温度を過冷却点といいます。

 氷霧やダイアモンドダストは非常に冷え込まないと見られないのですが、水の粒が非常に小さいために過冷却点にまで冷え込まないと凍らないからなのです。

 クモもこのような現象を利用することで、かなりの寒さになっても簡単に凍ることはありません。一般に、体が大きいと凍りやすく小さいほうが凍りにくいといわれています。

 クモが凍るといっても、実際に凍るのは体液です。体液には氷の核となるような物質は入っていませんので、0℃では凍りません。ところが、クモが餌を食べると消化管に食物が取り込まれ、凍りやすくなってしまいます。そこで、クモは秋になると餌をとらなくなり絶食状態になります。このようにして消化管の中から氷の核となる物質をなくすことで過冷却点を下げて、凍りにくくするのです。

 でも、クモの体が水で濡れてしまうと過冷却点よりはるかに高い温度で凍ってしまいます。樹皮の下など、直接寒気にさらされるところで越冬するクモが、糸で袋状の住居をつくっているのは、体が濡れないようにするためなのでしょう。

 凍らないためのもうひとつのしくみは、体内にグリセリンをつくることです。グリセリンが不凍液の役割をして、凍りにくくするのです。

 土の中に潜りこむなどして寒さをしのぐだけではなく、凍らないしくみを持つことによって、小さなクモでもマイナス30℃の寒さを乗り切ることができるのですね。

 でも、クモの場合は完全に体が凍ってしまったら死んでしまいます。驚くのは、昆虫のなかには完全に凍ってしまっても生きているものがあることです。コチコチに凍ってしまっても、融けたらちゃんと変態して成体になることができる昆虫もいるのです。すごいですね~!

 人間は化石燃料を焚いて寒さをしのいでいますが、小さな生き物には驚くような不思議なしくみが備わっています。そうやって数億年かけて進化を遂げてきた昆虫やクモのなかには、人間による環境破壊や地球温暖化で絶滅の危機にさらされている種も少なくありません。

 進化の歴史の重みを背負った地球の生物たちをこれ以上絶滅させることのないように知恵を絞るのが、私たち人間という生物の背負った責務ではないでしょうか。

2007年12月17日 (月)

クモはどこで越冬するのか?

 北海道に来てから、「凍上」という現象を知りました。地面が凍って持ち上がるのです。氷の力というのはすごいのですね。ですから、北国では住宅の基礎も凍らない深さまで掘り込んで造られます。

 そんな北国でも、春になるとどこからともなく昆虫やクモなどが這い出てきます。いったい冬の間、クモはどこに行ってしまうのでしょうか? どうして凍らずに冬を越せるのでしょうか? 北海道に来た当初、私は大いに疑問を抱いたものです。

 夏の間あちこちに網を張り、あるいは地面を走りまわったり草陰で獲物を待ち伏せしていたクモたちの大半は、秋の深まりとともに姿を消してしまいます。

 昆虫では種によって卵、幼虫、蛹、成虫のどの段階で越冬するかが決まっています。クモも同様に、卵・幼体・成体のどの段階で越冬するかは種によって異なりますが、北国では卵や成体での越冬は少数派で、多くのクモが幼体で冬を越します。

 成体のクモは、春から秋に産卵すると普通は死んでしまいます。そして、その年に生まれたほんの数ミリの小さな子グモが、氷点下30度近くなる冬を乗り切っているのです。

 秋に落葉をかき分けると、さまざまな種類の子グモや小型のサラグモ類が集まっています。冬が比較的暖かい本州などでは、落葉の下で越冬するクモがたくさんいます。でも、私の住んでいるところでは晩秋になると表土が凍てつき、落葉の下にいたクモは姿を消してしまいます。

 秋に庭の手入れをしていると、掘り返した土の中から小さなクモが出てくることがあります。まだ雪の融けきらない早春に、河畔の土を棒切れで掘っていたら、越冬中のコモリグモがもぞもぞと出てきたことがあります。このように多くのクモは、地中に潜って冬を越すようです。

 また、秋に地表や植物の根際などに産卵するクモもいます。雪は断熱効果があるので、雪の下になるところは越冬に最適なのでしょう。雪が積もってしまうと、地表面の温度は0℃程度なのです。地表近くで越冬する場合、雪が積もる前の初冬の時期に、いかに凍らないようにするかが問題になります。

 しかし、樹皮の下など寒気に直接さらされる地上部で越冬する種もあり、氷点下30度もの寒さに耐えねばなりません。そのようなクモはたいてい糸で袋状の住居を造っています。糸でつくられた住居は、クモの体が濡れるのを防いでくれるのです。

 木の幹にわらを巻きつけてそこで虫を越冬させ、春にそのわらを燃やして害虫退治をすることがありますね。あれは虫たちの越冬習性を利用しているのです。樹皮の下などで越冬するクモは、こうしたわらの中にも入りこみます。

 もちろん越冬中は「休眠」状態で、何も食べずにじっとしているのです。木の幹すら凍らせて「凍裂」を生じさせる厳しい自然の中で、冬を耐えて生き続けている小さな虫たちのたくましさを感じずにはいられません。

2007年12月15日 (土)

騙しのプロバイダ契約?!

 昨日のことです。NTTを騙る女性から電話がかかってきました。話しの内容は以下のようなことです。

 「インターネットをお使いですか? あなたがお住まいの地域では○月○日からADSLが利用できるようになります。今ご利用のプロバイダはどこでしょうか? OSは何をお使いですか? (私が答えると)それなら環境は十分です。ADSLの契約をされると、今までより月々の利用料が千円ほどお安くなります。初回に多少料金がかかりますが、はじめだけです。なにも不利なことはありませんので、是非切り替えてください。今、この電話で申し込みができます」

 まず、料金のことが不思議でした。ISDNからADSLに変えるのであれば、料金が高くなるか同じというのが常識でしょう。なぜ安くなるのでしょうか?

   私は契約者ではないので今ここで意思表示することはできないと伝えると、「奥様ですか? 奥様でも大丈夫です」といいます。「ええっ!」と内心思いましたよ。このような契約の場合、契約者本人の意思を確認するのが当然ですから。

 承諾の返事を迫るので「契約者の同意を得ないと決められません」と伝えると、「それでは契約者ご本人がご在宅のときに電話をして、詳しく説明します」とのことでした。

 そして、夜にまた電話がありました。この時は契約者本人が電話に出たのですが、電話をかけてきたのは男性だったとのことです。

 その電話の主は、NTTの代行で電話をしているとのこと。さらにいろいろ聞いていくと、何とプロバイダを変えるという話しだったのです。そして、決断を急がせます。プロバイダを変えるという話しなら、メールアドレスも変えねばならないのですから「不利なことはない」などという話しは正しくありません。

 それにしても、プロバイダの変更契約をNTTが民間に代行させるなどということがあるでしょうか? それに、ADSLを使えるようになるのはまだしばらく先のことなのに、どうして急がせるのでしょうか? 不審に思ってNTTに電話して、驚きました。

 何と、私の居住地でADSLが使えるようになるという話は今日決まったばかりで、まだ外部には公表していないとのこと。もちろんNTTの代行などということではありません。

 つまり、NTTの内部情報があるプロバイダに流れ、すぐに電話で契約の勧誘を始めたということです。

 プロバイダ変更の勧誘であれば、はじめからそのように伝えればいいことです。そうしないのは、やましいところがあるからでしょう。あたかもNTTの職員を装ってメリットだけを伝え、契約を急がせるような会社はろくな会社ではないと判断できます。消費者契約法違反ではないでしょうか。

 まったく世の中「騙し」ばかりですね。それにしてもNTTの情報管理も杜撰なものです。そのプロバイダに天下っている元職員でもいるのでしょうか。

2007年12月14日 (金)

環境対策に隠された罠

 10月に発行された、辺見庸氏の「たんば色の覚書」(毎日新聞社)を読みました。この本には「私たちの日常」と題して、2007年7月に京都で行われた講演会の草稿を修正、補充した原稿が掲載されています。

 とても深い内容の話しなのですが、地球温暖化について非常に鋭い指摘がされています。とりわけ印象に残った部分を紹介しましょう。

 「地球温暖化を加速させてきた大きな要因の一つは人間社会の生活のありかただけではなく、大小の戦争や核実験を挙げなければなりません。戦争とその準備はなによりも巨大な生産と消費の爆発的展開なのです。気候変動は二酸化炭素による温室効果だけが原因であるはずがない。しかし私たちは、温暖化を考えるときに戦争や核実験という重大な要因を捨象してしまう。そして、温暖化対策は『エコロジー』という言葉でくくられてしまうのです」

 マスコミが報道する温暖化対策は、森林の二酸化炭素の吸収量だとか、バイオ燃料の導入、市民の節約などばかりで、戦争や核実験による環境破壊や温室効果ガスの増加にはほとんど触れられません。

 しかし、アメリカによる戦争が多くの人を殺戮しているだけではなく、莫大な化石燃料を消費し、劣化ウラン弾で環境を汚染していることは現場に行かなくても容易に想像できます。戦車を動かすだけでも、大量の燃料が必要なのです。アメリカは戦争でいったいどれくらいの燃料を使い、どれくらいの二酸化炭素を放出したのでしょうか? 日本は、そのアメリカの戦争を支持して協力しているのです。

 マスコミはそのようなことをどれだけ伝えてきたのでしょうか? むしろそのような側面をひた隠しにし、「エコ」だとか「環境にやさしい」などという言葉によって、環境対策を市民の努力の問題にすり替えているかのようです。

 さらに、辺見氏は環境対策についてこのようにつづけます。

「私の予測はこうです。資本は2030年危機をも投資のチャンスと考えるにちがいありません。資本にとっていまや環境というものが巨大なビジネス・チャンスになっている。いまの資本主義の特徴は、環境と人間意識を商品化の二大目標としていることです」

 そして、地球温暖化によって熱波やハリケーンに見舞われても、富裕層だけが快適な住環境を享受でき、貧困層は劣悪な生活環境で苦しむことになる。その結果、環境問題は厳しい階級問題にならざるをえない。ゴミを捨てるな、省エネにつとめろといったお題目やエコロジーの一般概念でことがすむ段階ではもはやない、と指摘しています。

 地球温暖化の影響が目に見えるようになってきているなかで、アメリカや日本では格差が拡大してきています。そして、「環境」「エコ」を謳った企業が政府から優遇されてのさばっています。まさに、辺見氏が指摘している状況が進行し、末期的状態に向かっています。

 正義をふりかざした戦争によって多くの人を殺戮し、環境を破壊して温暖化を促進させ、一方で「環境」をビジネスとし、弱者を切り捨てるアメリカ。そしてそのアメリカに追従し、協力しているのが日本であることを、私たち日本人は誰よりも深く受け止めなければならないでしょう。

2007年12月12日 (水)

夢を捨てきれない著者たち

 11月27日放送のNHKの「クローズアップ現代」は、全体的には落胆する内容でしたが、印象に残ったことが二つあります。ひとつは新風舎を提訴した原告の方が、まだ本を売りたいという夢をあきらめきれないとの発言をしていたことです。

 ひと昔前であれば、自費出版の本は販売しないのが当たり前でしたから、販売に夢を託してしまうことなどなかったでしょう。本を売りたい人は、コツコツと自分で売っていました。しかし、書店流通を謳う共同出版が台頭してからは、販売に夢を託す人が急増したようです。

 夢を託してしまう陰には、出版社名の入った本を書店流通させる共同出版商法の繁栄、そして時折無名の著者の本がヒットするという事実が重なっているのかもしれません。しかし、ヒットする本というのは、必ずどこかで話題になっているのです。

 ところが、いちど夢にとりつかれてしまうと、夢から覚めることは容易ではないようです。印税が安くても(あるいは無しでも)、書店で売ってもらうことに意味を感じてしまうのでしょう。そんな、あきらめきれない著者の多いことにため息が出てきます。

 「自分の本は売れるはず」と思っている方は、ブログなどで公表したり文芸誌などに投稿してみるとよいのではないでしょうか。本当に共感を得られる作品であれば、必ず反響があるでしょうし、ネットや雑誌などで紹介されるかもしれません。商業出版を提案してくる出版社があるかもしれません。

 まず、著者の方たちが現実の厳しさを知らなければならないと感じています。一日に200点以上もの本が出版され、プロの作家の本でさえあまり売れない現状の中で、名前も知られていない人の本がそこそこ売れるなどということはきわめて稀なことです。素人の書いた本は「ほとんど売れない」という自覚を持ったうえで出版を考えることが大切です。

 いわゆる共同出版ではなく、著者に所有権がある本をつくる自費出版(制作・販売サービス)の場合は、あくまでも販売は附帯サービスです。販売に過度の期待をすべきではありません。販売のための費用も著者負担になるのですから、販売方法や販売実績、編集内容などを説明してもらったうえで、よく考えて決めるべきです。

 また、書店で売るだけが販売の方法ではありません。ブログや葉書などで宣伝したり、置いてもらえそうなお店などと直接交渉して、著者が自分で地道に売っていくという方法もあるでしょう。もちろん販売して代金をもらう以上は、きちんと編集がなされ、内容的にも読者の共感を得られる本であることが前提ですが。

 商業出版で本を出した著者も、自分の書いた本の宣伝に力を注いでいます。売りたいならまず著者自身が努力することが大切ではないでしょうか。

 もう一つ印象に残ったことというのは、元社員の方が「本を売って利益を得ているのではなく、著者から利益を得ている」と指摘していたことです。元社員は、それが不当なことだと認識しているからこそ、わざわざ指摘したのでしょう。

 残念ながら、番組ではそのことについて特にコメントしていませんでした。私にはこの点をなんら疑問に思わない人が多いことが、不思議でなりません。

2007年12月11日 (火)

地球温暖化とバイオ燃料

 昨日のNHKの「クローズアップ現代」では、バイオディーゼルの燃料となるアブラヤシを栽培するために熱帯雨林の皆伐が進んでいること、またその皆伐によって泥炭に閉じ込められていた二酸化炭素やメタンが放出され、二酸化炭素の増加を加速させているという問題が取り上げられていました。また、9時からのニュースウオッチ9でも、熱帯林の違法伐採のことが取り上げられていました。

 地中に閉じ込められた二酸化炭素やメタンの放出は、熱帯雨林だけの問題ではありません。シベリアやアラスカに広がる永久凍土も大量の二酸化炭素やメタンを閉じ込めていますが、永久凍土の融解や火災や伐採による森林の消失がそれら温室効果ガスの放出に拍車をかけています。

 北極の海氷はどんどん融けており、すでに後戻りできる時期を過ぎてしまったとさえ言われています。地球温暖化はまさに喫緊の課題といえます。

 クローズアップ現代の中でも語られていましたが、こうした状況のなかでは、植林をするより、まず伐採を中止させることに最大限の努力を注ぐべきでしょう。

 それと同時に、バイオディーゼル・バイオエタノール一辺倒になりつつある思考回路を切り替える必要があります。

 今やマスコミはバイオ、バイオと連呼し、いかにもバイオ燃料が環境に優しいかのように報道していますが、アメリカがバイオ燃料を推進するのは、ひとつの戦略なのです。

 二酸化炭素の削減で非難されているアメリカは、温暖化対策を名目に、バイオ燃料の原料を生産している穀物メジャーの「アーチャー・ダニエル・ミドランド社」や「カーギル社」を優遇し、本来食料であった穀物を燃料とすることで世界の穀物価格を高騰させているのです。この高騰により、アメリカから穀物を輸入してきた国は、飢えに苦しむことになります。

 アブラヤシ栽培のための熱帯林の破壊も、そうしたバイオ燃料神話の延長線上にあります。アメリカの偽りの環境対策こそ、深刻な環境破壊と飢えの元凶になっているといえるでしょう。

 ところがそうしたアメリカの戦略を報道せず、アメリカの広報車のようにいかにも環境に優しい燃料であるかのような報道しかしないのが日本のマスコミです。

 NHKの番組は、伐採問題は海外の他国のことと受け取れるような内容でしたが、日本でも天然林は択伐と皆伐によってボロボロです。伐採現場には大量の端材や枝葉が放置され、大雨によって河川に流入し、流木となって邪魔者扱いされているのです。そして、間伐もされずに放置された人工林があちこちにあります。

 自国の森林破壊にも目を向け、国内にある不要な資源を利用したバイオ燃料こそ、見直していく必要があるのではないでしょうか。また、公共交通機関の利用を促進するなど、燃料の使用を減らす努力もすべきです。

2007年12月10日 (月)

「地ごしらえ」による伐採の怪

 えりもの森の皆伐で被告は、収穫調査を行った376本以外の伐採について、支障木として56本(18本+38本)を認定し、「地ごしらえ」として直径6センチ以上の立木を327本伐採し、合計383本を伐採したとしています。

 被告は、これらの伐採は本件売買契約に基づく伐採とは全く異なるものであると主張しています。つまり、376本の伐採や支障木の伐採とは別に「地ごしらえ」の伐採を行い、その結果、受光伐(抜き伐り)が皆伐になったというのです。

 「地ごしらえ」というのは、植林をするための準備作業で、伐採に伴って廃棄された枝葉を筋状に寄せ(措き幅という)、植林の邪魔になるササや潅木などを刈る作業のことです。

 受光伐というのは、日陰になっていた若木に光をあてて生長を促すのですから、若木は残さなければならないはずですが、それも「地ごしらえ」で伐ってしまったというのです。なんとも矛盾した話です。

 被告の主張によれば、376本の収穫木と支障木を伐採した後に、「地ごしらえ」を行って327本の立木を伐採し、それを枝葉と一緒に「措き幅」に寄せて整理したということになります。

 ところが被告は、本件での伐採の時期と「地ごしらえ」による伐採の時期を明確にしていません。

 しかし原告らの調査によれば、本件の伐採の着手は平成17年8月24日であり、また少なくとも平成17年9月3日には準備地ごしらえに着手していました。ここからいえることは、8月24日に始まった本件の伐採(176本の伐採)と9月3日から始まった準備地ごしらえは、9月3日以降は並行して行われていたということです。

 本件伐採と地ごしらえの契約主体は日高森づくり協同組合なのですが、実際には鬼頭木材が伐採と地ごしらえを行っていました。つまり、同じ鬼頭木材の職員が両方の作業を行っていたのです。

 考えただけでもわかりますが、同じ業者が、ナンバーテープやスプレーがつけられた木をまず先に伐採し、その後、残りの木を「地ごしらえ」として伐採して皆伐状態にするなどということはありえないでしょう。

 チェンソーで端から伐採し、材となる「金目の木」は搬出してして丸太にして土場に積み上げたとしか考えられないのです。このような伐採をしたら、どの丸太が収穫木でどの丸太が「地ごしらえ」による伐採木なのかを特定することなどできません。

 現に、9月24日には、本件の伐採と「地ごしらえ」による伐採が同時に行われ、材として価値のある伐採木が丸太として土場に積み上げられ搬出されたことを、十勝自然保護協会の理事が目撃し撮影していたのです。

 現場にはナンバーテープもスプレーもない大小さまざまの伐根が残されており、「地ごしらえ」で伐採したと主張しているのですが、それらの材は「措き幅」に残されていません。383本の立木が根拠もなく伐採され搬出されたことになります。

 このような伐採・搬出行為は、森林法198条の森林窃盗にあたると考えられるのです。

 道条例違反、生物多様性条約違反として始められた裁判ですが、伐採の中身を検証していくにつれ、さまざまな不正・違法疑惑や業者との癒着疑惑が浮かびあがってきました。  被告は、この裁判にあたって「住民監査請求が不受理だったので、訴訟を起こす資格がない」として本論に入ることを拒み、入口論で1年も費やしたのですが、頑なに拒んだ理由が見えてきます。

 裁判の舞台となったえりもの森の伐採には、公有林伐採の抱えるさまざまな疑惑が凝縮されているかのようです。

2007年12月 9日 (日)

二重調査の怪

 えりもの森裁判が対象としている皆伐現場の152林班43小班の10伐区では、伐採対象木として376本の調査を行い、この調査結果を元に日高森づくり協同組合と売買契約を締結しています。

 前回の記事にも書きましたが、この収穫調査ではまず日高森づくりセンターの職員が調査を行い、262本にナンバーテープとピンクのスプレーをつけ114本は「玉取り」としてピンクのスプレーで印をつけました。この職員が実地調査した調査野帳には、376本の収穫木の樹種・胸高直径・歩止まり・品位が記載されています。

 ところが、不思議なことに職員がナンバーテープをつけた262本の木について、鬼頭木材にも調査を委託しているのです。この鬼頭木材による調査野帳には、職員による調査結果を丸写しにしたかのような樹種と胸高直径のデータ、および樹高調査が記載されています。すでに職員によって調査されている樹種と胸高直径を再度調査する必要などないはずです。

 残る樹高調査というのは、収穫木の1本1本について樹高を測っているわけではありません。これはすでに作成されている樹高曲線に胸高直径を当てはめることで算出します。ですから、これもわざわざ業者委託する必然性はないのです。

 こうして見ると、鬼頭木材に委託した調査は、すでに被告職員が行った調査の上塗りでしかないといえます。必要性のない調査であれば、これも住民監査請求の対象となるものであり、きわめて違法性の高い調査といえるでしょう。

 なぜ、このような不要の調査を業者に委託したのでしょうか?

 本件の伐採は、日高森づくり協同組合が請負っているのですが、この日高森づくり協同組合は鬼頭木材、(株)津田組、(株)南組、(株)ホリタで構成されています。

 日高森づくり協同組合は、日高地方の道有林の伐採に関して長年にわたり森づくりセンター、その前身である北海道林務部と取引関係にあります。そして日高森づくり協同組合の事務所は鬼頭木材の様似工場にあるのです。つまり、鬼頭木材は日高森づくり協同組合の中でも発言力が強いことがうかがわれ、その実質は鬼頭木材といえます。

 そして、本件の伐採も、地ごしらえ作業も鬼頭木材が行っているのです。

 このような背景から、鬼頭木材に委託した不要な委託調査や無秩序な伐採、さらには被告である北海道がこの伐採について黙認する姿勢が何によるものなのかを推測することができます。  そこから浮かびあがってくるのは、行政と業者の癒着疑惑です。(つづく)

2007年12月 8日 (土)

伐採面積の水増し疑惑

 12月7日は、「えりもの森裁判」の口頭弁論でした。

 前回の記事にも書いたように、原告らが裁判を起こす前に情報公開で取り寄せた収穫調査復命書と、被告が裁判に提出した収穫調査復命書は、同じ内容の文書でありながら日付の異なっているという奇怪な事態が生じています。

 もし、日付の異なる同じ文書が二つ存在したのであれば、情報公開の際に二つとも開示されなければなりません。でも、同じ文書が二つあるなんてことは現実的ではありませんね。とすると、どちらかの文書は日付を書き換えている虚偽の文書である可能性があります。どちらにしても、とうてい納得のできることではありません。

 7日の裁判でも、裁判長はこの点について被告に説明を求めたのですが、被告からは「調査する」との返事しか得られませんでした。前回指摘していたことなんですけど、なぜ今回も答えられないのでしょうか・・・。

 さて、今回はパワーポイントを使って、具体的な伐採の実態などについて意見陳述しました。  今回の準備書面ではいくつかの点について具体的に指摘したのですが、ここでは伐採面積の水増し疑惑について説明しましょう。

 私たちが問題としている伐採は、面積が2.4ヘクタールの152林班43小班の中の10伐区で行われた皆伐です。ここでは受光伐(森林の木を抜き伐りして、日陰になっていた若木に光が届くようにして生長を促すこと)を行うとの名目で、376本の立木が収穫調査によって特定され、そのうち262本にナンバーテープとピンクのスプレーが、残りの「玉取り」とされた114本にはピンクのスプレーで印がつけられました。この114本については、ナンバーテープがないので個々の樹の特定はできません。

 ところが、実際には受光伐(択伐)どころか皆伐されていたのです。なぜ、「抜き伐り」の計画が「皆伐」になってしまったのでしょうか?

 被告(道有林の伐採なので北海道)は、376本の伐採を「10伐区」の「2.4ヘクタール」での収穫として特定しています。ところが、保安林内の許可伐採を得るために北海道の保安林グループに提出した書類では、152林班43小班の5.92ヘクタールにおける伐採として許可申請しているのです。

 保安林では、伐採率は30パーセント以内と定められていますので、伐採の許可申請をする際に伐採率を30パーセント以下にしなければなりません。ところが、43小班の蓄積量(森林全体の木材の体積)は1ヘクタールあたり189立方メートルになるので、2.4ヘクタール当りでは453.6立方メートル程度になります。10伐区の収穫木の材積は472.38立方メートルですから、蓄積量より伐採量の方が多いというおかしなことになります。

 蓄積量というのは正確に調査されたものでなく誤差のあるものなのですが、机上の計算では収穫木を伐ったら、10伐区はほぼ皆伐、つまり伐採率100パーセントになってしまうのです。これでは保安林での伐採の許可申請ができません。書類上伐採率を30パーセントにするには、伐採対象地域の面積を水増しして大きくする必要があります。

 このために、保安林伐採の許可申請では10伐区の2.4ヘクタールでの伐採ではなく、43小班全体の5.92ヘクタールでの伐採として申請したと推認されるのです。これは森林法違反にあたる行為です。

 数字操作によって伐採率を調整すれば、保安林でも皆伐ができてしまうことになります。これでは、保安林指定の意味がありません。(つづく)

2007年12月 6日 (木)

記者クラブに浸かった軟弱ジャーナリズム

 北海道新聞は、4日の朝刊社会面で「上士幌 国立公園天然林の沢 事前協議せず砂利道」という記事を掲載しました。

 記事の内容は、大雪山国立公園内の上士幌町タウシュベツ川支流の沢に、十勝西部森林管理署東大雪支署が、環境省との事前協議をせずに大量の砂利を敷き詰めて作業道を敷設した。自然公園法では河川の水位・水量を変える事業を実施する際には環境省との事前協議が必要としているが、それを行っておらず違法の疑いがある。さらに10月に現地調査をした河野昭一京大名誉教授らが、林野庁と環境省に意見書を提出して調査を求める、というものです。

 森林伐採問題などに取り組んでいる市川守弘弁護士らが3日に林野庁と環境省に意見書を提出し、4日の午後に記者会見を行ったことで、同日にNHKやHTVがニュースで流したほか、翌5日には朝日・毎日・読売の各紙も一斉に報道しました。

 でも、この問題はつい最近分かったことではありません。新聞記事にあるように、自然保護団体の一行は10月4日にこの現場を視察したのですが、この日には北海道新聞の記者も同行し、翌5日の新聞でタウシュベツの皆伐について写真入りで報じたのです。さらに5日に札幌で行われた講演会「日本から天然林が消える日」では写真を示してこの実態を報告しました。

 これについては、以前のブログでも書きましたが、私もインターネット新聞JANJANにルポ記事を書いています。

 さらに、タウシュベツの皆伐地の近くで同じ時期に行われた幌加地区の皆伐については、かねてから十勝自然保護協会が問題視し、東大雪支署に質問書を提出していました。私も昨年5月にインターネット新聞JANJANでこの問題を指摘しています(破壊される大雪山国立公園の森林)。

 このような非常識きわまりない施業が国立公園で行われ、自然保護団体によって指摘されていたのですが、これを報じたマスコミは10月5日の北海道新聞がはじめてでした。12月4日の北海道新聞の写真にあるように、道新はその後10月31日にも現場を取材していました。地表面を重機で剥ぎ取った皆伐と、その伐採に付随した沢の破壊というとんでもない施業の実態は、かなり前に確認し、取材を重ねて12月4日の記事になったのです。

 今回、ほかのマスコミも一斉に報道したのは、自然保護団体が意見書を提出して記者会見を開いたからにほかなりません。

 常識的に見ても呆れる環境破壊行為ですが、違法の疑惑を指摘されなければ報道しない、また記者会見をしなければ報道しないという低レベルのマスコミの姿勢には、いささか呆れ果てます。

 共同出版問題でも、同じことがいえます。

 これも、日ごろどっぷりと記者クラブからの情報に浸かり、自ら問題意識を持って取材しようとしない軟弱なジャーナリズムの弊害といえるでしょう。

2007年12月 5日 (水)

見識が問われる新聞記事

 今日の北海道新聞の一面のど真ん中に掲載された写真を見て、唖然としてしまいました。

 その写真とは、石狩の機械工場で飼育しているというヘラクレスオオカブトムシです。記事によると、石狩市の機械メーカーが多角経営の一角としてヘラクレスオオカブトムシと外国産クワガタムシを大量に飼育し、二年後をめどに販売するとのこと。

 いやはや、何と言うことか!

 外国産のクワガタムシやカブトムシがブームとなって高額な値段で販売されるようになって久しいのですが、その一方でこれらの外来種が逃げ出して在来種と交雑するなど、生態系に悪影響を与えていることがかねてから指摘されてきました。外来種の野生化は、ときとして在来種に致命的な影響を与えかねません。

 国も「特定外来生物による生態系等に係る被害の防止に関する法律」によって、外来種の駆除に重い腰を上げて動きはじめています。この法律によって、遅ればせながら環境省も、ウチダザリガニやセイヨウオオマルハナバチの駆除などに取り組み、北海道新聞でもしばしば外来種問題を取り上げてきました。

 ウチダザリガニは食用として、セイヨウオオマルハナバチはハウス栽培のトマトの受粉用として導入されたものですが、野生化の危険性を十分検討せずに導入し、取り返しのつかない状況にまでなってしまったのです。

 生物多様性の保全が叫ばれるなかで、ブームに乗じて外国産の昆虫を販売目的で大量飼育するなどということ対し、マスコミは問題点を掘り下げて警鐘を鳴らすべき立場です。

 それにも関らず、このような記事を一面に掲載するなどというのは、新聞社の見識が問われるというものです。記者やデスクが外来種問題についていかに不勉強であるかが伺えますが、せめて掲載前に昆虫の専門家などに意見を聞くべきでしょう。

 ここには日本のジャーナリストがいかに問題点を的確に捉えておらず、状況が見えていないかが如実に表れています。

2007年12月 4日 (火)

思い出したスーパー林道

 12月1日のシンポジウム「森を壊すのはだれ?」への参加と他の用事が重なって、4日ほど札幌に行っていました。

 1日のシンポジウムの、河野昭一先生の危機的な状況に置かれた日本の天然林の話しに改めてことの重大さをひしひしと感じ、大谷昭宏さんの林野庁が続けてきた自然破壊道路、無駄な道路の話しに、大きな怒りを覚えました。

 大谷さんがはじめに指摘したのは、スーパー林道によるイヌワシ生息地の破壊です。

 「スーパー林道」をご存知でしょうか? 緑資源機構の前身である森林開発公団が、「スーパー林道」と称して、1960年代半ばから全国に約122キロメートルもの峰越の林道をつけたのです。この道路は、当時、自然破壊道路として大きな問題となりました。

 私がこのスーパー林道による自然破壊を知ったのは、たしか高校生のころでした。南アルプススーパー林道、霧が峰のビーナスライン、尾瀬に計画されて中止になった観光道路などによる自然破壊が、その後私を自然保護運動に向かわせたといっても過言ではありません。

 とりわけ、「南アルプススーパー林道」では、森を切り裂き、土砂を谷に落とす自然破壊工事に批判が高まり反対運動が繰り広げられたのです。1970年代には、私も自然保護運動に参加していましたので、ふと思い出してその当時の資料を引っ張りだしてみました。

 1972年に全国自然保護連合が発行した「自然は泣いている 自然破壊黒書」を開いてみると、富士スバルライン、石鎚スカイラインなどによる凄まじい自然破壊の写真、そして大山国立公園などの皆伐写真がこれでもかとばかりに並んでいて、目が釘付けになりました。

 山岳道路や伐採による天然林破壊は、すでに35年以上も前から自然保護団体によって指摘され警告されてきたのです。本文の「国有林と自然破壊」では、「残り少ない原生林」「林野行政という名の破壊」「林野庁は自然破壊」という小見出しが踊っています。そして、そこに書かれていることは、今もほとんど変わっていないことにあらためて愕然とさせられました。

 さらに1977年の全国自然保護大会の資料を見ると、大規模林業圏開発計画の問題や取り組みが報告されています。当時は干潟の保護運動に関っていたので大規模林道に関してはあまり鮮明な記憶がないのですが、自然保護団体は30年も前から同じ問題を相手にしているのです。

 日本の自然をボロボロにしたスーパー林道の次ぎに林野庁が考えた山岳道路は、大規模林道(緑資源幹線林道)という、林道とは名ばかりの2車線の立派な舗装道路でした。それを担ってきた緑資源機構が官製談合で解体を余儀なくされた今、「山のみち地域づくり」としてなおも生残ろうと触手を伸ばしています。何がなんでも道路をつけようとする林野庁のあさましさに、この国の腐りきった姿を見る思いです。

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