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2007年11月20日 (火)

携帯電話と使い捨て文化

 先月下旬のことです。3年ほど使っていた携帯電話の電池パックが、とうとう寿命になってしまいました。機種は古いものの本体は問題ないので、本当は電池パックだけ買い換えたいところでした。

 販売店に行くと、「電池パックだけで5000円しますから、機種や利用年数、ポイント利用によっては機種交換とあまり変わりませんよ」との説明。しかも、電池パックにはさまざまな種類があるので、確認して取り寄せになるとのこと。

 なにしろ僻地住まいの私にとって、何回も街に出て行くのはおっくうです。結局は一番安い機種に交換しました。

 でも、どう考えたって精密機器である電話機本体に比べて、電池パックの値段は高すぎます。原価はいったいいくらなのか? 電池パックの値段を高く設定することで、意図的に機種変更するように仕向けているとしか思えないのです。

 こうやって壊れてもいない携帯電話を次々と買い替えさせるというのは、消費者を馬鹿にしたやり方です。古い電話機はリサイクルするといって回収していますが、そういう問題ではないはず! 日本人は電話機まで使い捨てにするようになってしまった、というよりされているのです。

 携帯電話の生産現場では、派遣社員やアルバイトをつかって、低賃金で単純作業をさせていると聞きます。そして、次々と新しい機種をつくっては買い換えさせる・・・。これはまさに若者の労働力を使い捨てにしたうえで、電話機まで使い捨てにさせ、不必要な消費をさせるという企業の戦略です。

 そう思っていたところ、こんどは総務省から携帯電話本体の値下げを抑え、通話料を安くするようにとの見直しがかかったとのこと。携帯電話が普及し契約者の増加があまり見込めなくなったということなのか?

 方針転換をして電話機本体を高額にするのであれば、電池パックの値段は当然見直すべきですが、そのあたりはどうなのでしょうか? だいいち、電池パックの種類が多すぎるのも問題です。なぜ統一規格にしないのでしょうか。

 数年前にスペインに行った娘の話では、スペインの若者は、携帯電話はあくまでも電話として使うのが普通であり、日本人のように頻繁にメールなどしていないとのこと。彼らにとっては、次々と機種変更するような必要性はないのでしょうし、そもそも使い捨てにする文化ではないのでしょう。

 使えるものは大事に使う、無駄になるようなことは極力さける、それが循環型社会を目指す国の姿勢ですが、日本の使い捨て社会はそう簡単には変わらないでしょう。そうした社会の行き着く先に希望は見出せません。

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