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2007年8月

2007年8月31日 (金)

オニグモの突起の謎

 昨日のつづきで、恵山の話題です。

 賽の河原の歩道の脇に大きな円網がありましたが、クモは網にいません。網の大きさや環境からアカオニグモかキバナオニグモだろうと思ってクモを探すと、網の主は何とオニグモではありませんか。

 オニグモはふつう人家の周辺に生息しているクモですから、エゾイソツツジやガンコウランが群生するところで出会うとは、ちょっと驚きでした。

Esanonigumo  で、そのオニグモを良く見てまたびっくり! 肩(腹部の上部側方)の突起がとても大きくて立派なのです。で、思わず手をだしたら、驚いたオニグモさんにガブリとやられてしまいました。彼女(雌です)は私の手の平に数秒間は牙をつきたてていたでしょうか。何しろ大きなクモですし、毒液をだいぶ注入されたようですから、これはしばらく痛むだろうと覚悟しました。でも、そんな心配をよそに、結局は痛みもしびれもせずに終わりました。大きなクモの場合、種によってはしばらくズキズキと痛むことがあるのです。

 さて、私が日ごろ見ている北海道東部のオニグモは、不思議なことに肩に突起がほとんどありません。特に成体の雌は、全体に丸みのある腹部をしています。ところが、クモの図鑑でオニグモを調べると、明らかに肩に突起があります。つまり、オニグモの肩突起は地域によって変異があるのです。そして、恵山のオニグモは、非常に大きな肩突起を持っていました。いつも見慣れているオニグモの肩とまったく違うのです。オニグモの仲間には肩に突起をもっている種がいくつかありますが、こんなに種内変異が大きい種はほかにはいないのではないでしょうか?

 ここで、はたと考えてしまいました。そもそも、オニグモ類の肩の突起はどのような意味があるのでしょうか? こんな立派な突起をもつようになったからには、何か理由があるはずです。そして、突起がないというのも理由があるのでしょう。しかし、これがなかなか難問・・・。

 同じ北海道でありながら、恵山と道東のオニグモでは、どうしてこんなに形態が違うのでしょうか? そういえば、眼下の津軽海峡の向こうに下北半島がよく見ます。もしかしたら、ここのオニグモは道東より本州との関連性の方が強いのか? すぐ近くに見える下北半島を見ていると、そんな考えが頭をよぎります。

 もし道南のクモが、地続きの道東のクモより海峡を隔てた本州のクモとより遺伝的に近縁であれば、北海道のクモの分布を考えるうえでとても面白いことになります。DNAを調べたら、近縁関係がわかるかもしれません。

 恵山で見つけた一頭のオニグモを見て、そんなことを考えてしまいました。

2007年8月30日 (木)

猛禽のご馳走

 渡島半島の恵山(えさん)に行ってきました。渡島半島はブナ林やヒノキアスナロ林があり、道北や道東とはかなり植物相が異なります。鳴いているセミも、エゾゼミ、アカエゾゼミ、アブラゼミ、ミンミンゼミなど、私の住んでいるところにはいない種ばかり・・・。本州に近いせいか、植物も動物もとても面白いところでした。

 恵山は標高618メートルの活火山です。登山口のある「賽の河原」は、ガンコウランとエゾイソツツジが群生するなだらかな地形で、サラサドウダンやノリウツギが点在していますが、恵山の山肌は火山のために荒々しい岩山になっています。朝からジージーと賑やかに鳴いているのは、エゾゼミとアカエゾゼミ。いつも聞きなれているコエゾゼミとは明らかに声の質が異なります。このセミ、樹木のあるところにしかいないと思ったら、岩だらけの山頂でもあちこちで鳴いていました。

 恵山は岩山ですから、ハヤブサが棲んでいて、狩りをしています。それをよく見ていると、飛びながら何か小さなものを捕まえています。どうやらセミを捕まえているようです。

 山頂ではノスリが旋回していましたが、こちらも空中でセミを捕まえています。確かに、セミがよく飛んでいるのです。森林のない岩山ですから、飛び立ったセミはとても目立ちます。ハヤブサもノスリも、空中や岩の上から、飛んでいるセミを狙っているのですね。

 中国人はセミが好物だとのことですし、長野県などでもセミを食べる習慣があるとのことですから、猛禽類にとってもセミはご馳走なのでしょう。そのご馳走が、空中を飛びまわっているのですから、捕まえて食べない手はありません。それにしても、セミのほうは何と無用心なのでしょう。麓の森林の中にいれば、そんなに簡単には捕まらないでしょうに・・・。

 不思議なのは、サラサドウダンなどの低木に止まっているセミを手で捕まえようとすると、上に飛んで逃げるのではなく、ポロリと下に落ちてしまうのです。そのほうが鳥などには捕まりにくいのかもしれません。そんな特技(?)があるのに、一方で大胆に大空に飛び出していって餌食になってしまうのです。これでは「飛んで口に入る、夏のセミ」ではありませんか。

2007年8月25日 (土)

怪しき蜘蛛屋

 学生の頃、大学の構内で双眼鏡を首からぶら下げて野鳥の観察をしていて、警備員に不審者に間違えられたことがあります(そんな顔していないと思うんですけどねえ・・・)。最近はバードウオッチングも知られてきたので、野鳥観察をしている人を見ても、誰も疑うことなどないでしょうね。

 ところが、クモの採集や観察となると話は違います。うっかりすると、怪しい人物に間違えられかねません。

 目立つものを持たずに、採集や観察をしているときは、それほど問題はありません。人が来ても、植物観察をしているかのように振る舞っていればいいのですから。それでもたまにヘマをすることがあります。

 網を張っているクモの場合は、たいてい素手で採集をします。網にとまっているクモを横からサッと手で包み込むようにして捕らえるのです。ある時、アカオニグモを採集したのですが、その現場を親子づれに見られてしまいました。親は気づかなかったのですが、子供が見ていたんですね。その子は、見てはいけないものを見てしまったかのように、あっけにとられて口をポカンとあけ、親に報告しようとするのです。その場所は採集禁止区域ではないのですが、国立公園です。「動植物の採集禁止」などという嘘を書いた看板があります。この時は、面倒なことにならないうちに、早足で退散しました。

 捕虫網などの採集道具を持っているときはさらにやっかいです。クモの採集にも、捕虫網を使うことがあります。草むらを捕虫網で掬うように動かすと、草に止まっていたり、網を張っているクモを採集することができるのです。樹の高い場所にいるクモを捕るときにも捕虫網を使います。

 ところが、網というのはとても目立ちます。いい年のおばさんが網を持っていると、たいてい声をかけてくる人がいるんですね。「蝶を採っているんですか?」などと。うっかり「はい」などと言ってしまい、蝶のことを突っ込まれたら困るので、仕方なく「クモです」というのですが、たいていの人がその瞬間から、いかにも物好きだという好奇心の目で見るのです。そして、時として質問攻めにあいます。最後には「クモを捕っているなんて人に会ったのははじめて!」といわれることも。それはそうでしょう。だって、蜘蛛学会の会員で北海道在住の人などは数人しかいませんから!

 それから、あまり見られたくないのは「ふるい」という採集方法です。私は食器の洗いカゴを利用しているのですが、内側の穴あきのカゴで落ち葉をふるって、落ち葉の間にいる小さなクモを採集するのです。林の中でこれをやっていたら、誰もが何をやっているのか不思議に思うはずです。それで、これはまず人のいないところを選んでやります。

 さてさて、一番怪しいのは、夜の観察・採集かもしれません。クモには夜行性のものが多いのです。それで、懐中電灯を手に、夜にクモを見に行くこともあります。明るいライトに照らされて、クモや網がくっきりと見えるのです。これはなかなか素晴らしい光景なのですが、知らない人が見たら、さぞかし変人あるいは怪しい人だと思うでしょうね。あまり人通りの多いところではやりたくないのですが、やはり見られてしまうんですよね・・・。こっちもどっきりしますが、相手もどっきりするのでしょう。

 まあ、「クモ」というだけで「キャー」という人が多いのですから、仕方ありませんが・・・。

2007年8月24日 (金)

見直してほしい「どんぐり銀行」

 今日の北海道新聞に、高知県大川村の「どんぐり銀行」の出張所が札幌にオープンしたことが紹介されていました。

 「どんぐり銀行」というのは、どんぐりを集めて送ると通帳が発行され、小さいどんぐりは「1どんぐり」、大きいどんぐりは「10どんぐり」と換算されて、100どんぐりで1本の苗木が払い戻されるシステムです。また、集まったどんぐりで苗木をつくり、緑化に活用するそうです。

 「全国からどんぐりを集めて苗木をつくり、緑化に利用する事業」と聞くと、たいていの人は賛同してしまうでしょう。「どんぐり銀行」とネットで検索してみると、案の定、このシステムを紹介したり評価しているサイトばかりが並んでいます。これはちょっと大変!

 この事業、温暖化防止にも貢献するように思われますが、いろいろな問題があります。

 樹木は、長い年月をかけて、育った場所の環境条件に遺伝的に適応してきているのです。北海道の気候に適応してきた樹のどんぐりを四国に植えたら、環境条件がうまく合いません。どんぐりを育てて植樹に利用するのであれば、植樹する地域で地元のどんぐりを集めて苗づくりをし、その地域に植えるべきなのです。全国からどんぐりを集めて苗づくりをし、それを全国に配布したり、緑化に利用するのは、地域ごとの遺伝子の多様性を壊してしまうことになります。

 また、一口にどんぐりといっても、種類はさまざまです。ミズナラ、カシワ、クヌギ、コナラなどの落葉広葉樹のどんぐりから、シイやカシなどの常緑広葉樹のどんぐりまで、いろいろな種類があるのです。それらのどんぐりには、しばしばゾウムシなどの昆虫の卵が生み付けられているのですが、そのような虫までどんぐりと一緒に、全国から高知県に運んでしまうことになります。

 全国からどんぐりを集めるという「どんぐり銀行」の発想は、違う地域から生物を持ち込むことにつながるのです。生物多様性の保護が叫ばれ、外来種が問題視されていますが、そうしたことに関わってくる問題です。

 さらに、どんぐりはクマやリス、ネズミ、カケスなどの重要な食料です。どんぐりを餌としている動物たちのためにも、多量の採取は慎まなければなりません。

 どんぐりで苗をつくるのはいいのですが、生物多様性の保護を考えるなら、全国から多量のどんぐりを集めるようなやり方は見直さなければならないでしょう。

 マスコミも安易に賞賛するのではなく、記事にする前に、専門家に問合せるなどしてほしいと思うのですが・・・。

2007年8月23日 (木)

皮肉られた環境省の温暖化防止事業

 今年は暑い夏になりました。北海道も30度を越す暑さが続きました。そこで思い出したのが、北海道新聞(2007年6月20日付け)に「地球に優しく広告代理店にも優しく?」という見出しで皮肉られた、環境省の温暖化防止事業です。

 その記事によると、環境省は地球温暖化防止に向けた広告費も含む「国民運動推進事業費」として、2005年度から2007年度までの3年間で83億円も計上し、同じ広告代理店と随意契約を結んでいたというのです。しかも、業務を統括する「プロジェクトリーダー」の人件費として、7万6300円もの日当を計上していたとのこと。日当ですよ! 

 環境省は、国立公園に「ビジターセンター」を設置しています。そのような施設の建設費や維持管理費は環境省の負担ですが、ソフトの予算がないとの理由で、職員の人件費は地元の自治体などが負担しているのです。国立公園の施設では「お金がない」といって自分の施設の人件費も出せないのに、「国民運動推進事業」に83億円もかけ、高額な人件費を計上していたとは、なんとも驚きです。

 環境省は「クールビズ」とか「ウォームビズ」などをしきりに宣伝していましたけど、さてさて、どれだけ効果があったのでしょうか?  昨年の夏に東京に行ったとき、「だれがクールビズを実践しているのか?」と不思議になるくらい、建物の中はどこも冷房が効いていました。外はうだるような暑さなのに、建物の中はカーディガンがなければとても過ごせません。公共施設でも同じです。「クールビズ」を呼びかけるのはいいのですが、なかなか行き届かないようです。

2007年8月21日 (火)

動物の生息地を分断する道路

 道路はしばしば動物の生息地を分断するとして問題にされます。ナキウサギも道路を横断して移動しますが、開けた場所を横断することで、外敵に狙われたり交通事故にあうなどのリスクが高まります。さらに、道路は人目につかない小動物にも大きな影響を与えてしまうのです。

 大規模林道の場合、幅が5メートルから7メートルもあります。このために急傾斜のところでは大きな法面が必要になり、非常に大きく森林を切開くことになります。森林の落ち葉の下にはさまざまな昆虫や無脊椎動物が生息していますが、それらの中には飛んで移動することができないものがたくさんいます。彼らにとって、道路や広大な法面は、渡ることが不可能な川のような障害物になるのです。

 落ち葉や石の下を棲みかとしているオサムシやゴミムシ、マイマイ(カタツムリ)や、クモ、ザトウムシ、ムカデなどは湿った環境を好みます。木陰があり、落ち葉がたまるような従来の林道であればまだしも、直射日光があたり乾燥している法面や道路は、湿った場所に生息する小動物にとってはまったく異質な世界ですから、それを越えて移動することはほとんどないでしょう。このような移動性の小さな動物では、生息地が分断されると個体群が小さくなって孤立し、遺伝子の交流が絶たれてしまいます。

Haisuikou  大規模林道では、道路の脇の排水溝に落ちた小動物が脱出できるよう、排水溝の側面の一部に斜面を設けるなどの工夫がされています(写真)。しかし、移動性の小さな森林性の小動物の場合は、開けた法面に出て行く可能性自体が少ないのですから、そうした工夫もあまり意味がないように思われます。しかも、そのような工作物は、道路の法面側にしかつけられていないので、結局は道路を横断することができないのです。

 そういえば、砂利道を通る機会の多かった頃は、夜によくトガリネズミが道を横断するのを見かけましたが、どうしたことか最近ではすっかり見かけなくなってしまいました。道路の舗装化が関係しているのでしょうか?

 森林の施業・管理のための道路というのは、幅3メートルほどの従来の林道で十分ですし、そのような道であれば動物たちにとっても大きな障害にはならないでしょう。

観察施設の功罪

 学生のころ、休みといえば望遠鏡をかついで全国の野鳥の渡来地をほっつき歩いていました。シギやチドリなどが渡来する干潟が多かったのですが、ガンやカモ、ハクチョウが渡ってくる沼、ツルの渡来地などにも行きました。

 その頃はもっぱら公共交通機関と徒歩の旅です。鉄道の駅やバス停から目的地まで、1時間以上歩いて行くこともありました。

 そして、どっぷりと自然につかって野鳥の観察を楽しんだものです。直射日光をさえぎるものもない炎天下を汗だくになって歩いてシギやチドリの姿を追い求めたり、冷たい風に身を縮めながら水鳥たちを観察したり・・・。

 時々、「鳥を見るだけで、何が楽しいの? 物好きだねえ!」などと言われながら。そう、確かにオタクの世界でしょうね。それでも、野鳥好きの人にとっては、自然の中で鳥を見るということがたまらないのです。

 その後、かつて歩きまわった水鳥の渡来地の多くに、野鳥を観察するための施設ができてしまいました。野鳥の渡来地として有名になったところを保護し、多くの人に野鳥を見てもらうために行政などが建設したのです。

 大きなガラス張りの窓から、沼や干潟を一望できる観察施設が、全国にどれくらい建てられたのでしょうか。建物の中は冷暖房が完備されているところも少なくありません。暑さや寒さを我慢しなくても楽に観察できます。でも、私はどうしてもそのような施設が好きにはなれないのです。

 見える景色は同じでも、ガラスで隔てられた屋内というのは「感覚」というものが欠落してしまうのです。野鳥の鳴声や風の音、葉ずれの音や肌にあたる風の感触、植物から発せられるかすかな匂い、土のぬくもり・・・。それらが全くない視界だけの世界は、もはや自然観察とはいいがたいものがあります。

 「保護」のために、あるいは「自然とのふれあいや学習」のために施設が造られることが多いようですが、本当にそのような施設がなければ保護ができないのでしょうか? 観察ができないのでしょうか? あちこちに観察施設ができたというニュースを聞くたびに、なにか虚しい気持ちになってしまうのです。

 数年前、サハリンを訪れました。そこには自然のままの海岸線や沼沢地がまだまだ残されていました。沖合いの岩礁にはアザラシが寝そべり、浜辺には野鳥が戯れています。人工物の何もない海岸や渓流の近くでテントを張り、釣りなどをして楽しむ人たちが大勢いました。彼らは自然の楽しみ方を心得ているのですね。

 日本からは姿を消しつつある自然の原風景を目の当たりにし、どこにでも安易に施設をつくりたがる日本の人々の心の貧しさを、とても寂しく思ったものです。

2007年8月17日 (金)

紛争解決への道

 今日もまた「9条やめるんですか?」をとりあげて、今回の話題を締めくくりたいと思います。

 私には、アイヌ民族の「あとぅい」さんという方の一文がとても印象に残りました。彼はこんなことを書いています。

 「人間という生き物、特に男はそうだが、謝るということができない。生きていくうえで一番しんどいことらしい。友達同士でも、近所づきあいでも、国家同士でも、非を認めて素直に謝ることくらい難しいことはない。メンツにこだわり自分を正当化しないと身の保全ができない。そういう悲しい性を人間は持っている。俺たちはそれを克服しなければならない。相手に対して誠心誠意、謝る勇気を持つこと。これこそ最も志が高く平和が広がっていく道だ。まして武器なんて持つ必要はなくなる」

 アイヌの教えでは、非を認めて心から謝ることができる人間は、まさに完成された人間だというのです。私たちも、この教えを心に刻む必要がありそうです。

 さらに、「ウコチャランケ」について紹介しています。「ウコチャランケ」とは、相手の発言中は絶対に発言しないというルールのもとに、公の場で、お互いが納得するまで討論するというものです。何日でも、何年でも続け、一方が反論できなくなったときに、一応の決着がつくという、トラブルの問題解決法です。

 アイヌ民族のこのような教えや伝統は、自然の中で狩猟採取民族が平和的に生きていくために編み出された賢い知恵なのでしょう。アイヌ民族はまさに民主主義を率先して実践していたのです。

 動物の中で、同じ種同士が殺戮し合っているのは、人間くらいではないでしょうか。人間ほど賢く、そして愚かな動物はいないでしょう。人はその賢さを、なぜ平和に生かすことができないのでしょうか?

 「非を認めて謝る」そして「力ではなく話し合いで問題解決する」このふたつを守ることができたなら、戦争など起こりえないでしょう。

 凄惨な殺し合いのあげく、人の心をズタズタにして憎しみを生み出し、私たちの生きる地球を破壊する、もっとも醜い戦争という行為を、私たちは回避する知恵を持っているはずです。

2007年8月16日 (木)

良心を信じて

 昨日の話題の続きです。

 「9条やめるんですか?」には、北海道にゆかりのある方たちが、それぞれの立場から戦争の酷さや平和憲法の意味を熱く語っています。今はこぞって戦争反対を表明しているそれらの方の文章を読んで非常にドッキリしたのは、多くの方がかつては「お国にために命を犠牲にすること」、そして「お国のために敵を殺すこと」に何の疑問を持たず、そうあるべきだと信じこんでいたという事実です。

 人というのは、ほんとうに権力者や周りの人々の言動に影響され、翻弄されてしまうのですね。沖縄の集団自決にしても、自殺すべきだと信じこまされてしまったのです。それにしても、大半の国民をこんなふうに信じ込ませたものは何だったのでしょうか? 人が人を殺戮するということがどういうことなのか、考えたことはなかったのでしょうか? なぜ、人々はそこまで「自分の頭で考える」という主体性を失い、「良心」を捨ててしまったのでしょうか? そう考えるとき、教育の力がいかに大きいかを思わずにはいられません。

 戦争に負けた途端、いままで信じてきたものが崩れさってしまったのですから、人々の戸惑いと虚脱感はどんなに大きかったことでしょう。遅ればせながらそこではじめて戦争が過ちだったことを実感したはずです。平和憲法はそこから出発しています。「押し付け」だという主張もありますが、戦争を体験した人々が心から望み受け入れたのが平和憲法だったのです。

 以前、「9条の会」の事務局長の小森陽一さんの講演会を聞きにいったことがあります。大きな会場は、立ち見が出るほどの人でした。なんとか座席に座り、講演に聞き入っていたのですが、途中から前の座席の2人の女性がおしゃべりを始めました。その話し声が耳障りで、講演を聴くことに集中できません。いい歳の大人が、なんと非常識なのでしょう。私はしばらく我慢していたものの、とうとう堪忍袋の緒が切れ、紙片に「私語を慎んでください」とメモして差し出しました。その時は「すみません」といって静かになったものの、しばらくしてからまた同じおしゃべりが始まったのです。あきれて物も言えませんでした。

 その講演会は、教職員の労組などが主催したものだったのです。会場に溢れた人たちの中には、いわゆる「動員」で来た人も多かったのでしょう。平和を考えるための講演会に動員され、講演を聴かずにおしゃべりをし、注意されても私語を慎めない人たち・・・。彼女たちには、自分の意志で平和問題を考え行動しようという主体性が感じられず、なかば強制されて義務を果たしているとしか思えないのです。ここに動員された人たちのどれだけが、良心を大切にし、主体性のある行動をとれるのでしょうか? もし日本が再び戦時体制のようになったら、まっさきに国家に従ってしまうのではないでしょうか。そこに、この国の人々の多くに共通する病理のようなものを感じ、背筋の寒くなる思いをしました。

 その病理こそ、「戦争を認めてしまう」という過ちを招くものだと思うのです。そう思う反面で、ひとびとの心のなかに必ずある「良心」こそ信じたいとも思います。

2007年8月14日 (火)

「緑のオーナー制度」で、林野庁の責任は?

 林野庁が1984年から98年にかけて出資を募ってきた「緑のオーナー制度」が元本割れとなり、批判の声が高まっています。大規模林道(緑資源幹線林道)といい、東北や北海道の違法伐採といい、林野行政は呆れることばかり・・・。

 「緑のオーナー制度」は、国有林育成のために出資を募り、契約満了時に伐採の収益金を受け取る制度。ところが、収益どころか大半の出資者が元本割れしていることが明らかになりました。一口50万円の出資金のうち、戻ってきたのは半分以下という人もいます。しかも、林野庁は契約時に元本割れのリスクを説明しなかったというのです。

 元本割れの理由は、「木材価格の低迷」とされています。確かに、木材価格が低迷しているのは事実ですが、原因は本当にそれだけなのでしょうか?

 独立採算制の林野庁は1990年代には3兆8000億円もの赤字を生み出しました。1997年にはその赤字のうち、2兆8000億円を一般会計から補填し、残りの借金1兆円を土地の売却と木材の販売によって自力で返済するとしたのです。ところが、その1兆円の借金は減るどころかさらに膨れあがってしまいました。赤字補填のために全国各地の森林が伐採されていますが、焼け石に水の状況です。こんな赤字の状況で、「緑のオーナー制度」がうまくいくはずはありません。

 林野庁がなぜ独立採算制でやってきたのかといえば、天然林からの略奪ともいえる伐採をしてきたからです。とりわけ北海道では天然林の伐採が大きな割合を占めており、今でも人工林だけではなく、天然林での酷い伐採が続けられています。

 天然林伐採というのは、自然に生えている木を「択伐」と称して間引いていくものです。林野庁は、天然林施業を「老齢過熟木を間引くことで、若木に光をあてて育てる」、「木が生長した分だけ伐採するから、森林の樹木の体積(蓄積量)は変わらない」と正当化し、うそぶいてきました。

 実態は、価格の高い大径木ばかりを狙い、短い周期で伐りつづけてきたのです。こうして育てることにお金をかけなくてもすむ「タダの木」の略奪で収益を得られた時代は潤っていたのですが、こんな伐り方をしていたらやがて資源は枯渇します。北海道の天然林は国立公園の中でさえボロボロ、スカスカの状態になってしまったのです。

 北海道の多くの天然林では、こうした伐採によって太い木がほとんどなくなってしまい、今はなんとか建材になりそうな直径30cm程度の木にまで手をだしています。それに追い討ちをかけるように、風倒木処理の名目で、皆伐までするようになりました。

 林野庁は、そのような財政状況のなかで「緑のオーナー制度」をはじめ、出資を募ったのです。財政状況から考えれば、たとえ木材価格の低迷がなくても、収益を得ることは困難であり、単なる資金集めだったと言われても仕方ないのではないでしょうか。

 朝日新聞では、「緑のオーナー制度」を「まるで原野商法」と批判しましたが、リスクの説明もせず甘い勧誘をしたのであれば、詐欺まがいと言われても当然でしょう。

2007年8月13日 (月)

木を枯死させる恐るべき融雪剤

 先日、ひさしぶりに日勝峠を通りました。十勝から日高に入って目にはいってきたのは、道路の両側に続く枯れたダケカンバ。「なんだ、この枯れ木の帯は?!」

 最近は日勝峠をほとんど利用していなかったのですが、前回通ったのは確か雪のある季節・・・。葉がついていない時なら、枯れた木に気がつかなかったのも当たり前です。

 枯れている範囲はちょうど除雪車が雪を吹き飛ばすあたり。いったい融雪剤は何をつかっているのかと思い、道路事務所に問合せたら「塩」でした。これじゃ、あたりは塩害になってしまうのでは・・・。

 ここは、沙流川源流原始林として国の天然記念物に指定されているところだし、国定公園の特別地域なのです。このまま塩を撒きつづけるのはどう考えても問題でしょうねえ。

 で、さっそくJANJANに記事を投稿しました。

北海道日勝峠・融雪剤で原始林一帯に被害 

2007年8月12日 (日)

事実から見えてくるもの

 相変わらず、新風舎の提訴が話題になっています。メディア批判誌「創」の9・10月号でも、長岡義幸氏の「自費出版業界トップ『新風舎』に相次ぐ告発の声」という記事が掲載されました。取材しているのは、新風舎を提訴した神山氏、リタイアメント・ビジネス・ジャーナル編集長の尾崎浩一氏、それと新風舎の元社員。私は、正直なところ「またこのパターンか・・・」と、愕然としました。

 なぜ愕然とするのか。それは、以下の事実から読者の方に判断していただきたいと思います。

 尾崎氏は、昨年8月に「危うい団塊ビジネス」とのタイトルのもとに、読売ウィークリーに2回にわたり碧天舎倒産にまつわる記事を書いています。この記事では、碧天舎の倒産をとりあげながら、文芸社に提訴された渡辺勝利氏などにもインタビューし、共同出版・協力出版の問題に言及しています。

 私は、この記事を読んで、尾崎氏とコンタクトをとりました。ジャーナリストとのことですから、ネットで検索すればすぐに出てくると思ったのですが、なぜかジャーナリストとして出てきません。ようやくたどり着いたのが、リタイアメント・ビジネス・ジャーナルのHPでした。尾崎氏はその編集長だったのです。そのHPには、自費出版や碧天舎倒産のことがなどが掲載されており、これから新風舎の問題を取り上げるとも書かれていました。

 私は、このHPを見ているうちに、いくつかの疑念を抱きました。ひとつは、尾崎氏が新風舎しか問題にしようとしないことです。共同出版問題は、文芸社をはじめとしていくつもの出版社が行っていることなのに、ジャーナリストを標榜する者がなぜ新風舎しか批判しないのでしょうか? しかも、彼は共同出版問題の本質論について触れようとしません。さらに、文芸社の本の紹介をしているのです。

 そこで、これらの疑問について尋ねてみました。すると、「文芸社は取材に応じたが、新風舎は取材に応じない」、「新風舎はかなり経営的に危険な状況であり、危険度が高い方を取りあげて、被害を少しでも食い止めることが先決」などとの説明がありました。

 また、HPで紹介している文芸社の本は、碧天舎の被害者の方が、文芸社の被害者支援によって出版した本だとのことでした。そういえば、このことは「読売ジャーナル」にも書かれていました。それをもう一度読み返すと、碧天舎の被害者で出版直前まで準備が進んでいたケースについては、文芸社が300部を35万円程度で出版するという支援をしているというのです。さらに、この記事を良く読むと、著作者保護制度を設けた文芸社を評価しているような書き方です。しかも、新風舎はこの時点では尾崎氏の取材に応えています。いくら文芸社が支援に乗り出したからといって、長期間にわって文芸社の本を紹介するのは不自然です。私の彼に対する疑念は、解消されませんでした。

 さらに、疑問に思ったのは彼の記事の内容でした。リタイアメント・ビジネス・ジャーナルは、新風舎の松崎社長親族の不動産に1億円の根抵当権が設定されているというようなことまで取り上げたのです。なぜ、こんなことまで話題にしなければならないのでしょうか? まるで倒産を煽るかのような記事です。

 尾崎氏は、新風舎と絵本の契約をし、解約交渉をしていたオリーブさん(ハンドルネーム)や、今回新風舎を提訴した原告の神山氏と、昨年の秋からコンタクトをとっていました。このお二人については、リタイアメント・ビジネス・ジャーナルでも取り上げられています。また週刊文春でも取り上げましたが、この報道に際しても尾崎氏が関与しています。さらに、尾崎氏自身が「リベラルタイム」2月号で、取り上げています。

 オリーブさんは尾崎氏とともに消費者センターに交渉に行っていますが、消費者センターの相談員は、オリーブさんに新風舎の契約書が事業者との契約であることを告げています。それは正しい判断です。すなわち、新風舎の契約は、消費者契約法が適用されない事業者同士の契約なのです。ところが彼はかなり強引に職員に対応させたようです。私は彼に「消費者ではない」と指摘しましたが、その後も尾崎氏は「新風舎の契約における著者は、消費者である」という誤った主張をしています。

 その後、リタイアメント・ビジネス・ジャーナルの関連団体である「リタイアメント・ビジネス研究会」が、文芸社から「始動するリタイアメント・ビジネス」という本を出版していることを知り非常に驚きました。この事実を知ってから、私は彼とのコンタクトを絶ちました。

 いっぽう、新風舎のやり方に疑問をもった大宗氏は、マスコミに告発しました。これに乗ってきたのは大阪の毎日放送です。毎日放送の担当者からは、私に情報提供をしてほしいとの協力依頼がありました。私は、この問題は新風舎に限ったことではないので、一社だけの問題に限定しないなら協力するとの約束のもとに情報提供しました。ところが、その結果は見事に裏切られたのです。毎日放送は、3月12日に、憤慨本舗「ブームの自費出版『ここが変だ』」で、大宗氏の例を取り上げるとともに、神山氏や尾崎氏も紹介しています。結局、放送は新風舎一社だけを対象にしたものになりました。

 そして尾崎氏は3月中旬に、オリーブさん、神山氏、大宗氏らとともに「新風舎商法を考える会」を設立したのです。偶然かもしれませんが、尾崎氏とともに世話人として名前を連ねていたM氏は、文芸社の関連会社である「たま出版」から本を出しています。

 4月5日には、北海道文化放送の「のりゆきのトークで北海道」で共同出版の問題が取り上げられ、尾崎氏と神山氏が電話取材に応じています。そして、この放送日に合わせるかのように、この日の北海道新聞の朝刊に文芸社の全5段の大きな広告が載ったのです。それまでの文芸社の広告はその半分の大きさでしたから、このタイミングと大きさには驚きました。

 4月17日には、2005年に新風舎で受賞した咲セリさん(ハンドルネーム)という方が、ブログで自分の出版の経緯やトラブルについて書きはじめましたが、この方も「新風舎商法を考える会」とコンタクトをとっています。

 4月30日の朝日新聞には、「自費出版 団塊が主役」との見出しのもとに、文芸社があたかも問題がない自費出版社であるかのような記事が掲載され、文芸社の新聞記事への露出が目に付くようになりました。

 また、6月に入ってからリタイアメント・ビジネス・ジャーナルでは新風舎と碧天舎のクレジット問題のことも取り上げました。クレジットなら文芸社も同じことをやっています。なぜ、文芸社は問題にしないのでしょうか?

 そして、7月初旬には「新風舎商法を考える会」に集まった方たちが新風舎を提訴したのです。以前にも触れたように、その提訴の内容は販売についての説明だけを問題にしたもので、きわめて稚拙な内容の訴状です。文芸社など他の共同出版に共通する本質的問題点については一切触れられていません。それどころか提携書店に並ぶ文芸社なら問題ないとすら受け取れるような内容です。いったい何のために集団提訴したのでしょうか?

 原告らは集団提訴にあたり記者会見をしたので、マスコミが一斉報道することになりました。この提訴について、さっそく読売ウィークリーで記事にしたのはやはり尾崎氏です。それに追随するかのように、長岡氏が尾崎氏や原告の方などを取材して「創」で報道しました。

 「新風舎商法を考える会」に連絡を取れば、対応するのは尾崎氏のようです。2月にMy News Japanで新風舎商法を取り上げた石井政之氏の取材源も、やはり尾崎氏と関わりをもった神山氏やオリーブさんです。そして、7月に入ってから、碧天舎の被害者組織と「新風舎商法を考える会」のサイトはお互いにリンクを張るようになり、協力関係を持ったようです。

 尾崎氏は、私には新風舎が倒産したら、本もでなければお金も戻らない被害者がたくさんでてしまうことを懸念し、経営的に危険な状態にあるから、それを防がなければいけないと説明していました。私もそれには同感です。でも、彼が実際にやっていることは、本当にそのような被害者が出ることを防ぐための行動でしょうか? 私には、逆に倒産を煽っているようにしか思えません。新風舎が倒産しても、共同出版の本質的な問題が報道されなければ、著者は他の悪質出版社と契約して新たな被害者を生むことになるでしょう。そのことをいったいどう考えているのでしょうか?

 昨今の新風舎をめぐる報道の大半に尾崎氏が関与しており、現在それによって新風舎のことばかりが報道され、新風舎ばかりが追い詰められている状況といえるでしょう。新風舎の被害者でもなくジャーナリストを名乗る尾崎氏が、共同出版全体を批判するポーズをとりながら、新風舎だけの被害者組織を立ち上げ、執拗に新風舎だけを批判し報道を煽る姿勢は、不自然としか感じられないのです。

 これまで私は、個人的な批判は極力差し控えてきました。しかし、ジャーナリストであれば、自らの行動や報道に責任というものがあるはずです。尾崎氏の言動は、ジャーナリストとしての規範を逸しているとしか思えません。

 藤原新也さんが、ご自身のブログで文芸社についての情報収集を始められた理由も、同様ではないかと思います。

2007年8月10日 (金)

屈斜路湖畔の違法伐採はなぜ起こったのか?

 7月中旬に、阿寒国立公園の屈斜路湖畔の原生林で違法伐採が行われていたことが大きく報道されました。北海道では、えりもの道有林の皆伐が裁判になっているほか、道南の上ノ国町のブナ林(国有林)で違法伐採が行われたとして刑事告発されるなど、伐採のあり方が問われている中での発覚です。

 伐採現場は国有地と民有地にまたがっているそうですが、国有地の方は国立公園の第1種および第3種特別地域に指定されているところです。第1種特別地域は、特別保護地区の次に規制の厳しい地域で、伐採率は10パーセント以下とされています。そこで、こんな違法伐採が行われたのですから、とんでもない自然破壊行為です。大雨が降れば、湖に土砂が流入してしまうでしょう。

 新聞報道によると、直径1メートルを超える大径木が多数伐採されていたとのことです。また、写真を見る限りでは、高価な広葉樹が多数伐採されているようです。北海道新聞によると、伐採した業者は、「どんなに大きな木でも、中が腐っていたり、曲がりがあったりする木が多かった」として、主にチップ材として売却されたと話したそうですが、さてさて、本当のところはどうだったのでしょうか? 少なくとも、チップ材目的で伐採したわけではなかったはずです。

 とにかく、こんなひどい伐採をした業者は森林窃盗の疑いが持たれて当然ですが、不思議なのは、なぜもっと早い段階で行政がチェックできなかったのかということです。違法伐採は何と2002年ころから行われていたというのですから、かれこれ5年間も発覚しなかったのです。これはかなり驚くべきことです。

 業者は弟子屈町に伐採許可を申請したとのことですから、町は申請を許可する前に、所有者や現地を確認すべきだったでしょう。しかも、対象地域には道が指定した防風保安林20ヘクタールが含まれていたというのですから、それも確認せずに許可を出したというのはずさんとしかいいようがありません。保安林の伐採には道の許可が必要なのです。

 それとともに、湖畔のすぐ近くの第1種特別地域が伐採されているのに5年間も気づかなかったという環境省にも呆れてしまいます。現場近くの川湯には、環境省の「川湯自然保護官事務所」があり、自然保護官が常駐しているのです。職員は5年もの間、だれひとりこの違法伐採に気づかなかったのであれば、日ごろ何を見ていたのか?と問いたくなります。

 昨年の8月に、道有林で保安林での違法伐採が過去5年間で44件もあったことが報道されました。これは、申請時に面積要件の確認を怠ったことが原因とされています。今回の違法伐採でも行政のチェック体制のお粗末さが露呈してしまいました。

 行政は公共の財産を管理しているのですから、もっと責任感をもってもらいたいですねえ。

2007年8月 9日 (木)

強力な麻酔薬

 クモにはいろいろな敵がいます。餌として食べてしまう動物としては野鳥やカエル、ヘビ、ムカデなど。クモは良質の蛋白源なのです。そのほかにもハチはクモにとって非常に恐るべき敵です。クモの卵を食べるものや、クモの体そのものを食べてしまうものがいます。

 ベッコウバチの仲間は、クモを狩って麻酔させてから巣に運びこんで卵を産みつけ、幼虫がクモを食べてしまうことで知られています。林縁や庭先などで、ベッコウバチがクモ狩りをしている光景を見かけることがあります。

 7月27日のことです。庭先で、ベッコウバチの一種が重たそうにオニグモを運んでいました。写真を撮ろうと思って近づいたところ、あわてたハチがクモを落としてしまいました。

Masuisaretakumo  ベッコウバチはしばらく落としたクモを探していたようですが、そのうちあきらめて飛び去ってしまいました。やがて、麻酔されてぐったしているオニグモに、アリが群がってきました。ハチはもどってこないし、放っておくとアリが運んでしまうか、鳥に見つかって食べられてしまうでしょう。そこで、このオニグモを容器に入れて、どうなるか観察してみることにしました。

 クモは麻酔をかけられているので、死んでしまったわけではありません。このあと生き返るのか、それとも死んでしまうのか・・・。以前にも、ベッコウバチに狩られたクモを持ち帰ったことがありますが、生き返った場合と死んでしまった場合がありました。

 クモは、死んでしまうと体が硬くなり、乾燥して干からびてきます。腹部の大きなクモの場合、密封した容器などに入れておくと、腐ってきます。さて、オニグモは3日ほどの間は明らかに生きていて、刺激を与えると脚がピクピク動いたりしましたが、7月31日には動かなくなってしまいました。それでも、体は干からびずに生きているときのような状態です。

 その後、用事ができて数日間留守にしてしまったのですが、8月4日に帰宅したときも、状態はほとんど変わっていませんでした。どう見ても生きていないのですが、干からびたり腐ったりはしていないのです。7日になると、腹部にいくぶん皺ができ、生気がなくなってきたので、アルコール標本としました。この標本は、生きたクモを標本にしたときと同じように新鮮な状態です。写真は7日に標本にする前に撮ったものです。

 ということは、ハチに麻酔されてから3日間は生きており、約10日間は腐りもしなかったということです。もし、麻酔の量が少なかったら、クモは生き返ったのかも知れません。ハチの卵が何日くらいで孵化するのかはわかりませんが、ハチの幼虫がクモを食べて成長する間は、クモが腐らないようにしているのでしょう。ハチは、クモを自分の子孫の餌とするために、こんな強力な麻酔薬を開発したのですね。

 それにしても、ハチの幼虫は、麻酔されたクモを食べても、何ともないのでしょうか?

2007年8月 8日 (水)

「あなたの本」って誰のもの?

Bungeishapanfu  文芸社の新聞広告やパンフレット、新風舎の広告などには、しばしば「あなたの本」という表現がつかわれています。でも、これってちょっと変ではないでしょうか? なぜなら文芸社や新風舎の共同出版では、「著者に所有権のある本」ではなく「出版社に所有権のある本」をつくるのですから。

 共同出版問題では、しばしば本の所有権のことが話題になります。共同出版は自費出版だから、本の所有権は著者にあるべきだという主張があります。

 商業出版の場合、出版社が自社の本をつくって売上金を得ることを前提として、出版社が出版権(複製と頒布の権利)を独占することになります。売上金を得るのは所有者ですから、当然のことながら本の所有権は出版社にあります。契約書に所有権のことが書かれていなくても、出版社が本の売上金を得るのであれば、所有権が出版社にあることを意味します。ですから著者には印税(著作権使用料)を支払うのです。

 新風舎や文芸社の契約書は、基本的には商業出版の契約書の雛型をベースにしたものです。著者には売上金ではなく印税が支払われます。また、文芸社では著者に渡す分は「贈呈」であることからも、本の所有権が文芸社にあることは明らかです。新風舎の契約では、著者が贈呈などで本が必要になった場合は「出版社から購入」をするのですから、やはり所有権が新風舎にあることは明らかです。

 つまり、著者は「本の所有権が出版社にある」という契約書に署名捺印しているのですから、「所有権が著者にないのはおかしい」という主張をすることにはならないでしょう。著者が問題とすべきことは、契約内容がおかしいということではなく、その契約内容に対して支払った費用が正当なのか、不公正な取引ではないのか、あるいは契約にあたり騙すようなことはなかったのか、といったことになります。

 前述したように、商業出版における出版権の設定契約では、本の所有権も出版社にあることを意味するといえます。ただし、出版権イコール所有権ではありませんから、たとえ出版権を出版社に設定しても、本の所有権が著者にあり、著者には印税ではなく売上金を支払うということが契約書に明記されているなら、それは制作請負・販売委託契約ということになります。

 では、なぜ「本の所有権は出版社にあるべき」という主張が出てくるのでしょうか? それは、悪質な共同出版の場合、著者がすべての出版費用を負担していて、出版社はなんら費用負担していないと考えられるからでしょう。出版社が本を販売して利益を得るのではなく、著者から利益を得ているのであれば、実質的には自費出版と何ら変わりがないのです。それなら、本の所有権は著者のものとし、著者には印税ではなく売上金を支払うべきだという主張が、一般論として成り立ちます。

 ただし、私の知る限りでは、文芸社も新風舎も「出版社はなんら費用負担していない」ということを認めてはいません。もっとも私の契約において、文芸社は請求した制作費に利益を加算していたことは認めています。

 ところで、文芸社は60パーセントの「売上還元タイプ」も選べるという宣伝もしています。売上金を著者に支払うのであれば、本の所有権は著者にあるべきですが、そのあたりはどうなっているのでしょうか? また、取次や書店のマージンを差し引き、売上金の60パーセントも著者に支払うということであれば、売れた場合でも出版社の利益はごくわずかです。取次を通した委託販売にした場合、返品が多ければ赤字になってしまうでしょう。どのような流通・販売方法をとり、本当に売る気があるのか、ということが問われることになります。著者に多額の費用を請求して利益を得ていれば、あえて売上収入を期待する必要がありません。売れる見込みも、売る気もないのであれば、還元率も高く設定できるのではないかと思われるのですが・・・。

2007年8月 7日 (火)

報道されない殺人未遂行為

 沖縄の辺野古では、キャンプ・シュワブの沿岸を埋め立てて、新しいヘリコプターの基地をつくる計画が進められています。辺野古では新基地に反対する人たちが座り込みをし、また非暴力の阻止行動が続けられていますが、7月に恐るべき殺人未遂ともいえる事件が起きました。

 政府は4月から辺野古一帯の海域で、事前の環境調査を開始しました。ヘリ基地に反対する人々は、この調査が建設を前提に行われる作業であるとして、ゴムボートで阻止行動を展開し、またダイバーが潜って海底での作業を止めさせる行動をしていたのですが、殴る蹴る、カヌーを転覆させるなど、さまざまな暴力行為が繰りかえされていたといいます。

 事件はそんな中で起きました。7月21日に、辺野古で精力的に反対行動をつづけている平良夏芽氏が潜って機材にしがみつくと、調査を行っていた民間会社のダイバー3人が平良氏に襲い掛かって羽交い絞めにし、平良氏の酸素ボンベのバルブを徐々に締めてしまったというのです。

 バルブを完全に締められた平良氏は、呼吸ができなくなって急浮上したのですが、その時は故意にバルブが締められたとは思っていなかったそうです。しかし、この様子を撮影した映像から、作業員によってバルブが締められたことがわかりました。このときの様子はジュゴンの家のホームページに掲載されています。

 非暴力を貫き、作業員には触れずに阻止行動を行っている人々に対し、暴力で対抗すること自体が非常識ですが、複数で襲い掛かってボンベのバルブを締めるに至っては、殺人未遂ともいえる前代未聞の信じられない行為です。

 ヘリ基地反対協議会は、この問題で24日に那覇防衛施設局に抗議するなど、責任追及をしていますが、これについて報道をしたのは地元沖縄のメディアくらいなのではないでしょうか? そもそも、辺野古の反対運動のことも大メディアではほとんど報道されません。ここにも日本の堕落しきったメディアの姿が如実に映しだされています。

2007年8月 6日 (月)

貫通したけど、誰が使うの?

 昨日、「置戸・阿寒線」の茂足寄から上螺湾の工事区間を視察してきました。

Minekaisaku  この区間は茂足寄側と上螺湾側の両側から工事を進めていましたが、昨年10月の時点では、峰のごく一部が残されていて貫通はしていませんでした。しかし、今回の視察で、その後貫通させていたことがわかりました(写真参照)。あとは、トラフの設置と法面および舗装工事などが残された状態になっています。緑資源機構の談合が明るみになる前に、貫通させてしまったのでしょうか?

 峰の茂足寄側の谷は崩した土砂で盛り土をし、その上に道路がつくられています。谷の部分は橋を架けるのではなくパイプが埋められていますが、集中豪雨などでパイプが詰まったら、溢れた水が路面を流れ、盛り土部分は簡単に崩壊してしまうでしょう。

 エゾオオサクラソウの群落はこの道路工事ですっかり破壊されてしまいました。クマゲラの食痕も確認しており、ここ一帯はクマゲラの生息地なのです。すでに緑化工事の行われた法面は、外来種のイタチハギが繁茂しています。「環境に配慮」などといいながら、絶滅危惧種の生息地を破壊し、外来種による緑化を相変わらず行なっているのは、あまりにも矛盾した行為であり、非常識です。

 さらに、どうやって入ったのかは不明ですが、法面にはルピナスまで茂っていました。トラフの脇にはムシトリナデシコの花も咲いていましたが、これは路面に敷いた砂利とともに侵入したと思われます。また、路肩にはアメリカオニアザミも茂っています。このように、山肌を削って道路を開削しただけで、さまざまな外来種が侵入してしまうのです。

 さて、この茂足寄と上螺湾を結ぶ道路ですが、どう考えても一般の人が利用する道ではありません。必要性がまったくない道路なのです。路盤の脆弱なところにつくられたこの道は、やがて大雨などによって崩れ、災害を招く道になるのではないでしょうか。誰も通らないのに、維持管理費と補修費用だけがかさむ道となるでしょう。

 盛り土をした法面にはヒグマとエゾシカの足跡が残されていましたが、車の交通量よりヒグマやエゾシカが横断する回数のほうが多いかもしれません。

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