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2007年7月

2007年7月31日 (火)

タカネコモリグモの分布は何で決まるのか?

Takanekomorigumo  日本には高山性といわれているクモがいくつかいます。登山道を歩いていて、よく目につくのは、網を張らずに歩きまわっているコモリグモ類でしょう。日本では高山性のコモリグモとしてタカネコモリグモ、ダイセツコモリグモ、アシマダラコモリグモの3種が知られています。その中でもっとも広く分布しているのはタカネコモリグモ(写真参照。お尻につけている青緑の袋は卵のう)で、北海道や本州の高山帯の砂礫地などに生息しています。

 ただし、ダイセツコモリグモやアシマダラコモリグモが高山帯だけに生息している真正の高山性クモ類であるのに対し、タカネコモリグモは高山帯だけに生息しているわけではありません。

 たとえば、大雪山国立公園の然別湖周辺には、森林帯の中に岩塊地が点在しているのですが、このような岩塊地にも生息しています。標高は約800メートルから1200メートルほどです。つい先日、札幌の手稲山に登りましたが、ここの中腹の標高720メートル付近にある岩塊地にもタカネコモリグモが生息していました。やはり森林帯の中の岩塊地です。

 もっと驚くのは、弟子屈町の硫黄山(アトサヌプリ)です。ここは活火山で、山麓部にはハイマツやエゾイソツツジ、ガンコウラン、コケモモなどの高山植物が広がっていますが、ここにもタカネコモリグモが生息しています。標高は約200メートルです。

 火山の影響を受ける暖かいところにも生息しているのですから、気温によって分布が決まっているわけではなさそうです。エゾイソツツジやガンコウラン、コケモモなどの分布も同様に、気温だけで決まっているわけではありません。これらの植物は強い酸性土壌でも生育できるために、強酸性になっている火山地帯や湿地にも生育できるのです。

 とすると、タカネコモリグモは、岩礫地や火山地帯の裸地、高山の砂礫地など、生物にとって厳しい環境に適応してきた種といえそうです。裸地や岩礫地などの厳しい環境にも棲めるタカネコモリグモは、おそらく氷期には平地まで広く分布していたのでしょう。その後の温暖化による森林の発達とともに、高山や岩礫地、火山周辺の裸地になどに取り残されたのではないでしょうか。

 ところで、高山性の動植物の多くは「氷河時代の生き残り」といわれ、同種や近縁種が北極をとりまくように分布をしていますが、タカネコモリグモは日本と千島列島にしか分布が知られていません。この分布パターンもとても興味のあるものです。

2007年7月28日 (土)

依頼・委託の欺瞞

 私は、これまで自費出版は「制作請負契約」であり、それを販売する場合は「販売委託契約」を交わすと説明してきました。そして、共同出版(現在では文芸社は流通出版、新風舎は出版実現プログラムと称しているようですが、ここでは共同出版とします)はそのどちらでもなく、出版権設定の契約であると指摘してきました。

 ここで、請負契約と委託契約について考えてみましょう。

 民法で定められている請負契約とは、仕事を完成させることを約束し、仕事の結果に対して報酬をもらう契約です。一方、業務委託契約とは、特定の業務の処理を行うことを約束する契約です。

 自費出版で本をつくる場合、出版社が「著者の本の制作」を完成させる約束をし、その報酬として著者が代金を支払うのですから、本の制作請負契約になります。また、自費出版で制作した本を出版社に販売してもらう場合、出版社は「著者の本の販売」という業務の処理を引き受けるのですから、委託契約になります。

 共同出版の場合、出版社に所有権のある本(商品)をつくることを前提に、著者から出版社へ出版権を移行する契約です。出版社が一定期間、出版権という財産権を独占する見返りに、著者に印税を支払い、印刷部数の一割程度を献本するという取引です。その際のひとつの条件として、著者が出版費用の一部を負担するのです。出版社の本(商品)をつくって販売し利益を得るのが前提の契約ですから、制作請負契約でも販売委託契約でもありません。

 ところが、新風舎の契約書では、「甲(著者)は乙(出版社)に所定の代金を支払い、標記の著作物(以下本著作物)の出版を乙に依頼する」となっています。文芸社の最近の契約書では、著者の負担する費用を「出版委託金」と称しています。委託契約ではないのに、依頼とか委託という表現をつかうことで、多くの著者は「委託契約」だと錯誤してしまうのではないでしょうか? 新風舎を提訴した4人の方たちもそのように錯誤しているようです。「依頼」とか「委託金」などというのは錯誤を誘発する不適切な表現であり、おかしなことです。  

 文芸社の以前の契約書では、著者の負担する費用は「協力負担金」となっていましたが、その後「出版費用」となり最近では「出版委託金」です。以前の方が正しい表現なのに、なぜ不適切な表現に変えたのでしょうか? さらに、以前は協力出版や共同出版と称していましたが、最近では自費出版と称しているようです。基本的な契約の形態は変わっていないのに、なぜ、名前を変える必要があったのでしょうか?

 文芸社や新風舎の契約は、請負契約でも委託契約でもなく、出版社の本(商品)をつくることを前提とした契約です。著者に献本をすることからも、出版社に所有権のある本をつくることは明白です。出版社が自分で自社の本をつくるにあたり、著者がその費用の一部を負担して協力するのですから、その「出版費用」は「利益を含む報酬」ということにはなりません。出版社が実際に支出する金額であるべきです。

 ところが、出版社は実費をはるかに上回る費用を請求していると考えられるのです。とてもおかしなことですね。でも、著者が「請負契約」とか「委託契約」だと錯誤し、見積費用を「報酬」と解釈すると、「その金額で納得して契約したのだから費用がおかしいとは言えない」ということになるのです。出版社にとっては、高額な請求金額を正当化できるので、とても都合がよいことになります。

 私には、著者が委託契約だと錯誤することを意図して、「出版を依頼」とか「出版委託金」という表現を使用し、また請負契約だと錯誤することを意図して「自費出版」と称しているとしか思えないのですが・・・。

ウコンウツギの赤い斑

Ukonutsugi  先日登った羅臼岳では、ちょうどウコンウツギが満開でした。ウコンウツギは亜高山から高山にかけて生育するスイカズラ科の落葉低木です。

 7月前後に黄色い漏斗状の花を咲かせますが、よく見ると、下側の花弁に橙色や赤の斑点があるものがあります。ウコンウツギの花は、咲き始めの頃は全体が黄色なのですが、次第に花弁の一部が赤く色づいてくるのです。

 これは、花を訪れる虫へのサインと考えられています。受粉し、蜜を出さなくなった花は赤く色づくことで、蜜を吸いにきた虫に、もう蜜を出していないことを知らせているというわけです。これで虫も効率よく蜜にありつくことができますし、花のほうも効率よく受粉してもらえます。

 植物たちは、花の形を工夫するだけではなく、色も利用して虫との関係を築いているのですね。それにしても、受粉すると花弁が赤く色づくというしくみは、どうやって進化しきてきたのでしょうか・・・

2007年7月26日 (木)

費用対効果の謎

 公共事業を行うためには、巨額の費用を投じても効果の方が大きいから必要だ、という理由がなければなりません。そのために、費用対効果(投資効果)を算出することになります。大規模林道(緑資源幹線林道)も、費用対効果が算出されており、机上の計算では巨額の事業費を投入しても効果のほうが大きいという結論が導かれています。

 でも、誰もが「本当に効果の方が大きいの?」と、率直な疑問を感じるのではないでしょうか? 何しろ、完成したところでも交通量は少ないし、大雨のたびに崩れて維持管理費はかさむし、自然破壊によって森林の公益的機能を低下させているのです。

 近年は、道有林では木材生産を目的とした伐採はやめ、森林の公益的機能を重視した施業をすると、方針転換しました。国有林も木材生産より森林の公益的機能を重視する政策を前面に出しています。木材生産を重視しないのに、なぜ新たな林業用の道路が必要なのでしょうか? 大規模林道がなくても、既存の林道で森林の管理は十分に行えるはずです。

 林野庁の算出した「費用対効果」の数値は、いったいどうやって出されたのでしょうか?

 大規模林道の効果として、それができた場合のさまざまな「便益」が算出されます。たとえば「木材生産便益」「森林整備経縮減等便益」「一般交通便益」「森林の総合利用便益」など。「木材生産便益」とは、大規模林道ができることによって増える木材の売上ではなく、運搬費などが軽減されることによる便益を指します。要するに「節約」される費用です。

 北海道の「平取・えりも線」の「様似・えりも区間」は、全域が道有林ですから、木材生産目的の伐採は行わないところです。ここでは林道建設費が71億9千万円に対し、費用対効果が82億円と算出されており、投資効果は1.14で「効果あり」と結論づけられています。そして、82億円の効果のうち、約70億円は「木材生産等便益」なのです。

 とても不思議な数字ですね! 木材生産をしない場所で、木材生産に関わる費用が70億円も節約されるというのですから。いったいどんな計算をしたら、このような数字がはじき出されるのでしょうか?

 さて、さらに不思議なことがあります。林野庁は、この費用対効果分析結果のうち「木材生産等便益および森林整備費縮減等便益の積算に関する文書」を廃棄してしまったというのです。大規模林道が必要であることの根拠となる文書を、事業が終わっていないのに廃棄するなどということが、あり得るのでしょうか?

 費用対効果の算出方法も不思議ですが、その元となる文書の廃棄は不思議を通り越して不可解・不審というしかありません。

 必要性の根拠となる文書がないなら、大規模林道事業など、即刻廃止すべきでしょう!

2007年7月25日 (水)

知床の七不思議

Dscn2141  世界遺産に登録され観光客で溢れている知床には、しばらくは行くつもりはなかったのですが、先日、調査で羅臼岳に登ってきました。登山口から山頂(標高1660メートル)までの標高差は約1400メートル。暑さと日ごろの運動不足のためか、かなりバテましたが、いろいろ面白いことがわかりました。そんな知床での観察情報を簡単にお知らせします。

1 人怖じしないエゾシカ

 知床ではエゾシカが増え、食害が大きな問題になっています。確かに、エゾシカがたくさんいたのですが、まったく人怖じせず、手が届きそうなところに車を止め、窓を開けて写真を撮っても逃げようとしません。まるで奈良の鹿公園のようです。角(袋角)に触った人がいたという話も聞きました。これにはびっくり!

2 広葉樹林の植物たち

 知床の山といえば、大半が落葉広葉樹です。針葉樹はトドマツが少しありました。ほかにはハイマツくらいでしょうか。植物相としては、温帯要素が強いのでしょう。林床にはユズリハやツタウルシがたくさんありました。キウルシもあり、漆かぶれには要注意のところです。北に位置するからといって、植物相も北方要素というわけではないのです。ところが、ハイマツは標高450メートルくらいから尾根筋に広葉樹に混じって出現します。大雪山などと比べると、垂直分布が圧縮されたような感じです。

3 過去には伐採も

 岩尾別あたりは伐採が入っていないのではないかと思っていましたが、古い伐根がありました。林道はありませんので、林道をつくって施業するようになる前の伐採ではないかと思われます。昔はこんなところでも伐っていたのですね。

4 変形した樹

 途中に「極楽平」と名づけられた平坦な地形のところがあります。ここは風が吹きぬけるのか、ミズナラやダケカンバが垂直に伸びることができず、幹が横に這って奇妙な樹形になっています。積雪のあまり多くないところに分布するクマイザサもありました。風で雪が飛ばされ、あまり積雪が深くないのでしょう。植物の分布は、風や積雪にも影響されるのです。

5 少ないクモ

 登山道を歩いていると、クモの存在が気になります。登山道の脇の植物に網を張っているサラグモ類やヒメグモ類、コガネグモ類などは目につきやすいですが、それらの網がほとんど見られません。ハイマツ帯に入ってからは、網を張らない徘徊性のタカネコモリグモとダイセツコモリグモは見られましたが、なぜかクモがとても少ないようです。どうしてなのでしょうか?

6 ダケカンバ帯のメボソムシクイ

 本州や四国の亜高山帯針葉樹林帯には、メボソムシクイが生息していますが、北海道では斜里岳周辺のハイマツ帯から知床半島南部のダケカンバ林に生息しています。今回、羅臼岳でもダケカンバ帯で鳴声を確認しました。北海道ではなぜ斜里岳から知床半島にかけてしか分布していないのか・・・ とても興味のあるところです。

7 山頂の溶岩ドーム

 羅臼岳は、およそ500年前に噴火したといわれています。山頂部の溶岩ドームは、新しい岩塊と、地衣類がたくさん付着した古い岩塊があり、一部が崩れ落ちています。岩の質や地衣類の付着の様子から、火山の歴史の片鱗がうかがわれます。クモが少ないのは、新しい火山であることと関係しているのかもしれません。

2007年7月24日 (火)

ダンゴムシの思い出

 子供のころ、私は虫を捕まえるのが大好きでした。どうしてなのかわからないのですが、たぶんそれは子供の本能みたいなものなのでしょう。昆虫を見つけると、まず捕まえてみたいという衝動にかられます。蝶にトンボ、行列をつくるアリ、草むらのバッタ・・・。虫たちが飛び回る季節になると捕虫網を片手に、外をかけずり回っていました。

 捕まえてみたいと思ったのはそれだけではありません。くるりと丸まってボールのようになってしまうダンゴムシも私にとっては興味の対象でした。

 住んでいたアパートの敷地の一隅に砂利が敷かれたところがありました。その砂利をひっくり返すと、少し湿った石の下にたくさんのダンゴムシが潜んでいました。それをつまみ上げては手の平で転がし遊んだものです。どうしてこんな風に丸まってしまうのかと、いつも不思議で仕方がありませんでした。

 そしてそのダンゴムシを家に持ち帰って母から変な顔をされたものです。母は虫が嫌いではありません。でも、さすがにダンゴムシを持ち帰る娘には呆れていたようです。たしかにダンゴムシを集めて遊ぶなどという子供はあまりいなかったのかもしれません。本人は、とてもかわいい虫だとしか思っていなかったのですが。

 さて、それから何年かたってからのことです。つかまえたダンゴムシのお腹から小さな子供のダンゴムシがもぞもぞと這い出してきたときには本当にびっくり仰天してしまいました。親のダンゴムシがいきなり子供を生んだのだと思ってしまったのです。

 その当時は、ダンゴムシが陸生の甲殻類であり、卵胎生だということを知らなかったのです。ダンゴムシは、腹面に保育嚢をもっていて、卵からふ化した子供はそこから外に出てくるのです。

 北海道ではダンゴムシによく似たワラジムシがたくさんいますが、ワラジムシを見るたびに、どうしてこれは丸まらないのかと思ってしまうのです。でも、ダンゴムシはどうしてあんなふうに丸くなるようになったのでしょうね?  ちなみにわが娘は、子供のころワラジムシをつついては、「どうしてこのダンゴムシは丸くならないのだろうか?」と、不思議でしかたがなかったとのこと。

 ところで、おかしなことに私は今でも虫を見るとついつい手が伸びてしまいます。虫を手にとってみたいという衝動にかられる習性は、困ったことにいくつになっても変わりそうにありません。

2007年7月21日 (土)

周知不足の不在者投票制度

 参議院議員選挙が近づいてきました。ニュースなどでは、投票日に仕事や旅行で投票に行けない人に、期日前投票を呼びかけています。先日は、我が家にも選挙公報が届きましたが、その裏面にも期日前投票の呼びかけが大きく書かれていました。ところが、不在者投票についての説明がまったく書かれていません。

 なぜ、期日前投票のことばかり呼びかけ、不在者投票のことを説明しないのでしょうか?

 期日前投票というのは、仕事や旅行などで投票日当日に投票所に行けない人が、選挙人名簿に登録されている市区町村で、投票日の前に投票ができる制度です。しかし、出張や学業、旅行などで遠方の市町村に滞在している人はこの制度を利用できません。このような場合は、不在者投票を行うことができます。

 不在者投票というのは、選挙人名簿登録地以外の市区町村の選挙管理委員会や病院・老人ホームなどで、投票日の前に投票ができる制度です。この場合、滞在地の市区町村の選挙管理委員会で不在者投票用紙と投票用封筒の交付を請求する書類をもらいます。その書類に必要事項を記入し、選挙人名簿登録地の選挙管理委員会に郵送すると、投票用紙と封筒が送付されるので、それを滞在地の選挙管理委員会に持参して投票することができます。

 また、都道府県の選挙管理委員会が、不在者投票施設として指定した病院や老人ホームなどの施設でも、不在者投票ができます。

 住民票を移動していない学生さんや、長期出張の方などは多いと思いますが、この不在者投票制度は意外と知られていないようです。そのために、投票したくても仕方なく棄権してしまう人が多いのではないでしょうか?

 大事な選挙ですから、一人でも棄権者を少なくするためにも、国や自治体はもっと不在者投票のことを周知させるべきでしょう。そのためにもニュースや広報で、期日前投票のことだけではなく、不在者投票のことももっと説明するべきではないでしょうか?

2007年7月20日 (金)

自費出版と販売

 著者がすべてのリスクを負担する自費出版の場合、販売を目的とせず私家本としてつくる場合と、販売を目的としてつくる場合があります。前者は、基本的には印刷屋や自費出版を請け負っている会社で、著者の好みの本をつくればよいことになりますから、トラブルになることはそう多くはないと思います。かつては自費出版といえば、こうした制作請負だけを行うのが主流でした。

 販売がほとんど期待できない私的な内容の著作物、歌集や句集あるいは詩集などは、このような形で出版するのがふさわしいでしょう。また、どうしても編集者に手を加えられるのが嫌だという方も、私家本なら原作のまま本にできます。費用は、本のつくりや編集の有無、印刷方法などによって、かなり差がでてきますから、自分の目的にあった印刷屋や自費出版会社を選ぶといいと思います。ただし、自費出版会社の中には、高齢者に高額の布団を売りつける悪徳業者のように、多額の利益を加算した代金を請求するところもあるようですから、注意も必要です。

 トラブルが生じやすいのは、書店で販売をしたいという場合です。何しろ無名の素人の本は、ほとんど売れませんし、たとえ書店に置かれたとしてもそれだけではまず売れません。ところが、そのようなことを知らない方は、書店販売に過剰な期待を抱いてしまうのです。著者の期待と現実のギャップはかなり大きいというのが現実でしょう。売って出版費用を回収しようなどとはまず考えるべきではありません。

 私が所属している自然保護団体で、活動の記録集を出版したことがあります。ボランティアで活動している自然保護団体は資金がありませんから、本を出す場合は赤字にならないようにしなければなりません。そのためには、自分たちで売り切れる程度の部数をつくり、買ってもらえる値段設定にし、全部売ることで費用を回収する必要があります。そこで編集は自分たちでやり、パソコンの得意な方に普通よりかなり安い費用で版下を作成してもらうことで制作費をなるべく安く抑えました。できた本はすべて自分たちで宣伝・販売したので、売上金は100パーセント収入になります。こうして完売し、若干の黒字になりました。

 一般の人が、自費出版の本を数百部程度つくって売り、費用を回収したいのであれば、このように自分で編集し、版下まで自分で作成するなどして制作費を抑え、さらに自分で販売して大半を売り切る必要があります。印刷屋ではなく自費出版を請け負ってくれる会社に依頼すれば、制作費にマージンが加わりますから、たとえ自分で全部売っても赤字になってしまうでしょう。さらに、販売を委託したら、売上金から手数料などの経費が差し引かれますから、売上収入も自分で売る場合よりはるかに少なくなります。

 何千部、何万部も売れるのであれば別ですが、無名の素人の本はまず、ほとんど売れないというのが実情でしょう。ですから、著名人でない限り、自費出版の本を売って費用を回収しようなどと考えるほうが間違っているといえます。販売によっていくらかでも回収できたらよいと捉えるべきでしょう。

 本を販売したいという方の多くは、恐らく費用の回収ということより、書店に並ぶこと、書店で売ってもらうことに期待を抱くのではないでしょうか。そんな期待を抱いた著者があふれるようになったのが、昨今の自費出版ブームなのです。そして大半の素人をそのような気にさせてしまったのは共同出版社の新聞広告を利用した、大々的な宣伝にあったのではないかと思えます。

 共同出版社の台頭によって、素人の本でも売るのが当たり前というような風潮がつくりだされ、多くの著者が、販売をしない自費出版には興味を示さなくなったのではないでしょうか。これは共同出版のもたらした弊害だと思えて仕方ありません。このような著者が増えると、販売を扱わない自費出版業者は、死活問題にもつながってきます。そこで、販売が困難なことを知りつつ、仕方なく販売や流通も手がける自費出版社が増えてきたという側面もあるように感じられます。

 自費出版の本を、商業出版のように書店で販売すべきか否かということは、とても難しい問題です。たとえ素人の書いた本であっても、販売に値する素晴らしい本もあるはずです。作品というのは読まれてこそ意味があります。その反面、無名の素人の本を売るのはとても大変なことであり、現実には非常に厳しい壁が立ちはだかっているのです。

 商業出版でも、自費出版でも、売れるかどうかは一種の「賭け」です。自費出版社が書店での販売や流通を謳うのであれば、まずは無名の素人の本の販売は非常に難しいことを著者に説明する必要があります。制作請負・販売委託をする自費出版においては、制作も販売もすべてのリスクを著者が負うことになるのですから。

 そのうえで、出版社は販売に値する作品を選び、質の高い編集を行って商業出版に負けないクオリティーの高い本づくりをし、また売れる体制づくりをする必要があります。「編集者に手を入れてもらいたくない」という著者は、出版社ともトラブルになるでしょう。また、私家本なら印刷部数などは著者が決めることになりますが、取次を通じて販売する場合は返品のリスクなどを考えると、そういうわけにもいきません。販売を見込める部数や定価を考慮してつくることになります。著者がすべてのリスクを負担するといっても、私家本とは違った制約がどうしても出てきます。

 こうしたことを考えると、書店販売を希望する著者には「無名の素人の本はほとんど売れない」ということを、もっともっとアピールしていかなければならないとつくづく感じてしまいます。

 大型書店に行き、そこに自分の本が一冊棚差しされているのを想像してみてください。それを赤の他人が手に取り購入する確率は限りなくゼロに近いことを著者は肝に銘じ、書店販売をするかしないかも含め、慎重な出版社選びをしなければなりません。

 売れないという自覚と出版についての基礎知識がなければ、共同出版の甘い誘惑に惑わされてしまいます。

2007年7月19日 (木)

国有林に埋められたダイオキシン

 ダイオキシンといえば、ベトナム戦争で「枯れ葉剤」として使われた毒性の強い薬剤です。それがなぜか全国の国有林に埋められ、さらに場所によっては薬剤が漏れ出しているところもあるというとんでもない状況が明らかになってきました。

 この国有林に埋められたダイオキシン問題は、今年の3月2日号の週刊金曜日で報道されました。それによると林野庁が1968年から70年にかけて全国の国有林で2,4,5-T系除草剤(ダイオキシン)を散布したものの、全林野労組の反対闘争などから71年に散布を中止し、それを全国の国有林に埋設処理したとのことです。埋設場所は全国54箇所で、埋設量は乳剤1,835.5リットル、粒剤24,983キログラムにもなります。

 埋設方法は、林野庁長官の通達によると、1箇所の埋設量は300キログラム以内でセメントと混ぜ合わせてコンクリート塊にするほか、水源や民家の近くからは離し、風水害による崩壊の恐れがあるところは避けるなどとの指示がなされていたといいます。ところが、実際には通達とは異なり、沢や民家の近くに埋められていたところや、缶のまま埋められていたところがあり、土中に漏れ出し危険きわまりない状況のところもあるとのこと。

 埋設量が特に多いのは九州で、201トン以上も埋設された県が3つもあるのですから、背筋が寒くなる思いです。岩手県なども、大量のダイオキシンが埋設されています。

 北海道でも何箇所かに埋設されています。そこで、十勝自然保護協会は北海道森林管理局に対し、除草剤散布の時期や量、埋設の時期や場所・方法、管理状況などについて質問しました。ところが、森林管理局は文書での回答をせず、電話で回答しただけです。それによると通達どおりではなく缶のまま埋めたところもあることがわかってきました。缶が腐食した場合は、土中に漏れ出す可能性があります。

 さて、私が大変不思議に思うのは、こんな危険な薬剤を、なぜ国有林に埋設処理したのかということです。週刊金曜日に掲載された資料(林野庁提出資料)によると、北海道では乳剤20リットルを埋設したところが1箇所、0.5リットルを埋設したところが3箇所。また粒剤は3箇所で、その量は300キログラム、60キログラム、9キログラムとなっています。0.5リットルといえば500ミリリットルですが、その程度の量を、なぜわざわざ国有林に分散して埋めなければならないのでしょうか? 本当にそれだけだったのでしょうか? もっと安全な保管方法があると思うのですが、なぜ、こんな危険でずさんな方法をとったのか、理解に苦しみます。

 いずれにしても、早急に埋設場所を調査し、撤去するなどの処置をとるべきでしょう。おそるべし林野庁のずさん体質に、ぞっとするやら、呆れるやら、腹立たしいやら・・・。

2007年7月18日 (水)

著者もリスク負担する商業出版

 かつては本を書くというのは著述を生業とする人、あるいは専門家と呼ばれるような人たちが大半でした。ですから、素人にとって商業出版は夢のまた夢です。無名の素人が本をつくる場合は、書店での販売などははじめから考えずに、印刷屋などに依頼して必要な部数をつくってもらうというのが当たり前のことでした。いわゆる自費出版です。私もそんな自費出版の本を買ったり、頂いたりしたことがあります。

 いつごろからだったでしょうか、雑誌などに共同出版などと書かれた広告を目にするようになったのは。その広告をはじめて見たとき、出版社と著者が費用を分担する商業出版というものがあるなら、それは、商業出版の夢をあきらめざるを得なかった人にとって、願ってもないことだと思ったものです。

 それが騙すような商法ではなく、本当に出版社もリスクを負い、販売にふさわしいレベルの作品を選んで商業出版と同等の扱いにするのであれば、著者がすべてのリスクを負う自費出版よりメリットが大きいでしょう。もちろん無名の素人の本であれば、それほど多くの部数が売れることは期待せず、著者自身が宣伝していかなければなりません。出版業界が不況であえぐ中、良心的で小さな出版社では、そんなふうに著者にリスクを負担してもらう出版を手がけることで経営を支えているところもあると思います。著者にとってはそんな出版社にめぐり合えばベストなのかもしれません。

 私の知人にも、そんな形で出版した方がいます。ある方は「商業出版というより、ほとんど自費出版だったわ」と言っていましたが、プロの作家の本ですらなかなか売れない時代ですから、素人が商業出版を求めること自体に無理があるように思います。

 また、写真家のある知人は出版社に写真集を持ちかけたものの、かなりの部数の買い取り条件を示され諦めたとのことです。作品自体は素晴らしくても、出版社が赤字にならないためには、買い取り条件もやむを得ないのが現状なのだと思います。

 著者がリスクの一部を負担する場合でも、出版社が販売収益を得ることを目的に、出版権(複製と頒布の権利)を出版社に設定する商業出版の契約をするのであれば、主導権は出版社にあります。出版社はリスク回収と収益を得るために商業出版レベルの編集や装丁などを行って売れる本づくりをし、販売努力をしなければならないはずです。売ることを考えるなら、必ずしも著者の思いどおりの本づくりにはならないことを著者も理解し、出版社とともによりよい本づくりを目指す、そんな形になるのでしょう。

 さて、批判されている共同出版というのも、これらと同じように、著者もリスクを負担する商業出版の契約を交わします。ところが不思議なことに、著者にはそのようには説明せず「販売する自費出版」といって勧誘するようです。このために、多くの著者が出版委託契約をするのだと思い込み、また消費者契約だと思ってしまうようです。ここに勘違い、つまり錯誤が生じます。

 そして「著者に制作費を負担してもらう」との説明のもとに見積金額を示し、著者はよくわからないまま商業出版形態の契約書(出版権設定の契約書)に署名捺印をすることになります。ところが説明とは裏腹に、出版社は実際にはリスク負担をしていないようですし、販売にも力をいれているとは思えません。売れる本づくりより、著者の希望を重視する本づくりをする場合も多いようです。これが、多くの共同出版の実態なのではないでしょうか。

 「本物のリスク分担型商業出版」に対し、共同出版は「偽物のリスク分担型商業出版」といえます。ここに、この商法の巧みさのひとつが隠されているように思います。

2007年7月16日 (月)

コソ泥をするアシナガグモ

 先日、クモにとても興味をもっている知人が、アシナガグモをもってきました。アシナガグモというのは、名前のとおり脚が細くて長いのですが、長いのは脚だけではありません。腹部もとても長いクモです。脚を延ばして植物の茎や小枝に止まると、茎や小枝に化けてしまいます。

 水辺を好み、川や池のほとり、水田などでよく見られ、植物の間などに円い網を張ります。オニグモが地面に対して垂直に網を張るのに対し、アシナガグモは水平に近い網を張ります。水平に張られた網は、水面から上がってくる昆虫をうまく捕らえることができるのです。

 知人は、「このクモがどういうわけかオニグモの網にいたんだけど、なんていうクモ?」といって、首を傾げながらアシナガグモをもってきたのです。

 私も、アシナガグモがオニグモの網に侵入するのを見たことがあります。川の近くの生垣にオニグモの網が張られていたのですが、その端にアシナガグモがいるのに気づき、少し観察したことがあります。

 アシナガグモは、オニグモの網の横糸(粘る螺旋状の糸)に多少足をとられながらも平然と動きまわり、網にかかっている小さな昆虫を食べたり、横糸を食べたりしています。オニグモは網の中央には止まっておらず、網の外にいたため、このコソ泥にまったく気づいていません。アシナガグモは数分ほどコソ泥を働いたあと、網の外に出ていきました。

 ふつう、網を張るクモは、自分で張った網で餌を捕らえるのですが、アシナガグモというのはなぜかこのようにオニグモなどの網に侵入し、網にかかって放置されている餌のおこぼれを頂戴することがあります。知人が観察したときは、オニグモが侵入者に気づいて追いかけてきたとのことですが、それはコソ泥を追放するためではなく、餌がかかったと思ったのでしょう。クモは網にかかった虫が糸を振動させることで、餌がかかったことを知るのです。

 オニグモが無視しているような小さな虫をこっそり食べるので、オニグモにとってはさほど害はないのですが、オニグモに気づかれたら食べられてしまう可能性もありますから、何とも大胆な行動です。

 クモにもこんなちゃっかりしたのがいるのですね。自分で網を張って餌をとることもできるのに、手を抜いているようです。アシナガグモの仲間は、時々こんなふうに他人(他クモ?)の網に入り込んで餌をいただいてしまうのですが、他のクモの網に居候して餌をいただき、自分の卵のうまで吊るしているイソウロウグモという小さなクモの仲間もいます。  ちゃっかりものは、人間の世界だけの話ではないのですね。

2007年7月13日 (金)

ハシドイの花も当たり年

Hashidoi  今年は5月にコブシが見事に咲き、6月はアオダモ、そして7月に入ってからハシドイがたくさんの花をつけています。この花も、年によってたくさん咲く年とそうではない年があり、コンスタントに花を咲かせる木ではありません。

 ハシドイはアオダモと同じ、モクセイ科の落葉樹で、ライラックの親戚です。ライラックはヨーロッパ原産ですが、ハシドイは日本に自生している木です。ライラックは英語の名前で、フランス語ではリラ。北海道では公園や庭によく植えられていますよね。

 今年は、どういうわけか「花の当たり年」の木が多いようです。偶然なのでしょうか? こんなにいっぺんに咲いてしまうと、来年はちょっと寂しくなりそうです。木の花があまり咲かない年は、蜜を求めて訪れる昆虫たちにとっては受難の年になるのでしょうか・・・。

2007年7月11日 (水)

「共同出版・自費出版の被害をなくす会」を設立

 新風舎の提訴をマスコミが一斉に報道しましたが、何度も書いているように、この問題は新風舎一社のことではありません。また、販売についての説明だけが問題なのでもありません。新風舎以外の出版社と契約し、被害者意識を持っている方もたくさんいるはずです。このような方たちの多くは、相談することもできずに途方にくれているのではないでしょうか。

 このような現状を危惧した被害者たちが集まって、「共同出版・自費出版の被害をなくす会」を立ち上げました。この会では会員が情報交換を行うとともに、著者の理解を深め、悪質な出版社に対して適正化を求めていくことを目的としています。

 そもそもこのような商法は、本づくりのこと、販売のシステム、アマチュアの本を売ることがいかに大変なのかを知らない著者につけこんでいるのです。純粋な気持ちで本を出したいと思っている人々を騙す出版社が悪いのはいうまでもありません。ですから、悪質な出版社へは警鐘を鳴らし改善を求めなければならないでしょう。

 しかし、本を出したいと考えている著者の中には、出版についての知識や理解が不十分な方が多いことも否めません。また、出版の目的は人によってさまざまでしょうし、レベルもさまざまです。自費出版がブームだといわれる中で、まずは著者の方々に出版についての知識をもってもらい、それぞれの目的に合った出版をしていただきたい、そんなふうに考えています。

2007年7月10日 (火)

「木」を見て「森」を見ない末期的症状

 森の中にある1本の木のことを知るためには、その木だけを見るのではなく、森全体の中でその木がどのような存在であるかに視点を置いて見なければなりません。たとえば、1本のエゾマツがいつからどうしてそこに生えているのか、その木の生長速度や枝ぶりは何を物語っているのかを知るためには、周囲の森のことを知る必要があるのです。隣にあった大きなトドマツが倒れたために、それまで日陰になっていたエゾマツに陽が当るようになり、生長が良くなったのかもしれません。個々の木は、他の木との競争にさらされているのですから、森全体の視点から見ることが必要なのです。

 共同出版問題でも同じことがいえます。たくさんの出版社(木)が出版業界(森)の中で競争関係にあります。一本の木が倒れたら、その隣の別の木がぐんぐん生長するかもしれません。著者を惑わせ騙すようなことをしている出版社が複数あるのに、一つの出版社にしか目を向けなけないのであれば、同業他社を潤わせるだけで根本的な問題の解決にはならないのです。大手出版社の名の下に、同様のことをやっている出版社もあるようです。

 メディアが新風舎の提訴を話題として取り上げるだけで、この問題を掘り下げて追求・報道する姿勢がないのであれば、本を売りたいと考えている著者の方たちは、新風舎以外の共同出版社の門を叩くだけでしょう。今回の提訴を取り上げるにあたり、新聞社やテレビの記者の多くはJANJANの記事も読んでいると思います。読んでいながら新風舎のことしか報道しないのであれば、結果として同様の商行為をしている出版社に加担してしまうことを理解しているのでしょうか? 偏った報道によって新風舎が倒産するようなことにでもなったら、多くの被害者が出てしまうことを分かっているのでしょうか? その責任の一端はメディアにあるのです。

 権力べったり、広告掲載している企業の問題は書かないという、低レベルの日本のメディアのひどい実態は今さらいうまでもないことかもしれませんが、今回の新風舎の提訴の報道でも、つくづくそれを感じさせられました。提訴の内容をそのまま知らせる報道ならジャーナリストではなくてもできることです。原告の方たちの主張をそのまま報道するだけではなく、この問題についていろいろ調べて検証し、掘り下げていくことこそ、ジャーナリストに求められていることではないでしょうか? そのような姿勢のジャーナリストも必ずいると信じたいのですが・・・。

 今や、既存の媒体を利用しなくても、ジャーナリスト個人がインターネットを利用してどんどん意見を発信できる時代ですが、この問題に関していうならば、残念ながらそのような力量のあるジャーナリストはほとんどいないようです。私がこれだけ丁寧に共同出版の問題点を指摘しているのに、「森」の視点から「木」を見ようとしない視野狭窄のマスコミとジャーナリストだらけの現実に辟易としてきます。

 そこで、今回の提訴のことについて、インターネット新聞JANJANに記事を投稿しました。

文芸社・新風舎の盛衰と自費出版(18)新風舎の提訴と共同出版問題

 ところで、最近の文芸社の新聞広告に「文芸社良書刊行評議会」を設置していると書かれていて、目が点になりました。広告にはその委員の方々の名前や経歴まで書かれていますが、講談社などの大手出版社の編集長を歴任した方や、有名書店の関係者などです。業界の方たちは共同出版の問題を知らないのでしょうか? 今の時代に、インターネットでの情報収集もしていないのでしょうか? それとも、まったく問題のない出版社だと考えているのでしょうか??

   「木」を見て「森」を見ようとしないメディアも末期的ですが、業界関係者もかなり末期的ではないかと、暗澹たる気持ちになってしまいます。

2007年7月 9日 (月)

スズメが消える?

Suzume  北海道では、昨年の春、スズメの大量死が話題となりました。あちこちでスズメの数が激減し、折り重なるように死んでいるものも見つかりました。死んだスズメからネズミチフス菌が検出されたとしており、それが原因の可能性が高いといわれています。

 私の住んでいるところでも、それまでは一年中見られたスズメが、昨年の冬にはさっぱり姿を見せなくなってしまったのです。なんだかスズメの姿が見当たらない・・・と思っていたところ、大量死のニュースでした。そして昨年はとうとうほとんどスズメを見かけることなく終わってしまいました。

 今年は何羽かのスズメが帰ってきました。でも、今までにくらべたらずっと数が少ないようです。

 スズメといえば、人の生活しているところにしか棲んでいない鳥の代表でしょう。あまりにも身の回りにいてその存在を気にもとめなかったスズメですが、いなくなってしまうとやはり寂しいもの。餌台や巣箱などが菌を媒介して感染が拡大し大量死を招いたのであれば、やはり野鳥と人との関わり合いを考えていかなければなりません。

 近年は機密性の向上で隙間のない住宅が増え、巣をつくれる場所が減って、スズメは住宅難になってきているように思われます。また、ゴミの出し方も以前より徹底されたためか、食べ物のおこぼれも少なくなったのではないでしょうか。近年の住宅街は、以前に比べ、スズメにとって住みにくい環境になってきているに違いありません。

 スズメの数は回復していくのか、それとも減少していくのか? しばらく気をつけて見ていく必要がありそうです。

2007年7月 8日 (日)

大規模林道のずさんなアセス

 日本は、生物多様性条約を採択し、それによって「生物多様性国家戦略」をつくりました(現在は「新・生物多様性国家戦略」に改定されている)。そして、林野庁も森林の公益的機能を重視するという方針を打ち出しています。

 大規模林道(緑資源幹線林道)を建設している山地は、絶滅危惧種を含むさまざまな生き物たちの生息地ですから、国の方針によれば生物多様性を保全しなければならないはずです。でも、そんなところであっても、緑資源機構はなんとしてでも道路をつくりたいようです。

 大規模林道では、各路線をいくつもの区間に区切っています。また、基本的には幅員が7メートルですが、一部は5メートルにしています。そのように個々の事業規模を小さくすることで、法令で定められたアセスメント調査をしなくてもよいようになるのです! なんだか抜け道みたいですね。

 さて、事業者はアセスメント調査を一応やっているのですが、そのアセスメント調査のずさんなことには驚くばかりです。

 まず、ナキウサギです。私たち自然保護団体が「平取・えりも線」のナキウサギ調査をすると、事業者のアセス調査報告書には出ていない生息地があちこちにありました。予定ルートのすぐ近くにもあるのです。穴埋め事件のあった場所もそうです。予定ルートのすぐ近くのある生息地(フンを確認)では、不思議なことに報告書のGPS(衛星による位置データ)の数値が大きくズレていました。

 「置戸・阿寒線」でも同様に、事業者のアセス報告書には出ていない生息地を複数見つけました。どちらの路線でも、あちこちにナキウサギ生息地や生息可能な岩塊地があります。

 事業者はナキウサギ生息地を避けてルートを設定すればいいと考えているようですが、そういうことにはなりません。

 大規模林道は点在するナキウサギ生息地を分断してしまいます。ナキウサギは分散するとき、大きく開けた法面や道路を横断しなければなりませんが、そのようなところでは外敵に襲われる危険性が高いのです。小さな動物にとっては、道路脇の排水溝や法面の丸太を並べた構造物なども移動の妨げになります。また、場所によっては生息地そのものも破壊してしまう可能性があります。

 コウモリ調査も呆れるようないい加減な調査です。コウモリの調査では捕獲して種の確認をする必要があるのですが、捕獲は行わずに、バット・ディテクターという超音波による調査しかしていません。このために種の特定ができていないのです。コウモリ類はたくさんの絶滅危惧種がいますから、種を特定したくないのでしょうか? ちなみに自然保護団体などが実施したコウモリ調査では、多くの絶滅危惧種が確認されました。

 動かない植物ならそう簡単に見落とさないはずです。ところが、絶滅危惧種のコモチミミコウモリという植物がルートのすぐ近くにたくさんあるのに、それも報告書には記載されていません。調査員には絶滅危惧種は目に入らないのでしょうか?

 先日視察した工事現場では、すぐ近くにクマゲラの巣穴がありました。最近は使っていない巣穴のようでしたが、クマゲラは同じ巣穴を何回も使いますから、道路建設が何らかの影響を与えた可能性があります。

 そのほかにもいろいろな絶滅危惧種が生息しています。シマフクロウやクマタカ、オオタカなどの猛禽類をはじめとし、いくつもの希少な動植物が生息しているのです。

 手弁当で調査している自然保護団体が見つけられる生息地・生育地を、調査を受託しているアセス会社は見つけることができないのです。いえいえ見つけたくないのかもしれません。どちらにしても調査能力がなさそうです。その調査会社というのは、林野庁からの天下りが多数おり、談合で名前があがっているところです。

 こんないい加減な調査に多額の調査費用が支払われ、さらに談合が行われているのですから、国民はもっと怒ってもいいのではないでしょうか!

2007年7月 7日 (土)

理解できない訴状

 「新風舎商法を考える会」のメンバーら4人(一人は法人)が、新風舎の虚偽の説明によって高額な費用を支払わされたとし、損害賠償を求めて裁判を起こしました。原告らが記者会見をしたために、このニュースはテレビや新聞で一斉に報道されました。

 今日、「新風舎商法を考える会」のホームページを見たところ、訴状が掲載されていました。その訴状を読んで、私は頭を抱えてしまいました。なぜって、そこにはとても理解できないことが書かれていたからです。

 訴状には、出版契約の要旨がまとめられています。そして次のように書かれているのです。

1 原告らは、被告に著作物の出版を委託し、代金を支払う(第1条)。

 新風舎の契約書の第1条は次のようなものです。

第1条 契約の前提 甲は乙に所定の代金を支払い、標記の著作物(以下本著作物という)の出版を乙に依頼する。この契約書に記されている甲の権利は、上記の支払を遅滞なく実行することによって保障される。

 新風舎は、新聞広告で「出版費用の一部(制作費)を著者が負担」としています。2006年10月7日の朝日新聞のフロントライナーで、新風舎社長の松崎義行氏を紹介していますが、この記事でも松崎氏は自ら「印刷や装丁などの制作費を著者が、販売や宣伝費などはこちらが持ちます」と明言しているのです。ですから、この「所定の代金」というのは、制作費ということになります。つまりこの条項は、著者が制作費を支払うことで、第2条以下の甲の権利が保障されるということです。

 契約書の第2条は出版権の設定について書かれています。

第2条 出版権の設定 甲は、本著作物の複製並びに頒布の権利を乙に対し設定する。これにより、乙は本著作物の出版権を占有する。

 これはどういうことかというと、出版社が本の販売収益を得ることを前提に、複製と頒布の権利(出版権)を独占するということです。出版社が自社の商品をつくってその売上金を得るためには、著者がもっている本の複製や頒布の権利を出版社に移行しなければなりません。その出版権の移行の契約なのです。出版権独占の見返りとして著者には印税が支払われ(新風舎では増刷時のみ)、一部の本の贈呈があるのです。著者が自分の本の制作や販売を、双方の合意した金額で出版社に委託する契約ではありません。

 原告らはこの契約は出版委託契約だと解釈しているようですが、新風舎は出版委託契約などとはいっていません。なぜ、原告らは出版委託契約だとしているのでしょうか?

 問題なのは契約書の第1条の書き方です。第1条の「出版を乙に依頼する」という紛らわしい表現が、出版権設定の契約であるにも関わらず、委託契約だと錯誤させてしまうようです。

 委託契約だと捉えてしまうと、負担金については「合意した金額」ということで問題にできなくなってしまいます。

 さらに、訴状では「原告らと被告との出版契約における代金には、著作物を印刷、製本する費用と、被告が宣伝、販売するための費用が含まれている」としています。新風舎の社長みずから「印刷や装丁などの制作費を著者が、販売や宣伝費はこちらが持ちます」としているのに、どうしてこんなふうに解釈してしまうのでしょうか? この矛盾を追及していないのは、とても不思議なことです。

 私には、この原告の方たちの解釈は理解できません。

 私がこれまで書いてきたように、そもそもこの共同出版商法の本質的な問題点は、出版社も費用を負担するとして自社の商品をつくる契約でありながら、出版社はなんら費用負担していないのではないかということ、そして著者を錯誤させて出版社に有利な契約を結ばせているのではないかということです。

 原告らがみずから「委託契約」であると解釈し、請求金額の矛盾点をつかず、本質的な問題点に言及しないのであれば、原告らの騙されたという主張もあまり説得力があるとは思えません。

 なんだか原告らの主張は、提携書店に棚を確保して必ず書店に並ぶシステムであれば問題ないかのように感じられてしまいます。

 私がこれまでJANJANに書いてきた問題点がまったくといっていいほど生かされていない訴状に、鬼蜘蛛おばさんはまたまた驚いたのであります!

2007年7月 5日 (木)

文芸社が言論封じ!

 ネット上で共同出版に対する批判が大きくなっていくなかで、「新風舎商法を考える会」が発足しました。3月中旬のことです。私はこの会に二つの大きな疑問をもちました。ひとつはこの会のホームページに、新風舎商法の契約は、「事業者としての作家と出版社の契約ではなく、消費者とサービス提供者事業者との契約」であると書いてあることです。

 これには驚きました。なぜなら、文芸社や新風舎の契約書は、商業出版の契約書をベースにした出版権設定の契約書だからです。著者の本をつくる制作請負契約なら消費者契約ですが、そうではありません。消費者契約法があてはまらない契約なのです。このような誤った捉え方が広まってしまったら、出版業界は混乱してしまいます。消費生活センターだって困惑するでしょう。

 もうひとつの疑問は、同じようなことをやっている出版社が多数あるのに、この会が新風舎しか対象にしていないということです。この会の世話人はジャーナリストを名乗る方ですが、ジャーナリストという立場の方が特定の会社しか批判の対象にしないというのはとても不思議です。その後、この方が関わっている組織が文芸社から本を出していたことがわかりました。そこで書いたのが以下の記事です。

文芸社・新風舎の盛衰と自費出版(15)共同出版と消費者問題

文芸社・新風舎の盛衰と自費出版(17)「新風舎商法を考える会」への疑問

 そんなわけで、7回の連載予定が、どんどん増えてしまいました。はじめはほんとうにこんなに書くつもりはなかったのです。でも成り行き上、書かざるを得なかったといえるでしょう。やれやれ・・・。

 さて、そのあとのことです。4月30日の朝日新聞に「自費出版 団塊が主役」と題した大きな記事が掲載されたのです。この記事を読んでまたまたびっくりしてしまいました(この問題ではびっくりすることが多すぎます!)。この記事では「トラブルに要注意」としながら、何人かの業界関係者のコメントが掲載されているのですが、そこに文芸社のコメントも紹介されていたのです。これを読んだ人は、文芸社は問題のない出版社であると思ってしまうでしょう。でも本当にそうでしょうか? 朝日新聞は、文芸社のことをきちんと調べて記事を書いているのでしょうか?

 文芸社は渡辺さんを提訴した裁判の中で、同社が行っている協力出版は自費出版とは異なると主張していました。協力出版はあくまでも商業出版をベースにした契約であり、自費出版は制作請負契約なのだと。文芸社はその後、協力出版という名称を流通出版に変えたようですが、契約形態に変わりがないのなら、流通出版は自費出版ではないというのが文芸社の主張のはずです。あれだけ自費出版とは違うと主張していた文芸社が、不思議なことに自費出版と認めているかのようです。なんと矛盾した態度でしょう! あの裁判での主張は何だったのでしょうか? 著者が自費出版(請負契約)だと勘違いすれば、高額な費用のこともあまり問題にされないからでしょうか?

 その後、JANJANに阪上隆庸さんの新風舎の記事が3回にわったって掲載されました。新風舎も文芸社もほんとうに何を考えているのでしょうか。

新風舎の“自費出版”で眠れぬ日々~出版界のモラルは何処へ(1)

新風舎“自費出版”悲しき日々~出版界のモラルは何処へ(2)

新風舎“自費出版”で心身ともに疲れる日々~出版界のモラルは何処へ(3)

 そして、6月に入ってからもっと驚くべきことが起きたのです。

 文芸社から本を出した旅田卓宗さんがご自身のブログで「出版社って言論の府じゃないの?」という記事を書いたのです。それによると、旅田さんのところに出版社の人が訪ねてきて、旅田さんがJANJANに書いた記事を取り下げてほしいと頼んだそうです。その理由は、「あなたの記事を悪用して更に投稿している人がいる」とのこと。だから旅田さんの記事を取り下げるか、旅田さんの記事を悪用している人の投稿記事について「私の投稿記事の意味はそうでは無い」と投稿して欲しい、といったというのです。

 「驚き 桃の木 山椒の木」 とはこのことです! 旅田さんの記事を悪用して更に投稿している人といえば、それはほぼ間違いなく私の書いた「次々商法の落とし穴」のことでしょう。私がこの記事を書いた理由は、前回すでに書いたとおりです。

 旅田さんは、この依頼をその場ではっきりと断りました。すると「それでは貴方の作品を我が社としては絶版にせざるを得なくなります」と、まるで脅迫のようなことをいわれたそうです。旅田さんは、出版社が言論を封じ込めにきたことに怒り、ブログでその事実を告発したのです。

 こんなことがあっていいのでしょうか? 私の記事に意見があるのなら、私の記事のご意見板に意見を書き込めばいいではありませんか! あるいは反論の記事を投稿されればいいことです。言論には言論で対抗すべきなのに、記事の取り下げを依頼するなど、とんでもないことです。それがメディアたる出版社のやることでしょうか!!

 私は記事を書くことで、出版社に警鐘を鳴らしたつもりです。ところがその警鐘はまったく響いていなかったようです。というより、より巧みなやり方へあるいは言論封じへと導いたのかもしれません。こんなに長々と批判記事の連載をするつもりなどありませんでしたが、そうさせたのは出版社自身です。出版社はなによりもそのことをきちんと自覚し反省すべきでしょう。

 さて、新風舎の著者4人が新風舎を提訴したとのことです。でも、新風舎だけが問題ではないのは明白です。これまで共同出版を持ち上げ、広告を掲載し、ほとんど批判してこなかったのはマスコミです。マスコミがこの提訴に気をとられ、業界全体に目をむけずに新風舎のことばかりを報道するのであれば、マスコミの責任は限りなく重いといえるでしょう。新風舎が倒産したら、碧天舎のときよりはるかに多くの被害者(本もでなければお金も戻らない)が出てしまいます。

2007年7月 4日 (水)

共同出版は疑惑のデパート?

 7回で終了するつもりだった第2弾の連載ですが、その後、さらに書き続けることになってしまいました。

 というのは、ネット上でこの問題について発言する人たちが複数出てきたのです。写真家の藤原新也さんがご自身のブログで新風舎のやり方に疑問を投げかけ、寄せられたメールを公開したことで、大きな話題を呼ぶことになったからです。これをきっかけに、とりわけ新風舎に対する批判が高まっていきました。

 こうした動きに対応するために、さらに記事を書き続けることになってしまったのです。これは新風舎に限らず業界全体の問題であること、著者はどうして錯誤してしまうのかということ、この問題の本質論など。

文芸社・新風舎の盛衰と自費出版(8)崩壊する出版業界と協力・共同出版 

文芸社・新風舎の盛衰と自費出版(9)明らかになりつつある新風舎の実態 

文芸社・新風舎の盛衰と自費出版(10)こんなにある「だまし」のテクニック

文芸社・新風舎の盛衰と自費出版(11)本質論とメディア,業界への提言 

 こうした中で、JANJANにも私以外の方からの投稿がありました。新風舎から絵本を出版した三浦ヒロシさんはこんな記事を書きました。

「新風舎」にだまされた 自費出版の巧妙手口 

 さらに、文芸社から自伝を出版した元和歌山市長の旅田卓宗さんは、自分の出版の体験談を投稿したのです。

そんなアホな?現在の出版業界 

 旅田さんの記事には、ほんとうに驚きました。何しろ本を出版したあとに、電子出版、全国紙への広告、買い取り条件での増刷など、文芸社の提案によってつぎつぎと出資し、合わせておよそ400万円も支払ってしまったというのです。ところが、この記事の「ご意見板」には、旅田さん本人の認識が甘かったのであり、出版業界の問題ではないかのような意見が書き込まれました。この方は、文芸社の契約が出版サービスの請負契約だと勘違いしているようです。私はこの意見に大きな疑問をもったのです。そこで、旅田さんに連絡をとって、契約書を送っていただき、私の意見を書いたのが次の記事です。

文芸社・新風舎の盛衰と自費出版(12)次々商法の落とし穴 

 ここに至って、この共同出版商法というのは、疑惑のデパートといえるほどいろいろな問題を抱えているように感じたのです。

 いっぽう、週刊金曜日では平田剛士さんがこの問題をとりあげ、「だれもが本を作りたがる時代」とのタイトルで1月26日号と2月2日号の2回にわたって記事を書きました。私も取材を受けました。その記事が掲載されたあと、2月16日の週刊金曜日の投書欄に、文芸社から本を出し満足している方からの意見が投稿されたのです。

 その方は「本を作る」ことが夢であり、ベストセラー作家になりたいわけでも、印税生活を夢見ているわけでもない。そして同じ大金をかけるならISBNコードをつけて売ってもらったほうがいい。だからこのような出版形態を否定的に捉える記事は納得がいかないといいます。たしかに、そのように考えていらっしゃる方は多いでしょう。

 でも私には、そのような方はこの商法のことや自費出版のことがきちんと理解できていないように思えてならないのです。アマチュアの本にISBNコードをつけて書店で販売するには、共同出版という方法しかないわけではありません。自費出版社の中には取次と取引していて、著者に所有権のある本をつくり、それを書店流通させて売上金を著者に戻している会社もあります。また、文芸社よりはるかに安い費用負担で商業出版形態での出版に対応している出版社もあるはずです。その投書に対し、私も意見を投書しました。それとともにこのような考えの方に対し、もっと詳しく説明をする必要を感じたのです。そこで投稿したのが以下の記事です。

文芸社・新風舎の盛衰と自費出版(13)適正な制作費とはなにか 

文芸社・新風舎の盛衰と自費出版(14)出版と流通 

文芸社・新風舎の盛衰と自費出版(16)販売の夢を利用し巧妙化する出版社 

(つづく)

2007年7月 3日 (火)

オナガアゲハの訪問客

Dscn2080  昨日のことです。庭の花壇を眺めていると、黒いアゲハチョウが花の蜜を吸っています。よく見ると珍客のオナガアゲハです。このあたりで普通に見かける黒いアゲハチョウといえばミヤマカラスアゲハかカラスアゲハですが、そのどちらでもありません。翅が細長く、はばたくと後翅の前縁に白い斑紋が見えるので、オナガアゲハの雄です(確認のために捕虫網で捕らえて写真を撮ってから放しました)。

 オナガアゲハは北海道の東部では珍しいチョウで、いままでは見たことがありませんでした。でも近年になってから見たという情報は聞いていましたので、北海道で分布を拡大しているのでしょうか?

 チョウやクモには分布の北限が北上している種がいくつかあり、温暖化が原因ではないかといわれています。チョウのように食草が決まっている昆虫は、生息を可能にしている温度などの環境条件が満たされ、食草があれば、比較的容易に分布を拡大できるのかもしれません。

 今まで見られなかった種が見られるようになるのはちょっと楽しいのですが、それが人間活動の影響であるなら、喜んではいられません。

 オナガアゲハのような新顔はすぐに気がつくのですが、いっぽうで、「そういえば最近見かけない」という昆虫などもいます。環境が悪化とともに姿を消してしまった虫たちはおそらく数限りなくいることでしょう。

 そんな「いなくなってしまった生物」にこそ、より目を向けていかなければいけないのだろうと、オナガアゲハの訪問でちょっと考えてしまいました。

2007年7月 2日 (月)

ますます栄える共同出版

 碧天舎の倒産によって、共同出版業界大手の文芸社と新風舎の2社の競争は激化していったように見えました。

 新風舎は、派手な出版賞の募集で出版点数をどんどん増やしていたのです。出版賞に応募し、入賞を逃した人々に共同出版を誘って契約をとりつけていくという手法は、出版点数の増加につながっていきました。

 一方で、ライバル会社である文芸社は「著作者保護制度」を創設し、不測の事態が起きた場合も著者からの預かり金や印税が保障される制度を打ち出しました。碧天舎の倒産によって共同出版への不安や批判が高まることを恐れたのでしょうか。また、文芸社ビジュアルアートという関連会社を設立し、賞ビジネスを展開しはじめました。

 文芸社や新風舎は私がJANJANに書いた記事を読んでいることでしょう。しかも、共同出版商法を問題だと考えているのは私だけではありません。それならば、指摘された問題点に真摯に向き合い、疑惑をもたれないように改めていくというのがまっとうな企業の姿勢ではないでしょうか?

 ところが、文芸社と新風舎の2社は批判を省みようとせず、碧天舎の倒産を尻目に、出版点数の増加にしのぎを削っているようにしか思えません。文芸社・新風舎という二大出版社があちこちに広告を出して大々的に共同出版商法を繰り広げ、その陰に隠れるようにいくつもの出版社が共同出版を行っています。

 なんだか「みんなでやれば恐くない」みたいな状況なのです。大きな批判がなければ問題ないのでしょうか? 批判がないといっても表に見えてこないだけではないのでしょうか? 私は、どうしても実態に見合わない高額な制作費や、著者を惑わす巧みな勧誘、書店での販売方法などにさまざまな疑問・疑惑を感じるのです。しかも、お金のない若者などにローンを提案しまで出版を勧める状況に危機感を覚えざるを得ません。

 さらに気になるのは、マスコミなどが共同出版のことを自費出版としていることです。たしかに費用のすべてを著者が負担しているのであれば実質的には自費出版です。でも、契約は著者に所有権のある本の制作を請け負うサービスの契約ではありません。あくまでも販売を前提とした出版権の設定契約なのであり、著者も費用の一部を負担する条件での商業出版といえるものなのです。

 つまりこの商法では契約内容と実態にズレがあるのです。契約形態に触れずに実態だけをみて自費出版と決め付けてしまうと、この商法の矛盾が見えにくくなってしまいます。自費出版というのであれば、制作請負契約を交わす従来の自費出版との契約上の違いにまで言及すべきでしょう。そうしなければ両者を同じ出版サービスの契約だと思いこんでしまう人もいるのです。

 こんな疑問が大きくなってきたために、業界で突出した存在でありライバル関係にある文芸社と新風舎の2社を中心に据え、共同出版業界への警鐘を鳴らすことを目的に、この問題をもういちど提起してみようと思いたちました。2006年の秋からJANJANに新しい連載を投稿したのです。

文芸社・新風舎の盛衰と自費出版(1)協力・共同型出版への批判と疑問 

文芸社・新風舎の盛衰と自費出版(2)「契約」締結の重要チェックポイント 

文芸社・新風社の盛衰と自費出版(3)自費出版を装った

「協力・共同型出版」に横行する水増し請求 

文芸社・新風舎の盛衰と自費出版(4)騙しの構図 

文芸社・新風舎の盛衰と自費出版(5)過熱する賞ビジネス 

文芸社・新風舎の盛衰と自費出版(6)自費出版のあるべき姿

文芸社・新風舎の盛衰と自費出版(7)編集の重要性

 この連載は7回で終わりにするつもりでした。ところが、そうはいかなくなったのです。 (つづく)

2007年7月 1日 (日)

国立公園で木を伐る日本の恥

 国立公園の中で天然林の伐採をしていることを、どのくらいの人がご存知でしょうか?

 国立公園の中を歩いていると、「動植物の採集をしないでください」とか「樹木を大切に」などと書かれた看板をよく見かけますので、国立公園は自然が保護されているところだと信じている人が多いと思います。ところが、そのような看板とは裏腹に、日本の国立公園では木材生産を目的とした伐採が古くから行われています。

 例えば、大雪山国立公園は大部分が国有林ですから、林野庁が伐採をしているのです。林野庁は国立公園の中でさえ、網の目のように林道を張り巡らせ、値段の高い太い木から伐りだしてきました。このような施業によって大雪山国立公園の森林帯はボロボロの状態になっています。場所によっては、風倒木処理の名目で、皆伐までしています(破壊される大雪山国立公園の森林参照)。

 国立公園を利用する国民には、動植物の採集をしないように呼びかけておきながら、伐採によって森林の生態系を大きく破壊しているのは、国そのものです。

 世界的に見れば、国立公園で伐採を行っている国などほとんどないでしょう。多くの国で、国立公園は、国の貴重な財産として手厚く保護されているのです。開発途上国といわれる国でさえ、国立公園で伐採をしているところはそうそうないでしょう。諸外国の人たちにとって、国立公園で伐採をしている日本の行政は、理解しがたいことのようです。

 日本の国立公園では「保護と利用」の名目のもとに、今でも伐採がつづけられています。過剰な伐採により森林生態系は破壊され、ブルドーザーで開削した作業道からは、大雨のたびに土砂がどんどん川に流れ込んでいます。そのために砂防ダムや治山ダムを次々とつくり、河川の生態系まで破壊しています。さらに、ダムによって海に土砂が運ばれなくなり海岸の侵食が進んでいるのです。ヨーロッパや北米ではダムの撤去が行われているというのに・・・。

 こんな日本の現状を、恥ずかしいと思いませんか?

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