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2007年6月26日 (火)

深まる文芸社への疑問

 共同出版商法を行っている出版社の広告が全国紙などに掲載され、多くの人が出版のことがよくわからないまま錯誤して契約していると思われるのに、その商法の問題点を示して公然と批判する人はほとんどいなかったようです。このために、多くの人が共同出版の問題点を知らなかったといっても過言ではないでしょう。出版してから何だかおかしいと思った人はいるでしょうけれど、著者には出版社内部の情報がわからないので、たいていの場合はどうにもならないのです。

 しかし、出版業界では以前からこうした商法が疑問視されていたようです。業界関係者はこのような商法に疑問を感じても、同業者ですから立場上なかなか批判できません。しかし、中にはこのような商法に疑問を抱いて行動している方もいたのです。

 東京経済の社長で自費出版も行っている渡辺勝利さんは、自費出版業界のモラルの向上を目的として「文芸社商法の研究」という内部資料を30部程度作成しました。ところが、それが文芸社の手に渡り、事前のコンタクトもなくいきなり提訴されたのです。

 月刊誌「創」に岩本太郎さんが文芸社の記事を書いた直後の2002年7月30日のことです。文芸社は、この資料の中の30箇所の記述が名誉毀損にあたり、それによって社会的評価が著しく損なわれたとして、渡辺さんに1億円の損害賠償を求めたのです。

 文芸社の商法は私自身も体験しましたので、確かに非常におかしなことをやっているとしか思えません。ところが、その出版社の商法を批判する資料、しかも広く配布することを目的としているわけではない30部程度の資料に対し、1億円もの損害賠償です。私には、この提訴は「批判封じ」としか感じられませんでした。企業が個人に1億円もの損害賠償を求めて提訴したら、恐ろしくてだれも文芸社や共同出版の批判などしなくなるでしょう。

 「オリコン烏賀陽(うがや)訴訟」をご存知でしょうか? 元朝日新聞の記者でジャーナリストの烏賀陽弘道さんが、2006年4月号の月刊誌「サイゾー」にコメントした内容が名誉毀損にあたるとして、オリコンが烏賀陽さん個人に5000万円の損害賠償を求めて訴えた事件です。烏賀陽さんはオリコンのこのようなやり方は言論弾圧であるとして反訴し、闘っています。それでもオリコンが求めている賠償額は1億円の半分の5000万円です。

 私は「オリコン烏賀陽訴訟」のことを知ったとき、すぐに文芸社の渡辺さんの提訴が頭に浮かびました。烏賀陽さんもオリコンの提訴を言論弾圧だと主張していますし、多くの方が関心をもってこの裁判を支援しています。このようなタイプの提訴は、多くの人が批判封じが目的だと思うのではないでしょうか?

 さて、渡辺さんの裁判の判決は、文芸社が名誉毀損であると主張した箇所で名誉毀損と認められた部分と認められなかった部分があります。その結果、渡辺さんに300万円を支払えというものでした。ただし、訴訟費用の大部分(20分の19)は文芸社の負担です。

 裁判長は判決の中で、「文芸社商法の研究」が公益を図る目的で作成されたことを認め、さらに「・・・自費出版文化を守りたいという強い気持ちを持つあまり、いわば筆が走って不適切な表現になった部分もあると認められる・・・」としています。

 渡辺さんは控訴をしないことに決め、自らの裁判の記録を「『文芸社商法の研究』名誉毀損事件-裁判で明らかになったこと-」として出版し、読者に判断を求めたのです。

 私は、この資料集を読んで、またまた驚いてしまいました。というのは、文芸社は平成12年10月から平成14年12月までの提携書店数を1527店から1831店の間で推移しているとしているのです。私が契約したのは平成13年ですから、このときは少なくとも1527店の提携書店があったということになります。それなのに、私への説明は500店とのことでした。1527店以上もの提携書店があったのなら、なぜ私にはその三分の一以下の500店などと説明したのでしょうか? 実際より少なく説明するなどというのは不自然であり、まったく理解のできないことです。

 さらに判決文では、文芸社からの証拠書類や証言によって「協力出版においては、取次業者から原告が指定した書店に配本されるシステム(指定配本)をとり、指定配本で流通させている本は、主として、売れ残り分を原告が買い取っている・・・」としています。でも、私へは「特約店制度とは、取り次ぎ店を通さず、文芸社と書店が直接契約し、当社から直に書店へ本を送り置いてもらうというシステムです」と説明したのです。裁判では取り次ぎを通していると主張し、私には取り次ぎを通していないと説明しているのですから、いったいどちらが正しいのでしょうか?

 提携書店数や提携書店への配本について、私への説明が正しいのであれば、裁判では虚偽の証拠書類を提出したのかあるいは嘘の証言をしたのではないかと疑われますし、裁判での証拠書類や証言が正しいのであれば私に嘘をついたといえるでしょう。どちらにしても、私はさらに文芸社を信用できなくなりました。

 「批判封じ」だと感じたこの裁判が、このような判決になるとはちょっと意外でした。私がこれまで書いてきた経緯を読んでいただければお分かりいただけると思いますが、契約体験者としては「騙しの商法」としか思えなかったからです。さらに、裁判によって上記のような疑惑が出てきたのです。でも、名誉毀損の裁判では訴えられた側が、自分の記述が真実であるか、あるいは真実と信じたことを証明しなければなりません。このような商法の場合は、それが非常に難しいといえるのでしょう。

 この裁判の影響があったのかどうかは分かりませんが、その後もマスメディアは共同出版・協力出版商法について批判的な報道をしてきませんでした。なにしろ大手新聞はこうした出版社の大きな広告を掲載していますから。 (つづく)

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コメント

鬼蜘蛛おばさん、大変興味深く拝読させていただきました。
企業としては「売る」ことが前提だとしても、『本』という知的財産を扱うことに対し、このようなやり方は、やはり納得のいくものではありませんね。業界の低迷が囁かれるようになった時代から、ある意味では仕方ないんだ、というような表現で弁明している業界関係者の吐露がTV番組上でやっていたのを見て、一時期騒然となったことがあります。「出版業界のモラル」とはなんなのでしょうか?特に、出版業界に限らず、「売れるもの」を前提にした『作品』には、あえて長く愛読したいようなそんな魅力を感じないのは、「読んでもらいたい」という、本を出版する上での想いが欠如しているのではないか、「読んでもらいたい」ではなく「買ってもらいたい」そればかりが先行したら「買い手側」も本当に「買いたい」と思う気持ちになるでしょうか?それらの根底の問題を無視して「売れないから、売るためには仕方が無い」というのは出版業界の責任転嫁ではないか?と感じます。企業である以上、書いた本は「買ってもらう」ためにあるのだとしても、「いい本」だから買ってもらいたい、知ってもらいたいという以前に、「買ってもらうための本」というのは、『本』としての基本的な魅力(知的欲求)に欠け、やがて「本」自体に対する興味を失わせることになるではないか、と考えます。それはもう『本』の出版社ではなく、「紙に書いた何か」を売る会社になるのだと思います。これからは主に電子書籍が基本になってくるかもしれませんが、『本』としての良さは、実は電子書籍とは違うプレミアムな価値として存在すると思うのです。出版業界の人達に、「手で持って、触れて、長く愛蔵する『本』の良さ」を、再び思い出して、新しい価値観を創造していってほしいと願います。そして、このように、「本」を出したいと願う人の気持ちを利用するようなやり方はしないで、キチンとした応対で出版をやってほしいと思いました。海

日本では一日に約200点もの本が出版されていますが、そのこと自体が異常です。出版・販売のシステムに問題があるのですが、完全に行き詰って自転車操業になっています。根幹から見直さなければだめでしょうね。

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