2016年8月20日 (土)

競争の弊害

 私はスポーツにはとんと興味がないし、オリンピックも関心がない。オリンピックがすでに商業主義になっていることもあるが、メダルや勝敗にばかりこだわることにどこかうんざりとした気持ちがある。テレビも見ていないからどうでもいいといえばそうなのだけれど、新聞は毎日、トップでオリンピックでの選手の活躍ばかり伝えているので、興味がなくても目にはいってくる。

 そんな中で飛び込んできたのが、レスリングで銀メダルをとった吉田沙保里選手が「金メダルが取れなくて、ごめんなさい」と泣いて謝る痛々しい姿。彼女の謝罪には、日本の代表として競技に臨む選手の重圧がそのまま現れている。彼女の謝罪に違和感を覚えた人は多いと思うが、こうした無言の圧力こそ無用なものだし、私がスポーツに関心を持てない理由のひとつだ。

 吉田選手は謝る必要などまったくない。彼女は日本のためにレスリングをやっているわけではないし、彼女を応援している人のためにやっているわけでもない。最善を尽くしたのだからそれでいいではないか。今回は金メダルをとれなかったが、次もダメだとは限らないのだし、自分の期待がかなわなかったからといって他人がとやかくいうことではない。王者といわれる実力の人でも、永遠に王者でいることはできないし、いつかは後進に道を譲らねばならない。第三者が勝手に期待をかけてしまうこと自体が間違いだと言わざるをえない。

 日本では、中学や高校の部活動においても勝敗にこだわる教育がなされている。とにかく勝つことが目的になっている感がある。これは何もスポーツに限らない。文化系の部活でも、コンクール、コンテストなどで競うことは少なくない。もちろん、試合において勝利を目指すことを否定はしないのだけれど、なぜそこまで競い、勝敗は順位に拘るのかと、私は不思議でならない。

 たとえば写真甲子園という高校生の写真選手権大会がある。新聞に掲載された入選写真を見ていつも思うのは、結局「選ばれること」を意識した写真になってしまうということだ。はじめから入選を意識するので、「撮りたい写真」ではなく審査員の目を意識した「入選するための写真」を撮ることに必死になる。写真のような芸術は、本来、評価されるために撮るものではないし競うものではないと思うのだけれど、なぜそこまで競いたいのか私には理解しがたい。

 勝敗にこだわり、子ども達を追いたてれば無言の圧力になってしまうし、ときに本来の目的や楽しさから外れ、他者の期待を満たすことが目的になりかねない。競争も圧力もマイナス効果しか生まないと思う。

2016年8月13日 (土)

受刑者の人権

 今日の北海道新聞の「各自核論」に、芹沢一也さんによる興味深い論考が掲載されていた。ノルウェーの受刑者の人権に関する裁判所の判決のことだ。以下に内容を要約して紹介したい。

 2011年にノルウェーで、オスロの政府庁舎を爆破して8人を死亡させた後、ウトヤ島で銃を乱射して69人を殺害するという連続テロ事件があった。犯人のアンネシュ・ブレイビク受刑者は最高刑の禁固21年の判決が言い渡され、厳重な警備下にある刑務所で他の受刑者とは隔離されて収監されていた。
 ブレイビクは生活用、学習用、トレーニング用の三つの部屋、テレビやテレビゲーム機(インターネットに繋がっていない)、料理や洗濯のできる設備を用意され、オスロ大学への通信制による入学も許可されていた。
 しかし、ブレイビクは隔離収監は人権侵害であるとして処遇の改善を求めて裁判を起こし、裁判所は「欧州人権条約第3条(拷問または非人道的な待遇・刑罰の禁止)に違反する「非人間的で屈辱的な処遇、処罰」であるとして、ブレイビクの訴えを一部認める判決を出した。
 ノルウェーでは、犯罪は特別の個人の問題ではなく社会の問題であり、刑務所は社会復帰のためのリハビリの場であるとの思想がある。たとえテロリストや殺人犯であっても、それは変わらない。
 「テロは許さない」というノルウェーの人たちは、暴力に対して怒りや憎しみをぶつけるのではなく、愛と思いやりで対峙する戦い方を選んだのである。したがってノルウェーの裁判所が示した見解は、ヨーロッパ・リベラルの甘さなどではなく、「テロには決して屈しない」という強靭な意思こそを示したものである。

 ノルウェーは犯罪者に非常に優しいということは以前に「ニルス・クリスティの言葉」ででも取り上げたが、ノルウェーと日本では刑罰の重さだけではなく、受刑者の待遇も天と地ほどの差がある。それは犯罪者であっても人間として尊重し、社会復帰を目指すという考え方が基本になっているからに他ならない。人は社会との関わりなしには生きていけないし、犯罪もまた犯罪者個人だけの問題では決してない。犯罪者とて私たちと同じ人間であり、非人間的に扱ったなら社会復帰の妨げにしかならないということなのだろう。犯罪者の社会復帰に必要なのは、彼らを罰によって苦しめることではなく、愛と優しさで人間らしさを取り戻すことなのだ。この考えに、私は深く共感する。

 芹沢さんの論考の中にウトヤ島の生存者の「暴力は暴力を、憎悪が憎悪を生みます。これは良い解決策につながりません。わたしたちは、わたしたちの価値観のための戦いを続けます」という言葉が出てくる。

 「暴力が暴力を生み、憎悪が憎悪を生む」ということは、私たちの日常生活の中にいくらでもある。自分が誰かから暴力を振るわれたことに対し、相手への報復に執念を燃やしたら、たちまち闘争が始まり収拾がつかなくなる。暴力に対して憎しみで対峙したなら必ず暴力の連鎖、憎しみの連鎖がはじまる。紛争はあくまでも話し合いや裁判などで解決して憎しみの連鎖を絶たねばならない。犯罪者に対しても人間らしい生活を提供し、愛と思いやりによって人間としての尊厳を取り戻すことこそ更生と社会復帰につながるし、憎しみの連鎖を絶つことにもつながるだろう。

 ところが、日本では凶悪な殺人事件が起きるたびに、犯人を極刑にしろとの大合唱が始まる。日本人の多くは、犯罪は犯罪者個人の責任でしかないと考え、暴力に対して徹底的に憎しみをぶつけ、犯罪者を厳しく処罰しなければならないと信じているようだ。そこには「自分は決して犯罪者にはならない」「犯罪者はすべて悪人」という驕りがあるのだろうし、どんな人でも「人は人として対等であるべき」という人権意識が欠落しているとしか思えない。

 暴力に対して憎しみだけをぶつける社会は、必然的に暴力的な社会になる。社会全体が殺伐とし、誰もが対等の人間であることが忘れ去られる。そこに平和や幸福はない。平和憲法を守りたいという人は多いのに、なぜこれほどにまで憎しみが蔓延してしまうのだろう。

 暴力のない平和な社会を望むのであれば、ノルウェーの人たちの理念こそ見習うべきではなかろうか。

2016年3月24日 (木)

莫大な赤字想定のもとに開業する北海道新幹線

 北海道新幹線の新青森~新函館北斗間が26日に開業の運びとなり、浮足立った報道がなされている。しかし、北海道新幹線開業で年間48億円の赤字が発生すると言われているのだから正直いって喜ぶというより「この先、どうするつもりなのか?」という懸念が浮かんでくる。

赤字込みの北海道新幹線 要因に特殊状況(乗りものニュース)

 JR北海道によると、北海道新幹線の場合は以下の三つの理由で他の新幹線よりコストが割高になるという。

①青函トンネルの維持費がかかる。
②青函トンネルで在来線貨物列車と新幹線の共用走行をするため、複雑な線路の維持管理コストが割高になる。
③新青森~新函館北斗間の約150キロメートルという短区間開業のため、コストが割高になる。

 この48億円という年間の赤字予想額は、東京~函館間の移動について鉄道のシェアが現在の約1割から約3割に増加するという前提での計算だ。もし、この通りに増加しなければ赤字額はもっと増えるだろう。

 では、予約率の方はどうなのだろう。JR北海道が3月10日に発表した予約率は「開業日から9日間の平均で約25%」とのこと。

北海道新幹線 予約率25% 初日以外余裕 春休みに期待(毎日新聞)

 記者会見でJR北海道の島田社長は「通常は運行日の1週間前から予約が増える」として「春休みもあり、たくさんの方の予約がその直前になされると思う」と発言している。

 しかし、開業の2日前の予約率はどうかというと、24%しかない。直前になれば予約が増えるなどというのはまったくの外れだった。

北海道新幹線 開業から9日間の予約率24%(陸奥新報)

 こんな調子だから、「鉄道のシェアが1割から3割に増加」などという見通しも甘いのではなかろうか。札幌から東京へは飛行機の便も多いし、格安航空会社ではなくても割引運賃などを利用すれば新幹線より安く行ける。新千歳空港に行く時間を見込んだとしても、新幹線よりずっと速い。開業後間もなくは物珍しさで新幹線を利用する人がある程度はいるとしても、果たしてどれだけ利用者が増えるのだろう?

 この先、札幌まで開通すれば利用者が増加することも考えられるが、札幌までつながるのは14年も先の2030年の予定。この間には赤字が相当深刻な状態になっているだろうから、料金が安くなるというのは考えにくい。札幌までつながったとしても東京~札幌間は5時間以上かかるだろうから、やはり時間は飛行機にはかなわない。しかも札幌から遠い地方に住む人は、新幹線が開通しても東京へは飛行機を利用するだろう。鉄道のほうが飛行機よりも天候に左右されないというメリットはあるが、やはり利用者増には料金がネックになりそうだ。

 JR北海道といえば数年前から頻繁に事故を起こしてニュースになってきたが、赤字体質のために古い車両を使いつづけてきたことも一因とされている。日高線では2015年1月8日に高波で線路の土砂が削り取られてしまい1年以上不通が続いているが、JR北海道は復旧費用を捻出できず、国への支援を求めている。

 JR北海道の鉄道部門の赤字に関しては以下の記事が詳しい。

 北海道新幹線開業でJR北海道がギリギリの経営状態になる?  (株価プレス)

 タダでさえ年間300~400億円という大変な赤字を出しているのに、さらに新幹線で赤字を抱え込むことになる。そのツケはどうなるのか? 運賃に上乗せさせれば利用者が負担することになるし、それではますます新幹線から足が遠のいてしまうのではなかろうか。

 日本全国を新幹線でつなぐという構想は1970年につくられた「全国新幹線鉄道整備法」に基づいているから、JR北海道は赤字を理由に建設を拒否することにはならない。しかし、この先の赤字を国が支援すれば国民の税金が使われることになる。

 新幹線が開通すれば在来線は当然不便になり地域住民に影響がでる。計画を変更して在来線をそのまま維持させるという選択肢もあったと思うのだが、構想や悲願ばかりが先走ったということはなかろうか? 多額の赤字を前提に開業する北海道新幹線に、国の無責任さを感じざるを得ない。

2016年3月19日 (土)

小学校の卒業式での袴姿に思う

 先日、新聞に小学校の卒業式の記事が掲載されていたのだが、女の子が振袖姿で卒業証書を受け取る写真を見て目が点になった。写真をよく見ると、ほかにも振袖を着ている子が何人もいる。いったいいつから小学生が和服で卒業式に出るようになったのかと驚いたのだが、インターネットで調べてみるとどうやら数年前から振袖に袴で卒業式に出る子どもが増えており、ブームになってきているらしい。

 これにはもちろん賛否両論がある。賛成派の人の意見は「振袖や袴は日本の伝統的な正装であり、卒業式という記念の場に相応しい」、「ほとんど着ることのないスーツなどを買うならレンタルの和服の方がいい」、「振袖は親などが持っているものを着せられるので、袴だけのレンタルなら安い」などなど。しかし、私には、子どもに華美な服装をさせたいという親の見栄や満足感が先にあり、自己正当化のために後づけでこのような言い訳をしているとしか思えない。

 そもそも卒業式というのはひとつの区切りの儀式であり、通過点に過ぎない。義務教育である小学校の卒業式で正装をしなければならない理由はないし、まして日本の伝統だからという理由で和服を着る必要もなければ、お金をかける必要もない。服装は卒業式の本来の目的とは関係がないし、とってつけたように伝統に拘るのは意味不明だ。私は普段着だってまったく構わないと思っている(ジャージなどの運動着やジーンズなどは避けるべきだとは思うが)し、むしろなぜ学校が「普段着で出席するように」と言わないのかが不思議だ。私が小学校の頃は、卒業式には中学校の制服を着ていった。それは着る機会がほとんどない服にお金をかけることがないようにという学校の配慮でもあったのだろう。しかし、そういった配慮はいったいどこへいってしまったのだろうか?

 もうだいぶ前のことになるが、自然保護の集会で旭川のあるホールに行ったときのこと、ピンクや水色などの華やかでヒラヒラとしたドレスを着た子ども達が大勢いて何があるのかと不思議に思ったのだが、どうやらピアノの発表会だったらしい。しかし、いつからピアノの発表会がドレスのファッションショーのようになってしまったのかと唖然とした。私も子どものころピアノを習っていたが、発表会はいわゆる「よそゆき」程度の服装だったし、中学生のときは制服だった。しかし、最近では、発表会は日頃の練習の成果のお披露目というより、きらびやかな衣装を着ることの方が楽しみになっているのではなかろうか? あのお姫様のような衣装を着たいがために楽器を習いたいという子もいるのではないかと思ってしまうほどだ。

 成人式でも大学の卒業式でもそうだが、昨今はかつてに比べてはるかに画一的になっている。私は成人式には出席しなかったが、私の頃は振袖のほかに洋服の人もそれなりにいたと思う。今はほぼ全員が振袖だし、和服の男性もいる。まるで振袖のファッションショーと化している。大学の卒業式も同じで、私が学生の頃は袴のほかに洋装の女性も結構いて、人それぞれだった。私は卒業式以外でも着る機会のあるワンピースにした。しかし、今は袴の女性が圧倒的ではなかろうか。

 成人式も卒業式も、あるいはお稽古ごとの発表会でも、本来の目的とかけ離れ、衣装の見せびらかしの場になってしまっているように思えてならない。親も親で、子どもを着飾らせることが愛情だと思ったり、皆と同じ衣装を用意してあげないと可哀そうという感覚なのかもしれない。しかし、そこには個性のかけらもない。そして、そんな見かけばかりに拘る風潮が小学生の卒業式にまで及んでしまったというのが昨今の袴ブームなのだろう。

 こうしたブームの陰には間違いなく貸衣装業者の営利主義がある。インターネットで「小学校 卒業式 袴」と入力するとおびただしい数の貸衣装業者のサイトが出てくる。貸衣装屋こそが親の見栄と同調意識を利用してこうしたブームをつくりあげている張本人ではなかろうか。だからこそ、成人式や卒業式、発表会がファッションショー化し、全国各地で小学生の袴が流行るまでに至ったのだろう。

 ハロウィンやバレンタインのチョコレートもそうだが、日本人とは何と安易に商業主義に利用されてしまう民族なのかと思う。

2016年3月17日 (木)

5年前に関東を襲った放射能プルームを忘れてはならない

 忘れもしない。5年前の3月15日に私は東京に行く予定で飛行機を予約していた。帰りの飛行機は3月22日に予約。しかし3月11日の震災によって急きょ予定を変更し、実際に東京に行ったのは3月29日の夜だった。

 当初、米国から来日するというある方と3月21日に東京でお会いする約束をしていたのだが、予定変更を伝えてやむなくキャンセルをした。もっとも、その方も出発の少し前に米政府から出国を止められて日本に来れなくなったのだが。米政府が日本への渡航を禁止したということは、当時東京に行くことがどれほど危険なのかを知っていたからに他ならない。

 私が東京に行ったときは東京の汚染がどの程度のものなのか正直いってよく分からなかった。しかしフクイチが爆発してからは原子力資料情報室の動画を頻繁にチェックしていたので、格納容器が破損して大量の放射性物質が放出されたことは知っていた。また東京でも一時的に放射線量が上がったことも知っていたし、乳幼児には水道水を飲ませないようにとの報道があったので、健康被害が懸念される汚染があったという認識はあった。

 しかし3月15日と20~21日に放射能プルームが東京を襲い、それによってかなり土壌が汚染されたことを知ったのは帰ってきてからである。予定を変更していなかったら、私も相当の被ばくをしていただろう。

 5年前の恐るべき放射能汚染を忘れないためにも、2回にわたって関東地方を襲った放射能プルームのことを再度とりあげておきたい。

 1回目、3月15日の大量放出に関しては、広く知られている。このとき東京にいた人たちが浴びた放射線量は一日でおよそ700マイクロシーベルト(0.7ミリシーベルト)と見積もっている方がいる。これだけでも健康に影響がないといえるレベルではない。

3月15日 東京を襲った「見えない雲」 (Stop ザ もんじゅ)

 そして3月20日から21日にかけて再び放射能プルームが東京を襲った。15日のフォールアウトは希ガスが主体だったのに対し、20~21日のフォールアウトはヨウ素、セシウム、ストロンチウムなどが主体と考えられている。いずれにしても、この2回のフォールアウトによって関東地方の人たちは大量の被ばくをしてしまったのは間違いない。20~21日のフォールアウトに関してはishitaristさんが詳しく報じているが、この2日間だけで大気圏核実験が頻繁に行われていた過去50年間の降下量とほぼ同量のセシウム137が降り積もり、関東地方の人たちはそれを吸い込んでしまったことになる。

2011年3月20日、隠蔽された3号機格納容器内爆発(Space of ishtarist)

 5年前の3月だけで、東北から関東地方に住む人たちはかなりの被ばくをしたのであり、どう考えても「健康に影響がない」というレベルではない。現に、福島の子ども達に甲状腺がんが多発している。上記、ishtaristさんは、グーグルトレンドを使って3.11以降の健康被害について考察しているが、東京でも健康被害が広がっていることが読み取れる。

東京電力原発事故、その恐るべき健康被害の全貌 ―Googleトレンドは嘘をつかない― ②データ編(Space of ishtarist)

 私が東京に行った3月末、テレビでは学者を名乗る者が何度も出てきて「格納容器は健全です」と繰り返していたのをよく覚えている。つまり、放射能漏れはないから安心してよいといっていたに等しい。原発が4機も爆発して建屋は吹き飛び、3号機の爆発のときにはキノコ雲も発生したし、東京の水道水に放射性ヨウ素が含まれていたのだから、そんな学者の話しなど端から信じてはいなかったが、テレビではこんなことが平気で垂れ流されていた。

 後に知ったことだが、震災で騒然としていた中、東電社員の家族は早々に避難していたと言われている。東電も政府も米国も、フクイチでメルトダウンがはじまっていたことや大量の放射性物質がまき散らされたことをもちろん知っていたのだ。5年前の今ごろ、東電も国も大量の放射能漏れを知りながら、パニックを理由に国民に何もしらせなかった。マスコミは御用学者をつかって虚偽の情報を流し、安全論を振りまいた。5年前の今ごろ、原子力ムラの人たちは国民の命などこれっぽっちも考えずに保身に走った。日本国民は5年前のあのとき、見捨てられたのだ。

 3月11日の震災を風化させてはいけないとマスコミは口をそろえる。しかし、なぜか福島の原発事故を風化させてはいけないとは言わない。原発事故のことは早く忘れさってほしいと思っているのだろうか。5年前の今ごろ、政府とマスコミ、御用学者たちが国民の命に関わる重大な情報を隠蔽して被ばくをさせ、健康被害を拡大させたことを私は決して忘れない。今でも、福島の原発事故程度では健康被害は生じないなどとねぼけたことを言っている科学者がいるが、いったい何を根拠にそんな無責任なことが言えるのだろう。

 もちろん責任者を批判したり、彼らが謝罪したところで被ばくが消えるわけではない。しかし、この重大な責任を黙認するということは、この国にはびこる無責任体質を容認することに他ならない。

2016年3月11日 (金)

原発事故から5年経ち思うこと

原発事故から5年経ち思うこと  東日本大震災と原発事故から5年が経った。東北の太平洋側を襲った巨大津波の記憶はまだなまなましく残っているが、地震や津波という自然災害を前に人間はなんと無力なのだろうかと思い知った災害だった。もちろん日頃から防災を心がけていることで救えた命はたくさんあったし、それを思うと無念でならない。そもそも東北地方は昔から大津波に襲われていたという記録がある。しかし、そうした記録は次第に忘れ去られ、人々は津波の危険性のある海岸の低地に街をつくってしまったうえ、避難体制も不十分だった。津波による被害は、防災意識を忘れ去った、あるいは軽視したことによる人災の側面があることも否めない。

 これは東北地方に限らず言えることだ。4つものプレートが重なり合っている日本は大地震や大津波に襲われる宿命にある。そんな日本に生きる以上、防災意識は忘れてはならないとつくづく思う。

 一方、福島の原発事故は巨大地震と巨大津波が引き金になったが、巨大地震や巨大津波が襲うことは予測されており、明らかに人災である。人災である以上、事故には責任がつきまとう。反対の声も無視して原発をつくり地震や津波対策をとってこなかった東電はもちろんのこと、原発を推進してきた政府、原発の不都合な真実の隠蔽に関わった人たち、原発訴訟で電力会社を勝たせてしまった裁判官も責任があるだろうし、原発を容認してきた国民にも責任の一端はある。

 5年が経過した今、マスコミ報道では原発事故よりも津波などの震災の被害の方がより強調されているように感じてならないが、地震・津波による被害と原発事故による被害はきっちりと分けて考える必要がある。震災に関しては悲しみを乗り越え地道に復興に取り組んでいくしかないが、事故を起こした福島第一原発は今も放射性物質を大量に放出していて収束の目途もたっていないし、被ばくによる健康被害がより顕在化するのもこれからだろう。避難の支援や健康被害の軽減、補償などに取り組まねばならないはずなのに、被ばく問題や健康被害に関してはタブーであるのかマスコミはほとんど報道しない。

 東北や関東地方では濃淡はあるものの深刻な汚染が生じた。東京ですら放射線管理区域を超える汚染地があったのだ。福島の60の小中学校の土壌汚染調査では今もなお8割が放射線管理区域を超える汚染が確認されているという。その中にはチェルノブイリの原発事故で「移住の義務」を命じられた区域に匹敵する場所もあるという。

 「女性自身」が驚愕の原発汚染調査報告! 福島の小中学60校の8割で「放射線管理区域」を上回るセシウム(LITERA)

 こんな状況であるにも関わらず、政府は避難の必要性を年20ミリシーベルトで線引きし、汚染地に住民を帰還させるという驚くべき方針をとっている。チェルノブイリの事故で「移住の義務」や「移住の権利」の基準が決められたのは事故から5年後の1991年。ところが、日本は5年経った今も20ミリシーベルトという基準を見直す気配がない。チェルノブイリの教訓を生かすどころか完全に無視し、被ばくと健康被害の隠蔽に必死だ。“驚愕”するのは汚染よりこちらの方だ。

 福島とチェルノブイリ5年後の避難基準の比較(「スナメリチャンネル」~みんなが笑って暮らせる世界へ~)

 チェルノブイリと福島で大きく異なるのは汚染地の人口だ。福島の事故では汚染は人口密集地である首都圏にまで及んでいる。

 【重要】マスコミが報道をしない全国の放射能汚染地図!東京は猛烈な汚染!静岡も東部や太平洋側で高い数値! (真実を探すブログ)

 政府は密かに福島の事故による健康被害を想定しており、ベラルーシのような避難基準にしたら大変なことになると分かりきっているのだろうと思う。移住の義務や移住の権利をチェルノブイリ並みにしたなら補償費用はとんでもない数字になるだろう。それだけではない。東京の土地が暴落したり経済活動に大きな影響がでるのは間違いない。原発への反発も強まるだろう。だから汚染の過小評価をし、隠蔽を重ね、健康被害は無視し、人々を被ばくから守らないという方針をとったのだ。この国の政府は、人災でありながら被害者の救済などそっちのけで、自己保身をはかることしか頭にないようだ。

 甲状腺がんの多発に関しては、今はスクリーニングを持ち出して言い訳をしているが、いずれ被ばくとの因果関係を認めざるを得なくなるだろう。チェルノブイリの事故ではICRPも甲状腺がんだけは被ばくとの因果関係を認めたのだから、福島でも最終的には認めざるを得ないという心づもりだと思う。しかし、チェルノブイリと同様、それ以外の健康被害については被ばくとの因果関係は認めないという方針をとるのだろう。だからこそ、甲状腺がんだけは検査をしているとしか思えない。しかし、それ以外の健康被害については恐らく必死で隠蔽しようとするに違いない。私たちが騙されてはいけないのはこの点だ。

 私は福島第一原発が爆発をしたとき以来、この事故に関して大きな関心を抱いてきた。そして案の定、東電も政府も事故の原因究明をあやふやにし、過小評価に必死になり、汚染や被ばく隠しに必死になった。だからこそ、事故からしばらくの間はブログでもこの問題を何度も取り上げてきた。政府が放射能汚染や被ばくに関して情報を速やかに出さず、避難の権利も認めず補償もろくにしない以上、一人ひとりが情報収集をしてどう対処するか判断し、被ばくを回避するための努力をするしかない。だからこそ、その判断に供するためにも自分が信頼できると思う情報を書いてきたつもりだ。

 最近は原発事故についてほとんど話題にしなくなったが、それは決して関心が薄れたからではない。事実を知る努力をし、避難すべきと判断した人の大半は事故後2、3年のうちに避難したと思う。一方で、避難しないと決断し今も住み続けている人は自分や自分の身の回りに異変が起きない限り、誰が何と言おうとそう簡単にその決断を変えることはないと思う。未だに、日本では健康被害はほとんど生じないなどと明確な根拠もなく主張し安全論を振りまいている科学者がいるが、それを信じて汚染地に住み続ける人を他者が変えることはできない。とはいうものの、安全論を振りまく科学者や医師の責任は大きいと言わざるをえない。

 ネットで放射能の危険性を叫んでいる人の中には東京は滅びるだろうという人もいるし、被ばくで○万人が亡くなるだろうと数値をあげる人もいる。いずれ病人が多発してキエフと同じになるだろうという人もいるようだ。さまざまな情報から、すでに首都圏でも健康被害が広がっているとしか思えないが、私には現時点でそれがどの程度のものになるのかまでは何とも言えない。放出された放射性物質の量や核種も被ばくの状況も、チェルノブイリと同じではない。しかし「東京は壊滅する」とか「避難を主張しない人は皆エートス」など、根拠なしに危険性を声高に主張したり、避難の主張をしないという点だけを取り上げて原子力に反対の立場の人すらエートス呼ばわりする人にも、安全を主張する人と同じ危うさを感じざるを得ない。

 先月、10日ほど東京に行った。東京は風が強い日が多い。東京はまだらではあるがそれなりに土壌汚染されたし、今でも放射性微粒子があるだろうと思い、私は風の強い日はマスクをして出歩いていた。しかし、もはや東京でそういうことを気にしてマスクをしている人はほとんどいないようだ。子どもたちは何事もなかったかのように校庭や公園などで遊んでいる。東京に住み続けることを選択した人たちにとって、もはや汚染や被ばくはほとんど頭にないのかもしれない。

 居住の可否に関し、年20ミリシーベルトという信じがたいほどの高線量で線引きをしている日本では、避難をするかどうかの判断も、避難の費用やその後の生活もすべて個人の責任で行わなくてはならない。

 誰も避難の補償をしてくれないのなら、高齢者の多くは住み慣れた場所から移住などする気になれないだろうし、働き盛りの人たちはそう簡単に仕事を変える決心はつかないと思う。自宅を持っていたり住宅ローンを抱えている人ならなおさらだ。東京に住み続けるには、被ばくのことなどいちいち気にしていられないという心境なのだろう。あれだけ沢山の人が住んでいるのだから、正常性バイアスに捉えられて何とも感じなくなってしまうのは当然といえば当然なのかもしれない。

 原発を推進してきた政府と東京電力に重大な責任がある事故でありながら、被ばくから身を守る責任は被災者個人に負わされているのだ。なんという無責任国家なのだろう。  しかし、だからこそツイッターなどで流れてくる情報に耳を傾け、神経をとがらせないと自分や家族の健康は守れない。そんな国になってしまった。

 もちろん、被ばくは汚染地に住む人だけの問題ではない。100ベクレルという高い基準値のために、汚染された食品が全国に流通している。汚染が日本中に薄く、広く広がっている。どこにいても食品の産地に注意を払い、できるだけ汚染地のものは避ける努力をする必要があると思うし、外食や加工食品なども避けるに越したことはない。そういう努力をしている人でも、日本人はみな原発事故前よりだいぶ多くの放射性物質を体内に取り込んでしまったし、これからも取り続けることになるだろう。

 5年前の原発事故を教訓に、今後どうしていくのかが私たち日本人に課せられた課題だ。過酷事故を起こしたなら取り返しのつかない被害をもたらす原発をどうするのか? 放射能汚染や被ばく問題をどう捉えるのか? 被ばくや健康被害にどう立ち向かい対処するのか? あるいは国の情報隠蔽や被害の過小評価、補償の放棄に対してどう行動するのか?

 自分のことだけではなく、未来の人たちのために考え行動せねばならないと思う。

2016年3月 5日 (土)

何度でも再読したいアドラー心理学の書「幸せになる勇気」

 「嫌われる勇気」(岸見一郎・古賀史健著 ダイアモンド社)の続編である「幸せになる勇気」が発売されたのでさっそく購入した。前編の終わりで青年は哲人の説明に納得し、アドラー心理学を受け入れる。そしてアドラーの教えを実行しようと教師になるのだが、ほめもぜず叱りもしない手法を実践しても生徒は荒れるばかり。結局、青年はアドラー心理学など机上の空論にすぎないと息巻いて哲人を論破しようと再訪する。そこでの青年と哲人の対話がこの後編の物語だ。この展開からすでに読者は引き込まれる。

 前編と同様、哲人に真正面から突っ込んでいく青年の大げさな発言にちょっと吹き出しながらも、とても面白く読了した。対談形式でアドラー心理学を説明するというこの2冊の本は、古賀さんの「読ませる」文章が読者を引きつけずにいられない。彼の文才なのだろう。しかし、もちろんそれだけではない。本書を読み進めていくうちに、哲人の語るアドラー心理学は実に奥が深いことが見えてくる。タイトルにある「幸せになる勇気」の結論は実にシンプルで、決断さえすれば誰もが実行できる。ただし、その決断そのものが困難であることも思い知らされることになる。

 一般に続編が出される本では前編より後編の方が魅力に欠けるという印象が私にはあるのだが、本書に関してはどちらも優れたアドラー心理学の解説書だ。前編がアドラー心理学の基本的な部分を分かりやすく解説しているのに対し、後編はより深く具体的に掘り下げていく。そして後編にこそ幸せになるための生き方が明確に示されているといってもいいだろう。また、前編の「嫌われる勇気」というタイトルは、他者に嫌われることを極端に気にしている人、すなわち本来ならこの本を必要としている人が手にとることを躊躇させる響きがあるが、「幸せになる勇気」にはそういう抵抗がないのもいい。「嫌われる勇気」を手にとる勇気がなかった人も「幸せになる勇気」なら抵抗がなく手にとれるだろうし、本書を読み通すことができるなら前編を読みたくなるかもしれない。

 さて、本書のはじめのほうにカウンセリングでつかう三角柱のことが出てくる。三角柱の一面には「悪いのはあの人」と書かれ、もう一つの面には「かわいそうなわたし」と書かれているのだが、誰かと話しをしたり相談ごとを持ちかけるときにこの二つしか語らない人が多いという。

 そう言われてみればたしかにそういう人は多い。たとえばツイッターのタイムラインを見ていてもそうだ。他人の批判、批評、悪口ばかり言っている人は「悪いのはあの人」の話しをしているのであり、自分のことで愚痴をこぼしたり自分は被害者であると主張するひとは「かわいそうなわたし」の話しをしているのだ。

 では、三角柱の残る一面には何と書いてあるのか。そこに書かれているのは「これからどうするか」である。そして「悪いのはあの人」の話しや「かわいそうなわたし」の話しをしていても自分の抱えている問題は何も解決しないと哲人は言う。たしかにその通りだ。自分の抱えている問題を解決するためには「これからどうするか」を考えるしかない。ところが多くのカウンセリングにおいてクライアント(相談者)がカウンセラーに話そうとするのは「悪いのはあの人」と「かわいそうなわたし」なのだという。ここがアドラー心理学に基づくカウンセリングとそうではないカウンセリングの大きな違いだろう。

 もちろんカウンセリングだけではなく、これは私たちの日常生活における会話や考え方においてもきわめて重要なことだ。気に入らない人の悪口を言ったり、政治に対する不満をぶちまけていてもそれだけでは何も解決しない。他者の意見や政治などに関し自分の考えを述べることは必要だと思うが、それだけで問題が解決するわけではない。問題解決のためにはこれからどうしたらいいかを考え行動するしかない。

 教師になって、アドラーの教えを実践しようとした青年は、生徒をほめもせず叱りもしなかった。その結果、教室は荒れ、青年はアドラーの教えが間違いであると考えて叱ったりほめたりする方針に転換した。これに対し、哲人は「あなたは生徒たちと言葉でコミュニケーションすることを煩わしく感じ、手っ取り早く屈服させようとして、叱っている。怒りを武器に、罵倒という名の銃を構え、権威の刃を突きつけて。それは教育者として未熟な、また愚かな態度なのです」(114ページ)と喝破する。

 なぜ怒ったり叱ったりしてはいけないのか。哲人はこう説明する。

 叱責を含む「暴力」は、人間としての未熟さを露呈するコミュニケーションである。このことは、子どもたちも十分に理解しています。叱責を受けたとき、暴力的行為への恐怖とは別に、「この人は未熟な人間なのだ」という洞察が無意識のうちに働きます。
 これは大人たちが思っている以上に大きな問題です。あなたは未熟な人間を「尊敬」することができますか? あるいは暴力的に威嚇してくる相手から、「尊敬」されていることを実感できますか? 怒りや暴力を伴うコミュニケーションには、尊敬が存在しない。それどころか軽蔑を招く。叱責が本質的な改善につながらないことは、自明の理なのです。ここからアドラーは、「怒りとは、人と人を引き離す感情である」と語っています。(116ページ)

 誰もが叱られるという経験を持っていると思うが、叱責されたときの心理を実に的確に説明している。私も小学生のとき率直に疑問に思ったことを口にしたことが担任の教師の怒りを買ったようで、授業中に晒し物のように叱責されたことがあるのだが、それ以来この教師には嫌悪感しか抱かなかった。こういう記憶は決して忘れることができないのだが、あのときの頭ごなしの教師の叱責は私にとって侮辱であり屈辱以外の何物でもなかった。その教師は、勉強ができない児童への罰も平気で行った。別の教師だが、嫌いな給食であっても半分は食べないと教室から出さないという教師がいて、吐きそうな思いをして無理矢理食べされられた。これも罰であり強制である。叱責や罰が信頼関係を崩壊させるのは間違いない。

 哲人は暴力についてこんなことも言っている。「暴力とは、どこまでもコストの低い、安直なコミュニケーション手段なのです。これは道徳的に許されないという以前に、人間としてあまりに未熟な行為だと言わざるをえません」 ネットに溢れる罵詈雑言、誹謗中傷、侮辱、嘲笑、個人情報晒しなどという攻撃は、言葉によるコミュニケーションでは勝ち目がないと思った人が相手を屈服させるための暴力でしかない。しかし、このような幼稚な暴力をむき出しにする人が何と多いことか・・・。

 もう一つの褒賞について、哲人は次のように説明する。

 子どもたちを競争原理のなかに置き、他者と競うことに駆り立てたとき、なにが起こると思いますか? ・・・・・・競争相手とは、すなわち「敵」です。ほどなく子どもたちは、「他者はすべて敵なのだ」「人々はわたしを陥れようと機会を窺う、油断ならない存在なのだ」というライフスタイルを身につけていくでしょう。(137ページ)

 こちらの記事にも書いたが、娘の通っていた小学校のある教師はまさに賞罰教育を方針としていた。その教師は地方の小規模校での勤務を希望し教頭や校長への昇進も目指さなかった。一部の児童や親の間では「名物教師」として慕われていたらしい。私はこうした噂から当初は子どもたちの主体性を重んじる教師なのだろうとばかり思った。しかし、実際に目の当たりにした教育方針は私には理解しがたいものだった。

 その一つが子ども達の絵画、作文、詩、書道などの作品をことあるごとにコンクールに応募しては入賞を目指すというやり方だった。数打ちゃ当たる、とばかり手当たり次第に応募していたようだった。入賞すれば自信がついてやる気が起きるというのだ。やる気を起こすことが目的?! しかも子どもたちが自発的に応募するわけではない。なんと不純な目的だろう・・・私は直感でおかしいと思った。

 もう一つは、体育の競技でタイムを計って順位づけするという手法。授業中に競技大会で良い成績をとるための訓練をしていたのだ。しかも学内の競技会では上位の子にトロフィーを渡す。1位が最も大きなトロフィーで、順位が下がるに従って小さくなる。まさに褒賞と競争の教育が信念だった。さらに、無謀とも思える学校行事の企画があったのだが、そうした行事はどうみても児童の立場にたって考えたというのではなく教師の思いや野望による企画にしか見えなかった。 そうした行事の目的は「達成感を得ること」だと説明されたが、これもコンクールへの応募と同じ匂いを感じた。私は保護者会やPTAで何度となく意見を述べたが、教師からは反論もしくはスルーされたし、一部の親からは敵対視された。競争教育に抵抗がない親が多いことにも驚いた。

 小さな子どもにとって学校という閉鎖空間での支配的な教師の存在は絶大である。そのような教師にたてついたところで罰を与えられるだけだろう。かといって教師との関係をうまく築くことができなければ居場所を失うに等しく、不満を抱いても我慢して言いなりになるほかない。教師のやり方がおかしいと感じた子どもは葛藤を抱え、教師も学校も嫌いになるに違いない。もちろん信頼関係も結べない。思えば、私の子ども時代もそうだった。

 子どもがライフスタイルを決定すると言われる小学校の低学年の時期にこのような競争教育にさらされたなら、子どもたちは簡単に「他者は敵」というライフスタイルを身につけてしまうだろう。実際、何事につけても「勝った!」「負けた!」と競争で考える子どもたちが複数いた。哲人は、子ども達が最初に「交友」を学び、共同体感覚を掘り起こしていく場所は学校だと指摘するが、その学校で賞罰教育や競争教育が行われていたなら、共同体感覚が育つとは思えない。

 この学校に限らず、子ども達に賞罰を与え、競争に追い込んでいる学校は普通だと思う。そう思うとき、日本の子ども達の置かれた環境は実に苛酷だと思わざるを得ない。いじめがいつまでもなくならないのも、こうした環境と無関係ではないだろう。

 本書のクライマックスは、何といっても最後に語られる「愛」についてだ。そして、この本のテーマでもある「幸せになる勇気」もそこに集約される。ここで自立の話しが出てくるのだが、自立は自己中心性からの脱却だという主張はもっともだ。そして哲人は自己中心性からの脱却に必要なのが愛だと説く。さらに愛が共同体感覚にたどりつき、ひいては人類全体にまで影響を及ぼすというのがアドラーの考え方だ。クライマックスである愛についての具体的説明は本書に譲るが、一つだけ気になったことを書きとめておきたい。

 哲人はアドラーの語る愛について「彼が一貫して説き続けたのは能動的な愛の技術、すなわち『他者を愛する技術』だったのです」と言う(231ページ)。私はこの「愛の技術」という言葉にはどうしても違和感を覚えてしまう。

 私がこれまで知り合った人たちの中には、ごく少数ではあるがアドラー心理学を学んでもいないのにアドラーの思想を自然に実践しているように思える人もいる。マザー・テレサなども恐らくそうなのだろう。彼ら、彼女らはアドラーのように他者の心理を探り研究した末にそういう生き方を選択してきたとは思えないし、愛する技術を習得した結果他者を愛せるようになったということでもたぶんない。

 それについては私はこう思う。つまり、無意識にアドラー心理学を実践している人たちはおそらく自分の良心に誠実に行動しているのではないかと。自分がやられたら嫌だと思うことは他人にはやってはならないということは子どもでも理解できるし、ごく自然な心理だろう。こういう感覚が良心だと私は思う。ところがこれを頭では理解していても実践しようとせず、仕返しを企てる人がいる。良心よりも利己性が先に立ち、報復によって相手を征服しようとするのだ。子どもの頃のままの自己中で幼稚なライフスタイルから抜け出せないのだろう。しかし、このような人の中にも間違いなく良心はあると私は考える。

 だから、「相手を屈服させたい」と思ってしまう人は、いまいちど自分の良心に問いかけ良心に誠実に生きようと決断することでアドラーの教えを実践できるのではなかろうか。「愛は技術」と考えるより、良心を尊重できるか否かという心の問題だと捉えるほうが理解しやすいように思う。もちろん、長年つかいつづけた利己的なライフスタイルを捨てて良心に問いかけるという決断をすることが困難であることは言うまでもないが。

 私は日頃、いわゆるベストセラーになる本はあまり読まない。新聞に大きな広告が出ている本などは、それだけで買う気が失せることもしばしばだ。しかし、「嫌われる勇気」と「幸せになる勇気」は一人でも多くの人が手に取り、何度でも読み返して理解する努力をし、まわりの人に広めてほしいと思う本である。なぜなら、アドラー心理学は人間のもっとも根源的なことを問うていると共に、平和の実現にもつながると思うからだ。アドラーは、「いかにすれば戦争を食い止められるか」を考えた人なのだという。アドラー心理学を理解し広めることは民主的で平和な社会の構築へとつながるにちがいない。

【関連記事】
アドラー心理学を凝縮した「嫌われる勇気」-その1 
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アドラー心理学をめぐる論争とヒューマン・ギルドへの疑問

2016年3月 3日 (木)

洗濯機のカビとりは酸素系漂白剤で

 全自動洗濯機のドラムの裏側にはどうしても黒カビがついてしまう。私は今まで市販の洗濯槽用のカビとり剤を使っていたのだけれど、どうもカビがちゃんと落ちていない気がしてならなかった。というのは、カビとり剤を使ったあとで洗濯をしてもカビの破片が洗濯物に付着するのだ。そこで前回は2袋、つまり2回分を投入してみたが、やはりその後も洗濯をするとカビの破片が出てくる。どう考えても、きちんと取れていない。

 切りぬいておかなかったのだが、以前、新聞に酸素系漂白剤で黒カビが取れると書いてあったことを思い出した。そこでインターネットで調べてみると、水10リットルあたりおよそ100グラムの酸素系漂白剤(粉末)を使うと良いらしいことが分かった。わが家の洗濯機だと500~600グラムもの酸素系漂白剤を入れることになる。これはかなりの量だ。市販のカビ取り剤の主成分も酸素系漂白剤なのに使用量がまったく違う。こんなに必要なら、市販のカビとり剤できれいに取れないのも納得がいく。

 そこで、さっそくカビとりを実施してみた。朝、風呂の残り湯を洗濯槽にある程度入れ、それにお湯を足して50度くらいのお湯を高水位まで張る。そこに酸素系漂白剤を600グラムほど投入して5分ほど洗濯槽を回して撹拌する。この段階で黒いカビがどっとでてきて、まず目を丸くした。

 出てきたカビを湯垢すくい(私は手製のものを使ったが、百均でも売っている)ですくいとり、再び撹拌。これを黒カビがほとんど出てこなくなるまで時間をおいて何回か繰り返す。その間にもお湯がどんどん黒っぽくなっていく。私の場合は夕方まで何回か繰り返した。その後、水を抜いてから再び水を溜めて撹拌する。

 このときにも大量のカビが出てきて、ほんとうに驚いてしまった。いったい今までの市販のカビ取り剤は何だったのかと唖然とした。再び湯垢すくいでカビをすくっては撹拌するという作業を何回か繰り返し、最後に洗濯コースを一回運転して終了。

 このカビとり作業で出てきたカビの量から考えるなら、洗濯槽の裏側にはたぶんびっしりとカビが貼りついていたのだろう。かなりぞっとした。

 そのあと洗濯をしたときには、黒カビの破片はほとんど出てこなかった。たぶんきれいに取れたのだと思う。

 ということで、洗濯槽のカビとりは「酸素系漂白剤を水10リットルあたり100グラム」の方が市販のカビ取り剤よりよほど効果的で安価であることが分かった。お試しあれ。

2016年2月29日 (月)

十二社と熊野神社の思い出

 子どもの頃住んでいた新宿の十二社(じゅうにそう)と熊野神社には2013年に訪れているのだが、先日東京に行ったときに再び足を延ばしてみた。十二社に住んでいたのは4歳くらいから小学校4年生の夏休み前までだから、7年ほどの間でしかない。でも、東京にくるとなぜか足が向いてしまう。昔のことを懐かしく思うのはおそらく歳をとり郷愁が湧いてくるといいうこともあるのだろうが、はるか昔のこととなった自分のおぼろげな記憶の中の風景と今の変容ぶりを確かめたいのかもしれない。

 あの頃の面影が残っているのは3年とちょっと通った淀橋第六小学校、小学校の近くの児童公園、住宅街の中の狭い通り、そして熊野神社くらいだろうか。当時からそのままの建物はほとんどなく、皆、あたらしい住宅やマンションに建て替えられ50余年の歳月は景色を一変させている。当たり前といえば当たり前なのだが、やはりどこかに昔の面影を探してしまう。

 今回は1年間通った幼稚園のあった場所にも足を延ばしてみた。幼稚園がなくなっていることは知っていたが、かつて幼稚園のあった敷地は集合住宅になり、記憶の世界とはまったく違った光景が何事もなかったかのように空間を占領している。

 考えてみれば、数歳の子どもの行動範囲はなんと狭かったのだろう。地図を片手に一人で出歩いた行動圏を目で追うと、東は十二社通りを渡ったところにある熊野神社までだった。南は甲州街道、西は山手通り、北は方南通りに囲まれた、住んでいたアパートから大人の足なら片道5分程度のところが当時の私の行動圏だったことを改めて思い知った。ちょうど、こちらのブログの地図の範囲が私の行動圏とほぼ重なっている。時期も私が住んでいたときと重なる。

 もちろんそれより外側に出かけたこともあるが、そういうときはたいてい友だちと一緒だった。そういえばよく母と一緒に買い物に出かけた商店街はどこだったのだろうか? 現在の地図を見てもどこだったのか見当もつかないが、たしか方南通りを渡った先の路地だったと思う。

 あの頃はよくアパートの庭で虫とりをして遊んだ。もちろんアゲハチョウやキタテハ、シオカラトンボなどどこにでもいる普通種ばかりだったが、ときどき見かけるアオスジアゲハは別格の存在だった。黒い翅の中央にエメラルド色のグラデーションの帯が走る素晴らしく魅惑的なこのチョウがこんな都会の片隅にいることだけでも心がわくわくしたし、動きがすばやくて子どもには捕まえるのが難しいチョウだった。ときどき舞いこんでくる金属光沢に輝くタマムシにも心をときめかせたし、カマキリなども恐る恐る捕まえては遊んだものだ。夏の夕方にはどこに棲んでいるのかアブラコウモリがひらひらと舞っていた。コンクリートの冷たい建物が増えた今、はたしてどれほどの生き物が生きのこっているのだろう。

 行動圏の東の端にある熊野神社は一番変わっていない場所かもしれない。それでもあの頃とはだいぶ変わってしまったとどことなしに感じる。おそらく建物が改修されたり整地されるなどして少しずつ変化してきたのだろう。観光客の姿が見られるのもあの頃とは違う光景だ。

 熊野神社といえばやはり夏祭りの縁日が思い出される。今はどうなのか分からないが、あの頃は十二社通りから境内一杯に屋台がびっしり並び、それはそれは賑わっていた。お面、綿あめ、べっこう飴、カルメ焼き、得体の知れないジュースなどを売る屋台、金魚すくい、ヨーヨーつり、輪投げ、射撃などが所せましと並んでいた。今、境内を見回すと、この狭い場所にどうしてあれほどの屋台があったのだろうと思うくらいの広さしかない。視線の低い子どものことだから広く感じたのかもしれないが、なんだか拍子抜けするほど狭い。

P10704851
P10704862

 熊野神社では梅がほころび始めていた。社務所にパンフレットが置いてあるのに気付いて手にしてみると、この界隈の歴史のことが書かれている(http://12so-kumanojinja.jp/page-01.html)。十二社の池のことも書かれているが、私が住んでいたころにもまだこの池は健在だった。ただし、有刺鉄線に囲まれて道路から緑色にどんよりと濁った池が垣間見えただけで、近寄りがたい不気味な池という印象しかなかった。だからこの池がかつて景勝地で料亭や茶屋があり、ボートや花火大会で賑わったなどということが書かれていて驚いた。神社の近くには滝もあったという。

 この池は昭和43年に埋め立てられたそうだが、以下のサイトにはかつての十二社池の写真や絵が掲載されている。

 http://ameblo.jp/sasabari/entry-11528230700.html
 http://blogs.yahoo.co.jp/shinjyukunoyamachan/2846.html 

 昔の絵や写真を見ていて思い出したのだが、私が子どもの頃は十二社のごく一部に自然のままの地形が僅かに残っていた記憶がある(もちろん現在はきれいさっぱりなくなっている)。十二社あたりの古地図(明治13年測量、24年修正)を掲載しているサイト(http://collegio.jp/?p=86)があるのだが、今の西新宿一帯は角筈(つのはず)村で、どうやら畑や竹林、雑木林などが広がっていたらしい。もちろん十二社の池も描かれている。明治時代に角筈村に住んでいた人たちが今の光景を目にしたら、腰が抜けるほど驚くに違いない。古地図を見ていると、住宅とビルで埋め尽くされた今の西新宿の変貌に呆然とするばかりだ。

 十二社や角筈という地名は私が子どもの頃も使われていたが、なぜ西新宿などというつまらない地名に変えてしまったのだろう。地形や景色は変わっても、せめて地名くらいは残しておけないものだろうか。そんなことを思いながら熊野神社を後にした。

2016年2月23日 (火)

自動化する社会

 先日、半年ぶりに飛行機に乗った。近年は航空券の予約と購入はネットで済ませているが、今回は手続きをしていたら「eチケット」なるものが利用できるとのことだったのでそれをプリントした。「eチケット」の場合は、搭乗手続きをせず保安検査場に直行できるという。帯広空港でカウンター前のX栓検査場に直行して手荷物をひとつ預けてから搭乗口に向かった。飛行機の手続きもどんどん変わっていく。

 羽田からの帰りの便も同じeチケットを利用できるので、手荷物を預けるために搭乗手続きのカウンター向かった。ところが例の手荷物検査場(X線検査の機械)が見当たらない。どこかに案内が出ているだろうと見渡すと、手荷物を預ける人は○番カウンターに行くようにとの案内が出ている。

 で、そこに行ってみてもX線検査の機械が見当たらない。首をかしげながらも、とりあえず列に並んで前の人がやっていることをよくよく見れば、なんと手荷物検査が自動化されていて搭乗者が各自でパネルを操作しているではないか。あたりに説明をしてくれそうな空港の職員の姿は見当たらない。内心「えっ! どうやってやるんだろう?」とちょっと焦ったが、とりあえず前の人を観察することにした。

 荷物をカウンターの所定の場所に置きパネルを操作すると、扉が閉まって検査が行われるらしい。そのあと機械から荷物に付ける番号が書かれたタグが出てくるので、自分でタグを荷物に取り付けてまたパネル操作をすると扉がしまり、ベルトコンベアで荷物が奥に運ばれて行く。番号が書かれた控えの紙をとれば手続き完了らしい。ただし、私の前の男性はスムースにいかずにちょっと手こずっていた。これなら、今までのように手なれた職員がやったほうが速そうな気もする。

 ちなみに、この機械は「ANA Baggage Dropサービス」というそうだ。以下のサイトを参照していただきたい。

 http://travel.watch.impress.co.jp/docs/news/20150630_709511.html 

 実際にやってみたら難しいことはなかったが、しかし、何でもこうやって機械化してしまうというのは高齢者や弱者への配慮が足りないと思うし、何とも味気ない。高齢者は通常、新しい機械というだけで拒絶反応を示すものだから、ここまで機械化されてしまうと多くの人が戸惑うに違いない。

 考えてみたら、ここ数十年のあいだに機械でできることはどんどん自動化されていっている。省力化といえばそれまでだが、なんでも機械に任せてしまうことが本当に進歩なのかと考えさせられる。

 今の若者には分からないだろうが、私が子どもの頃はバスには車掌さんがいて切符を売っていた。しかしワンマンカーが徐々に普及し、いつの間にか車掌さんはいなくなってしまった。忙しくていらいらしていそうな運転手さんには、停留所を尋ねることも気が引ける。あの頃は電車の切符ももちろん窓口で販売していたし、自動改札機などもなかった。今や、動物園や植物園などの入場券なども人が売っていることの方が少ないのではなかろうか。地方ではまだ人がチケットを販売していることも多いが、機械化されるのも時間の問題なのかもしれない。

 街角に自動販売機なるものが並び始めたのはいつからだったろうか・・・。2008年に北欧旅行に行ったとき、自動販売機がほとんどなくて飲料は店で購入するしかなかったが、それが当たり前だと思えば不便は感じない。それに比べ、日本は自動販売機大国だ。証明写真を撮影する機械などは大学生の頃にはあったが、あれはいつから出てきたのだろう・・・。たぶんこうした自動化はほぼ同時期に進んでいったのではなかろうか。

 銀行でのお金の出し入れや送金もATMでほとんどできる。今や、大きな病院では会計も機械化されている。それはそれで便利かもしれないけれど、日常生活から人との対話がどんどん消えていき、人が機械に慣らされてしまうことになにか引っかかりを感じてしまう。

 スーパーマーケットなどなく街の商店街で買い物をしていた頃は、「○○を何グラムください」などと言葉を交わさなければ買い物もできなかった。スーパーマーケットでの買い物が当たり前になった今、店の人と客が顔を合わせ、言葉を交わして買い物をするという行為すらなくなりつつある。なんと非人間的な日常だろうとふと思う。

 つまり、誰とも会話しなくても日常生活が送れてしまう。とりわけ一人暮らしの高齢者などは人と人との距離が遠ざかり、信頼関係も薄くなり、社会から孤立してしまうのではないか。そういえば、父が亡くなり母の一人暮らしがはじまってから「一日中誰とも話さない日がよくある」と言っていた。そんなこともあってか、母は高齢になっても週一回の動物園でのボランティアガイドを楽しみにしていた。自分で意識して求めない限り、他者と対話をする場がないのだ。

 利便性の裏には必ず負の側面がある。機械化、自動化も紛れもなくそうだ。自動化の陰に会話のない孤独な日常が繋がっている。

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